前回の続きではあるのですが、今回は、私が競馬に関する国際会議の日本代表の一員を務めていた 2005
~ 2008
年の出来事を中心に触れますので、結構難しい部分もあることをご了解ください。
まず、 2006 年の出発地の成田の話題から。
毎年余裕を見て、約 4 時間前には空港に到着し、搭乗手続きを済ませて荷物を預けてかあら、しばらくはクレジットカード会社優待の空港ラウンジにいることにしています。
しかし、成田は一般ラウンジが羽田よりも施設的に劣り、余り長い間居る気にならなりません。
そんなラウンジながら、シートを2~3人分占拠して寝ている人が毎年居ます。
いい度胸というか、他人の迷惑顧みずというか、毎年呆れます。
空いているからともいえそうですが、羽田ではまず見かけない光景でもあり、大抵は中年のおじんおばんです。
腹を立てるのもばかばかしいので、早めに出国手続きをして、免税店冷やかしに精を出しましたが、それでも暇なため、 100 円インターネットでメールをチェックしてみましたところ、既にたくさん来ていました。
ところが、コンピューターが海外向けの設定らしく、キーボードが微妙に違う上に、文字バーが出たり出なかったりで、メールを読むことはできましたが、返信やブログの更新はできませんでした。
昨年同様、香港経由のキャセイパシフィック便を利用したところ、今年も香港までは空いていましたが、異常に日本人客が多かったのは、ディープインパクトの影響と思われます。
トランジットの香港国際空港、毎回感じますが、とにかく広い。
中国と言う国は恐ろしく、トランジットの者でも、監視カメラで詳細にチェックされています。
2003
年にサーズのアウトブレイクがあったこともあり、赤外線カメラによって、体温もチェックされていて、高熱の者が居たら、別室に連れて行かれるのです。
幸い私は一度もひっかかりませんでしたが、この空港、狭い香港にある癖に、乗継にニュートラムみたいな地下鉄に乗って行くぐらい広く、歩いて端から端までいけば、
20
分以上はかかると思います。
2006 年は、乗継が 61 番ゲートと遠かったのですが、 2 時間以上余裕があったので、また免税店冷やかしの後、プレミアムカード優待の、空港プレミアムラウンジを利用してみました。(注:プレミアムカードの所有者でないと、有料です。)
見かけはしょぼいので期待していなかったのですが、入ってみたら飲み物だけでなく軽食(点心や焼きそばがあり、意外に薄味で私の舌にもあった。)からサラダまで無料で用意されており、無料のコンピューターサービスもあったり、日本国内の空港ラウンジよりずっと待遇がラウンジでした。
成田出発時でも多いなと思っていた日本人ですが、 2006 年の香港パリ間は、 4 分の 3 は日本人ではないかと思うぐらいでした。
それも、搭乗ゲート付近で会話を聞いている限り、ほとんどがディープインパクト絡みの乗客でしたから、馬主でもないのにパリまで応援に行こうと言う日本人は、本当に暇です。
なお、私は、毎年凱旋門賞の翌日に開催される競馬に関する国際会議に出席するための業務出張ですし、暇どころか、他の業務も兼ねていますから、海外出張前後は、殺人的な忙しさなのです。
比較してみると、中国人もせっかちでマナーの悪いところがありますが、日本人の団体たるや、アナウンスで、搭乗案内まで後 30 分お待ちくださいと言ってくれているのに、英語と中国語だけの放送だったせいで、搭乗案内と誤解したのか、早速列を作って並び始めました。
他の国の客は、ぎょっとした顔で呆れて見ていましたが、私はというと、日本人ではないかのような顔をして、搭乗開始までのんびり座って待っていました。
面白いなと思ったのは、ディープインパクト応援?客、親子連れが多かったことです。
しかも、普通の親子連れ観光客の 30 代の両親に 10 歳以下の子供のパターンではなく、 30 代の子供に年配の両親の組み合わせが多かったのです。
中には、親戚一同を動員したような集団もいました。
私としては、日本人が、評判を落とすようなマナーの悪いことをしなければよいがと心配していましたら、機中で早くもその心配は現実のものとなりました。
パリ行きの便、去年も満席でしたが、今年は日本人団体中心で満席でした。
それで、エコノミークラスの座席の場合、前の座席の背に液晶の小型テレビ画面が付いているのですが、少ししかチルトしないのに、がたがた動かして、前の席の乗客に怒られている場面があったのです。
