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を、じっと見る「みるくちゃん」 原さんちのりんごも、勿論、放射能測定されていて、放射能不検出です。
2012.01.30
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みるくはもう7歳のおばさんだけど、かわいい♪
2012.01.29
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いつも、大地の会の注文は、金曜日の夜にするのだが、金曜日ばたばたしていたので、今日(日曜日)になった。すると、西のホウレンソウ、西の小松菜、西のキャベツ、西の人参、西のブロッコリーという西からの個別野菜はすべて、売り切れになっていた。西から応援のセット野菜だけで、来週は過ごすことになる。==おにぎり===ご飯は、平成22年産の、兵庫県の、こうのとり米玄米を精米したもの。ちりめんじゃこは、「鹿児島志布志」梅干しは、「王隠堂のくずれ梅干し」海苔は、有明の成清海苔店の。生姜煮は、小豆島。水は、山形の飯豊山の水。==おかず==卵は、西から応援卵を使って、ふわふわ卵。春巻きは、日本セントラルキッチンさんの海老春巻ダッカルビは、北海道の玉ねぎ、西のキャベツ、中津ミートのベーコンをいれていためた。 西から応援の卵は、申し訳ないのだが、味が今一つ。なんか、古く感じる。卵くささがのこるのだ、たまたまかな、って思って食べてたけど、やはり、何度もするので、やめた。そのため、卵は、ツイ友のalmaさんに教えていただいた熊本の卵やさんで、定期購入する事に決めた。母たちにとって、今、台所は、放射性物質と戦う戦場である。なるべく採らない、排出する。嘆いてばかりではいられないのだ。
2012.01.29
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じゃらん、、東へーじゃらん、、。わかった人は、そう若くはないはず、、(ふふっ)陽子先生の作品 お菓子もおけるティーセット♪朝方、レオンが大学のパンフレットを抑えにかかっていた。足で、はっしと。そうよね、そこに行けばいいのよね。私は、西へ行ってほしいので、そこを希望なのだ、、。
2012.01.22
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今日もお弁当だ北海道のじゃがいもに、鹿児島県の胡瓜、人参を入れて、ポテトサラダ。隠し味に、塩麹をいれてみた。加賀レンコンを豆板醤と酒、醤油でいため、西日本の卵でゆでたまご。餃子は、大地の会の精進餃子。りんごは勿論、原さんちのりんご。お米は、昨年のこうのとり米。お水は、たまたま手に入ったゼロ磁場の水。しっかし、塩麹は、すぐれもの、、。味が、まろやかになる。セシウム排出にもよいし、すばらしい、、日本の知恵。
2012.01.15
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お弁当を作った。今日は、ハンバーグ。牛肉は、大地の会の「興農牛」玉ねぎは、北海道。卵は、西日本からの応援卵。 りんごは、長野県の原さんちのりんご。大地の会のものなので、全て、放射能測定されてはいる。でも、完全に安心とは思っていない。ただ、測定されてないものより、測定されているものの方がよい、ただそれだけだ。グラタンは、ノー測定。お米は、昨年の兵庫県のこうのとり米が残っていたので、それを精米して使った。お水は、今日は、山形県の飯豊山のお水。ツイッターを読んでいると怖くなる。テレビで出ない情報がばんばん入ってくる。
2012.01.14
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朝から大掃除をしていた。 疲れた、、。でも、やはり、掃除は気分がよい。
2012.01.13
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新宿戸山の穴八幡宮さま!!お目当ては、勿論、一陽来福のお札です。階段を上ってすぐに、人がたくさん並んでいました、みんなお札のために並んでいます。場所は、早稲田大学の文キャンのまんまえ。ついでに、息子に半纏を届けに行きました。あの子は、半纏が大好きなのです。息子の住んでる若松は、昔の陸軍軍医学校の跡地などが多々ある地域です。ああ、だから、731の石井四朗が、あのあたりに住んでたんだ、、と納得。戸山自体は、陸軍の幼年学校や、戸山学校、若松には、砲工学校、ちょっと歩いて市ヶ谷には陸軍の士官学校などがある、いわば、昔は陸軍の町のようなもの。若松から戸山に向かう坂を、昔に思いを馳せながら歩をすすめた。そういえば、母が小さい頃、祖父とGHQのところにいった話だと、出てくる地名は大久保だったっけ。ああ、それでなのかぁ、、などと、またまた納得してしまった。有意義な一日でした。
2012.01.09
