全960件 (960件中 1-50件目)
今日もとても暑い一日でした。帰りに上野駅のペデストリアンデッキで煙草を吸いながら、なぜここにいるのかと不思議に思いました。東京に転勤させられて1年ちょっと経ちましたが、まだ「ここはどこなんだ」という浮遊感があります。東京の気候が生まれ育った街と違い過ぎて異国感があるせいかも知れません。暑いのは嫌いじゃなく、夏が増えたようで嬉しいのですが、趣味はなく友達もいなくて仕事はつらくてさほどの気力体力も無い為、積極的に夏を楽しんでいるというわけでもありません。なにかに感動する事が恐ろしいので映画や本も進んで取りにいかないし、かといってこのまま人生が終わっていくのも少し恐ろしいです。ここ最近、自分に生まれた事が悲しいような気がします。前からそうだった気もするのですがいつからか思い出せません。あるいは以前は自分に出来る事がいくつかあると信じる事が出来た気もしますが、今は自分に出来る事は何も無く、少しでも迷惑をかけない程度に生きるという気分です。迷惑をかけない為これから家で持ち帰った仕事を片付けます。わたしがやるよりも他の人がやったほうが良い成果が出るとは思いながら、それでも自分がやらなければならないのでやります。以前なら、「他の人に頼むより良い成果が得られた」と思ってもらえるようがんばれたのに、どうしてこうなったのか自分でもわかりません。野心が薄れたのか、根気がなくなったのか、思いやりがなくなったのか。ただ単純に能力が足りないから仕事を馬鹿にして逃げているのかも知れません。良くない事だと思います。生きかえりたいです。自分という道具の使える機能を最大限に使ってこの世の為になにかをしなければなりません。そのためにこのポンコツのどこかを直さなければいけないのです。
2018年07月18日
ふと思いついたので久しぶりに日記を書くことにしました。昔の自分の日記を読む事はつらすぎて出来ません。恥ずかしくてつらいというよりは、当時感じていた苦しい気持ちがよみがえるのが恐ろしいのです。つらい時期に聴いていた音楽を聴けなくなるような感覚です。そう思うと日記を書いていた頃の自分は長期にわたってつらい気持ちで暮らしていたのだなと思います。逆に言えば大してつらくなくなってきたからだんだんと日記を書かずに済んだのだと思います。では今日日記を書こうと思ったのはつらくなったのかと言うと、つらいというよりはふと、自分はこの人生を全うできない予感がしたのです。その感覚には覚えがあり、随分昔にジャスコで野菜売り場につっ立っていたら突如グサリと突き刺さってきたあの感覚でした。あの日、自分がいつか死ぬだろうと思いました。誰でもいつか死にますが、きちんと命を全うしないだろうと予感したのです。多分23,4の頃だったと思います。それを日記に書いたなぁとぼんやり思い出しながら、今日日記をつけるに至りました。けれども大人になるにつれ人並みの責任感も培ったので、自ら死ぬなどという事はできないと日々思います。けれど一人でいるとふと誘惑のように死にたくなるのです。具体的に死ぬ程つらい事が日常にあるわけでもなく、死に甘美さや憧れを感じるわけでもなく、ただただこの人生がいやになるのです。健康だしお金にも困っておらずどうしてなのか自分でもかなしいのですが、どうしようもなく今のむなしい生活やこの先自分に降りかかるだろうあれこれに嫌気がさすのです。そういうのがとても恥ずかしいので、外では自分が少し明るめ寄りのほどほど淡々とした人間に見えるよう気をつけてバランスを取っていますが、こうして土日と家に居るといろんな思いが詰め寄せてくるのです。よく自殺した人に対して「死ぬぐらいならなんでも出来たのに」とか、「死ぬぐらいなら仕事を辞めれば良かったのに」とか、「死ぬぐらいなら自分ならお金を好きなように使ってからにするのに」とか言うのを聞きますが、それはすべて「死にたくない」人の発想だと思います。死にたい人にとって死ぬ事が一番の欲求なのです。すべての責任を捨てて死ぬ事こそ最も叶え難い欲望なのです。疲れ果ててベッドに入って眠りたい人に向かって、「今日はまだまだ楽しい事があるから寝ない方がいい」と言うぐらい的外れなのです。楽しい事よりも何よりもとにかく早く眠りたいのです。そう死にたい気持ちを我慢するのは、眠いのに寝ずに我慢し続けるようなものです。本当に眠いから横になりたいのに、寝ちゃダメだからがんばって起きてるようなものなのです。もう何年も眠いし、この先もずっと眠いのをいろんな事で紛らしながら我慢し続けるのが目に見えている、それがとてつもなくつらくてさっさと死にたいのです。どこでこうなったのでしょうか。なんのせいなのでしょうか。自分でも全くわかりません。生まれつきの欠陥なのでしょうか。治らないのでしょうか。けれども妹がいるうちは死ぬ訳にもいかないので、とりあえず死にたい気持ちは忘れて明日も会社に行きます。32歳になって年齢とともに落ち着いたと思っていたのですが、自分の原料というか成分が変わる事はないと実感した一日でした。
2015年03月15日
今日も仕事に行きました。相変わらず仕事は本当につまらなかったのですが、お金を貰うのと引き換えに時間を渡すのが労働なので、これが終われば週末だ、と心の中でつぶやきながらなんとか耐えました。今の仕事に変わって早くも10ヶ月が経ちました。キツい作業は何も無いのですが、毎日が本当につまらなくてやりがいがゼロです。暇で仕方が無く、あと何時間、あと何十分、あと何分、、とカウントダウンして過ごします。わたしは曲りなりにも合格率一ケタの国家資格を取ってプロとして働くつもりで転職したのですが、実際はプロどころか、社長の家族に囲まれながら、ご家族の意に沿う事だけに留意して働くお手伝いサンという立場を日々ひしひしと感じるのみです。やっている仕事の重要さもやりがいも忙しさもOLだった頃よりはるかに下と感じます。自分が何をやっているのかわからなくなる事がよくあります。けれどもこんなすぐに辞める訳にはいかないので続けます。お昼にわたしの恋人(だった人・のつもり)が電話してきました。わたしは先日意を決してメールで別れを告げたのですが、彼はそれを読まなかったかのように無視し続けて我が家に帰ってきます。昔はそういう無視を、誠意が無い、ずるいと感じた事もありましたが、今は、そうしかできない人なんだと判ります。わたしは、もうこの人には何も求めまいという気持ちだけを保って対処しているわけですが、そうすると本当に気持ちが楽で、このままうまくやっていけるのではと思う事すらあります。(でも多分無理だという気がしますが)このままどこへ向かうのかわかりませんが、明日をやっていけなくなりそうな程の恐ろしい気持ちが突然沸いたりしないよう、センチメンタルなものや風景をなるべく避けて気をつけて過ごしたいと思います。
2010年11月12日
今日は朝の4時過ぎに目が覚めてしまいました。もう眠れなかったので起きてきてぼんやりしていました。5時半頃わたしの恋人も起きて、6時過ぎに会社に出て行きました。わたしは布団に入ってみましたが眠れず、7時過ぎにようやくまどろみました。そのとき恐ろしい夢を見ました。わたしはお風呂に入ろうと半分服を脱いだ所でなぜか会社にいるという夢でした。時間はまだ7時台で会社には誰もおらず、わたしは慌てて会社じゅうのドアを開けて「我が家のお風呂への入口」を探していました。でもすぐに社長(女性)が出社してきたので、わたしは錯乱しながら「家でお風呂に入ろうと思ったらなぜかここにいたんです、服も着てません、でも会社を荒らしたりはしてません、車すら無いんです、どうやってやってきたのかわかりません」と必死で訴えるのですがいつもやさしげな社長は冷たい目を向けていました。一度帰宅して始業までには必ず戻ってきますと訴えると、「そうねあなたが朝一番早く来る事だけは評価しているわよ」と言われました。だけ、という言葉に夢の中ながらショックを受けていました。物盗りに襲われた後記憶喪失になったのかと思いバッグ(は、なぜか持っていた)の中の財布を見ると、昨日わたしの恋人がようやくくれた家賃の3万円(これは現実)が入っていました。わたしはとりあえず家に帰ってお風呂入って車持ってこないと、でも服が無いと思って、しょうがないから携帯(は、なぜか持っていた…)でわたしの恋人に電話するものの、どうしても繋がらなくて、会社用の携帯も繋がらなくて、拒否してるのかな、などと思って必死になりながらも、数字キーがその数字じゃないデタラメな数字になってしまうバグが起こっている事がわかり、ホっとするという、奇妙な夢でした。起きると8時10分でした。やばい、と思って起き上がると、ものすごい動悸がして、立ち上がって歩き出すと考えられない程急激な吐き気をもよおしました。なんだこれと思い、今日こそ休まないとならないかも知れないと思いました。でも無能のわたしは、会社を休まない事だけが取り柄だし、かなり迷いました。考えている間にも心臓がものすごい速さで脈打っていて本当に苦しく、時計は8時20分になっていました。その時、今日の10時半着でお客様とのアポイントがある事を思い出し、なにがなんでも出社しなければならないと思い、スーツを着こんで8時半になんとか車に乗りました。そしてギリギリで今日も一番早く出社し、無事仕事をして夕方に帰りました。わたしは仕事をしながら、今日こそ、わたしの恋人に別れを告げようと思っていました。仕事を終えて帰路を運転していると、狭い道で、前から来た車とすれ違えなくなり、バックしてもらうというシーンがありました。その時後ろからも車が来ていたので、バッグミラーで見ると、それは紛れも無くわたしの恋人の乗る社用車でした。彼はそのままわたしのマンションの駐車場までついてきて、一瞬だけ話しました。わたしの車を偶然見たので追いかけてきたとの事でした。彼はとても愛しそうにわたしを見ていました。わたしは悲しくて胸が張り裂けそうになりました。多分今日も言えないと思いました。そしてもう一度取り戻せないかと少しだけ思いを馳せましたが、多分もう無理だとわかりました。彼がわたしに求めているのはわたしが自分自身の安らぎになる事です。でもわたしが苦しい時わたしという存在は彼にとって邪魔なので、そういう時は疎遠になりたいそうです。それはまっとうで合理的な事なのに、わたしは出来ないのです、クズだから、クズだからです。相手がつらい時に与えてあげられない劣等感にも、自分がつらい時に与えてもらえず無視される寂しさにももう耐えられないので、なんとかしなければならないのです。
2010年10月14日
今日は休みでした。今日から3連休だというのにいつもどおりなぜかやる気が出ず家に居ました。夜になるとわたしの恋人が10分程度わたしの家に寄りました。しかしなぜか妙にやさしいというか何度も抱きしめてきて変な様子でした。わたしの気持ちの変化に気づいているのだろうと思いました。わたしは複雑な気持ちでした。嬉しいというよりは、申し訳ないような気持ちでした。胸の内では、おそらくこのまま我々がうまくいくことはもう無いだろうと思ってしまっているのです。彼が帰宅して一人になるとわたしはお酒を飲みました。このままではだめだとわかっているのですがどうしてよいのかわかりませんでした。
2010年10月09日
