1

TBS放送センターの裏手に報土寺(ほうどうじ)というお寺がありました。ここにも急な坂道が。三分坂(さんぷんざか)と呼ばれる坂道です。名称の由来は「江戸時代、急坂のため通る車力賃を銀3分(さんぷん:百円余)増したためという。坂下の渡し賃1分に対していったとの説もある。さんぶでは四分の三両になるので誤り。」ということでした。でもこの坂を上りきるには、3分間だけでは足りないかも。「港区の文化財 報土寺 築地塀(練塀)」という標柱もありました。この標柱の解説では、報土寺の練塀は、坂の多い港区の中でも特に急坂として知られる「三分坂」に沿っ造られており、塀が弓なりになっている珍しいものです。練塀は区内では残されているものが少なく、江戸の寺院の姿を今に伝える貴重な建造物といえます。 平成十年九月一日 東京都港区文化財総合目録登録 東京都港区教育委員会と記されていました。「雷電為右衛門の墓」という説明板もありました。雷電為右衛門(→→→こちら)といえば、現役生活21年、江戸本場所在籍35場所(大関在位27場所)で、通算黒星が10個、勝率.962の大相撲史上未曾有の最強力士だったそうですね。また、「東京都指定旧跡 井部香山墓」というのもあるそうです。井部香山(いべ こうざん)とは、江戸時代後期の儒学者(朱子学)だった人で、門弟には岸和田藩主岡部氏、飯山藩主本多氏などがいたそうです。天保14年(1843年)には、老中水野忠邦 に招かれ浜松藩の客儒となったそうです。こちらが、雷電為右衛門の墓だそうです。そして、こちらが井部香山の墓だそうです。【つづく】人気ブログランキングついでに赤坂を散策(その3)-報土寺築地塀-
May 13, 2026
閲覧総数 80
2

八街駅の北口には、さすが「落花生の郷」というだけあって、落花生のモニュメントがありました。なるほど、土壌が適していて、今は日本一の収穫量なのですね。モニュメントには、こんな言葉が刻まれていました。この「いつ知らず 葉は繁り 花咲て 人知れず 土に稔りぬ」という短い詩の作者は白鳥 省吾(しろとり せいご、1890年2月27日 - 1973年8月27日)という人だそうです。多分、有名な詩人なのでしょうね。そして、落花生、その名のとおり、花が落ちて、その先が土に刺さって、土の中で実が稔るのです。落花生の実のつき方については、こちらを→→→http://www.city.yachimata.lg.jp/peanut/seityou.html【つづく】人気ブログランキングへ八街(やちまた)の研究(その2)
Jan 11, 2016
閲覧総数 319
3

水道水は、浄水場から給水所を経て各事業所や家庭に配水されています。芝給水所はその施設の一つです。水道水の使用量は各家庭や各事業所によって時間ごとに変動するので、浄水場から送る水を使用量の変動に合わせて細かく調整するのは難しいので、その変動を吸収するため送水量が使用量を上回った場合は、一時的に給水所にある配水池に貯水し、反対に使用量が送水量を上回った場合は、貯水した水を使って使用量に合った水を各家庭や事業所に配水するようしています。また、ここに蓄えられている水道水は、大規模震災時の飲料水としても利用され、緊急用の給水車などに積まれて被災地へ運ぶそうです。港区立芝給水所公園は、この配水池の上部を利用しています。このコンクリート製の水槽が配水池でこの上が公園として利用されています。東京の近代水道の歴史は、明治31年(1898)、淀橋浄水場(当時の東京府豊多摩郡淀橋町、現在の新宿区西新宿・北新宿)と本郷給水所、芝給水所の稼働をもって始まりまた。ということで、この芝給水所は東京の水道の歴史とともに歩んできた施設になります。その近代水道の建設に従事した当時の関係者の情熱や技術力を後世に伝えるため、旧芝給水所の煉瓦造りの建物の一部も配水池のコンクリートの壁に残されています。この銘板も明治時代に造られたものでしょう。また、芝給水所の歴史がこの説明板に記されていました。以下のような碑文でした。芝給水所の歴史芝給水所は、芝増上寺の北西部の高台に位置し、信濃小諸藩主 牧野遠江守康済の屋敷跡地に、芝給水工場として明治29年(1896年)8月に竣功、明治31年12月に淀橋浄水場から浄水を受け給水を開始しました。この給水所は、淀橋浄水場、本郷給水工場と共に、東京近代水道の始まりとなった施設で、その後約100年にわたり、関東大震災や戦災に見舞われながらも、東京都民の暮らしに欠かせない水を送り続けてきました。旧芝給水所は煉瓦造りであり、東京における近代水道創設当時の高い土木技術を物語る文化的・技術的遺産です。芝給水所を改築するに当たり、先人の偉業を称え、旧芝給水所の一部を保存し後世に伝えるものです。平成14年2月 東京都水道局この給水所公園の隣にある古い門は、昭和40年(1965)に廃止された淀橋浄水場の門が移設されたものだそうです。石造りの立派な看板ですね。芝給水所の遺構が庭に展示されています。手前に見えるのが、水道管の分岐管ですね。向こうにあるレンガの構造物は、地下水路トンネルの一部のようですが、馬蹄形流路と説明板に書かれていました。ここからさらに東京タワーの西側に向かって歩いていきます。【つづく】人気ブログランキング東京タワー周辺のマイナースポット(その17) 東京都水道局芝給水所
Sep 5, 2022
閲覧総数 624
4

駅間歩き、後楽園からスタートです。丸ノ内線の後楽園駅です。駅の柱に貼ってあるこの乗り換え案内。いつも便利だなと思ってみています。後楽園駅の構内です。地上にあるので、他の駅に比べると明るい感じがしますね。ホームの端から、本郷三丁目方面を撮影してみました。地下トンネルの入り口まで見えました。池袋行きの地下鉄がやって来ました。向かいのホームから荻窪行きが本郷三丁目方面に向かって行きます。段々、遠ざかって行きます。やがてトンネルの入り口に差し掛かります。そして、トンネルに吸い込まれていきます。駅間歩きらしく鉄道の写真が撮影できました。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(後楽園~茗荷谷) (その1) 後楽園駅
Aug 6, 2020
閲覧総数 1012
5

墨田区の北端というと、「鐘ヶ淵」という東武鉄道の駅があります。今は、墨田区墨田という町名ですが、その昔、明治の頃には、東京府南葛飾郡隅田村の通称・鐘ヶ淵と呼ばれていました。その鐘ヶ淵の地に、明治20年(1887年)に創立された東京綿商社が、後のカネボウ株式会社(鐘淵紡績、鐘紡)となりました。また、カネボウの非繊維事業を分離独立した鐘淵化学工業(現・カネカ)の工場もこの地にあったそうです。残念ながら、カネボウは粉飾決算を繰り返した結果の債務超過のため平成19年(2007)に解散しましたが、化粧品部門のカネボウ化粧品は、「カネボウ」の商標と共に「花王」に売却されたため、創業の地には、「カネボウ化粧品」の物流倉庫があります。このカネボウ化粧品の建物の裏手にひっそりあるこの公園。「カネボウ公園」と言う名前です。公園の中では、ゲートボール場となっていましたが、その片隅に「鐘淵紡績発祥の地」と刻まれた石碑が、雑草の生い茂る中にひっそりと取り残されたように佇んでいました。かっては、明治から昭和初期にかけて国内企業売上高1位を誇り隆盛を極めた紡績会社でしたが、やはり時代の流れの中で、会社が生き残るって大変なんですね。人気ブログランキング鐘淵紡績発祥の地
Dec 17, 2020
閲覧総数 1589
6

夏といえば、冷たいお蕎麦がいいですよね。ということで、今日のお昼は小諸そばの二枚冷しきつね560円(税込み)でした。普通の冷やしきつねだと500円(税込み)が、お蕎麦の量が2倍で560円はかなりお得でしょう。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 小諸そばの「二枚冷しきつねそば」
Jun 30, 2025
閲覧総数 206
7

