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「善意は善行を生まない」=====数年前、環境サークルに顔を出した時、一年生から「mrtkさん、フェアトレードってご存知ですか?」と聞かれました。いや、ご存知も何も、10年も前の新入生勧誘の時に、フェアトレードコーヒーとかチョコとかを買ってきて、その説明とかも含めてやったんだけど…しかし、それから10年経っても、「フェアトレード」が、それだけ浸透していないと認識されている、ということで、だとすると、それは、知識を持っているだけで、浸透に寄与してこなかった、自分自身の責任でもあるのだな、と実感した次第です。-----国立民族学博物館へ「オセアニア大航海展」を観に行ったら、「国際開発協力へのまなざし:実践とフィールドワーク」のチラシがありました。フェアトレードについて、文化人類学的視点からの話が聞けるとのこと。環境問題について、実践からは離れた立場にいるものの、知識としての最前線は追っておきたい、と思い、参加してきました。=====その日は、やたらとダイヤが乱れていたのと、少々道に迷ったため、遅れての入場。佐藤 寛先生が、国際援助に関する「世代論」を語っていらっしゃるところでした。つまり、戦後の貧しさから復興していく中で、団塊以上の世代は、豊かさは自分達の努力に対する「当然の果実」と考えていて、彼らは、国際援助の問題について、興味関心が低い。自分達が努力してきた、という自負がある分、貧しい国に対しては、「努力が足りない」という意識を持ってしまうわけですね。そして、環境問題についても、エネルギーをいかに浪費しようが、自分達が得たものを、自分達が使うのは当然、という意識を持っている。-----正直、環境問題をやっていて、話が通じないなぁ、と思うのは、ここらへん(自分の親世代と、そこよりちょっと若い世代)だったりするので、この世代論については、なるほど、と腑に落ちました。-----そして、一方で、こういった問題について、最近の若者たちの関心は高い、と。豊かさが当り前にあって、一方で様々な情報に触れる若年屠にとっては、「途上国の貧しさ」は「ショック」であり、その「ショック」が援助活動の源動力になっているのだ、と。-----現に会場を見回してみると、学生はじめ、その少し上くらいの、若い世代が多い。女性は年齢が分からないにせよ、各世代が来ている感じはありますが、男性は、若者でなければ、教授クラスの年の人か、引退したくらいの人がいるくらい。中間世代が、まともに抜けています。なんだかなぁ…。しかし、これは全体的な傾向であって、文句は言いますまい。=====若者たちの熱意があっても、しかし、現場には「ほろ苦さ」がある、と先生は言います。上手くいかないことや、様々な軋轢、裏切り、人間関係…。フェアトレードは、「現場のほろ苦さ」を経ずに、支援を行える手段なのだ、と。-----先生によると、チャリティー援助は、2OO年の歴史があるそうです。植民地とキリスト教教会の関係から始まっているわけですね。しかし、チャリティーについては、「善意は善行を生まない」ということを念頭に置いて欲しい、と。先生は、イエメンをフィールドにされているそうですが、あるイエメンに来た観光客が、「現場」を目の当たりにして、善意で車イスを贈ろうと、帰国後様々に呼びかけて、車椅子を集め、送る段になって、先生に相談されたそうです。しかし、先生はそれを断りました。その観光客の善意も、努力も、分かりすぎるくらい分かる。しかしそれでも、その援助を断った理由は、・日本製の車椅子は、高性能であるが故に、贈りたい貧しい人には届かず、 金持ち層に取り込まれて、格差を助長するにすぎない。・日本製の車椅子は、日本の事情にあったものであり、イエメンで使って快適かどうか分からない。 壊れた場合に部品が手に入るかどうか分からないため、修理か出来ない可能性がある。・善意の車イスも、輸送費、関税などのコストを考えると、現金を贈った方が良いかも知れない。哀しいけれども、「現実」はこういう「ほろ苦さ」を含んでいるのです。-----善意による「高価な援助」は、援助資源をめぐる争いを引き起こし、あるいは、争いがなかったとしても、格差の固定・助長を引き起こす。少なくとも、その可能性がある。