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2004年03月20日
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初期の時代の人々の生活は神秘で満ちていたようである。人々は不可解で当惑させられるような出来事で取り囲まれていた。

例えば、申し分のないほど強健な人が一体どうして突然病気で倒れるのか、普通の季節に一体どうして空から雨が降らないのか、あるいは一見死んだように思える葉のない樹木が一年のある時期に緑に一変し、命にあふれるようになるのは一体どうしてか理解できなかったことだろう。自分自身の影や心臓の鼓動や息さえも神秘だったであろう。

人間には生まれつき霊的なことを考える性向があるので、それらの神秘的な事柄や出来事をある超自然的な力のせいにするのは、ごく自然なことだった。しかし、正しい指導や理解がなかったために、人間の世界はやがて魂や霊、幽霊や悪霊の満ちる所となった。

例えば、北米のアルゴンキン族のインディアンは人の魂を「彼の影」という意味の“オタチュク”と呼んでおり、東南アジアのマライ人は、人間が死ぬと、魂は鼻孔を通って逃げて行くと信じている。今日、霊や死んだ人の魂が存在することや、ある方法でそのような霊や魂と交信する企てに対する信仰は、ほとんどどこにでも見られる。

同様に、自然環境の中の他のもの、すなわち太陽、月、恒星、大洋、川、山々も生きていて、人間の諸活動に直接影響を与えるように見えた。それらのものはそれぞれ独自の世界を占めているように見えたので、霊や神々として神格化された。その中には慈悲深くて人を助ける者もいれば、邪悪で人を害する者もいた。そして、創造されたものを崇拝することが、ほとんどすべての宗教の中で顕著な位置を占めるようになった。

そのような信仰は、ほとんどすべての古代文明の宗教の中に見いだすことができる。バビロニア人やエジプト人は太陽神や月神、および星座の神々を崇拝した。動物や野獣も彼らの崇敬の対象になった。

ヒンズー教徒は幾億もの数に上る神々の万神殿で有名である。中国人は神聖な山々や川の神々を常に奉じてきたし、先祖崇拝を行なうことによって孝行をする。イギリス諸島の古代のドルイドはオークの木を神聖視し、オークに自生するヤドリギに特別の崇敬の念を表した。後に、ギリシャ人やローマ人が一役買って、霊、神々、魂、悪霊その他、あらゆる種類の神聖な事物に対する信仰が確立された。

今日、ある人々はこのような信仰をすべて迷信とみなすかもしれないが、それらの考え方は依然として世界中の多くの人々の宗教的な慣行に見られる。ある人々は依然として、ある山や川、奇妙な形をした岩や古木その他、数多くの物が神聖であると考えており、それらを専心の対象として崇拝している。そして、そのような場所に祭壇や聖堂や神殿を建てる。

例えば、ガンジス川はヒンズー教徒にとって神聖な川で、同教徒の最大の願いは、生きているうちにその川で沐浴し、死後、自分の骨灰をその水にまいてもらうことである。仏教徒はインドのブッダガヤーにある霊場にもうでることを特別な経験とみなしている。その霊場の菩提樹の下で仏陀が悟りを開いたと言われている。



創造者ではなく、創造されたものをあがめることは、今日でも依然として目立っている。―Ro 1:25.





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最終更新日  2004年03月21日 01時14分25秒
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