今日も仕事でした。しかし出張やら有給やらで人がほとんどいなくて、穏やかな一日でした。わたしは外出もせずずっと事務所で仕事をしていました。頭の中にあるのはわたしの恋人の事でした。昨日一応仲直りはしたのですが、わたしの気持ちの中にもうあの親密さが見当たりませんでした。一度覚悟してしまったせいかと思いましたが、これまでも何度か「もう別れよう」と思ったことはあったのですが、本当は、でも別れたくない、好きだ、うまくやっていけたら、、という気持ちがありました。けれども今日もうわたしの胸の内にあの愛しさが見当たりませんでした。憎しみなんかは勿論全く無いのですが、背中を見ると抱きつきたくなるような、その温かい手に触れたいというようなあの素直な愛がなくて、もうこのまま一生顔を会わさずに済んだらどんなにか気楽だろうというようなドライな気持ちでした。彼は昼に電話をかけてきて、夜にも電話をかけてきましたが、喋りながらわたしは、最低限のテンションを保とうと必死でした。22時頃帰って来ましたが、喋りながらわたしの胸にはビートルズのI'm looking through youのフレーズが繰り返しよぎっていました。You're thinking of me the same old way,You were above me but not today...You don't sound different I've learn the gameとわたしの心の中にポールの軽快でやさしい声が響いていました。23時頃いったん一緒に寝ましたが彼はわたしに背を向けて本を読んでいました。わたしはシャワーを浴びてくると彼は既に寝ていました。相変わらず彼は疲れきっていました。仕事が大変で本当に気の毒なのに、その寝顔を眺めながら、わたしは、この人と結婚すればこうして一生「帰った、疲れた、寝る。。」の生活なんだろうなあと思いました。とても眠れる気持ちではなかったので起き上がってリビングでぼんやり過ごし、3時頃、もう、すぐ眠れる。。という所まで消耗してから布団に入って寝ました。
2010年10月08日
今日は昨夜2時頃寝たせいか寝坊しました。始業ギリギリに会社に着いて、すぐにお客さんの所に出かけて、戻ってきてからもあれやこれやと忙しい一日でした。仕事が終わって帰宅すると、家が散らかっているのが恥ずかしく感じられました。多分わたしは恋人をもうわたしの家族のように感じていましたが、今日、自分の心にそういう親密感がもう薄らいでいて、散らかった家を見られているのが突然恥ずかしく思いました。帰ってくるまでに少しでも片付けようと思って洗面所やトイレやお風呂を掃除しました。あまりに急激な衝動だったのでわたしはスーツのままでした。気がつくと21時になり、わたしはようやく座ってぼんやりしました。22時少し前に玄関のドアがカチャリと鳴りました。彼はすぐにリビングのドアを開けて、ちょっといいかな、と言いました。そして、いろいろ考えたんだけど…と切り出しました。その時、冷たいのか熱いのかわからない鉄ゴテに触れた時のような、ドキリとした感覚が胸の内によぎりました。ようやく別れる。。と一日思って過ごしていてもやはり穏やかではいられませんでした。けれども彼は、俺は別れたくない。。と言いました。わたしは少し驚きました。ん?と思いました。いやかな、と訊かれ、わたしは、いやじゃ、ない、、けど、、としか答えられませんでした。彼は「家事は手伝うから」「短気も直すから」というような内容の話をしていました。でも家事をしない事なんてどうでもいいし、短気な所があるのは十分知っているしそれ以上に寛容な所も多い人だと思っているので気にしていないのです。問題は彼がこの間も言った、「疲れて帰ってきてもお前が落ち込んでいると安らげない」と思っている事なのです。これについてはわたしもなんとかしたいのですが正直どうにもなりません。わたしも安らぎというものを与えてあげたいのですが、わたしにはあげられるものなどないのです。出し惜しみしているとか駆け引きしているとかではなく、本当にあげたいのだけれど無いのです。どこにも無いのです。わたしはその時家族の事や自分の体調がすぐれない事で本当に気落ちしていました。けれども彼にとってはそれは本当に自分を疲弊させる事でしかないのです。わたしは自分が失意の底に居る時、愛する人が疲れていても何も差し出せない自己中心的な人間です。しかもわたしはそもそもそういう性質の人間なのです。群青色した失意の海がわたしのふるさとだと言っても過言ではないと思います。そんな人間と過ごす事が良い事だとは思いません。でも今日、別れられませんでした。だけどこの先わたしたちがうまくいくには、わたしは病める時も健やかなる時も仕事のように自分の感情を一定にキープするのです。仕事に「病める時」などあってはなりません。彼はそれができる素晴らしい人間ですが、わたしはクズなのでできません。やったとしても安らぎに値するシロモノにはならないのです。わたしはいつもどおり彼と同じ布団に寝ながら、虚しくて悲しくてたまらない気持ちになりました。けれども本当に疲れていたので涙も流さずすぐ眠れました。
2010年10月07日
今日も仕事に行きました。ここ数日なぜだか仕事が忙しく、今日もバタバタしていたら一日が終わってしまいました。今日はわたしの恋人が休みの日なのですが、そうはいっても仕事をしているので、18時半近くには帰れるとの事で、夕飯を一緒に食べました。その時わたしは、週に一度だけ、18時台という早い時間に会える水曜日をとても嬉しく思いながら職場から帰宅しました。そして一緒に夕飯を食べる店を決めて、珍しく行った事の無いお店に行きました。車に乗っていると雨が信じられないくらい強く降って来て、降っているというよりは打ち付けているというような激しい雨の中を走りました。夕飯はおいしかったのですが、帰り道の途中で突然わたしとわたしの恋人は気まずくなりました。そして一言もしゃべらないまま帰宅し、しばらく別々の部屋に居たのですが、わたしは思い切って彼の部屋に行って、もしも別れたいと思うなら別れようとついに切り出しました。わかった考えておくという事で話は済んで、わたしはリビングに戻ってぼんやりとしていました。23時半頃、彼が明日着るシャツが無い事に気づいてノロノロとアイロンをかけ始めました。思いついたのでパソコンで彼の好きな音楽を聴いてみました。わたし達はこの4年、お互いの好きなものに興味など持っただろうかと思いました。わたしは彼の好きな曲を聴きながらアイロンをかけました。耳を傾けると改めてとても良い曲で、内容はだいたいプロポーズとも取れる歌詞でした。聴きながら、不思議と、もう今度こそ別れられるのではないかと思いました。これまでよりも穏やかな気持ちで、恨みつらみもなく感謝の思いを抱きながらもそう思えました。その後お酒の缶を開けて換気扇の下で煙草を吸いながら、自分の人生がまた少し変わるような予感が胸をよぎりました。できることなら誰も傷つけず誰かのためになりながら暮らしたいと思いました。
2010年10月06日
今日も休みだったので9時台に起きました。わたしの恋人は多分6時台とかに会社に出たようでした。今日も外は雨が降っていました。とても涼しくて扇風機は回しませんでした。一日中煙草とコーヒーしか口にせずに夜までぼんやり過ごしました。20時過ぎたら出かけようと思っていたのですが世界柔道が始まってしまったので見てしまいました。20時半頃ようやく今日の一食目を買いに出かけ、21時には帰宅してお酒を飲みながら食べました。だんだん酩酊してきて換気扇の下でお酒を飲みながら煙草を吸っていると、はっきりと「さびしい」と感じました。わたしは、さびしいと感じるのは恥ずべきことに感じるので、そう感じそうになってもなんとかごまかして過ごすのですが、今日、ごまかしようも無い程に、さびしい、、と思いました。仕事があって恋人がいて健康でなにがさびしいかと自分でも思うのですが、どうしてもさびしくて耐えられない気持ちになりました。お酒をもう一本あけて、音楽を聴いてやり過ごそうと思いましたが、目をぎゅっと閉じて唇を噛み締めて爪を立ててこぶしを握り締めないと耐えられないぐらいさびしく感じました。それでも耐えられなくてテーブルに頭をつけて、お腹が痛い時みたいに心臓の鼓動を感じながら数えながら耐えました。
2010年09月12日
今日は休みだったので9時頃起きました。最近仕事に行くのに気が重いので、いつにも増して休みが嬉しく感じました。昨日少し暑く感じましたが、今日はやはり涼しくて、もう夏は終わったんだなと思いました。平日は、週末になったらあれこれしようと考えるのですが、実際に週末になると、一日中なにもせずに過ごしてしまいます。そういうのがもう半年以上続いていて、このままあっという間に人生が終わる気がします。いつからこんなになったのか自分でもわかりません。平和な証拠なのかも知れません。今週は妹が帰ってこないので、わたしは一日中何も食べませんでした。先週の健康診断で、栄養状態にエラーが出て(コレステロールが低すぎた)、その時は「よしきちんと料理して食べよう」と決心したのですが、一人で過ごすと、結局週末二日間で1食しか食べないのもザラになってしまい、今日も煙草とコーヒーを交互に飲んでるうちに日が暮れました。このままずっと家で横になっていられたらなと思いました。仕事も片付けも料理も食事も何もしたくないのです。人から見たら、仕事があって週休2日で恋人が居て何の問題も無いと思うのですが、大事な問題があるのです、意欲というものが全く無いのです。でもしょうがないので人生続けます。22時頃に土曜の夜には珍しく恋人がわたしの家にやってきました。明日も仕事なのだそうでした。夕飯を食べに出かけ、帰宅して、お風呂に入ってお酒を飲んでテレビを見て、疲れた彼は眠ってしまいました。わたしもいったんは布団に入りましたが全然眠くなかったので起きてパソコンの前に座りました。2時半頃、突然わたしの恋人がリビングに現れ「なにやってんだ」と寝ぼけた顔で言いました。そしてわたしもパソコンを消して寝ました。
2010年09月11日
今日は土曜日なので9時近くまで寝ていました。妹はいつの間にか帰ってきていて、相変わらずずっと仕事をしていました。わたしは夕方にようやく重い腰を上げて出かけました。学生の頃先生のバイトをしていた時の教え子と会いました。彼は毎年わたしの誕生日にメールをくれるのですが、わたしは今年初めて彼の誕生日にメールを返しました。その時電話がかかってきて、すっかり大人になって働いている、久しぶりに会いたいですねということで、会うことになったのです。彼はもう社会人になっていました。わたしの方はもともと自分を先生だとも思っていなかったので、あまり気分は変わりませんでしたが、向こうから見ればわたしは先生な様子で、「変わってませんね」と言ってくれました。高校生が社会人になれば感慨深いものもあるのでしょうが、わたしは大学生が社会人になっただけだし、わたしは学生時代働いてばかりいて何のキャンパスライフもなかったので、自分としては変わってないのが当たり前でした。彼は仕事でたくさんお酒を飲むようで、今日もたくさん飲んで、わたしにもどんどん勧めてきました。わたしは少し遠慮気味に口をつけていましたが、仕事の話や学生の頃の話を聞いていると、あれからいろいろ充実した日々を過ごしていたのだなあと、少し嬉しい気持ちになりました。彼は高校生の時分からそうですが、相変わらず何かを疑っていそうな目をしていて、周りから浮いたり周りを攻撃していないか気になっていましたが、それなりに友達もいるようで、少し安心しました。わたしは一応先生だったのにご馳走になってしまい、時間は0時になってしまったのでタクシーのいるところまで歩いて送ってくれました。道すがら彼は「こんな時間になると、帰したくなくなりますね」と言いました。どこかで覚えるんだよなあそういうセリフ、と思いながら、そう、と流すと、「一晩一緒に過ごしてくださいって言ったらどうします」と怪我させる勢いの直球を投げてきて、「それはなにかするわけ」と聞き返すと、「…」と黙っているので、「なんもないの」と尋ねると、「なくも…ない…」と言うので、「じゃあパス、もったいないでしょう、スポイルするのは」とやさしい気持ちでかわしました。わたしはタクシーの前で、やっぱり少しでもご馳走になった分を払おうと思いお財布を出すと、「大丈夫、もう行ってください、帰したくなくなるから」と言われ、ふたたびご馳走さまを言ってタクシーに乗りました。わたしはタクシーの運転手さんに妙に丁寧に道を言ってお金を払って降りました。誰かに優しく丁寧にしたいような気分でした。それはわたしが彼に対して悪かったと思っているとかでは全然なくて、わたしとしては少しは誠実な気持ちでいたのに、相手からは好奇心の対象であるという事が、いまさらわたしも大人なので理解できるものの、なんだか寂しいような気持ちだったのです。人が聞けば誤解するかも知れませんが、わたしはいつも愛ではなく好奇心の対象で、誰もわたしに人格や感性があるなどとは知らないようです。そういう人はわたしが謎めいた余裕を持った人間だと思っていますが、わたしには余裕なんてないし、自分を人に知らせるのが得意ではないだけで、別に謎なんてなにもなくて、人間関係を壊してまで手に入れたくなるようなものは一つも持っていないのです。あるいは人間関係なんて最初からなかったのかも知れません。もちろん男女が虚心でいられない仕組みやルールはそれなりにわかるだけに、相手を責める気持ちも沸かなくて、わたしはうつ伏せにつっぷして布団を抱きしめて寝ました。暑くて寝苦しい夜でしたが疲れていたのですぐ眠れました。
