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大きく振りかぶって、大真面目に真っすぐをど真ん中に。



では、戦争ってのは、なんでしょうか?
「国と国との争い」ってのが定義でしょうか?
国内で争う場合は「内乱」って言いますね。
国同士ではない場合、つまり、集団同士の争いの場合は「武力衝突」とかいいますね。




などというのは、はっきり言えば言葉の、字面の問題です。

新聞読んでる時に、戦闘の規模がなんとなくわかります。smileとlaughを使い分けるようなもんだと思うのです。

戦闘に勝つことを目的として開発された道具(武器)を手にした戦闘のために集められた集団が、同様の相手集団を降伏させることを目的としておこなわれる争い。




戦闘に勝つことを目的として開発された道具を持たない場合「暴動」とか「ケンカ」って表現されますよね。
素手だったり、口喧嘩だったり、形態はいろいろですけど。





さて、それでは、なぜ戦争は起こるのか。
いや、起こす気はなくても、なぜ戦争状態になってしまうのか。



国と国が争うから戦争状態になるのでしょうか?

じゃあ、国って何?
国土?



これは違うでしょう。


たとえば、南極と北極(陸地はないけど)が争うでしょうか?
「俺んとこの方が寒い」「なにをいうか、俺のとこの方がもっと寒い」

…よっしゃそれなら戦争で、この論争に決着をつけようじゃないか。










北米大陸と南米大陸が「メキシコとかコロンビアはどちらに入るかはっきりさせようじゃないか」などと争ったりはしないと思います。


多分、大陸は、そんなこと考えてもいないとおもいますね。

…あたりまえだ。





争うのは何?

もう簡単でございます。


争う心、ってのは人間の中にあるんです。



国家も、人間によって構成されます。
集団ができあがって、大きくなって国家が形成されます。


今のところ、安全な暮らしを営むためには、国家という権力が必要です。


古代より、国家の成り立ちとは、権力を握るためのものではなくて、同胞を、細かく言えば自分たちの家族や自分の帰属する集団が、安全に豊かに暮らしていくために大きくなっていったものでしょう。
どんなに大きな国でも、小さな国でも、小さな集団をそれよりは大きな集団が包み込み、その集団をさらに大きな集団が包み込むように構成されます。

夫婦という二人があり、子供も含めた家族があり、親戚を含めた一族があり、その人たちが住まう「地域」という集団があり、さらに行政による集団になる。




なんのことはない。

結局、ひとりひとりの人間が集まることで集団ができて、その大きくなっていく集団の途中にある一つの形が「国家」というわけです。


「国家」より大きなくくりもありますよ。
「地球人」とか「人類」とか、「生物」とか。
だいたい、映画とかだと、エイリアンと戦うために「地球人」という集団への帰属意識ができあがりますもんね。


共通の敵があると、帰属意識ってのは簡単にできあがる。
あっという間に、個人の集まりのはずの集団に「意思」があるように感じられる。



じゃあですね。

集団を逆にたどっていきましょう。
今まで書いた来た事を逆に。



「個人」より向こうには戻れません。




戦争も、結局「人間の意志」で起こるのです。
極論すれば、人間がいなければ戦争は起こるわけがない。
「争う心」が存在しないのだから。


「争う心」を持つ人間が、集団に帰属することにより、他の集団よりも自分の帰属する集団の利益を優先する。個人の意志に寄らず、集団の意志ができあがってしまう。



だれが作ってしまうんだろう?「集団の意志」ってやつを。


絶対に、人間の心が作ってるはずなんです。
アメリカ大陸が、中東に喧嘩を売るわけがない。行きたくても中東までアメリカ大陸は近寄れないし(笑)


じゃあですね。
戦争がなくなるためには人間がいなければいい。



そりゃそうだ。
月とか火星で戦争が行われている、って話はとりあえず聞いたことがない。


しかしそれは、原因が存在しなければ問題が発生するわけがない、っていう事です。
絶滅危惧種がほんとに絶滅してしまったら、絶滅を危惧する必要はなくなる。ってのといっしょです。

人類が存在することと、世界が平和であることは、同時に実現できる可能性があるはずだ。
非常にむずかしいけれど。



で、ちょっと戻って、戦争は「争う心を持つ人間」が帰属する集団同士が戦ってしまう事です。内乱も、暴動も含めてしまいましょう。どっちにしろ人間の起こす争いです。

争いは「戦って勝とう」とする意志です。
自分の、あるいは自分の帰属する集団に利益をもたらそうとするものです。
「気分がいい」とか「邪魔をされない」というような、無意味な理由や消極的な理由もふくめて。
で、それらの理由で攻め込まれた時に「守ろう」とする意志です。


意志は、まず「個人の心」に宿ります。
いきなり集団という仮面に宿るわけではありません。





はい、結論です。


「争う心」をなくしてしまうのは、無理な話でしょう。人間には争う心が存在します。
「平和のために戦いましょう」などと、平気でのたまうんですから。


「平和が実現されるために○○党を倒さなければなりません!」



「平和運動」をするのなら、戦いを放棄しなくては。
憲法9条を守るために「戦う」のは、その精神に反してはいないでしょうか?

戦争を放棄する、という事は武器を持たない、という事でしょうか。
武器を持とうとする心を放棄する、という事でしょうか。




この地球に平和をもたらすためにはどうすればいいか。
武器を持とうとする心を放棄する。
「相手に対して優位に立ち、勝ちたい」という気持ちを放棄する。



でも、これは無理だと思う。この気持ちをなくしたら、スポーツは成り立たない。


でも、知り合ったすべての人と、互いの意思を尊重しあい、互いに言葉を聞き、話し、理解しあう努力と理解し合えない時は、互いに尊敬を持って違いを認め合えれば。


そして、我々が帰属するもっとも大切な集団は「地球」である、と考えたなら。





ひとりひとりが、一切争わなければ、集団が争うわけがない。
帰属意識を「地球」にすれば、自分の帰属する集団のために、ほかの集団と争う必要はなくなります。

集団は、そのひとりひとりの集まりなのだから。
平和のために戦うのではなく、平和のためにお互いひとりひとりのために祈る。
笑顔を交わす。





平和は戦って勝ちとるよりも、争いのない日々が続くことで、積み重なる日常、
だと思います。
戦わない、という意志だけでなく、笑顔でつながりある意志を。









ただし、私は今のところ、軍隊が必要ではない、という意見の持ち主ではありません。
今の地球で、軍隊を持たないということは、確かな警察権力のない街で、夜中に一人歩きをするようなものです。




争いは、個人の気持から始まります。
どんな集団だって、個人の意思がスタートラインのはずなんですよね。。









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最終更新日  2007.08.10 01:13:54
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