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大正製薬株式会社の大正ビオデイに当選しました。ひさしぶりの当選です。実は花粉症とアトピーで悩んでいます。なのでこれは是非ためしてみたかったのです。「大正ビオデイ」は健康なからだをつくる「ビフィズス菌」に、「甜茶」「シソの実」「グァバ葉」と3つの植物が入っています。毎日3粒飲んでみました。体調はどうかと言うと、実はまだ分かりません。来年の花粉に飛散状況が多いと聞いているので、花粉の時期に快適に過ごせるといいのですが。飲みやすく、続けられるのでとてもよいと思います。アレルギーってすぐ治るものでもないので、続けることが大事だと思いますよ。
December 29, 2010
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★父の死から8日父の年金記録をみると、共済が38年と厚生年金が5年くらいの加入となっている。市の職員として長い間働き、その後はしばらく民間で働いていた。父の死のことを電話すると、書類を送ると言われた。手続きはまた書類を見てからとなる。早く終わるとよいけど。
December 27, 2010
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★父の死より2日今日は通夜が19時より、実家より車で10分くらいの葬儀場で行われることに。旦那が仕事を休んでくれて、三女も連れて、午前中から喪服を着て出かけた。長女、次女は学校へ行った。通夜は夜なので、義父が学校から帰ったころに迎えに行ってくれることに。服装も、黒っぽい物を着せることに。急なことで用意ができなかった。午後から、葬儀社の人がみえて、身を清める「湯灌の儀」、「装束の着替え」、「お化粧」をしてくれました。湯灌の儀は、二人のスタッフがみえて、説明を。洗浄桶に乗せられた父に、家族が交代で、足元から胸元までお清めをしました。初めてのことですが、スタッフがやさしく教えてくれました。全身洗浄などは同室していなかったので、分かりませんでした。着替えの衣装は葬儀社のプランの白装束にし、薄く化粧もしてくれたようでした。きちんときれいにしていただき、まるで眠っているようでした。母と兄が数珠がないというので、急遽買いに行くことに。数珠なんて購入したことがないので、仏壇屋さんの言われるまま、母には、水晶のような二連の7000円のものを、兄には茶系の太めの玉の3500円のものを買ってきた。兄は東京から駆けつけた時に、母から喪服も持ってくるよう言われ、取りに帰りました。喪服が役に立ってよかったけど、急な時にはないので、どうするんだろう?私は喪服を着てきたけれど、真珠のネックレスを忘れたのに気付き、長女が学校から帰った時に電話し、探してもらった。私自身もどこにしまったか、定かでなく、結構探してもらって見つかりました。それは義母からいただいたもの。大事にしないと。父を葬儀場に運ぶため、寝台車がやってきた。男の人によって、運ばれ、母と兄が一緒に乗って出かけた。私達は戸締りをし、葬儀場へ行った。葬儀場にはすでに父の遺影があり、周りには花がたくさん飾ってあった。あーあ、本当に父は死んでしまったんだと実感。通夜も遺族側の一番前に座り、弔問者におじきをした。たくさんの人が父の死を知り、駆けつけてくれ、父の人間関係を知った。でも退職後、8年ほどたっているので、会社関係の人はほとんどいない。明日の葬儀の打ち合わせや、通夜ぶるまいをしたりと、あわただしく時間が過ぎて行った。近い親戚のみを控室に招き、お寿司やサンドイッチをたのんでいたので、食べて、子供達3人は旦那の両親の家に泊まることに。私と旦那は一晩、夜を徹して故人を見守ることにした。母と兄は家でゆっくり休んでもらうこと。父は控室に運ばれ、夜中も線香をたやすことなく、番をしていた。父の顔をみたが、やすらかで、死んだとは思えない。明日には骨になってしまうと思うと、悲しい。子供達のことが心配だったが、やはり、旦那の実家から、三女を連れていくと連絡があった。なので、三女も一緒に控室で眠ることに。座布団を敷きつめ、バスタオルをしき、そこに三女と一緒に眠った。眠ったけど、やはり父のそばにいたくて、何度か起きた。旦那も一緒だった。朝になり、とうとう葬儀が今日行われる。
December 21, 2010