都電荒川車庫近くの住宅街に入っていくと、小学校を発見しました。「尾久第六小学校」だそうです。尾久第1小学校から少なくとも荒川区尾久地区には6校の小学校があるのかなと思って荒川区のホームページで調べてみたら、確かに6校ありましたが、他は「尾久西小学校」とか「大門小学校」とか普通の名前でした。小学校に隣接するこちらの建物は、シーガル館という小学校の別棟。一体シーガル館とは、体育館でもなく、特別な授業を受けて、有名私立中学校へのお受験を準備するところなんでしょうか?小沢製本株式会社という会社がありました。丁度、尾久第六小学校の向かい側にあります。ひょっとしてこの小学校で使う教科書なんかを印刷でもしているのかな?【つづく】人気ブログランキングへ尾久の細道(その4) 小学校
Jul 31, 2016
閲覧総数 714
8

今日の東京は雪景色ですね。雪と言えば、今北京で冬季オリンピックが開催されていますが、その中でも花形といえば、やっぱりスキー。MoMo太郎のお姉さんもスキーが好きで、若い頃は志賀高原にスキーに行ってナンパされたという思い出を今でも自慢げに語ってくれます。まさに「愛に雪 恋は白」(会いに行き、恋はしろ)という青春を謳歌していたのですね。そんなおばさんの思い出話は置いといて、2021年11月28日に参加してきたJR東日本の駅からハイキング「駅周辺の賑わいと昔ながらの街道を楽しみながら自然と親しむ」の話を続けます。こちらがあけぼの山農業公園(→→→こちら)です。ここもすでに平成28年(2016)のゴールデンウイークに訪れているのですが(→→→こちら)、公園の中を歩いていくコースが設定されていたのと、新しい施設もあったようなので、ちょっと色々紹介してみます。広々とした芝生の広場、いいですね。移動販売のクルマもいて、遊んでお腹が減っても大丈夫。こちらの建物は令和3年3月12日にオープンした「あけぼのビーチパーク」というレストランです。喫茶店や売店がある建物です。味噌や豆腐、太巻寿司、手打ちそば等、加工や郷土料理を楽しみながら食品に関する知識、理解を深めることができる加工実習館です。亜熱帯植物が学べる温室です。会議室や研修室等を利用できる農業公園の本館です。こちらが正面の入口になります。あけぼの山農業公園のバス停です。このバスに乗ると我孫子駅へ行けます。ちなみにあけぼの山農業公園は柏市にあるのですが、バスの便は柏駅より我孫子駅から方が本数が多くて便利なようです。農業公園近くにあったイチゴの温室。温室を温めるために重油を使うのでしょうか。重油を燃やすことで二酸化炭素などの温室効果ガスを発生させるので、イチゴのハウスを温めるだけではなく地球も温めてくれる施設ですね。しかし、クリスマスやお正月に温室で栽培したイチゴを嬉しがって食べているとスウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリ(→→→こちら)さんになんて言わるんでしょうか。(自然と親しむ柏市のコースです)【つづく】人気ブログランキング常磐線沿線物語 柏編(その7) あけぼの山農業公園
Feb 11, 2022
閲覧総数 107
9

名古屋に出張して、久屋大通駅で名古屋市営地下鉄の桜通線から名城線に乗り変えようとしたところで、この案内板に気がつきました。何分、名古屋は地理不案内でこういう案内板は役に立ちます。で、行きたかったのは名古屋城駅だったんですが、気になったのは「右回り」という説明。この名城線って環状線になっているんですね。そして、久屋大通から名古屋城へは右回り、ということは、進行方向の右手側が名城線の描く環状線の中心にあるっていうことですね。名古屋城駅で降りたら、路線図があったので、確認すると、確かに、久屋大通駅から名古屋城駅へは右回りになっていました。反対側のホームにあった路線図だと、名古屋城駅から久屋大通駅は、進行方向にむかって左手側に中心があるので、確かにこれは「左回り」でした。山手線だと右回りは外回り、左回りは内回りになるんですね。そして大阪環状線だと、右回りは外回り、左回りは内回りになるんですね。なんか慣れない土地に行くとややこしいですね。人気ブログランキング名古屋の地下鉄は右回りと左回り
Aug 18, 2024
閲覧総数 3754
10

はじめて気がついたんですが、MoMo太郎のブログが登録している「人気ブログランキング」(→→→こちら)には、このブログのここがポイントというのが付けられていて、こんなことが書いてありました。★このブログのここがポイント どんなブログ? 多彩なトピックを鋭く切り込む描写日常や都市の風景、歴史、食事情まで多岐にわたり、鋭い視点と具体的な体験談を交えて読者を引きつける構成です。テーマごとに奥深い情報と生き生きとした描写を融合させ、新しい発見と好奇心を刺激します。充実した内容は、好奇心旺盛な読者層に向けて繊細かつ正確な情報を伝えます。なんかいいようにコメント解説されていました。多分、生成AIかなにかで書かれているんでしょうけど、このコメント信じていいんでしょうかね。さて、今日も食事情の話題です。職場に近い松屋で朝定食を食べることが増えたような気がします。本日食べたのは半熟卵かけ朝定食(350円税込み)。ご飯を特盛にしても値段が同じなのはうれしいです。朝からしっかり食べて、元気に働こう。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 朝は松屋で
Mar 10, 2026
閲覧総数 494
11

墨田区緑四丁目の「すみだふれあいセンター」です。この建物の前にある案内板が「勝海舟居住の地―旗本岡野氏屋敷跡―」という案内板です。勝海舟居住の地ー旗本岡野氏屋敷跡ー 所在地 墨田区緑四丁目三十五番六号 勝海舟(麟太郎)は、文政六年(一八二三)に両国にあった父惟寅の実家、男谷氏の屋敷(現区立両国公園)で生誕しました。その後、父母とともに本所の旗本屋敷を転々としましたが、天保二年(一八三一)頃ここにあった岡野氏の屋敷に落ち着き、十代後半までの多感な時期を過ごしたといわれています。麟太郎は後に幕臣として出世を果たし、激動の時代に活躍の場を広げてゆきます。 麟太郎が世話になった岡野氏は、後北条氏の旧臣板部岡江雪を祖とする旗本で、文政九年十二月の屋敷替を経て、同十年三月ごろ当地に移住していました。家の経営費を捻出するための屋敷替であったようで、旧知行所に伝わる資料によれば、旧居を担保に数百両の金を用立て、代わりに旧居の半分ほどしかない屋敷に移住していたようです。幕府創業期より続く由緒ある武家とはいえ、岡野氏の家系は大変逼迫していたのです。このため、幕末維新の時代ともなれば家来を召し抱えるのも容易でなく、一人分の給与さえ払えぬ事態に陥ります。 正月に餅をつく金さえなかったという貧しい下級旗本の家に生まれた麟太郎は、こうした武家凋落の厳しい時代に成長し、大志を抱いて力強く立身していったのです。 平成二十五年一月 墨田区教育委員会とありました。この近くの本所割下水の屋敷に住んでいた1200石の直参旗本、旗本退屈男(→→→こちら)の早乙女主水之介が、「禄は低けれど直参旗本」、「天下御免の向う傷!」の決め台詞で悪人を退治していたのは、徳川綱吉が将軍の頃の話なんでしょうね。直参旗本といえども、幕末になると、生活は苦しかったんですね。人気ブログランキング勝海舟居住の地-旗本岡野氏屋敷跡-
May 8, 2026
閲覧総数 111
12

