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みえ★mie★ @ Re[1]:次章へ(11/12) うな6868さん♪ >え~~~っ!!っ…
うな6868 @ Re:次章へ(11/12) え~~~っ!!って、いまさらで遅いけど…
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元々はマザーテレサの言葉だそうですね。


でも本来マザーの伝えたかったこととは関係なくこの言葉は独り歩きをしていて、いろんな場面で使われる慣用句になってますね(笑)



ふと思っちゃいました。
愛の反対など存在しないのだ、と。

色んなあらゆることが、愛の中のひとつであって、それ以外になりようがない。

無関心であることさえも別の視点から見ると、無関心であった自分に気付いたときには…

マザーはその気付きを多くの人にプレゼントするために、その言葉を発したのでしょう。
その時代でのテーゼとして、必要なものだったのでしょう。




多くの時点でその中心軸は自分になく他の対象にある。
言い換えれば「反応」を表現しているに過ぎない。

無知・無関心は罪だともいわれる。
何に対しての罪か。
それは決して周りに対して行ったことについての罪、ではない。

それは自分に対して、ですよね。
自分の根本について、知らなさ過ぎる、無視し過ぎる…という意味での。
その意味での罪だというのなら、そういう言い方もあるかもしれない。
罪という言葉が適切かどうかはわかんないけど。

でも、愛の反対は無関心だからそれは罪なのよ、と繋がると意味合いが違ってくる。
他者への働きかけについて善悪を規定しようとしてしまうから。

「だから関心を持ちなさい」と。

また愛の反対が存在するということは、それは無限な愛ではなく条件のついた愛となる。
関心を持つことが愛となってくる。関心を持たなければ愛がないとなってくる。
「ちゃんとイイコにしてれば愛してあげますよ」と親が子どもに条件付愛をチラつかせるのと似ている。

だけどもどこかで親は感じ取っている。どんなことをしていても子どもを愛しているって。

(世の中の親業をしている人全員が…とは申しません。該当されない方もいるとは思います)

無関心である者が無関心を選択し続けることを赦し受け入れる。
その者の存在自体を愛する気持ち、それは他者との関係性上にあるものではなく、ただ自分の内側に存在しているもの。

自分の中に愛があることを発見させてくれる役割を、その無関心者が担っているのかもしれない。
どんな表現も愛の形の違った表現、あるいは愛に気付くための表現のひとつ、なのではないのか。

どこにその愛があるのか。
それは、自分の中なのだ。
いつもいつも、自分の中なのだ。





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Last updated  2009.09.15 00:44:08
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