阪神タイガース  われら猛虎党






2007年7月1日(日) 対横浜 10回戦 横浜

阪神5×1横浜

2連勝で、当面の目標3位浮上が見えてきた!



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初ヒットがホームラン!ニューヒーロー坂の活躍で虎連勝!

三回の第2打席、坂は寺原の内角に入って来る速球を右翼席へプロ1号、いやプロ初安打だ
 (セ・リーグ、横浜1-5阪神、10回戦、阪神6勝4敗、1日、横浜)桜井、庄田で打ち止めとちゃうで。新たな若虎の台頭で、岡田阪神が3位・横浜に連勝。7月の大逆襲を確信させた。三回に先制弾を放った坂克彦内野手(21)は、移籍2年目でのプロ入り1号がプロ初安打という初々しさ。五回にも二塁打して、決勝打をお膳立てした内野の新星は打線の下克上に拍車をかける。


 ハマスタに巻き起こった『坂』コールは、なかなか鳴り止まなかった。21歳のニューヒーローは、帽子を取って何度も何度も丁寧なお辞儀を繰り返した。その初々しさに、歓声の輪はまた広がった。プロ4年目の坂が、交流戦直後の2連勝発進の立役者だ。

 「無我夢中でボールに食らいつきました。途中で打球を見失ったんですけど、お客さんの歓声で分かりました。うれしかったです」
高3の夏、常総学院の坂は東北との決勝戦でダルビッシュから2安打する

 波に乗れないチームに投入された『8番・二塁』の“カンフル剤”が、輝きを放つ。三回一死。それまで完ぺき抑えられていた先発・寺原を痛打した。3球目の150キロ内角直球に体をクルリと回転。「追い込まれたんで、何とか粘ろうと思った。その前にボール球を振ってヤバイと思ったんですけど、切り替えられた」。高く舞い上がった白球は、追い風に乗って右翼席最前列で弾んだ。

 驚くなかれ。この先制弾が、プロ通算10打席目での記念すべき初安打。初安打初本塁打は、1995年10月8日横浜戦(横浜)の吉田浩以来となる。これでやっと、オレも猛虎戦士の一員や-。一軍最年少の21歳は、先輩たちの手荒い祝福に満面の笑みで応えた。

 どん底からはい上がってきた。「二塁レギュラーの可能性もあるな」。昨年の秋季倉敷キャンプで、岡田監督に野球センスを見初められた。春季キャンプも一軍スタートだったが、開幕は二軍で迎えた。出直しを誓った矢先だった。4月8日のウエスタン・広島戦(尾道)で、本塁クロスプレーの際に左鎖骨を骨折。緊急帰阪し、11日に手術を受けた。何やってるんやろ…。病院のベッドに寝そべりながら、己の不運を呪った。

 03年夏の甲子園、茨城・常総学院の主将として全国の頂点に立った。プロ入り後も近鉄、楽天、阪神と3球団を渡り歩き、着実にキャリアを積み重ねてきた。野球エリートが味わった初めての挫折。だが、気付いたこともあった。「こんなにグラウンドから離れたことはなかった。野球ができる大事さ、楽しさがよく分かった。いい経験ができました」。一皮むけ、芯の強さが加わった。

