講演会・展示会・ワークショップのお知らせ 0
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ミフリカフェで「クナ・ゲジェシ」があった。クナ・ゲジェシって私もよくわからないのだけど、嫁ぐ日を前にした最後の晩、花嫁になる人と花婿になる人、その親戚、友人たちが一同に集まって花嫁の手にクナ(ヘンナ)をつける儀式である。へナをつける意味がちゃんとあるのだろうけど「昔からそういう習慣だから・・・」としか言われない。う~ん。あとは生演奏が入って、ダンス・ダンス・ダンス・・・・。花嫁と花婿。花嫁はまだ20歳。女性の親戚、知人、友人カップルなどを中心に100人ほどが集まった。クナ・ゲジェシの儀式は地方などでもやり方が少しずつ異なるが、親戚、または親しい友人の中から独身の女性がクナをこねて、蝋燭を灯し、花婿と赤いベールで顔を隠した花嫁の周りを、その他参列者から独身女性ばかりが歌を歌いながらグルグル周る。最後に、花婿のお母さんが花嫁の手に金貨を握らせ、その上にクナをぬり、赤い手袋をはめるのである。花嫁はこの晩は両手が使えないままパーティーに参加する。最近は簡略化しているのか、クナをぬって、1時間程度で洗い流していたが、私が過去に経験したのでは、花嫁は両手両足にぬり、朝まで洗い流さなかった。両手を使えなくなった花嫁がおとなしくしているかと思うと、そうでもなく、ダンスの輪に入ってビンダル風のドレスの裾を捲し上げて、花婿の親戚がいなくなり、親しい身内だけが残ると、最後は靴を脱ぎ捨てくわえタバコで踊っていたりする・・・・世の中変わったもんだ・・・・(と驚く私は年とったのか!?)。クナ・ゲジェシが無事終わる。翌日は、花婿の地元で結婚式と披露宴パーティーである。
2008年05月10日
何年かぶりに会ったトルコ人の友人。とある観光地のホテルで働き始めたという。そこでのスタッフ飯の話。毎日ピラフとクルファスリエ。安上がり飯の代表である。クルファスリエというのは乾燥させたインゲン豆を煮戻した一般的な料理である。前日から水につけ、普通は圧力鍋を使うか、また長時間煮なければならない。ところがここのクルファスリエは石のような固い豆が入っているという。たしかに上手に調理しないと固いままでおいしくないことがある。毎日固いクルファスリエ・・・・きっと、調理の仕方を知らないのだろうと、コック経験もある友人は「私が調理しましょうか? クルファスリエはやわらかく煮るのが難しいですから」とホテルのオーナーに申し出たらしい。ところがオーナーが言うには「クルファスリエは固めがいい」その理由は「長時間煮るとガス代が余計にかかる」から。・・・・・・・。ホテルが儲かっていないとか事情があるわけではない。自分たちは高級車に乗り、女性を引き連れて贅沢三昧。従業員にはガス代を安くあげるため生煮えのクルファスリエ。なんてケチ臭い話であろうか。「クルファスリエは固めがいい」わけがない。ところで最近私もこれに似たようなことをカフェのスタッフに言った。「スパゲティは固めに茹でてね」トルコでスパゲティを食べたことがある人は、体験していると思うけど、どうもぐつぐつ茹でる調理法が一般的でうまくない。カフェのスタッフも家庭でぐつぐつ茹でたスパゲティになじんでいるせいか、毎回茹ですぎの膨れ上がったスパゲティを作る。トルコ人のお客さんの中には、それを好む人もいるからそれはそれでいいのだけど、私は嫌である。「スパゲティの中に生の部分が残る程度に茹でればいいのよ」と何度も言うのだけれど、いつみてもやはりぐつぐつ茹でたスパゲティ。彼らにしたら「スパゲティを生茹でにしろなんて、ガス代を安くあげようとして、なんてケチな社長なんだ・・・」としか思っていないのだろうなあ・・・とふと、友人のクルファスリエの話を聞いて思ったりしたわけである。
2008年04月03日
トルコ版バレンタインデーは「恋人たちの日」。お花を手にした男性や、それを受け取った女性の姿を多くみかけた。この日はお花屋さんが一番忙しい日でもある。街中でも恋人たちの日にちなんだデコレーションや、商戦が繰り広げられていた。スーパーなどでもプレゼント用の包装紙を用意していて、主に男性が妻や恋人にパフュームやキッチン用品などのプレゼントを探しているのが目立った。女性は家で特別メニューでも用意しているのか、はたまた、男性が女性にプレゼントを買うのが当たり前の風潮に変わりつつあるのか・・・。さてミフリでも夜になって恋人たちの日パーティーを開催。恋人がいる人もいない人も約20名。特別メニューとダンスで盛り上がった。メニューはハートづくし。そして、ダンス。ミフリ社長は疲れて立ち上がることができなかったので、もっぱら撮影係。う~ん、体力の限界を感じる。