2010年07月31日
今日は休みでした。午前中はだらだらと布団の中で過ごし、11時頃ようやく起き上がりました。妹は一日じゅう持ち帰った仕事をしていました。わたしはダラダラと過ごしました。わたしも妹も一日ずっとほとんど何も食べませんでした。妹は22時頃帰っていき、わたしは煙草が切れたので妹を見送った足でコンビニに寄って煙草を買いました。そして帰宅して1本吸って、本を読んでぼーっと過ごして、0時過ぎた頃思い立ってビールを開けて飲んで少し酩酊しました。一人で酔っ払うと少しだけ気楽な思索にふける事ができました。換気扇の下で煙草を吸いながら流し台を眺めていると自分がどうなるのか不安な気持ちがよぎりました。わたしには強い志向らしきものは多分ありません。時々通り過ぎるような欲求はありますが、まだまだ卑しいようなものばかりで、自分をねじ伏せる程筋の通ったものはありません。もちろん「生活する」という事は多分に卑しいことだと思うし、生き抜きたいという欲求に素直に従う力強さも必要なのだとは思いますが、一つのカードをを引き抜こうとすると、上から、義理や未来や年の差や体質や大切にしたいものなどがドサドサと雪崩被さってきて、なかなかうまくいかないのです。最近ピアノを弾きたいと感じる時があります。多分いろいろインプット過剰で外に出したいというか叩き付けたいのだと思います。でももう多分ソナチネさえおぼつかないぐらい指が忘れてしまっているだろうと思い寂しくなりました。そのうち、重い腰が上がったら電子ピアノでも買いに行こうと思いました。でもその前に7月に最後の講習があります。よくわからないうちに有資格者にならなければ立ち行かない寸前まで来ました。早めに奮起してプロフェッショナルの覚悟を決めたいと思うのですが、気概がうまく乗りません。自分の居る道にまだ誇りが持てないのです。決して進んで疑いたいわけではないのですがでも気持ちが澱んでいます。けれどもきっと世の中の役に立てる人間になる為がんばりたいと思います。
2010年06月13日
今日は朝家を出ると今にも雨が降りそうな天気でした。会社に行く途中のそこここの軒先でバラが咲き乱れていて、去年まではよく気づかなかったのですが、今がシーズンなのだと改めて思いました。仕事は相変わらず忙しくて、午前も午後も運転していました。天気は昼前から良くなって、暑いぐらいでした。もう既に灼けている右手が更に日焼けしてしまうのが気になりました。会社に戻れたのは17時過ぎで、出かけている間に何本も電話が入っていたのでそれに対処していたらあっという間に18時を回ってしまいました。退社できたのは20時近くで、帰路を運転しながら、目が痛い気がしました。そして頭皮が痛い気がしました。それで、今日一日でずいぶん日焼けしたことに気づきました。途中スーパーで夕飯を買いましたが、ふと思いついてアイスを買いました。身体がものすごく疲れていました。帰宅してアイスを食べてテレビを見ましたが、頭がぼーーっとしていて冴えず、夕飯を作る気にもなれませんでした。
2010年06月10日
今日は朝起きたら雨が降っていました。母の命日なので、妹と一緒にお墓参りに行きました。といっても母は散骨派だったのでお墓は無く、我々は恒例の松島湾ミニクルーズに出かけました。これは松島湾を50分かけてクルーズし、ひとつずつ島々の由来を聞いて、カモメにえびせんをあげて帰ってくるというもので、もう毎年やっていて島の由来もいいかげん覚えたのですが今年も乗りました。今年は霧雨の降る冷たい命日でした。もう5年なせいか、それほどセンチメンタルにはなりませんでした。でも松島までずっと運転しているとき途中で何かを思い出しそうになる瞬間もありました。けれどその何かはしっかりとは掴むいとまもなくすべて通り過ぎていきました。わたしは妹といれば姉というか彼女の家族だし、妹もわたしといる時は妹というかわたしの家族なので、そしてわたしと妹と母は温かくもきっぱりとしている事が身上の家族だったので、命日だからといってお互いに一緒にひ弱にはなるわけがないのです。昼もしばらく過ぎてから中山のジャスコでとんかつを食べました。ここはたまにやってくる父が連れてきてくれたので懐かしい気持ちでした。母は病院で「自分の死んだ日にはみんなで楽しく美味しいものを食べなさい」と言ってお金をくれたので、本当にその日このジャスコの少し高めの中華屋でみんなでコースを食べた事を思い出しました。あれからもう5年ですが本当に長かったです。死にそうになりながらなんとかここまで生きてきました。床につっ伏したり、バス停までの道でへたりこみそうな程打ちひしがれたり、煙草を吸いながらうんざりするような胸苦しさに耐えたり、帰りのバスで理由もなくあふれる涙をぎりぎりで寸止めしながら、よくわからない理由で勉強して資格を取り、さしたる覚悟もないままその道に入ったりしていつの間にかここに来ました。今も毎日しにそうです。でもあの日、「お母さんが死んだらわたしも死ぬ…」と泣きながら嘆いた時よりは大丈夫な気がします。あの頃は切り抜ける事などできそうもないように思えましたが、最近は、もう切り抜けたかも知れない、とうすら寂しく思う時もあります。妹は20時頃帰って行きました。わたしは一人の部屋でぼけーっと過ごし、寒かったのでストーブをつけて、0時過ぎには寝ました。
2010年05月23日
今日も休みでした。休みなのでコーヒーと煙草以外はほとんど口にしませんでした。一日中ボケーっと過ごしていました。わたしは前の仕事の時は、休日は煙草をほとんど吸いませんでした。基本的にわたしは女が煙草を吸う事をみっともなく恥ずかしい事と感じているので、なるべく吸いたくないのです。けれども最近は一人の時ほどよく吸います。休日は1箱ぐらいペロリと吸ってしまうようになりました。そんなわたしでも毎回一本火をつけるたびに死んだ母に詫びたい気持ちになります。嫌煙家だったのに、ガン家系なのに、どうしてこうなっちゃったのだろうと毎回思います。途中で昔の事を思い出したり将来の事を考えたりしましたが、それでもそこまでブルーにはならず、わりと順調でした。18時頃、しょうがないのでうどんを茹でて一食目を食べましたが、めんつゆが辛くてダメでした。わたしの料理は常に妹にも恋人にも呆れられるぐらいなにもかもが薄味なのですが、それは単に「たくさん入れてしまったらもう後戻りできない、足せばいいんだから少なめに」という実に自分らしい臆病さがそうさせるだけで、本当は薄味なんか特別好きでもないと思っていたのですが、最近いろいろなものがなんとも塩辛く感じます。今日一日ずっと出かけなきゃと思っていたのに出来ませんでした。19時半に煙草が切れたので、しょうがなくお風呂に入って髪の毛を乾かし、21時近くになって出かけました。22時過ぎてから帰宅し、お酒を飲んでテレビを見て過ごしました。
2010年05月09日
今日は多分9時台に目が覚めました。起きぬけに煙草を一本吸いましたが、どうも朝方は気分が乗らず、どうにもなにもしたくないような、そのこと自体がダメ過ぎて胸苦しいような気持ちで、無理矢理カーテンを開けてみると天気が良かったので、とりあえず洗濯機を回して昨日脱ぎ捨てた服と飲んだお酒の缶を始末して、回り終わった洗濯物を干したところで座り込んでコーヒーを飲みました。近頃コーヒーを飲みすぎて胃が痛いような吐き気がするような感じで調子が悪いです。午後もだらだらと過ごし、ふとテレビをつけると明日が母の日だと言っていました。そうだ、彼氏のお母さんに恒例の新茶とお菓子を買いに行かなければと思っていたのですが、夕方になっても気分が乗らず、ようやく出かけられるかもと思った20時過ぎにわたしの恋人が帰ってきました。お茶買いにに行かないと!と言いましたが、気持ちだけでいいよ、俺、疲れてる。。と少ししょんぼりしていました。しかし今年で4回目の恒例行事の為、今回突然やめたらなにか不穏なものを感じるかも知れないので、わたしが車を運転して一緒にお茶屋さんまで行き、なんとか一緒にお茶を選んで帰りました。そのままわたしの恋人は家に帰っていきました。わたしは今日ほとんど何も食べていなかったのですがコーヒーを飲みすぎているせいかあまり食欲がなく、23時過ぎにようやくお湯を沸かしてラーメンを茹でましたが、食べても全然おいしくなくてしょっぱいだけでした。喉が渇いたような気がしてビールを飲んでさらに煙草を吸いましたが、毎日そんな具合なのでかなり調子が悪く気持ちが悪かったです。基本的に夜中は気分が落ち着くのですが、それでも途中ものすごく気持ちがドロっとしてきてドン詰まりに当たりそうになりましたが、しばらく床に伏してじっと耐えているとなんとかなりそうになってきたので、気を取り直してさらにビールを飲みました。ここ最近、まるで何年か前の自分のような気分です。たぶん妹が引っ越してしまって思う存分一人の時間があるせいだと思います。一人の時、わたしには何の役もありません。わたしは基本的に世界は劇場で自分も他人も常に役者だと思っているので、職場では職場のわたしだし、家族には家族のわたしなのです。でもたった一人の時、わたしにはなんの役もなくて、ルールというか収めるべき型がないために自分の中味がグチャっと飛び出しそうです。
2010年05月08日
今日も仕事でした。昨日ゴールデンウィークが明けたせいか今日は火曜日のような気分で、何度も「そうか金曜日だった」と確認しました。仕事は少し忙しかったです。一日雨が降っていましたが、夜にはやんでいました。いつもは18時過ぎには帰るのですが、今日は20時近くまでいました。帰りに寄り道してから帰宅しましたが、今日もダメな気分でした。わたしは気持ちの良い性格というか人を良い気分にする性格とは程遠い人間です。多分一生そうだという気がします。憧れるのは自由ですがやはり自分で無いものにはなれないのです。どこに自信と誇りを持って良いのか、というかなにで自分を支えれば良いのか、いろいろ自分の長所を思い浮かべましたが、すべて怪しげなハリボテで何の支えにもならぬシロモノでした。そんなわたしにも愛してくれる人がいて、わたしは彼の飾らないシンプルな気高さを尊敬していて、彼もわたしをどこかしらは認めてくれているのですが、悲しいことにわたし達は多分心を理解し合えない関係です。でもそれなりに「習うより慣れろ」で乗り越えてきたと思うし、乗り越えられなかった所はもううやむやにしてポイポイと捨て置いてこられました。愛と理解を切り離せない自分が誤っているのは間違いないのですが、どうも自分の中の彼を思う気持ちはわたしの心の支えでは無いと思います。あれから3年半、わたしは30近いし相手は40近いし、たぶんこのまま結婚してしまう予感がしますが、一生わたしはこんな風に虚しい家に帰ると思うと恐ろしくて眠れない時があります。それは多分わたしの性質の問題なので、相手は関係ないのかも知れません。でももう学生の頃みたいにしにたいとは全然思いません。死ぬなんて選択肢が無いだけに、当然のように長く続いていく人生が手に余って恐ろしいのです。いつになったら自分の命に意味を求めずシンプルに力強く暮らせるのか、今日も煙草を吸ってお酒を飲んで転がるように寝ました。
2010年05月07日