夜行というか、深夜便ですから、静かにすべきで、何事もそっとするよう注意しないといけません。
怒っていたのはアメリカ人のようでしたが、言うことが良かったのです。
「日本人、金は持ってるだろう。がたがたしたけりゃ、ビジネスかファーストクラスに乗れ。」だったのですが、私は英語がわかりますから理解しましたが、怒られた日本人たちには、全然通じていなかったと思います。。
12 年前に海外研修でアメリカを訪れた際、日本人は、狭い家に住んで満員電車で通勤しており、裕福さを感じることができるのは、海外旅行の時だけなのですというテレビニュースがあり、満員電車と狭いアパートの映像が流されて思わず笑ってしまった覚えがありますが、海外では、日本人観光客は金持ちのイメージがあるようです。
長時間飛行機に乗る場合、スリッパがあるとかなり違います。
キャセイでは、軍足(といっても通じないか。軍手の靴下版で、踵が無い木綿でできた袋です。)のようなものやら眠るのに使うアイマスク、耳栓、空気枕やらは用意してくれているのですが、スリッパはありません。
海外のホテルにも、寝る時以外は靴をはいている文化のためか、まずスリッパはありませんから、荷物にならずかつ使い捨てにしてもよいようなものを持参することをおすすめします。
私は、自分専用に国内出張時にも常に持ち歩いており、重宝していました。
シャルル・ド・ゴール空港には早朝に到着しました。
荷物受取があるし、それまでに入国手続きもありますから、急いで降りる必要は全くないと思うのですが、ここでも先を争って降りようとしたのは日本人の悪いくせです。
入国手続きは、パスポートだけ見て、確認しましたとのハンコもおさず、拍子抜けしたのは去年と同じで、去年はあった、飛行機降り口での警官によるパスポート照合もありませんでしたから、 30 分少しで荷物受取まで進むことができました。
荷物受取に殺到するのも日本人ですが、去年は荷物が出てくるまで 1 時間かかりましたから、周囲にいた日本人観光客には慌ててもしょうがないことを教えてしばらく話をしました。
すると、何だかよくわからないディープインパクト取材陣がたくさんいた他、福山競馬の大ファンという若者にも会い、何とか存続させてくださいと頼まれてしまいました。(注:福山競馬は、売り上げ不振により、 2013 年 3 月に廃止になりました。)
今年は、空港内の施設改装によって荷物搬送も改善されたのか、 30 分少々で出てきました。
しかも、 1 時間かかるかもと脅していた私の荷物が、一番先に出てきたのです。
不思議だなあと考えていましたら、キャセイの会員になっておくと、エコノミーの搭乗でも、ビジネスクラス客の荷物として優先的に扱われることが判明しました。マイルも貯まるし、お勧めします。
空港からパリに向かおうとしましたら、鉄道RERの自動販売機でつまづきました。
去年は、同じクレジットカードで簡単に買えたのに、今年は私がもっているクレジットカード、ことごとく認識してくれなかったのです。
認識しなかった理由は、フランス国内もしくは EU 圏内で発行されたカードでないと使用不可の取り扱いになっていたことでした。
仕方がないので、有人窓口が開くのを待つかと思ったら、そこに紙幣の両替機がありましたから、ユーロ紙幣を両替してコインにして再度自動販売機に挑戦したら、コインは使えますからOKでした。
この時、フランスの紙幣対応機の差し込み口はまっすぐではなくU字型になっていることを発見しました。
確かにくしゃくしゃになった紙幣でも入れやすい構造なのですが、私の前に両替しようとしていた韓国人の女性二人組が、どこに紙幣を挿入すれがよいかわからず、しばらく考えていましたから、入れ方を教えてあげました。
韓国も、日本同様紙幣の差し込み口はまっすぐなようです。
2025 年の現在では、クレジットカードの扱いも改善されたと思いますが、これからパリに行く人は、券売機でつまづかないように、念のために 20 ユーロ程度のコインも用意しておくことをお勧めします。
1 年ぶりのパリで、 2005 年秋以降全国的に暴動が相次いでいましたから心配でしたが、市内で変わったことと言えば、物乞いが増えたことぐらいでした。
町のところどころに座っている上、チュイルリー公園では、英語は話せますかと話しかけているインド系に見える少女がいました。
彼女も物乞いで、話せる英語は、「ドゥー ユー スピーク イングリッシュ?」だけのようで、どう見てもインド系に見えるのですが、私はボスニア難民で、食べるものにも不自由していますと書かれている紙を差し出すので、小銭をあげたら、「こんな額じゃ何も食べられない。」と逆切れされました。
