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只見ダムの最上流部にあるこの広場には、いくつかの石碑らしいものやお堂のようなものもありました。「石伏(いしぶし)由来の碑」という石碑があり、只見ダムの建設に伴って全戸移転となった石伏集落の歴史と、その際に石伏集落に眠る祖先の墓をここに移設し墓地公園としたということが記されていました。この自然石も墓石なんでしょうね。こちらは「家畜墓碑」という文字が刻まれていました。こちらは先人の霊を供養する供養塔のようです。こちらの建物は、お堂のようです。お堂の扁額には「子安地蔵 藥師如来 弘法大師」というありました。こちらは石伏集落にあった石仏群なんでしょうね。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その12) 石伏由来の碑
Sep 25, 2026
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西鉄柳川駅まで行ってきました。ここ柳川市、戦国最強の武将と呼ばれ、初代柳川藩主になった立花宗茂(→→→詳しくは、こちらです)とその妻の誾千代を主人公にした大河ドラマの誘致に力を入れています。そこから、貸切バスに乗って、着いたところは大川市役所の前です。10月7日~9日まで、家具生産量日本一を誇る大川市の恒例の家具販売イベント「大川木工まつり」が開催されています。期間中には毎年約18万人が大川市を訪れると言われています。メイン会場は市役所前のこの緑色の大川産業会館です。ここでは家具の見本市、展示即売会が解されています。(※デジカメの逆光補正を使ったせいか、車が二重に写っています。)大川産業会館の表札ですね。関係者のみなさんそろいの法被を着て頑張ってますね。こちらは、大川市の家具産業に貢献のあった方の胸像です。こちらは、大川産業会館のそばにある大川中央公園の様子です。たくさんの露店が並んで賑やかですね。そして、こういう場所には必ずある太宰府名物の梅が枝餅のお店。そしてこちらは公園内に設置された屋外ステージです。まだ、朝早くてなにもやっていませんでした。そして、これは公園周辺にあるクリークと呼ばれる水路です。ちょっと公園風に整備されていますね。ちなみに、木工まつりで売られている家具、結構、お安くしているそうですが、IKEAやニトリで売っている家具よりは、当然お高かかったです。しかし、IKEAの家具はIKEAの値段の価値しかありませんが、大川家具は、値段以上の価値があると思います(多分)。【つづく】人気ブログランキング第68回大川木工まつり(その1) 大川家具が安い
Oct 9, 2017
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セルフサービス形式のコーヒーショップのチェーン店、カフェ・ベローチェ(→→→こちら)で、ドリンクを注文すると「オリジナルビーフカレー」がなんと半額の415円になるキャンペーン(10月15日まで)をやっていたので、ブレンドコーヒーのレギュラーサイズとカレー(合計765円税込み)を、ちょっと遅めのランチにいただきました。こういう、カレー専門店でないチェーン店でカレーを食べると、MoMo太郎は、だいたいどこも似たような味に感じるのですが、他の人はどうなんでしょう。思うに、一からスパイスを調合してカレールーを作るのではなく、ベースとなる、どこかのメーカーが作った業務用のカレールーを基にして、それぞれのチェーン店でスパイスを付け加えたり、具材を入れたりして、作るので、なんとなく同じような味になるのかも、と思ったりしました。人気ブログランキング孤独のグルメ カフェ・ベローチェでカレーを食べました
Oct 7, 2025
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千葉県の歌というのがあるそうです。「せがれ館山 毛は茂原 ちょいとそこらを佐原せて~ 本当にあなたは銚子よい 早く入れてよ千葉つけて~ちんちんぷらぷら まんまんぱくぱく佐原あたりは良いけれど 九十九里まわせば銚子よい 姉ケ崎から五井五井と 八街いけない ちょい松戸~ちんちんぷらぷらまんまんぱくぱく」という歌詞を以下のメロディーで歌うそうです。忘年会や新年会で、本気で歌うと、セクハラになるかもしれませんから、気をつけて下さいね。昨夜、間違って書きかけたままアップしてしまいましたので、削除して再度アップしました。コメントをいただいた皆さん大変申し訳ありませんでしたm(__)m。人気ブログランキングへ千葉の歌
Dec 5, 2015
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新松戸地区を東西に貫いている「あめりかふう通り」にやって来ました。「あめりかふう」と名乗りながら、あまりアメリカンな雰囲気はしない並木道です。この街路樹が「モミジバフウ(紅葉葉楓)(→→→こちら)」という種類で、北米原産であることから、別名「アメリカ楓(フウ)」や「アメリカソゴウコウノキ」とも呼ばれていることから「あめりかふう通り」と名付けられているそうです。このように葉はカエデ(楓)に似ていますが、5~7に裂けるのと葉軸に対して互い違いに小葉が付くタイプなので、カエデとは違うと見分けられるそうです。「あめりかふう通り」と交差する「きょうちくとう通り」を歩きます。かなり大きな送電線が中央分離帯に建てられています。このあたり、大きな集合住宅などがあり、いかにも住宅街といった町並みです。さらに北に向かっていくと、まだ農地が点在している住宅街の中を通って、流鉄(→→→こちら)流山線の小金城趾駅に出ました。(新松戸~北小金コース)【つづく】人気ブログランキング紅葉彩る松戸を訪ねて(その2) あめりかふう通り
Jan 4, 2025
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万代橋を渡って只見ダムの右岸側に出たところにある広場です。この広場にあった石碑です。松尾芭蕉句碑がありました。只見俳句会という団体が建立した句碑ですが、「行く春や鳥啼魚の目は泪」という句は芭蕉が「奥の細道」の旅に旅立った日に詠んだ俳句として知られた句ですが、その下の「はせを」というのは何なんでしょうね。さらこちらにも、くずし字で読めませんが、短歌のようなものが刻まれた石碑がありました。石碑の裏には、「昭和四十九年十一月三日文化の日有志一同建立 皆川成一郎書」とも刻まれていました。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その11) 松尾芭蕉句碑
Sep 24, 2026
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久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。駅間さるき、まだ懲りずに続けています。こちらの西鉄天神大牟田線の大善寺駅からスタートです。駅前から見える相輪(そうりん)を持った建物。なんなんでしょう。仏教関係の施設かも。どうやら、このお寺の納骨堂のようでした。くまタクシー。熊でしょうか隈でしょうかそれとも久万でしょうか。運転手がクマモンということはないでしょうね。福岡県道23号久留米柳川線、通称「柳川県道」です。この道に沿って歩きます。宅老所(?)モモタロウです。この辺り、水田が広がっています。時期的にはもう刈取りは終わっていますね。うなぎ屋さんの看板です。うどん屋さんです。筑後地方の人はラーメンよりもうどんが好きなのかも。店の構えは民芸調でした。うどん屋さんらしい感じですね。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(大善寺~三潴) (その1) 柳川県道を歩く
Dec 18, 2017
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JR山手線の大崎駅から東京臨海高速鉄道りんかい線に乗ってお台場の方へ出かけました。お台場へは、東京駅から都バスに乗るか、新橋や豊洲から「ゆりかもめ」を利用していたので、りんかい線ははじめての利用です。りんかい線は新木場からお台場を通って大崎を結ぶ路線で、JR東日本の埼京線・川越線と相互直通運転を行っていますので、JRの車両がそのままりんかい線に乗り入れているのですが、このりんかい線はこの先、東雲まで地下を通っています。ということは、地下鉄みたいなものですが、地下鉄の場合、非常時にトンネルが狭くて列車の側面に脱出することができないため、下の丸ノ内線の車両のように、列車の先頭部と最後部に非常時脱出用貫通扉を持っています。しかし、JRから乗り入れのこの車両は、非常時脱出用貫通扉がありません。ということで、万が一の時の不安を持ちながらの乗車でした。目的地はこの国際展示場駅の近くです。駅名標です。隣の駅名の「東雲(しののめ)」ってなかなか読めない難読漢字です。東雲とは「夜明けの空が東方から徐々に明るんでゆく頃」のことを意味する古語ですが、それでどうして東の雲という漢字をあてたのでしょうね。階段を登ってコンコースへ。陽の光が差し込んでくる明るい雰囲気がいいですね。駅舎のデザインもなんか未来を感じるデザインに思いました。そして、目的地へ広い歩道が続きます。この奇妙な建物が東京国際展示場(ビックサイト)のシンボルの会議棟。金色に光っているのが不思議です。どんな材料を使っているのでしょうか。こちらで開かれる展示会の見学にやって来たのです。人気ブログランキングはじめての東京臨海高速鉄道りんかい線
Nov 21, 2022