六本木通りと外堀通りが交わる溜池交差点です。頭上を首都高速道路が通り 広い道路と複雑な構造のため、地図が頭に入っていないと方向を見失いそうな交差点です。この交差点の安全地帯の中に「溜池発祥の碑」という石碑が建立されています。碑文によると、このあたり江戸時代にはかなりの観光地だったみたいですね。溜池発祥の碑溜池は江戸時代のはじめ, 江戸城の防備をかねた 外堀兼用の上水源として作られ 水道の発祥地ともなり, 徳川秀忠時代には 鯉, 鮒を放し 蓮を植えて 上野の不忍池に匹敵する 江戸の名所となった。徳川家光は遊泳したとも伝えられ, 江戸後期には 日枝神社より赤坂四丁目に通じる 料金を取った銭取橋が架設され 「麦とろ家」数軒と出店で, にぎわったと云われる。明治八年より 埋め立てに着手し 四十四年に完成したが, 明治二十一年十二月には 赤坂溜池町が創立され, 明治四十二年に市電が開通し, 大正十年五月に 正式な町会として 溜池町会が発足し, 溜池角の小松ビルは 元は演伎座と云う芝居館として人気を煽り 東京オリンピック以後は ビル街として発展し, 町会名も「赤坂溜池町会」と改称し 今日に到り, 地下鉄新駅「溜池山王駅」の開通を記念し建立とした。(赤坂溜池町・文責)平成九年八月吉日 東京都 港区この溜池交差点から、赤坂の町の中にある「港区立赤坂子ども中高生プラザ」の近くに行くと、立派な二体の武士の銅像がありました。「勝海舟・坂本龍馬の師弟像」という銅像です。勝海舟が威臨丸での渡米、帰国後、幕府軍艦奉行就任のとき、坂本龍馬が勝海舟を斬ろうと面会を申し入れたころ、逆に感化され勝海舟の門人となったということに由来している銅像なんですね。さて、墨田区で生まれ育った勝海舟ですが、その後港区赤坂に住みました。やっぱり、人間、金回りがよくなると、港区に住みたくなるのは、昔も今も同じということですかね。さて、勝海舟は赤坂で3度住居を変えており、3度目の最後の住居なった場所ということで、ここに銅像が建立されたそうです。銅像についての説明板がありました。長いですが引用します。「明日に向かって」 この地は、勝海舟が明治5年(1872年)から同32年(1899年)に77歳で亡くなるまで27年間住んだ屋敷のあった場所です。 海舟は、明治維新後 旧幕臣の代表格として維新政府の要職に在り協力していました。坂本龍馬との係りは海舟が幕府の要職に付いていた頃(海舟37歳~46歳)で、龍馬(26歳~31歳)は海舟を師と仰いで慕い緊密な交流があったようです。 この交流の始まりは、海舟が威臨丸での渡米、帰国後、幕府軍艦奉行就任の文久2年(1862年)海舟39歳のとき、龍馬が海舟を斬ろうと面会を申し入れ逆に感化され、 海舟の門人となり身辺警護をかってでたことからと言われております。当時、日本国の未来を見据え大意を進めるに当って海舟と龍馬とは相反する体制下にありながら、改革を行うことが出来たのは海と繋がっている広い世界を観る目、日本国を取り巻く世界情勢の中で日本のゆくえについて日本人が一体となって事に当らなければならないことを教えたと伝えられています。 また、海舟は軍艦奉行に就いていた文久4年(1864年)2月英・仏・米・蘭4ヶ国艦隊の下関砲撃の中止交渉を幕府から命じられ、神戸から九州の豊後街道を通り長崎まで旅をしています。この旅に海舟は自らが主催する「神戸海軍塾」の塾生だった龍馬らを同行させています。重責を担って旅する海舟にとって龍馬に日本国の行く末を教える機会の旅であり、当時の欧米の植民地政策の過の中にあるこの国の現状をつぶさに語り合い、後の薩長同盟、大政奉還、江戸無血開城へと繋げていったと考えられます。 海舟、龍馬の生きた19世紀末と21世紀の今をとりまく時代状況は比較にならないくらい違ってきていますが、彼らの明日を切り開いて行く強い志とエネルギーを、 宇宙船地球丸に乗っているこれからの時代を担う世代に伝えてゆくシンボルとしての銅像でありたいと願っております。 銅像の細部を見て頂くと、海も龍馬も視線は、明日に向かって海のかなたに広がる世界を向いています。また、海舟の刀の鍔(つば)に下緒(刀のさやを帯に巻くための紐) を絡めて刀をぬけないようにしています。 剣術の達人でありながら、当時の風潮を憂い何事にも対処するに当って刀を絶対に抜かないとの心がまえを表しています。勝海舟坂本龍馬の師弟像を建てる会この銅像の建立にあたっては、「勝海舟・坂本龍馬の師弟像を建てる会」の呼びかけに赤坂をはじめとする全国のみなさまからのご支援ご協力を頂き、彫刻家山崎和國氏に製作をお願いし平成28年(2016年)9月完成建立し港区に寄贈しました。また、この銅像の建立にあたって寄付された方の名前が刻まれた石碑もありました。人気ブログランキング勝海舟・坂本龍馬の師弟像-港区立赤坂子ども中高生プラザ付近-
May 9, 2026
閲覧総数 118
13

氷川坂を北に向かって歩いて行くと、この坂道と交わります。転坂(ころびざか)という坂道です。名称の由来は標柱の説明柿によると、「江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼びました。一時盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といいました。」とありました。赤坂という街、町名に「坂」がつくだけあって坂道が多いですね。この転坂と氷川坂の交差点角にある古びた建物、一見して古い団地っぽい建物です。門扉には、「居住者以外立入禁止 関東財務局」と掲示されていました。国家公務員の方が住む公務員宿舎なんでしょうけど、場所が赤坂とはいえ、こんな古い建物に住む公務員がいるんでしょうかね。それとも、今は誰も住んでいないので、民間に払い下げて高級マンションが建つのか、それとも、どうしても霞が関や永田町あたりに急いで駆け付ける必要がある国家公務員が住むために建て替えてくれるんでしょうか。【つづく】人気ブログランキングついでに赤坂を散策(その2)-関東財務局所有建物-
May 12, 2026
閲覧総数 88
14

山手線の各駅の中で、なかなか名前が出てこない方の駅、駒込(こまごめ)です。しかし、実際行ってみると面白いものがありますね。わさび漬けで有名な田丸屋本店さんの東京営業所があります。それから、ちょっと珍しい「ソープランド太閤」というものがありました。人気ブログランキングへ駒込(こまごめ)
Mar 26, 2016
閲覧総数 2470
15

手賀沼のほとりにある柏ふるさと公園にやって来ました。このような遊具もあって子供連れにも楽しめる公園です。このような遊歩道もあり、ジョギングなども楽しめます。この遊歩道は自然豊かな手賀沼をの周りを巡る散歩道にもなっています。この鋼鉄のオブジェは、利根川と江戸川を結び手賀沼の水質浄化にも使われる北千葉導水路の導水管の模型だそうです。こちらの鉄の輪が連なるオブジェも、北千葉導水を記念するものでした。手賀沼に流れ込む大堀川です。この先が手賀沼になっています。木の上に鳥が止まってました。ムクドリのようですね。カワウも泳いでいます。こちらはハクチョウですね。このように鳥たちも集まって憩う公園でした。(自然と親しむ柏市のコースです)【つづく】人気ブログランキング常磐線沿線物語 柏編(その3) 柏ふるさと公園
Feb 7, 2022
閲覧総数 84
16

休日の朝、なんとなく朝ご飯を作るのも面倒に思うと、吉野家に行って朝食を食べることがあります。ということで、この日は吉野家の焼魚定食(530円税込み)を食べました。焼き魚とありますが、確かに皮に焦げ目はあるが、焼いているというより、レンジで加熱して出しているみたいですね。それと魚は鮭なのか、それとも鱒なのかよくわかりません。でも「魚」であることは間違いないですね。しかし、まあまあ美味しいので食べて損はしないです。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 吉野家の朝定食
May 23, 2024
閲覧総数 273
17