物乞いは、無視するのが一番です。
それで思い出しましたが、海外では、地面に座る行為は、物乞いがするものであり、大変マナーの悪いものなのです。
2005 年に韓国で開催されたアジア競馬会議の際、ソウル競馬場でも、日本人と同じく新聞紙を敷いて地面に座っている客が沢山おり、他国からの参加者が、折角きれいで立派な競馬場なのに、物乞いがいっぱいいるみたいで見苦しいから、即刻やめさせるべきだと主張していました。
ヨーロッパ、サマータイムと高緯度のせいで、朝 7 時でも暗くてどうも感覚が狂います。
ホテルに荷物を置いてから散歩したのですが、ピガールからブランシュにかけてのいわゆるモンマルトル界隈は、かなり卑猥な雰囲気で、土産物屋に交じって、日本でいうエロdvdの店やら風俗店やらが立ち並んでいました。
土産物屋で、子供のお土産用に 12 枚 2 ユーロの絵葉書を買ったら、「ありがとう。かんこ、とうきょ。」と言われました。
ありがとうはともかく、後は、知ってる日本語を羅列した感じでした。
プラス・ドゥ・クリシーから先は、昨年歩き回って勝手知ったる地域で、去年何も買わずに出ようとしたら、警備員に止められて荷物を検査された大型スーパーで、昼食用にバゲットサンドとネクタリンを買いました。
そして、モンソー公園のベンチに座って昼食にしました。
飲み物代わりが果物と言うのも結構贅沢なのですが、それでも 300 円もしていない勘定でした。
カフェあたりに入ると、黙って 1000 円以上取られますから、これが一番経済的ですし、たまにはこんな食事もいいものです。
それから、今まで通ったことのない道を通ってみようと考えて、モンソー公園の真ん中からエリゼ宮に向かって南に進んでみました。
流石に、エリゼ宮の周りは警官だらけだったのですが、宮殿の外壁側の歩道を通ろうと思ったら、警官が飛んできて、道を渡った側を歩けと言われました。(この経験、夜に役立ちました。)
話題は少し変わりますが、パリで変になる日本人が増えているそうです。( 2006
年当時)
パリの人々には大変迷惑な話なのですが、一番多いのが鬱病で、ホテルの部屋から出て来なくなったり、自殺をはかったりするのですが、誇大妄想狂になったのか「俺は、太陽王ルイ 14 世だ。」と騒いだ日本人もいたと言います。
パリという都市は、と言うか、フランスは、基本的には無愛想です。
恐らく、日本人が行き倒れていても、警察に連絡するだけで、誰も助けてはくれないでしょう。
私は、その都市の雰囲気を読んで、カメレオンのように同化するのが得意ですから、パリに行けば自分の責任において一人で気ままに行動しますし、それがパリの良いところだとも思うのですが、ウェットな日本人は、花の都パリに行けば、何かいいことがあり、親切な人が何とかしてくれると、過大な期待を抱くようなのです。
パリでそんな日本人に寄ってくるのは、スリか、強盗か、観光客をカモにしようと手ぐすね引いている同じ日本人ぐらいであり、特に、最後の親切ごかしの日本人は要注意です。
まあ、 2006 年のディープインパクト応援団のようなお祭り騒ぎ人間は、そんなことは考えなかったのだと思いますが、日本人でパリを訪れる人は、フランスの人々の半分は黒人であることと同時に、その辺のギャップに衝撃を受けるんだそうです。
それでなくとも、日本で人間関係がうまくいかないような人間がパリに行けば、更に孤立しますし、決して明るい雰囲気の都市ではありませんから、感傷的になって更に落ち込むに決まっています。
国際的には、日本は、大変人間関係に甘い、馴れ合いの通用する国で、欧米のドライな人間関係が常識の国とは違うのです。
私は、日本人的な同情自体、その人のためになっているとは思いませんが、欧米では黙っていたら、誰も慰めてはくれないのです。
ですから、躁鬱傾向のある人や、ウェットな人間関係が好きな人は、パリよりもバリに行くことをお勧めします。
バリでパリ並みのお金を出せば、お大尽のサービスが受けられますから。
夕方、ドレスコードブラックタイのタキシード姿に着替えて前夜祭行きのバスの集合地点、ホテル・スクリブに早目に行くと、由緒正しき高級ホテルにもかかわらず日本人観光客だらけで、彼らも、日本人の次に目立ったアメリカ人の客も、カジュアルを通り越してみすぼらしい服装が多かったため、まともな?服装の日本人の私は、大変目立ちました。