今日はゴールデンウィークが開けてしまったので久しぶりに会社に行きました。5日ぶりにスーツを着てハイヒールを履くと、足がとても痛くて動きづらく感じました。仕事はわりと暇でした。18時過ぎには退社してそのまますぐ家に帰りました。帰宅した途端、首が苦しい気がして襟のボタンを開けました。わたしはいつもボタンを一番上まで留めたいのですが、苦しくないの、とか、だいたい1番目は開けますよね、とか言われる時もありますが、自分にはボタンを開けるスタイルが合ってない気がするので留めていて、苦しいと思ったこともあまりありません。でも帰宅したら突然苦しい気がしてきました。しばらく休んでしまうといつもやっている何もかもが不自然に感じられました。気分も悲しくてわけもなくたまらない気持ちになり、煙草を吸ってじっと耐えているとわたしの恋人が帰宅しました。悲しくなって抱きつきましたが、彼はハイハイと振り払ってパソコンの前に座ってのんびり過ごしていました。わたしはお酒を飲みながら煙草を吸ってしばらくの間無言でしたが、そのうち彼が「じゃあ勉強するね」と言って部屋に戻ったので、わたしはわたしでぼんやり過ごしていました。0時頃部屋に帰ると彼はもう寝ていました。わたしが布団に入るとすごくうっとうしそうな様子で、このパターンは悲しくて眠れなくなりそうなので、わたしは枕を持って誰もいない妹の部屋で寝ました。妹の部屋で寝たことはないので暗闇でも違和感を感じましたが、ほどなくしてすぐ眠ってしまいました。
2010年05月06日
今日は昨夜3時頃寝たので比較的早めに起きられると思っていたのですが、気づいたらもう11時でした。妹と昼から鍋をして午後もだらだら過ごしました。夕方に妹とつけめんを茹でて食べて、18時半頃、そろそろ帰ろうかという事になって妹の車に荷物を詰めました。わたしは12月に歩いて1分の近所から今の家に引っ越したのですが、どういうわけか前のアパートでは入らなくてよかった町内会に入らなければならなくなり、しかもタイミング悪く4月から班長さんの順番が回ってきてしまい、4日前に届いた市政だよりの配り方をしていなかったので、帰りがけの妹が手伝ってくれてようやく今夜配りきりました。妹が帰っていくのを見送って、わたしはひとりの部屋に戻りました。ひとりになるとテレビがうっとうしく感じられて消しました。静かな部屋で一人でぼんやり過ごし、ふと思いついてお酒の缶を開けて煙草を吸いながら飲みました。それからちょっと漫画を読んで、また煙草を吸って、お酒を飲み干して0時半頃寝ました。明日から会社だと思うとしんどい気分で、しかも先日新調したシーツの寝心地に違和感があり、なかなか寝付けずゴロゴロと寝返りを打っていましたが、ふと思いついて仰向けに寝てみました。わたしはいつからか憶えていない程昔からうつ伏せじゃなければ眠れません。たまに仰向けになるといやにきちんとした気分になって、「寝るぞ寝るぞ寝るぞ」というような変な緊張が漂うのです。しかし、疲れた、寝たい、、と願いながら目を閉じているうちに眠っていました。
2010年05月05日
今日も休みでした。お昼近くに起きてきて、妹とカレーを食べました。午後ものんびり過ごしました。本当は仕事関連の課題をやらないととずっと思っていたのですが、だらだらと過ごしてしまい、夕方に思い立って取り掛かりました。しかしすぐに飽きてしまい、逃避するために質素な夕飯を作って食べました。一日だらだらしていたクセになんだかとても疲れてしまい、久しぶりにお酒の一滴も飲まずにうたたねしてしまいました。1時近くに妹が「ねるね」と言って寝てしまい、その後わたしはちょっと真剣に課題に取り掛かりました。課題はペンだこができるぐらい書いても書いても終わらなくて、途中で煙草を吸ってコーヒーを飲んでを繰り返してだましだまし進めました。最近こればかりで胃の調子が悪いのですが、クズなのでどうにも改められずにいます。
2010年05月03日
今日から休みなので9時まで眠っていました。わたしは去年までずっとゴールデンウィークとは無縁の職場にいたので、初めてのゴールデンウィークで、少し気分が高揚しました。今日も1日コーヒーか煙草しか口にしませんでした。妹が引っ越して2週間、一人だと不精のあまり家ではほぼなにも食べずに過ごしてしまう日々が続いています。職を変えてから2キロ太り、ようやく40キロ台に乗ったはずが、今日ふと思いついて体重計に乗ってみると既に40キロ未満に戻っていました。そして体重計の設定が24歳になっている事に驚愕して(あれから3年半も経ったのか…)、27歳に変えて体脂肪を計ると16パーセントでした。人間はいつ大人の体になるのでしょうか。中学生からこっち、身長も体重もなにも変わりません。天気は5月らしく穏やかで、毛布やシーツを洗濯して一日家でボーっと過ごし、夜になるとわたしの恋人を会社まで迎えに行き、ようやく1食目を食べました。そして帰りにドン・キホーテに寄ると、22時過ぎているというのに駐車場が大混雑していました。ナンバーをよく見ると八戸や秋田など他県のナンバーが多く、ドン・キホーテの無い地域からやってきてる人が多いようでした。昔仙台にまだドン・キが無い頃に札幌でドン・キを見かけて驚いてとりあえず入店した時の事を思い出しました。帰宅途中の車の中で突然わたしの恋人が「これすごく聴き覚えがある」と言うので、ン?と思って耳を傾けると、なんとなく入れっぱなしだったロキシーミュージックのMDからLove is the drugが流れていました。「あー有名だからね」と返すと、「違う…布袋のアルバムに入っていた」と言うので、えーそんなギタリズムなナンバーじゃないよと返すと、「単に好きな曲入れた洋楽のカバーアルバムなんだもん」との事で、帰宅してからそれを聴いてみると、確かに入っていました。23時過ぎに妹が帰省してきて、3人でお酒を飲んで過ごしました。わたしの恋人は0時頃眠ってしまいましたが、わたしと妹は例によってカウントダウンTV~ランク王国まで起きていました。そして2時過ぎに眠りました。
2010年05月01日
今日は目覚ましが鳴って起きました。お風呂に入って会社に行きましたが、雨が降っていて寒かったです。仕事は今日もぱっとしない一日でした。途中でお客様に書類を届けに出かけましたが、車に乗り込むまでの少しの間でずいぶん濡れる程強い雨が降っていました。わたしのカーステレオは朝出勤した時のままフィジカルグラフィティ(ツェッペリン)が流れていたのですが、わたしはふと意味もなくラジオに切り替えるとwhen your bird is broken…とあまりに耳慣れたフレーズが聞こえてきて、それは紛れも無くビートルズのAnd Your Bird Can Singでした。この曲は多分1万回ぐらい聴いたような気がするのですが、ラジオから流れてくるのを聴くのは生まれて初めてでした。その後Got to you get into my lifeが流れてきてその時「名盤ふたたびマスターピース」だとわかりました。DateFmで15時過ぎに名盤をかけるコーナーがある曜日があり、それが今日なのだとわかりました。それでなければこんな2曲がラジオから流れるわけがないのです。18時半頃仕事を終えて会社を出ましたが、明日は休みだし雨だしマンガでも読んでダラダラゴロゴロしたいなあという気持ちに駆られたので、本屋に寄ってマンガを買い、ドン・キホーテに寄ってお酒を買って帰りました。ワイパーを最速にして運転していると、雨がぞくぞくと地面に弾け散っていくのがフロントライトの当たる分だけ浮かび上がって、どしゃぶりと言うにふさわしい激しい雨でした。わたしは突然に「お前の中で雨が降れば僕は傘を閉じて濡れていけるかな」というあの素晴らしいフレーズを思い出しました。「恋は桃色」の中のその歌詞はわたしが耳にした事のあるどんな殺し文句よりもグサリと胸を打つ文句で、雨が降るときたまにそれを思い出すことがあります。わたしはわたしの傘になってくれる人を求めている訳では無いのです。またわたしの恋人は「さっさと雨のない所へ行った方いいべ」とせっついてくれるタイプであろうかと思いますが、それもまたピンと来ないのです。(もちろん彼のその素朴さ力強さはこのわたしにとってたまらなく眩しく美しいのですが)でもわたしの中に雨が降る事も前よりなくなりました。でもいつも曇っていてあんまりずっと日が差さないからもう花も草木も枯れきってしまったように思います。まあ雨よりマシだなと日々確認しながら暮らしています。帰宅して昨日作った肉じゃがを食べました。今日はわたしの恋人は実家に帰ってしまったのでわたしは一人暮らしでした。少しのんびりとしてなかなか良いものでした。
2010年04月28日
今日は朝布団でぐっすり眠っていたら、引き戸をゴロゴロと引く音がして、わたしの恋人が現れたようで、「ミーチャン」と言っていました。多分時間は6時半前あたりで、わたしはほとんど眠っていたので、一言も喋らずうなづいたりしているうちに会社へ出かけてしまったようでした。わたしはその1時間後あたりに起き、パンを食べていつもより3分ぐらい遅く会社に出ました。外出したり事務仕事をしたりしているうちに夜になったので、定時10分後には帰ってしまいました。いつも思うのが、残業しない方が良いのか残業する方が良いのかという事です。前の会社では残業は間違いなく悪でした。正確には「無計画に残業して残業代を稼ぐのは悪」でした。わたしも、時間内に仕事を終わらせるのができる人間なのだと信じてきました。一方今の会社では、残業して残業代を稼ぐのが悪なのは当然ですが、残業もせずさっさと帰るのもまた悪で、残業してかつ残業代なんて大それたものをつけないのができる人間である可能性もおおいに捨てきれないのです。今の会社は会社というか家族なので、わたしはなんと思われるか怖いというのが本音です。常に変わらず一定の仏のような顔を保つ女社長はもちろんですが、天真爛漫という服を着たお嫁さんが非常に細く注意深く人の動向を見ているので、駐車場のレシート出すの一つですらおそろしいのです。(何時に入って何時に出た、もう5分早く出られなかったのかとかを見ている気がして…)それでも自分が選んだ道なので、わたしも本気でこの会社の従業員という役を演じなければならないのですが、残業に関して、なかなか掴めない所があります。お嫁さんは「なんであの人残業するのかしらいやだ…」と言っていたし、社長は「あたしはみんなに残ってもらってもいいんだけどみんなが帰っちゃうのよネ…」と酒の席でつぶやいているのを見たし、かといって社長の残業は無給残業なのか有給残業なのか不明だしで、とりあえず今のところは毎日30分ぐらい残業して残業代はつけずにいます。労働者にとって残業代はずっと悩ましい問題なのかも知れません。わたしが無給残業する事で他の従業員の立場が悪くなるかも知れないし、本当に難しい問題です。そもそもわたしたちは職業柄無給残業なんて口にしてもいけないような仕事のはずなのですが、現実はそんなもので、健康診断も無いような会社です。わたしはわりと大きい会社しか知らずに来てしまったので、今も少し自分の身分が悲しくなる時もありますが、世の中の大半はこっちなのだ、と思うと、いままで知らなかった皆の気持ちを理解できて良かったと思う時もたまにあります。夕飯はピザを焼いて食べて、お酒を飲んでテレビを見て寝ました。妹はいませんでしたが、まだ「今日はいない」という感じで、本当にいなくなっちゃったという感じがしませんでした。
2010年04月19日