神田橋を渡り大手町のエリアにやってきました。なにやら、人が集まって看板をみていました。田沼意次(→→→こちら)の上屋敷跡だそうです。10代将軍徳川家治の信任を受けて老中として手腕をふるい、所領も加増を重ねた。明和4年(1767年)には家治の命によって神田橋御門内に屋敷を与えられたそうです。そして、この時から「神田橋様」と呼ばれています。そして、元来は江戸城の外堀だった、日本橋川を平川門の方へ向かって歩くと、かって外堀であったことを示す石垣が残っていました。白山通りと内堀通りが交差する平川門交差点にあたりにある丸紅東京本社ビルの一角にあったのが、この石柱と説明板です。石柱には一橋徳川家屋敷跡と刻まれていました。一橋徳川家は寛保元年(1741年)、徳川八代将軍・吉宗が、子の宗尹に一橋門内に屋敷を与えたことに始まり、のち田安家、清水家と共に御三卿の一つに数えられた家柄です。御三卿は、将軍に世継ぎがなく、尾張、紀伊、水戸の御三家にも将軍となりうる候補がいない場合に、将軍候補を送り込めたといわれる家柄で、将軍家の身内としての待遇を与えられていた直属の家臣団を持たない石高10万石を与えられていたそうです。徳川十一代将軍・家斉や十五代将軍・慶喜は、この一橋家の出身になります。今年のNHKの大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」に登場する、渡辺謙さんの演じる田沼意次や生田斗真さんの演じる一橋治済は、このあたりに住んでいたご近所さんだったんですね。(千代田区散策コース)【つづく】人気ブログランキング千代田区を散策(その3) 田沼意次上屋敷跡と一橋徳川家屋敷跡
Mar 5, 2025
閲覧総数 325
18

この建物は行田市商工センターです。この建物の半地下のフロアにあるのが、「観光物産館ぷらっと♪ぎょうだ」(→→→こちら)です。行田のお土産がたくさん並んでいます。でも塩あんびん(→→→こちら)は見かけませんでした。行田市商工センターの前にあった昭和天皇行田市行幸時の陰碑だそうです。昭和天皇が行田市に行幸したときに詠まれた歌を侍従長の入江相政氏が記したものが刻まれていました。忍警察署跡を記した石碑もありました。忍者の警察署ということではないですよね。商工センターの裏側の通りにあったのが、こちらの足袋蔵と住宅です。時田啓左衛門商店が昭和15~16年頃建設した和洋折衷住宅、明治36年(1903)竢工と大正初期頃建設の2棟の土蔵造りの足袋蔵だそうです。(行田を歩いたコース)【つづく】人気ブログランキングへ行田を歩く(その22) 「観光物産館ぶらっと♪ぎょうだ」と「時田蔵」
Oct 25, 2025
閲覧総数 115
19

駅間さるき、ようやく目的地の大牟田までたどり着くことができました。久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)大牟田駅西口です。こちらの大牟田駅連絡橋が気になったので、こちらに行ってみました。跨線橋になっていました。こちらが駅の東口になっています。東口の方になります。JRの改札口になっています。大抵のJR九州の駅には、ファミリーマートが設置されています。こちらはJRのホームです。古い佇まいがありますね。駅名標も昔ながら、昭和の香りがします。駅前にある観光案内所です。大牟田銘菓の草木饅頭、別々のお店が製造販売していました。どちらの草木饅頭が美味しいのでしょうか。西口に戻って、西鉄に乗ります。丁度、列車が止まっていました。西鉄の駅名標です。この車両は柳川観光列車「水都」(→→→こちらです)です。この列車に乗って帰ります。西鉄福岡(天神)から大牟田まで、駅間さるき達成しました。普段、鉄道で何気なく通り過ぎている町もじっくり見て歩く駅間さるき、色々な発見があって結構楽しめました。また、時間があればチャレンジするかもしれませんね。【了】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(新栄町~大牟田) (その6) 大牟田駅
Mar 6, 2018
閲覧総数 1129
20

駅からハイキング「駅周辺の賑わいと昔ながらの街道を楽しみながら自然と親しむ」ということですから、柏を通る水戸街道に沿って歩きます。明治天皇柏御小休所碑の石碑がありました。明治天皇が行幸の途中でここでお休みになられたのですね。でも、お付きの人達も休んだのでしょうから、かなり大きな食堂か喫茶店があったんでしょうね。この道は、国道16号線です。この道を境に首都圏の都会と田舎が別れていると埼玉県在住の友達が言っていました。16号線を越えると、柏公園への並木道です。なかなかいい感じの散歩道でした。柏公園の裏に出ると、体育館がありました。結構立派な体育館ですね。高架になった道がありました。この橋を抜けると、柏ふるさと公園に出ます。(自然と親しむ柏市のコースです)人気ブログランキング常磐線沿線物語 柏編(その2) 水戸街道
Feb 6, 2022
閲覧総数 90
21

手賀沼のほとりに沿ってしばらく歩いて、根戸城址通りを歩いて行きます。この台地の上に根戸城址のようです。根戸城(→→→こちら)は戦国時代に造られたと考えられている山城です。相馬胤光が築城して根戸氏を名乗ったという説や、太田道灌が築城したという説などがあり、築城者や城主については諸説あるそうです。我孫子市に残された唯一の城址で、昭和60年(1985)年に発掘調査が行われ、土塁や空堀など築城当時の全体像が把握できる遺構が良い状態で残っています。金塚古墳(→→→こちら)は5世紀前半に築造されたと考えられている 直径約20m、高さ2mの円墳もこの台地にあるそうです。昭和38年(1963)東京大学により発掘調査が行われ、墳丘に並べられた埴輪や、短甲や石枕といった副葬品などが出土し、県の指定文化財になっているそうでした。更に北に進んで常磐線のガードを抜けて、国道6号線を横断して行きました。日差し除けのあるお馴じみの電球式信号機に代わって、最近はこのLED式信号機が増えてきましたね。この道を進んで行くと、千葉県野田市につながるのですね。(自然と親しむ柏市のコースです)【つづく】人気ブログランキング常磐線沿線物語 柏編(その4) 根戸城跡・金塚古墳
Feb 8, 2022
閲覧総数 135
22

新宿周辺を彷徨(さまよ)った記録を書いている「新宿彷徨」です。四谷の荒木町は「策の池」を底にしたすり鉢状の地形になっいるので、北の靖国通りに抜けていかないと、どうしても坂の上り下りがついてまわりますね。ということで、この坂を登ってJR四ツ谷駅に向かいます。この坂、というか階段。フランスのモンマルトルの丘に似た光景からとったこちら新宿荒木町のモンマルトルの坂(→→→こちら)と呼ばれているそうです。階段の途中で振り返ってみました。ビルばかりの街並みですね。坂はまだまだ続きます。モンマルトルの坂を登ると、津の守坂通り(→→→こちら)に出ました。人気ブログランキング新宿彷徨(その94) モンマルトルの坂
May 1, 2026
閲覧総数 106
23

霞ヶ関駅から銀座駅に向かって歩いています。日比谷公園の日比谷門にやって来ました。ここには、東京メトロの日比谷線・千代田線と、都営地下鉄の三田線の日比谷駅があります。さらに門の横にはこの建物。「日比谷花壇」(→→→こちら)です。結構、有名な花屋さんだと思います。やっぱり日比谷公園にお店を出したから日比谷花壇という名前になったんでしょうね。そして、日比谷通りを挟んで向かい側には、帝国ホテル(→→→こちら)です。こちらも一度は宿泊してみたいホテルですね。さらに日生劇場(→→→こちら)も。結構、有名な施設が集中している地点ですね。日生劇場の後ろに見える高層ビルは、2018年3月29日に開業した 東京ミッドタウン日比谷(→→→こちら)です。むかし、東京ミッドタウン日比谷のある場所には、戦前からあった三信ビルディング(→→→こちら)というちょっとシブイ外観のビルがあったのですが、取り壊されたのですね。ちょっと残念な感じもします。【つづく】人気ブログランキング駅間歩き丸ノ内線(霞ヶ関~銀座) (その5) 日比谷公園日比谷門
May 19, 2020
閲覧総数 928
24

