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おかげさまで、父は、新しい鎮痛剤3日めにして、吐かずに過ごせたようです。少しずつなじんできているようです。食欲についても、長~い目でみないとね。今日は、薬剤師さんから電話もあり、母をも支えてくださってます。感謝です。父の食事療法についても、各方面から色々アドバイスもいただきまして、ホントに感謝です~。
2007.11.30
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夕方、母に電話しました。小波「お父さん、どう?」母「昨日が疲れすぎて、今日はダメだね。」お昼頃、吐いたというのです。その後も吐き気が続き、畑から戻ってきたら、母が用意したおかゆもゼリーも食べてなくて、どうしよう~~と。薬の変更があったことは知っていましたので、便秘のせい?ということに。そのあと、私が弟からのメールをチェックすると、新しい鎮痛剤に、吐き気、便秘の副作用がある旨、説明があった事。困ったら薬局に連絡してと言われた事が判明。また、母に電話。新しい薬のせいらしいよ。薬剤師さんが、困ったら電話して、と言ってくれたらしいけど、と伝える。母は、すぐ薬局に電話したらしい。夕食後、また、母に電話。「どうなった?」やはり、新しい薬のせいで、誰でも慣れるまで、吐き気がある。食べられなければ、お味噌汁だけでも飲んでおいて、と話があったと。昨日もコウジさんに言っておいたんだけど…母「全く、二人して、何も言ってくれないから、心配したじゃない」そうだよねぇ。そばにいて、お母さんが一番困っちゃったよねぇ。早く、メール、見ればよかったのに~、ごめん。父曰く「昨日は、具合が悪くて、聞こえなかった」ですと。そして、吐き気がおさまらないからと、母の作った味噌汁も飲まず、ファンタを飲んでいましたと。とりあえず、飲めるものから飲んでね。母のうろたえぶりが、伝わりました。弟2号も心配し、母に電話したようです。こちらから連絡しないと、何も言ってこない両親です。こまめに、状態を聞いて、時に母の状態も確認しないとね。
2007.11.28
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今日は、父コウジの受診日でした。緩和ケアの内科の、2回目。弟2号が付き添ってくれました。いつも、私が会いに行く日、病院に行く日などは、気持ちの問題なのか、照準を合わせたかのように、元気になる父でしたが、今日の父は、いつに無く、元気が無かったようです。外来で1時間待っているうちに、気分が悪くなり、弟に、「少し早くてもらえないか、聞いて」と、言ったりしたそうです。担当の先生は、「大変でしたら、往診しますよ」と行ってくださったとか。顔色も悪かったのでしょう。今回の変更点は、・ステロイド剤の増量・下剤の変更・痛み止めの追加(モルヒネ系)・抗うつ剤の減量・効いてないと思われる薬の中止などでした。食欲が落ちてきていて、体重も-2キロということで、こうなったようです。先日の電話では、私に「治療はどうするの?早く始めないと。」と、言った父コウジ。苦痛をとり、普通の生活を送ることより、腫瘍の増大が、不安で仕方が無い、という感じ。家族の思いと、患者本人の思いが、まだ、一緒になれていない…。
2007.11.27
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穏やかな日の今日、お昼頃、るりさん宅の蘭丸くんが、天国へ旅立ちました。体調を崩してわずか3週間足らず…。腎機能不全で亡くなりました。8歳だったそうです。葉月君の先輩であり、よき理解者であった、蘭丸くん。(るりさんの、お気に入りの写真です)遠くにお仕事に行っていたご主人の帰りを待つかのように、るりさんとご主人に見守られ、息を引き取ったそうです。心から、ご冥福をお祈りします。るりさま、ご主人様、どうぞゆっくり、元気を出してくださいませ。
2007.11.25