ODAの良くない例として、よく槍玉に挙がっていた、「最新鋭の医療機器」も、修理が出来ない、使いこなせる人材育成まで手が回らない、ということが課題でした。現地に、現場に応じた援助の方法がある、それに答えを出せるのは、「経済学」ではなく、「人類学」が出来ることなのではないか、と。=====フェアトレードというのは、交易です。交易は、一方的な関係ではない。交易を通じて、国際市場に打って出るための知識や体力をつけることも出来る。だからこそ対等な手段たりうる。グローバリゼーションは、もしかするとチャンスたりうるかも知れないのです。そのあたりの議論については、この後の討論を通じて詳しく見ていきましょう。=====人間文化研究機構 第7回公開講演会・シンポジウム 国立民族学博物館開館30周年記念「国際開発協力へのまなざし:実践とフィールドワーク」【主催】人間文化研究機構【日時】2007.11/30(金) 18:00-21:00 【場所】IMPホール【講演1】「世界の国際開発協力の潮流と日本の貢献」 佐藤 寛 氏 (アジア経済研究所・研究支援部長)【講演2】「フェアトレード:チョコレートを食べて友達を増やそう」 鈴木 紀 氏 (国立民族学博物館・准教授)【総合討論】「国際開発協力のあり方とフェアトレード」 岸上 伸啓 氏 (国立民族学博物館・教授) 新井 泉 氏 (国際協力銀行・理事) 石原 聡 氏 (世界銀行・社会開発専門官) 大石 芳野 氏 (写真家) 大橋 正明 氏 (恵泉女学園大学・教授) 鈴木 紀 氏 (国立民族学博物館・准教授)
November 30, 2007
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明治という時代は、奇跡の時代だったのだな、と思うことがあります。天才達が、惜しげもなくその才能を開花させた時代であった、という意味において。岡倉天心は、間違いなく明治を彩る天才の一人。自身美術家にして、美術評論家であり、美術史家であり、作家であり、なにより、教育者でした。この展覧会は、教育者としての岡倉天心にスポットを当てた、東京藝大設立120周年記念の展覧会。岡倉天心は、27歳にして、東京美術学校(現・東京藝大)の第2代校長に就任。横山大観、下村観山、菱田春草を輩出させた立役者でもあるのです。=====入口すぐに置かれているのが、平櫛田中「活人箭」。これに関しては、以前、茨城県の五浦にある天心記念館に行った時に拝見しています。てか、岡倉天心に関するお話も、こちらをご参照頂ければ。=====さらっと解説されていましたけど、藝大に講師としてあの森鴎外や、「建築学」を創った伊東忠太を招いた、と。いやいやいやいや。-----森鴎外(1862-1922)は、独逸留学時代に、若い芸術家たちとの親交も深く、帰国後も評論や展覧会審査を通じて、芸術にかかわりを持ち、後には、東京国立博物館館長も務めています。それにしても、藝大でいかなるお話をなされたのだらふ?森鴎外と芸術については、数年前、ズバリ「森鴎外と芸術」という展覧会がありました(行けませんでしたけど)。 @島根県立岩見美術館 → こちら @和歌山県立近代美術館 → こちら @静岡県立美術館 → こちら -----そして、伊東忠太(1867-1954)。日本に「建築学」という言葉をもたらした建築家であり、世界を旅し、日本建築史を著し、築地本願寺を建て…これまた明治を代表する、知の巨人の一人。ちなみに建築学的に言うと、フランク・ロイド・ライトと同年生まれ。日本史的には、夏目漱石・正岡子規・南方熊楠らと同期です。-----こんな人達を講師に招いて、って、今から考えても、すごく贅沢な話。=====そして、「教材」としての古美術収集・修復・模写・模作事業。また、第一級の「先生」達が作ってみせる「教材」のレベルの高さ。今でも皇居近くで見ることの出来る「楠正成像」の原型彫刻とか、とんでもないものも置いてあります。それらの緊張感に満ちた美しさは、とてもではありませんが、「言葉」で伝えられるレベルを超えています。-----残念ながら、岡倉天心は、藝大を追われる形で、校長の職を辞します。しかし、その精神は、紆余曲折を経て、形を変えながらも、今の藝大に息づいていると言えるでしょう。それは、「温故知新」なんて言葉にまとめきれるものではない、美への求道精神。-----溜息が出るほど、素晴らしい展覧会でした。