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私を煩わすもの、それはmixi。コミュニティの中で、どう発言しろっちゅーんじゃ。暗い今の私には、何も言えません。いつも明るいかりんさんでいなさい。ということか。明るい私じゃないと、意味がないと。そういうことか。ま、実際、実生活ではそう強要されてるし、自分で強要してるし、仕方ないのかな。大声をあげて泣きたい。泣いて泣いて、すがりついて、暗い気分吹き飛ばしたい。
2006年03月24日
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生理の後の一週間は、過食ばかりしている。食べても食べても、飽き足らない。男の子が好きだって言ってくれても、私にはあんまり友達もいなくて、薬漬けで、どうしようもなく暗くなる女の子だって分かってしまったらどうしよう。きっと嫌われてしまう。人並みに明るく振舞うのは、多少できるから。騙される人もでてくるのかもしれない。抱いて抱かれてキスしたりして、余韻が残るのは結局女の私の体。それで離れていった人を思い出して苦しんだりする。愛欲で繋がった人と離れるのって、業火に焼かれるような辛さよ。私なんでこんなにおかしいんだろう。
2006年03月22日
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何でなんだろう何で「死にたい」なんて思っちゃうんだろう何で気持ちが上向きにならないんだろう気持ちが上向きであるように装うことは得意だ。気持ちが沈んでばっかりじゃ、誰も寄って来ないよ!友達いっぱいほしいよ、週末ひとりっきりで過ごすの嫌だよ。誰かに依存しようとは思わないけれど、独りはつらすぎる。「群れちゃいけない」っていうけれど、群れられるのって、ある意味この世間で上手くやっていけるっていう証だ。群れから外れて、一人でいても、寂しいだけなら、ハッピーじゃないなら、もういいじゃん。何か死にたくなるのはそんなとき。誰かの毎日と比べてるの?なら、この目が耳が受け取る情報が憎い。そして、情報を鵜呑みにしてゆらゆら揺れる心が嫌いだ。年を取って、風通しのよい場所へ行けるのなら悪くない、なんて私はそうは思わない。今若いときに、たくさんいい思い出を作りたい。たくさんいい思いをしたい。そんな欲まみれ。最近仏教書ばかり読んでいて、「欲」の悪さを説かれている。でもそれって悪いことなの?わかんないわかんないわかんないわかんないわかんない・・・とにかく薬が手放せない。
2006年03月22日
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次の面接の連絡が来ない。「次の面接には必ず来ていただきます」って言ってたのになー。もう今日が連絡の締め切り。一日、仕事(現職)をしながら、横目で携帯眺めてた。新卒でもないのに、今更こんなことで一喜一憂するなよ。自分で自分に喝。それにしても、仕事探しって、彼氏探しと同じだと改めて思ってしまう。まず自分の見た目の魅力を最大限に引き出して、自分の希望や譲れない部分、あとは経歴とにらめっこして相手を吟味して、失敗してもとにかく泣いてるヒマなんてない。世の中には男も会社も溢れてるのが事実なんだから。ひとつの会社に縛られるのは愚かであり、面接の返事を待つ間もずっと次のアポを取り続け、努力を怠らないようにしないと。そう思うと、新しい職が見つかる頃には、彼氏まですんなりゲットできたりして?!何でも楽しんでやらないと損だ。仕事も男も、暗くなっちゃおしまいだもの。
2006年03月22日
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故・菜摘ひかる。新宿歌舞伎町から始まって、吉原に至るまで、ずっと風俗嬢かつ漫画家で、ブログの源流とも言える流れを作った人だ。未だに敬愛?しているが、しばらく離れているうちに、彼女は死んでしまった。しかも、調べても、死因が公表されてない。やっぱ自殺?でも、彼女の日記と、書籍は、痛いほど共感するところがある。陳腐だが、まあ、その通りだ。斜に構えてはいるかもしれないけど、彼女はその実本当に「永遠の少女」だったと思う。悪くない生き方というのがあって、菜摘ひかるの生き方もそのひとつだったのかなぁ、なんて思ったりしている。死んだらおしまいだけど進化した挙句が死だったのかそれとも予定調和で決まっていたことなのかよくわからないなりに、色々な人がいて、その色々な人たちのもの凄い流れに飲まれて、彼女は逝ってしまった。新宿歌舞伎町の人ごみに、彼女の後姿が飲まれていく様が目に浮かぶ。
2006年03月18日
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今までは「待つ女」でありすぎた。プライドがなさすぎ。自分の毎日が自分のものではなく、すべてを「誰かのため」という免罪符のもと、依存しきっていた。自分の考えや、こうなりたいという明確なビジョンがないから人の言うことややることに一喜一憂したり(それが好きな人のやることだったら尚更だ)プライドってない方がいいと昔は思っていたけれど、絶対必要だ。「自分と自分の人生が大切だ!」というプライド。自分が幸せに思わなかったら意味がない人生。自分の幸せを第一に考えるのが、今の私の仕事。あなたへの愛こそが私のプライド、と今井美樹は歌っていたけど、揺れ動く「人」というものに対して自分の信条を強く持ち続けられる、というのはすごいと思う。それだけあなたへの想いが強いのよ、という例えか。自分の人生を自分で動かしている、という実感を伴うからこそ、何でも楽しんでやろうという気持ちにもなるんだと思う。それには正しいものの見方というものも必要だろうし、その分周囲への愛情や思いやりも出てくるものだ。「やさしい人」というのが今、ほめ言葉にならないのは、自分のことはさておき、相手のことしか考えない、そういう優柔不断さが世間的に鬱陶しい風潮になりつつあるからだと思う。「やさしい人」「いい人」という言葉にごまかされない、もっと具体的な自分の良さを自分で語れることが、今重要だ。
2006年03月18日
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死のう死のうと思ってはいたけれど、そんな中、心惹かれる転職話が来た。あくまで一次面接の連絡だったけれど、こんな仕事ができたら本望だと思った。今まで考えていたサービス系事務職とは内容が違うけれど、こっちの道もあり、今回来たような話の道もあるんだと思って、私の空は果てしなく広がっていることに気付いた。妙な期待をし過ぎるのもイヤだけれど、何の期待もないのはもっとイヤだ。その「もっとイヤ」な状態こそ、「死」そのものだ。期待とはまた違うけれど、いい意味での夢がないからだ。死んだら何にもないことに気付いて今日を生きていくきっかけだけでもあれば、それは人助けになると思った。死んでしまった作家やアーティストがいる。どんなに遺された作品が素晴らしいものであっても、過去になってしまうというところが最大の弱点だ。どんなに鮮明で美しくても、どんどん過去になってしまう。それは自然の摂理から言って、当たり前のことであるけれど、アーティストとして、自ら死ぬことが見苦しいことである、ということの意味がわかる気がする。自ら死ぬなんて馬鹿馬鹿しいことだ。大槻ケンヂも言っていたけれど、どんな大物アーティストであっても、それでお金をもらって生きていく道を選んだ限り、もうそれは工場で缶詰を作る作業と変わらない。食べていくための糧なのだから、自分の中のアーティスティックな部分が古くなる、汚れるだなんて言って死ぬのは馬鹿なことだ。死ぬくらいなら、多少みっともないことしかできなくても、その後も生き続けて行くことが、アーティストとしての仕事だと思う。自分の中のアーティスティックな部分を信じるなら、それを支える自分の「人間」という物質を支えなければいけない。それは食べることであり、眠ることであり、その一部が時に人を好きになったりして心を揺れ動かす。単純でシンプルだけど、そこからアートって生じるものだと思う。アートって、生きていくことそのものだ。皆アーティストに憧れてるみたいだけど、私はどんな人だって、生きている限りアートだと思う。一生懸命働いているかそうでないか、また客観的か自己中心的か、といったような優劣はあるにせよ。サラリーマンという生き方だってアートだ。一流の製造業は、アーティストでないとやっていけないと思う。販売員なんて、やることがアートそのものだ。営業なんて、その人と背景の人脈そのものがアートだと感じることがある。何ていうか知らないけど、勘違いはなはだしい人が、今は多過ぎる気がする。