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今日は、小学校の、保護者面談でした。昨日の、今日ですから、何を言われても、もう、驚かないぞ!と覚悟して、行ってきました。担任「1号くんについては、私からは、特に何もありません。」私「……そうですか。運動会も文化祭も終わって、今、フヌケ状態ですが、」と、最近の1号の、打ち込むものが無い様子を話しました。文化祭の話が出たところ、彼女の話が、担任の先生の口から…先週の土曜日、1号の小学校の文化祭でした。なんと、隣の小学校に通う彼女は、塾友一人を伴い、1号のクラスに、朝からやってきて、準備から、片づけまで、行動を共にしたというのです。文化祭といっても、午前中は校内の時間割がありました。一般公開は午後からのはずでしたよお昼はお弁当だったのですが、先生が気を利かせて、1号の近くに席を用意し、二人分のおもちを出してくださり、一緒に食べたそうですの。信じられナ~~イ積極的~~おまけに、後日、クラス宛に、感謝の手紙とイラストを送ってきて、それが教室に貼ってありましたの~~~塾で、1号と席を離されて、泣いてたという話と、えらい違いそして、隣の小学校の児童も受け入れてくれちゃう、担任の先生にも驚き~~。担任「来年は、同じ中学校ですし、お祭りとかは、二人で行くんでしょうね。 爽やかな、BFとGFってかんじで」…ですと。…私、この話に、ついていけない…
2007.11.22
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今日、神奈川1号の塾の、面談がありました。最近の1号の学習態度・成績に、問題アリ、というのです。お付き合いしている彼女と、おしゃべりばかりしていて、勉強に集中できていない、というのです。はいかのじょだ~~「お母さん、お気づきではありませんでしたか?」わ~おきつい質問最近、息子に女の子から電話が、頻繁にかかってきてることは知ってました。塾の宿題に、間違いが多いことも、気づいていました。でも、それとこれが結びついてるとは、思っていませんでした。以前、1号にはお気に入りの女の子がいたのですが、転校して行ってしまったのです。それからは、女の子の影は見当たらなかったのですが、そうですか…そうきましたか…6月の塾面談の際、グループでしゃべっていて、集中しない、と先生から聞いていました。どうやら、その中の一人から、告白されたらしいのです。最近の女の子は、はっきりしてるというか、なんと言うか…で、1号も段々、まんざらでもない感じになり、塾では公認の仲らしいのです。はぁ~~先生が、二人の席を離そうとしたら、彼女に泣かれたと。それで先生も困って、私に何とかして、と。…何とかって、いってもねぇとりあえず、おしゃべりしないで、集中してやる。彼女との会話は、学習終了後に。と話しました。「ハイッ!」「ウィ~ッス!」しか言わない息子…。しっかりしろよ~~。色ボケするには、まだ早すぎる~~~。オット「もてないより、いいんじゃない」って、笑ってました。いいのか?それで…
2007.11.21
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おかげさまで、父コウジは、新しい痛み止めで、背中の痛みが随分、とれたそうです。背中に貼る、湿布も毎回でなくなったそうですし、何より、畑に出かけた、と言うのです、二日も続けて。長いもの収穫中なのですが、どうしても気になってる畝(うね)があって、母にまかせておけなくて、見に行ったらしいです。見に行ったら、当然、手も出したくなるわけで、掘るのを手伝ったんですと。母が止めるのも聞かず。好きなだけやらせてあげたら~、と私。次の日、また具合悪い~、とか言われる身になってよ~、と母。まだ、弱い痛み止めです。効かなくなったら、次のレベルのがありますから、先生に言ってね。ともかく、緩和ケアチーム医師からの、1回目の処方は、功を奏してる。よかった。
2007.11.20