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一昨日、MoMo太郎へのコメントの中で、>源氏について質問があったので回答をコメントしましたが反応なしですね。というコメントを頂きました。実は、頂いたコメントの後に「返事を書く」というのがあるので、大抵のコメントへの反応はそこに書いています。おそらくこの方は、自分のブログへ書き込みが欲しかったんでしょうか?そういう「承認欲求」みたいなものに的確にこたえられなくて申し訳ないです。どの方からどのようなコメントを頂いたのか、MoMo太郎の記憶するメモリーの容量が少なく、皆さんのブログのコメント欄に反応できないことも多いので、ご容赦いただくようにお願い申し上げます。さて、JR東日本の新橋駅の5番線と6番線のホームの有楽町側です。どうしてこんなに幅が狭いんでしょうね。人気ブログランキング新橋駅のホームの先端は狭い
May 4, 2025
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やがて、警報局の施設が見えてきました。この看板には、「この川の上流0.5キロメートルのところに只見発電所と只見ダムがあります。発電所で電気を起こすときや、ダムに貯まった水を流すときは、サイレンでお知らせしますので、そのときは危険ですから河原に降りないで下さい。」といったようなことが書かれていました。只見川の岸から只見ダムが見えました。望遠でダムの放流ゲートを撮影してみました。右岸側は発電した後の水が流れ出るゲートのようです。只見ダムの近くまで来ると、山小屋ロッジ風の建物がありました。歳時記会館(→→→こちら)という施設で、只見町の物産品の直売施設のようでしたが、もう営業はしていないようでした。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その7) 只見ダムの放流警報装置と歳時記会館
Sep 20, 2026
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只見ダム(→→→こちら)へ到着しました。石碑には「只見ダム」と刻まれていましたが、陰になって上手く撮影できませんでした。只見ダムは、岩石と土砂を積み上げて造られたロックフィルダム(→→→こちら)です。Jpower(電源開発株式会社→→→こちら)が建設し管理運営している発電用のダムと水力発電所です。只見ダムの貯水池(ダム湖)です。山並みと青い空そして雲が水面に映っていて水の清らかさがわかります。ダム湖の一番上流には、巨大なコンクリートダムが見えました。このダムは同じくJ-POWERが建設し管理運営している田子倉ダム(→→→こちら)です。只見ダムはこの田子倉ダムにある田子倉発電所の逆調整池(放流した河水を平均化して下流への影響を最小限に抑制するための貯水池)として建設されたものです。田子倉ダムの直下流に橋が架かっています。MoMo太郎の目論見としては、この橋を渡ってダム湖を一周してくることにしています。こちらはダムの下流側です。ダムのある只見川は一級河川・阿賀野川水系の支流で、この水は日本海へ流れて行きます。ダムの放流ゲートから放流された水の勢いを緩めるための副ダムと呼ばれる施設です。ダムの放流ゲートの堰柱です。水利使用標識です。河川の水を利用するのには、このように国土交通省の許可を得ないといけないようです。こちらは只見発電所。この下に発電機があるそうです。発電した電気はここから電力の消費地に送られるのですね。こういう水力発電所って、他の発電施設(原子力発電所や太陽光発電所など)に比べれば安全で環境にも優しい上に出力の制御も容易なので、日本の国土には適した発電施設だと思うのはMoMo太郎だけでしょうか。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その8) 只見ダムへやって来た
Sep 21, 2026
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久留米市に津福という地区があります。そこにある水路、多分、水田に灌漑するための用水路、があります。周辺の土地よりも盛土されて高くなったところを流れているようです。今は冬なので水を流す必要が無いので、水路は空っぽです。水路の端はパイプでさらに流れるようになっていて、この斜面の下に向かって流れているようですが、しかし、゜この道路の下を流れているようで、これはいわゆる「伏せ越し」とか「逆サイフォン(→→→こちらです)」と呼ばれる形式になっているようです。この仕組みは「ベルヌーイの定理(→→→こちらです)の応用です。久大線のところまで続いています。水路は線路の下を逆サイフォンになって流れているようです。この水路、まだ続きます。ここからまたも逆サイフォン。家と家の間を流れ、まだ、このあたり水田がありますね。そして、またも逆サイフォン。さらに追いかけて行くと、こんなところに出てました。でも、まだ、♪水路は続くよどこまでも。道路の側溝みたいですが、用水路の続きです。ちょっと幅が広くなっています。そして、盛土の上をまた流れます。ここでさらに逆サイフォンになって、また続いているのでしょうか?この川は金丸川で、この先は住宅街です。対岸から見ると、ここで終わって、金丸川に流しているのでしょうかね。水色の線が、今回歩いた道筋です。人気ブログランキングへ逆サイフォン
Dec 20, 2018
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動燃通りと呼ばれる道を西に向かって、JR常磐線の東海駅を目指して歩いていると、この案内板がありました。東海十二景真崎浦夕照(まさきうらせきしょう)(→→→こちら)という景勝地があるそうです。かって真崎浦は,須和間,照沼,長砂,足崎,高野にまたがる周囲約4.5km、東西2km、南北800m、面積約136ha、水深4から5mの沼地でしたが、安政3年(1857年)に干拓事業に着手し、途中中断しながらも、昭和13年(1938年)に干拓事業は完了したそうです。干拓とは、遠浅の海や干潟、水深の浅い湖沼やその浅瀬を仕切り、その場の水を抜き取ったり干上がらせるなどして陸地にすることで(→→→こちら)、土砂で地盤を上げて陸地にする埋立とは少し違うようです。この説明板の近くに、もう一つ別の説明板があり、木立の中へ続く道がありました。「真崎浦干拓事業舟着場跡」がこの奥にあるようです。説明板には、安政3年(1856年)に那珂湊の酒造家、西野長治郎氏が真崎浦の干拓をはじめ昭和13年(1938年)に完成したことが記されており、この場所から西野長治郎が舟を出して工事の指揮にあたったそうです。林の中に入って行くと、鳥居と小さな祠がありました。工事の完成を願って建てられたものでしょうか。鳥居の傍に一段と低くなった水路跡のようなものがありました。ここが舟着場だったところなんでしょうね。さらに西に歩いて行くと、水田地帯が広がっていました。ここが真崎浦干拓で拓かれた水田です。道路わきに石碑と説明板が建てられています。石碑には、落陽の厳かさよ。壮大な朱金色の華やかさよ。巨大な日輪は、いまその終りの姿を西丘の森のかげにし沈めようとしている。と刻まれていました。。こちらの案内板には、真崎浦の風景と航空写真がありました。広々とした水田、先人たちが苦労して拓いたこの水田があるので、今の我々も毎日お米が食べられるのでしょうね。とは言え、田畑が宅地などに転用され、農家の数も減り、今年のように端境期には米不足に心配する事態も増えていきそうな時代になりました。この広い真崎浦干拓地を見下ろすように高台に大きなお屋敷が建っていました。(東海村を歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング北関東の旅 東海村(その9) 真崎浦夕照
Nov 29, 2024
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再び只見線の踏切を渡ります。草に覆われいますが、ちゃんと列車が走っている線路です。この後、新潟県小出行の列車が走って行きましたが、線路脇で地元のご婦人2名が通過する列車に対して、両腕を大きく振っている姿を見かけました。地元の人にからは愛されている鉄道路線なんでしょうね。山の斜面が切り開かれて、スキー場になっていました。結構、駅近のスキー場なので、雪の季節には、車で来るよりも列車出来て、滑るのが楽でいいかもしれません。そういう意味では只見線があって助かりますね。この只見スキー場(→→→こちら)、一枚バーンの小さなスキー場のように思われましたが、スキーヤーの評判はどうなんでしょう。そして国道252号に出ました。国道252号は新潟県柏崎市から魚沼市を経て福島県会津若松市に至る一般国道です。道路の中央には、消雪パイプか通っていて、地下水で雪を溶かすのでしょう。大量の水やエネルギーを使っても、車が通行できるようにすることが必要なほど、住民生活にとって大切な道路ということですね。こういう施設のあるのも雪国ならではですね。こちらは道路脇にあるゴミ収集場所のようです。雪が降ってもゴミが収集できるように、屋根付きになっているのでしょう。こちらは駅前にあった、消火栓です。一段高く設置しているのは、雪で埋もれてしまわないようにとの配慮なんでしょうね。そんな雪国の暮らしを感じる風景を見ながら、町を歩きました。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その5) 雪国の暮らしを感じる
Sep 18, 2026