今日は朝9時まで寝ていました。起きると妹はすでに引越しの為の荷造りをしていました。バタバタと準備をして、14時ころそれぞれの車で2台連なって家を出ました。途中で新居に必要なものをいろいろと買っていると、宮城を出る時にはもう17時半になっていました。日が長くて、夕刻だとは思えない気分でした。しかし笹谷を越えて山形に入る頃にはすっかり暗くなっていました。19時頃ようやく家について、敷地内にいる大家さんに挨拶しました。大家さんのおうちは昔っぽい雰囲気の大きくて天井の高い家で、田舎っぽいやさしいおじいさんでした。これが大変ネイティブな山形弁で、わたしも妹も集中力を一心に傾けて話を聞きとりました。わたしと妹は深々と礼をして家を出て、すぐに荷物を車から出して妹の部屋に運び込みました。1週間前に内覧させてもらったこの小さな部屋がもう妹の部屋だというのが不思議でした。家は古めかしくて小さいけれど、きれいにしてあって良い匂いがしました。子どもの頃に憧れたような、懐かしいたたずまいでした。二人で黙々と荷物を運んでほどき、いろいろなものをセットしました。時間はもう20時を過ぎていて、妹は布団まで敷いてしまいました。そして二人で家を出て2台連なってラーメンを食べに行きました。ラーメンと餃子を食べましたが、食べ終わってもダラダラとしてしまいました。この店を出たらお別れだと思うとなかなか腰が上がりませんでした。いよいよ21時半近くなって、「じゃあ」と店を出ました。わたしは山形に疎いので、わかる道まで妹が先頭に立って案内してくれました。けれども結局妹は仙台に曲がる最後の道までついてきました。最後の道で左右に分かれ、わたしは一瞬ハザードをつけて挨拶しました。仙台への山道は暗く、寒いので暖房を焚いて久しぶりにアビーロードを聴いて帰りました。何年も前、まだ学生だった頃に無理無理アビーロードとレットイットビーを1つのMDに詰めたシロモノで、どうしても1曲分削らないと入らなくてサムシングを消したというとんでもない1枚の為、拍子抜けとさびしさを覚えつつリピートを繰り返しました。なぜよりにもよってサムシングを削除したのか、けれどもその頃のわたしにはサムシングの良さがイマイチわからなかったのです。メドレーが過ぎてゴールデンスランバー→ジエンドの頃にはやはり「解散しちゃうのね…涙」という毎度のテンションになってきて泣きそうになりました。解散どころか半分は物故しているのですが、それでも、「終わっちゃうのね…涙」という気持ちに聴くたびなるのです。妹が引っ越してしまった悲しみと相まって叫びだしそうに悲しくなりました。茂庭から西道路に入り街にさしかかると、そこらじゅうがオレンジの街灯に照らされて賑わいが少しホッとさせてくれました。家に着くと、いろんなものが昼に家を出た時のまま暗がりに少し浮かんで見えましたが、どうもひろびろとしてよそよそしい感じでした。何かを感じる前にもう電気もつけずにすぐにコンタクトレンズを外しお風呂に入りました。お風呂から上がってお酒を飲むと少し落ち着いた気持ちになりました。そしてぼんやりとテレビを見て、0時半頃布団に入りました。布団は冷たくて、うつぶせになって枕に耳をつけてじっとしていると、マンションの中の他の家の過ごす音が少し聞こえてきて、静かだなあと思いました。そしてそのうち眠ってしまいました。
2010年04月18日
今日は会社が休みでした。風邪は相変わらず若干残っていて一日中だるかったです。午前中は妹と昨日のケーキの残りを食べて、午後からはボケーっとしていました。仕事の関係で、やらないとならない課題があり、今日ようやく重い腰を上げてその課題を開いたのですが、結局眺めているだけで終わってしまいました。ここ数年まともに感動していない平和な日々が続いているので、このまま人生が終わるのが不安なような気がするのですが、実際にそういう場面が来るとあっという間に「オエー知りたくない」という硬い気持ちが持ち上がってきて、煙草を手に目を閉じて、じっとやってきたそれを逃がすよう集中してしまうのです。感動とは傷つくことだと思うのですが、泣くほど深く傷つくのがもう恐ろしいのです。アーティストでも無いわたしにはそんな傷必要ないのです。たとえ人生が薄っぺらになるとしてもわたしは傷つくことだけはいやなのです。夜には先日買った圧力鍋で妹と煮物を作りました。お肉がトロトロになって根菜もあっという間に柔らかくなって美味でした。ささやかで良いので幸せだけで生きていけたらどんなに素晴らしいかと思います。でも必ず不幸は来るし、そのことを忘れたフリをしてなんとなく暮らしていくしかクズのわたしにはできないのです。今日は風の強い日で、外からざわざわという音がたまに聞こえていましたが、夜に、いちだんと変な音がしてきて、ぬ?と思うともう壁が揺れました。その後地面も揺れて、マウスを持つ手も揺れて、温水器がグラグラしていました。すぐにテレビに、宮城県が震度4だと表示されて、とりあえず宮城県沖地震ではないんだなと思いました。0時過ぎて明日会社のある妹が眠ってしまい、わたしは一人でぼんやりパソコンの前で過ごしました。そしてカウントダウンTVを見て寝ました。土日休みになってから、カウントダウンTVを見る機会が増えたので、グッとJ-POPSに詳しくなりそうな予感です。
2010年03月13日
今日も仕事でした。今日は妹の誕生日だし、夜には少しお酒を飲むだろうなと思っていたので、もう5日目だしという思いもあり風邪薬を飲まずにいたのですが、飲まないと大変調子が悪くて、ひどくつらい一日でした。仕事は午後から外回りで忙しかったです。車を運転していると春らしい日差しが暖かく、遠い昔のようなつい最近のようなあの春をまた思い出していました。妹の誕生日は母の誕生日と同じ日だったので、生きてれば63歳かと思いました。でも63歳の母は想像つきません。母は老いの手前で消えてしまい、わたしは社会人になる寸前だったので、わたしの中ではいつまでも「守ってくれる優しくて力強いお母さん」なのです。もう少し生きていれば「守ってあげるべきお母さん」になったのだろうと思います。あれからわたしは成長したり退化したりして、全然違う人間になったように思います。冷静さと良識と思いやりを振りかざす、社会人的人間として固まったなと思いました。それがいろいろな問題もはらんでいる事に違和感を覚えつつも、結局は良い事だと真実思えてしまうこの自分はもう変わらないのでしょうか。それともあと5年するとまた全然違う人間に変わってしまい、その時もわたしは自分の考えを変えられないようになってしまっているのでしょうか。ようやく会社に戻るともう18時近くになっていました。終業後妹と買い物に行き、誕生日ケーキとスパークリングワインを買いました。ワインは常温のものしか置いていなかったので、帰宅して駐車場の隅に寄せてあった雪の山にボトルごと埋めておきました。1時間半後わたしの恋人が帰ってきたので、ボトルを拾ってきてもらってお祝いしました。わたしの恋人はわたしの妹にプレゼントを買ってきてくれました。妹は大変喜んでくれて嬉しかったです。こうして3人で妹の誕生日を祝うのも3度目だなと思うと、月日の流れは早いなと思いました。わたしは1週間ぶりぐらいにお酒を飲みましたが、風邪が抜けきっていない事もありだるく頭痛がしてきて、23時過ぎには眠ってしまいました。
2010年03月12日
今日は朝起きたら大雪でした。わたしの恋人が休みだったのでわたしの車の雪を下ろしてくれました。わたしはマニュアル車なのでギアをガッチャガッチャしながら会社へ行きました。最大でもほぼサードまでぐらいしか使わないほどノロノロと進みました。会社でもみんな部屋篭りしていて、仕事がなくて暇でした。風邪で具合が悪い事もあり、途中、「もうこんな仕事はどうにもいやだ、こんな会社もいやだ」という気持ちが突き抜けそうになる瞬間がありました。でもしばらくすると落ち着きました。この繰り返しなのだろうと思います。今日の昼に、先日車を擦った相手の車の修理(といってもコンパウンドで塗料を磨き落としただけですが)が終わったと知り、相手と自動車屋さんにお詫びとお礼のお菓子を買いに行きました(自動車さんはタダでやってくれたので)。仙台人の気合のお詫びといえばやはり萩の月なので、化粧箱入りのを買って、相手のアパートに行きましたが留守でした。失礼ながらドアにかけて手紙とともに置いてきました。そして自動車屋さんにも行きお菓子をおいて、ついに全部終わったなーと思い車を動かすと、ほどなく、坂が登れなくなりました。ギアをローにしてクラッチをゆっくり上げましたが、どうがんばっても登れません。いったん下がって助走をつけても全然登れませんでした。へんぴな道にも関わらず後ろには車が1台待っていて、そのプレッシャーもあったのですが、さらに前からこちらの道に右折で入ってこようとする車がいて、ちょっとダメ、と手を振ってもその女性は全然引かず入ってこようとするので、少しずつよけようとしているうちについにわたしの車は道路に横付けになってしまいました。右折車を待つ後続&対向の車の列が長蛇になったところで女性は諦めてくれました。後ろの人に申し訳ないなと思っていったん説明しようと車を出ると、後ろの車からも人が出てきて、「押しますか」と言ってくれました。わたしと同じくらいか多分下か、若い男の人で、ショートを守ってそうな爽やかで脚の速そうな感じでした。いくら軽自動車とは言えそんなほっそりした彼が押したぐらいでわたしの車が動くはずもなく、しょうがないので車の外で地道にタイヤ周辺の雪をかきました。彼も足で雪をよけてくれましたが、二人して必死な感じで少しこっけいな気分でした。しばらく雪をかくとわたしの車も上がって、「ありがとうございましたーっ」と叫ぶと、「お気をつけてーっ」と返ってきて、あとは無事に帰れました。帰宅して夕飯を食べて風邪薬を飲んで寝ました。
2010年03月10日
今日は仕事が休みでした。昨日は暖かかったのに、今日は薄暗くて寒い日でした。妹は会社だったので、久しぶりに家で一人で過ごしました。一日じゅう大体パソコンやヒーターの前に座ってボケーっとしていました。気分がダメになってきては煙草を吸ったりコーヒーを飲んだりして遣り過ごしました。途中でオエーとなりそうな程ダメな気分になりましたが、しかし「いや大丈夫だ」と思いました。自信を持って、きっと大丈夫だ、と思えました。数年前なら無理かも知れないと打ちひしがれたような気分でも、今は「無理という選択肢は無い」という事がすんなり受け入れられるようになれたと思いました。昔なら恥ずかしくも「だって無理なんだもん」と平気でのた打ち回れたのです。わたしの心は以前よりずっと沸き立たないようになり、それが真剣に困ってしまうような時もあるのですが、けれどもそれなりの力強さを感じる時もあって、少しは大人になったのかなと思えます。わたしの思う大人はいつも慎重で忍耐強く、心が優しくて力強いのです。それに近づきたくて毎日泣きそうになったり死にそうになったりしているのです。夜は妹と近所の居酒屋に行って飲酒しました。帰りは人生で初めて運転代行というものを頼みました。意外と普通のシステムで拍子抜けしました。帰宅してからさらに一杯飲みましたが、妹はそれを飲み終わる前に疲れてこたつで眠ってしまいました。わたしはテレビを見たりしながらボケーっとしていました。そのうち、とてつもなく悲しくなってきて、さらにお酒を飲んで4時過ぎに寝ました。
2010年03月06日
今日は家から出た時、空気に全く厳しさがなくて、拍子抜けしました。春だなーと思いました。会社まで車を運転していると、過去のあらゆる春の思い出というかモワっとした春の覚えがいちどきに胸に押し寄せてきて、叫びだしそうになりました。ぼんやりとした記憶はだんだんと、あの母が去っていった死の匂い漂う悲しい05年にまとまっていきました。5年も経ったのか、と思いました。あの苦しさはまだわりと鮮やかで、けれどももう母の声も顔もあまり思い出せない事に気づき、悲しくなりました。仕事はいつもよりは少し忙しく、途中で取引先に出かけましたが、日差しが暖かくて春の風が本当にふわりと優しくてつらかったです。運転しながら春を感じていると、心の中味がゴーっと沸騰していくような感じがして、そのまま自分の中味が全部飛び出してバラバラになって飛び散ってしまうような気持ちでした。わたしはあれから慎重さを覚え、少しずつやる気がなくなってしまい、意思も曖昧なままうっすら見える轍のようなものを踏みながらいつの間にか今日まで来ました。5年後自分がこんな仕事をしているなんて思っただろうか、いや一体なにになるつもりで当時生きていたのだろうかと不思議に思いました。仕事は18時半頃終わり、銀行に寄り少し買い物をして19時半頃帰宅しました。わたしの恋人の部屋が信じられない程散らかっていたので片付けて、お米を炊いて、カニ玉を作って妹と食べました。その後だらだらしていると急激に眠くなってきて床でうつ伏せになって眠ってしまい、ハっと起きたのですがその後仰向けになって眠ってしまい、0時半頃、布団に入って寝ました。すると突然全然眠くなくなってしまい、うっすら明るい外を眺めながらしばらくぼんやりしていましたが、やがて眠ってしまいました。