2008年02月14日
トルコにも「バレンタインデー」がある。ただ「バレンタインデー」という名称は馴染みがなく、「恋人たちの日」と呼ばれている。名前の通り、恋人同士、夫婦同士がプレゼントを交換したり、もしくは好きな人(恋人になってほしい人)にプレゼントをして気持ちを伝える日である。また義理チョコがあるように、恋人や夫婦じゃなくても、お世話になっている人や親しい友人にプレゼントをする場合もある。さて、昨年はアンタルヤ市主催の講座で、日本語講師をしていたおかげで生徒たちからお花をもらったりした。今年はプレゼントとは無縁になりそうだが、プレゼントは横に置いておいても、それではせっかくのバレンタインデーなのに、盛り上がりもないし、楽しくない・・・・。(日本だったら贈る相手の有無とは関係なく、チョコレート売り場を見て歩くだけでも楽しい時期なのに・・・・)・・・・・と、ミフリ社長はあてもないのに突然、「恋人たちの日スペシャルメニュー・ハートづくし・要予約」という張り紙をカフェのドアに張ってみた。そしたら意外にも5組の予約が入り、当日のお客も含めて10組程度にはなりそうなので、急遽、食事とダンスの「おめでとう! 恋人たちの日」パーティーを開催することになった。カップルも、カップルじゃない人も食べて踊って楽しめる時間にしようと思っている。カフェを始めてから、トルコ人の若い子たちとの接触が多いが、彼らの悩みというのは恋の悩みがほとんである。今の私には「なんでそんなことで悩むの~!!」と思うことが多いけど、そういう年頃なのであるから仕方がない。すっかり縁遠くなってしまったが、そういう気持ちを持っていたころを思い出させてもらうだけで、刺激になる。20代の後半、ライターの仕事をしているときに、テレビ局の人にドラマのシナリオ書きを勧められたことがあった。当時はまだトレンディードラマとか呼ばれていて、入り組んだ恋愛モノが多かった気がするが、そのときに言われた言葉が「ある年を過ぎると、登場人物たちの気持ちがわからなくなるから、書く気持ちがあるならできるだけ早く書いたほうがいいよ」というものだったが、その意味が今になってよくわかる。各年齢ごとのこだわりや悩みはあるにしても、確かに10代、20代のときの気持ちは、頭でわかっても、繊細すぎる気持ちが理解ができなくなっている。若い人たちの姿を見て、こんなことに悩んで涙したんだなあとか、こんな風に考えていたんだなあとか、こんなこだわり方をしたんだったなあ・・・・って、懐かしく思うばかりである。(今じゃ悩まず、図太く、たくましいミフリ社長にも、やはり繊細でガラス細工のような時があったのである・・・・!?)そんな気持ちを失った今、10代、20代の若いカップルを見守りつつ、お母さん(保護者)気分でも味わうか・・・・!?(すっかり引退しているって・・・・)でもダンスだけは一緒に踊ちゃうもんね。(最近、足腰が痛いのだけど・・・・)
2008年02月13日
ミフリ・カフェのオープニングパーティー。朝8時からスタッフとお手伝いの人たちが準備を開始。キッチン担当と、会場飾りつけ、外番に別れて、なんとか間に合った。正午を過ぎてお花などが届けられ始める。画像以外にもたくさんのお花や観葉植物が届けられた。現アンタルヤ市ムラトパシャ区区長、現アンタルヤ市ケペズ区区長、元アンタルヤ市ケペズ区区長ケマル・アクブユック氏、ザマン新聞地中海支部長、現アンタルヤ市市長のお姉さんでアンタルヤ地元新聞社のオーナー、AKDiM(アンタルヤ文化交流センター)、取引先、知人・友人、商人仲間から。AK党アンタルヤ支部長からは祝電が。日本の方にも来ていただき、ワインとお菓子をいただいた。まずはオープニングセレモニーとして、テープカットである。1階の絨毯・キリムのオフィスの入り口、続いてカフェの入り口に張った赤いリボンを、アンタルヤ市ムラトパシャ区区長のシュレイマン・エヴジルメン氏にカットしてもらい、みんなで中に入った。祝辞をいただき、普段のメニューにはないが、今回パーティーのために用意した握り寿司や春巻きなどを試食してもらった。さすが区長は和食も食べなれているようで、取材のカメラを前に自ら寿司の解説まで。取材のカメラといえば、フセインはもちろんなんだけど、通信社と大手新聞社など数社が入ってくれ、スタッフ全員、みせものパンダとして浴衣を着ての登場。お客さんもたくさん入って、14時から17時ごろまで接客が続いた。最後はみんなが疲労と脱力感でクタクタ、ヘトヘト~。来ていただいたみなさま、ありがとうございました。そしてスタッフとお手伝いをしてくれたお友達にはお疲れ様、そして感謝。ところで、お手伝いしてくれた日本のお友達は和服、スタッフにも浴衣を着せたのに、ミフリ社長は(社長はスタッフと同じものは着ないもんね)とつぶやきながら、なぜかマ航空の乗務員服を着たりしているんだ、これが・・・・。