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国道252号を新潟方面に向かって歩いて行くと、次の目的地になる「ただみ・ブナと川のミュージアム(→→→こちら)」の看板が見えてきました。ここが施設への入り口です。奥に見えるちょっと変わった三角形の屋根の建物が、ただみ・ブナと川のミュージアムです。「ただみ・ブナと川のミュージアム」は、ブナを中心とした自然環境と、その自然を巧みに利用し暮らしてきた先人の知恵と技術を伝えるため、2009年に開館した施設です。入場料は、「ふるさと館田子倉(→→→こちら)」も両方入館できる共通券が高校生以上310円です。写真は撮影してもいいそうなのですが、個人での利用に限るとのことで、こういうSNSへの掲載は遠慮して、建物の外観だけにしますが、展示内容は充実してました。ブナと川に囲まれた自然豊かな土地での雪国での暮らしに関係する民具などを展示するほか、地域の地形と地質についての解説や展示。只見町のブナの森の自然を再現する植物の再現、本物の熊はいませんが、熊やシカなどの哺乳類の剥製、昆虫標本も展示されていました。さらに、水槽には本物のイワナが泳いでいました。入館料の310円以上の値打ちはある展示でした。こちらの見学の後は、只見ダム(→→→こちら)へ向かって歩いて行くと、建設機械メーカーのえいぎょ所がありましたが、只見町の他、近隣の檜枝岐村(ひのえまたむら)、昭和村などが保有する除雪ドーザーが駐車してありました。町や村が除雪をするのでしょうね。役場職員にはこういう重機を運転できる職員さんがいるんでしょうか。道路の脇にあった大きな木、道路の上まで覆いかぶさるように育っているのが面白くて撮影してみました。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その6) ただみ・ブナと川のミュージアム
Sep 19, 2026
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そして、「玉川神社」(→→→こちら)に到着しました。寿永年間(1182年-1185年)に領主の畠山重忠一族が信濃国一宮の諏訪大社より分霊を勧請したことが起源と伝えられている神社です。その経緯より「おすわさま」と呼ばれて紹運来福の神様として、地域住民の崇敬を集めているそうです。この神社の春祭りを八雲祭、または天王祭といって、従来七月の暑い盛りに行われていたものが、 最近では四月第二日曜日に行われているそうで、MoMo太郎が訪れた4月7日(日)は、次の4月17日のお祭りに向けて、氏子の皆さんが準備に忙しくしているところでした。お祭りでは、神輿渡御と山車巡行が行われているそうで、山車も洗車してお祭り準備をしていました。ちなみに羽村市では、毎年4月の第二土曜日と第二日曜日に「羽村春祭り(八雲神社春季例大祭)」が開催されていて、市内6社(五ノ神社:ごのかみしゃ/玉川神社/阿蘇神社/神明神社/松本神社)の神社の山車や神輿が市内を練り歩き、また、八雲神社の神輿が勇ましく川を渡るところが見ものだとか。また、「西多摩小学校発足の地」という説明板もありました。明治10年(1877年)春、境内に羽村で最初の小学校ここ玉川神社の境内に校舎を新築し「羽村学舎」と称したそうで、明治22年(1889) 羽村・五ノ神村・川崎村が合併して西多摩村となり「西多摩尋常高等小学校」と 称し, その12年後に 現 羽村一中の所在地に校舎を新築, 移転。したそうです。昭和6年(1931)「西多摩国民学校」, 昭和22年(1947)「西多摩小学校」と校名を変更。昭和31年(1956)町制施行により羽村町が誕生。(1991年に 羽村市) 「羽村小学校」と校名変更。翌年 現在地(羽加美4-2)に移転し, 「羽村西小学校」となる。あったのは、この説明板だけで、石碑などは見つけられませんでした。このような住宅街の中を通って、多摩川の方に向かいます。この道は、水上公園通りという洒落た名前がついていました。(春の羽村散歩のコース)【つづく】人気ブログランキング春の羽村散歩(その4) 玉川神社
May 27, 2024
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富士そばで紅生姜天そば(570円税込み)を頂きました。紅生姜の天ぷら、ビリッとした辛味と酸味がミックスされて、なかなか美味しいですね。ところで、紅生姜の天ぷらの発祥は大阪だといわれています。元々関西では、梅酢を活かすために紅生姜を作っていたので、その紅生姜を美味しく食べるため、衣を付けて揚げるようになったんだとか。でも東京でも、紅生姜をかき揚げの具材にして、紅生姜の天ぷらが食べられてはいるんですね。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 紅生姜天そば
Jun 15, 2024
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只見ダムの近くにあったこの建物は、J-POWERの只見展示館(→→→こちら)という施設です。只見展示館は、福島県只見町にある水力発電をテーマにした学習施設です。模型や映像を通じて発電の仕組みを学べるほか、只見ダムの絶景を望む展望台やVR体験も楽しめます。しかし、福島県の山奥の奥会津にこのような水力発電所があり、我々もその電気を使っていると考えると、未だに先の見えない原子力発電所のことも含めて、我々の生活に必要な電力は福島県が生み出してくれていたのだと思うと、福島県には深く感謝しないといけないですね。こちらは展示してあった、発電用の水車の模型です。左側が田子倉発電所(→→→こちら)で使われているフランシス水車(→→→こちら)です。フランシス水車は内側に向かって流れる水を作用させる反動水車で、有効落差にして数十メートルから数百メートルの範囲で適用されるそうです。右側が只見ダム下流約13kmにある滝発電所(→→→こちら)で使われているカプラン水車(→→→こちら)です。カプラン水車はプロペラ状の羽根車(ランナ)の羽根の角度を調整できるもので、フランシス水車では不可能であった有効落差の低い発電所においても効率的な発電を可能とした水車だそうです。只見展示館の建物にある階段を登っていくと建物の屋上から只見ダムの展望台になっていました。展望台から見た只見ダムの堤体です。こちらはダム湖の方の展望です。ダム湖の最上流にある田子倉ダムです。ダムの堤高は145m、堤長は462mの重力式コンクリートダムで、総貯水容量は4億9,400万m3。ダム湖の満水位標高は510mになるそうです。ダム湖の水面にさざ波がたっていました。水鳥が飛び立つところでした。よく見ると小さな鳥の姿が見えているのですが、ズームが十分ではなかったので、わかりにくいですね。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その9) 只見展示館
Sep 22, 2026
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愛宕神社本殿の裏側には、また石段がありました。こちらは、案内板によると、この石段を登り詰めた処に愛宕神社の奥社、飯綱神社が有り御祭神の手力雄命が鎮座する。其の奥の御奉殿は菊花紋を付けた青銅造の六角堂で夷針神社が祀られている。台座は自然石の美事な亀甲形で芸術的魅力を感じる。西に松尾神社、芭蕉の句碑があり一ツ葉の自生も見られる。東には水の神、龍神社が祀られ巴川の水源が泉地名の起源と思われる。北は愛宕山を守護し神徳の発揚に寄与した十三天狗の祠が有り関東の奇祭として悪態祭は広く知られる。ということで石段を登りつめたところにある飯綱神社です。飯綱神社拝殿の裏に回ると、青銅製の六角堂と十三天狗祠がありました。六角堂は夷針神社を祀っているそうです。夷針神社(いはりじんじゃ)(→→→こちら)とは聞きなれない神社の名前ですね、そして、こちらが十三天狗の祠です。十三天狗とは、仙境異聞(→→→こちら)によれば、元は五天狗であったものが、十二天狗になり、さらに狢内(むじなうち)村(現在の石岡市龍明)の長楽寺の僧侶が加わって十三天狗になったそうです。この辺りは吾国愛宕県立自然公園(→→→こちら)としてハイキングなんかを楽しめるようになっているんですね。こちらは「御泉井神」と書かれた札があり、神聖な泉が湧いているんですね。愛宕神社の東側の景色です。望遠を使ってみると、茨城県中部の鉾田市、東茨城郡茨城町、大洗町にまたがる那珂川水系の汽水湖の涸沼(→→→こちら)まで見えました。(笠間市愛宕山)【了】人気ブログランキング北関東の旅 愛宕山(その3) 飯綱神社、六角殿、十三天狗祠そして涸沼
Aug 5, 2024
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中村ゆりさんが亡くなって(→→→こちら)、落ち込んでいたMoMo太郎に職場の女性職員が「大丈夫、中村ゆりか(→→→こちら)がいるから、そちらを応援すれば」と言って慰めてくれました。ということで、これからは、中村ゆりか推しで行くことにしました。ということで、今日も奥会津只見町の旅の思い出をつづります。只見駅から、こちらの神社へお参りしました。社号碑では「村社 瀧神社」とありました。こちらには、近くにある別の神社を案内するキャラクターの三石縁さん。縁結びに御利益がありそうな神社なんですね。後でお参りしてみましょう。こちらは手水舎ですが、下になに石の銘板が。内容は、もともと地元の青年団が神社の神撰田(神様にお供えするお米を育てる田)としていた田んぼが圃場整備(農地の区画整理工事)の際に、その田んぼがなくなっので、その代わりにこの手水舎を寄付したと、いうことのようです。耕地整理記念碑も建てられていました。耕地整理事業は、手水舎寄進のきっかけとなった圃場整備事業の以前に行われた農地の整備工事だったんでしょうね。こちらは只見町の簡易水道事業が竣工した記念の石碑です。瀧神社の由来もありました。記載されていた鉄板が歪んでいるのがちょっと残念です。長いので、要点だけ書くと、新編会津風土記によると、治承四年(1180年)の勧請。御神体は金幣であると伝えられている。旧只見村を流れる只見川は古来より暴れ川として有名で、氾濫によって田畑・家屋が冠水・流失し、人々を毎年のように困らせていた。享保年間(1716~1736年)、相変わらず洪水に悩まされていたため、当時只見村熊野神社の神職であった赤塚伊勢守尹直は只見川の鎮撫を祈願。しかし、熊野の御祭神は戦神であるスサノオ。荒ぶる性質をもっていたためか、暴れ川の鎮撫には一向に効き目が無い。そこで享保十八年七月六日、上ノ原の地(現在のJR只見駅前あたり)に瀧神社を建立した。瀧神社には水神である瀬織津姫命を祀り、荒れ狂う只見川を鎮め、村人の安穏を願ったのだという。その後、明治三十年に約100メートルほど山際の現在地に遷座した。さらに、また石碑がありました。なにが記されているのか、全く判読できませんでしたが、雰囲気から戦争で亡くなられた方々の慰霊碑だと思われます。こちらが社殿。なかなか本格的な雰囲気です。龍の透かし彫物がありましたが、なかなか立派なもののように思えました。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その3) 瀧神社