2006年03月18日
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どうしても仕事が合わない。入社以来、結構嫌な仕事にも耐性があるということで定評のかりんさんだったのに。そして、ついに体調を崩した。薬の飲みすぎしかり、失恋グズグズひきずるのしかり、日曜は一日安静にしていたから、今日は出勤できると思っていたのに、週初めの大事な日に欠勤ときたもんだ。一人暮らしの我が家には体温計というものはないけれど、頭がボーッとして、体が熱くてどうしようもない。朝、上司に連絡を入れて(この連絡することすら体が動かなかった)、ありったけのものを着込んで、気付いたらもう夕方。意識はまったくなかった。おまけに昨夜、「まつげくるん」という、温熱ビューラーが眼球を直撃し、左目が痛いったらありゃしない。こんなときに限って・・勘弁してくれ。眼球に関しては、今日一日寝ていたのが功を奏したのか、跡は残っていないけれど、痛い。眼科に、消費生活センター、あと今年から医療費控除も計算したいし、今週の面接にまでリカバリーしておきたいし、履歴書も書かなきゃいけないし、何か生きるのってつらいし、面倒くさいと思う。でも、昨夜から、「死んだら終わりだ」という気持ちにもなっている。不思議だけれど、死んだ後に後悔する、ということが身をもって感じられた。運良く浮遊霊とかになったら、「死ななきゃよかった」と永遠に後悔し続けるのがわかった。長生き願望は相変わらずないけれど、ある意味死んでいた今日、新しい発見もあった。でも、どん底まで落ちないと、起き上がれない自分をどうにかしたい。でも不思議「私は幸せになりたいんだ」自分で本当は心からそう願っていることがわかって、涙が止まらない。
2006年03月13日
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生理が来ない。びっくししてたよ正直。でも私は思いました。「別れた彼に連絡できるじゃん」いや、連絡はしていいんですよ。そういう約束だし。でも、「あなたとの子よ」なんて言いたい。「私は産む気なんてないけど・・どうする?」「本当に俺の子?(←人でなし発言だが、確かに別れてもう数ヶ月経つ。しかも先月はちゃんと生理が来ている)」「妊娠してても、生理が来ることってあるんだよ(これはマジ)。何か、お腹ふっくらしてきて、おかしいな、と思ってたんだけど」「中絶費用と、慰謝料かな」「やり直してくれ」未練だねー未練。過去の強気ブログは何だったんだ。
2006年03月13日
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私多分狂ってるんだと思う静かに静かに狂ってるんだと思う凡人のふりして狂ってる社会人やりながら狂ってる偏執狂・パラノイア・買い物依存セックス依存薬に溺れて殺されそうまだまだあるよ股を開くのは簡単だ心を開くのが難しい自分が何をしたいのか自分がどうしたいのかどうしてほしいのか上手く人に伝えられないそんな人生はもういらないと思う笑いが止まらない涙も止まらないあなたが興味あるのは私の心の中じゃなくて私がどういう人間かじゃなくて私の股の具合が知りたいだけですねそーですねでもお金じゃ売りたくないんだなでもその汚れた口で愛とか言うな死ねバカ者二度と私の視界に入ってくるんじゃねぇ次やったらぶっ殺すぞ
2006年03月12日
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エビちゃんみたいになりたいのです大好き大好き。可愛い子大好き。女子アナにタレントにモデル、そんでグラビアアイドル、アニメにゲーム美少女エビちゃんみたいにフリフリのお嬢様ラヴリー服着て、転職活動成功させてヴィトンのバッグ買うんだ♪ゆめゆめ膨らむゆめ膨らむジーザス☆頑張るから報いて☆
2006年03月12日
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風邪ひいちゃったおー先週から騙し騙し葛根湯とパブロン併用しつつ、肌荒れの薬「エバレッシュB26」毎日飲んで、これ以上出せるかってほどの向精神剤飲んで、睡眠薬もMAX♪薬ってカワユスなぁ飲めば飲むほどハッピーだなぁあとは何を飲もうかなぁ熱出てだるいから、日曜は一日寝ることにした。でもYahoo!配信のエヴァンゲリオン観てたら、もう夕方だおでも転職活動始めるんだールンルン。上手くいくといいなぁやりたい仕事があるのそれだけは成就させたいの絶対やりたいの内定ほしいお絶対ほしいお手に入れるお!!
2006年03月12日
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しょこたん可愛いなぁしょこたんブログは毎日チェックしてるおああいうギザカワユス顔に生まれたら、そら貪欲に生きようとも思うはず。恵まれてるよなーうふふん知らねぇでもおいらもカチューシャ買おういっぱい買って、しょこたんみたいにギザカワユス女の子になるんだにゃー
2006年03月12日
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あーうっせしらねーよほっとけよおらどうせ死ぬんだよ
2006年03月12日
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今は夢なんかね~見たいとは思うの~でもね~息つく暇もなく~棄てるほどくだらないクライアントに笑顔~私生きる気なくしますこんな時~仕事仕事~くだらないですねぇとは思いつつ~人生生きていきましょう~そうするしかないから日が暮れていきます~
2006年03月06日
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死ぬと決めたらやりたいこと1.整形2.有り金で欲しい物買いまくる3.クライアントと上司に罵詈雑言の上、暴行4.ドラッグ5.誰かれ構わず、中出しでセックスしまくり6.犯罪行為「死ぬ気になれば何でもできる」ボケ言ってんじゃねぇ。クソが。お前こそ死んじまえ。
2006年03月06日
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とにかく社会性というものを身につけようと思う。社会人としてまっとうに生活していくため。でももう疲れちゃったんだもん。もう、全てに対して。何も考えず、冷たい無糖カフェオレとウイダーインゼリーだけで生きていけたら素敵だ。
2006年03月06日
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都合のいい女って何だろう。いわゆる、男の人の射精したいもしくは、寂しい甘えたいタイミングに沿える女性ってことだ。男の人は、出したらおしまい。舐めるだけ舐めてキスして触って、気持ちよく射精できたら、もう何も覚えちゃいない。きれいさっぱりってやつだ。セックスの満足度を高めるためには、前戯も後戯もたっぷりと。これは基本中の基本だ。男性の皆様は、これを心掛けるだけで、もっとモテるかも。
2006年03月06日