2010年03月05日
今日は休みでした。外はとても寒いので、一日中家の中でだらだらと過ごしていました。わたしの恋人は今日も家にいる様子でした。もうしばらく口もきいていないままです。3LDKの今の家に引っ越して以来、そういう事が可能になってしまったのです。嫌いに思えるわけではないし、合わないのはわたしの側の人格の問題だと思います。彼の心は大変素朴で美しいのに、わたしは、「わたしの気持ちを理解しようという気持ちを持ってくれない」というような下卑た不満をこの3年以上ずっと心のどこかに抱いているのです。そういう自分が見苦しくて、一緒にいるとつらくなってしまうのです。彼は自分の車では自分の音楽を聴き、わたしの車ではわたしのCDを抜いて自分のipodを繋げようとします。もしくはラジオに切り替えます。彼はわたしが日々何を考えているか、どう感じているか、どういうものを好むかという事には少しの興味も無いようです。わたしがたまに真剣になにかを考えている時に相談しても、ヘッドフォンをしたまま生返事なのです。でもそういう事に違和感を感じるたび、自分をくだらない人間だと感じます。わかりたいとかわかってもらいたいとかそういう口に出すのも恥ずかしいような欲求が自分の心にある事が耐えられないのです。嫌いなわけではないのですが、傷つきたくなくて、なんだか顔が見たくないと思ってしまっています。わたしは、もっと他の人、なんて考えた事も無くて、本当に優しくて問題の無い良い人だと思っているのですが、うまくいかないのは、真実わたしの人格に問題があるからなのだと思います。そう考えると収まるからそう逃げるわけではなく、本当にそう思うのです。いつになったら己の孤独に耐えながら同時進行で他者に優しく接する人間になれるのか、わたしはきちんと収める箱を用意してあるのですが、自分の感情をそれに収める事が27になった今もなお、出来ないのです。思い通りにならない事に辛抱ならない、こどものように幼く見苦しい人間のままなのです。0時過ぎにお酒を飲んで、ストーブの前でぼーっと過ごし、1時頃には寝ました。
2010年02月11日
今日は6時に起きて、ひとまずお風呂に入りました。そして日の出を見ようと思いましたが、曇天でした。けれども黒っぽい雲の間からピンクの朝焼けが見えて、美しかったです。10時半頃に名古屋港に着き、タラップから外に出ると、寒いと感じました。もっとぬるい空気が迎えてくれる事を期待していたのですが、ひんやりとしていました。あおなみ線という、新しく出来た知らない電車に乗って名古屋駅まで行きました。名古屋は久しぶりでしたが相変わらず大きい街でした。風が強くて寒く、砂埃が飛んでいました。ミッドランドスクエアに行ってみましたが、立派でした。スパイラルタワーズってどこですかと交番のおまわりさんに訊いたら、すぐそこのあれだよ、と指差され、目の前に本当にスパイラルにねじれた建物がありました。途中二人に道を訊きましたが、たまたま二人とも「名古屋の人間じゃないので」と断られました。夕方に四日市に移動し、知人に会いました。5年ぶりでしたが、5年間何をしていたかとかよりは、毎日の会社の事とかそんな話ばかりで、それを普通にしている事が不思議でした。23時頃別れて宿泊先にチェックインしました。テレビをつけると東海地方の天気予報が流れていて、新鮮な気持ちになり写真を撮りました。お風呂に入って1時過ぎに眠りました。
2010年01月13日
今日から旅行に行くことにしたので、午前中はバタバタと準備に追われていました。よし、カンペキだと思って車に乗って仙台港に向かっている途中で、キャッシュカードを忘れた事に気づいて家に戻ったので、フェリー乗り場に着いたのは本当にギリギリの時間でした。今日の名古屋行きのフェリーは本当に空いていました。乗船して早々に、ミニシアターで「チェンジリング」をやると書いてあったので、軽い気持ちで見てしまいましたが、暗い気持ちになりました。その後お風呂に入ったり寝転がったりしてのんびり過ごしました。夜に、手紙でも書こうと思って便箋を取り出しましたが、ボールペンを忘れた事に気づいて、仕方が無いので鉛筆で書きました。けれどもあまり進まなくて、なぜ昔は手紙が書けたのだろうと不思議に思いました。手紙というのは、今現在の幼い自分の言葉が残ってしかも未来にもその力を発揮し続けるので、それが恐ろしい気持ちがするのです。明日、日の出を見ようと思い0時頃にはおとなしく寝ました。わたしは二等なので、ほぼ床に耳をつけて寝る事になるのですが、船を動かしている音がゴーゴーと聞こえて、大変うるさいのですが、なぜか落ち着くような気持ちで、眠りにつきました。
2010年01月12日
今日は車で会社に行きました。今日で会社を辞めるので、荷物を段ボールで持ち帰りたかったのです。最後の日だというのに仕事はバタバタしていました。お昼過ぎに、5kmほど離れた場所にある親会社のおねえさんがわざわざ餞別を持ってやってきてくれました。われわれは親会社に対して多少の卑屈さを持って過ごしているのですが、彼女は全く威圧的なところ無く優しく接してくれて、わたしは本当に頭の下がる思いだったし、同時に、「こう見られたい」というような卑しい心持ちとは別次元の、「こうありたい」というような漠然とした心の理想のカケラをくれた一人でもありました。彼女が挨拶に来てくれた事が本当に嬉しくて胸が詰まりました。支店長が突然に、最後だから自分ともう一人の営業さんと一緒にお鮨でも食べに行こうというので、わたしは近くで働いている妹に車に乗って帰ってもらう事にしました。けれども肝心な仕事が終わらなくて、名残惜しいとかそういう気持ちを抱く暇もありませんでした。帰り間際にバタバタと挨拶をして、いつものように「お先に失礼します、お疲れ様でした」とドアの外に出ると、外では支店長と営業さんが待っていました。お鮨をご馳走になりながら支店長はわたしに、「キワモノが普通で清廉な人間に憧れるのは理解できるが、もはや自分じゃないものにはなれないのだから長所を伸ばしなさい」という内容の説教をくれました。わたしも多少大人になったので、自分をキワモノなどと言われて否定する気持ちもありませんでした。昔だったら「わたし別に普通です」と言ったかも知れませんが、今は、人がそう思わないのならそうじゃないのだと思います。けれども未だにキワモノの長所を伸ばしたいなどとはほとんど思えないままです。生きているのは恥ずかしいので、こっそり暮らすだけです。帰りは支店長から「それでは」とすっぱりと別れました。わたしはその後姿を見て、もしかしたらこの人生で二度と会わないかも知れないと思いました。営業さんがタクシー代をくれてタクシーに乗せてくれました。わたしは帰宅して、明日から旅行に行こうかなーなどと考えしばらくぼんやりダラダラしていましたが、深夜に、寝ようと思い立って部屋に戻りました。部屋はとても寒くて暗かったです。制服を脱ぎ捨てて布団に入りましたが、とても冷たくて、その時一瞬悲しい気持ちがよぎりました。会社を辞めたのだ、もう行かないのだとおもいました。そしてうつ伏せになって毛布を抱きしめて目を閉じると多分ほどなく眠りました。
2010年01月09日
今日は寝坊してしまい、会社にはギリギリに着きました。相変わらず仕事は暇でした。わたしはここ数日、この気楽なOL生活を捨てて茨の道を進むのか悩んでいます。そもそもわたしはOLになる気持ちは全然なかったのですが、気づけばもう3年半も経ってしまいました。その間に少しは社会の厳しさも前よりわかったような気もするし、仕事に生きるというのがどういうことなのかも、学生の頃よりはわかる気がします。OLはわたしに向いていなくもないのですが、大学を出る頃までずっと「なにかのプロとして懸命に働きたい」と思ってきたので、お世話係みたいな今の仕事に違和感は常にうっすらありました。でもそういう違和感を感じるたびに「今の環境は分不相応なぐらいの立派な環境だ」と自分に言い聞かせてきました。この時代にこんなに暇できちんとお給料や休日をくれて優しくしてくれる環境なんてないのです。この上なく平和なのです。なのにわたしは今、新しい世界に一から入りなおそうか考えているのです。このささやかながらも確立された平和と身に余る待遇を捨てて、床に伏して泣きたくなるような日々へ突っ込んでいくなんて、悲しくて心細くてたまらないのです。勇気が出ません。ふと母ならどう思うのかと思いましたが、尋いてみる事が出来ない事が残念に感じられ、大人になってからお母さんと話してみたかったという気持ちが悲しく沸いてきて、少し泣きました。
2009年11月22日
今日は休みでした。しかし一日中沈んだ気持ちでした。久しぶりに音楽など聴いたせいかも知れませんでした。以前のわたしは「映画は疲れるから観ない」と言っていました。人の心を揺さぶる為に存在するものなど観たくないと思っていたのです。しかしそれでも音楽を聴くことは好きでした。今は、それすらもなぜあんな風に貪り聴けたのかわかりません。音楽だってわたしの心をこんなにも強く無理に動かそうとしてくるのだと今日思いました。おかげで、まるで3、4年前みたいな苦しい一日でした。ずっと家の中にいたので、外が雨である事にも気づきませんでした。気温が低くて、毛布を肩から被って座って音楽を聴き、気持ちが耐えられなくなったら煙草を吸い、また戻って音楽を聴き、の繰り返しで一日が終わってしまいました。わたしは悩んでいました。自分は男のように働けるのだろうかと考えていました。わたしは仕事どころかなににも全然意欲がなく、映画も観られないし音楽も聴けないハートの持ち主なのですが、状況は間違いなく「やる気だけを原動力にがむしゃらに働く」方向に向かっているのはわかるのです。しかも自分でこの状況になるまで苦労してやって来たはずなのです。どうにも意欲が生まれません。ルールに沿ってこなす事はできるのだろうと思いますが、それと意欲とは別問題です。わたしが望ましいと感じているのは、「できる人間になること」ではなく「意欲ある人間が一生懸命仕事をすること」なので、小器用さや顔の広さなどがあったとしても、意欲がないとどうしようもないのです。うまく説明できないのですが、人を傷つけ生きていく覚悟もないし、美しいものに心を震わせる覚悟もないのです。誰かに優しくされたら立ち直れないかも知れないぐらいに人生に及び腰なのです。夜になってご飯を食べましたがあまり食欲がなく、お酒を飲むとだらーんとした気分になってきて、転がっていると、なぜかわたしの恋人が今日は熱心にわたしの背中を撫でてくれました。そうしているうちに眠くなってきて、23時頃寝ました。しかし夜中に目が覚めてしまいました。目覚めた瞬間から、昨日聴いた音楽が頭の中に流れていました。これだもんな、、とウンザリして、じっと目を閉じて眠るのを待ちましたが、全然眠れないどころか、急激に悲しいような苦しいようないらいらするような気持ちになり、布団を飛び出して換気扇の下で煙草を一本吸い、布団に戻るとようやく眠れました。
2009年11月17日