Sep 16, 2026
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三石神社(→→→こちら)のキャラクター(「アテンドル」と呼ぶらしいです)三石縁(みついしゆかり)さんの案内に従って、この用水路脇の道を歩いて行きます。奥会津の只見町、山深い里の雰囲気を感じました。訪れたのは8月初旬でしたが、稲にはもう穂が実っていました。昨年に比べてお米の値段が下がるらしくて、消費者にはうれしいですが、生産者には厳しいことになりそうですね。このような状態が続くと、日本に稲作農家がいなくなって、こういう風景も見られなくなるかもしれませんね。三石神社の鳥居が見えてきました。 この奥、つまり山の中に社殿があるようです。三石神社は、大きな奇岩がご神体として祀られる神社だそうです。3つある岩のうち「三の岩」の岩に5円玉を通したこよりを結ぶと縁結びが成就するといわれているそうです。鳥居の向こうにスキー場のリフトの鉄柱らしいものが見えました。三石神社の由来がありますが、これも貼ってあるシートがかなり傷んでいて、文字も薄くなっていて、わかりにくいですが、要約すると、三石神社は、山中に一の岩、泪岩(なみだいわ)、縁結びの岩の三つの岩を磐座(いわくら・神の鎮座する所)としているところから三石神社と名がつけられたものと推測されます。祭神としては伊邪那美命(いざなぎみこと)、白山姫命(しらやまひめのみこと)、少那彦命(すくなひこのみこと)を祀り、縁結びの神と云われております。平安時代の末期文治年間(1185〜1190)奥州藤原秀衡征伐の大功をたてたため、源頼朝よりこの地を賜った金山谷、横田の坊主山内経俊が、夢枕に立った神霊のおげに導かれて、この地に奉願したと伝えられています。 また、三石神社を国の寺社奉行に登録したのも山内家と云われているそうです。 会津の山の中で、熊さんとは出会いたくないので、この神社への参拝は遠慮したので、詳しくは、福島県只見町の公認キャラクター「三石 縁(みついし ゆかり)」が、福島県只見町の観光スポット「縁結び・三石神社」などをした動画をご覧下さい。(奥会津只見町の旅)【つづく】人気ブログランキング奥会津只見町の旅(その4) 三石神社
Sep 17, 2026
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駅間さるき、どこまでも行こう。久留米のある筑後地方では歩くことを「さるく」と言います(→→→こちらです)。白銀川に架かるJRの鉄橋です。この川は別名を「銀水川」と言うそうで、かつては白銀のような美しく澄み渡った名水が流れていたそうです。住宅街の中の道を進みます。JRと西鉄が並行して走っているので、手前がJRの踏切、奥が西鉄の踏切になっています。朝のラッシュ時には自動車が渋滞しそうですね。この木造の駅舎は、JRの銀水駅(→→→こちらです)です。駅名標です。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の合計2面3線のホームになっています。【つづく】人気ブログランキングへ駅間さるき 西鉄天神大牟田線(東甘木~西鉄銀水) (その2)JR銀水駅
Feb 21, 2018
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駅間歩き南阿佐ヶ谷駅へ向かっています。この会社(→→→こちら)、昭和26年創業という歴史のある会社のようです。天沼陸橋交差点です。天沼陸橋、さきほど通った、中央線をまたぐ青梅街道の跨線橋のことですね。こちらは、有名な宗教団体の建物です。結構、全国各地に不動産を所有しているのですね。杉並区の清掃事務所です。軽トラックが沢山、駐車されていました。杉並区って、軽トラックでゴミ収集をしているのでしょうか。【つづく】人気ブログランキングへ駅間歩き 丸ノ内線(荻窪~南阿佐ヶ谷)(その4) 天沼陸橋
Sep 16, 2019
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2020年10月31日に開催された、JR東日本が開催する「駅からハイキング」(→→→こちら)に参加して御岳渓谷を歩いた報告です。この駅ハイキング、御岳渓谷の紅葉を楽しみにしてやって来たのですが、まだちょっと早かったですね。再び御嶽駅付近に戻ってきて、この建物に立ち寄りました。玉堂美術館(→→→こちら)です。川合玉堂といえば、こういう分野に疎いMoMo太郎も名前を耳にしたことのある近代日本画壇の巨匠の15歳頃の写生から晩年の作品まで幅広く展示されている美術館だそうです。駅からハイキングの参加者は、500円の入場料が100円割り引きになるという特典もあったので、見学することにしました。皇太子殿下も行幸されたようですね。館内の展示品は撮影できませんでしたが、美術館の庭園は撮影できました。枯山水の見事な庭園です。玉堂美術館を見学して、JR青梅線の御嶽駅に戻り、帰りました。【了】人気ブログランキングへ御岳渓谷を歩く(その10) 玉堂美術館
Dec 29, 2020
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白鬚橋から東に向かって明治通りを歩いてゆくと、「平賀源内顕彰碑」というのがありました。平賀源内(→→→こちら)といえば、江戸時代中期から後期にかけて活躍した発明家で、エレキテル(摩擦起電機)の復元製作や、火浣布(石綿の耐火布)の発明や、「土用の丑の日」わ発案したともいわれる人ですが、最後は誤って殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で病死したと伝わっている人ですが、そのお墓が台東区橋場のここにあるそうです。意外と立派な築地塀にかこまれていました。字が擦れて読めないですが、台東区教育委員会が設置した説明板です。ちなみにこのお墓は国指定史跡になっているそうで、ちゃんとしたものなんでしょうね。中に入ってみました。「史跡平賀源内先生墓入口」と刻まれた立派な石碑が建立されています。これがお墓です。真ん中の笠付の石塔が、平賀源内の墓で、後ろの石塔は従者の福助と言う人のお墓だそうです。そのお墓の横にあるのが、大きな板碑。平賀鳩溪先生墓域修築之碑です。伯爵 松平頼壽篆額とあるので、この題字は、松平頼壽伯爵の手によるものですね。篆額(テンガク)は石碑などの上部に篆文で書いた題字のことです。また松平 賴壽(よりなが)伯爵とは、源内の出身地である旧高松藩藩主の家柄につながる方だそうです。平賀源内の墓は、かってこの地にあった総泉寺(曹洞宗)にあったそうですが、区画整理により総泉寺は昭和三年(1928)板橋区小豆沢へ移転したのですが、香川県の有志の方の尽力で当地に保存されることが記されていました。スペースがなくて変な角度で撮影していますが、この板碑の裏には、杉田玄白の書いた墓碑銘が刻まれていました。平賀源内の葬儀を執り行ったのは杉田玄白でした。彼は江戸時代の蘭学医で国内初の人体解剖をおこない「解体新書」という医学書の刊行した人物で平賀源内とは交流があったのでしょうね。さて、こちらは橋場不動尊(→→→こちら)と呼ばれる天台宗砂尾山橋場寺不動院です。天平宝字4(760)年、奈良東大寺建立に尽力のあった高僧良弁僧正の第一の高弟寂昇(じゃくしょう)上人によって開創され、江戸時代には、周辺の三条公、有馬候、池田備前候などをはじめとする武家の尊信をも集め、明治末年の大火、関東大震災、そして昭和20年3月の東京大空襲の際にも、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍をまぬがれたことから、霊験あらたかな橋場不動尊として現在でも広く庶民に尊信されているそうです。ご朱印を集めている人が多く参拝しているようでした。こういうご朱印を集めている方が多いですが、スタンプ押してなにか文字を書いてもらうだけで初穂料(300円くらい)が必要なので、もったいなくてMoMo太郎にはできません。ちなみに不動尊とは、不動産屋さんの守り神ではなく、「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名となっています。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育てる神です。不動明王はその教えを受け継ぎ、仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守る仏さまということです。(このあたりの地図です)【了】人気ブログランキングへ「川の手通り」を歩いてみました(その10) 平賀源内のお墓
Mar 8, 2021