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やっぱり肝臓が弱っている様子。禁酒して不摂生せず過ごしましたけど、相変わらず飲むと脚がつる。前までは左足だけだったけど、最近は両足がつる。毎晩大股開きでオナニーしてることは、関係ないらしい。五臓六腑つながっているものだから、どこかひとつでも悪くすると、全部悪くなるという、人体の不思議。人間皮を剥ぐと、内臓のオンパレードだ。昔行った「人体の不思議展」を思い出す。人間の体なんて、肉の塊。肉っていっても、ひだひだしてたり、厚みあり薄かったりもし、ぶつぶつがあって、訳のわからないものがぎっしり詰まっている。こうやって文章を書く脳みそだって、実に小さく。脳みそ悪くしたとき、CTスキャン撮ったけど、自分の脳みその輪切りを見て馬鹿馬鹿しくなってしまった。心なんて。人間は、不便な生き物だと、つくづく思う。
2006年03月06日
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守られない約束なら、口に出すな。信じてしまうだろうが。私狂ってるみたい。やっぱり狂ってる。棄てた家族は皆口々に、私のことをキチガイだ、家の恥部だと罵った。神経科の医者は、そんな両親を一度診療に連れてくるように言うが、できるわけもないだろう。お前アホか。薬も効かなくなってきた。たくさん飲んでもダメだ。今の状態を言うならば、社会的には○がつくだろう。適度に友人に会い、集まりに参加し、前向きに笑ったりする。死のうとか思わない。ただ、楽にお金が入ってきたらいいなあと思う。好きなものを好きなように買えて、一日気ままに過ごせるのなら、生きていくのも悪くないと思うだろう。
2006年03月05日
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雑誌Cancam大好きかりんさんです。誰が好きかというと、カッコイイ系山田優でも、お姉さんな押切モエでもなく、断然エビちゃん。最近は、男へのわかりやすいアピールをする「小悪魔系」マキちゃんもチェックしている。男なんてみんな騙してしまえ。服装で見た目で、わかりやすい記号となって、寂しくない人生を送れ。男なんてみんなやりたいだけだよ。もしくは、貞淑で可愛い女の子を連れて歩きたいだけだよ。いくら愛の唄を唄っても意味はありません。私が海に沈もうと思うのはこんなときです。人一人沈んだ程度では決して汚れない海に。
2006年03月05日
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エロを題材にすると、アクセス数が桁違いだ。エロ。エロ。画像に、実況中継に、エロ知識。セックスはそんなに大事なものか。唾棄してやるほどの気負いもないくせに、嫌らしく自分を満たすのやめろ。いや、自分の体を唾棄できないからこそのエログだろう。精神のバランスをとって、明日も生きていける、みたいな。自分の体が大事に思えない私には、ちょっと腹が立つやら、うらやましいやら。現代社会で生きるにあたり、エログの貢献は大きい。
2006年03月05日
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長生きなんかしたくないよねえ。私は精神的に患っているせいか、早く死ねるなら、とばかり思っていたけれど、酒を飲んで友人と話すと、誰一人長生きなんかしたいと思ってない、という話になる。結構皆正常な友人たちだ。社会的で信頼されている。私の周囲では、皆生きていることに嫌気がさしている。願わくば、早死に。できたら今すぐ。どんな方法が迷惑かからないかな?家飲みでこっそりそんなことを話し合ったり。とにかく。毎日朝起きて、化粧して、ヘアワックスつけたりして身繕いして、人様に迷惑掛けたり嫌われたりしないように職場で一所懸命仕事。情報は絶え間なく大量に流れ込んできて、今日一日生きるのに飽き飽き。美味しいものなんて食べてもそれっきり。美味しい酒なんて飲んでもそれっきり。偉人なんて笑い飛ばす。現社会で成功している人なんて、参考にすらならない。運がよくて、そこそこその場を繕う能力のある人が浮き上がってくるだけで、実力のある人なんて腐るほどいるのに、それだけじゃダメ。じゃあ私たちは、凡庸で平凡で取り得のない場合は、どうしたらいいの。ただ生きることもできず、かといって死ぬことも出来ず、しぶしぶ生活していくしかない。ただしばらくの生きる動機づけのために、好きな服買ったりする程度。それもお金がない。出会う人はこう言う。「××さん(私の苗字)なんて、悩みないでしょう」その通りですもの。笑顔で大喰らい演じつつ、笑顔で絶望。明日も仕事だ。死んでやる。
2006年03月05日
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とりあえず、最近は外出したりひきこもったり、好きなように、気ままに過ごしている。余裕があるのかどうかわからない。でも、薬の量は減らないし、最近は文章すら書く気がしない。もう嫌だと思って、何もかも滅茶苦茶にしていきたいとさえ思う。生きていくのは折角だから、と思うけれど、義務。死ねたら楽だ。それなのに、ユニットバスの臭気が気になったりして、一生懸命掃除したりしている自分に嫌気がさす。そんな日曜日。
2006年03月05日
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音楽を聴いていて、歌詞に別れた彼が重なることが、少なくなってきた。少なくなってきたというか、薄くなってきたというべきか。人はこうやって物事を忘れていく。今回のように、忘れたいことも忘れるし、忘れたくないことまで忘れることもある。知らないうちに、すべて忘れてしまう気がする。息が吹きかかった瞬間から、今は次々と過去になっていく。今を大切に生きていくこと。今愛するべきもの、そして愛すべき人たちを、心から誠実に、素直に慈しんで生きたい。灯台のスポットライトが照らすように、瞬時に浮き上がっては消えていく思い出のかけら。きっと、そのかけらは、星の形をしている気がする。
2006年02月21日
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久々に映画『17歳のカルテ』のDVDを観た。主人公の病名は、私と同じ「境界例人格障害」だ。原題は『girl,interrupted』。当時、17歳の犯行が目立ったので、邦題として『17歳のカルテ』になったという経緯があるが、私はこの邦題が本当に気に入らない。でも、今回は、自分の17歳だった頃を思い出してみる機会になった。17歳。父がリストラされて引越しした。趣味もなく友達もいなかった。17歳って楽しいらしい。世間的には楽しいものかもしれない。私はそうではなかった。17歳ってそんなにいいか?小学2年生の頃から包丁を手に胸をつく真似をしていた。間もなくリストカットをはじめ、それは高校生まで続いた。17歳って、そんなに、いいか?私の手首には、消えない傷跡がいまだにはっきり残っています。
2006年02月20日
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昔書いたラブレターのコピーが出てきた。何を書いたか忘れてしまうと、次に続かないので、コピーを取っていたのです。書いてあるのは、海について、仏教について、あなたのことについて等々。結局その後、色々あって、あんまり接することもなくなってしまった。でも読まれないとわかっていても、私は出せない手紙を書き続けました。手紙というのは素晴らしき。文字には人の心が滲んでたまに読めなくなるし、自分の気持ちや出来事ばかり書いてしまうのが、逆に長所だと思う。だって「会った方が早い」になるもの。住所がわからないと届かないものだから、比較的身元もしっかりしてるし。メールは確かにインタラクティブで・・早くて・・内容は、限りなく曖昧なのが良しと。曖昧なのは、人間として仕方がない。白か黒かなんて、絶対に求めちゃいけない。今の時代は特に。Nobody’s perfect私もあなたも。でも、「誰もが完璧な誠実なんか持っちゃいない」ということを感じるのは、本当に必要なときだけでいいと思う。ものすごいスピードで情報が流れ、気持ちも環境も人も街も変わっていく。今、それらについていくことを、あまり重要に思わない。素直な気持ちで、コミュニケーションをとっていこうと思う。そんな今だからこそ、捨てない限り残る手紙が愛しくてたまらない。
2006年02月19日