=====『岡倉天心 ― 芸術教育の歩み ― 』 @東京藝術大学大学美術館 (上野)[会期]2007.10/04(木)~11/18(日) [開館]10:00-17:00[休館]月曜日[料金] 一般 500円 / 大学生・高校生 300円 / 中学生以下無料作者: 岡倉天心 (Kakuzo Okakura;1863-1913) wiki 横山大観 (YOKOYAMA Taikan;1868-1958) wiki 下村観山 (SHIMOMURA Kanzan;1873-1930) wiki 菱田春草 (HISHIDA Syunso;1874-1911) wiki 松田権六 (MATSUDA Gonroku;1896-1986) wiki 六角紫水 (ROKKAKU Shisui;1867-1950) wiki 板谷波山 (ITAYA Hazan;1872-1963) wiki 竹内久一 (TAKENOUCHI Kyuichi;-) 藝大HP 高村光雲 (TAKAMURA Kouun;1852-1934) wiki 平櫛田中 (HIRAGUSHI Denchu;1872-1979) wiki等 【参考】 森鴎外(1862-1922) 伊東忠太(1867-1954) 夏目漱石(1867-1916) 正岡子規(1867-1902) 南方熊楠(1867-1941)『ワタリウム美術館の岡倉天心・研究会』
November 11, 2007
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「天才は一日にしてならず」今回の『夏目漱石展』で、強く思ったのは、そのことでした。-----ふんだんな資料から、夏目漱石の足跡を追った、今回の展覧会。朝10時半に着いたにも関わらず、人がいっぱいで、盛況ぶりを物語っていました。=====おそらく、「日本人」に最も愛されている作家であり、誰もが認める大作家。ノーベル賞こそ取っていませんが、国民的人気から言えば、そんな賞すら不要。明治日本の重要な立役者の一人でもあります。-----1867年、夏目漱石、本名・夏目金之助は、江戸に生まれました。時は、まさに江戸時代が終焉を迎え、明治が始まろうとする時代。塩原家への養子縁組など、複雑な事情を経て、21歳の時に夏目姓に戻ります。大学に進学にあたって、漱石は、建築家を夢見ますが、友人米山保三郎の「文学にこそ可能性がある」という言葉を受けて、英文科に進学します。大学予備門では、「寄席通い」の趣味で親しくなった正岡子規との出会いがあり、また、大学での猛勉強がありました。院に進み、教師としての職を得るも、結局大学を辞め、1895年、松山中学校の教師として松山に赴任。-----1896年、熊本第5高等学校に転任。同年結婚。この地で4年を過ごした後、文部省より、英語研究のため、英国留学を命じられ、1900年、イギリスへ。「尤も不愉快の2年間」を過ごすことになります。1903年、第一高等学校並びに東京帝国大学講師として着任。難解な授業は、当初不人気だったものの、次第に盛況になりました。1904年、講師業の傍ら、『吾輩は猫である』執筆「ホトトギス」連載。1905年から1907年にかけて『吾輩は猫である』刊行、ベストセラーに。-----1907年、大学の職を辞し、朝日新聞に入社。40歳。『虞美人草』『三四郎』『それから』『門』等を執筆します。1906年、「木曜会」開始。寺田寅彦、鈴木三重吉、森田草平、後には芥川龍之介らが、漱石を慕い、集いました。1910年、修善寺の大患。1911年、博士号辞退。1916年、死去。享年49歳。意外と、というより、あまりにも若い。しかし、今なお、語り継がれるに足る、十二分の生涯でありました。 (リンク画像は岩波版)=====この展覧会の、何に圧倒されたって、その膨大な読書量です。特に、洋書のコーナーはすごい。倫敦時代の漱石について、勝手に「引きこもり」的なイメージを持っていましたが、とんでもない。恐らくは、当時英国の一線の学者と同等、それ以上の質と量、密度を読破しています。しかも、それぞれの本について、各章ごとに、端的にかつ詳細に、細かな英文でびっしりとまとめられ、これらに対する理解も並大抵ではなかったことが伺えます。-----他の言語について、漱石がどこまで出来たのか分かりませんが、少なくとも、英訳された最先端の文献を通して、独逸や仏蘭西の「理論」「議論」についても精通していたようです。