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埼玉県は戦後から書写教育が盛んで、鉛筆で字を上手に書くことを目的とした硬筆展「埼玉県硬筆中央展覧会」(→→→こちら)というのがあります。この展覧会に出品する小学生のために、筆のように、文字のハネやハライを書くことができる筆鉛筆というのがあるそうです(→→→こちら)。その中でも埼玉県だけで販売されている10Bという濃さの鉛筆があるそうです(→→→こちら)。10Bの数字は芯の硬さを表し、BはBLACK(黒い)の頭文字で、10Bは三菱鉛筆の中でも最も軟らかく濃いので、子供でも書きやすい鉛筆ということのようです。埼玉県民って、子供の頃から筆記具にこだわりを持っているのですね。この橋を渡ると蓮田市になります。この川が伊奈町と蓮田市の境になる綾瀬川(→→→こちら)です。綾瀬川は埼玉県を通って東京都足立区、そして葛飾区の四ツ木あたりまで続いている川です。綾瀬川沿いの道には大きな桜の古木がありました。春になるとこの桜の木の下を小学校に入学したての一年生の子供たちがランドセルを背負って歩いてくのでしょうか。もちろんランドセルの中には、埼玉県限定の筆鉛筆10Bが入っていて、最初に筆鉛筆で「さいた さいた さくらが さいた」と書くのでしょう。綾瀬川に沿って、ジョギングロードとなっています。この赤茶けた道がジョギングロード。弾力性舗装で、足に負担がかからないそうです。舗装を見ると、確かにゴムの中に籾殻、木片が混じっているみたいでした。(伊奈町から蓮田のコースです)【つづく】人気ブログランキング埼玉を知ろう(その6) 綾瀬川
Dec 25, 2021
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文化の京(みやこ)、文京区を散策しています。神田川を上流に向かって歩いて行きます。川沿いにあるのは首都高速道路です。このビルの前を通ると、離れていてもウナギを焼くいい匂いがしました。実はこのビルのお隣が「うなぎ はし本」(→→→こちら)という、天保六年(1835年)に創業して以来、同じ場所、同じ味で暖簾を掲げ続けているうなぎの老舗です。そして、高速道路が大きくカーブし神田川から離れていくあたりに来ました。神田川に流れ込む大きな暗渠の流出口がありました。これは今は暗渠化された東池袋から流れてきている水窪川(→→→こちら)の暗渠だと思われます。この橋の名称は、「江戸川橋」。かっては、神田川の中流域の中でも都電荒川線早稲田停留場付近から飯田橋駅付近まで約2.1キロメートルの区間は「江戸川」と呼ばれていたそうです。だから江戸川橋とい名称で、東京メトロ有楽町線の駅も江戸川橋なんだそうです。しかし、この区間も1970年8月に「神田川」に名称が統一されたそうです。こちらの暗渠の流出口は、豊島区立元池袋史跡公園の西に接する池袋デュープレックスタワーの敷地内にあった丸池が源泉として神田川に合流していた弦巻川(→→→こちら)が暗渠化されたことによるものでしょうか。そして、川に沿ってあるのが、文京区立江戸川公園(→→→こちら)です。神田川沿いにソメイヨシノが植えられており、春には多くのお花見の人が訪れます。訪れたのは2月の中旬なので、桜には早過ぎましたね。【つづく】 人気blogランキングに参加しています。よろしかったらクリックしてね文京区散策(その15) 神田川から江戸川
May 2, 2023
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いよいよ明日から待望のゴールデンウィーク。ということで4月最後の職場でのランチは、ちょっと贅沢に外に出て、松屋の牛めし(460円税込み)を頂きました。松屋って、この牛めしにしてもカレーライスにしても、何故か味噌汁がついてきます。また、「牛丼」と呼ばす「牛めし」というのかを、「ちょっとGPT」に聞いてみました。チャットGPTのお答えは、創業者のこだわりと差別化: 吉野家の牛丼と区別し、独自のブランドイメージを確立するため「牛めし」と名付けられました。でした。ところで、今年の9月20日~23日も連休となりますね。これで19日の土曜日も休めたなら、5連休です。こんなに休んでいいんでしょうか?人気ブログランキング孤独のグルメ 牛めし
Apr 28, 2026
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荒川区内の道というのは、こんな標識があって、途中で行き止まりになっていたり、自動車が入っていけなかったりすのが、ちょっと難儀させられます。そんな中で、ようやくたどり着いた荒川図書館。荒川区には南千住、尾久などにも図書館があって便利なんですが、ここにはむかし荒川区プラネタリウム館があったのです。しかし、荒川区立プラネタリウム館は平成25年3月31日を以て閉館してしまったそうです。ということで裏口の方に回って撮影した写真がこれです。このプラネタリウムは、昭和39(1964)年4月10日に開館。そして、なんとも豪勢に、「子供たちに宇宙をもっと身近に学んでもらうように」と、設立当初から入場無料だっのです。他の民営プラネタリウムのような大掛かりな投影ではありませんし、会場もプラネタリウムの丸い壁に沿って長椅子が置かれているだけで、星空を眺めながら居眠りすることもできませんでしたが、ここで宇宙のことを学んだ荒川区の小学生のみなさんk中には天文学や宇宙のことを研究している方もおられるのでしょうね(多分)。【つづく】人気ブログランキングへ
Dec 14, 2014
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信州そばのチェーン店「そじ坊」にあった「にしんそば」(815円税抜き)をいただきました。かけそばの上に身欠きニシンの甘露煮を載せた「にしんそば」、鰹節、昆布そして薄口醤油を使った出汁で、本場京都を思わせる一品でした。MoMo太郎が初めて「にしんそば」を食べたのは、小学生の時に父親と一緒に京都に行った時でした。にしんの甘露煮が美味しかったことを覚えています。それから、大学生活を京都で送りましたが、その時に時折、アルバイトなどでちょっと小金が入った時に、贅沢なものとして「にしんそば」を食べていたことを思い出しました。その後、仕事で東京をはじめ全国各地、そして海外を流れ歩くようになって、「にしんそば」とも長くご無沙汰しでいましたが、ようやく東京でも手軽に食べられるようになったのですね。そんなわけで、久しぶりの「にしんそば」、美味しかったです。ありがとう「そじ坊」さんm(__)m。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 鰊(にしん)そば
Feb 11, 2016
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千代田区の神田神保町のあたりには、明治大学・法政大学・中央大学・日本大学・専修大学などの有名私立大学があり、これらを「神田五大学」というそうです。その中でも、都営新宿線の神保町駅には「専修大学前」という副駅名があり、神保町の人には馴染みあるのが専修大学かもしれません。久しぶりに、水道橋駅と神保町を結ぶ専大通りを歩いているとこんな建造物を目にしました。これは昔の専修大学の校門で「黒門」と呼ばれていた門だそうです。東大の赤門に対して専修大学の別名が「黒門」とも呼ばれているそうです。その黒門が平成22年に復元されたそうです。なかなかシブイ感じですね。また、その隣には、専修大学を創立した人たちを紹介した看板もありました。MoMo太郎には余り縁のない大学ですが、専修大学、やはり名門ですね。人気ブログランキングへ専修大学の黒門
Mar 30, 2016
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さる5月7日、東京ドームへ野球観戦に行ってきた報告の続きです。試合開始前から盛り上がる中日ドラゴンズの応援団のみなさん。普段は、どんなことをやっている人たちなんでしょうか。こちらは、読売ジャイアンツの応援団です。坂本選手、人気ありますね。こちらはバックスクリーンに構えるカメラマンの皆さんです。こちらは中日ドラゴンズの堂上直倫選手、父上の堂上照さんも同じ中日ドラゴンズのピッチャーでした。先発陣の一角を占めていた時もありましたが、主に中継ぎだったと記憶しています。またお兄さんの堂上剛裕選手も2004年から2014年まで中日ドラゴンズに在籍し、戦力外通告を受けた後、すぐに読売ジャイアンツに育成契約で拾われて、現在は支配下選手として契約しています。つまり、父子3人が同一球団に在籍していたというわけですね。ちなみに、この堂上直倫選手、2006年に巨人もドラフトで一位指名した選手ですが、中日ドラゴンズに入団したそうです。読売ジャイアンツの2006年ドラフトの外れ一位がこの坂本勇人選手です。読売ジャイアンツの亀井選手の打撃です。投手は、読売ジャイアンツの宮國椋丞選手。2012年に高卒2年目ながら初登板・初先発・初勝利を達成し、2013年には開幕投手も務めたのですが、実績は上がらず、今は中継ぎで活躍中のようですね。先発完投できるエースになって欲しいと願っているファンも多いのでは。7回裏の攻撃の時に現れる横断幕です。、読売ジャイアンツ、なんだんかだと言っても、やっぱり人気球団ですから、プロ野球を面白くしていってほしいですね。【了】人気ブログランキングへ東京ドームで野球観戦(その4)
May 18, 2016
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九州を流れる大河、筑後川を巡り歩いた記録です。久留米藩は尾張国出身の土木技術者丹羽頼母重次を普請奉行として招き、河岸防護を目的とした荒籠(「あらこ」と読むそうです)を築造しました。下流側から撮影した下の写真では、筑後川に向かって石積みが飛び出しているだけに見えますが、上流からみると、川岸から川の中央に向かって張り出し、水の流れに沿って湾曲していることがわかります。もともとは洪水の勢いのある流れが堤防に当たるのを和らげるためりものたですが、流速緩漫な下流の水深維持と流路の固定にも役立ったそうです。それだけ江戸時代には筑後川の水運が重要だったのでしょうね。筑後川流域をブラブラと歩き回った記録を気が向いた時にアップしています。人気ブログランキング筑後川を行く(その37) 荒籠(あらこ)