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昨日、お仕事でした。そして、同僚と、けんかしました。5年間で、初めて小波の爆発です。この年になると、けんかなんてしないと思ってましたが、どちらも大人げないわけで、そして、結構疲れました。~~~~~~来週の月曜も、外来の混雑が予想されます。この前の金曜日も、111人という数をたたき出し、外来は、メッチャ、混んでます。今、インフルワクチン接種と、風邪の患者さんが多いのです。そんな中でも、前日分の血液検査の結果伝票を、カルテに貼らないといけませんの。いわば雑務です。第1ラウンド土曜日、外来が終わって、「残業しようか」と私は言いました。同僚は、「残業は能力の無い人がやること。私はやりたくない」と。私は怒りました。「能力の問題じゃなくて、月曜日の予想をすれば、分かるでしょ」「忙しいのに伝票貼ってたら、間違えたりしやすいし…」同僚は、「先週とかは、空いてる時間あったけど…」アッタマ来た!!しれ~っとしたその言い方。忙しい空気を読まずに、いつもふらふらしてる人は、お前だ~~、と思いました。結局、別の同僚が、サクサクとカルテを出してきて、伝票張りの準備を始めてくれました。私には、トイレ掃除、モップがけなど他の仕事が残ってました。さっき私とバトルした同僚が、「時間があるから、少しやってくね」と一人伝票を貼り始めました。(わざわざ、私に言い訳しなくてもいいのにね)私も自分の仕事を済ませ、黙って伝票貼りに加わりました。第2ラウンドかの同僚が、「さっきは私も言いすぎたわ」と私に向かって言いました。私は、許せなかった。全然許せなかった。「私も」の「も」は、何???私は何の迷いも無く言い放ったの。「理解しあえなくても、それでいいと思う。」空気が凍ったね…。私は彼女とは、仕事が前からしにくかった。私より年下だけど、上から目線だし、空気読めないし…。忙しいのに、ダンボールとか片付け始めるし…だから、私は言いました。「パソコンの前で寝てる人に、能力が無い、とか言われたので、頭にきたの。」彼女「寝てるったって、ほんのチョットでしょ。」「そんなふうに言わなくても…」私「以前から、寝てることはみんな知ってます。だけどお疲れなんだなぁ、家が大変なんだなぁ、と黙ってきたの。昨日、今日のことではありません」あぁ~~、やっと言えた。それが言いたかったんだ、私。彼女は素直じゃありませんから、ゴニョゴニョ言ってたけど、よく聞こえませんでした、私も頭に血が上ってますから…。第3ラウンド帰宅直後、電話がありました。けんか相手からです。めっちゃ、けんか腰です。「こうなったから、言うけど、私こそ小波さんのフォローをいつもしてるんですけど~」「患者さんにもっと優しくしてあげないと、K先生に泥をぬることになるでしょ」…私が、血圧測定の時間や、薬の飲み方の説明をしているのを聞いていたらしい。その後、心電図を測りながら、患者さんが「怒られちゃった~」と言ったと言うのだ。はぁ~~~???いつ?誰?何人?きつい言い方で、心電図をとってるあなたに言われたくない!!私は怒りで、絶句した。タバコに火をつけた彼女はしゃべり続けた。子機のせいか、何言ってんだか、さっぱり聞こえない。音量を上げてみた。ずっと、黙って聞いていた。話したいだけ話せばいい…また、タバコに火をつけた彼女をここまで追い詰めたのは、誰?そう、私。私がけりをつけなきゃ。もう1本タバコに火をつけ、心して私は話し始めた。「本心を言うわ。」「私はあなたを当てにしてるのよ。頼りにしてるわけ。だから、パソコンの前に行ったきり、帰ってくるまで、ずうっと待っているのよ。いないと、困るのよ。」「感情的になったこと、悪かったわ。落ち着いてきちんと話すべきだったと、反省している」と。その後も彼女は、泣きながら、「最近は検査が多くなって、余裕がないけど、人間ヒマに慣れちゃうと~」とか、「仲良く仕事をしていきたいから~」とか、言ってましたが、子機のせいで、ホント良く聞こえない。最後に、私「この前、父の受診に付き添って、すごく丁寧な対応をしてもらい、うれしかったの。だから、私も心を入れ替えて、患者さんに応対しようとおもう」と言いました。そして、彼女に「言いたいことはもう無い?」と確認して、お互い、月曜日からまたよろしく、と電話を切りました。私はスッキリしました。売り言葉に買い言葉で、始めてしまった大人げないけんかでしたが、言いたいこと言えたし、どうやら、私の患者さんへの対応もきついことが分かったし…もっと、こころ大きく、穏やかに、話しかけましょう。患者さんを、追い詰めては、いけませんから。彼女とも協力して仕事していかなくてはならないわけで…だったらもっと、やる気の出るような言い方しなきゃね。仕事して欲しかったら。そこん所、反省。
2007.11.18
