PR
Keyword Search
休みの日、一人で写真を撮る。
神社の裏の寂れた公園で、ふと気が付いた。最近、私が撮っている写真には音が無い。
写真から音がしないのは当り前だけど、時間も止まっている。モノクロと言う事もあるけれど、あまりにも静か過ぎると思う。
これは、死だと、漸く気が付いた。
私が撮っているのは、自分の死だ。
桜が咲いている。
夜、仕事の帰り、桜の小枝を見上げて、携帯で撮った。
桜の木枝を真下から見上げると、冥界への入口が扉を開けているような気がする。
今年咲いた花が直ぐに散っても、季節が巡って一年経てば、又、花をつける。
その繰返し
人は、花の散るのを惜しむけれど、何時迄も惜しんではいない。直ぐに忘れてしまう。
それは、来年も必ず咲くと知っているからでは無いと思う。
慣らされてしまって、「散り行く花」として愛でている。
散り際が美しい筈が無い、そこに花の美しさを見ているのでは無い。
私の伯父は亡くなったとき、田舎の中学の校長をしていた。
学校で追悼の式をしてくれた。春休みで、校庭の桜が満開だった。
全校生徒の前で、とても美しく利発そうな少女が、壇上で弔辞を読み上げるのを、少し離れた場所で聴いていた。
その一節。
「私達の入学式のとき、先生が話して下さった言葉を今でも覚えています。
『桜の花が満開ですね。きっと、皆さんの心もこの花のように美しい事でしょう』…」
私は、伯父の優しい眼差しを感じた。
ゆっくりと新入生たちの一人一人の顔を見渡して、それから、静かに話し始めるのだ。
本当に教育者然とした人だった。
例年のごとく、態々、出かけて行って桜の花を撮る事も無く、季節が終わってしまった。