Mar 15, 2019
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西暦2020年は東京オリンピックですが、1969年には未来を予言するような名曲がZager And Evans と言う二人組の音楽ユニットによって発表されていました。In the year 2525,If man is still alive,If woman can survive,They may find-2525年まだ男が生きていて女だって生き残れたらこんな風に思うかもーIn the year 3535Ain't gonna need to tell the truth,Tell no lies.Everything you think, do, and sayIs in the pill you took today.3535年わざわざ「本当のこと」なんて言う必要はなくなるね「ウソ」なんてつけないよ考えることもすることも,口に出すことだって今日飲んだ錠剤でみんな決まってるんだからIn the year 4545Ain't gonna need your teeth,Won't need your eyes.You won't find a thing to chew,Nobody's gonna look at you.4545年「歯」は要らなくなるはずだ「目」も必要なくなるね噛まなきゃいけないものなんて,そんなものがあるわけないし人に見られることだってなくなってるはずだからIn the year 5555Your arms are hanging limp at your side,You legs got nothing to do,Some machine's doing that for you.5555年両腕はただ力なく垂れ下がってるだけになる脚の役目もなくなるね機械が代わってくれるからIn the year 6565Ain't gonna need no husband,Won't need no wife.You'll pick your sons, pick your daughters tooFrom the bottom of a long glass tube.Whoa-oh-oh.6565年「夫」なんていなくていいし「妻」だって必要ないね娘でも息子でも,試験管の中から好きなの選べばいいんだからIn the year 7510If God's a-comingHe ought to make it by then.Maybe he'll look around himself and say,"Guess it's time for the Judgement Day."7510年「神」ってものがいるのならその頃までにいい加減,何かしてくれなきゃね「神」は周りを見回して,こんな風に言うのかな?「『審判の日』ってのをそろそろ始めてみるか」ってIn the year 8510God is gonna shake his mighty head.He'll either say, "I'm pleased where man has been"Or tear it down and start again.Whoa-oh-oh8510年その頃「神」は全能の頭を振ってこんな風に言うはずだ「満足だ,人間はよくここまで頑張った」ってそうじゃなきゃ「神」だもの,人間なんて滅ぼして,また一からやり直しIn the year 9595I'm kinda wonderingIf man is gonna be alive;He's taken everything this old Earth can giveAnd he ain't put back nothing.9595年の世界をなんとなく考える人類はこのまま続いていとすれば、地球からすべてを奪って、なにひとつ返したりしないんだからNow it's been ten thousand years,Man has cried a billion tearsFor what he never knew.Now man's reign is through.But throught eternal night,The twinkling of starlight,So very far away,Maybe it's only yesterday...In the year 2525 (etc...)1万年が過ぎ去って人類は十万回の涙を流し何も学ばなかった故に人間の世の中はもう終わりあとはただ永遠の夜だけが続いてく夜空の星の光さえ遥か遠くにあるばかりついこの間のことなのに・・・2525年には・・・人気ブログランキング西暦2525年
Aug 4, 2019
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今回の駅間歩きの起点となった曳舟駅ですが、「曳舟」という地名の由来を説明した「曳舟川由来碑」という石碑が、東武鉄道のとうきょうスカイツリー駅近くの交差点にありました。舟の形を模した石碑で、「曳舟川の由来」という碑文が記されています。 曳舟川は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、万治2年(1659年)に開削したものです。当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれ、瓦會根(現越谷市)の溜井から分水して、亀有から四ツ木をへて本所と深川の各地に配水されたようです。 その後、享保7年(1722年)に上水としては利用されなくなりましたが、川筋の脇を四ツ木街道が通り水戸街道に接続しているため、次第に重要な交通路として利用されるようになりました。 この川が「曳舟川」と呼ばれるようになったのは、「サッパコ」と呼ばれる田舟のような舟に旅人を乗せ、岸から引かせたことによるものです。 また、曳舟川には古くから多くの橋が架けられており、薬師橋、鶴土手橋、地蔵橋、庚申橋などの名前が文献に見られますが、この付近(小梅児童遊園)にも八反目橋が架けられていました。この辺りの小梅という地名は、元は梅香原と呼ばれる梅の木の多い地域だったことによるもので、八反目の名も八反梅(80アールの梅林)から来ているとの説もあります。 昭和29年6月東京都告示によって川としての役割は廃止され、昭和30年代を中心に埋め立てられて、道路として整備されました。 平成五年三月墨田区こんな感じで、舟に旅人を乗せ、岸から引いていたのでしょうね。埋め立てられた川は、現在は「曳舟川通り」となっています。埋め立てられてできた曳舟川通り、水戸街道に並行した幹線道路となっています。人気ブログランキングへ「曳舟」の地名の由来
Jun 9, 2021
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東京のヘソ(重心)、国分寺にやって来ました。なぜ、東京のヘソ(重心)が国分寺かというと、島しょ部を除く東京都を一枚の板とした場合,重心が国分寺市内の富士本3丁目の位置にあたるからだそうです(→→→こちら)。こちらが国分寺駅のコンコース。JR東日本の中央線と、西武鉄道の国分寺線・多摩湖線の2社3路線が乗り入れいます。国分寺駅の北口です。きれいな駅ビルができています。北口から北へ延びる駅前通りの商店街を歩いて行きました。(国分寺のコースです)【つづく】人気ブログランキング東京のヘソ(重心)は国分寺(その1) 北に向かって歩きます
Jul 31, 2021
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日本橋小網町と兜町の間の首都高速の下を流れる日本橋川です。この日本橋川に架かる橋。鎧(よろい)橋という名前です。橋のたもとの緑地にお地蔵様が佇んでいました。お地蔵様の台座には梵字が刻まれていました。なにか由緒のあるお地蔵様なんでしょうね。その横には裸婦のブロンズ像が。こういう芸術家の人って女性の裸が好きなんですね。鎧橋は明治5年に架けられ、江戸時代は渡し船が運行されていたそうです。そして橋のたもとにあるこの建物は、東京証券取引所です。人気ブログランキング鎧橋
Dec 3, 2021
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2021年11月3日、文化の日の駅からハイキングは埼玉県に行ってきました。埼玉県の草加市に住んでいたMoMo太郎の叔父さんは、よく、子供の頃神戸に住んでいたMoMo太郎に、自分のことを「東京の叔父さん」と言っていました。なんか、埼玉県人あるあるでしょうか。ここはJR大宮駅。このてっぱく通りを進んで行きます。でも今回は「てっぱく(鉄道博物館」に行くわけではありません。ニューシャトル(→→→こちら)の大宮駅に到着します。ニューシャトルというのは愛称で「埼玉新都市交通伊奈線」というのが正式名称です。運営している埼玉新都市交通株式会社は埼玉県、東日本旅客鉄道、そして周辺の自治体などで構成される第三セクターだそうです。昭和58年(1983)12月に開業したそうですが、MoMo太郎は初めて乗ります。これが車両です。これが走行路です。「ゆりかもめ」や「日暮里舎人ライナー」のような新交通システムというタイプの路線です。ゴムタイヤで走行し、走行路の側方には列車を誘導する案内軌条と、動力電源として三相交流600Vの電車線を設けているそうです。ゴムタイヤで走行しますが、鉄道事業法では鉄道となっています。また、走行路は、東北・上越両新幹線の高架張り出し部分を活用した高架方式なので、新幹線に乗らずとも、晴れた日には大宮の市街地の彼方に秩父の山並みや富士山の霊峰を望むことができます。そして、この駅で降ります。志久駅です。この駅、高架の駅なのにエレベーターもエスカレーターもありません。ちょっと優しくないですね。というわけで、駅からハイキング「郷土の偉人に想いをはせて歴史を7缶汁自然散策」に参加する登録手続きをすると、結構プレゼントがありました。さて、駅からハイキングに出発です。(伊奈町から蓮田のコースです)【つづく】人気ブログランキング埼玉を知ろう(その1) ニューシャトル志久駅