今日は休みでした。朝の5時に起きて高速バスで東京から帰ってきたわたしの恋人を駅まで迎えに行きました。わたしの恋人は1時間弱眠って7時前には会社に出てしまいました。相変わらずの生真面目さとタフさに感服しながらわたしは10時まで寝ていました。久しぶりに日記を書こうと思ってパソコンを立ち上げたら、1年も書いていないことがわかりました。最後の日記でわたしは進藤さんと外出した事を書いていたのですが、その進藤さんは先週から末期がんで会社に来なくなってしまいました。1年前そんな風になるなんて全然思わなかったなあと悲しく思いました。人生は苦しみや忍耐やお別れの連続で、目的も意味も、「生き続ける」という過酷な事実を慰めるこじつけなのかも知れません。でも、そのすべてが美しいのが人生だとわたしは思います。苦しみも憎しみも愛もなげやりさも公正さも汚さも、すべてが耐え難い程美しく、受け止めきれない程です。優しい人もひどい人も、この過酷な人生に対しみんななぜか一生懸命なのだと思います。それがどうしようもなく美しいのだと思います。1年前の日記を見てもわたしは相変わらずで、今の自分を考えても、成長が感じられませんでした。気持ちは弱いし、煙草は増えたし、品は落ちたし、意地も悪くなったと思います。悲しみは減ったけれど、感性が鈍っただけかも知れません。感性が鈍ることは望ましい事だとずっと願ってきたけれど、実際にそうなってくると、がさつさのあまり人に対してひどいことばかりしていないか不安にもなります。けれどもずっと変わらないのは、優しさは何にも勝るという気持ちです。頭の回転が良い事より、顔が広い事より、器用な事より、羨望の的になる事より、優しい気持ちでいられるという事はずっと素晴らしいと今日も思うのです。お前が言うのか、とわたしを知る人は笑うだろうけれども、わたしは今も、優しい気持ちでいられるようになりたいという切ない憧れだけをよすがにしているといっても良いぐらいなのです。夕方に洗濯物を取り込んでたたみました。空気がひんやりとしていかにも秋でした。部屋が暗くなるのをぼーっとやり過ごしていましたが、電灯をつけると夜が来て、よし、やろう、という気持ちになったので、着替えて買い物に出かけました。
2009年09月08日
今日もどんよりとした天気の一日でした。今年の仙台は、梅雨の合間に少しだけ夏が来てやっぱり梅雨に戻ったみたいなまま9月になりました。月初なので仕事が忙しくて、けれどもいつもの月よりはラクに終業できました。仕事が終わってから、営業の進藤さんに誘われてお酒を飲みにいきました。進藤さんは18の息子がいるようなおじさんで、息子の話とか昔の仕事の話や音楽の話をしながらお酒を飲んで過ごしました。愚痴も仕事の話も無くて、のんびりとした良い夕飯でした。しかし途中で「私離婚するんですよ」と言われて、どう返していいのかわからないので「そうですか」と返しました。でも話が続かなくて、子供どうするんです、と訊くと、「もう理解してるから」とだけ言いました。意味がよくわからなかったのでそのまま黙っていると気まずくなってきて「家どうするんです」と訊いたら「家は私が買ったから…」と言ってその話は終わりました。21時過ぎにお店を出ると雨が降っていました。帰ろうと思いましたが、もう一軒ということになりショットバーに入りました。そこでもつらつらとどうでもいい話をして過ごしましたが、進藤さんは突然に「あなた本当に美人だよね」と言いました。その頃には進藤さんは相当酔っ払っていました。「ありがとうございます」と返し、これはもう帰ろうと思いトイレに立って「終バスなので帰りますね」と言ってバス停まで一緒に歩き、それぞれバスに乗って帰りました。帰宅するとわたしの恋人が一人で平和にインターネットをしていました。寝転がってる腕を取って「市川さん」と語り掛けましたが一心不乱に氷室京介のセットリストを眺めていました。5回ぐらい「市川さん」と話しかけましたが「ミーコー」という適当な相槌を返してひたすらインターネットをしていました。わたしは外に出て煙草を吸いました。雨が霧みたいになって辺りがけぶっているのを眺めながら、わたしの愛は誠実じゃないと思いました。いやわたしという人間が誠実じゃないんだと思いました。どうすれば自分のくだらない感性を漂白してしまえるのか哀しい気持ちでいっぱいでした。いつも「やるべきことをやる」というような感覚で言葉を発し、椅子に座り、時計を見つめ、歩いたり走ったりしている事が汚らしく感じるのです。相手があばずれを求めていれば適度にそうなるし、相手が清楚さを求めていれば適度にそういう言動をします。相手がこどもっぽさを求めていればそうなるし、大人っぽさを求めていればそうします。それを察知するのも、それに対応するのももう無意識なのです。そのことが吐き気がするほどくだらないことに思え、しかしその勘を捨てられないのです。「男女は役者、世界は劇場」とはその通りだろうし、人にはそれぞれやるべき事があるというのもその通りだろうと思うのですが、わたしの優しさも真面目さも愛も、そうしなければならないから生み出しただけの代物に思えるのです。そんなあからさまな器用さを持たずに愛と優しさを持ってこの世の一つの歯車になっていたいのです。紫煙が霧に混ざって口の中が煙くさい嫌な味でした。煙草を消して家に入って口をゆすいで寝ました。
2008年09月01日
今日は朝は降っていなかったのですが、昼になるまでにはすっかり雨でした。今日も洟が止まらない花粉症な一日でした。薬を飲むとフワフワしてきて最高に良い気分になりましたが、仕事中なので眠気に耐えなければならずつらかったです。仕事が終わってから大学時代の友達に会いました。彼女は東京に出てOLをしていたのですが紆余曲折を経て今はショップ店員をやっているようです。どうでもいいことを喋りながら大学時代の事を考えると、今が嘘みたいだなあと思いました。それから少しして今の事を考えると、大学時代が嘘みたいだなとも思いました。高校時代に至っては、そんなものが本当に存在したのか怪しいぐらい、記憶が全然リアルじゃないので、何を考え感じて生きていたのか、自分が本当に感受性や思考能力を有する個体だったのかすら疑問に思えます。今の自分も将来の自分から見たら虫けらのようにちっぽけでアホなのでしょうか。これでもだいぶ精気が抜けて若気が至らなくなってきたのですが、それでも自分はくだらなくて無駄に見苦しいことばかりしている人間な気がします。生きているのは一生恥ずかしいことなのでしょうか。友達を見送ってから一人でバスを待ちましたが、本当に雨が冷たく激しく叩きつけ、涼しいというか冬を予感させる寒さでした。22時過ぎてようやく帰宅して、寒くてしょうがないので毛布と布団にくるまっていたら眠っていました。0時半頃起き上がって電気を消して寝ました。
2008年08月23日
今日はとても涼しい一日でした。寒くて暗くて10月ぐらいの感じを思い出しました。多分もう夏は生き返らないだろうと思いました。妹が休みだったので迎えに来てくれ、買い物をして帰りました。夕飯も妹が作ってくれ、片付けもやってくれて本当に嬉しかったです。しかし帰宅するとやはりくしゃみと洟がとまらなくなり、季節的なものなのか、本当につらかったです。そのうちわたしの恋人がやってきて、俺の携帯に音楽を入れてくれと頼まれたので入れてあげました。わたしの恋人はここのところ毎晩ジョギングをしており、そして走りながら音楽を聴いているようなのですが、明日は氷室京介のライブを見に行くので(BOOWY世代ど真ん中)、今夜はどうしてもそれを聴きながら走りたいらしく協力しました。お酒を飲んで23時半頃寝ましたが、寒くてしょうがないので毛布と布団を両方かけて寝ました。まだ8月なのに寂しいものだなと思いました。
2008年08月22日
今日は朝からどしゃぶりの雨でした。バス通勤なのでハっとなってダッシュで一番最初に来るバスに乗りましたが、やはりいつも30分で到着する会社まで1時間もかかってしまいました。一日中雨が降り続け、ブルーな気持ちでした。定時で仕事を終えてとぼとぼと歩きながら帰りましたが、バスには乗り遅れ、ようやく来た次のバスは少しの隙間も無いぐらい混んでいて、ガラスが中から曇ってみんな苦しそうでした。バスの一番後ろでは赤ん坊が泣いていて、お父さんらしき若い男の人が無言で一生懸命あやしていました。周りの人も赤ん坊が泣き声をあげるとチラっといやそうな視線を送っていましたが、やはりみんな「あれっ男か」という驚きを感じているようでした。みんながその若者をがんばれーという気持ちで見守っているように感じられました。バスを降りてからアパートまでの道は青く薄暗く、冷たい雨がもう秋らしく降り続いていました。わたしは突然、大学生の時に家電製品の修理工場でアルバイトしていた時にそこで毎日流れていた曲を思い出しました。音響機器の修理の伊藤さんが修理品のサウンドテストに使っていた曲で、なんともかなしげな曲でした。一度だけ、パートのおねえさんに「この曲なんなんでしょうね」と訊いた時に、「えっあれじゃん、玉置浩二でしょ」と言われたのを思い出したので、帰宅してからずっとインターネットでその曲を調べ続けました。おねえさんは特別音楽好きの人でもなさそうだったし、しかも「そんなの有名じゃん」という口ぶりだった事などを思い出していろいろ調べると、ようやくその曲が「ワインレッドの心」という曲だった事がわかりました。そうそうこの曲だよという感動に胸が充実し、しばらくyoutubeでそれを聴きながら、さらにテレビをつけ五輪女子ソフトボールの決勝を見てお酒を飲んで過ごしました。
2008年08月21日
今日は叔母の家で目が覚めました。ロクに何も手伝わず午後までだらだらして帰り、帰宅してすぐに父の家に行きました。姉は外出していていないようでした。父は半年ぐらい会っていないうちに総白髪になっていて驚きました。もしかしたら髪を染めるのをやめただけで、前からそうだったのだろうと思いました。わたしと妹で買ったピザとお寿司を食べながら五輪を見ました。父は、今年30になる姉が結婚したがっているという話をしていました。でも結婚されたら自分の面倒を見てくれなくなるから困ると言っていました。婿でももらえば、と言いましたが、彼がそういう事を恥ずかしげもなく口にできる事に驚きました。わたしは母の元で育てられたので、親というのは子供の前では意地でも清廉な精神と誇りを保つ生き物だと思い過ぎていたのかも知れません。でも大人になってわかるのは、親もただ人間だという事です。母が死んで父だけになり、それがわかるようになり、そういうことを悲しいような生温かいような気持ちで受け止められるように、もしくは受け止められないようになってきました。22時頃帰りましたが、外は大雨でした。湿気が多く空気が肌にまとわりつきましたが、それでも仙台はもう肌寒く秋を感じさせる夜でした。悲しいような胸苦しいような気持ちで、あの余裕の無さが戻ってこないように祈るような気持ちでした。以前は、つり易い足みたいに、気を抜くと陥ってしまったのですが、最近ではそういう感性が鈍くなってきたのが自分でもわかり安心していたのです。でも今日は怖くて悲しくて布団に入って目を閉じて寝ました。
2008年08月16日
今日から週明けでした。会社は相変わらず憂鬱でした。仕事は請求書の〆日だったこともあり忙しかったです。夜に会議に出ると「残業しないように工夫しなさい」という趣旨の事を言われました。所長の仕事をさせられて忙しいんですがと進言したかったけどできませんでした。わたしは押し寄せるいろいろな気持ちで暗い気分になり20時半頃帰りました。街は人がたくさんいて明るかったですがわたしは死ぬほど暗い気持ちでした。死にたいわけがない、とわたしは歩きながら思いました。若いのに死にたいわけがない、健康なのに死にたいわけがない、仕事があって恋人がいて死にたいわけがない、全く死にたいわけがないと思いました。だけどすることがない、と泣き崩れたい気持ちでした。意味を求めてはいけないのは理解できるのですが、ダメでした。自分が意味がなくては目的がなくては生きていけない幼稚な人間である事を恥ずかしく思いました。いまだにわたしの心は「人生はどこかで素晴らしくなる」という幻を追っているのです。けれどもどこまでいっても同じような泥沼が続いているのはもうなんとなくわかったのです。だから、素晴らしくなりそうもないことに嘆く必要なんてないのです。なのにどうして未来の事を考えて暗い気持ちになるのか不思議なのです。昔からわたしは「お母さんていつか死んじゃうんだな」などと考えて悲しくて耐えられない気持ちになっていました。でもあの時は生きていたのだからもっと楽しく過ごすべきだったのです。元気も食欲も無くて帰宅しても家でぼんやりしていましたが、わたしの恋人がそばとゼリーを買ってくれたので食べました。わたしが何も喋らないので、どうしたのなんかあったのと気にしていましたが、元気が出ないだけ。。とつぶやいて布団に入りました。わたしの恋人はわたしの頭を撫で続けていました。わたしより忙しく大変なのにいろいろ負わせてごめん・・・と思いながら寝ました。
2008年05月08日
