月のひかり★の部屋

月のひかり★の部屋

2006年05月12日
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学生時代、時々アルバイトをした。
授業の合間の時間を利用して少しずつ長い期間続けたアルバイトの他に、夏休みや冬休みなどの長い休暇を利用して一日に7時間とか8時間とかの時間を1ヶ月以上続けたものとか、今思い出すと結構頻繁に体験している。
父親が常日頃、我が子に対して殊の外厳しい態度で臨む人だったので、通学以外にどこかへ出掛けて行きたい等という時にはなかなか許して貰えず、たとえば大阪の難波に映画など観に行くというのは私にとっては至難の技であった。
ところが、ことアルバイトについてはそれほど強い反対をせず、他のことに較べるとかなり自由であったのは、或いは父親が若い頃から大阪商人として殊の外苦労を重ねた人だったので、自分の子供達には世間の風を早くから当てゝ、少しでも現実生活に必要な大切なことを身に付けさせたいと願っていたからかもしれない。
3回生の冬休みが始まってすぐに、友人達数人と連れ立って鶴橋という所にある和洋菓子の製造工場でアルバイトをしたことがあった。
毎日、朝の8時から夕方の6時まで、工員さん達に混じってお昼の1時間だけ休憩して、後はずっとお菓子を作る流れ作業の一部分を受け持つ仕事であった。
工場の中は始終甘ったるいお菓子の匂いが充満していて、そんな中で和菓子、洋菓子ばかり厭というほど沢山見ていると、日頃大好きなお菓子の筈なのに食べたいという気が全くしなかった。
工員さん達の殆どは地方から出て来ているが多く、工場の一角の宿舎に住み込んで働いていた。
来る日も来る日も薄暗い工場の中ばかりで過ごしている所為か、中には結核を患っている人もいるとか・・
そう言えば、それらしい病的な感じのする青白い顔の人が何人か混じっていた。
社長さんは学生である私達に、自分達が時間給を幾ら貰っているか等ということを、決して工員さん達に言わないで欲しいと言っていたが、工員さんの給料がそれほど低かったということに他ならない。
しかし、工員さん達は1週間全く隙間なしに働くので、たった一日の休みである日曜日になっても、体が疲れ切っていて、どこにも遊びに行く当ても無いし、余裕も無いので、お金は使うことが無い為、溜まる一方になり、いつの間にか貯金の額がうんと増えている人もいるとかいうことであった。
朝の8時から夕方の6時までは相当長い時間に感じたが、他の人も頑張っているのだから私も何とか頑張ろうと思った。
目の前に次から次へと運ばれて来るクリスマスのデコレーションケ-キの周囲にレースの白い紙をクルリと巻く仕事ばかり何時間もし続けたり、飾りのチェリーを次々と載せていったり、白いクリームを渦状に搾り出したり、仕事は色々と限りなくあった。
いつの間にか女工さん達とも仲良しになった。
やっと、お昼の時間が来て、その日はお弁当を持って来ていなかったので、駅前の食堂街に一人で食事をしに行ったことがあった。
お店は何軒も並んでいたが、どこも猫の額ほどの狭い所ばかりで、とても粗末な造りで素朴そのものであった。
けれども、どのお店もいつでも満員でごったがえしていた。
「ご飯と味噌汁と鰯のフライを二つお願いしまぁす!」
お腹が空いているので、カウンターの席に着くなり注文すると、間もなく熱々の鰯のフライとご飯が目の前に置かれた。
熱い味噌汁とご飯と鰯のフライを私はみるみる平らげてしまった。
あの時に食べた鰯があまりにも美味しかったので、いつまでも忘れられず、時々今でも夕飯のオカズに鰯のフライを作ることがある。
そんな或る日、アルバイトが済んで家に帰り夕刊を見て驚いた。
中学校時代からの友人である吉岡孝子が名古屋の山の奥で、他の大学の男子学生と心中をしたという記事が大きく載っていたからである。
暫くは全く信じられなかった。
何故って、ほんの数週間ほど前に、孝子と私は学校の校庭の隅にある藤棚の下でお喋りしたばかりだったので・・・
(何でまた!死ぬなんて、恐ろしいことをする気になったのか?いつの間に男子学生と親しくなっていたのか?そんなことは全く聞いていなかったのに・・)
実は孝子も私も二人とも小説を書きたいと願っていて、それが二人の共通点と言えば言えるのだったが・・
私は短歌部に入っていて、その頃は短歌を作るのに精一杯で、小説は全くまだ書いていなかったが、孝子の方は高校時代からすでに書き始めているということを私はうすうす知っていた。
どういう内容の小説なのか、読ませてくれたことは無かったので知らなかったが・・
孝子は私と同じ国文学科であった。
「ねぇ!今日勉強が終わってから藤棚の下に来て欲しいんだけど・・」
あの日も孝子がそう言って私のことを誘ったものだから、私は言われる儘、約束の時間に
その場所に行った。
オカッパ髪の孝子の話はいつでも独特の理屈ばかりが多く、一方的に自分ばかり話すので、いくら理解しょうと聞いていても結局は解らず仕舞いで終わってしまうことが多かった。
そう言えば、あの日の孝子の話しは特に理屈が多くて、分り難かったなぁ・・
仕方なく、私は何時もの様に殆ど聞き役ばかりを勤めていたのだった。
「うん、そうなの?うん、それで?ふぅん・・」
一頻り喋って孝子がベンチから立ち上がったので、私も同じように立ち上がったのだったが、心の中に重い大きな石でも転がり入ったようなしんどい感じがした。
孝子と話しをすると何故いつもこんな風に気持ちが暗く重くなるのか不思議だった。

もう一人の悦子という友人と二人で孝子の家まで出掛けて行った。
お葬式はすでに済んでいたが、家が破産したとかで、玄関には細長い板2枚が斜めに交差して貼り付けられてあって、すでに住むことが出来ないようになっていた。
隣の掘っ立て小屋のような所に案外元気そうに父親が一人住んでいて、私達を中に入れてくれた。
部屋の隅の蜜柑箱の上に孝子の遺影が飾ってあって、お線香から細い煙が立ち昇っていた。
何故だか、悲しいという感情は全く無くて、二人とも涙も流さず、ただぼんやりと黙って写真の中の相変わらずオカッパ髪をした孝子の顔ばかり見ていた。

(もしかすると、私もまた孝子と同じ運命を辿っていたかも知れなかったなぁ・・)等と思うことが今まで時々あったが、あの時、孝子が亡くなって私が今も猶、生きているのは、他でもない、孝子があの頃小説を書くことばかりに没頭していて、私は鶴橋でアルバイトをしていたから・・ただ、それだけの違いが二人の運命を別々のものにしたのだと思う。

(完)

































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↑キリ画はHP≪Azusa≫より















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最終更新日  2006年05月13日 03時18分40秒
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