正直、私ごときなんて、日本語に翻訳されていたとしても、この厚さだと、一年に一冊読むのがせいぜい…。=====正岡子規との交流、死別-若き親友の訃報を、遠い異国の地で聞くのは、いかなる心持でありましょうや。帰国後は、帝大の教え子であった藤村操の自殺事件にも影響を受けます。-----そんな中、戯れに書いた『我輩は猫である』が評判を呼び、連載中から単行本にまとめられていきます。面白いなぁ、と思ったのが、この頃から、夏目漱石がブックデザイン、すなはち、本の装丁にも力を入れていたこと。『こころ』などでは、自分自身でデザインもしています。=====そして、『虞美人草』ブームの紹介では、夏目漱石が、いかに当時の風俗を採り入れるに敏な、「現代作家」であったかが示されます。風俗を採り入れるばかりか、ブームまで起こしてしまうわけですし。今風に言えば、メディアミックスとでも言うべきかも知れません。漱石の書いた、絵や書なども展示されていましたが、これについては割愛。-----そして、漱石のすごさとしては、「木曜会」に代表される、後進を育てる-共に育とうという心意気も挙げなければいけません。漱石の弟子、孫弟子達が、日本に与えた影響の大きさを考えると、漱石自身の大きさが、見えてくる気がします。=====これまで知識として知っていた以上に、「文豪」の生涯を多角的に見せてくれた展覧会。見応え十分、でした。=====『文豪・夏目漱石 -そのこころとまなざし-』展 @江戸東京博物館 (両国)[会期]2007.09/26(水)~11/18(日) [開館]09:30-17:30(土曜日は19:30まで) [休館] 月曜日[料金] 一般 1100円 / 大学生 880円 / 高校生以下 550円★★★★☆【公式ガイドブック】文豪・夏目漱石
November 11, 2007
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未来は我らに…(3)=====瀧口氏からは、「環境問題について、手遅れだ、ということはない。今からできることをやろう。」という、力強いお言葉を頂きました。「京都後」の枠組の中で、やれることを考え、実行していく。取り組んでいく。-----私は学生時代、所属していたサークルの創設者の方々から、ずっと「Think Globally, Act locally」なんだと諭されていました。どの立場、どこにいても、自分に出来ることをやる、出来ることから始める。始めなければ、始まらないのです。=====未吉氏からは、「サステイナビリティというのは、将来世代と現代世代をどうつなぐか、という問題」なのだ、というお話を頂きました。-----環境問題は、かって、主に地域の「公害問題」でなければ、「南北問題」として捉えられていました。しかし、それ以上に、世代間の問題である、ということは考えても良い視点です。遠く離れた人々に想像力を馳せ、その人達のために、というのは難しいかもしれない。しかし、自分たちの子や孫の問題なのだ、と思えば、少しは想像を働かせやすいでしょう。今、最も「環境に悪い世代」が親や祖父母になっている時代です。(とは言え、幼児虐待をするような「親」にそんな論理や情が通用するのかは疑問ですが。)-----「未来は若者たちの手の中にある。」だから、この会場にいる若い人たちに希望を託したい、というお話でした。=====住氏は、「ダサいとかが大事なんだ」と仰います。カッコいい、カッコ悪い、という感性に訴えなければいけないんだ、と。空き缶のポイ捨てはカッコ悪い。ゴミを分けて出さないのはダサい。食べ物を残すのはみっともない。そういう感性を持つことが、大切なんだ、と。-----何がカッコ良いことなのか、と言えば、「全ての人が幸せに暮らすこと」であるはずで、今までは、カッコ良さの基準は「金とモノ」であり、それに付随する事だったけれども、これからは「エネルギーと資源を使わずに過ごすこと」がカッコ良いんだ。そう考えると、「勉強をする」というのは、どこかに出かける必要もないし、「エネルギーと資源を使わずに過ごす」究極の方法で、とてもカッコ良いことじゃないか。これからは、「勉強」が楽しいぞ。-----なんてお話は、さすが「学問」に携わる方だけあります。さて、そして、未来について。-----未来についてのアプローチ方法というのは、いくつかある。