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★父の死の翌日父の死から1日が経った。実家に行くと、葬儀社との打ち合わせが昨日の夜中に、母と兄とですでに終わっていて、詳細を聞いた。すでに葬儀社の会員になっていた父は、会員割引が適用され、25万ほど割引されていた。選んだプランは80万円のもの。値段が違うと何が違ってくるのかよくわからない。でも、父のために母が選んだプランに文句をつけることはない。通夜は21日、葬儀は22日に決定。宗派は浄土真宗(大谷派)で、お寺さんは、昔からの付き合いの寺院に頼んだ。遺影の写真は、父が生前に用意していたものがあり、それを使うことにした。こんなものまで用意していた父。あと、リストも出てきて、どこかの葬儀社からもらってきた冊子に、連絡してほしい人が書かれていた。通夜の香典返しを何にするか、お通夜料理をどうするか、受付のお手伝いは誰がするか、枕花や盛篭を決めた。あとから、孫からの回転灯も追加した。こういうことって、本当に分からなかった。盛篭は子供から、回転灯は孫からだと、知ったのもこの時だ。父は和室に眠っている。顔には白布がかけられ、いつでも顔をみることができる。三女と手を合わせた、今でもなんだか信じられない。母も兄も眠れなかったようだ。いろいろやらないといけないことだらけだが、母も兄も車を運転することができない。私が二人を連れていくしかない。父の代わりに。
December 20, 2010
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前日に実家の母に電話をしました。母のお絵かき教室の展覧会があるので、見に行くよと言うためでした。ところが、「お父さんが少し悪いのよ」と言ってきた。おまけに車がパンクしたという。だから車のことばかり気になって、大丈夫かな~と思っていた。とにかく、明日の午後から行くと伝えた。そして、19日、11時頃電話があった。母からだ。「お父さんが危ない、危篤、だからすぐに来て!」もうびっくりした。頭が混乱した。まず私の兄にすぐに連絡した。兄は東京に一人暮らし。今すぐ岐阜に帰ってきてと伝えた。慌てて家族みんなで車に乗り、父の運ばれた病院に向かった。車中で私は父が死んでしまうのではないかと思うと、涙があふれてきた。でも死ぬなんて思ってはいけないと、気を落ち着かせた。30分くらいで病院に着き、母のもとに。父の兄のS伯父さんがすでに到着していた。父の様子を母から聞くと、2日前くらいから体調が悪かったようだ。車もぶつけてパンクしたようだし、のどが痛いと近くの内科に行っていたとも聞いた。朝は救急車で来たけど、前からつらかったのに、我慢して、やっと今朝呼んだようだ。今日が山場で、医師はもっと早く病院に来ていたらよかったと言っていたようだ。しばらくして、父は救命救急にいて、中に呼ばれた。父は酸素マスクをつけ、話ができたけど、呼吸が荒く、あまり聞き取れなかったが、私を見て、3週間前にみんなで会食をしたときのことを、「この前はごちそうさま、一人いくらのだった?」と指を3本出し、3000円くらいかと聞いてきた。私は泣きそうなのをこらえ、「2000円くらいだよ」と答え、涙があふれた。母と父のそばにいたが、すっかり元気のない父に衝撃を受けた。息が荒く、話ももうろくにできない。手遅れだと言う医師の言葉がもしかして本当かと感じた。看護婦から入院の説明を受けた。必要なものを母と旦那と子供達と実家に取りに行った。その間、病室に入ることはできなかった。いや・・・しなかった、父のそばにいるとただ泣いてしまいそうで。それに、呼ばれない限り、面会していると父を疲れさせてしまいそうで。子供達は父には会えなかった。救命救急は子供は入れないようでした。でも父は会いたかったと思うな。救命救急の前でずっと待っていた。1時間30分くらいかな。K伯父さん夫婦も来てくれて、父のそばにずいぶんいてくれた。入院の荷物を母がもってきて、父のそばにいくと、心電図モニタがピコピコ鳴っていても、看護婦も医師も慌てることはなく、スイッチを押して止めている。でもすぐまた鳴りだす。何が悪いのかわからないまま。夕方になり、兄が東京から駆けつけた。父はもう意識はなく、きっと兄がきたのもわからなかったと思います。呼吸は荒く、目が合うこともなく、ただ生きているだけの状態でした。病名は肺炎と告げられました。40年近く糖尿病と闘ってきたため、それも関係しているとのこと。家族みんなが呼ばれ、父の元に。私は父の手を握り、ただ「がんばって、お父さん」と言うのが精いっぱいでした。心臓マッサージを医師が交代でしてくれましたが、父の心臓はもう戻って動くことはありませんでした。医師はもう手の施しようがないと告げ、そのまま死を待つか、心臓マッサージを続けるか聞いてきました。兄は「できるだけのことはしてください」と言い、20分間心臓マッサージをしましたが、やはり自力での鼓動はできず、18時37分、逝去しました。母も、兄も旦那も私も、泣いていました。手はまだあたたかったのに。握り返してはくれませんでした。しばらく家族だけにしてくれて、父に別れを告げた。ただただ涙があふれた。母が点滴などを抜いてくださいと頼み、家族は外に出て待っていた。ここは救命救急。周りは治療をしている人などがいる。こういうところで人って亡くなっていくんだなと実感。待合室にも人が大勢待っている。泣いている家族は私達だけだ。まず親戚に電話をした。こういう時、何からしてよいのかわからない。待っている間、看護師により、点滴の器具などを取り外し、死後の処置(清拭ともいう)が施されたようだ。