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ちゃんと立ち直るものです。ちゃんと忘れるものです。恋の記憶。女の子は弱くない。むしろ、すっげえ強い。でも、そう思えるようになるまで、大変なエネルギーと時間が必要だった。でも、自分の恋の落とし前は、自分でつけよう。彼に好かれようと思って買った服。取り繕うと思ってついた嘘。我慢して通り越した不協和音。言えなかった、私が本当に伝えたかったこと。彼が来なくなってから、散らかし放題で、足の踏み場もなかった部屋、汚れたユニットバスとトイレ、ちょっとずつ掃除を始めました。そして、考えました。自分が本当は何を幸せに思うのか。他の人の多数決や、マスコミの言うような、楽しくもないことを無理にやろうとしてなかったか。美味しいお店があるって、楽しい遊びがあるって、本当に楽しいと思ってやってた?他人と比較して得た自信なんか、もろくも崩れ去ること。まず、自分のありのままを自分で受け入れること無理はさせないこと自分に嘘はつかせないこともし好きな人ができたら、その人のすべてを受け入れることそして熱い口づけを晴れた休日は本当に気持ちがいい。
2006年02月18日
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誠実を求めて相手を思い遣るのは無駄なことでしょうか誠実を求めて男の人に抱かれるのは馬鹿なことでしょうか誠実が見えそう見えるかもしれない誠実にしてくれるかもしれないそんな期待を込めて男の人に抱かれることは女性にとっては本当に馬鹿なことです逆に男性は、嘘でも誠実さで装えば簡単に女性を抱くことができると思いますセックスなんて本当に化かし合いだね何であんなにセックスしたさに必死になる人がいるんだろう不思議です
2006年02月16日
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私は今日、視線恐怖症の治し方を発見しましたもがき苦しむのも、悪くないのかもしれませんまず、お薬をいっぱい飲みますこれは、色んな症状で出されたものを数種類気分を明るくしたり落ち着けたりそんな趣向の違うのを色々飲み過ぎには注意です偏執狂の頭は、これでぼんやりしますいい意味で、物事がどうでもよくなりますそして次が大切です「私は愛されてる」「愛されてる」そう自分に呼びかけること「愛されたい」で行動してたら苦しいことばかり既に、誰ぞや、名前は挙がらなくても、「愛されてる」って思い込むことそしたら自然に口角は上がって自然な微笑ができますそしたら不思議もう視線は恐くありませんきっとこれを繰り返してたら素敵な人になれるはず
2006年02月16日
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私は、人の目が見れない。普通の人たちが、どのようなアイコンタクトをしているのか、観察して真似している。薬が効いているときはましで、人と談笑しながら考え、こう顔を見て、耳のあたりを見て、それからさりげなくネクタイあたりを見たり、いいタイミングと頻度で目を見て微笑む。最近薬を変えた。一向に症状が良くならない、というか、一生付き合っていかなければいけない、私の人格障害の弊害は、様々な様相に形を変えて、悩ませる。違う症状が出る度、薬は変わる。今の医者も、かかり始めた頃からずっと、薬の配分が上手く行かなくて、かなり苦慮している様子だ。で、人の目が見れなくなり、今日一日は大変苦しかった。会社の人たちは大好きだ。女ばかりの職場だけれど、皆明るくて面白くて、誰も傷つけたくないと心から思う。でも、私は彼女達の目が見れなかった。視線恐怖がぶり返すのは久々で、仕事も大変だし、私も頭が働かず、冒頭のごまかしもきかず、結局皆に「?」という不穏な気持ちを抱かせ、話をしていても目を合わせてもらえないという、そんな日になった。昔は、視界にあるもの全てが目に入って来、意識してしまって仕方のなくなる、脇見恐怖もひどかった。医者に言わせると、視線恐怖も脇見恐怖も、解明されていない症状なのだそうだ。脳の一部の特有なはたらきによって、そのようになることは何となく解っている程度で、それらを改善するための施策はほとんどないのが現状だそうだ。私は、皆に好かれたい。愛されていたい。明るくて、幸せで、ハッピーな毎日を送りたい。普通の望みだろう。でも、もう死んだ方がいいと、今日は心から思った。
2006年02月15日
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この諺は、本当だと思う。アダルトチルドレン(AC)って流行ったけれど、今あの人たちはどこへ行ってしまったんだろう。少なくとも、私は未だに苦しんでいます。自分に自信が持てなくて、ろくに自分のアピールもできないし、自己紹介しようにも、何もない。両親もいない。兄弟もいない。仕方なく家族構成を聞いてくれる人ですら、困惑顔だ。自分の経歴に、いいところなんて何もない。自分の中に、いいところなんて一つもない。年齢的には大人だけれど、未だにそんな思いが消えない。母の執拗な叱責。「色が黒いからブス」「不潔!!」小さい頃から、母は私と一緒にお風呂に入らなかった。「あんたが似合いもしないのに髪を伸ばすせいだ」とはさみを持って追いかけられた。気に入らないと、家に帰る途中で車から引きずり出す。友達から借りてきた漫画を読んでいたら、入れていた袋まで全て八つ裂き。極寒の中、裸で外に出す。泣いていたら、頭から水を浴びせ、「うるさいからどっか行け!!」性的いたずらを受けても、見て見ぬ振り。「公務員を目指しなさい。あなたはブスだから民間企業での昇進は無理」「あなたはブスだから、コンタクトなんて必要ない」大学に落ちたら「不良品。あんたを育ててきた意味は本当になかった」父は仕事人間。家のことは、全て母にまかせっきりで、仕事ばかりしていた。というか、妻と子どもから逃げていた。そしてたまに話しかけられると、「おっぱいがちっとも大きくならないなあ」「なんでそんなに鼻が変な形をしているのか?」砂を噛むような毎日。さんざん施設や制度を調べ尽くしたけれど、何も手助けとなるものはなかった。結局お金がなかったからだ。だから、死ぬ思いで学校をする時、就職活動をして苦手な自己PRを一生懸命して就職して、お金が貯まるまで我慢して生活して、やっとの思いで一人暮らしを始めた。もう、実家には帰らなかった。しかし、携帯に執拗にかかってくる親からの着信。親孝行だと思い、教えた携帯のメールにも、非道極まりない内容が送られてくる。「自分達の付属品・所有物」がどこかに行ってしまったので不安な様子。無視していたら、強行に家に来た。「寒いから、中に入れてもらいましょ!」と母。お前の家じゃない。全て私がつくった家だ。自分で稼いで築いた部屋だ。勝手に入るんじゃねえ。殺気立った。その後、荷物を取りに仕方なく実家へ行ったことがあったが、その度に母は汚い言葉を投げつけてくる。こちらが本当に、心から傷つき、言えない傷を残すように。今は、ただ寂しくて心配で、でも無視されるから、どうしようもない気持ちで怒鳴っているんだとは思う。父はそれを愛情だと思えと言う。でも、そんなのは愛情だとは思わない。母の過去にどんなことがあったか、かなり聞いてあげたが、過去は人を傷つけていい理由にはならない。ある日、車を出してくれた父と、外食をした。父は言った。「お前の顔は、普通だ。ブスじゃない。」お父さんって、「お前が世界でいちばん可愛い」とか言ってくれるんじゃないかと思ってたけど、やっぱり違うんだね。私は確かに女だけど、それ以前に、世界に一人しかいない、あなたの娘です。でも、あなたにとっては、ただの一人の女なんだね。物心ついた頃から言われていた欠点が体中にあって、いまだに私は自分に自信というものを持ったことがない。自信なんか持てず、未だに私を「無価値な人間だ」という思いで縛り付け、絶望にまで追いやる。それはそれは、完璧な絶望だ。安定した家庭で育った友達は、情緒も大変安定しているし、落ち込んだときも基本的な自分への信頼が失われない。自信があるから、友達も自然とどんどんできる。この差って何だろうなあ。アダルトチルドレンで未だに苦しんでいる方、いませんか?