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先週オットは、三重県、静岡県へ出張でした。2泊3日。お疲れ様です。で、お土産のいろいろ。お土産、「赤福」は買えませんでしたね。それから、即行食べちゃった、「伊勢うどん」もありましたのよ。お茶は風邪予防にもなるし、何より大好きだから、毎日何杯もいただきます。タイマーかけて、湯冷ましもして、わりと丁寧にね。そうすると、日本茶も、美味しい~~
2007.11.16
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弟2号からのメールです。昨日14日、地元病院の受診に付き添ってくれた、報告です。~~~~~~本日、地元病院へ行き、主治医と話してきました。以下その様子です。診察室に入ると、主治医は総合病院のY先生からの手紙に目を通し始めました。手紙はA4にびっしりと文字が書かれていました。横から覗き込むと、中段あたりに、「抗がん剤治療を休止し、体力回復に向けた治療へ・・・」と書かれており、前回Y先生と面談した際のこちらのコメントが読み取れました。手紙にひととおり目を通すと、主治医『分かりました。コウジさんは総合病院の方で頑張るってことですね。』父・弟 うなずく。主『この前、総合病院の緩和ケアで報告会があって、僕も一事例報告したんですけど、 その時にこのY先生と話をしましたが、彼は若いですけど、非常にやる気があって優秀ですよ。 それに、コウジさんが苦しんでいる部分の専門家でもあるので、いいんじゃないですか。』弟『実は総合病院では往診もやって頂けるようで、 すぐ隣りの家に病院の車が停まっていた事があったのですが、 どうもそれがY先生だったらしいです。 父の今後の経過を考えると、往診して頂けるという事が、今回の結論に至った要因の1つです。』主『へぇ~、そうなんですか。』(総合病院の往診は知らなかった様子)弟『ただ、先生にはこれまで一番長く診て頂いていますし、今回は我々のわがままで病院を移らさせて頂きますが、 実際に入院等になった場合は、家族としても家から通いやすいこちらの方が、となる事もあるかと思います。 そう言った場合には、また先生にお願いできたらと思うのですが・・・。』主『僕は全く問題ないですよ。相談にものりますし、通院が必要な場合は電話予約してもらえばいいですから。』主『薬出していいかな?』父・弟『色々ありがとうございました。』Y先生からの手紙があったお陰で、話は非常にスムーズに終わりました。また地元病院に戻る件についても、主治医に了解頂けたので、良かったと思います。これからはY先生とお付き合いしながら、痛みが無くなり、生活が少しでも平常に戻る事を祈るばかりです。(一部抜粋)弟2号、ありがとう。大変気持ちよく、転院の挨拶ができてよかったです、本当に。もしかして、またお世話になるかもしれない地元病院に、つながりをつけたままにできたことが、よかったです。そつない、弟の対応に、感謝。気持ちよく送り出してくださった、主治医にも感謝。そういう方向になるようなお手紙を書いてくださった、総合病院のY先生にも、感謝。みなさんの、大人な対応に感服。さて、今朝、今話題の、JULEPSというグループの歌を聴きました。いつの間にか、泣いてましたの。よろしかったら、クリック↓旅立つ日&続編
2007.11.15
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神奈川1号について、お見舞いメールやコメント、たくさんいただきました。ありがとうございます。休日診療所に行った晩が、一番辛そうでした。私が出かけた昨日は、朝5時半ころ、熱は37.8度。枕元でささやいてみました。「ママ、出かけてもいい?」「いいよ~」と眠ってしまいました。そして、出かけてしまいました。携帯で何回か連絡しながら、熱は37度代で経過。よかった~。今日はようやく36.7度とか。食欲は半分も無いのですが、壊れたかのように、よくしゃべります鼻づまりがひどいということで、風邪薬も1回飲んでみたのですが、そのせい???とにかく、元気です。平熱になった翌日、治癒証明を書いてくれるということなので、明日、小児科へ行く予定です。みなさん、ご心配おかけしました。インフルエンザ中の1号の一言「金田一少年の事件簿は薄い!」父と母から、「ボの字が違うよ~~」と突っ込み。「おいら熱、出てるから~」