Dec 20, 2021
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山頂に登るにはこの赤い大きな鳥居から続く石段を登って行きます。この石段、「出世の石段」(→→→こちら)というそうです。これは、江戸時代、増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅を見て「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話によるものだそうです。男坂とも呼ばれるこの急な石段、駆け上がった馬もなかなか、健脚ですね。と思ったら石段でトレーニングは不敬になるのだそうです。ということは、曲垣平九郎とその愛馬、罰当たりなことをしたものです。急な階段を登るのはちょっと大変だという方は、こちらの女坂を登るか、或いは前回紹介した愛宕トンネルの脇にあるエレベーターで山頂に登ることができます。写真の中央部にある塔がエレベーターになっていて無料で登ることができます。もちろん、馬を持っていなくても車で登ることもできます。【つづく】人気ブログランキング山行記録 愛宕山(その2) 出世の階段(男坂)
Oct 8, 2022
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青梅の街を散策する今回の駅からハイキング、駅からこの旧青梅街道(→→→こちら)を西に向かって歩きました。青梅街道は、、東京都新宿区から東京都青梅市を経由し、山梨県甲府市に至る道で、甲州街道の裏街道的な位置づけですが、元々は江戸城築城の際に青梅の石灰を運ぶために開設されたのが始まりだそうです。古からの幹線道路ということで、街道沿いには今も歴史を感じる古い家が残っていました。このお店は、この近くが産地の狭山茶(→→→こちら)とお米を扱っている商店でした。店頭には、狭山茶と書かれたラベルが貼ってある茶箱かせ並べてあります。また乾麺や砂糖などの食料品も置いてありました。時代劇に出てきそうな土蔵造りのこの家屋が、東京都指定有形民俗文化財旧稲葉家住宅です。無料で見学できる公共施設です。旧稲葉家住宅は江戸時代に青梅宿の町年寄を勤めた稲葉家の旧宅。稲葉家は青梅でも有数の豪商で、材木商や青梅縞の仲買問屋を営んでいたそうです。「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの母屋の建築様式から江戸時代後期(18世紀後半~19世紀初め頃)に建てられたと考えられています。正面から、二階建ての店蔵を撮影してみました。中を見学してみたかったのですが、開館時間が午前10時からということで、まだ一時間近く待たないといけなかったので、後日見学ということで、先を急ぎました。(青梅の街を散策のコースです)【つづく】人気ブログランキング青梅の街を散策(その2) 旧稲葉家住宅
Oct 14, 2022
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さらに道沿いを歩いていくと、清宝院というお寺があります。階段を登り境内に入っていくと庭園になっていました。水は枯れていましたが、ここは「梅の滝」というそうです。滝のいわれを書いたこの看板によると明治15年にできた庭園の滝だそうです。歴史のありそうな山門ですね。清宝院は真言宗のお寺なんですね。こちらが本堂です。日差しが強くて白飛びの写真です。本尊は、文政年間に成田山新勝寺の本尊を、京都の仏師中野法橋が心眼をこめて三尺三寸に模刻し、新勝寺第11世、照獄僧正により開眼供養が執行され馬の背中に乗せて運び安置された霊験あらたかな立像不動明王だそうです。清宝院の縁起が書かれていました。また、青梅七福神の恵比寿様が祀られています。清宝院の前にある菓子店です。青梅というだけあって梅大福(→→→こちら)が名物のようです。(青梅の街を散策のコースです)【つづく】人気ブログランキング青梅の街を散策(その4) 清宝院と梅大福
Oct 16, 2022
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青梅街道のバイパスを少し東に移動して、この交差点に着きました。青梅街道と秋川街道の交差点です。秋川街道を南に下っていくと、多摩川に架かるこの橋に出ました。調布橋(→→→こちら)という橋です。このあたりはかつて東京府西多摩郡調布村と呼ばれていたので、それに因んだ名前だそうです。多摩川沿いの地域には、このように、調布市、田園調布(東京府荏原郡東調布町(→→→こちら)など、「調布」とつく地名が多いですね。調布とは、律令制下の租税である租庸調のうち、その土地の特産物を納める「調」が、東国の特産品として知られていた多摩川で晒した布だったことに由来するそうです。布は調布橋の下を流れるこの多摩川の賜物だったのですね。調布橋左岸側にある小さな公園です。公園の奥に飾られている調布橋の橋名版で以前の橋に掲げられていたもののようです。下のレリーフは、以前、この橋が吊り橋だった頃の主塔の絵が絵嗅がれていました。こちらの石碑には、現在までの調布橋の銅製モニュメントが飾られています. 右側にあった、調布橋の歴史です。 むかしよりこの地域は織物がさかんであり、明治22年の市町村制移行にあたり、上長淵、下長淵、友田、河辺、千ヶ瀬、駒木野の六村落が、織物にちなみ調布村として、村制を、施行することとなりました。当時人々はこの少し下流にあった「千ヶ瀬の渡し」により多摩川を往来し、二ツ塚峠を経て五日市と青梅を結ぶ道として利用していました。 しかし、水かさが増すと舟がとまってしまうことから、調布村有志が力を合わせ、幅九尺(2.7m)の吊り橋を大正11年に完成させ大変便利になりました。 その後、昭和10年になりこの吊り橋は東京府によって、掃除の最新の技術による「ブレストリブアーチ橋(幅8m)に架替えられました。美しい姿のこの橋は、東京都の著名橋として、以後58年余りに渡り多くの人々に利用され、大変親しまれてきましたが、寄る年波には勝てず架替えられることとなりました。 吊り橋から数え三代目となる本橋は、上路式鋼逆ローゼ橋(幅16m)で、歩道整備、拡幅が行われ、さらに多くの人々に利用され、親しまれることを願ってここに完成したものであります。平成6年3月 東京都この公園の正面にあった石碑には「雪おんな縁の地」(→→→こちら)と刻まれていました。これは八雲の孫の小泉時(とき)さんが揮毫(きごう)し、地元商店街などが中心となって平成14年(2002)に建てられものだそうです。裏には、小泉八雲(ラフカディオ=ハーン)の肖像と、その作品の「雪おんな」の序文が英語と日本語で書かれているものがありました。この「雪おんな」という奇妙な物語は、武蔵の国、西多摩郡、調布村の農民が、その土地に伝わる古い言い伝えとして私に語ってくれたものであるということは、「雪おんな」の物語、このあたりにあった怪談話だったんですね。てっきり、もっと雪国の新潟とか秋田あたりの伝承かと思っていましたが、昔は青梅にも雪はたくさん降ったんですかね。(青梅の街を散策のコースです)【つづく】人気ブログランキング青梅の街を散策(その9) 調布橋と雪おんな縁の地
Oct 21, 2022
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再び国道16号線沿いの屋根付き歩道に戻って、屋根のある歩道の下を北に向かって歩きます。高架下を横切り、さらに踏切がある歩道がありました。ここに横浜船渠会社(三菱重工業横浜造船所)正門という看板が設置されていました。かつてこの付近には「ハマのドック」の名で親しまれた横浜船渠(せんきょ)会社(後の三菱重工業横浜造船所)の正門があり、数多くの人がこの場所を行き来しました。その三菱重工業横浜造船所の跡地を開発した「横浜みなとみらい21地区」(→→→こちら)には横浜船渠会社の遺構として、日本丸メモリアルパーク(第一号ドック)、ドックヤードガーデン(第二号ドック)などが残されています。貨物支線の高島線(→→→こちら)にあるこの踏切の名称は「三菱ドック踏切」というのも、かってここに造船所があった名残なんですね。この線路が東海道本線の貨物支線である高島線です。高島線は、鶴見駅から東高島駅を経由し桜木町駅を結ぶ貨物専用の鉄道路線です。また以前は横浜港の大桟橋や山下ふ頭あたりまで線路が延びていたそうです。こちらは北側の東高島駅方面です。こちらは桜木町方面です。踏切をこえると横浜みなとみらい21地区になります。かって、三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線の貨物ヤード、高島ふ頭などで分断されていた横浜駅周辺と横浜港開港以来の中心市街地である関内の2つの地区が、この横浜みなとみらい21地区の開発により都心に分断されていた横浜が一つの大きな都市になったと言えます。この地区には商業施設もあって、家具のチェーン店と外車のディーラー。またこちらも外車のディーラー。横浜の人って外車が好きなんですかね。みなとみらい地区にあるケヤキ並木の道です。横浜高速鉄道のみなとみらい駅と新高島駅を結ぶ歩道です。こちらは、「MARK ISみなとみらい」(→→→こちら)という大型商業施設にある「東京ガスネットワーク横浜ショールーム」です。ガス事業誕生150周年のイベントして「鉄道とガス150年~文明開化の象徴~」という展示会があったので、駅からハイキングのコースに組み込まれていたので立ち寄りました。(霧笛が俺を呼んでいるのコースです)【つづく】人気ブログランキング霧笛が俺を呼んでいる(その4) 横浜船渠会社(三菱重工業横浜造船所)正門