2006年02月14日
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過去、関わってきた男を並べてみると、わかることがある。私はもてる男と正式なお付き合いをしたことがない。付き合ってきた男は、大抵、自信がなくて女の子に言い寄れない人とか。もしくは、遊びたいだけだったとか。そういうのばっかり。特に、自信がなくて言い寄れない人に限って、その後も出会いをものにできないみたいで、しつこく年賀状とか送ってきたりする。それも実家に送ってきたりするから、マジ勘弁って感じだ。馬鹿にされたくない。軽んじられたくない。遊ばれたくない。普通の男性と恋をしたい。被害妄想ではなく、私はちょろいと思われている。気弱そうだから。存在感ないから。友達いなさそうだし。簡単に落とせる、と思うのでしょう。どれも、確かに依存するようにはまりこんだ恋。自分に自信が持てなくて、他人の差し出すものにフラフラ、あっちこっちへ動き続けた結果だ。自分が選んだものじゃない。そんな自分が本当に嫌になる。人格は変えられないから仕方ないけれど、何とかして自信くらい持ちたい。私も何か本当に楽しいと思えて、ワクワクするようなことに生涯入魂して打ち込めればいいなあと思う。あとは、自分で自分を、まるごとYESって迷いなく言えるように。自分のことを理解してあげて、好きになって、自分でありのままの自分を受け入れられるようになりたい。他の幸せを下手に羨んで、真似したりしないように。自分が本当に心から感じる幸せを、マイペースで追っていけたらいい。これが当分の課題になると思う。
2006年02月13日
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おそるべし、躁と鬱の繰り返し。さっきまでとっても気分が明るくて、「この世のハル」!って気分だった。合コンのセッティングの相談メールして、新しい恋、するぞー!!って気分だったのに。涙が止まらなくなる今。愛愛愛愛あいしてるあいしてるあいしてるあいしてる。美味しいお魚にレモンの缶チューハイ・・YUKIの『メランコリニスタ』をネット試聴しながら・・激しく嘔吐。涙が止まらない。心がからっぽ。もう、何とも言えないくらいの絶望が押し寄せてくる。押し寄せてきて、引かない。ああ、YUKI。椎名リンゴ。aiko。憧れる。ああいうふうに生きたい。愛を歌って、踊って、可愛い服着て、泣いて笑って、愛して・・・本能のまま。愛と恋と夢と、男の子のことだけ考えて、生きていけたらいいのに。好きな男の子と、毎日抱き合って、キスばっかりしていたい。2人でいることだけで意味があるような。依存症。でも、寂しさに耐える必要も、そんなにないらしいから。誰か、抱いてください。
2006年02月12日
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飲みすぎた。自分でも分かるくらい、体調が悪い。しかも、今まで悪くしなかったところを悪くしたこと確実。私は結構酒には強く、二日酔いとか経験したことがないから自分でも「へぇ~」な気分だ。今回は、量が問題じゃなくて、飲み方が悪かったと思う。ろくに食事もしないで(私は夕食はほとんど食べない)、独り飲んでいたのが良くなかった。飲んでいたのは、缶1本程度だもの。寂しさや後悔、「ダメな自分」という思いが押し寄せる中、独り泣きながら飲んでいたのが良くなかった。精神的なものって本当に大きい。「心は体、体は心」と聞いたことがあるが、本当にそうなのだ。でも、友達と飲んでも泣けない。ヘラヘラ笑いながらごまかしている。泣いたりなんかしたら、自分で自分が許せない。人前では、常に明るく楽しい人でありなさいと、自分で自分を追いつめるせいだ。金曜日にお誘いのあった飲み会で、サワーを飲んでいたら、脚がつって仕方ない。おまけに、たったの二杯目で、体がお酒を全然受け付けない。さすがに不調と認めざるをえない。職業上、めちゃくちゃ飲む人たちだったので、聞いてみた。「飲むと脚がつるって何なんでしょうね」「・・やばいよそれ。肝臓やすい臓が悲鳴をあげてるサインだよ」でも悲しみが止まらない。涙も止まらない。自責の念、何よりも寂しい寂しい寂しい・・・止まらない。飲めないとツライ。ショッキングな出来事や、「自分つまらない」を実感するニュースを聞いて、さらにツライ。多分アル中になった方が楽だ。村上龍も言ってたけど、依存症って、自分で何とか問題解決することを放棄して、他のものに依存できるってことだから。やっぱ、死ぬか脱ぐかでもした方がいいのか?バーカ脱いだって誰も見ねぇよ。つまらねぇ人間。死ねよ。ファック。
2006年02月11日
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何が辛いかって、目立つ人たちの集団に入れないこと。好きなことやって、やんちゃなこともして、キラキラ輝いてる、何より今を楽しんでる人たち。あの人たちの仲間に入りたい。マブな友達になりたい。小学生・中学生・高校生・さらに大学生の頃思い出す。いいなぁと思ってるグループに入りたくても、結局入れなかったこと。こっちはすっごく努力して勇気出して近付くのに、ダメだったこと。今回もダメみたい。私はいいように使われて、ポイだ。それでも胸を張って生きていけなんて、今は到底無理なように思える。
2006年02月11日
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美しい驟雨。雨の音が好き。どんな音楽も、雨の音が源の気がする。雨は嫌いじゃない。都会で生活するには、不便で不便で、うんざりしてしまうけれど、休みがとれたら、買ったばかりの透明な長靴を履いて、どこかへ走って出掛けたくなります。もし誰も知らない島へ行けたら、緑の丘の上で、顔に雨を受けて両手を広げ、雨を感じていたい。この雨は、私という人間が生まれる前から、何の悲しいことも知る術すらない頃、ただひたすら愛しく思う人がいて、与えることのみしか頭になかった頃に浴びていた雨のようです。夢を捨てないで。いつもあの人に通じる道があることに気付く。距離も時間も越えて、私はいつもあなたに繋がっている。大きな枝を巡らせた木の下で雨を眺められたら、きっと誰よりもやさしくなれる。目を閉じて、このまま海に溶けてしまいたい。私の中には、きっと水溜りがある。目を閉じると、耳を澄ますと、いつも聞こえてくる雨の音。その後には、あの人が何処かから呼んでいる声がする。うれしい記憶が蘇り、涙すら溢れて振り返る。でも私は行けない。行っちゃいけない。だから、お願いだから、いつも笑っていてね。遠くからいつも想っています。
2006年02月09日
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オナニー大好き。それは、長風呂から始まる。仕事は完全に内勤仕事だけど、やっぱ冷える。でも、ださいナースサンダルなんか履きたくないから、いつも踵のあるとがったパンプスで貫いています。冬はひざ掛けぐるぐる巻きにしてる女たちがウザいから、やらない。腰は冷える。冷える。冷える。だから半身浴。半身欲。リラックスしたら色んな妄想が浮かんできて、止まらなくなる。どうしてもエッチになる。一人でお風呂入ったら、自分で胸とか触ったりチェックしたりすると思うけど、私はそれがどうしても性欲に直結してしまう。みんな平気なのかなぁ?長風呂好きな女性は多いと思うけど、みんな何して過ごしてるの?不思議ちゃーん。バラのコロンをいっぱい湯船に入れたら、もう止まらない。散々オナニーしたらチューハイあけて、今日は美味しいお魚焼いて食べた。薬を変えたせいでアッパーな感じ。でも、朝起き抜けでまず思うことは、「死にたい」。仕事中は、笑顔笑顔。でもHなこと考えてる。そんで「死にたい」。薬飲む。来週は薬の量増やしてもいいから、楽しみ。だって今、人の目が見られなくって困ってるんだもん。本当に困ってるんだもん。前はがつがつ仕事してたけど、今は見事に仕事やる気ないし。酷い鬱。正直本当にしんどい。そんで、「死にたい」×100。私のしたいことなんて、どこ行ったのかなぁ?みんなみたいに結婚なんか。そりゃもちろん安定したいし、何より安心したい。迷わないものに結び付けられたい。前の彼氏は夢追ってたからお金なかったけど、私も働いてるしいいかって思ってた。でもやっぱり男性の収入は大事だと、色んな人の話を聞いて本当に思う。でも、そんなまともな男性が私と付き合ったとしても、私が薬飲まなきゃ生きてけないこと知ったら逃げていくかもしれないもん。「奥さんにするなら健康な人」って、年頃の男性の合言葉だよね。会社の男たちも、そんなような話ばっかりしてるよ。そういう人たちが、年収800万以上で、超安定してるもん。つまんない人ばっかりだから、社内は勘弁だけど(ふざけんな)。私Hに依存してもいいよね。誰が文句ありますか。私のまごころとか、優しさとか、素直な気持ちとか、伝えても伝わらなくて、うまく心開いて口も開いて、一所懸命言葉にしても、ダメだもん。もう、その繰り返しだもん。結局開くのは、心とか口じゃくて脚。男の人は目の色を変える。好きだとか言ったりする。嘘だって知ってる。約束だって、Hの後は覚えちゃいない。私のスケジュールは、いつも消したり書いたり、ぬか喜びと涙が止まらない絶望。「あんまり飲んでばっかりいると、脳みそぶよぶよになっちゃうよ」もう手遅れだもん。ある意味もうぶよぶよだもん。何で生きてるのかわかんないもん。もう誠実とか求めるのはやめた。・・・って、やめられないよぉ!!やだよぉ!!やさしくして、やさしくされて、受け入れた分受け入れられたいよぉ!!でも私はそんなこと願っちゃだめなんだと思う。思いたくないけど。思いたくないよぉ!!うわーん!!