2007.11.13
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父コウジ、新しい病院、受診しました。今日は、日帰り強行軍でした。幸い、弟が運転手を引き受けてくれましたので、何とかなりました。10時半には3人で病院に到着。受付も連絡が行っていたのでサクサクと。外来ではなく落ち着いた部屋へと案内されました。私が用意した資料とレポート、お薬手帳を出しました。まず、発病からの流れを、父本人から、じっくり聞いてくださいました。途中私が口をはさみつつ、9年間について、三十分以上かけて話しました。次に、どんな苦痛があるか、何に困っているか聞いてくださいました。そして、診察。そしてこれからどうしたいか?地元病院の主治医との関係をどうするか?こちら総合病院では、在宅ケアもやっているので、実家への訪問も可能との事。実は明後日、地元病院に受診する予定です、と話すと、それまでに返事を書いて届くよう手配してくださると。夕方届ける紹介状を見て、私の方から転院を勧めたことにしましょう、とまで言っていただきました。痛みについては、まだ何も使ってないので、モルヒネでなく、まず普通の鎮痛剤を内服してみてと。さらに屯用で坐薬が処方されました。最後に、父コウジ自ら、「こちらの病院で診てもらいたいです」と、意思を医師に明確に伝えたのが、印象的でした。色々と、きめ細かい配慮に感謝感謝です。そして、約1時間半を超える話が終わりました。ずっと傍らで聞いていたナースさんが最後ドアの外まで見送り、「話したい事話せましたか?聞きたい事聞けましたか?お疲れになりましたでしょう」と。優しい心遣いに涙が出そうでした。ところで、父は、医師の前では咳一つしないんですよ(>_
2007.11.12
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小波です。私は今日から信州のはずでした。明日は、父コウジの受診に、弟と付き添う予定ですの。息子神奈川1号が、昨日から微熱気味。とりあえず、風邪薬を飲ませ、休ませました。母は、月に1度か2度しか、家を空けないのに、そのタイミングで風邪朝から、ごろごろと過ごす1号。お昼頃、38.0度に。え~っ、母はもうすぐ、特急列車に乗る予定だのに~。仕方なく、夕方の列車に変更。明日学校への欠席届も書きました。さあ、休んでもいいぞ!4時過ぎ、お昼寝から起きた1号。検温すると、39.2度オイオイ、インフルエンザか~~。速攻休日診療所へウチの先生が、内科の当番医でした。検査はすぐ出ました。A型(+)インフルエンザです~~。今晩は、行くのを中止。明日早くに、出かけます。1号、頼むよ。元気になってくれ!
2007.11.11
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9年前、父コウジ66歳の秋、稲刈りの頃、直腸癌が見つかりました。痔で、消化器科に通院してたのに、見つけたのは、父の「がんかもしれないから調べて」の一言からでした。脱穀も終わって、11月、開腹手術を受けました。約1年半後、イレウスを起こし、入退院を繰り返しました。本当に辛そうな時期でした。弟2号の結婚式のために、病院を抜け出し、その夜には、また詰まってしまい、即行病院へ。高圧酸素カプセルにも入りましたね。そこからは、しばらく、がんのことは忘れて、過ごしていました。手術から丸5年を過ぎた頃、体調不良になりました。たまたま市の検診をうけ、肝機能の異常値が見つかり、総合病院に紹介されました。CTの結果を見て驚いた消化器科の医師は、家族を呼びました。小児頭大の塊が、肝臓に写っていました。肝臓転移が、ようやく、というか突然見つかったのです。外科へ転科し、手術を受けました。邪魔なものが取れた父は、それは元気そうでした。食欲バリバリ。退院の時、2年以内に肺へ転移する確立は50%と、説明がありました。しかし、半年後には、肺へ転移。早過ぎ~。また、入院、手術です。気持ちの休まる間もなく、次々と立ちふさがる問題。でも、父はいつも食欲だけは旺盛でした。そこから、1年2ヶ月、抗がん剤の点滴と内服を頑張りました。