講演会・展示会・ワークショップのお知らせ 0
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ボドルムはエーゲ海沿いの小さな町であり、トルコ人外国人に人気のリゾート地である。ボドルムはボドルム・・・・。という言い方をされる。エーゲ海、地中海のリゾート地は星の数ほどあるのだが、ボドルムに代わる場所は他にはない、という意味である。リゾート地嫌いの私も、ボドルムに限り、同感である。週末、ボドルムに1泊してきた。我が家3人と、アドナンと中華料理屋のオーナー・ペリンと5人。ペリンは大学に入るまで、ボドルムで4年間暮らしていた。私も10年以上前になるが1年間ボドルムに家を借りていたことがある。不思議な町である。アンタルヤから山ルートで飛ばして約7時間。到着したのが夜中の12時過ぎだったが、町には原宿の通りと同じぐらいの人が歩いている。店も開いている。ビーチサイドのバーはこの時期でも満席で、夜中にウロウロしていても危険なイメージはないし、変な言い方だけど夜遊びが健康的である。バーでビールを飲み、2時にペンションに戻ったが、その時間でも人がたくさん。バーとか、ディスコが身近で、気軽に行けるものだと認識したのがボドルム生活の中でだった.町の大きさがちょうどいいのか、小さい場所に全てが収まっているからか、海沿いに平地で全てが並んでいるからか、クルマが進入禁止の場所がはっきりしているからか・・・・・。それを考えるとアンタルヤのカレイチは観光しにくい環境であると思う。アンタルヤという土地を指す場合、アンタルヤの中心地だけでなく、遠く離れたリゾート村も指すし、観光ポイントの都市遺跡などは20~40、50キロと離れているし、カレイチのショップやレストランは点でバラバラにはあるので、見て歩く楽しみが少ないし、クルマは道路をふさいでいるし、カレイチはすり鉢状で道に迷いやすい。カレイチの商人たちが、自分だけよければいい、一緒に何かやろう、盛り上げようという意識のなさも大きな問題であると思う。カレイチでトータル5年ほど住んだけど、夜遊びをしたり、散歩をする気にあまりなれなかった。観光シーズンに入ったボドルムへ行って、久しぶりに夜のそぞろ歩きが楽しいと思ったし、住んでいたころの環境を懐かしく思ったりもした。整備されて変わっていたし、観光地ならではの卑しい人もいる。でもボドルムはボドルムだなあ・・・・って思った。だけどね、ふと思ったのは、ボドルムでの生活は懐かしいし、楽しかったけど、別にあのころに戻りたいと思わない。それは今が一番幸せだと感じているからだと思う。ミフリ社長のいいところ(誰も言ってくれないから、自分で言う)・・・・どの年齢でもやりたいことをして、いいこと、悪いこと、いろいろ体験し、あの時に戻りたい、やり直せたらなあ。と思ったことがないこと。20歳のときも、30歳のときも、若かったし、仕事もあったし、経済的にも恵まれていたし、ボーイフレンドも友人もいて、それぞれ幸せだった。でも41歳の今、辛い思い、悲しい思いをしながらもいろいろあって、お金はないし、靴下に穴はあいているし、睡眠時間3時間以下だけど、トルコで絨毯屋を続けられ、夫と子供がいる今が一番であると思える。50歳になったときも、60歳になったときも「今が一番幸せ」と思えることが人生の目標であり、そういう自分でいたいと思う。ボドルムはボドルム・・・・。41歳の私は41歳の私・・・他に代わるものはないのである。ボドルムでそんなことを感じた夜であった。
2005年05月15日
日本から1本の電話があった。旧知の人からであるが、どうやってトルコの電話番号を知ったのか、インターネットで探したとも思えないので不思議だった。「Dくんと偶然知り合って、彼から聞いたのです」と言うので、これまた驚いた。Dくんとはかれこれ5年は連絡をとっていない。彼のケイタイが変わり、こちらからも連絡がとれなくなっていたし、彼は自分から連絡をするようなタイプではないのもよく知っていた。彼が私たちを見つけるのは簡単であるから、それを待つしか方法はないのであるが、私にとっても夫にとっても人生で忘れない時期を一緒に過ごしただけに、その思い出が壊れるのが怖くて、会いたいのに会うのが怖い・・・。人を介して何をしているのか、元気でいるのか・・・そんな間柄になっていた。何だろうね。会えないわけではないのに・・・・・。先日、ある人とそういう話題になった。大切な思い出のある土地に、行くのが怖い・・・。行きたいけど、行けない。思い出の中の風景と違ったらどうしよう・・・・。それなら行かない方がいいのかな・・・って。私にとっての場所のひとつは伊那谷である。大学時代を3年間すごした場所である。人との思い出というよりは、土地に対する望郷の念。実家に戻り、東京で仕事を始めても、いつも帰りたい場所で、でも帰らなかった場所である。そしてもうひとつ。トルコのとある町。実際は用事もあるので行くが、行きたいなあ、懐かしいなあ、という気持ち以上に、あのときと違う光景に出会うのが怖くて、積極的に歩けないのである。電話をすれば会える人もいるし、旧知の場所もある。・・・・思い出の中の、そのときの場所、そのときの人たち、そのときの出来事が全てで、あくまで今の現状は知りたくない・・・という気持ち・・・?大切な場所、人たちだから、胸の中にそっとしまっておきたい・・・とか。自分勝手な一方的な思いで、相手(場所、人)にとってははた迷惑な話であろう。歳をとったのかな・・・とか。アンタルヤもいずれ、私にとってそんな場所になるのかな・・・とか。私たちはアンタルヤで暮らしている。現実問題、経済活動も、子供の教育も、こちらが中心で、人間関係の基盤もこちらの方が強い。日本の生活よりこちらの生活の方が慣れてしまっている。でも、やはり私にとって、ここは現実世界ではないのだろうなあと思うのが、一度ここを離れたら、懐かしいけど、行きたいけど、アンタルヤを訪ねることはないような気がするってこと。現実の場所と人、思い出の中の場所と人・・・距離ではないし、時間差でもない。どれだけ「そのとき」が自分の中で大切なのか・・・。自分で書いていて、何を言いたいのかまとめられなくなってしまったので、まとめないことにした。いいたいことはひとつだけ。大切なものは壊さない方がいい。自分のなかでは自分勝手な幻想世界、美しい思い出、現実世界とは違う自分・・・。でももうひとつ覚えておいて欲しい。その場所で生きている人たちにとって。自分が放っていった汚物、傷跡、嘘に嫌悪、苦悩しながら、現実を生きていかなければならない人たちが、そこにいるってこと・・・。
2004年12月08日
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