2006年02月08日
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私には友達がいない。寂しい。皆、仕事で忙しかったり、趣味があって仲間もいて、週末や休日はちゃんと予定で埋まっている。最終的には家族もいる。別れた彼氏は人気者だった。本当にいつもたくさんの人に囲まれてて、愛され慣れしていた。彼は普段本当に忙しい人だったので、彼女にも、会えない間は充実した時間を送っていてもらいたい、という感じ。自分も一人の時間がないとダメで、ネクラなオタクだと言っていて、それは確かにその通りだったけれど、普段はちゃんと仲間がいた。だから私が一人で過ごしてるのを見て、理解できないと同時に、「寂しいヤツ」と思ってるところがあった。本当に、彼と自分を比べてばかりいた。そして、自分にも友達はいると、普段忙しくて彼に構ってもらえない間、充実しているそぶりを見せた。そこから不協和音は生じていたんだろうと思う。私は漫画や映画、雑誌も読書も好きだ。音楽も、歌詞をじっくり落とし込みながら、心酔して聴くタイプだ。一人の方が合ってるのかもしれない。占いでは、私は良く言えば内省的で、内にこもるタイプとのことだ。私は、幼稚園の頃から、一人だった。誰かに誘われた覚えがない。「花いちもんめ」では、「あの子がほしい」のやり取りの挙句、最後まで取り残された。その後から今までも、必ず誰かを誘わないと、一人取り残されていた。人と比べてしまう。誰かが何処かへ遊びに行ったという話を聞くと、行けない、一緒に行く人もいない私はダメなんだと思う。つまらない人間なんだと思う。無駄に年齢を重ねてしまった。つまらない、退屈でウザいタイプ。携帯で自分が送ったメールを見てみても、本当にウザさ満点の内容。生まれてきたくなかったな。マズローの言う「所属の欲求」から、完全に取り残されている。人の目見られないし。体力もないし。声も小さい。体も小さいからか、存在感がない。スポーツは本当に苦手だ。それでも独りじゃなく、誰かと楽しく充実したプライベートを過ごしたい。微力だけれど、魅力的な人になろうと思う。友達たくさんほしい。それにしても今、マスコミや世間は、「寂しいヤツ」を徹底的に排除する方向にあるのではないかと思う。そこで皆、躍起になって、クリスマスとかの記念日やイベントを、誰かと過ごそうとしてるようにも見える。こんな世間は窮屈だと、心から思う。本当に生まれてきたくなかったな。それでも一人を楽しむ趣味を持ちつつも、誰かと楽しく充実したプライベートを過ごしたい。微力だけれど、魅力的な人になろうと思う。そうじゃなきゃ、生きて行けない。
2006年02月04日
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会社のビルは、窓から見下ろすと、首都高が走っている。旦那さんが配送の仕事をしている女の先輩は、決まった時間にいつも窓際で首都高を見下ろしている。この時間になると、旦那さんがこの道を走っているのだそうだ。私は首都高がどのように地理上で線を描いているのか、全体図がいつも覚えられないが、そんなときは多分、宇宙の星が描く軌道のようだったかもしれないと思う。宇宙の星が巡るから、もう二度と会えないであろう人とも、また会える気がする。出会いも別れも寂しいことじゃない。悪くない。夜はやはりめっきり冷え込むが、小走りに帰路を急ぐふとした合間、春について想いを巡らすのは、この時期の楽しみだ。
2006年02月03日
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思い通りにはいかないけれどそんなことばっかりでもう嫌になったり友達がほしかったり理解ある恋人がほしかったりもうダメだと思ったり恋せよって言われてもそんなこと無理だって悲しいの涙が溢れちゃうのこんなにたくさん人がいたら息ができなくなっちゃうよ早く来て 早く来てもっとたくさん愛を頂戴もっとたくさんお金を頂戴何処にも行かないでずっとここに居て無理だなんて言わないで行かないで私は行くけれど
2006年02月03日
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デパートで会社用のパンプスを買った後、冬バーゲン服を買い込んだ。ベージュのラビットファージャケット。茶色ファー襟に大きなピンクのリボンが可愛いロングコート。白のフリルミニスカート。冬服がはけた店員は、嬉しそう。会計、36,000円也。月給の1/5。もちろんYahoo!オークションの支払いもある。若い人たちは、収入の半分が服飾代と聞いた。私もそうかもしれない。でも少しでもイイ自分になれるんだから、関係ない。栄養が足りないのもよく分かっている上での賢い選択だ。私の服の、お洒落のテーマは、「永遠の少女」。昔はセクシーとか大人っぽいとかにも憧れたし、蛯原友里も大好きだけど、やっぱり私は少女っぽいものがいちばん似合うと自分でも思う。150cmにやや満たない身長に、細い首と細い手足、そして何より、年齢を聞くと驚く童顔。ロリ好きおじさんに大変もてる。髪は会社でもキレイに映るような、レイヤーをたっぷり入れたつやつやのミディアム。ナチュラルで明るい茶色に仕上げている。会社では、エビちゃんOLだ。素肌っぽいファンデに、マスカラたっぷり。チークもピンクかオレンジを、服に合わせて多めに入れる。グロスも、チークに合わせた色でつやつやに。こまめに塗り直します。決して厚化粧とは言わせない程度に調節するのは、年の功であろう。私服では、私はミニが似合う。タイトミニもいいけど、特にプリーツミニが似合う。自画自賛でも独り善がりでもなく、他人からも本当によく言われる。苦労を知らなさそうだと言われる。これは、私の作戦勝ちだ。いやむしろ、その通りだろう。作戦なんてない。一人で暮らす生活は、つぎはぎだらけだ。耐えなければならないことの連続。そして鬱病。「これ以上出せない」と医者に言われるほどの薬を、10年以上飲み続けて、社会生活をしている。人格は、薬を変える毎に変わる。アッパーな時は友達も多いけれど、そうじゃないときはひたすら独りで過ごしている。彼と出会ったときは、アッパーな薬が効いていた頃だった。この薬を酒で流し込むと、飲み会をめちゃくちゃ盛り上げることができた。その飲み会がきっかけで、彼と近付いた。彼と何度か食事をして近付いている間も飲み続け、私はぶっ倒れた。意識を失って痙攣し、倒れた衝撃で体を切って大量に血が流れ、救急車で運ばれた先の病院で、8針縫った。結果、薬も強制的に変えられた。いわゆる、ダウナー系の薬だった。私の性格は激変した。つまらない、喋れない、面白味のない人間になった。それでも彼を好きな気持ちは変わらなかった。鬱のせいで、何の趣味を広げる気は起こらなかったし、人にも会わなくなった。けれど、一途さはよりいっそう増して彼を求めた。そして、忙しくてお金がない彼を、態度で、何気なく発する言葉で責めていた。私の態度や言葉から、明るさは当然なかった。薬が違ったから。心を閉ざしたままということは前から変わらなかったが、言葉を極端に失った。どうでもいいことや、社会的に必要なおしゃべりはできたが、本当に彼に伝えたいことは伝えられなかった。最終的には、伝えようという気持ちすら失くしていった。彼に「負担だ」と言われるまで、時間はかからなかった。彼とは別れた。別れた後、彼と「友達でいよう、前みたいに2人で飲みに行ったりしよう」というメールをやりとりした。明るく前向きな彼が、そして社会が必要なのは、薬で一時的にアッパーになった私なのだと、改めてわかった。彼と付き合っていた私は何だったんだろう。血が通っていた人間ではあったけれど、人格はなかった。薬で人格をインストールしたら、一丁出来上がりの人形。おしゃべりする、エッチもする、笑って泣いて、甘えたり。でも中身は、死んだ蝉の様に空っぽ。踏んだら乾いた音を立てて崩れる。私は苦労を知らない。ひたすら鬱がつらいだけだ。