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フルーツが食べたくて、フルーツポンチッチを買いました。山形県の天童にある、「フルッティア」さんで売ってます。無添加、保存料なしなので、すぐに食べねばなりません。 朝からフルーツポンチッチです。紅茶は、カレルチャペックの。昨日煮た小豆もいただきます。小豆は、セシウム排出によいそうです、お水は、島根や、山形、ハワイのお水。お米は、昨年のひとめぼれと、佐渡の矢田農園さんの。大地の会で放射能測定されたお野菜を買い、311前の原材料を使った加工品を食べ、お魚は食べず、肉も放射能測定された肉を食べ、洗濯ものは家の中に干し、マスクをしてでかけている。ストロンチウムが怖いので、カルシウム剤を飲用し、水もカルシウム成分の多いものに切り替えた。ホットスポットに住みながら、地道な努力で、放射能と孤闘してきた。 でも、こんな努力も4号機がふっとんだら、それで全てパー。おっかしくって笑ってしまう。しかし、私は、東欧に行きたかったし、大学院にも行きたかった。全て子育てが終わってからって封印してきたのに、、。やりたいことは、すぐやらねばだめですね。伊能忠敬のように、隠居してから、好きなこと、、それは、地球が安泰なときしか無理なんですね。
2012.01.08
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佳い年のはじまりかもしれなあい♪惣菜を買って、そうだ、パンでも買おうか、とアンデルセンの前に行ったら、「えーうそー」即座に私は、「姜尚中さんですか?」と聞いてしまったら、「はい、そうです」と言われ、にこにこしてくださったのーー握手もしてくださった、、。超格好いいです。皮ジャンきてました。薔薇様ーー耳元で生声ですよーーふふふ、羨ましいでしょう。で、シャメは、そばにいたおじさんにとってもらいました。おじさん、有難う♪幸先よいぞーー
2012.01.04
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あけましておめでとうございます今年も宜しくお願いします。 明治神宮に行きました。人は昨年、一昨年と比べて少なくなってきているような気がします。坂の上の雲が、終わって、多少ほっとしました。瀋陽での戦いで日本軍を恐れさせた最前線のコサック隊は、今でいうところのチェチェンの高山の部族です。彼等は、大ロシアの最精鋭部隊とされていました。しかし、結局は、抑圧されていた民族がロシアのために駆り出されて戦っていたのです。複雑な気持ちです。更に203高地も、、、。大勝利!!などといって提灯行列に加わる気分にはなれません。日本人も多数死に、ロシア人も多数死にました。脚気で死ぬ兵士も続出した日本陸軍。この時すでに、陸軍内部には、硬直性が存在したのです。脚気の主要な原因は、白米です。陸軍は、ビタミンB1欠乏からくる脚気を、当時妄信していたドイツ医学の権威コッホの細菌説をとり、食事の改善をいっさいくわえませんでした。海軍は、原因を栄養面から考慮したイギリス医学の考えをとり、白米を玄米に変えました。それによって海軍の兵士の脚気の数は、日清戦争からうってかわって激減したのです。しかし、細菌説をとった陸軍は、日清戦争同様、多数の脚気患者を創出しました。本来の戦闘での死ではなく、人的災害による死です。其の当時の陸軍軍医のトップは、有名な森鴎外です。兵士の士気をそぐ、病人の続出も203高地の失態の一つでしょう。乃木将軍の大失態と思われていますが、ただ、それだけではないようです。陸軍内部では、じわじわと、問題が存在していたようです。陸軍は、その後、ドイツの将軍、ルーデンドルフを範として、第二次世界大戦を迎えます。ルーデンドルフは、第一次世界大戦でドイツを敗戦に導いた将軍です。ただ、フランスとの熾烈な戦いを不利な形勢から、逆に勝ち戦にもっていったり、味方が少ないながらも最終的に勝ち戦にもっていくその手法が、ある意味、窮鼠猫をかむ的要素をもつようで、日本人にはうけたようです。しかし、ルーデンドルフの、一側面からのみ戦いを継続する手法は、ある意味、日露戦争の陸軍の失態となる戦方法によく似ています。アメリカが、もう其の当時から、メディアを動員して、世論からドイツをせめていってるのとは、対照的です。多角的に戦略を考案せず、一方向的にいけいけどんどんで突き進んでいく、残滅作戦。日露戦争で懲りたにもかかわらず、明治の元勲が不在となる昭和の初期に、後人が、なぜか、その轍を踏襲してしまうのです。日本陸軍が、なぜ、ルーデンドルフを範としてしまったのか?それは、ルーデンドルフの方式が素晴らしかったからでもなく、日本の参謀が愚かだったわけでもありません。ただ、、日本人の嗜好にあっていたから、、しいて言えば、日本人特有の民族性からではなかったか。それを思うと、民族性を変えていかない限り、同じ轍を踏む可能性は常に存在するのです。義経の戦略、楠木正成の戦略、真田雪村の戦略、勿論、石原莞爾の満州事変も。少ない数で、たくさんの敵を打ち破る、、、日本人の好きな話です。弱いものが強いものに一発、かます、確かに小気味よいです。しかし、全て、最終的には勝ちません。局所、局所での勝利なだけで、最終的な勝利にはいかないのです。最期には勝てないのです。最期に勝つためには、、、、、、。君子豹変す。蛻変。日を新たにする(会津の日新館の謂れ)これらの言葉をかみしめなければいけない年になりそうです。うまくいえないけど、私たちは変わらなければいけないのです。
2012.01.03
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