・ニーポートとモーゼル
こうした一連の動きの原点となったディルク・ニーポートが、なぜモーゼルで FIO Wines をはじめることにしたのだろうか。 1987 年、父の醸造所で働き始めた年にディルクはモーゼルを初めて訪れた。中流域のブラウネベルクにあるフリッツ・ハーグ醸造所( Fritz Haag (weingut-fritz-haag.de) )の醸造家ヴィルヘルム・ハーグを訪問し、ポートワインとは真逆の、アルコール濃度が低く軽やかで繊細、精緻でエレガントなリースリングの味わいに深い感銘を受けたという。ちなみにディルクの母はドイツ人で、ドイツ語は母国語のようなものだ。
2008
10
代だったが、北米のインポーターが主催したカリブ海のクルーズ船上試飲会でディルクに出会った。顔見知りのワインジャーナリストに「ディルクは君のワインをきっと気に入るはずだよ」と唆されて、挨拶に行ったのが最初だった。
だがその時ディルクは、フィリップのワインをあまり気に入らなかったという。アロマティックでアルコール濃度も高めで、ディルクの理想とするモーゼル産リースリングとかけ離れていたからだ。にもかかわらず、あるいはだからこそ、ディルクはフィリップをドウロに招待した。そしてディルクの元で三カ月働いて帰ってきた時、フィリップは自分の進むべき方向性を見つけていた。モーゼルでしか出来ない、軽く繊細でエレガントなスタイルを目指すのだ、と。
アルコール濃度の高いパワフルなスタイルは、他の産地に任せておけばいい。熟し始めの糖度が低い段階で収穫して、アルコール濃度は高くても 12% 前後を目指す。圧搾前に果皮・果肉を果汁に漬けて香味成分を抽出する手法も捨てた。そのかわり、醸造に時間をかけることにした。多くの生産者は収穫翌年の春に瓶詰を始めるが、フィリップは短くて 1 年、長い時で 5 年間、ステンレスタンクか伝統的なフーダー樽で澱引きせずに熟成し、さらに 2 年間瓶熟してからリリースする。これらの昔ながらのモーゼルの醸造手法を、試行錯誤を通じて復活させた。
(つづく)
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