一つは「予測-フォーキャスト」。未来がどうなるかを考える、という方法。もう一つは「シナリオ・プランニング」。未来に至るシナリオを描き、実現していく方法。そして、最後は「バックキャスト」。「あるべき未来」から逆算して、取るべき行動を考え、未来を選び取る、という方法。私達は、より良い未来を選び取ることができるんだ。=====最後に、未吉氏から頂いた「お願い」で、この文章を終えたいと思います。もし、環境問題に関心があるなら、して欲しいことがある。お金があるなら、そのお金の1%を、環境のために回してはもらえないだろうか。そんな余裕はない、というのなら、使える時間の1%を、環境のために回してはもらえないだろうか。そんな時間もない、というのなら、心のスペースの1%を環境のために割いてください。たった1%。 環境のことを考える時間を、取るようにしてください。=====環境シンポジウム ~いちばん身近な環境サミット~【日時】2007.11/10【場所】東京大学本郷キャンパス【パネリスト】 飯田 哲也 氏 (環境エネルギー政策研究所 所長) 末吉 竹二郎 氏 (国連環境計画 金融イニシアチブ特別顧問) 住 明正 氏 (東京大学 サステイナビリティ学 連携研究機関統括ディレクター) 瀧口 博明 氏 (環境省大臣官房) 石川さん、渡辺さん (東京大学学生)【主催】東京ドリームネット
November 10, 2007
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未来は我らに…(2)=====飯田氏からの「東大は東京で一番電気を使っている法人」という指摘にはびっくりしました。なんか、もっと電気を使ってる大企業とかありそうなものですけど。-----京都大学で「プラズマ」を研究していた友人が、「電気会社に連絡せずに実験したら、京都の宇治地区の電気が吹っ飛ぶ」という話をしていましたが、そんな感じで、すごい電気量を喰う実験とかしてるのかなぁ?まぁ、実は、経済学部でも、めちゃくちゃ電気を使う研…どんなだろう?=====その電力について、デンマーク・スウェーデンでは、電力、熱もバイオマス化が進み、化石燃料に頼らない地域電力が実現しているそうです。そのためのファンドもあったりするのですが、これは、国家政策がきちんとなされているから成り立っている部分もあります。-----脱化石燃料の流れ(当然、脱原発でもあります)、自然エネルギーへの流れは、世界の潮流です。先生から「地域によるお金とエネルギーの自己決定が世界を変える」という発言がありましたが、これからの世界を考えると、確かにそうならざるを得ないでしょう。-----食物の話で、よく使われる「地産池消」ですが、エネルギーも集中化ではなく、分散して作り、使うようにする必要があります。日本では、地方分権の話は遅々として進まず…うーん、この話は、やっぱり政治批判になるから、このへんにしておきますか。=====石川さんから、環境問題を捉えるときに、大きな視点、トー夕ルな視点が重要だと気付かされた、との感想がありました。同じく渡辺さんは、技術、政治だけではなく、経済の視点がある、というのは大きな発見だった、と述べられていました。-----経済の視点、ね。確かに、今でこそ、SRI(社会的責任投資)といった形で、企業倫理と資金調達が直接に結びつき、CSR(企業の社会的責任)の重要なファクターとして、環境問題への取組が挙げられるわけですが…。経済学では、環境の問題を「外部不経済」として、切って捨てるのが「主流」の考え方でした。うーん。今でも「主流」はそうなのかもしれない。その意味では、経済学は環境について「疎い」と言われても仕方ないのかも知れません。-----私が勉強した10年前でもそうで、「環境経済学」という学問はあったものの、外部不経済に対して、マクロ的あるいはミクロ的手法を用いてアプローチする、という、迂遠なんだか隔靴掻痒なんだか、私みたいな学生には、難しすぎて理解不能でした。なので、私が選んだテーマは、「開発と環境」。私が、中国をフィールドに活躍される、中兼和津次先生のゼミに入ったのは、奇しくも、『不平等の経済学』『人間の安全保障』などで知られるアマルティア・セン博士がノーベル経済学賞を受賞されることになる年でした。 