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2006年01月31日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
絵(かい)が死んだ。自殺だった。
乾杯のワインがなかったので、唇を触れ合わせた。

絵が死んだ。遺書には私への手紙もあったという。
教室の隅っこで、席が隣になったのが絵と知り合うきっかけだった。
数学のグループワークを利用して、絵を描いて遊んだ。

話をして絵を描いて、どんどん親密になっていくのは容易かった。
絵も寂しかったし、私もとっても寂しかった。

2人は子どもの獣同士だった。
どちらが男、どちらが女、そんなものはなく、絵にとって私が

そして、そんな近い将来でさえ、2人には関係なかった。
ただ幼い獣のように無口に無邪気に、学校を抜け出しては緑のあるところで過ごした。

いじめられていた私には名前がなかったが、絵は私を「くう」と呼んだ。
こうして私に名ができたのだった。

両親が画家と漫画家であるという絵は、当然のように絵が上手かった。
2人では落書き程度、そして紙に書ければいい方で、地面や壁や、水面に線を引いて遊んだりもした。

絵が上手く仕上がると、大人同士が確かめ合うような「乾杯」に似たものが
ほしくなったけれど、私たちにはワインはなかった。
そこで、唇を触れ合わせた。
かちんと音がするようだった。

言わば絵がクリエイターで、私は有能かつ才能溢れるアシスタントだった。

それはこの上なく贅沢な作業で、世界には2人しかいないと錯覚することは正しかった。

作品が出来上がる度の口付けで、お互いをたたえあった。
そこには、動物的な匂いは全くなかった。

私は家に帰りたくなかった。両親の不仲と、兄弟とも不和だった。

そんな中学が過ぎ、高校に進学しなければならなくなった。

「絵はどうするの」「・・・やりたいことがある」

やりたいことは何だったのか。むしろやりたくないことの方が、
彼にとって多いように思えた。それでもやりたいことがある、という彼を私は信じた。

幼かったから、幼いなりの一途さで信じた。
それは、私を中学という地獄から救ってくれた絵への、唯一の礼でもあった。
何より私は彼の絵の才能を実際に目にし続けてきた人間だったから、信じることは容易かった。

彼なら、これからもこんなふうに絵を描いて生活していける。
そんな不思議な確信があった。
一緒に過ごしてしまったからであろう。
その陽だまりのような時間は、私に魔法をかけてしまったのだ。
いや、絵の絵そのものが魔法だったと言ってよいと思う。

これからも、ずっと一緒だ。男女のことなんか関係なく、2人の獣はそう信じていた。
絵を描いて過ごしてきた。これからも絵を描き続ける限り、この時間は続いていく。

東京に行くための引越しや書類の作業は煩雑で、やっと何日かぶりに絵に会えた日、
多分それが最後になるであろうとわかっていた私は、何気なく進学する高校の
新しいセーラー服を着ていった。
絵は私をあまり見ようとせず、私も静かに絵の横に体操座りをした。

意味はわかっていた。別れを実感するには、あまりにも辛い方法を
私は無意識のうちに選んでしまったのだった。

それから、絵に会うことはなかった。

東京の女子高校に進学してから、私は「ただの女」になった。
クラスメイト達は、「女子高生」という特権に夢中で遊びほうけていたが、私は
中学で特権のある時代が終わったと感じていたので、「ただの女」に徹した。

「ただの女」として振る舞うには情報がなく、友人もいなかったので、
学校から山のように与えられる学習に没頭するふりをした。
それは両親も、また自らまでも大変忙しいかのように勘違いしたほどだった。

そんなふうに私の「ただの女」としての3年間は無意味に過ぎ去り、
都内の中堅大学に進学した。

「ただの女」として、何もしてこなかったので、私には何にもなかった。

大学生活も、無意味な就職活動に1年半も費やして、終わった。

社会人になって、どうでもいい仕事に就いた。

そして私が社会人3年目を迎えようとしたとき、絵が自殺した。

死ぬ前までの絵はひどかったらしい。髪は伸び、肌は荒れ、食べるものも食べず、
また眠剤を噛んで寝呆けていたらしい。まともな絵は描いていなかった。
両親が裕福ということもあって、絵は上手に世間から隠されてきたようだった。

絵は長らく過ごした自室で首を吊って死んだが、遺書が見付かっていた。
その遺書には、私宛のものもあったという。

絵の母親が送ってくれたものだ。今、手元にある。

獣の書いた手紙だ。私が社会で生活している間、絵は獣であり続けたのだった。

やりたかったことって何だろう。
絵と話をしてきた中で、色々なものが浮かぶけれど、
もうそれらは永遠に彼を救うことはないのだった。

もし万が一、それらに正々堂々挑んだとしても、
社会の憂さに吐き気がするほどの彼でいてほしい。
私は、自分が保てなかった思春期を、そして拭い去れない後悔とその痛みを、
彼の死で葬り去ろうとしたのだった。

大人になるってこういうことだ。社会で働いて食べていくってこういうことだ。
絵は知らなくて良かったよ。本当に良かった。

私は明日も、砂を噛むような思いで会社に行く。
これが、残された者のすることだと思うと、情けない。
でも、絵は私の中で生きてるから。

せめて生きていようと思う。





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Last updated  2006年02月01日 00時09分12秒
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