 3位の横浜にこれで5連勝で、区切りの30勝にようやく到達。その差を『4』まで縮めた。

 「これを機に、ボクを覚えてください」。初のヒーローインタビューをそう締めくくった。若い芽の奮闘が、大逆襲の始まりを予感させる。


■アラカルト
★生まれ&サイズ  1985年(昭和60年)9月6日、茨城県生まれ、21歳。1メートル80、76キロ。右投げ左打ち。血液型A
★甲子園球児  茨城・常総学院高で1年からレギュラー。夏の甲子園には3年連続で出場。3年時に全国制覇。04年D4巡目で近鉄入り。同年オフの分配ドラフトで楽天に加入後、06年6月に牧野との交換トレードで阪神移籍。年俸560万円。背番号「35」
★鮮烈デビュー  二軍でも初安打が本塁打。近鉄時代のプロ1年目、04年5月11日のサーパス5回戦(藤井寺)で小川から放っている。
★硬骨感  楽天時代の05年、春季・久米島キャンプ中に田尾監督(当時)の指導に対し、自らの打撃論を主張。「腰をひねらない方が打ちやすい。直されるのは嫌です。いった以上は、結果を出さないといけないですね」と自己流を貫く
★桜井の打棒に一役  右の代打で一軍に定着した桜井は「二軍調整中に借りた坂の練習用バットが合うんですよ」と吐露。思わぬラッキーアイテムの持ち主がようやく、本領を発揮した



上園ショーや!2勝目に初打点、雑草ルーキー今や主役級!

ギリギリまで球離れを遅らせる投球フォーム自体が上園の武器。5回を最小失点で踏ん張った
五回一死二、三塁から上園は右犠飛を打ち上げ、勝ち越し点をもたらす
 (セ・リーグ、横浜1-5阪神、10回戦、阪神6勝4敗、1日、横浜)投げるたびに、評価を上げていく。横浜打線に付け入るスキを与えず、上園が今季2勝目をつかんだ。これでデビュー戦から4戦負けなしで2連勝。先発ローテの座が、ますます盤石になった。

 「きょうはたまたまです。勝たせてもらったマウンドです。フォークが抜けていた? ワンバウンドならいいと思ってたんですけど、もっと意識しないとですね」

 5回を投げて4安打1失点。ルーキーらしからぬ冷静さが窮地でも光った。二回は村田の左前打と連続四球で二死満塁のピンチを背負ったが、寺原を直球であっさりと右邪飛。余裕の表情を浮かべてベンチへと戻った。

 『打』でも勝負強さを発揮してプロ初打点をマーク。同点で迎えた五回一死二、三塁。寺原の150キロの速球にバットが反応。これが右犠飛となり、自らの手で決勝点をたたき出した。岡田監督は「バットに当てたら何とかなる。自分の投げている間だし、大きかったな」と投打に称賛。

 横浜スタジアムには大学時代に足を運んだことがあった。先にプロの道へと進んだ東福岡高の同級生・吉村の姿を見るためだ。「存在が刺激になっていた」。高校時代は主戦投手の座を争ってきた仲。高3夏の最後のマウンドを吉村に譲った苦い記憶もある。あれから5年。意識し続けたライバルと、やっと肩を並べることができた。

 「0-2になって外角の真っすぐというサインが出て、自分の中で100%の気持ちでいった」。1点リードの四回一死、その吉村との勝負で、豪快なソロ本塁打を浴びた。マウンド上で歯を食いしばって悔しさをあらわにしたが、試合後の表情に陰りはない。納得の投球だった。

 「きょうは1、2、3で狙って打たれた。チームは勝ったんで、次は抑えられるようにしたい」

 一戦一戦の経験を、さらなる成長へとつなげていく。若き右腕は、着実にエースへの階段を上っている。


★野口、好リード&千金打

 『7番・捕手』で2試合ぶりにスタメン出場したベテラン・野口が、打って守って、いぶし銀の働きを見せた。

 「上園は『いつもより体が軽い』と話していたように、いつもよりキレがなかったけれど、アイツのいいところは、試合の中で、制球とか、低めに投げるとか、しっかりとできるところだな」

 5回1失点で2勝目を挙げたルーキー上園とは、全4試合、すべてでコンビを組む。ファームから受けてきただけに、絶妙の呼吸で好投を引き出すと、JFKも、きっちりゼロ封に導いた。

 さらに打っては、八回一死一、二塁で、右中間フェンス直撃の適時二塁打など、4打数2安打。「(適時打は)風です」とテレ笑いだが、出場3試合連続安打と仕事キッチリ。復調してきた矢野とともに、チームの浮上へ欠かせない存在だ。









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Last updated  2007年07月02日 08時53分26秒
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