2006年02月01日
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絵(かい)が死んだ。自殺だった。乾杯のワインがなかったので、唇を触れ合わせた。絵が死んだ。遺書には私への手紙もあったという。教室の隅っこで、席が隣になったのが絵と知り合うきっかけだった。数学のグループワークを利用して、絵を描いて遊んだ。話をして絵を描いて、どんどん親密になっていくのは容易かった。絵も寂しかったし、私もとっても寂しかった。2人は子どもの獣同士だった。どちらが男、どちらが女、そんなものはなく、絵にとって私がセーラー服を着ているのも、将来なりうるべき雌を暗示している記号に過ぎなかった。そして、そんな近い将来でさえ、2人には関係なかった。ただ幼い獣のように無口に無邪気に、学校を抜け出しては緑のあるところで過ごした。いじめられていた私には名前がなかったが、絵は私を「くう」と呼んだ。こうして私に名ができたのだった。両親が画家と漫画家であるという絵は、当然のように絵が上手かった。2人では落書き程度、そして紙に書ければいい方で、地面や壁や、水面に線を引いて遊んだりもした。絵が上手く仕上がると、大人同士が確かめ合うような「乾杯」に似たものがほしくなったけれど、私たちにはワインはなかった。そこで、唇を触れ合わせた。かちんと音がするようだった。言わば絵がクリエイターで、私は有能かつ才能溢れるアシスタントだった。絵がまさに描く絵を、私が上手く修正しながら、扇動しながら味付けしていく。それはこの上なく贅沢な作業で、世界には2人しかいないと錯覚することは正しかった。作品が出来上がる度の口付けで、お互いをたたえあった。そこには、動物的な匂いは全くなかった。私は家に帰りたくなかった。両親の不仲と、兄弟とも不和だった。そんな中学が過ぎ、高校に進学しなければならなくなった。私はリストラされた父の仕事の関係で、東京の高校へ進学することになっていた。「絵はどうするの」「・・・やりたいことがある」やりたいことは何だったのか。むしろやりたくないことの方が、彼にとって多いように思えた。それでもやりたいことがある、という彼を私は信じた。幼かったから、幼いなりの一途さで信じた。それは、私を中学という地獄から救ってくれた絵への、唯一の礼でもあった。何より私は彼の絵の才能を実際に目にし続けてきた人間だったから、信じることは容易かった。彼なら、これからもこんなふうに絵を描いて生活していける。そんな不思議な確信があった。一緒に過ごしてしまったからであろう。その陽だまりのような時間は、私に魔法をかけてしまったのだ。いや、絵の絵そのものが魔法だったと言ってよいと思う。これからも、ずっと一緒だ。男女のことなんか関係なく、2人の獣はそう信じていた。絵を描いて過ごしてきた。これからも絵を描き続ける限り、この時間は続いていく。東京に行くための引越しや書類の作業は煩雑で、やっと何日かぶりに絵に会えた日、多分それが最後になるであろうとわかっていた私は、何気なく進学する高校の新しいセーラー服を着ていった。絵は私をあまり見ようとせず、私も静かに絵の横に体操座りをした。意味はわかっていた。別れを実感するには、あまりにも辛い方法を私は無意識のうちに選んでしまったのだった。それから、絵に会うことはなかった。東京の女子高校に進学してから、私は「ただの女」になった。クラスメイト達は、「女子高生」という特権に夢中で遊びほうけていたが、私は中学で特権のある時代が終わったと感じていたので、「ただの女」に徹した。「ただの女」として振る舞うには情報がなく、友人もいなかったので、学校から山のように与えられる学習に没頭するふりをした。それは両親も、また自らまでも大変忙しいかのように勘違いしたほどだった。そんなふうに私の「ただの女」としての3年間は無意味に過ぎ去り、都内の中堅大学に進学した。「ただの女」として、何もしてこなかったので、私には何にもなかった。大学生活も、無意味な就職活動に1年半も費やして、終わった。社会人になって、どうでもいい仕事に就いた。そして私が社会人3年目を迎えようとしたとき、絵が自殺した。死ぬ前までの絵はひどかったらしい。髪は伸び、肌は荒れ、食べるものも食べず、また眠剤を噛んで寝呆けていたらしい。まともな絵は描いていなかった。両親が裕福ということもあって、絵は上手に世間から隠されてきたようだった。絵は長らく過ごした自室で首を吊って死んだが、遺書が見付かっていた。その遺書には、私宛のものもあったという。絵の母親が送ってくれたものだ。今、手元にある。獣の書いた手紙だ。私が社会で生活している間、絵は獣であり続けたのだった。やりたかったことって何だろう。絵と話をしてきた中で、色々なものが浮かぶけれど、もうそれらは永遠に彼を救うことはないのだった。もし万が一、それらに正々堂々挑んだとしても、社会の憂さに吐き気がするほどの彼でいてほしい。私は、自分が保てなかった思春期を、そして拭い去れない後悔とその痛みを、彼の死で葬り去ろうとしたのだった。大人になるってこういうことだ。社会で働いて食べていくってこういうことだ。絵は知らなくて良かったよ。本当に良かった。私は明日も、砂を噛むような思いで会社に行く。これが、残された者のすることだと思うと、情けない。でも、絵は私の中で生きてるから。せめて生きていようと思う。
2006年01月31日
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「ラーメン食べてるイメージがないね」その通りです。好きだけど、頻繁に食べないラーメン。何ででしょう。憧れのあの人もあの人も、ラーメンばっかり食べてるのに。恐いからです。ラーメンみたいに短時間でたいらげる存在になりたくないのです。しかも向かい合わせでなく、並びで。会話もなく、無言で麺をすする時間が、ひたすら恐い。美味しさなんかどうでもいい。食事は、お腹がいっぱいになればいいと思ってるもの。食べ終わってどうするか。食べている間、私のような寂しさを発する人間には嫌気がさしていると思う。人は、人の発する寂しさには敏感で、それがどうでもいい人間なら尚更そばにいたくない。捨てられる。「じゃあねバイバイ。またね。」またねがあればいい方でしょうよ。寂しさが拭えない。寂しさはどうやったら消えるのですか。興味をわかせるような人になりたい。脱げばいいのか?