「金融万能主義」「拝金主義」な「主流」のアメリカ経済学が行き詰まりを見せた時代でもあり、それは、学問の世界でもターニングポイントが来ていた、ということでもあったのでしょう。アマルティア・セン博士の盟友であり、マイクロ・ファイナンスの提唱者であるムハマド・ユヌス博士がノーベル平和賞を受賞されるのは、もう少し先の話です。-----そう、心ある経済学者が、貧困や環境の問題に冷淡だったわけでは、決してありません。それ以上に、企業の立場からすると、企業が利益追求のみを目的とする、というのは、非常にマルクス主義的な視点であり、本来の、特に日本企業には、「三方良し」の精神があったのです。日本の近代の礎を創られた、渋沢栄一先生しかり、松下幸之助先生しかり。SONYの井深・盛田両御大や、城山三郎先生が描かれた、数々の財界人を見れば、単なる自分のための利益追求だけではない、財界人の心意気に触れることが出来ます。-----「CSR」「SRI」なんて、ヨーロッパの方が進んでいるように見えますけど、言葉が向こうから来ているだけで、その精神は、日本企業にだって脈打っているのです。確かに一連の「偽装」報道を見ると、環境やら消費者保護に疎い、一部の世代には「拝金主義」がまかり通っているみたいですけど、それも時間の問題です。(「偽装」を「誰が社長の時代に始めたか」に着目して、世代論で切れないかと考えています)=====さて、脱線が過ぎました。本題に戻るとしましょう。=====環境シンポジウム ~いちばん身近な環境サミット~【日時】2007.11/10【場所】東京大学本郷キャンパス【パネリスト】 飯田 哲也 氏 (環境エネルギー政策研究所 所長) 末吉 竹二郎 氏 (国連環境計画 金融イニシアチブ特別顧問) 住 明正 氏 (東京大学 サステイナビリティ学 連携研究機関統括ディレクター) 瀧口 博明 氏 (環境省大臣官房) 石川さん、渡辺さん (東京大学学生)【主催】東京ドリームネット
November 10, 2007
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未来は我らに…(1)=====学生のお二人からは、教科書を読んだだけでは分からない、「見えないシステム」つまり、政治の裏で動いていることや、具体的な情報をどう得れば良いのか、という質問もありました。これに対して、瀧口氏からは、「見えない所」を見るために、物事の事象だけでなく、常に全体像を思考することが重要だ、というアドバイスがありました。そして、何より、自分で行動して、壁にぶつかり、問題に直面することが大切で、何が壁で、何が問題かが見えてくれば、全体像が見えてくるのだ、と。飯田氏から、それに加えて、マクロな視点を忘れないことだ、と。=====最後に各氏から一言。住氏からは、エネルギー開発について、バッテリー技術が進歩すれば、太陽発電も、風力発電も、可能性を広げられる、というお話がありました。-----現在、例えば、「砂漠に太陽光パネルを置いて…」というプロジェクトが成立しないのは、設置コスト以上に、送電ロスがあまりに大きくなり過ぎるからです。しかし、このエネルギーを蓄電できるようになれば、輸送も簡単になり、ロスも軽減できます。風力発電も、適切な風量の時に多く発電して、それを必要な時に、使用・輸送すれば良い。-----他のエネルギーについて、原子力は廃棄物の問題、テロの問題があるため、難しいが、埋蔵量から言えば、石炭を、効率よく、カーボンフリーで燃焼させる方法が模索されており、これが実現されれば、エネルギー問題はかなり改善が見込まれる、とのことでした。「目標が設定できれば、技術は開発される」というのは、心強い言葉です。=====住吉氏からは、ゴールドマンサックスによる自然エネルギーへの投資が行われていること、シリコンバレーで、ドット・コムならぬ「ワット・コム・ブーム」が起こっていることについて。現在、べンチャーキャピタルで、29億ドル/年のお金の流れがあり、先々市場規模として、190億ドルを越すだろうとの予測があるそうです。日本では、まだまだこの方面への投資額は小規模ですが、アメリカでは、「ワット・コム・ビジネス」が、裸一慣のドリーム市場になっている、と。-----そして、カーボンフリーの観点から、石炭の見直しに時代はシフトしていくだろう、とも。石炭だと、カーボンフリーになり得るのかな?そこらへん私は理解できてないですが。