吐く事も無く、おなかは妊婦さんのように、ふくれてました。元々少ない髪の毛は、更に少なくなり、やがて黒い髪が生えてきて、再生を喜んでいました。そんな思いもつかの間。肺の腫瘍は、へこたれることなく増え続けました。そして、一つ大きな影が右肺に成長して行きました。「バッサリ切りましょ」外科の主治医は言いました。これが去年の初め。手術を避けられないのか、私の病院探しが始まりました。これが小波のブログを始めるきっかけですの。去年の3月に、東京のがん専門病院で、放射線治療を受けました。効果の見られない抗がん剤は中断して、何もしないまま、効果の判定を、3ヶ月待ちました。「消えている!」4×4×3センチ超の塊が、CTから消えていました。うれしかったですよ~、あの時は~。更に3ヵ月後には、放射線後の肺炎になりました。なる人もいる、というはずでしたがしっかり、なってしまいました。呼吸が苦しい、息が大きく吸えない、しゃがんで作業ができない、など苦しさが出現して驚きました。少しずつ楽にはなるだろうけど、やけどの跡のように、引きつれて、元には戻らないと言われました。このことも、結構ショックでしたね。しかし、この前の冬を、ひどい風邪をひくことも無く、骨折した母の世話を一人で頑張って、無事に今年の春を迎えたのです。今年3月に、去年放射線を受けた病院に、1年後の評価を受けにも行きました。胸のリンパ節が腫れているので、また転移が始まっていることが告げられました。何度目でしょう。また、悪いしらせです。(検査結果で、良くなっている、と言われたのは、1回だけ)そして、5月末にCTを撮りました。翌6月結果を聞きに。細かい転移が、両肺にいっぱい広がっていました。気候が暖かくなり、体調もいいです、と話す父に、主治医は、残酷なCT結果を伝えました。二日後には入院し、新しい抗がん剤にトライしようという話に。打ちのめされた父は、帰宅しても口をきかなかったほど。6~8月、最新の抗がん剤を埋め込んだポートから、点滴しました。コレまでに無い、副作用に苦しみ、もうやめたい、と父が弱音を吐いたほどです。8月末、CTを撮って効果が全くみられていなかった時、またまたすごいショックでした。そして、この治療は中止となりました。ところが、抗がん剤をやめても、体力も気力も、以前のようには戻ってこないのです。肺の痛み、咳、倦怠感、食欲不振…辛いことばかりそして、あざ笑うかのごとく腫瘍マーカーは三桁になり、。こうして、丸9年を迎えました。10年目は、どんな年になるのでしょう。苦痛を和らげ、穏やかな年にと強く願っています。
2007.11.10
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小波です。一晩考えて…、やはり、紹介状を書いてもらい、CTも借りることにしました。後から届ける形になりますけど、主治医の言うこともモットもだと思ったからです。書かないとは言ってないわけで、忙しいのに書いていただけるのですから、感謝し、届けたいと思います。先ほど病院に電話し、主治医は不在でしたので、外来ナースにお願いしてと、伝えておきました。どうして、昨日思いつかなかったんだろ!焦ってたのかな。
2007.11.08
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来週、月曜日午前中、近隣の総合病院の予約をとりました。父コウジとともに。昨日も色々、各方面に連絡しまくって、電話のやり取りもたくさんあって、私と弟2号が付き添うことになりました。(やっとこさ~)そして、今日、夕方、その病院から電話。昨日電話相談に対応してくれた、緩和ケアチームのナースから。「CTはいつ、病院に借りに行く予定ですか?」月曜日です。「主治医の先生には、紹介状をお願いできそうですか?」はい、以前にも、お願いして、書いていただきました。「できれば、できればですけど、紹介状があった方がいいのですが…」わかりました。明日電話してお願いしてみます。「電話でお願いして書いてもらえますか?」電話でお願いしたことは無いのですが。外来でお願いすると、3時までに地域連携室に届けておく、という方法で今までもやってました。月曜日に間に合うよう、お願いしてみます。電話切る。…しばらく考えて、明日より、今なら(夕方6時)病院に主治医はいるはず。