駅からハイキング「駅周辺の賑わいと昔ながらの街道を楽しみながら自然と親しむ」に2021年11月28日に参加してきました。その時の報告です。やって来ました柏駅。ここ柏駅からスタートです。駅前にこんなアケードのある商店街があったんですね。そして、最初の目的地はここ柏神社(→→→こちら)です。訪れたのが去年の11月でしたから、七五三の案内が出ていました。柏神社は、天王様と親しまれ、山形県の月山神社・湯殿山神社、羽黒山にある出羽神社(イデハジンジャ)の三神合祭殿の神々からなる御祭神と京都市の八坂神社の御祭神を祀っています。江戸時代に柏近辺で流行した疫病から人々を救うために、厄除けとして名高いスサノオノミコトを境内に祀ったのが始まりと言われているので、御祭神をスサノオノミコトとする八坂神社から神様をお迎えしたのでしょうね。江戸時代、柏市域の一部は小金牧といわれた幕府直轄の馬の放養地、供給地だったそうで、当時の水戸街道はこの牧の中を通過していました。水戸街道は、水戸藩士の通行や人々の物資の輸送などに使われた重要な道でした。そのため牧と村の出入り口には木戸を作り、人々の往来を確保し、無宿者や浪人者などにも対処するための関所の役目も果たしていましたそうです。。(自然と親しむ柏市のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ常磐線沿線物語 柏編(その1) 柏神社
Feb 5, 2022
閲覧総数 88
25

本氷川坂(もとひかわざか)と呼ばれる坂道があります。標柱の説明によれば、坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。とありました。この坂道を下ったところにあるマンションの敷地に、勝海舟邸跡と記された標柱がありました。標柱には「勝海舟邸跡ソフトタウン赤坂管理自治会」と記されていました。その下に、説明板がありました。勝海舟邸跡の記港区赤坂6丁目10番39号の「ソフトタウン赤坂」が建つこの地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟 が安政6年(1859)から明治元年(1868)まで住んだ旧跡である。海舟は終生赤坂の地を愛し、三カ所に住んだが、当初居住中の10年間が最も華々しく活躍した時期に当たる。海舟は号で、名は義邦。通称麟太郎、安房守であったから安房と称し、後に安芳と改めた。夫人は民子。海舟は文政6年(1823)、本所亀沢町の旗本屋敷(現墨田区両国4丁目の両国公園の地)で、貧しい御家人の子として出生。長じて赤坂溜池の筑前黒田藩邸(のちの福吉町、現赤坂2丁目の赤坂ツインタワービルや衆議院赤坂議員宿舎などの地)に通って蘭学を学び、その縁から新婚23歳で赤坂田町中通り(現赤坂3丁目13番2号のみすじ通り)の借家で所帯を持った。36歳からは赤坂本氷川坂下(もとひかわざかした、のちの氷川町)のこの地に住んだ。明治元年45歳で、引退の徳川慶喜に従って、ここから静岡市に移ったが、明治5年(1872)再び上京し、満76歳で亡くなるまで赤坂区氷川町4番地(現赤坂6丁目6番14号)に住み、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら氷川清話などを遺した。この時の屋敷跡は東京市に寄付され、平成5年(1993)春まで区立氷川小学校敷地として使われた。当所に住み始めた翌年の安政7年(1860)、幕府海軍の軍艦頭取(咸臨丸 艦長)として、上司の軍艦奉行木村攝津守、その従僕福沢諭吉 らを乗せ、正使の外国奉行新見豊前守を乗せた米艦ポーハタン号に先行して渡航、日本の艦船として初めて太平洋横断・往復に成功した。文久2年(1862)11月、海舟を刺殺しようとして訪れた旧土佐藩士坂本龍馬 らに、世界情勢を説いて決意を変えさせ、逆に熱心な門下生に育てて、明治維新への流れに重要な転機を与えることになったのもこの場所である。明治元年3月には、幕府陸軍総裁として、官軍の江戸城総攻撃を前に征討総督府参謀西郷隆盛 と談判を重ね、無血開城を決めて江戸の町を戦火から救った。第1回会談は高輪の薩摩藩邸(品川駅前の、のちの高輪南町、現港区高輪3丁目のホテルパシフィックの地)で行われた。第2回については芝田町薩摩藩邸(のち三田四国町、現港区芝5丁目芝税務署辺りの地)または、三田海岸の薩摩藩蔵屋敷(くらやしき=倉庫)の表側にある民家(現港区芝5丁目の三菱自動車ビル周辺)で行われたとの両説がある。いずれも当所居住中のことである。明治維新では、明治元年5月、海舟の留守中に一部の官軍兵士がここの勝邸に乱入したが、海舟の妹で佐久間象山未亡人の瑞枝(旧名・順)が家人を励まして一歩も引かずに応対し、危急を救った。海舟は終生赤坂の地を愛したが、郊外の風光にも惹かれ、初めは葛飾区東四ツ木1丁目に、次いで洗足池畔の大田区南千束1丁目現大田区立大森第六中学校の地に別邸を設けた。墓は洗足池に面して作られ、自ら建てた西郷隆盛を偲ぶ碑と共に大田区文化財に指定されている。平成7年11月吉日ソフトタウン赤坂管理自治会撰文 伊波 新之助協賛 勝海舟顕彰会協力 港区郷土資料館人気ブログランキング勝海舟邸跡-本氷川坂近く-
May 10, 2026
閲覧総数 83
26

普段、あまり行くこともない赤坂にやって来たので、ついでに少し赤坂の町を歩いてみました。こちらが東京十社(→→→こちら)のひとつ赤坂氷川神社(→→→こちら)です。南側にある一の鳥居です。社号碑はなかなか大きくて、歴史を感じました。こちらが境内の案内図。大都会の中にありながら、緑の濃い広い境内を持っています。三の鳥居と、その奥にある中門です。中門の中にある御社殿です。この社殿は享保15年(1730年)に徳川八代将軍吉宗公の命より建立されました。数多くの戦災・震災を免れ、建立当時の姿を現代に残しているそうです。こちらは東側の参道にある一の鳥居です。こちらは東側の参道の入り口になります。こちらが氷川神社の元々の参道だったのではなかと思っています。神社の東側にあるこの坂道が、氷川坂と呼ばれる坂道です。標柱には、「八代将軍徳川吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当る坂である 平成十六年九月 港区」と記されていました。【つづく】人気ブログランキングついでに赤坂を散策(その1)-赤坂氷川神社-
May 11, 2026
閲覧総数 103
27

二ヶ月ほど前、岡山にできた博多ラーメンの「一風堂」。そろそろブームも去って普通に食べられるかなとわざわざ出かけて行ったのですが、まだ、この行列。 時間がなかったので、まあ、いいかとあきらめてしまいました。 今度は、余裕持って出かけて行って、食べるぞ。楽天プログランキングに参加してます。よかったらクリックしてね
Aug 28, 2006
閲覧総数 3
28

都心の一角にある竹林。こんなことが書いてあるので、竹の子が伸びて、竹になりかけていました。人気ブログランキング竹の子を取らないで下さい
May 5, 2017
閲覧総数 437
29

つくばエキスプレス(正式な会社名は首都圏新都市鉄道株式会社)のキャラクターのスピーフィです。名前は一般公募で選ばれたそうです。キャラクター作者はハマダルコラさん。名付け親は茨城県つくば市にお住まいの福井淑美さんです。 本当にスピーディで未来(Future)を連想させるつくばエキスプレスです。写真は、つくばエキスプレスのホームページからダウンロードしました。
Jun 24, 2010
閲覧総数 938
30

人気ブログランキングへ
Feb 5, 2012
閲覧総数 4
31

新宿副都心の超高層ビル群、ビルとビルが寄り添っているようにも見えますね。損保ジャパン日本興亜本社ビルと野村新宿ビル足元が湾曲しているのが損保ジャパン日本興亜本社ビル、むかしは安田火災のビルでしたね、そのあたり日本経済の変化を感じますね。中でもインパクトがあるのがこの「モード学園コクーンタワー」。2008年10月に完成したので、副都心のビル群の中では新しい方ですね。学校法人モード学園の運営する3つの専門学校、東京モード学園、HAL東京および首都医校が入居しているそうです。隣の球形の建物ちょっと気になります。ところで、高さ 100m を越える建築物は緊急用のヘリポートの設置が必要なのですが、緊急時に頭頂部が開いて現れるヘリポートが隠れているそうです。一度、開いたところを見てみたいですね。最後は新宿駅西口の風景です。なんか改めて見てみると、新宿ってなんかすごいなと思ってしまいますね。【了】人気ブログランキングへ
Sep 2, 2015
閲覧総数 1968
32

