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2005年05月09日
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テーマ: 健康(15)
カテゴリ: 人生
 聖書は仕事を苦痛の種としているのではないだろうか。という疑問を持つことがあるかもしれない。創世記3章17-19節を読むと、神がアダムとエバに、反逆に対する罰として仕事という重荷を課したように思えるかもしれないからである。神はそれら最初の人間夫婦に有罪宣告を下した際、アダムに、「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついには地面に帰る」と言われた。この言葉は、どんな仕事をも非とするものだったのだろうか。

 いいや、そうではない。アダムとエバが不忠実になったために、エデンの楽園を直ちに拡張してゆくことはできなくなった、という意味である。地面は神にのろわれた状態になり、人が土から生活の糧を得るためには、汗水たらして労苦しなければならなくなったのである。― ローマ8:20、21.

 聖書は仕事を苦痛の種とするのではなく、大切にするべき喜びの源としている。先に述べたように、神ご自身、勤勉な働き手であられる。神は人間をご自分の像に創造し、地上の創造物の世話をする能力と権威を授けた。(創世記1:26、28;2:15)その仕事の割当てがなされたのは、神が創世記3章19節の言葉を述べる前である。もしも仕事が苦痛の種であり悪であるなら、Jehovahはそれに携わるようにと人を励ましたりはされなかったことだろう。ノアとその家族は洪水の前も後も、なすべき仕事をたくさん与えられていた。クリスチャンの時代にはイエスの弟子たちも、働くよう命じられた。― テサロニケ第一4:11.

 とはいえ、周知のとおり、現代では仕事が重荷になる場合もある。ストレス、危険、倦怠、失望、競争、欺まん、不正など、今日の仕事に付きものの「いばらとあざみ」を挙げれば切がない。しかし、仕事そのものは苦痛の種ではない。聖書は伝道の書3章13節で仕事とその成果を神からの賜物と呼んでいるのである。





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最終更新日  2005年06月09日 00時26分07秒
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