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2004年12月05日
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神が将来の出来事や状況をすべて事細かに予知されないとすれば、それは神の側の不完全さの証拠になるという論議は、完全さに関する独断的な見解にほかならない。何にせよ完全かどうかは実際のところ、その価値を判定する有資格者によって定められた優良性の規準に全くかなっているかどうかということなのであるから、完全さの正しい定義によれば、その概念をそのように絶対的かつ総括的に適用する必要はないのである。結局のところ、何が完全かということを決定する要素は、人間の意見や概念ではなく、神ご自身の意志であり、意向にあるのである。―De 32:4; 2Sa 22:31; Isa 46:10.

 例を挙げて考えてみよう。神の全能性は間違いなく完全であり、能力の点で無限である。(1Ch 29:11、12; Job 36:22; 37:23)しかし、神は強さの点で完全ではあっても、ありとあらゆる場合にご自分の万能性の許す最大限の力を行使しなければならないわけではない。神がそのようにしてこられなかったことは明らかである。もし神がそうされたとすれば、大洪水や他の場合のような、不興と憤りの力強い表明を伴う神の裁きの執行によって、単に幾つかの古代都市や一部の国民だけが滅ぼされるのではなく、地球とその中のすべてのものがとうの昔に消滅させられたことだろう。(Ge 6:5‐8; 19:23‐25、29.Ex 9:13‐16; Jer 30:23、24)したがって、神の偉力の行使は、単に無限の力を発揮するということではなく、むしろご自分の目的によって常に制御され、必要に応じて神の憐れみにより調節されているのである。―Ne 9:31; Ps 78:38、39; Jer 30:11; La 3:22; Eze 20:17.

 同様に、もし神がある点に関し、ご自分の無限の予知能力を選択的に、またご自分の望む程度にまで行使することを選ばれるのであれば、確かにどんな人間もみ使いも、「あなたは何をしているのか」と正当に言うことはできない。(Job 9:12; Isa 45:9; Da 4:35)したがって、これは能力の問題、つまり神は何を予見したり、予知したり、あらかじめ定めたりすることができるかという問題ではない。「神にとってはすべてのことが可能」だからである。(Mt 19:26)問題は、神は何を予見したり、予知したり、あらかじめ定めたりすることをよしとされるかということである。「神は……すべてその喜びとすることを行なわれた」からである。―Ps 115:3.





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最終更新日  2004年12月30日 01時38分11秒
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