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私ども(@IORI_koubou・@SoWhatIUjM・@milke_Brooks)は、今までお互いに顔も見たことが無い間柄なのですが、明治期の鉄道・ローカル私鉄が好き、というニッチな趣味を通じ、よくtwitter等で話をしたりしておりました。ある日の朝、@IORI_koubouさんがこんな呟きを投降したことから話は始まります2013年1月6日 - 7:19 @IORI_koubou加悦のハブ3ってホントに九州鉄道が最初?山陽っぽくない?2013年1月6日 - 7:48 @IORI_koubou(返信)今、明治44年発行の※「客車略図」を見ているのですが、元九州鉄道の車に該当車がいないんですよね。で、元山陽の車が外観、諸元車体寸法、メーカー共に一致するのでもしや…と思ったのです。払い下げは大正になってかららしいので、本の発行時点では省にいた筈ですし…2013年1月6日 - 8:14 @IORI_koubouいや、ニ4389っぽいな、車内割付的に…まぁ山陽車だけど※「客車略図」というのは鉄道の国有化後の1910-1911年に、鉄道院によって発行された、客車の形式図集です。著作権保護期限が切れ、現在は国立国会図書館近代デジタルライブラリーにてPC上で無料閲覧が可能になりました。加悦SL広場には多数の古典客車が保存されていて、明治期・ローカル私鉄が好きな者にはたまらない「聖地」となっています。その中で展示・保存されているハブ3客車。同広場の公式HPにはこのように紹介がされています。ドイツ製木造緩急車。九州鉄道(明治40年国鉄が買収)発注車。大正11年(1922)伊賀鉄道へ払下後、昭和2年(1927)譲受けた。荷物室を備えた緩急車。昭和45年(1970)の大阪万博にドイツ製機関車クラウスとともに出展。製造会社:Van der Ziepen(独) 1889年6月製造IORIさんは自分で明治の客車をNゲージでキット化・発売するほどの「明治オタク」ですので野生の感が働いたのでしょう。このあたりで自分(@milke_Brooks 明治期・地方私鉄が好きな素人)が面白い話題だな、と食いつき、返信しました。これから思わぬ展開に発展します。2013年1月6日 - 8:40 @milke_Brooks(返信)詳しくないですが、Vandel Typen…ドイツ製と伝えられてますが、ドイツっぽくないという事ですか?私もイギリス製っぽいな…とは思ったのですが)「客車略図」で調べると参考に上がったいくつかの車両(ニ4389・ユニ3906~3908・ニ4389~4391)のメーカーはドイツのVandel Typenと判明、ここで私たちは山陽鉄道にもドイツ車がいることをはじめて知ります。ここで@SoWhatIUjMさん(Nゲージの車両を紙でなんでも作ってしまう、いわずと知れた魔術師です!)が参戦、資料を提供していただけることになりました。@SoWhatIUjMさんの資料によると(レイル1979年11月号) Vandel Typen製の車両を輸入したのは讃岐と九州だけ、だそうです。九州鉄道には片デッキの同型車が見当たらないことを考えると、讃岐鉄道発注であると言えます。ただ頼ってばかりもいられませんので@IORI_koubouさんと私@milke_Brooksは文献なりを自分たちなりに探すことになりました。私(@milke_Brooks)はまず、加悦鉄道ハブ3の前籍である伊賀鉄道を調べました。そこで出てきたのが関西鉄道研究会刊行の雑誌「関西の鉄道」NO.60の伊賀鉄道の車両に関する記事です。同じ著者のhirosiさんがHPを開設しているようです。http://www.nava21.ne.jp/~hiroshi/genzaiiga.htmlページから文章を引用すると4,大正11年7月に増備している。先の車両と同一で木造郵便手荷物合造車ユニ3905形で鷹取工場にて撤去改造し3等手荷物緩急車ハブ2形2~3と改番した。出自を見ると2~3号の明治22年(1889)年バンデルチィペン製で、讃岐鉄道が発注し同社が山陽鉄道に買収され更に国有化された。ハブ3として加悦鉄道で昭和44年7月まで現役で活躍しその後も保存展示されている。(引用終)整理すると加悦鉄道ハブ3客車は、九州鉄道ではなく讃岐鉄道に明治23(1890)年、2320~2323(のいずれか)としてドイツVandel Typenに発注され、その後讃岐鉄道が山陽鉄道と合併ののち国有化、鉄道省所属のユニ3905となり大正7(1918)年9月,伊賀鉄道に払い下げられ、昭和2年(1927)伊賀鉄道電化時に加悦鉄道に譲渡され活躍したことになります。伊賀鉄道の時点では正しいと思われる文献が見つかっているので誤植が始まったのは伊賀鉄道~加悦鉄道の間ということになるでしょう。私がこの一件で感じたのは素人でも簡単に調べることが可能な車両であるにもかかわらず誰も車両の来歴を疑わず半世紀以上の時が過ぎてしまっていたことです。ましてや全国的に有名で、かつ人気のあるこの車両の来歴が違うなんて夢にも思いませんでした。 この一件を契機に、他のさまざまな車両の来歴が見直され、再調査・訂正されることを切に願います。
2013.01.06