月のひかり★の部屋

月のひかり★の部屋

2006年04月23日
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ー画像はHP『AZUSA』よりー

(3)


台所でお湯を沸かしたり、ピザを温めたりしながら、私の回想は猶も続く。

それはそうと、黒板に書かれた「風」という文字が今はどうなったのかというと、先程の素晴らしい働きをした風とは違って、平凡な風という意味を表すただの記号の文字に過ぎない様子を呈している。

多分、私に先程のように特別な関心を持って見られていないからだと思うが・・・

こういう類の文字とか物とかは、それを見る者の心次第でどうにでもなるものであって、先程私にじっと見つめられた時みたいに、時には命を与えられて生き生きと動き出すことだってあることを忘れてはならない。

それにしても、黒板に書かれた「風」という文字は見れば見る程、何とも言えず恰好がよくない。

自分で書いておきながら、こんなことを言うのも何だが、どう贔屓目に見ても、到底上手な筆跡の部類には入りそうも無い。

真ん中の虫の上にノの字のある部分を囲んである底の無い箱と言ったら、それはそれは妙な恰好に曲がっていてお粗末この上無しなので、強いて言えばそれが却って些かでも風らしい雰囲気を醸し出す役割りを果たしているのかもしれない。

とりあえず、私の何気なく書いた「風」という文字は如何にも素っ気無い顔をして、今は風らしい素振りなんか全く見せずに、小さな黒板の真ん中でじっと静止している状態であるとだけ報告しておくことにする。

私の回想は猶も続く。

新聞に挟まれていた一枚のチラシを見た私は早速、履歴書を書いて指定された日時にその場所まで出向いて行った。

そこは家庭教師センターという所で所謂、小中高生対象の学習塾であった。

それまでにも私は色んな所に小まめに足を運んでは、何とかして自分特有の日常の辛さから脱出をする為の糸口を見付けようと、精一杯努力を惜しまなかったつもりであったが、どういう訳かなかなか仕事は見付からなかった。

職種などで望みが高過ぎるなどということも決して無かったつもりであるが、終にはレストランの洗い場の仕事をさせて下さいとお願いしに行ったこともあったが、結局、面接を受けに行く所行く所、全て不採用という結果で終わってしまい、苦しみの上に苦しみが更に加わって一体自分はこれから先どうすれば良いのだろうかと落ち込んでいた矢先だった。

ところが今日は面接だけで、いとも簡単にその場ですぐ採用という返事を貰えて、あまりにも思い掛けないことだったので拍子抜けするほどだった。

そして、何と!その日の夜から早速仕事が始まった。

中三1人、中二2人、小五1人と私に与えられた生徒は合計4人だった。

突然、少年、少女達との付き合いが始まって、急に忙しくなった私は次第に生き生きとし始めた。

あれほど辛かった不眠症も神経症も日が立つうちに、いつの間にか姿を消してしまった。

間もなく、中二の男子生徒が塾長と折り合いが悪くなり、突然塾を止めたと思ったら、暫くして今度は私の家に国語の勉強を続ける為に来るようになったのだった。

今日は土曜日なので、午後1時から少年と勉強をする予定になっている。

ポットにダージリンの葉を入れて、グラグラと煮え立ったお湯を注ぐ。

ベーコン、ピーマン、トマトなど細かく刻んだ材料の載った上からチーズのたっぷりとかかったピザを食べながら、熱い紅茶を飲んで、誰もいない台所で私は一人お昼の時間をゆっくりと楽しんでいる。

充実した忙しさの中でこそ、時間の有り難さも判るし、食べ物の本当の味も判るのだなぁと、しみじみ感じながら・・

壁に掛かった黒板の「風」という青い文字はまるで私の方をじっと見詰めている顔のようだ。

     ―この続きは明日のお楽しみー


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最終更新日  2006年04月24日 08時02分47秒
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