2008年01月26日
週末のパーティー続きと、連日の疲労がたたったのか、ミフリ社長がついにダウン。3日間、寝込んでしまった。いつもなら市販の風邪薬でも飲んで朝起きたら治っていたりするんだけど、今回はあまりにも長いカフェのオープニングパーティーまでの日々に、疲れとストレスがたまりにたまった結果である。昨夜はあまりにもひどかったもので病院に行って、処方箋を出してもらったが、注射でもしてくれたほうがすっきり治ったかも・・・・なんて思っていられるぐらいだから、まあ、なんとか生きている。寝ていたいところだけど、オープンニングパーティーの準備もあるし、招待状も配って歩かなきゃならないし、じっとしていられないのだよ。・・・・・というわけで、12月1日のカフェ・プレ・オープンから約2か月。今週の26日土曜日14:00に、やっとミフリ・カフェの公式オープニングパーティー。招待状はミフリ社長が3日間動けなかったので、この分だと全部配りきれそうもないので、ここで告知。みなさん、お待ちしております。(日本からはちょっと無理か・・・・・)
2008年01月23日
大晦日。今日はミフリカフェで年越しパーティー。午前中にスーパーに買出しに出かけた。昼はカフェがお客さんで混雑し、キッチンはパニック状態。夕方から料理の準備が始まった。そうして、できあがった料理はこちら。海苔巻き、照り焼きチキン、春巻き、チーズボレキ、野菜スティック・・・・・。海苔巻きは、「このまっ黒い紙はなんだ!?」と、トルコ人たちが不思議がる。それでも食べてみると、「うまい!」。とりあえず、オーケイ(トルコ麻雀)をしたり、タウラ(バックギャモン)をしたり・・・。私はつまみ食いでお腹がいっぱい。そしてダンス、ダンス、ダンス。あれっ・・・!? ダンスの写真がないぞ~と思ったけど、ないのは当然。写真がないのは、私がずっと踊っていたから、撮る人がいなかったから・・・・・。さすが10代、20代の子達と踊ると、息切れするけど、久しぶりにいい運動になった。そしてカウントダウン。みんなの時計がまちまちなので、いったいいつがそうだったかよくわからなかったけど、「新年明けましておめでとう」とお互いにキスをする。最後はなぜか年越しケーキ。ようこそ2008年!!
2008年01月01日
追い詰められないと、実行に移らないというのは、ライター時代からの悪いくせ。いよいよ、明日が大晦日となって、やっとかかったエンジン。ラストスパート。カフェテリア部分の2つの出入り口の階段に赤い絨毯を敷き詰めた。壁に赤と紺の布をかけた。スタッフのエプロンが出来上がった。チラシもできた。そして明日はカフェを会場にミフリ社長の恒例大晦日パーティー。まさか自分の店で大晦日パーティーができるようになるとは、つい2か月前まで思いもしなかった。身内中心なんだけど、友人・知人にも声をかけ、そして当日のお客さんも巻き込む予定。スタッフ全員疲れてくたくたなんだけど、あと1日頑張る。明日は朝から食べ物や飲み物の準備。会場の準備。そしてダンスをしたり、ゲームをしたり。どこまで盛り上がれるかは、参加者のノリ次第。そして深夜には「yeni yiliniz kutlu olsun」の言葉とともに、クラッカーとキスの嵐。アンタルヤのことだから、花火もあがることだろう・・・・・。・・・まっ、ミフリ社長の体力が深夜までもったら・・・の話だけど。体力と気力の限界を感じつつ、今年も老体に鞭打って頑張った・・・と自分を褒める。いろんな人に支えられ、2007年も無事に歩いてこれた。2008年もゆっくりでいいから、歩き続けたい。こうして今年も年の瀬を迎えられたこと、そして健康であることを感謝。みなさんの顔を一人ひとり思い浮かべながら。今年もお世話になりました。また来年もよろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。ミフリ。
2007年12月31日
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