松原神社へ参拝しましょう。まず入り口にあったのが三つの玉。そして、これが社殿です。その手前にまた、玉がありました。これは世界の聖地を巡ってきた玉だそうで、触ると幸せになれる勾玉だそうです。当然、触ってきました。そして、これがご神体でしょう。真ん中にあるのは多分、松堂玖邇さんの姿でしょう。そして、書いてある言葉、てんとうがなし 天の神様とづとづがなし 尊い神様おやほづがなし 先祖の神様まもてたぼれ 守り給へでした。この碑文によると、今のところ松堂玖邇さんは東京在住のようですね。人気ブログランキングへ>
Apr 16, 2013
閲覧総数 240
33

今日はコンビニ弁当で夕食を済ませました。徳之島にあるコンビニ「エブリディ」では沖縄フェアということで、「沖縄Aランチ弁当」というのが売っていましたお値段は498円。どうやら、沖縄には「Aランチ」というメニューがあるみたいで、別に、定食のランチセットの、A、B、Cと格付けしているわけではなく。カツやハンバーグなど洋食の盛り合わせを沖縄では「Aランチ」と呼んでいるそうです。ただ、沖縄に住んでいた人に聞くと、Aランチは量が多く、それよりも量が少ないのがCランチというそうです。Bランチというのはないのも、ちょっと不思議ですね。中には、ハンバーグ、鳥ささみのカツ、目玉焼き、その下にはランチョンミートと結構、豪華でした。これで498円はお得かも。人気ブログランキングへ
Jun 11, 2013
閲覧総数 1339
34

今日は大抵の職場では「仕事初め」でしたね。今のMoMo太郎の職場はコンビニみたいなもので、そういう区切りがあるようなないようなそんな感じです。今日は徳之島の隠れた初詣スポットの最後で、徳之島町花徳(けどく)地区にある菅原神社です。この神社、去年の11月7日の「徳之島町花徳地区里久浜あたり(その2))で紹介した神社ですが、その時は参道が草むらとなってとても参拝できるような状況ではなかったのですが、お正月になると合格祈願の参拝者のために草が刈り取られていました。とはいえ、次の写真のように、ちょっとした登山道のようでした。そして山頂には祠らしきものはなく、このような石神様があるだけでした。しかし、よく観てみると、石上様の手前にあるのは天神様(菅原道真公)の石像でした。また、この山の上から眺める花徳の海岸は見事でした。さて、参拝を終わって途中、天然記念物のアカヒゲという鳥を見かけました。なお、菅原神社の位置は下の地図を見て下さい。人気ブログランキングへ
Jan 6, 2014
閲覧総数 53
35

今回は新東名高速道路を使って、東京に向かいました。ちなみに、MoMo太郎の愛車のカーナビには、新東名高速の情報はなく、道のない山の中を進んでいることになりました。それでも途中で「右に曲がって下さい」などの音声案内が入ってきました。多分、東名高速のインターチェンジに案内しようとしてくれたのでしょうね。最初にあったサービスエリアが、下の写真の浜松サービスエリアです。建物をみると壁のところがピアノのけん盤の模様になっているのは、楽器製造の盛んな浜松をイメージしたものでしょうね。そして、パーキングの歩道のところにはこんなマークが描かれています。このマーク、浜松まつりの時に行われる凧揚げ合戦の時の参加する各町のマークらしいですね。これが新東名高速道路の道路橋です。サービスエリアの展望台から見ることができます。ところで、この新東名高速道路、走ってみてわかったのですが、基本的に片側3車線で計画されているようで、トンネル部なども3車線分の広さになっています。また東名高速とは違い、道幅も広くて走りやすい(逆に言うとスピードが出しやすい)高速道路になっているような感じでした。人気ブログランキングへ
Aug 18, 2014
閲覧総数 55
36

最近、なにかと用事のあるさいたま新都心に出かけているのですが、そこの駅前にあるショッピングモールで、昼ごはんを食べようと思って歩いていたら、「自由軒」というカレー屋さんが目についたので、大阪名物、自由軒のカレーを食べることにした。MoMo太郎は、東京生まれですが、小学校から高校を卒業するまで、父親の仕事の都合で大阪で過ごしたので、この大阪名物の自由軒のカレーを久しぶりに食べました。「自由軒のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」と母校の大先輩、織田作之助が代表作「夫婦善哉」の中で主人公の柳吉に言わしめた、予めご飯とカレーが混ざった玉子入りのカレーライス。まさに、初めて、大阪で、父に連れて行ったもらった難波で、父と姉と食べた時のカレーライスです。まあ、その後も何度か祖母にも連れて行ってもらい、友達とも食べに行きましたが。写真の手前には、ウスターソースの瓶が写っていますが、このウスターソースを入れて、カレーライスと玉子を混ぜて食べるのが、正しい自由軒のカレーの食べ方なのだ、そうすることによって、玉子でマイルドな味わいになったカレーに、適度な辛さが足され、より食欲がそそられる味わいになるのです。また、このカレーには具となるジャガイモやニンジンの形跡はありません。おそらく、牛肉とタマネギくらいしか使っていないのではないでしょうか。まあ、今どきの本格的なカレーとは少し味の方向性が違うような気がするのですが、なんといっても明治43年(1910)の日本で考案されたカレーです。その頃はこんなカレーというスパイシーな辛い料理というのを食べたことがなかったのでしょうから。それはそれで当時の大阪の庶民には好まれた味なのでしょう。また、白いエプロンに、いかにも昔のウエイトレスさんが着ていたようなレトロなデザインの黒い制服を着用しているのもまた味わいがあるな、と思っていましたが、・・・、ふと見た紙ナプキンに「せんば自由軒」と書いてあって、ちょっと違和感を覚えました。自由軒はたしか「難波」で「船場」ではなかったはずだ。と、ということで、ネット検索すると、「自由軒」と「せんば自由軒」があることがわかりました。↓↓↓せんば自由軒の歴史なるほど、本家と元祖みたいなことって、このカレーの世界にもあるんですね。人気ブログランキングへ
Jul 5, 2015
閲覧総数 374
37

巣鴨庚申塚を、飛鳥山公園に向かって右に折れて進み、国道17号線、中山道を越えると「お岩通り商店会」というのがあります。商店街としては、こんな感じで、とくに賑わっている様子もありませんが、「お岩」という名前、あの、四谷怪談のお岩さんにちなんだ名前です。このお岩通りに並行して走る都電荒川線の線路を渡ると、この「長徳山 妙行寺(ちょうとくさん みょうぎょじ)」というお寺があります。そして、門のところにあるこの石柱に彫られた文字、「お岩様の寺 妙行寺」また、この脇には小さな石碑には、あの赤穂浪士で有名な、プッツン殿様の浅野内匠頭長矩の奥さんだった瑤泉院(阿久里)の供養塔もあるそうです。境内の中には、魚がし供養塔、魚を殺して食べていかないと生きていけない人間の原罪を償うものですかね。こちらはうなぎ供養塔とその奥にあるのは、妙行寺供養塔です。魚河岸供養塔の前にあった井戸ポンプです。珍しいので撮影しました。本堂にあった扁額、達筆なので、撮影しました。本堂の裏手に墓地があり、そこにお岩様のお墓がありますが、お寺にもかかわらず鳥居があります。お岩様、怨念が強いので神様として祀られているのでしょうか。由緒によると、世間に伝わる「四谷怪談」のようなものではなく、お岩様の死後、田宮家では災いが続いために供養のためにこの墓所が建立されたそうですね。みなみに四谷怪談とは→→→こちらこちらは、芸州三次藩の浅野家の縁者が奉られている墓所のようです。芸州三次藩というのは、江戸城内でプッツンして、吉良上野介に切りかかった、赤穂藩主、浅野内匠頭長矩の正室だった阿久里(内匠頭の死後は落飾して瑤泉院)の実家でした。その一角にあるのが、この供養塔。刻まれた文字には、「瑤泉院」とありますね。ちなみに、瑤泉院の墓は、浅野内匠頭長矩のお墓のある高輪の泉岳寺にあり、ここにあるのは供養塔ということになります。こちらが、お岩様の墓所です。人気者らしくお墓の回りには卒塔婆が沢山並んでいますね。お花も手向けられて、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの人に信仰されている様子がわかりますね。人気ブログランキングへ巣鴨散策(その5) お岩通り商店会と妙行寺
Nov 6, 2016
閲覧総数 2221
38