しかし、集合時刻の 20 分前になっても、去年一緒だったなと思う夫婦 2 人しか現れないので、心配になってきたところ、 5 分前になってようやく 7 人ぐらいに増え、ロンシャン競馬場の施行団体であるフランス・ギャロの職員が来て、名前を確認されました。
ホテル前に駐車した送迎バスに乗り込むと、ぽつぽつ雨が降ってきたのですが、時間通りには集まらないのが欧米流て、時間を 15 分ぐらいオーバーして出発した途端、パリには珍しいバケツをひっくり返したような雷雨になりました。
明日の馬場はどうなることやら、と心配していたのですが、翌朝聞いたら、数キロしか離れていないロンシャンではぽつぽつしか降らなかったとのことでした。
途中、ヴァンドーム広場の近くのウェスティン・ホテルに寄ったのですが、格からいえばスクリブと同格のはずなのですが、こちらには、カジュアルな服装の客はほとんど居ませんでしたから、客層は明らかに上でした。
スクリブも、日本人やアメリカ人の団体客を受け入れるようになって客質が落ちたのかも知れません。
ここで感心したのは、どこの国の人かはわかりませんでしたが、若い白人夫婦が、小学生ぐらいの 2 人の子供にもスーツアンドタイの服装をさせて、食事に出かけようとしていたことでした。
海外の高級レストラン、原則としては 12 歳以下の子供の入店は拒否されます。
また、日本なら大目に見てくれるのでしょうが、その年齢の子供たちを、ホテルの部屋に待たせて置いておいてもいけません。
身代金目当ての子供の誘拐が決して珍しいことではない欧米では、子供たちだけを放置すると、保護義務違反で逮捕されかねませんから、十分に注意することです。
どうしても行ってみたいなら、子供はベビーシッターを頼んで面倒を見てもらっておいて、大人だけで行くことです。(アメリカでは、子供だけレストランの外や車の中で待たされていることがよくありました。)
他のお客に迷惑をかけるような客は、店が拒否するわけで、ベビーカーに載せるような幼児などは問題外です。
日本の感覚で、高級店に行ってはいけません。
子供だけでなく、この地域のレストランに出かけるなら、たとえドレスコードにひっかからなくても、スーツアンドタイにすべきです。
ヴァンドーム広場界隈は、有名ブランド店が並んでいて、バスの中から見ているだけで楽しいものがありました。
しかし、人々は突然の豪雨に、店先のわずかなスペースに逃げ込んで雨宿りしていました。
雨のためか、大渋滞で車は動きませんでしたし、何故かセーヌを渡って対岸側を進んだため、 11 年前に来た時に泊まっていた、サンジェルマン・デ・プレあたりの風景をのんびり見ることができました。
しかし、当時とは大分様子が変って、にぎやかになっていました。
8 時頃になってようやく会場に着いたのですが、会場のシアター・メルベイユは怪しげな劇場で、まずピエロが迎えてくれました。
ランタンをふりまわしながらおどろおどろしく歓迎してくれましたから、日本人的感覚からすれば、お化け屋敷でした。
中に入ると、恒例のカクテルパーティーでしたが、今回の劇場、余興に遊び道具がそろっていましたから、半分ぐらいの客は、会話をそっちのけに、遊びに興じていました。
私も一通り挑戦してみましたが、射的があったり、ゴムではじいて木のおはじきを飛ばしあうエアホッケーみたいなゲームがあったり、まるで昭和 30 年代の日本の遊技場でしたが、十分楽しめました。
ゲームをちょこちょこやりながら、シャンパンのドン・ペリニョンを楽しんだのですが、普段全く飲まない私も、このシャンパンだけは確かに美味しいと思います。
途中から、香港ジョッキークラブのITディレクターのサニー・リー氏に話しかけられてしばらく話していました。
それで、サイレント・ウィットネスとディープ・インパクトの話題となったため、近くにいたJRA勢に振り、適当に話をしていると、ようやく 9 時になったのでディナー会場に入ることができました。
海外のパーティー、とにかく始まるのも終わるのも遅いのが難点です。
テーブルは、JRAの参加者以外は何故か去年と全く同じメンバーであり、フラス・ギャロの秘書役というべきドミニク・ウェンダン氏や、アメリカのキアラン・ケネリー氏らと今年も一緒でした。
今回気づいたのですが、 2005 年のヴェルサイユ宮殿ディナーでは、諸外国勢が皆黒のタキシードだったのに対し、日本勢の多数を占めたJRAの役職員たちがまちまちの色のタキシードで完全に浮いており、私と当時のJRAの総括監の二人だけが黒でまともに見えてしまったことがありました。
