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長いブログですが、何よりも大事なことだと思うので、
あえて長いまま綴ります。
あさって23日は、沖縄の戦没慰霊の日です。
去年の6月22日、沖縄へ行き、その翌日、
沖縄の最も悲しい歴史が凝縮された南部戦跡を
回りました。
ひめゆりの搭はもちろんのこと、沖縄健児の搭、
米軍責任者の墓、沖縄平和記念公園など多くの碑の元へ
と1日バスとタクシー、徒歩で、各地を歩きまわりました。
大変ショックを受けました。
沖縄の本土が、米軍というよりも、日本軍によって、
4人に1人が悲惨な死を遂げていました。
残りの3人も、何もなかったわけではなく、
自分の周りの家族が死んだり、大事な人を数多くなくして、
自分一人生き残ってしまった罪悪感、中には
家族を自らの手であやめないといけなかった
苦しみ、を今も抱えている人たちがたくさんいました。
20万人なくなったうちの、12万人が普通の住民です。
数というのは、不思議なもので、一人が死んでもショックなのに、
万人という単位がつくと、たちまち想像できなくなります。
あの辛かった阪神大震災もすさまじい出来事でした。
自然の力でさえ、です。
ましてや、戦争は人によってしか起こすことのできない、
もっとも人間の愚かしい所業です。
沖縄の人が言う、「命どぅ宝」という意味がとてもよくわかりました。
去年だったか、明石家さんまのザワワで有名になった
ドラマの本質的なところは、本当でした。
最後米軍が上陸した際、米軍の捕虜になった沖縄の人は、
無事に生きながらえ、それ以外の人は、本土から来た
日本軍によって殺されたようなものでした。
あのドラマの衝撃的な最後そのものです。
それぐらい、すさまじい歴史がそこかしこに転がっていて、
夕方、一人で静かに歩いた、さとうきび畑は風に寂しく揺れていました。
日本軍の大将は、南部各地に張りめぐるように沖縄の人の手で
作らせた洞窟で、最後まで、日本軍のために戦い抜くことを遺言として、
自決しました。
有名なひめゆり学徒も、少女にして、すさまじい状況に
追い込まれていきます。
その生き残った人たちが、戦没慰霊の日ということで、
ひめゆりの搭に、全国から集まっていました。
沖縄平和記念公園には、都道府県別の慰霊の碑と
全戦没者の名前が、刻まれていました。
この時の衝撃は、広島の記念館に行ったときよりも
大きかったです。
その事実を知らなかったからです。
日本軍の大将が死んだ墓、知らずに足を運びました。
そのあたりは、他の場所とは全く違って、
薄気味悪いくらい暗くて、人気がほとんどありませんでした。
後で、誰の墓かを、宿のおじさんに教えてもらい、
誰もそんなところには、行かないとおっしゃっていました。
南部は切り立った崖に囲まれていて、
崖にさえも、慰霊の碑がたくさんあります。
多くの人が、自らその切り立った崖から飛び込んで
いったからです。
その事実を、去年の教科書検定から、変えられつつあることを
ニュースで知りました。
その裏に、あの「自由主義史観研究会」がいました。
私が、大学生の頃にできたと思いますが、アジアへの侵略の事実を、
死んだ数はもっと少なかった、あるいはそんなものは元からなかったと
言い放っている。
あえていいます、輩(やから)です。
戦争そのものを正当化する輩です。
人を殺す、という行為は、どんな理由であれ正当化することが
絶対にできないことです。
人間の生命以上に、重いものはないからです。
たった一人の人の命にも、多くの人の命がつながっていて、
それを断ち切る権利は、誰にもありません。
国は、人間のためにできたのであって、国のために死ぬなら、
目的と手段の大きな過ちです。
私自身が去年、沖縄で数限りない衝撃を受け、
泣きに泣いた沖縄戦没慰霊の日が間近なので、
あえてまた、はっきりと言います。
「自由史観主義研究会」「ゴーマニズム宣言」は同じグループで、
教科書検定にじわじわじわじわ影響力を持ち、
現実に歴史を塗り替えつつある、
恐ろしい輩です。
「自虐史観」という言葉を広げつつあるのも、
この研究会です。国のためなら、戦争に出るのは
国民の義務である、と言い放つ輩です。
ある雑誌を使って、ナチスのユダヤ虐殺、ガス室の存在すら、
なかったと堂々と書きたて、世界的問題を起こした輩です。
私は、世の中になんの影響力もない、普通の人間ですが、
こういう人たちの台頭を絶対に許してはならない、と
去年、沖縄を去る前日 6月30日、深く決意をして、
7月1日大阪に帰ってきました。
その決意をあらためて今、思い起こしています。