2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
1月
2月
3月
4月
5月
6月
全3件 (3件中 1-3件目)
1
大晦日に、初雪が降ってる。朝は雪だったものが雨に変わり、また雪になった。そしてもう一度雨になって、今は止んでしまった。同じ空から降る水なのに、ずいぶん形が違うものだな。そう思ってしみじみと見あげる。去年の年末は何をしていたっけ。一昨年は? 3年前は?それ以上は思い出したくない。ニュースを見る。いい話と悪い話と、やるせない話と痛快な話。世の中ではいろんなことが起きている。わたしだって「世の中」の一部なんだ。そうだよ、今年もいろいろあったもんなぁ。なんて、ちょっとわざとらしく考えてみる。不思議と心に浮かばないのは、「来年のこと」。来年はいい年にしようとか、悪いことが起きそうだとか、何も思わない。年末に、来たる新しい年のことを考えたことがあんまりない。新年に、希望もないけど、悲観しているわけでもない。ただ単純に想像力が及ばない。先のことに。それでも子供のころは、お正月が何か新鮮で、嬉しかったような気がするんだけどな。新しい日記帳をおろしてみたり、文房具や服をおろしてみたり。そういう細やかな喜びを感じなくなったのはいつからだろう?ふと考える、「旧年中」。今年1年何があった?嬉しいことがあった。幸せだと思ったことがたくさんあった。辛いこともあった。泣いたことも数知れない。どうとも判じかねる、でもものすごく心を占める出来事もあった。家族が倒れたり、親友が出産したり、・・・自分が結婚を決めたり。結婚? わたしが? 何のために?いやもちろん、相手を好きだと思うからだ。一緒に生きて行こうと思うから。でも、それでも新年に希望はない。かといって悲観してるわけでもない。ただ想像がつかない。過去と現在、それは馴染みの深いものだけど、未来とか将来とか、それがわたしにはわからない。更に考える。あの男は今頃どうしているのかな。生まれた子供は2歳になってるはずだから、やんちゃ盛りでかわいいばかりなんだろうな。あの男に似てるんだろうか?あの男は幸せに生きているんだろうか?何年も前、わたしを混沌の海に突き落として消えたあの人は。わたしはあの男が幸せであってほしいのか、不幸であってほしいのかわからない。あのころの怒りや悔しさは今も心の中にある。忘れることがないから、普段、取り立てて思い出すこともない。だけどわたしは今では幸せだから。そんな思い出に縛られることはないんだ。わかっているけど・・それなら、いったい何が不安で、わたしは腕を切るんだろう。尋常じゃない量のチョコレートを食べるんだろう。眠剤を飲んでいるのに、夜中に何度も目が覚めるんだろう。幸せと憂鬱が、共存できるものだなんて、4年前には思わなかった。幸せにさえなれば、憂鬱も消えるものだと信じていたのに。
2004/12/31
コメント(0)
今日は仕事納め。納めって言っても、ここ数年は自分がまともに働いていない気がするので、労われるとなんだか複雑な気分。4年前の2週間の病欠以来、大きな休みは取らずに今日までやってきた。休んでしまったらそれが最後、ジ・エンドだという気がするから。負けてしまうような気がするから。負ける? 何に? ・・・わからないけど。わたしは普通に生活している。たぶん、ここ1・2年で知り合った人たちは、わたしが鬱病で病院通いをしているって知ったら驚くだろう。それぐらい普通に毎日を過ごしてる・・・ぱっと見には。でも例えば、会社の飲み会を全部サボる。軽い会議もサボる。仕事中はほとんど無駄口をきかず、お昼休みも5分で終わって戻ってきて机で寝ている。そんな些細な行動の不審さは、やっぱり伝わるみたいだ。わたしは付き合いの悪い変わり者、って思われている。逆に言えば、病気というより、そういう性格なんだで片付けられるぐらいにしか、思われていない。そうやって少しずつ、自分の居場所を切り縮めているんだなって、ひしひしと思う。でもそれを是正しようと言う気力がわかない・・・孤独なんか愛していないのに。できることなら、含むところもなく、朗らかに人生を歩いていきたいのに。でももう何年も、わたしは自らせっせと壁を作って、その中に閉じこもる。閉じこもっている自分を誇ってさえいる。そういうことに気づいてしまうと、たまらなく自分が嫌になる・・・プライドと自己嫌悪。自己愛と自己嫌悪。並び立たない思いのうち、どちらもわたしは選べない。それで今日も、仕事納めの納会からは逃げ出した。今は自室で左腕を切っている。すっかり習慣になってしまった。新陳代謝も鈍っているから、傷跡が残るんだけど。なんて冷静に考えながら、それでもわたしは剃刀を腕に押し付ける。
2004/12/30
コメント(1)
3年前・・もう4年前になるのかな。春のある日、鬱病と診断されて、会社を休んだことがある。期間は2ヶ月、とお医者さんには言われたけれど、それだけ休んだら二度と復帰できないと思って、意地を張って2週間で復帰した。4年前のあの日々。ある人とやっかいな恋愛をして、それがお定まりの破滅を迎えて、その過程でいろいろと自分の「弱さ」を責められるようなことがあって・・・辛いことが重なって、思いつめて追い詰められて、丁度今ぐらいの時期、近所のビルから飛び降りようと思って屋上まで登った。夜だった。寒かった。ビルと言ってもせいぜい7階建てで、それなりに周囲にも建物は多かったから、飛び降りても死ねる確証はなかった。それならそれでいいじゃない。そう思った。とりあえず飛び降りて、もし生き残ったならそれが神の思し召し、と冗談ぽく考えた。そして・・、結局飛び降りなかった。人生に未練ができたわけじゃなく、ただ純粋に高いところが怖かったのだ。怖いと思える本能が自分に残っていたことが、少し嬉しかった。飛び降りる代わりに病院に通うようになって、そして春には正式に鬱病の診断を受けて会社を病欠した。もめごとの相手は同じ社の人だったから、その休暇は心身にとても良かったんだと思う。でも、足りなかった。その後もわたしはその相手ともめ続け、罵り合いと謂れのない嫌がらせの応酬の果てにに、わたしは(たぶん相手も)ますます憔悴してしまった。そして再び、今度は故意に薬を飲みすぎることで、わたしは「楽に」なろうとした。これも失敗して、今に至る。わたしの抱えている問題の一番の根は「鬱病」ではないかもしれない。今もわたしは薬に頼って眠り、気分の浮き沈みと戦い、薬による眠気と戦い、そして自分の性格と戦っている。目前の解決事項は鬱状態と過食の症状だ。だから「鬱病」のカテゴリで書いている。もっと深刻に、鬱病そのもので悩んでおられる方には申し訳ないことなのかもしれないけれど・・・
2004/12/29
コメント(2)
全3件 (3件中 1-3件目)
1