今年はそれを反省したのか、JRA勢も全員黒のタキシードで統一していました。
今回のディナー、作ってくれたミシュラン 3 つ星の有名なシェフと、相談して献立を決めたという、隣席のドミニク氏には悪いのですが、いくら美味でも量が多すぎました。
特に、前菜にはまいりました。
一番のお楽しみで、工夫が凝らされていますと、事務局長のロマネ氏の挨拶にあったので期待していると、大きな黒いゴマ団子のようなものが出てきました。
実は中身はフォアグラで、外に黒トリュフをまぶして、日本的に言えば、大きなゴマ団子風に見せる工夫がされていたのです。
それは面白かったし、味もよかったのですが、見かけよりも量は多く、それでなくとも、フォアグラは、高カロリーですから、お皿には 3 個乗せられていましたが、丸 1 個食べたらそれだけで腹 6 分目ぐらいまで行きそうなボリュームでした。
それから、今回の会場は少し暑く、そのせいか、このフォアグラのせいか、それともドン・ペリニョンの飲みすぎのせいかわかりませんが、気分が悪くなって途中で食べられなくなる人が続出しました。
私は、自前では絶対食べる気がしない高級フレンチですから、全ておいしくいただきましたが、食べるだけでも大変でした。
我々のテーブル、フランスギャロの外交担当責任者のドミニク氏を、日本の 2 団体、アメリカ、オーストラリアの代表にあてているのですから、日本はそれだけ重視されていました。
去年に引き続いてドミニク氏と話していると、歳のせいでもないとは思いますが、英語の単語が出てこないのには参りました。
カナダのオンラインカジノからオファーがあった賞金提供を断った話をするのに、オファーが出てこず、何と表現するかしばらくかかってしまいました。最終的にはギブでごまかしてなんとか通じたのですが、日本語に限らず言語は、語彙が豊富であることが大切です。
この時役立ったのが、午前中のエリゼ宮の話題で、昨年ロマネ氏が半分冗談で、来年はエリゼ宮でディナーをと言ったのを思い出して、「実は今日昼にエリゼ宮を通りかかったら、警官に、エリゼ宮の壁沿いではなく、道を渡った方を歩けと言われた。」と話すと、ドミニク氏、「ミスターロマネにここで晩餐会だと言われたと言ってやればよかったのに。」と返してきて大笑いになりました。
彼には、明日ディープインパクトが勝ったら、明後日の会議後のディナーのシャンペンは、日本のおごりだとからかわれたのですが、勝ってほしいようなそうでないような、複雑な気分でした。
おそらく勝っていたら、JRAと言うか、日本の競馬の閉鎖性にさらに風当たりが強まりそうでしたが、日本から押し寄せた応援団のためには、勝ってほしいと思いました。
それはよいのですが、昨年のヴェルサイユ宮殿は世界遺産の建物だったためか、全面禁煙で快適だったのですが、今年はデザートが終わったら、ウェイターが高級葉巻をすすめてまわり、周りですわれて大変でした。
特に、派手な服装で目立っていたフランスのファーブル調教師と彼のスポンサーの馬主が、近くのテーブルで葉巻を吸いまくりましたから、煙くて困りました。
当時のフランスは、喫煙にはえらく寛容でしたが、いくら喫煙可でも、国際的なマナーとしては、食事中(デザートが提供されるまで)は、吸うべきではないことぐらいは、知っておいてください。(フランスでも、 2007 年からようやく公共施設における禁煙が導入され、イギリスでは、 2007 年 7 月 1 日から、全ての公共施設の室内は禁煙になりました。)
そして、前夜祭の最後に、クライマックスともいうべき明日の凱旋門賞の出走馬紹介ビデオが流されます。
今年は、ディープインパクトが最後に紹介されたとともに、時間的にも一番長く、唯一シャンティーでの調教風景まで含めた、インパクトのある映像でした。
このこと一つをとっても、今回フランスギャロは、ディープインパクトが最も勝利に近い馬として扱ってくれていたことがわかります。
終わったら何と夜中の
12
時で、ホテル・スクリブ着が
12
時
45
分、私がホテルに戻ったのが
1
時で、急いで着替えて、シャワーを浴びて寝たのは
1
時半でした。
スーパーで買い物してきた朝食です。夜が前夜祭でボリューム満点のため、朝昼は少なめ。
山の上のサクレクール寺院です。
アラウンド・ザ・ワールド5 Sep 23, 2025
アラウンド・ザ・ワールド4 Sep 22, 2025
アラウンド・ザ・ワールド3 Sep 21, 2025
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