ただ、石炭で、カーボンフリーが達成でき、汚染物質の発生を抑えられるなら、中国によるCO2排出・大気汚染を大幅に抑えることが出来る、はず。ただし、いずれにせよ、石炭も化石燃料であることには違いはないわけですから、過渡的なエネルギーということになるかとは思いますが。-----また、日本には、太陽光発電導入の余地はまだまだあり、それは、ポテンシャリティが高いと言い換えることも出来るのだ、というのも。=====住氏からは、追加で、最近話題になっているバイオ・エネルギーに関して「稲」に着目したバイオ・エネルギーを研究中である、という話がありました。現在、実用化されているバイオ・エネルギーに関しては、食料資源との競合が言われています。それに対して、米は、現在、余剰傾向にあるため、食料資源との競合は抑えられ、3期作が可能であるため、効率的な収穫が可能であり、さらに、藁なども含めて、全ての部分を使うことが出来る。何より、米に新しい用途を与えることで、「稲作文化」を守ることが出来るのが、大きなメリットだ、ということでした。-----環境問題の難しさは、トータルで考えなければいけないこと、にあります。対策はしなければいけない。しかし、その結果、別な問題を引き起こすようであってはならない。例えば、オゾン層の問題で、代替フロンが議論された時、代替フロンの一部は、強力な温暖化効果ガスであることが指摘されました。あるいは、関西に帰ってからよく目にする「原子力発電はCO2を出しません」のCMにも、放射性廃棄物の危険性とコストを無視した論旨が感じられます。-----住氏は仰います。対策、というものは、セグメントされた対策ではいけない。トー夕ルで考えなければならない。「稲」に着目したバイオ・エネルギーは、単にエネルギーの問題だけでなく、水田景観と環境の保全、農村の振興まで視野に入れた、懐の深い研究だと思います。=====環境シンポジウム ~いちばん身近な環境サミット~【日時】2007.11/10【場所】東京大学本郷キャンパス【パネリスト】 飯田 哲也 氏 (環境エネルギー政策研究所 所長) 末吉 竹二郎 氏 (国連環境計画 金融イニシアチブ特別顧問) 住 明正 氏 (東京大学 サステイナビリティ学 連携研究機関統括ディレクター) 瀧口 博明 氏 (環境省大臣官房) 石川さん、渡辺さん (東京大学学生)【主催】東京ドリームネット
November 10, 2007
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アメリカ・日本・中国の未来=====壇上に参加していた学生お二人の質問に、パネリストの方々から回答がありました。アメリカが環境問題のリーダーを担っていこうとしている理由、日本や中国の今後について、という質問でした。=====住氏からは、アメリカの政策が変わってきた理由として、アメリカで、カーボンフリー(CO2を排出しない)技術について実行可能性が見えてきたことがある、との話がありました。また、日本については、税制を通じた、富の配分システムが硬直化しており、制度設計として、国民の意思が入らないシステムになってしまっている、と。=====未吉氏からは、環境情報が商品情報に付加されるようになれば面白い、という話がありました。テスコ(イギリスのスーパーマーケット)は、環境情報の付加を行うようにしているそうです。今後は、投資判断基準にCO2排出量が入ってくるようになる可能性もある。何故なら、地球のサステイナビリティに貢献しているかどうかが、企業への評価基準になる可能性があり、そうなると、企業自体のサステイナビリティに関わるので、企業活動にインセンティブを与えることになる。というのも面白いお話でした。また、現在の企業に対する情報開示義務は、会計情報が中心ですが、CO2排出情報も義務化する流れがあるそうです。-----いや、企業側の立場で言えば、それを表示するための負担って、ものすごいコストになるという気がしますけど…。うーん。でも、納入を受ける側の大企業が、請けの会社に表示を義務化すれば、受けざるを得んわな。大企業側は、その合計と自分のところでの負荷を付加して、商品に明示するわけで、つまり、原価計算的なCO2計算処理が必要になってくるわけですね。でも、これが各産業で達成されれば、LCA(ライフサイクルアセスメント)把握も容易になる、か。