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densuke369 @ Re:同様の事件・子供の「仲良し」同士に要注意!(06/20) これが、真相かもしれないですよ。でも作…
alex99 @ Re:悲しい母の日(05/14) う~~ん。 日本人の男性とか、アメリ…
October 5, 2003
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中学や高校に通っていたある時まで、私は毎日「死にたい」と思っていた。
生きる意味は見つけられなかった。勉強は好きだったが、なんで勉強するのか分からなかった。自分が将来誰かと結婚し、家庭を築いてただ延々と自分の人生を続けていくぐらいなら、私一人死んでも何も変わらないし変わらないなら生きても死んでも同じだと思っていた。そうであれば死んだ方がなんとも楽か、と怠惰にそして真剣に考えていた。

それでもそれなりにすくすく育ち高校生活も半ばになった頃、クラスメイトが一人白血病で亡くなった。彼女は学校でも明るく活発な子で生きていたらいくらでも将来の可能性がある子だった。彼女は「生きるべき」人だったのにと私は心を痛めた。なぜ私みたいな「生きてもしょうがない」人が生きて、「生きるべき」彼女のような人が亡くならなければならなかったんだろう。「生きるべき」彼女が生きられず、死にたいと思っている私に「生きる」という選択が残された。彼女には無かった選択が、私には残った。生きている限りいろいろな選択はできるけど、最初から「生きる」という選択が無ければそれ以上何も選んでいくことはできない。彼女ができなかった「生きる」という選択を私も放棄してしまったら、それはまるで高価で輝く二つのダイヤモンドを一つ残さずそのまま火の中に投げ入れて捨ててしまうのとほぼ同じことではないか。「生きる」と言うことは驚くべき選択で恵みではないか?

もう一度はっきり言わせてもらうが、どんなに経済的に良い暮らしをしても悪い暮らしをしても、いいことをしていても悪いことをしていても、過去にどんな良いことをしようと悪いことをしようと、人は考える生き物であるが故「生きる」ということは苦痛である以外何物でもない。そしてそれは、背の高さにも、体の状態にも、肌の色にも、生まれた場所にも、何にも例外なく人として「生きる」限り平等に感じる苦痛だ。自分ひとりが受ける苦痛ではない。

同じ苦痛を受けて「生きる」と言う選択があるのなら、それはどういう「苦痛」を受けるかそれも各々の選択の中に入っている。どうやって稼いだ金を保管するかと考える苦痛もあるだろうし、どうやったら彼女と寝れるか、どうやったら彼の心をつなぎとめていられるか、あいつを陥れるか、あの国をやっつけられるか、子供を頭良くさせるか、自分がきれいになれるか、買いたいものを買えるか、借金を返すか、仕事を見つけられるか、親を介護できるか、どうやって死ぬか。あげれば切りがなく人それぞれでそれが普通であり、なんにせよ「苦痛」であると言うことが共通点だ。そしてその「苦痛」とそれを克服する「自信」をどう付けていくかが私達の選択だ。

私が選んだのは、それによって人は平等であるが故全ての「生きる」ということを平等に見ようと考え続けるという「苦痛」だ。「生きる」という選択を持ったダイアモンドを火の中に投げ続けたり、そのダイアモンドが選択しているひん曲がった行動や性格を正そうとせずそれ自体を卑下し叩いてしまった方が簡単だ。とても簡単だ。でもそれを敢えてしないのは、「生きる」という恵みを自分が持っているという「自信」、そしてダイヤモンドが同じ「苦痛」を持っているんだという「自信」があるからだ。生きる「苦痛」は人と人との繋がりで減る。そして人は新たな選択をしていくのだ。

---この日記を私の師匠Dan LaBranche先生と今は亡き16歳だった藤田と、25歳だったエリックと、54歳だった佐々木さんに捧げます。いつまで経っても忘れてないからね!---





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Last updated  August 4, 2004 05:29:40 AM
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Re:何度も死にたいと思ったことがある。(10/5)  
smakh  さん
おぉー、がんばったのね。まだ議論は続くのかな?