Dec 7, 2022
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この門から林試の森公園を後にしました。この門の名前「水車門」と言うそうです。門からでた少し先にあるこの小屋が、水車はついていませんでしたが、水車小屋だっんですね。この近くを品川用水(→→→こちら)というかんがい用水路があったことから、それに関連した歴史を記した施設なんだろうと思います。さらに歩いて行くと、手押しポンプもあったりして、水にかんする歴史を感じたりしました。そして、東急電鉄目蒲線の武蔵小山駅にやってきました。武蔵小山駅(むさしこやまえき)と読むんですね。平成18年(2006)に地下化されています。(駅からハイキング、目黒駅から五反田駅で歩いたコース)【つづく】人気ブログランキング冬の散歩を楽しむ(その8) 水車門から武蔵小山駅へ
Mar 20, 2024
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今日のランチは、気分転換したくて、「小諸そば」の天丼セット(760円税込み)をいただきました。海老天が1本、サービスでついていたのは得しましたね。立ち食いソバのチェーン店は色々ありますが、「小諸そば」は蕎麦が美味しいように思っています。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 天丼セット
Apr 2, 2025
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吉野家、時々利用しますが、大抵食べているのはこの牛丼並盛とサラダ味噌汁セット(715円税込み)です。紅ショウガと七味唐辛子は、遠慮なく使わしてもらっています。ところで、MoMo太郎がお気に入りに登録している方のブログにもコメントした内容でもあるんですが、テレビで紹介している色々な飲食店について検証するテレビ番組ってないんですかね。例えば、ここのお店は、店主のこだわりでいいそば粉を使っていますとか、女将さんが優しく接客しています。みたいなお店、実際はどうなんだ、テレビ向けではなかったのか。を検証する番組です。例えば、テレビ東京でやっているタクシーの運転手さんが美味しい店を紹介する番組。美味しい店を知っている運転手さんに出会えなければ、番組を作れないから、仕込みで店を準備していて、そこを〇〇が美味しい店なんてやっていないんだろか。「テレビ東京で紹介したお店へ覆面調査員が行って調べてみました。」なんていう番組をコンプライアンス重視のフジテレビが放映すると面白いのに。人気ブログランキングへ孤独のグルメ 牛丼とサラダ味噌汁セット
Jun 1, 2025
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向陵稲荷神社から台地の上の道を歩いていくとあった田端台公園です。この公園の近くからは、新幹線や在来線を見下ろせることで、鉄道写真の撮影のポイントみたいですね。新幹線の車両センターへ入庫したり出庫したりする新幹線も撮影できそうですね。JR田端駅のあたりにやって来ると、雨が降り始めました。とりあえず駅からハイキングのゴールの三河島駅へ向かいました。こちらは、常磐線の起点となる日暮里駅を出発して一つ目の金杉踏切です。日暮里~三河島間にある常磐線のカーブ、都内でも有数の大カーブになるそうです。上にある高架橋は京成線の高架橋です。こちらは三河島方面を撮影しました。この鉄路がずっと青森まで続いていると思うと、なにか旅情を感じました。そして、こちらが三河島(みかわしま)駅です。この「三河島」という地名の由来には、以下のような諸説があるそうです。〇三つの川(中川・古利根川・荒川)に囲まれた中洲状の土地であったため。〇太田道灌の時代に、武家歌人の木戸三河守孝範が当地に暮らしたため。〇徳川家康の関東入部の折、三河国から従ってきた人が知行したため。〇徳川家康の関東入部の折、三河国から従ってきた農民を住まわせたため。しかしながら、戦国時代の「北条氏所領役帳」にはすでに「三河ヶ島」の地名が見られるので、、徳川家康にまつわる由来説は江戸時代に生まれた俗説とみられるそうですが、しかし、徳川家康が江戸へ移転した時、開墾のために三河から連れてきた伊藤氏(伊藤七家)などの農家が居住して稲作を行っていたそうで、明治時代には上野の戦いから逃れた彰義隊の残兵が伊藤家に匿われた経緯も史記に残っているそうです。駅は島式ホーム1面2線だけですが、ほとんどの常磐線快速電車および中距離電車が停車する駅です。(日暮里界隈散歩コース)【了】人気ブログランキング日暮里界隈散歩(その10) 田端から三河島へ
Nov 7, 2025
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帝国ホテル前のみゆき通りとJR高架が交わる地点から始まる商業施設がありました。ここが、JR有楽町駅と新橋駅を繋ぐ高架下の商業施設「日比谷OKUROJI(オクロジ)」(→→→こちら)です。ここでは、縦に約300メートル続く高架下の施設内に飲食店や物販店など43店舗が営業しているそうです。この施設がオープンしたのは2020年9月。「日比谷の奥に潜む、通な大人の通り道」がこの施設のコンセプトだそうです。日比谷OKUROJIを過ぎて、国会通りを渡ると、「URACORI(銀座裏コリドー街)」(→→→こちら)という商業施設が続きます。この施設がオープンしたのは2019年11月。裏コリドーというのですから、表もあります。表はJRの有楽町駅と新橋駅を結ぶ路線の高架下の道路で、400mほど軒を連ねる飲食店街の銀座コリドー街です。銀座コリドー街は随分昔からありましたね。こちらの飲食店も充実している大人の秘密基地といった雰囲気ですね。MoMo太郎も友達との飲み会で何度か利用させてもらいました。所々に照明プロジェクションで銀座裏コリドー街のロゴが浮かび上がっていました。(東京から高輪ゲートウェイコース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年 東京→高輪ゲートウェイ(その3) 日比谷OKUROJIと銀座裏コリドー街
Feb 17, 2026
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第一京浜と日比谷通りの交差点付近です。このあたり箱根駅伝でよく見ることも多いのでは。芝五丁目の交差点になります。この近くに勝・西郷会見の地跡(→→→こちら)の石碑が建立されています。揮毫は西郷隆盛の孫吉之助。江戸城総攻撃を目前にした慶應4年3月13日、14日の両日薩摩屋敷において勝海舟と西郷隆盛の会見が行われ、歴史的な無血開城がなされました。この重要な会見の地については諸説があるようですが、13日の予備的会談は高輪の薩摩屋敷、14日の最終会談はこの碑の建つ田町の蔵屋敷で行われたようです。ということで、石碑の横には、「田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)付近沿革案内」というプレートが埋め込まれていました。プレートにはこう記されています。この敷地は、明治維新前夜慶応4年3月14日幕府の陸軍総裁 勝海舟が江戸100万市民を悲惨な火から守るため、西郷隆盛と会見し江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の行われた薩摩藩屋敷跡の由緒ある場所です。この蔵屋敷(現在地)の裏はすぐ海に面した砂浜で当時、薩摩藩国元より船で送られて来る米などは、ここで陸揚げされました。現在は、鉄道も敷かれ(明治5年)更に埋め立てられて海までは遠くなりましたが、この附近は最後まで残った江戸時代の海岸線です。また人情話で有名な「芝浜の革財布」は、この土地が舞台です。この石碑の近くに田町駅があります。田町駅は1876年に仮設駅として設置され、1909年に新橋~品川駅間が高架線になる際に正式な駅として昇格したそうです。また、田町という駅名は、三田口(西口)周辺一帯に広がっていたかつての町名からとられたそうです。江戸時代文政年間、江戸の各町の由来や現況について町名主に提出させた書類を合冊した資料「文政町方書上」によると、江戸時代に田畑が町屋へと移り変わったため、田町と呼ばれるようになったということです。(東京から高輪ゲートウェイコース)【つづく】人気ブログランキング山手線100周年 東京→高輪ゲートウェイ(その10) 勝・西郷会見の地跡と田町駅
Feb 24, 2026
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神田川の派川(分流)である日本橋川(→→→こちら)です。かつて武蔵国荏原郡・豊島郡境界の平川(現在の神田川上中流)は日比谷入江に注いでいたものを、徳川家康が東向きへ河道を移設し隅田川へ合流させ、現在の日本橋川になったそうです。家康の作ったその流路も、現在では上空を首都高速道路に覆われています。日本橋川をわたる人道橋「あいあい橋」です。あいあい橋の由来が対岸の三崎町側のたもとに掲げられていました。あいあい橋の飯田橋側には、「東京大学理学部化学科誕生の碑」がありました。次のような説明が記載されていました。1861年万延二・文久元年東京大学理学部化学科誕生の地1861年、徳川幕府はば蕃書調所に化学部門である精錬方(学科)を設置。その後1877年、東京大学は精錬方を理学部化学科として取り込み、法・医・文・理の四学部構成で発足した。東京大学まで、飯田橋にルーツを持っていたとは知りませんでした。(開学の町飯田橋を歩く)【つづく】人気ブログランキング開校の町、飯田橋を歩く(その5) 東京大学理学部化学科誕生の地
Jul 25, 2026
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