早めにお願いしてみよう。そう考え、電話してみました。いました。今、お時間、大丈夫ですか?隣市の総合病院の緩和ケア科に、受診したいのですが、紹介状とか、CTをお借りしたいのですが、お願いできますか?「いいですよ!月曜日の夕方、取りに来てください」あ~、月曜日の午前中に行きたいので、朝までに書いていただくわけには~?「無理ですね。」CTだけでもお借りできませんか?「紹介状も無しに行くなんて、診てくれませんよ」いえ、あちらが、CTだけでも良い、と。できれば紹介状があると、というお話なのですが~「CTだけなんて、ルール違反ですよ。」そうですか、わかりました。(しょぼん)電話切る。……緩和ケアチームの担当ナースに、即行電話。すみません、紹介状はお願いできませんでした。CTも借りられませんでした。月曜日の夕方なら、書いてくださるそうなのですが。「分かりました。担当医に代わります」「担当のYです。外科の先生はお忙しいのでしょう。」すみません。月曜日以降なら、大丈夫なのですが、急には書いていただけないようです。「患者さんご本人がいらしてくだされば、それでいいですよ」「娘さんからもお話を伺えば、それでいいですよ」「それでは、月曜日、お待ちしています」はい、分かりました。ありがとうございます。よろしくお願いします。電話切る。~~~。モヤモヤした気分でした。今日は水曜日。お願いしたいのは5日後の朝。以前書いてくださった紹介状もあると思う。少し手直しして、書き直してくださるわけには行かないのか。すみません、わがままで。結局、主治医の病院には寄らずに、直接、隣市の総合病院へ行くこととなった。~~~。実家に電話。主治医のところは寄らずに行くことになったから、と伝える。母曰く「考えようだね。直接行くことになって、待たなくていいんじゃない?」そうね!そういう考え方でいきますか。CTは無いけど、CTの所見(放射線科医のコメント)をコピーしたものを、たまたまもらってるし、血液検査の結果も手元にある。何も無いわけじゃない!前向きに考えよう。それならその方が、弟の都合も良いし。やはり来週、月曜日午前中、近隣の総合病院を受診することになりました。そして、その結果、父の症状コントロールができるかが、問題なのです。
2007.11.07
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父コウジについて、「かかりつけ医はいないのですか?」という質問をいただきました。……その一言で、考えたのです。今の主治医は、「最後まで面倒みますよ」なんて、何回も言ってくれましたが、自分の親だと思って、丁寧な親身な治療をしてくれてる?8月末に訪れたセカンドオピニオンの病院でも、些細な苦痛から、それを軽くする、取り除く治療をしてもらいなさい、とアドバイスがあった。そして、主治医にもそのお手紙は渡したのだが、「麻薬は最後まで使いたくないでしょ?」とか、「一日寝たきりになっちゃうしね~」と、緩和ケアについて、消極的。…外科医ですから。無理な望みは止めましょう。餅は餅屋。がんの末期のこの時期は、専門の緩和ケアチームに任せたらどうなのだろうか。幸い隣市の総合病院の、緩和ケアチームが診てくれるという。明日にでも、と言ってくれたのだが、私も弟も、急には動けない。ごめん、お父さん。来週、行きましょう。主治医にはお世話になったけど、最期を診てもらうのは、違う医師でもいいでしょ?もしかしたら、また、戻ってくるかもしれないけど…
2007.11.06
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弟2号からのメールは、先週、私が感じた以上の、辛い内容でした。父コウジは、まだ運転はできました。しかし、先週も本当に辛そうでした。途中で、眼鏡をはずしたりして、「苦しい…」と、言ってました。「運転代わろうか?」と言っても、マニュアルの軽トラは、私には無理かも。そばで見ている、母も、さぞかし辛いだろうし。来週は、入院を念頭に、転院も考えてます。隣の市の総合病院には、緩和ケアチームがあると、聞きました。先ほど電話で確認しました。明日午後、電話ですが、面談の許可を取りました。短期の入院でもいいから、苦痛をとってもらいたいからです。なんとかせねば!!動け、小波!!