そっか、長く苦しんだのね・・・あたしは、子供のときに父親が自殺したのを見ているから、自分は死ねないみたいなのはあるかも・・・問題解決してから死ねよ、おい!!みたいな・・・

死にたいという気持ちは、自分のことがとっても大切で、実は優れていると確信しているから起こる気がします。
自分の尊厳を守るための死は、何万年も昔の部族社会でも起っていることなんだと。テリトリーを奪われたり、子供をさらわれたり、食べ物を取られたり、そういう怒りを木に上って飛び降りることで示したんだって。
人間って、変な生き物だねぇー (October 5, 2003 02:19:59 PM)

Re:Re:何度も死にたいと思ったことがある。(10/5)  
smakhさん

>>おぉー、がんばったのね。まだ議論は続くのかな?これは永遠に続いてもおかしくないトピックだよね(笑)

ははは…!一応これでもまとめようと努力してるんだよね。中途半端で終わらせちゃったら逃げたみたいでばかにされそうだからさ…。なんとなくまとまった気がしないっ?!

>>そっか、長く苦しんだのね・・・あたしは、子供のときに父親が自殺したのを見ているから、自分は死ねないみたいなのはあるかも・・・問題解決してから死ねよ、おい!!みたいな・・・

そっかそう書いてあったよね。身近な人の死を見ると死んでる場合じゃない、って思えるよね。ってsmakhさんの場合はお父さんだから私はそんなのんきなこといえる立場じゃないけどさ…。よく頑張ってるね、って心から感心する!

>>自分の尊厳を守るための死は、何万年も昔の部族社会でも起っていることなんだと。テリトリーを奪われたり、子供をさらわれたり、食べ物を取られたり、そういう怒りを木に上って飛び降りることで示したんだって。人間って、変な生き物だねぇー

へぇ~~~!そういう怒りや心の痛みは人殺しにいくんじゃなくて自分殺しに行くんだね。切腹とかもその一種なのかなぁ?西洋人には絶対分からないアイデアだろうけどなぁ。要するにプライドを守りたいから死にたいわけで、じゃー、プライドがなかったりする人が死にたくないと貪欲に生きることになるのかなぁ?
(October 5, 2003 02:45:14 PM)

Re:何度も死にたいと思ったことがある。(10  
A・U・N  さん
みんみんパイさん

生きてくってのは、無意識にしていることも含めて、死ぬまで延々と選択をし続けていくっていうことなんでしょうね。

見切ったと思えばつまらないし、一方通行の袋小路に当たったと思えば身動きがとれなくなる。身の丈までしか見えないってのは誰でも当たり前の事だから、そこで悩んじゃうんだよね。

吹っ切るきっかけって色々あるけど、例えば自分の背が伸びてもっと先まで見えるようになるとか、誰かに抜け道を教えてもらったりとか、隣の人について行ってみるとか。そういうチャンスが、人との関わりにあるってことなんだろうね。

「苦痛」と「自信」について思ったのは、この二つは別々ではなくて、同じものなのではないかって事。受動的にとるか、能動的にとるかで、見え方が違ってくるのかなぁ。

(October 5, 2003 10:40:45 PM)

Re:Re:何度も死にたいと思ったことがある。(10  
A・U・Nさん

>>「苦痛」と「自信」について思ったのは、この二つは別々ではなくて、同じものなのではないかって事。受動的にとるか、能動的にとるかで、見え方が違ってくるのかなぁ。

なるほどね。「苦痛」は受けるものだし、「自信」は与えていくものだものね。鋭いなぁ!同じかもしれないし、表裏にくっついて一体化しているのだろうね。

>>みんみんパイさんが日記書く時、英語で考えてから日本語にしてる?

へへへへ!そんなに沢山じゃないんだけどね…。単語とか言い回し・ニュアンスとか英語の方が先に出てきてそれを自分の日本語に当てはめて書いている時もあるかな。あと小論とか結構英語の書き方を勉強したからちょっと違った書き方になるのかも…?
(October 6, 2003 12:23:08 AM)

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