今日も具合の悪い一日でした。なぜか頭痛とめまいと食欲不振が直りません。朝がひどくて、夕方になるにつれて段々と良くなるのですが、なぜなのかわからなくてつらいです。仕事は激しく忙しく、なぜ一ヶ月でこういう風になってしまったのか、そして今もって脱却できないのかと思いました。忙しいのはきらいじゃないのですが、仕事の目が粗くなる程忙しい事と、「わたしがそれをやらなければ他の人が困る事になる」というプレッシャーが気持ちを暗くさせました。仙台は一日中激しい雨が降っていました。お昼を所長と課長と新卒の女の子の4人で食べに行きましたが、所長がしきりに「海外旅行行きなさい、有給使って」というのですが、わたしも新卒の子もハア、と言うぐらいで反応が悪く、何度も「行っていいんだからね、私はそういう休暇を取るとかいうの全然かまへんから、気にせえへんから」と言っていました。事務所に戻ってから新卒の子と二人きりになり、「旅行行きたいけど・・・お金が無いですよね」と言うと「そうなんですよ!でもそう言えないし・・・」と言っていました。ネックは休みが取れるかというよりお金が無い事なのです。残業して帰宅して夕飯を買いに出かけ、お酒を飲みながら妹と夕飯を食べました。土プレのパイレーツオブカリビアンを見ていたのですが途中で寝てしまいました。今日も「起きて会社行って帰って寝た」だけの一日でした。
2008年04月19日
仙台は雨でした。今日も仕事が忙しい一日でした。しかしめまいがひどく座っていても世の中がぐるぐる回っているような感じでした。おまけに身体中が痛く、何も食べていないのにお腹がいっぱいな感じがしていました。お昼ご飯は定食を頼んだけれど全然味がせず半分も食べられませんでした。一日中「早退しようか、いや早退したら負けだ」と葛藤しながら、あと何時間、あと何分とじりじり過ごしていました。しかし終業30分前になると突然「会議出て、1時間だけ」と言われたので会議に出ました。でも会議は3時間続きました。そして20時過ぎてから帰りました。休みだった妹が迎えに来てくれ、一緒に夕飯を買って帰宅しました。わたしと妹は今夜もラーメンでした。ここのところ食生活が大変粗末です。だから具合が悪いのかもしれませんが、作る気力がありません。毎日なぜこんなに仕事が忙しいのかわかりません。わたしが悪いのかも知れません。お酒を飲むと眠くなってきて、0時頃布団に入りました。外からはザンザンバラバラと激しい雨音がして、わけもないのに声を上げて泣きたい程悲しい気持ちになり寝ました。
2008年04月18日
今日は休みでした。わたしの恋人も休みのはずですが、1億円近い着工中の物件を抱えておりしばらく休んでいません(休むと余計苦しくなるので)。でも今日はわたしの為に無理やり午後から休んでくれて花見に行きました。神社でお花見したのですがとてもおごそかでした。どこもかしこも桜がフワフワモコモコと咲いていました。昨日程の快晴じゃないけれど雨も降らず暖かい一日でした。帰りにショッピングモールに寄って、わたしの恋人のシャツを買って帰りました。わたしの恋人はとにかく背が高くて常にシャツの袖が短いので、なるべく裄の長いものを探すのですが、裄が長いと幅も広くとってあるものが多く難儀していました。でも無事良さそうなシャツが見つかって、夕飯を少し食べて帰宅しました。帰宅するとわたしは自分の鍵束が無い事に気づきました。どこでなくしたのかと思いいろいろ電話したら、お昼を食べたファミレスに忘れてきたようでした。鍵をなくすのももう5度目ぐらいのわたしに妹も恋人も呆れ果てていました。妹は今日会社で「その姿勢は病気なのか」と言われたそうです。妹は幼少期から脚が曲がっているのでかなり特徴的な歩き方をします。「高い物を買いに来るお客さんに失礼だから直しなさい」と言われたそうです。わたしはそれを聞いて、妹が小さい頃からそう言われてきた事や、これからもそういう風に言われていくのかどうかいろいろ思い、悲しくなってきて泣きそうでしたが真に泣きたいのは本人なのでこらえました。でも妹が寝てしまうと悲しくなってきてボロボロ泣きました。泣きすぎたら疲れて寝ました。
2008年04月16日
今日は妹の車に同乗して会社に行きました。今日から新しい所長が来るので緊張していましたが、来てみると噂に違わぬ明るさでした。「関西の人は」とか「東北の人は」とか「東京の人は」とかそういう考え方はしたくないと思ってきましたが、これはさすがに文化圏の違いの成せる業なのかと思うぐらいずっと喋り続けていました。こっちの人はおとなしいね、と言われましたが、そうなのかも知れません。わたしは今までの人生で、明るくおとなしく真面目で自己主張の強くない事が美徳という意識をいつの間にか根付かせてきたし、その価値観に自信すら持ってしまっているのです。良し悪しは別として、それは動かし難いことです。けれども関西から来た所長は、明るい事が良いこと、言い合う事が良いこと、おとなしく静かなのはガマンしているからだという考え方のようでした。ガマンしないで喋ろうよというような事を言い続けていました。わたしはなるべく喋りたくありません。でも口に出さないから考えが無いわけではないし、他人に愛情は持っているし、ガマンしているわけでもなくて、伝えたい為にだけ喋りたいし、知りたい為にだけ尋ねたいのです。尋ねても真意を話さないとわかっている状況で相手に喋らせたりしたくないし、伝える事の無い時に、喋る為だけに言葉をひねりだしたくないのです。中身を込めずに外に出した自分の言葉が力を持つ事は恐ろしいし、わたしがつらいのは虚しいことなのです。虚しくなるのだけはどうしてもいやなのです。わたしは基本的に知りたくないのです。でも知ってしまう時もあります。それがいいのです。そういう時は伝えたくないけど伝わってしまう程の気持ちが相手にあるのです。それが伝わって来た時わたしの心が動くのです。うまく表現できないですが、そういうことなのです。音楽でもなんでも、「感動させたい」というあからさまなものに心は動かないのです。伝える事が目的というよりは自分の情念を吐き出したかっただけなんだけど、それが伝わってしまったという時に、心が動くのです。わたしは人の心を動かす事なんて、誰にも意図してできるものではないと思います。強く言おうが殴ろうが泣こうが人の気持ちを自分の思うように動かす事などできないと思います。ただ虚しさがあるだけです。そういうことを自覚した気高い人の情念にのみ心が動くのです。20時半まで残業していると所長がやってきて、早く帰りなね、女の人は早く帰るべきだ、と言いました。わたしも帰って家でごろごろしたいですと言いたかったですが言いませんでした。早く帰らせたいならなぜ18時から会議なのですか、所長が18時まで自宅に帰って引越作業をしたのに合わせたからじゃないんですか、なぜ無駄に2時間以上も無計画な会議をするのですか、と言いたかったですが言いませんでした。わたしの思いが相手に伝わる術がまだ見当たりませんでした。そして近くの居酒屋でお酒を飲んで酔って帰りました。
2008年04月04日
今日は水曜日なので休みでした。午前中に妹を駅まで送り、その足で眼科に行きました。3週間程前に右目が見えづらくなってきて眼科に行ったら、目ん玉傷だらけですよと言われ目薬を差してメガネで生活していました。今日再び眼科に行くと、ほぼ良くなっているからコンタクトレンズ再開していいですよと言われ嬉しかったです。帰宅しようとすると激しく雨が降ってきました。雨に打たれながら、ああ春だなぁ。。と思いました。帰宅してぼんやりとテレビを見ていましたが、朝から浅い頭痛が止まず、少し横になって寝ました。18時頃わたしの恋人が休日出勤から帰ってきて、一緒にぼんやりテレビを見た後、夕飯を食べに出かけました。どうでもいい話をしながらのんびり過ごし、帰りにゲームセンターに寄って不気味なぬいぐるみを取ってもらって帰りました。すると出かけていた妹がちょうど地下鉄の駅から家に向かって歩いていたらしく、迎えに行くと、小鹿のような足取りでふらふら雨に濡れて歩いていました。どうやら新しい靴で一日中歩いて足が痛い様子でした。その靴はわたしの恋人が先日の妹の誕生日に買ってあげたもので、可愛い黒のきらきらしたエナメルの靴だったのですが、もう変形してところどころ擦り切れていました。妹はしょんぼりしていて、それを見たわたしの恋人がコンビニに寄っておやつとお酒を買い与えていました。それを飲んで1時半頃寝ました。
2008年03月26日
今日も休みでした。火水休みのわたしは木曜日が休みだと3連休になるので、大変嬉しい祝日でした。午前中は家でだらだらと過ごし、午後から妹とドライブに出かけました。今日はお彼岸という事もあり、墓参りを気取って松島に行きました。しかし途中から天気は雨になり、曇りの道をずっとドライブしました。大学時代やニートの頃はしょっちゅうドライブしていたので、道路の数だけ思い出があり、いろいろ思い出してはボワーンとした気持ちになっていました。松島に着くと雨は冷たく空気は寒く、妹と二人で身を縮めながら歩きました。天気は悪かったですが人はたくさんいて賑やかでした。島々の浮かぶ海を眺めながら手を合わせ、優しいお母さんがすべての苦しみから解き放たれていますように、と胸の内でつぶやきました。帰りに瑞巌寺の杉林を通って帰りました。わたしは4年前に友達と3人でこの杉林を通った事を思い出しました。その時わたし達は大学生でしたが、一人はもう子持ちになっている事を思い、信じられない気持ちでした。その後車に戻って仙台に帰りました。途中のジャスコに寄ってだらだら過ごし、ラーメンを買って帰宅して茹でて食べてお酒を飲んで寝ました。
2008年03月20日
今日は久しぶりに大学時代の友達と出かけました。友達は今月末に東京に就職するそうで、挨拶を兼ねてという事でした。一日中ただドライブをしただけだったのですが、わたしはその友達との5年ぐらいのいろいろな事を思い出してなんだか悲しい気持ちでした。思い出す自分はどれも稚拙で心持ちが汚く見苦しい人間でした。常に泣いたり騒いだり誰かを罵ったりおかしな行動をしたりしていました。友達の方はいつを思い出しても優しくて飾らず温かい心の持ち主でした。変なバランスで成り立ってきた友情でしたが、それもこれも全部相手の我慢とわたしに対する愛情だけで支えられていたのだなと思いました。夕飯を食べてコーヒーを飲んで家に着くと20時半でした。じゃあね、元気でね、と言いましたが心底寂しかったです。寂しかったけれど、「あなたがいなくなると寂しい」というような事をわたしは言う事ができませんでした。どうして伝えれば気持ちが伝わるのかわからないのでした。泣きたいような気持ちでしたが泣く感じでも無いのです。言葉にも出来ないしお餞別の物を用意していた訳でも無いし歌が歌える訳でも絵が描ける訳でも一句読める訳でも無いし触る訳にもいかないし、なにでどうすれば自分の気持ちが伝わるのかわからず、ただ気まずい雰囲気だけが漂っていました。見かねた友達が「引っ越すまでまだあるから、また夕飯でも食べに行こうか」と言い、わたしはうなずいて外に出ました。そして車が去っていくのを見届けて家に入りました。
2008年03月04日
今日は休みだったので妹と家でゲームをしていました。そして夕方から、入院している父のお見舞いに行きました。父は個室に移って、先週よりも元気そうでした。今日は誕生日だったのでケーキを持っていくと喜んでくれました。意地悪な事も言わなかったし、歳を取った感じもしてわたしは終始悲しくて仕方が無かったです。お見舞いに行ったのにお金をくれて、いらない、と返すと、お見舞い金たくさんもらって溢れてるから持っていきなさいと押し付けられました。わたしは悲しくて泣きたいような気持ちでした。帰ろうとしたら姉がやはりケーキを持ってやってきたので、父はさらにそのケーキをおいしそうに食べていました。でも実際はもうお腹がいっぱいだったと思います。そして1時間程テレビを見て帰りました。妹とわたしは286号に沿って帰りました。4号や利府街道もそうですが夜のバイパスの暗い美しさは本当に独特でした。そしてサイゼリヤに寄って夕飯を食べ、帰宅してゲームをして寝ました。
2008年02月26日
全960件 (960件中 1-50件目)