2007.11.05
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弟2号からのメールです。11/3(土)、コンバインの後始末の手伝いで実家に帰りました。その時の父の様子です。◇父の様子●食事 食欲もなく、また固形物が喉を通過する際に咳を誘発するようで、 まともな食事ができない状況になっていました。 口に入れていたのは、お茶、ウィーダーインゼリー、煮込んで軟らかくしたしたそばでした。 母曰く、『味噌汁も飲まないし、何買って来ても食べない』とこぼしてました。 ●咳 お姉さんに買ってもらった、新肩たたき機を使っていました。 背中に温湿布を貼るといいらしく、右肺の後ろ辺りに貼っていました。 ネブライザーは『水だけでも良いと先生が言っていた』との事でしたが、まだ使ってないようでした。●容態 会話は普通にできますが、時折顔を下に向けながら深いため息をついていました。 相当具合が悪そうです。 また顔色も前回よりも悪く、食事をしていないせいか、顔が小さくなったように感じました。●母からの情報 気持ちが大部落ち込む時があるらしく、 『家に誰もいないと寂しい』という事を言うようになったそうです。 病気で気弱になったかと思ったそうですが、 家に一人でいる事が苦痛になるほど、精神的に落ち込み始めているのでは、と心配してました。 ただ、いつものようにあれこれやったらどうかと提案すると、『うるせえ~』と大きな声を出す時があるそうです。 大きな声が出るだけ元気な証拠という事で、『まだ大きな声がでるじゃん。』というような返答をして、 励ましているそうです。 父がそれを聞いてどう思っているかは別ですが・・・?●雑感 前回帰った時にも感じていましたが、母の父に対する対応がとても丸くなってきました。 歯に衣着せぬ言い方が多い母ですが、昨今の父の状況から、母は母なりに考えるものがあるのだと思います。 田んぼで、コンバインの後始末をやりながら、 『来年は、お米作れないねぇ』と言っていましたが、自分も正直そう思います。 お姉さんのメールにもあったように、この冬を乗り切る事が・・、かもしれないと改めて感じました。 『死に向かってどう生きるかは、周りも対応が大変だけど、本人が一番せつないねぇ、 いっそ脳溢血で行ってしまった方が何も考えなくていいし、楽だなぁ』、これも母のコメントです。 色々な覚悟と準備を始めなければ、という思いを新たにしました。弟2号へあなたが置いていった、松本3兄弟の写真を、父は、繰り返し、繰り返し、見ていましたよ。幼な子は、病人さえ癒す、と言われています。幼い孫の写真は、おこたつにあたっている父の、唯一の楽しみなのですよ。また、新しい写真、届けてあげてくださいね。
2007.11.05
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またまた、オットの当選品です。PEUGEOTのメタルグリップペンセット実は、このほかにも、今日の富士SWのGT最終戦の入場券も2枚組みで当たりました。が、まだ神奈川1号とけんかしてましたから、今日は行きませんでした。入場券は1号の友達一家にあげました。1号は、本日サッカーの試合に行きましたとさ。
2007.11.04
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学園祭の季節です。オットは、神奈川1号を誘って、今夜の学園祭のライブに行く予定でした。今朝、オットは、1号に、「学校から帰ったら、すぐ出かけるから!」と確認をしていました。ところが、学校から帰宅した1号は、さっさと塾へ行ってしまったらしいのです。4時過ぎにオットは、自宅に戻り、出かけようとしたら、1号がいない。焦って塾へ電話。「ライブに行くって言ったじゃん?」「えっ?オレ?行くんだったの?」「もう、いいっ」怒ったオットは、一人で、ライブに。七時過ぎに帰宅しましたが、怒ってます。私がとりなしても、「ウルサ~イ」「もう、いいからっ」こっちまで、怒鳴られる始末…。「何でオレが悪いの?」と言う1号を連れて、事務所まであやまりに行きました。はっきりと、行かない意思を示さなかった1号が悪い。何も言わないのは、YESと同じ。オットも私も、てっきり行くものだと思い込んでたから。その話は、1週間以上前からしてたでしょ!事務所の玄関に出てきたオットは、「反省なんてしてないんだろ?帰れ!」と取り付くしまもなし~~。大人げ無いでしょ、その態度。息子1号は、ずっと、ライブに行くのはオットのみ、と思い込んでいたわけで。今朝、言われたことも、自分が学校から帰ったら、すぐ、オットは出かけるよ、と、とらえていたわけで。1号は「一度も、行きたいか、と聞かれてないよ」と、冷静。でも、うすうすは感じてたんじゃないのかなぁ。盛り上がってるオットに、自分は行かない、と言い出せなかったんじゃないのかなぁ。
2007.11.02
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