2006年01月29日
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今年の服のテーマは「ビッチ」にする。自分の中でこっそり宣言する金曜日。ヒステリックグラマー等のいかれた服を大量に落札し、一度に送付されてきた土曜日。少ない少ない給料が振込まれたばかりだというのに、お金がない。どうしようどうしよう。家賃振込は済ませた後の給与振込なのに、残金に納得がいかない。今の仕事を辞めたい。辞めたくて辞めたくて仕方がない。一日死にたいと思いながら電話に出ている。日曜日。死んだように一日寝てた。もう死のう。今週神経科に行ったときは、「死ぬ方が大変そうだから」と生きる宣言をしたばかりなのに。本当に死のうと思った。何が人間にとっての転落なんだろうか。ナンパサイトにてアップされた、女の子の画像(意味ない塗りつぶしあり)を見て、人間の尊厳や美しさについて考えることを、以降放棄する方向で検討しようと決意。灰谷健次郎の「兎の目」は、捨てるか。医者に、「人との距離を学ぶため」専門家によるカウンセリングをすすめられるも、一回8,000円~10,000円という高さ。「実家に、治療費としての援助はもらえないのか」神経科って、人をとっても傷つけるところです。誰かもっとちゃんと叱ってくれ。
2006年01月29日
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生理が来ない。彼との子どもか。それとも、医者の言うとおり、食事をきちんとしていないせいか。彼とは、何度も何度も抱き合った。彼の副業の関係で、一週間に一度しか会えなかったけれど、手料理を食べさせてはセックスした。唇に頬に首に、もう一度反対側の首に、乳首を撫でて、おへそに口付けた後は、その下にまで舌が這った。思考のネジが飛ぶほどの羞恥と快感が襲う。私は父に愛された記憶がないせいか、リラックスというものを知らない。村上龍は、少なくとも、そのように言っていたような気がする。私の卒論のテーマでもある。そんなことを考える。女は便利だ。色々なことに思考が及ぶ。そしてその思考が色々なことに及ばなくなったときに、快感を改めて実感する。頭でも、体でも感じてしまうから忘れられなくなる。恥ずかしいけれど溶けていくのがわかる。けれど、どれだけ濡れているのかはわからない。「もう・・入れてもええか?」彼の関西弁が私を呼び起こす。「うん」「いいよ」ああっ・・ええ・・。かりんちゃんのココ、最高やわ。すぐイってまう。ああ、ごめんなごめんな、もうイってまうわ。次はもっとゆっくり楽しもな・・私のは下つきだと言った男がいた。彼はそれを、体でしかわかっていない。正常位のときは、私のを上向きにすればより気持ちよくなれること。 具体的に「下つき」ということは分からなかったが、バックでやると締まりすぎて痛かった。正常位で、互いの肌をすり合わせて愛撫し合うこと。彼の口付けが何よりも熱かったこと。バックでやるのが気持ちいいなんて、嘘だ。それは、性器どうしの摩擦が楽しいだけだ。性器の摩擦よりも、肌のふれ合いの方がどれほど気持ちいいか。体中、いつよりも敏感になっているのがわかる。触れられるどこも素敵だ。ふくらはぎにまで舌を這わせ、膝を閉じて挿入する。お互いともなく、吐息が漏れる。次には、2人の声にならない声。男なのに、声が抑えきれない彼が可愛くて大好きだ。「ああっ・・最高や。」そんなベッドで、独り寝が続いて、1週間だ。彼がもう来る頃。そんなことを考えてしまう自分がはしたなくて嫌いだ。
2006年01月28日
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眠剤飲んでぼんやりしてます。思い出は美しいですね。そして、「もし」の続きを妄想してしまう。帰宅すると、彼がアパートの前に立っている。足元のタバコの吸殻を見て、何時間待っていたのかと想像する。「やり直しーひんか・・」近付いて来た彼に、前ぶれもなく抱き締められて息ができない。懐かしい、彼の体温と匂い。「もっともっと大事にするねん・・」胸を突き放してみるけれど、到底かなわない。寒さの中、暖められて目を閉じる。私も忘れられなかったの。やっぱり好きなの。もう何処にも行かないで。でも、私はそんなに安い女にはなりたくない。抱き締められた程度で動く女だと思われたくない。体を離して、言う。「明日早いから・・」でも現実の話、鉄板焼き屋でご飯食べたことあったよね。あのときは笑いすぎて、涙が止まらなかった。あなたの言葉、あなたのまなざし、キラキラ輝いて心に届いた。一番星を見つけたと思った。都会の真ん中で。これからは、それを目印に、あなたを探せると思った。これからきっと、多分ずっと魔法は解けない。あなたがいる限り。あなたのあのときの瞳の色が忘れられません。
2006年01月27日
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「経済的に余裕があって、広く受け止めてくれるような人がいいよ」「話をよく聞いてくれる人がいいよ」わかってます、わかってます。彼そして結婚したいのはそういう人。しかし何で、こんな貧乏人かつ心の狭い男性ばかり器用に探し出してしまうのか。「仕方ないことなのかも」そう思っていたけど、そうじゃなかった。多分、ありきたりだけど、原因って家族にあるんだと思います。私は母の言うとおりにしてきました。本当に人形。気に入らないと、ひどく罵られたり。色々。体も心も疲れきって、悲鳴をあげ始めても、それは止まりませんでした。母はむしろ、昔母自身が感じていた通りの思いを私に再現させて、満足していた様子でした。結局大学に行きましたが、泣いてばかりいました。やりたいこととか、好きなこととか、わかりません。誰が好きなのか、嫌いなのか、わかりません。特に人に関しては、嫌われたくない一心で、一生懸命動向を読もうとします。その技は、決して巧みではありませんが、社会生活はできています。人に嫌われるのが、いちばん恐いことです。自分の感情は閉じれば、嫌なことも我慢できます。理由も目的も関係なく、好きだと言ってくる人を好きになる気がします。抱かれると、大切にされている気がします。愛されてる気がします。これから先、ひとり見捨てられることはない気がします。置いていかないで。独りにしないで。スキだって、大切だって言って。セックスで繋がっていただけ。でも、純粋に健全に出会って恋愛してる人たちもセックスするのは何故?多分幸せ度が違うんだろうな。私はもう、じゅうぶんなおとなです。幸せになります。
2006年01月26日
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単純に、セックスかと。心が体で、体が心だと実感する度、本当に末代のために小躍りしたり号泣したりしてる気がする。私の中の矛盾も、人間性も関係ない。「抱きたい」「抱かれたい」それだけかい。それだけ?
2006年01月26日
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家族ってありますね。私にはおりません、どこにも。就職をして、お金を貯め、家を出ました。体はクスリ漬けです。
2006年01月26日
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