フリーページ

2015年03月15日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
ふと思いついたので久しぶりに日記を書くことにしました。

昔の自分の日記を読む事はつらすぎて出来ません。
恥ずかしくてつらいというよりは、
当時感じていた苦しい気持ちがよみがえるのが恐ろしいのです。
つらい時期に聴いていた音楽を聴けなくなるような感覚です。

そう思うと日記を書いていた頃の自分は長期にわたってつらい気持ちで暮らしていたのだなと思います。
逆に言えば大してつらくなくなってきたからだんだんと日記を書かずに済んだのだと思います。

では今日日記を書こうと思ったのはつらくなったのかと言うと、
つらいというよりはふと、自分はこの人生を全うできない予感がしたのです。

随分昔にジャスコで野菜売り場につっ立っていたら突如グサリと突き刺さってきたあの感覚でした。
あの日、自分がいつか死ぬだろうと思いました。
誰でもいつか死にますが、きちんと命を全うしないだろうと予感したのです。
多分23,4の頃だったと思います。
それを日記に書いたなぁとぼんやり思い出しながら、
今日日記をつけるに至りました。

けれども大人になるにつれ人並みの責任感も培ったので、
自ら死ぬなどという事はできないと日々思います。
けれど一人でいるとふと誘惑のように死にたくなるのです。
具体的に死ぬ程つらい事が日常にあるわけでもなく、
死に甘美さや憧れを感じるわけでもなく、

健康だしお金にも困っておらずどうしてなのか自分でもかなしいのですが、
どうしようもなく今のむなしい生活やこの先自分に降りかかるだろうあれこれに嫌気がさすのです。

そういうのがとても恥ずかしいので、
外では自分が少し明るめ寄りのほどほど淡々とした人間に見えるよう気をつけてバランスを取っていますが、
こうして土日と家に居るといろんな思いが詰め寄せてくるのです。


「死ぬぐらいなら仕事を辞めれば良かったのに」とか、
「死ぬぐらいなら自分ならお金を好きなように使ってからにするのに」とか言うのを聞きますが、

それはすべて「死にたくない」人の発想だと思います。
死にたい人にとって死ぬ事が一番の欲求なのです。
すべての責任を捨てて死ぬ事こそ最も叶え難い欲望なのです。
疲れ果ててベッドに入って眠りたい人に向かって、
「今日はまだまだ楽しい事があるから寝ない方がいい」と言うぐらい的外れなのです。
楽しい事よりも何よりもとにかく早く眠りたいのです。

そう死にたい気持ちを我慢するのは、眠いのに寝ずに我慢し続けるようなものです。
本当に眠いから横になりたいのに、寝ちゃダメだからがんばって起きてるようなものなのです。
もう何年も眠いし、この先もずっと眠いのをいろんな事で紛らしながら我慢し続けるのが目に見えている、
それがとてつもなくつらくてさっさと死にたいのです。

どこでこうなったのでしょうか。
なんのせいなのでしょうか。
自分でも全くわかりません。
生まれつきの欠陥なのでしょうか。
治らないのでしょうか。

けれども妹がいるうちは死ぬ訳にもいかないので、
とりあえず死にたい気持ちは忘れて明日も会社に行きます。
32歳になって年齢とともに落ち着いたと思っていたのですが、
自分の原料というか成分が変わる事はないと実感した一日でした。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年03月15日 20時05分59秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年10月
2026年09月
2026年08月
2026年07月
2026年06月

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: