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朝から、お団子作り。そしてなぜか、天ぷら。仏様に上げるもの、と決まってるらしい。5度なんですけど~台所母「今日はのくといに~(温かいよ~)」お団子を一つずつ食べて、お線香上げて、なぜか、こんな風に、お団子を置く。親類一族の回りも、かつての祖先さま。墓石の上に、団子をひとつずつ、置く。カラスが食べるらしい。父コウジの位牌。母「ご飯食べたような字を書いてほしいんなぁ」
2008.02.28
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夜、6時過ぎ、新幹線にて、信州に到着。駅を出ると、雪、真横に流れてます。脳内BGMは津軽海峡冬景色~(>_
2008.02.27
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ご近所や親戚への香典返しに、奔走する母と弟2号。そんな弟からのメールです。~~~~~~~母「パンいるかい?」弟「ください」そして、黒く焦げたパンが目の前に…弟「電子レンジの方が焦げずに美味しいよ。」母「この方が早いわ、チンって鳴るまで待ってらんねぇわ」弟(いつから江戸ッコになったの?)母の構造改革は国会以上に難しい!
2008.02.25
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母に、同窓会の連絡はがきが来ました。私が実家に行くと、「丁度良かった、書いて」と。住所、名前、電話番号、…を書いてっと。何て、書くの~「欠席」欠席に、○、っと。あとは~??「何も書かないでよ」○付け、それだけのために、私に頼んだの~ちなみに、去年も頼まれました。勝手に、「幹事さんご苦労様です。お正月に転倒し、腕を骨折しまして、今、身の回りの世話は夫がしてくれてます。これまでの立場、逆転です(笑)」と、書きましたところ、母は怒った、怒った(笑)。「頼んでないでしょ!」今年は、このまま、ポストに出すからね。
2008.02.23
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父コウジが亡くなりまして、死亡後は色々と、諸手続きがあるわけで。当然、市役所、社会保険庁、銀行、郵便局など、当人確認のために、母を連れて、弟2号は、駆け回ってくれました。死亡すると、銀行、JAなどの口座は凍結され、家族でもおろせません。名義変更もできません。遺族の共有財産とみなされ、「母に、一任します」と、一筆書いて子供自身のサインと印鑑証明が必要なのですと。何でも、とにかく、すごくめんどくさくて、大変らしいです。しばらく、父の口座のお金は使えませんの。そういうこと、どこで習うの?教えてくれるところは無いの?葬儀屋さんも、何も言わなかったけど!そういうわけで、父が亡くなったので、遺族年金という形で、母の年金に加算されることになったようです。ところが、その母の年金が、怪しい~。先ず、母の年金をきちんとしないと、加算してくれない、と保険庁の言い分。(おかしくない?)母は旧姓と、名前も変えてるから、検索に手間がかかる。結婚前にA社に勤めていたことは覚えていたので、言ってみると、「はい、該当ありました~」次、旧姓の、変更前の名前で検索し、「昭和33年頃、覚えはありませんか~?」と聞いてくる。ナンだよ、クイズ形式それ、ヒントなの母は、○○ですかい?と尋ねてみる。「県外ですね~」はずれたらしい~。それ、第2ヒントあぁ~。B社、清水市の近くの~、と母が言うと、「はい、該当ありました~」ですと。挙句に「これで、5000万件中の2件が、判明しました」と。一時間も待たされ、そして、クイズ大会。例の宙に浮いた不明年金記録に、まさか母が該当していたとは…当時の記憶が蘇らなければ、どうなるのよ。
2008.02.22
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母は、普段、毛糸の帽子をかぶっていまして、白髪も多いので、ぬぐと、ペチャンコで、まだらで、くしゃくしゃです。お通夜の後、弟二人に、「その頭、なんとかしたら?」と言われた母。「え~っ、何言ってるだい。先月美容院、行ったばかりだに~」「明日は、時間があるから、美容院でセットだけでもしてもらったら?」「はぁ~?3日ばか前に洗ったけど~」「じゃあ、告別式の日、オレがセットしてやるよ」「結構です。いい~だ。自分じゃ見ーねーから。」弟二人も撃沈。言ってきくような人でないことは分かっていましたが、先日、孫の神奈川1号に言った言葉を、そのまま、返してやりたい。お父さん!結構、お母さんて、大変だね。
2008.02.21
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髪型にうるさい、母です。人の髪型に、うるさい、のです。先日も、神奈川1号の髪型を、何とかしろ、と私に言います。私の言うことなど、もう聞かない年になったのよ~、とスルーしましたところ、「じゃあ、私が言ってやるわ」そして夜、おコタツに3人であたっていましたら、母「それは、流行かい?」神奈川1号「」母「お母さんが言わないから、私が言ってあげるだにぃ~」1号「」母「そんなおかしな頭は、切らなきゃ、なぁ?寝てる時にでも、切ってやるかぁ」1号「…」母「眼が悪いのに、そんなに眼にかかってたら、のう悪くなるに」1号「えっ、脳が悪くなるの」脳ではなくて、尚悪くなる、と言いたかったのです。神奈川1号に、信州弁は通じません。
2008.02.20
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告別式の夜、母が「芳名帳を見たい」と言いまして。そりゃそうですよ。お焼香は、どなたか知らない方も多くて、私たち親族は頭を下げて、お礼をするしかありませんでしたからね。そこで、お香典のお金の確認をしつつ、芳名帳にその金額を記入して…とりあえず、弟2人の会社関係以外の人について、私が、整理を始めました。「中には、空(カラ)もあるっていうから、確認して!」と、母。会社関係を除くと、120人くらいのお焼香があったようです。ありました。一つ。裏の金額は書いてあるのに、中身がカラ。「あった!」と、私。何となく、年賀はがきの切手シートが当たった時のような、微妙な感じ?「なぁ、あっただず~(ほらね~)」と、得意げな母お母さん、ここ、自慢するとこじゃないから。そのうち、開けた香典袋の、名前を確認していた母は、「見てみ!、字~上手いに~。これだけ書ければ、たいしたもんだ~、手質がいいに~」と、いちいち感心しながら、何枚か、名前の上手な人を、おこたの上に並べます。お母さん、上手な人の袋並べて、どうしたいの?しばらくすると、「困ったんなぁ~、はぁ~、こんなに入れてくれてる!」「どうするだい~」金額が多い人の、香典袋に話しかけています。お母さん、その方の時、その分、お返しすればいいのよ。「何を返したらいいだず?、弱ったねぇ~」 気になるなら、49日までに、お返ししたら?そんな娘、息子の声は、届きません。母の独り言は、続くのでした…。
2008.02.19
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12日私は、各方面への連絡。小学校、職場、配達生協、息子の塾、諸々…。喪服の用意、遺影探し、そして、3時過ぎの電車に飛び乗りました。6時過ぎ、新幹線駅に、弟に迎えに来てもらいました。母は、終日弔問客の対応に追われ、お茶を飲みすぎて眠れない~、とこぼしていました。13日(お通夜)朝から、JA担当者との打ち合わせ。親類当主が来訪し、幾つか指示がある。親戚の3人が訪れ、お昼、夕食の用意をしてくれる。私のイトコも来て、おこたつの番。弟1号が、相手をする。届いた棺おけが小さい、と弟が言い出す。測ったところ、足先が伸びているので、丈が足りないようだ。肩幅も窮屈らしい。一昨日の打ち合わせで、JAの方が、大きめを用意しましょう、と言ったのに、オジ5号が、「入る、入る。大丈夫」なんて、適当なこといって、普通サイズを頼んだからだ。JAのおじが来たので相談すると、すぐ連絡してくれて、交換することとなる。おじは、子供3人で出すお葬式だから、見栄を張らず、質素な引き出物、お料理にするよう私たち3人に諭す。午後、葬儀委員長が倒れる。高血圧で、気分が悪くなったそうだ。70歳過ぎの人たちばかりだから、仕方ない。連日の寒さが応えたのだろう。急遽、人選変更。委員長の交代。親類の奥さんたちが、台所を手伝いに集まってくる。スリッパで、居間の入り口はあふれている。20人以上が集まる。5時、入棺(にっかん)。JA担当者の司会進行で、通夜始まる。合掌。上着を裏返しに着て、腰縄をする。体の一部を順番に、アルコールで拭く。男の人が中心になって、父を持ち上げ、棺にいれる。ぴったり!交換してもらいよかった~。そして、三角の布をおでこに。手負いを手の甲に。脚絆をあてる。足袋をおく。杖を入れる。衣装をかぶせる。六文銭の書いた紙を胸に乗せる。以上、旅支度です。あとは、入れたいもの。父は帽子が好きだったから、四季用に四つ。メモ魔だったから、ボールペンとメモ帳。弟1号は、心配だからと、呼吸を楽にする吸入薬まで、入れてた。最後にウチで着ていた、半てんも。そして、集まった人全員で、花を顔の周りに飾り、ふたをして、左手で、くぎを打つ真似、四隅コンコン。合掌。終わり。献杯。ここから、またお食事会。子供たちは、お酌して回りなさい、と誰と無く指示が出る。酔っ払いも一人は必ずいる。にぎやかな席だ。お布施が高すぎる、と騒ぐ酔っ払いも。お酒、ビール、お茶やジュースを注いでまわる。一人ずつにお寿司をとった。洋風オードブルも、ます一匹もJAに頼んだ。あとは、奥さんたちが作ってくれた、ひじきの煮つけ、きんぴら、ポテトサラダ、大根さつまあげジャガイモなどの煮付け、片付けまで、奥さんたちがやってくれるので、そこは、早い。たくさんの残ったお料理は、お手伝いに来てくれた奥さんたちに分けて持って帰ってもらう。こうして、皆さんがお帰りになり、静かな夜に。夜は、引き出物、お料理、火葬場に持っていくもの、足り無いものなど買出しのチェック。決めることは、いっぱい。14日朝から、当主来訪。告別式の祭壇を飾る花が、足りているかなど、確認にみえる。受付、お返し渡し、和尚さんのお茶だしなど、各係りの割り振りと、連絡。午後、JA担当者と、明日の打ち合わせ。火葬場に8時って、早いね~、寒いのに~。弟1号と私の配偶者、子供たちが到着。しばらくして、近所の保養センターに宿を取ってあるので、送っていく。夕方、降りたはずの前葬儀委員長が、来訪。あちこちから、連絡が来ているが、どういう段取りになっているのか、と。説明し、当主が葬儀委員長になった旨伝える。おコメは用意したか、お布施は二つに分けたか、納骨時の団子、お線香の用意は、納骨堂のカギは誰がもっているか、あげくに、早く、夕食食べなさい、と。そんな~、お客さんいたらむりでしょうに~その方が帰ったあと、母の一言。「もう、飽きた」私たちは、さすがに大笑いしてしまった。飽きた、じゃ無くて、疲れた~でしょ?「もう、人ばっかり来て、言いたいこと言ってくれて!」「早く行ってもらった方がいい~」(さっさと通夜、告別式をしたほうがいい)遅い夕食を食べて、今夜も父と寝る。15日(告別式)今日も寒い。氷点下8度。7時過ぎから、続々と人が集まってくる。出棺はリムジン。喪主(弟2号)挨拶。マイクロバス2台で、火葬場へ。待つ間、また飲み会。乾き物、お菓子、漬物、ビール、お酒、もろもろ、持っていきました。全く、何回、献杯して、酒盛りするんだよ~~。遺骨を拾い、JAのホールへ移動。式までの時間、お腹が空いちゃうから、と助六寿司セットとお茶。また、食べるんかい!さっきまで、飲み食いしてたのに~。いよいよ、告別式。和尚さん二人登場。1時間も読経で、私はウトウト。弟につつかれました。途中の弔辞で泣いて、次の初七日法要で、またウトウト。2時過ぎ、お食事会。喪主挨拶では、弟が言葉に詰まり、会場を泣かせる4時前、お開き。親類はマイクロバスで、お墓へ。納骨です。雪かきしとけよ~、誰か~。そして、帰宅。告別式に出した生花、盛かごが、届いてます~。はい、親類のうち、友人宅へ、手分けして配ります~。まだ、休めない。最後、留守番してくれた親戚のお嫁さんや、母の姉たちにお茶だし~。お見送り~配偶者と子供2組を保養センターに泊まっているので、車で送って~。弟2号の家族を送って~。夕食食べて、芳名帳チェック。お香典の整理を少しして、もう寝ましょう。あとは明日。一日が終わりました。長すぎ~~。疲れた~~。みんなダウン寸前。お父さん、お葬式、とっても大変だったよ~。まだ、色々残ってるけど、もう、私は自宅に帰ります~。弟たちに任せて、帰らせてもらいました。
2008.02.17
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2月11日(祝)なんと、病院にお迎えに来てくれた葬儀屋(JA)さんは、親戚のおじでした。(何というめぐり合わせ…)6時に病院から、父と戻りました。おじから、これからの手続き、各方面への連絡について、指示がありました。市役所へは、おじが死亡届けを出してくださると。あとは、親類一族の当主の指示を仰ぐように、と。夜明けとともに、忙しくなりました。先ず、近所に住む、親類一族の当主に、死亡の連絡に行きました。そこから、一族に連絡網が回り、7時半過ぎには、5~6人の親類が集まってきました。お寺さんへの連絡、葬儀委員長の決定、神棚に障子紙をはる、生団子を作る、…次々と指示が出されます。台所では、その方々へのお茶だし、昼食の用意が始まりました。一番に駆けつけた親戚のおばが、ドンドンと料理を作っていきます。そして、遅れて親類の当主がやってきました。旅行中だったところ、戻ってくださったのです。改めて、色々な指示が出されます。先祖の位牌の確認。喪主の決定。葬儀の日程の調整。親類縁者への連絡。隣組への連絡。この間にも、次々とお焼香に人が訪れ、私はお茶を出し、母は、その方々に最後の様子を語る。それの繰り返し…午前中には、日程が決まりました。お寺さんに出かけた、当主らが交渉結果、12、13日は、和尚さんが東京の葬儀に出かけるので、こちらには来れないと。よって、11日夕方、枕元でのお経(仮通夜)。13日、和尚さん無しで、入棺(通夜)。14日は友引で、火葬場がお休みのため、15日告別式。もちろん、和尚さんへの謝礼金額、おコメなど、はっきり、要求がありましたと。先祖の霊に習い、戒名も位を揃えないといけないと。JAでの葬儀に決まりましたから、JAから、担当者が来てくれまして、今後の打ち合わせ。お昼を食べていただいたのは、数人の親類でした。皆さん、一旦引き上げ。親類の奥さんたちが集まってきて、お料理作りが本格化する。午後、母方の兄弟親戚が8人ほど到着。ところで、親類…昔々の血縁者で、同じ村に住み、冠婚葬祭を助け合う互助会みたいなもの。親戚…父、母の血縁者で、いとこ、マタいとこくらいまで。 冠婚葬祭には必ず、夫婦で顔を出し、台所を手伝ったりする。午後、二度目のJA打ち合わせ棺一つ決めるにも、当主、委員長(親類No.2)、親戚のオジたちが口を挟む。母は黙って聞いている。生花を幾つ出すか、花輪はどうするか、引き出物、お食事の席順…何でも一つ決めるのに、5人以上が口を出すので、決まるのに時間がかかるJA担当者もタジタジ…。まだ、日程に余裕がありますから、相談しておいてください。と、何度言ったことか…とにかく、決めることいっぱい~~~居間と座敷では、相変わらず、当主と葬儀委員長を中心に、細かな打ち合わせが続いている。お布施も用意され、表書きも委員長が書いてくださる。仮通夜は夕方5半時に決まり、各方面に連絡。和尚さんをお迎えに行くのは、親類の若手頭。その間にも、庭がぬかるんでいるので、雪かきをする人、むしろを敷く人、色々。テーブルはどこだ、灰皿は…とにかく、私たちは座っている暇も無い弟2号は、アレが無い、コレが無いと言われ、買出しに終始。台所のストーブも買ってきた。一旦、親戚の方々は帰宅され、夕方また来ます、と。この間にも、JAの配送の方が、色々なものを運んでいる。ドライアイス、お花、祭壇セット、…いつの間にか、玄関には二つのちょうちん。ようやく、夕方。仮通夜その頃には30人近い人で、家はあふれる。JAの人が、簡易靴箱を玄関に置いてくれなかったら、入りきれない。和尚さん二人のお経が済み、お帰りになったら、お食事会。というか、宴会ですな。私は宴会が始まったのを確認し、7時前に、息子1号を連れて、一旦帰宅の途に。弟2号に、新幹線駅まで、送ってもらう。間もなく弟1号が、大阪から到着するから、あとよろしくと、メール。こうして、息つく間もない一日目は過ぎていった~~~。書くのも大変(読むのも大変~~)。続きは、また次回~。(まだ、書くの~~)
2008.02.17
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皆さん、お悔やみコメント、ならびにメール、そして励ましのお言葉、たくさんいただき、ありがとうございました。自宅に先ほど戻りました。父の最後について、書いておこうと思います。2月10日(日)神奈川1号と父のお見舞いに行きました。。病院に着くと、父は寝ていましたが、声をかけると目を開けてくれました。頼まれていた、老眼鏡をかけてあげ、1号の写真を見せました。しばらく見ていましたが、「疲れる」と目をつぶります。先週のような元気がありません。病状が悪くなっています。担当のナースさんに説明を求めました。ここ数日食欲が無い事、自力で便が出せず浣腸と摘便をしている事、夜間はよく寝ているなど、話を聞けました。間も無く、日曜なのに、「今日主治医がいますから、お話ししますか?しばらく待てますか?」と聞かれました。私は入院以来、会ってないので、「待ちます」と答えました。しばらくして、別室にてCTを見ながら、話がありました。1号とともに、話を聞きました。転移したがんが気管支を圧迫し、喉笛のような音がすること、酸素濃度は足りているが、肩呼吸となり、苦しそうなので、本人の希望があれば、呼吸を楽にする薬を使いたい。しかし、それを使うと、眠った状態になるので、そろそろ、最後に会わせたい人を呼んだ方が良いと。来月の6日が誕生日なんです、それまで頑張って欲しいんですが、と言いながら泣けてきました。黙って主治医はうなずくだけです。そこまでも無理なのですね。分かりました。急いで弟二人に、来週には孫を連れて会いに来た方が良いと、メールしました。病室に戻ると父は、肩で息をしています。食事が取れないので、水分補給の点滴が、ゆっくり始まりました。主治医の声かけに、目を開け、「肩が冷たい」とハッキリ答えました。主治医も触って確認しました。温湿布が貼られていましたが、タオルを一枚、寝間着の内側に挟んであげました。湯たんぽも抱えていました。体は熱は無くて、むしろ冷たい感じでした。いつも痺れると言っていた、右手を指先から揉んでみましたら、急に目を開け、「ミヤサ(実家)に帰れ」と言いました。疲れてるの?寝たいの?と聞くとうなずきます。仕方ないです。実家に帰る事にしました。電車とタクシーを使い、帰りついて、母に今日の話をしました。火事騒ぎでなかなか面会にいけなかった母ですが、二日前に面会に行った時は、イチゴを食べたり、話も出来たのに…と驚いていました。そして、誕生日までも無理なら、お葬式の準備もしなきゃと、母もがっくり肩を落としました。夜の12時前ころまで話して、床に着きました。そして日付が変わって、11日、深夜二時過ぎ。その電話が鳴りました。母が出ますと「脈が不規則となったので、すぐに来て欲しい」と。「危篤だ!」私はつぶやきました。すぐ松本の弟2号にも、電話しました。「不整脈が出てるらしい。すぐ病院へ来て。」急いで息子1号を起こしてタクシーを呼んで病院に駆け付けました。3時過ぎに、病院に到着しました。コツコツと私の足音は、廊下に響いて怖くて膝が震えました。病室のドアを開けた時の様子が想像でき、バタバタしているナースさんや、心電図の音が聞こえてきそうで、怖かったのです。エレベーターのドアが開いて、たどり着いた病棟は、静まりかえっていました。病室のドアを開けると、ベットの横に、12時間前に会ったばかりの主治医が座っていました。何の音もしません。静寂が、こんなに怖いと思ったことはありません。動かない父が目を閉じ、そこにいました。心電図も部屋の隅に片付けられ、電源も消されていました。その瞬間、分かりました。父は逝ってしまったと…。主治医が優しく、昨日の夕方からの経過を説明してくれました。夕食もほとんど食べられなかったこと。夕食後の薬は飲んだこと。消灯後の巡視では、12時まで、息をしていたと。しかし、2時の巡視の時、息が止まっており、心音も止まっていたの発見したと。当直医が呼ばれ、その後、主治医も呼ばれたこと。「今から死亡の確認をさせてください。」「コウジさん、ごめんねぇ。」と言いながら、指で目を開け、ペンライトをかざしました。次に心臓に聴診器を当てました。「今、3時16分です。死亡の確認をしました。ご愁傷様です。」と深々と頭を下げました。頭を下げるしかありませんでした。「よくしていただき、ありがとうございました」お父さん、眠ったまま、一人で逝ってしまったのね。母と私と、息子3人で、主治医の言葉を聞きました。誰も何も話せませんでした。騒ぐことも、泣くことも、抱きつくことも出来ませんでした。しばらく、家族で過ごす時間をいただき、その後、ナースさん二人が、旅立ちの衣装に着替えさせてくださいました。体を拭かせてもらい、死化粧を手伝わせてくださいました。穏やかな顔をしていました。苦しそうな顔ではないのです。今にも目を明けて、しゃべりだしそうでした。私たちから遅れること1時間。弟2号が到着。「えっ?何で…」立ち尽くしています。母が「何の準備もしてないよ~、困ったに~。何にもしないで逝っちゃったに~」と少し泣きました。でも、すぐに「先に帰って、寝るところを用意するから」と、弟の車で、実家に戻りました。そこから、1時間くらい、葬儀屋さんの寝台車が来るまでの時間、私と息子と父で、過ごしました。それでも泣けませんでした。とりあえず、メールからブログを更新しました。この後、怒涛の日々が待ってることは、予想はしましたが、それは予想をはるかに超えるものでした。それは、また明日書きます。
2008.02.16
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皆さん、ありがとうございます。コメント、毎日読んでます。皆さんの、一言一言に、滝涙です。m(__)m明日、告別式です。明日、告別式になりました。
2008.02.14
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先程、父コウジ、旅立ちました。これから、色々と慌ただしいでしょう。今、病室で、息子1号と父と3人です。取り急ぎ報告まで。
2008.02.11
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先月末、お願いしました、そうたろうくんを救う会への募金が目標額に達しましたそうです。皆様、ご協力ありがとうございました。これから渡米し、大手術が待っています。コレからが、本当に大変かと思います。そうたろうくん、ご両親、頑張ってください。
2008.02.09
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隣組2軒の全焼から、現場検証がおわり、いよいよ、片付けの毎日だそうです。村(区)の取り仕切る人が、采配をふるって、順番にお手伝いに出ているようです。ウチは、なにせ隣ですから、「お茶碗貸して~」「トイレを貸して~」「車を庭にとめさせて~」とか来客が多いそうです。また、片付けの方々に、お茶を出したり、あちこちから、電話連絡が入ったりと、母は、多忙をきわめてるそうです。落ち込んでるヒマも無く、父に面会に行く日もなく、嘆いていましたよ~。金曜日に、ようやく、会いに行ってきたようですが。明日、息子を連れて、両親の顔を見に、行ってきます。相変わらず、ワタクシ、雨女、雪女らしく、また、お天気が悪そうです
2008.02.09
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先日の火事の翌日の、地元新聞に載りました写真です。あきらかに、ウチの木戸口から、撮った角度です。30本のホースから、放水されたそうで、周辺の家の水道は、出なくなったそうです。母は、恐い思いをしました。
2008.02.07
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実家、信州で、事件です火事です。細い道一本隔てた、隣の家、2軒が、全焼です。(上のウチと、すんこんち)今日の午後のこと。よく、ウチの実家、たすかったなぁ~~今、警察と、消防と、区民が出て、実家の周りは、すごいことになってるそうです。先ほど、母も、ご飯を炊いて、公民館に持って行ったそうです。炊き出し、ですね。実は、私が高校3年の時、前の家が、燃えました。火事を目の前で、見ましたの。今回は、2軒が全焼って、被害が大きいようです。母、忙しい日々です。
2008.02.05
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クリック、してくださいませ。携帯からは、見れません、すみません。旅立つ日つづき泣いてる日々かと、思いきや、ふざけた娘です。何見ているんですか?癒されたいんです。
2008.02.04
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病院と実家に顔を出してきました。大雪の中、強行軍が出来たのは、弟2号のお陰。11時半頃ついてみましたら、丁度お昼ご飯を頂いてるところ。一人で食べてます。おや?節分用の、落花生がありますが。「うん、昨日ついてきた」ならば、福は内~と、父に投げましたら、「鬼は外~」と投げ返しましたよ、やるねぇ。傍らに日記がありました。昨日からまた、書き始め、日にちの認識が、今日ようやく判明したと。おや? 酸素吸入と書いてありますよ。「希望したら、いいって言われてやったの」と。ネブライザーの薬もおいてあり、呼吸を楽にする治療が行われてる様子。おや?、デノさんという珍しい名前のナースさんが担当ですな。どこの人か聞いた?「○○(地名)だって!」やはりお得意の身元調査は、済んでおり。ところで、寂しくない?ウチに帰りたい?「地元病院と違い、知り合いに会わないから、気を使わなくていいよ。」おや?食後ウトウト始めました。また、夜寝ないと困りますが…。しばらく待つと、便意をもよおしたらしく、体を起こしたので、センサーが働きナースさんがきましたよ。私達は外で待ってと。手伝いたいのに…。おまかせした方がよいのですね。着替えが終わったので、許可を得て、歩行器で病棟1周しました。気分転換にね。窓からの雪を眺めたりして。ベッドに戻り、横になりました。また来週来るね。浦島さん。
2008.02.03
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良いニュースも届いております。入院翌日。母と弟2号が面会に行きました。父コウジは、はっきりと起きていて、顔色も良く、昼食のお粥も、全量摂取したそうです。家で、ウトウトしながら、介助して食べさせていたのとは、大違い。口に合う、美味しいお粥だったらしく、「胃が浦島~」と言ったとか。竜宮城に来ているみたい~、と言いたいのでしょうか。ただ、夜の行動は、忙しかったらしく、家にいた時とたぶん同じようで、すぐ、トイレに立ったりするため、転倒が心配ですから、体動センサーなるものを、最初は肩につけたそうです。しかし、それもすぐ、はずしてしまうため、今度は足につけて、足元にはベットから下りるとわかる、センサーマットが、敷いてあったそうです。そして、ベットサイドに、ポータブルトイレ。おまけに、看護師さんの目が行き届くように、ナースステーションの前の部屋に、移動されてたそうです。夜間、ナースさんたちは大変だったのでしょうね。本当に、お世話になります。丁度、面会に行ったとき、訪問看護に来てくださったナースさんが、午後、病室に顔をだしてくださり、「私、誰だか、わかりますか?」って聞いたら、「婿養子の追い出し方、教えようか?」と返事した父。その方は、実家に入った方だったのです。当たり!ウチに訪問してくださった時の話と、通じてます。そんな失礼な、軽口がたたけるくらいなら、大丈夫ね。その方は笑いながらも、母に、「急変もありますから、安心しないように」と、一言。ハイハイ、そうですよね。でも、今の私たちにとっては、こんな落語みたいな話が、すごくうれしいです。父も母も苦しんでた先日までが嘘のようで…こういう、ささやかな幸せでいいです。苦痛の無い、笑顔が出る日が、一日でも長く…と、祈らずにはいられません。~~~~~~そして、今日のコウジ。面会に行った弟2号の話ですと、更に顔色が良かったと。微熱がとれたのでしょうか。ナースさんが、ピンクのエプロンをして、入れかわり、立ちかわり、出入りする様子は、さながら、竜宮城のようなのでしょうね。明日、私も会いに行ってきます。浦島太郎に会ってきます。
2008.02.02
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