この写真は、つくばみらい市を流れる小貝川です。間宮林蔵記念館のそばを流れるこの川を下っていくと、このあたり一帯の農地に灌漑用水を取り入れる「岡堰」があります。この岡堰、同じ小貝川にある福岡堰、豊田堰と並んで「関東の三大堰」と呼ばれており、茨城百景にも選ばれている景勝地です。たしかに籍の背後にかすかに見える筑波山も含めて、絵になっていますね。岡堰については→→→こちら今では近代的な取水堰に改修されていますが、間宮林蔵が生きた時代には洪水の度に流されたりしたしたそうです。この岡堰の上流にあり、改修前の旧岡堰が作られていた川の中州に銅像があります。これが、間宮林蔵立像です。農民出身の間宮林蔵が、武士に取り立てられ間宮海峡の発見、石見浜田藩の密貿易を暴いた「竹島事件」、オランダ人医師シーボルトが伊能忠敬が作成した大日本沿海輿地全図を国外に持ち出そうとして、その地図を渡した幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分された「シーボルト事件」などの歴史に関わることになった、大きく人生を転換した出発点となったのが、この岡堰の建設工事だったのです。ちなみに、シーボルトは、樺太島と中国大陸間の海峡を「間宮海峡」と名づけ、世界に紹介した人物です。岡堰の建設工事に加わった16歳の林蔵は、幕府普請役下条吉之助に才能を認められ江戸へ修行に出ました。出府にあたり隣村狸淵の名主飯沼甚兵衛の養子となったそうです。江戸出府後は幕臣・村上島之丞に師事し、彼とともに日本各地で行われた治水、新田開発の仕事に従事しながら測量や土木技術を身に付けて行ったそうです。石碑には、倫宗(ともむね)と記されています。林蔵は通称で、号は蕪嵩(ぶすう)というそうです。こちら立像の測量鎖は、一部欠けていました。探検家、測量家、文化人類学者、幕府隠密、外交問題専門家など多くの顔を持つ、「世界地図に名前を残す唯一の日本人」の出発点が、この茨城の関東平野の真ん中だったのですね。【了】人気ブログランキングへ間宮林蔵(その6) 取手市、福岡堰にある間宮林蔵の立像
Feb 23, 2017
閲覧総数 729
39

博多の夏祭りと言えば、この櫛田神社の奉納神事である博多祇園山笠。そして櫛田神社は「博多総鎮守」ということで、東京でいえば、「江戸総鎮守」と呼ばれる神田明神と同じですね。大きな神門でした。博多祇園山笠の出発点となるこの神社脇には観覧席が準備されていました。こちらが参道。そして拝殿です。これが、無病息災の霊水が湧き出る井戸として名高い「鶴の井戸」。でも今は、飲用できなくなってしまったそうです。無病息災を願って命がけで飲んでみてもよかったかな。少なくともあの世に行けば、無病息災なことは間違いないかも。拝殿のしめ縄も立派です。祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)の三神で、正殿に大幡主神、左殿に天照大神、右殿に素盞嗚神が祀られていました。ところで、大幡大神ってどんな神様?(→→→こちらです)扁額です。社殿の脇にある石柱です。「重要無形民俗文化財博多祇園山笠」とありました。2016年には、博多祇園山笠などの「山・鉾・屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に登録されたので、「ユネスコ無形文化遺産」の石柱も建立しなければ。博多祇園山笠の飾り山が常設されているそうなのですが、訪れた6月中旬は、新しい飾り山笠を準備中で、展示されていませんでした。残念。神社の裏手に出ました。近くに川端通という商店街があります。博多川沿いに北西から南東におよそ400メートルの長さがあり、約100件の店舗が並ぶ。にぎやかな商店街です。こちら博多川を挟んだ対岸にある中州の町です。タモリで有名な中洲産業大学はありませんが、夜の大人の世界を勉強するエリアのようてす。【つづく】人気ブログランキング福岡さるき(その2) 櫛田神社
Jul 15, 2018
閲覧総数 329
40

「おにぎえ」の山車は、三柱神社の境内を出て、いよいよ柳川の市街地を巡ります。市街地を回るときは電線もあるので、山鉾はたたんで進んでいます。大人も子供も山車を曳きます。この山車には長い棒がついていて、これを掴んで引いたり、押したりしています。露払いの先頭役は保加町の山車です。三柱神社は城内に神社があって、「三柱宮」と呼ばれていたそうです。そうすると町人たちが参詣するのは大変だったので、文政八年 九代藩主 立花鑑賢公により、現在の地(約二万坪)を境内として社殿の建立を計画し、翌九年(1826)旧八月十六日に御神霊が遷座され、これより三柱神社となりました。そして、城外に移転することを喜んだ町人たちは、基礎工事の時に、女衆をたくさん揃えて三味太鼓を鳴らしてお祝いしたそうですが、保加町の問屋街はこれに加わらなかったため、評判を落としたため、名誉挽回を考えた保加町の人たちは、密かに江戸の神田囃子を習い、京都の山鉾を参考にして山車を造り、遷座式当日にこれを押し立てて参拝して見事、汚名返上したそうです。ここが行列の先頭になりますが、交通規制も考え、山車の間隔が広がらないよう。時々、後ろの山車が追いつくの待ったりします。このお店が、途中の休憩所で、宮司さんは、ここで水分補給されてました。山車についている棒を押して、方向を修正しています。こちらは、子供も参加して山車を曳いている京町三丁目の山車。上町の山車の後ろ姿です。動いている山車の上で「どろつくどん」を踊ります。こちらは京町二丁目の「踊り山」です。こちらは武者行列のみなさん。暑くなったのか、立花宗茂役の方は、かぶっていた兜をいつの間にか脱いでいました。ちびっ子足軽隊のみなさんも元気に行進中。いつのまにか、西鉄バスも参加しんて殿(しんがり)を務めています。この橋の上は、ちょっと坂道になっていて、一旦止まって、力をこめて坂道を上がります。この狭い道は日吉神社へ向かう参道w@r。この道を山車が進みます。上町の山車が、この道に入る様子を連続して見てください。後ろの棒を持つ人が、向きを変えていきます。見ている方も、なかなか力が入ります。なんとかコーナーリングに成功のようです。狭い道でもずんずん進んでいく飛龍の山車です。「飛龍」は、このどろつくどんの伝統を後世に伝えたいという熱意を持った人たちによって、町という垣根、男女という垣根を越えて始められた新しい山車です。確かに、ひとつの町でこの山車を維持するのは今のご時世厳しいでしょうね。日吉神社の前にある駐車場で山車が一旦停止して、なぜかマイクロバスが止まってますが、こちらの日吉神社の参道に入って行きます。【つづく】人気ブログランキング柳川市 三柱神社秋季大祭「おにぎえ」(その2)
Oct 15, 2018
閲覧総数 803
41

道端に咲く菜の花。菜の花を見ると、身近に春が来たなと感じますね。菜の花って、食べたりするけど、こういう道端に咲いている菜の花も食べたりできるんでしょうか。人気ブログランキングへ道端の菜の花
Mar 12, 2019
閲覧総数 622
42

どうしても唐揚げが食べたくなって、日高屋に行って唐揚げ定食(710円税込み)をいただきました。「唐揚げ」と表記しましたが、中華料理店の日高屋で出されるというので、もともとは中国の料理なんだろう。だから「唐揚げ」と表記したのですが、「から揚げ」という表記も使われていますね(日清から揚げ粉→→→こちら)。あるいは「空揚げ」と表記することも。英語だと「Fried Chicken」? でも、鶏肉以外の魚の鯖や鱈などをから揚げにするので、「Fried ×××」ということでしょうね。いずれにしても、小麦粉や片栗粉をまぶしてから揚げるので「から揚げ」ですね。人気ブログランキング孤独のグルメ 唐揚げ定食
Apr 7, 2020
閲覧総数 721
43