詳しいことは見ていないので分からない。でも、新しい着物に着替え、髪が整っていた。顔を白布で覆われ、救命救急から出てきた。看護師が霊安室へと運んでくれた。行くまでの廊下がうす暗く、さみしい感じがした。霊安室は3部屋あり、そのうちの1部屋に安置された。父は葬儀社の会員になっており、そこに電話をし、遺体を引き取りに来てもらうことになる。死亡診断書をもらいましたが、死因は肺炎、その他の要因として、糖尿病と書かれていました。長い間、糖尿病と闘ったけど、やっぱり勝てなかった父。母と兄は、迎えに来た葬儀社の寝台車で自宅に帰りました。私と旦那は子供達は旦那の両親の家に行っていたため、病院まで送ってもらってきて、そのまま引き取った。泣きはらした顔の私を、子供達はどう見たのかな。車中で、長女は時間ばかり気にしていた。今夜は帰るのが遅くなりそうで、明日はまだ学校があるからだ。まだ宿題終わってないとか、明日起きれなかったらどうしようと、心配しているのだ。こういう時にもそういう心配ができる長女。何も話さない次女。眠っている三女。実家に着き、父は和室に寝かされた。通夜と葬儀の日はまだ未定。20日は先勝、21日は友引、22日は先負。友引に葬式はないとは思った。だから、22日が葬儀になりそうだった。私達家族は、いったん自宅に戻った。時刻は23時くらい。子供達を寝かせ、旦那と少し話をした。父が亡くなることは覚悟できていたつもりだった。でも突然のことで、心がついていけない。これからどうすればよいのか、本当に分からず、今は悲しむことしかできなかった。
December 19, 2010
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リンレイのフローリング専用ワックス500ml1本/オールワックスワイパー1個をタメしました。わが家は12月に入ってからワックスをかけようと思っていたので、ちょうどよいタイミングでタメすことができました。ワイパー付きで、液体タイプなので床のつやがなんともいえず良い感じです。ワックスかけたーって感じがします。これは旦那の仕事なので、私はしていませんが、家じゅうピカピカです。長持ちすると書かれていたので、期待しています。
December 12, 2010
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カルピス株式会社の「Welch’s」ロゼスパークリング 450mlPET 8本セットをタメしました。 クリスマスのシャンパンみたいで、子供達に良いかと思って購入。炭酸なので、三女は飲めませんが、旦那も子供達が飲む前に勝手に飲んでいました。ぶどう系のジュースは大好きです。クリスマスはケーキとピザとウェルチで決まりだね。
December 11, 2010
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外出して、その帰りにコンビニに寄ってお昼ごはんを買うことにしました。三女のセレクトしたものは、こちら。大好きなカフェオーレとドーナツ。う~ん、母的にはありだけど、栄養面ではだめですよね。いつもはもう少しよいものを食べさせてますよ~。でも幼稚園まであと3か月あまり。一緒にいられるのももう少し。幼稚園ではお給食が出るから、栄養もたくさん摂れるよね。今日のランチでした。
December 10, 2010
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宅急便が届き、カバヤからだと知り、もしかして、「ジューCオリジナル抱きまくら」が当選した!!かと思い、胸が高鳴った。前から抱き枕が欲しいと長女が言っていたので、がんばって応募した。でも、送られてきた箱は小さい。開けてみると、Wチャンス賞のランチボックスが入っていた。な~んだと、みんなでがっかりしてしまった。まぁ、でも当選は当選だからいいかな。
December 6, 2010
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2010年10月23日に家族で彦根のゆるキャラまつりに行ってきました。今回で2回目です。家族みんなひこにゃんファン!た~くさんのゆるキャラがいましたよ!お目当てのひこにゃんを見るために早くから場所取りをし、待っている人が多かった。私達は時間ぎりぎりに着いたので、裏側からちらっとしか見られませんでした。でもかわいかった!とおりを歩いて、裏のほうに、ひこにゃんの顔がくりぬいてある看板を発見!三女に顔を出してと頼んだら、背が低く顔が全部入りませんでしたでもお気に入りの一枚になりましたよ。私達の住んでいる岐阜市のゆるキャラもいますよ!やななって知ってます?結構人気あるんですよ。 5つのブログネタから好きなテーマを投稿しよう思い出をカタチに残すフォトブック
December 1, 2010
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