JR京浜東北線にある王子駅界隈を散策してきました。王子駅の近くにあるこの高層ビルです。北とぴあ(→→→こちら)という総合文化施設です。MoMo太郎の記憶では、バブルの末期、平成のはじめ頃に出来た施設だと思います。正面玄関の前にあった銅像です。立膝をついたお行儀の悪いお姿のこの銅像、どこかで見たことがあるな、と思ったら、長崎市にある平和祈念像でした。北とぴあで催し物がある時は、ガースーのように遅刻しないようにしないと、そして、なにより戦争で失われた多くの命の冥福を、遠く離れた東京都北区の地から祈りました。北とぴあの最上階は17階で、無料で利用できる展望ロビーになっています。無料が好きなMoMo太郎には有り難い施設です。この展望ロビーからは関東平野が一望できます。こちらは南側の景色です。わかりやすく目立つのは、この東京スカイツリー。こちらは東側の眺め、天気が良ければ筑波山とか見えそうです。もう少し手前に目を落とすと、隅田川と首都高速の中央環状線が見えました。こちらは西側の都心部。ビルの合間から薄っすらと東京タワーが見えました。こちらは北側の眺め、ちょっと晴れ間が見えていました。北とびあの真下を見ると、王子駅がみえます。京浜東北線と北陸新幹線です。こちらは赤羽方面から走ってきた京浜東北線も撮影できました。霞んで見えていますが、尾久車両センターです。鉄道が好きな方にはこの場所有名なんでしょうね。【つづく】人気ブログランキング王子駅界隈 (その1) 北とぴあ
Sep 3, 2021
閲覧総数 162
44

2月23日に、たまたま、小田急の新宿駅を利用したら、白いロマンスカーVSE(50000形)を見かけたので撮影しました。2022年3月11日で定期運行を終了するそうですね。定期運行終了後は、イベント列車として運行予定だそうですが、2023年秋ごろには引退予定だとか。何度かロマンスカーに乗ったけど、ロマンスなんて生まれなかったです。人気ブログランキング白いロマンスカー・VSE(50000形)
Feb 26, 2022
閲覧総数 257
45

池袋西口駅前のある植物で作られたフクロウの一家がいました(→→→こちら)。これは、モザイクカルチャー(→→→こちら)という方法で作られたもので、人、動物、風景などの形を金属のフレームで作り、土を入れ、花や草を植え込んだものですそうです。こちらはお母さんと子供のようです。子供のふくろうの名前は「えんちゃん」というそうです。おかあさんフクロウの名前は「えんちゃん母」だとか、こちらのフクロウはお父さんのフクロウで名前は「えんちゃん父」だそうです。確かに、子供がいると「〇〇(子供の名前)ちゃんのパパ」とか近所の人に呼ばれるようになるので、名前は必要はないのでしょうか、なんだか「バカボンのパパ」みたいですね。そして、池袋西口です。池袋からJRに乗って帰宅しました。(池袋まち散歩のコースです)【了】人気ブログランキング池袋まち散歩(その11)池袋駅西口駅前広場モザイカルチャー
Jul 4, 2022
閲覧総数 147
46

厳島大弁財天から更に府中街道を北に歩くと、大きな公園がありました。窪東(くぼひがし)公園(→→→こちら)という公園でした。国分寺市のホームページによると、窪東公園は、水と緑と芝生大広場と大型カラフル複合遊具の公園として、市民に親しまれています。広い園内には、すべり台・鉄棒・水遊びの川・ベンチ・トイレ・あずま屋休憩所などが設置されており、子ども連れにも人気のスポットです。ということでした。確かに、広い芝生広場がありました。公園を出てさらに北に歩くと小平市に入ります。小平市、MoMo太郎がこれまで足を踏み入れたことはない街です。何があるのでしょうか、楽しみです。(秋の国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキングへ秋の国分寺(その5) 窪東公園
Jan 17, 2023
閲覧総数 85
47

富士そばで紅生姜天そば(570円税込み)を頂きました。紅生姜の天ぷら、ビリッとした辛味と酸味がミックスされて、なかなか美味しいですね。ところで、紅生姜の天ぷらの発祥は大阪だといわれています。元々関西では、梅酢を活かすために紅生姜を作っていたので、その紅生姜を美味しく食べるため、衣を付けて揚げるようになったんだとか。でも東京でも、紅生姜をかき揚げの具材にして、紅生姜の天ぷらが食べられてはいるんですね。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 紅生姜天そば
Jun 15, 2024
閲覧総数 183
48

大阪へ出張に行った時に時間が空いたので、軽く駅間歩きをしてみました。まずは、大阪駅から環状線に乗ります。西九条、新今宮方面へは、大阪環状線(内回り)になります。名古屋市営地下鉄に倣えば「左回り」ですね(→→→こちら)京橋・鶴橋方面へは大阪環状線(外回り)になります。名古屋市営地下鉄に倣えば「右回り」ですね。大阪環状線の車両です。山手線と違い色んなタイプの車両が走っているみたいでした。桃谷駅に到着です。JR西日本のホームのベンチはこんな形の配列でした。それから、山手線と違って、ホームの幅が広い感じでした。(駅間歩き 桃谷~鶴橋コース)【つづく】人気ブログランキング駅間歩き 大阪環状線(桃谷~鶴橋)(その1) 環状線は内回りと外回り
Nov 10, 2024
閲覧総数 249
49

日暮里第二小学校から尾竹橋通りを鶯谷駅の方に向かって歩き、今度は言問通りを通って、谷中・根津方面に向かいます。JR山手線を跨ぐ寛永寺陸橋の上から、北の方を撮影すると、京成電鉄の車両がJR線の上を渡っていくところが撮影できました。言問通りを歩いて行くと、古くからあるような商家の建物がありました。看板には、吉田屋本店とありました。建物の前にあった案内板です。台東区のしたまちミュージアム付設展示場の「旧吉田屋酒店」(→→→こちら)です。台東区谷中6丁目で江戸時代から代々酒屋を営んでいた「吉田屋」の建物が移築され、酒類の販売に用いる道具や資料が展示されているそうです。建物は明治43年(1910年)に建築されたもので、当時の商家建築の特徴をよく伝えているものだそうです。谷中の歴史やそこに住んだ人々の生活を私たちに知らせてくれる、貴重な民俗資料となっています。店内の様子です。こちらには酒瓶などが展示されています。また、宣伝用のポスターなども展示されていました。店に置いてあった五玉そろばん。MoMo太郎の祖父は、ずっと五玉そろばん使っていました。最近は小学生の間で習い事として、「そろばん」が人気あるようで、この間も電車の中で、小学生の女の子が母親に向かって「私の好きな習い事は、そろばんと水泳」と話していました。でも五玉そろばんは、使ったことがないでしょうね。旧吉田屋酒店と道路を挟んで向かい側あった喫茶店(→→→こちら)。ちゃんと営業しているみたいです。(日暮里界隈散歩コース)【つづく】人気ブログランキング日暮里界隈散歩(その2) 旧吉田屋酒店
Oct 29, 2025
閲覧総数 108
50

3月24日、新宿区下落合にある「おとめ山公園」(→→→こちら)を通りかかった時に撮影した桜です。東京の桜の開花宣言は、3月19日でしたが、この日は三分咲きといったところでしょうか。桜の花を撮影しようしてスマートフォンでズームしてみましたが、MoMo太郎の使っているスマートフォンはデジタルズーム、つまり、撮影した画像の一部を切り抜いて拡大する方式のようで。画質は凄く悪いですね。やっぱり、撮影するならちゃんとした光学ズームがあるデジタルカメラで撮影すべきだったです。日当たりのいい所にある桜は、このようにほぼ満開といったところで、やっぱり太陽の力って偉大ですね。人気ブログランキング新宿区おとめ山公園の桜
Mar 28, 2026
閲覧総数 770

![]()