学生時代なら、諸手を挙げて賛成、なんですけどね(苦笑)-----また、環境問題について、アメリカでは、エネルギー確保の問題としてだけではなく、世界経済に対する波乱要因として考えられている、という指摘もありました。このまま、各国で環境の悪化が進めば、「環境難民」がアメリカに流入する可能性もあり、それを恐れている、というお話。2010年には、環境問題への取り組みについて、アメリカが台頭し、中国が環境運動の中心となるだろう、とも。-----中国の現状を、日本の環境問題史に引き付けて言えば、政策の重点が「経済発展」におかれ、「公害問題」が身近にあるフェーズで、「地球環境問題」に軸足が置かれるのは、もう少し先の話。まずは「経済発展の恩恵を受ける政治・富裕層+それに生活を依存せざるを得ない貧困層」と、「公害問題の被害を受ける民衆層+問題の本質を理解する知識層」の乖離が進んでいくことでしょう。一党独裁型の政治形態と、民衆運動が、どういう形でぶつかり合い、決着をつけていくのか、そこまでは想像できませんが、地元の経済主体との衝突を避けるため、「公害」ではなく、「地球環境問題」を旗印にする民衆運動も力を得ていく、という所までは見えます。-----「北京オリンピック」「上海万博」が、環境問題に意識を強く向ける、何らかのきっかけになれば良いのですが…。「経済大国」が「環境先進国」としての範を示すことは、その一助です。-----何度かこのblogでも言及していますが、21世紀の日本は、「環境立国」「文化立国」「観光立国」として生きていかざるを得ない。アメリカが現大統領政権下で、「環境」についてもたついている間に、ヨーロッパとの関係を強化し、アジアの環境面でのリーダーとして発言し、日本としての立場をはっきりさせるべきだったのです。アメリカの現大統領は、世界的にみてもマイナス評価の高い人物だけに、逆に言えば、環境面で、あの大国を出し抜いて、国際的な主導権を握り、国家としての評価を高めるチャンスだったとも言えます。それを…。例えば、アメリカを京都議定書の枠組に引き戻すことが出来ていたなら、「給油で評価されていた」以上の喝采を、世界から浴びていたことでしょう。アメリカが枠組内にいないのを良いことに、国内でのCO2排出を求められた以上に削減し、国際的評価を高める、という手もありました。しかし、達成すべき-6%ははるかに遠く、実質は+8%。-----まぁ、済んだことは仕方ありますまい。世界にとって喜ばしいことに、もうすぐアメリカのあの政権もおさらばですし、(前回の中間選挙で、落ちていてくれれば、なお良かったのですが。)日本の政権も変わり、バランスの取れた幅の広い配慮が出来るようになりました。-----環境問題についても、日本が世界に範を示せるよう、-民間レベルでは既に高く達成されているのです-日本の「経験」を、きちんと他国に伝え、同じ轍を避けられるよう、発信力をつけ、リーダーシップを担える国家へと変わっていきたいものです。=====環境シンポジウム ~いちばん身近な環境サミット~【日時】2007.11/10【場所】東京大学本郷キャンパス【パネリスト】 飯田 哲也 氏 (環境エネルギー政策研究所 所長) 末吉 竹二郎 氏 (国連環境計画 金融イニシアチブ特別顧問) 住 明正 氏 (東京大学 サステイナビリティ学 連携研究機関統括ディレクター) 瀧口 博明 氏 (環境省大臣官房) 石川さん、渡辺さん (東京大学学生)【主催】東京ドリームネット
November 10, 2007
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「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法」について=====せっかくのシンポジウムでしたが、懐徳館でのんびりしたため、遅刻してしまいました。1時から『不都合な真実』上映、引き続いてのシンポジウム。『不都合な真実』については、日本での上映前に、ドイツで観たので(こちら)スルー。 =====シンポジウムのパネリストは、 飯田 哲也氏 (環境エネルギー政策研究所 所長) 末吉 竹二郎氏 (国連環境計画 金融イニシアチブ特別顧問) 住 明正氏 (東京大学 サステイナビリティ学 連携研究機関統括ディレクター) 瀧口 博明氏 (環境省大臣官房)それに学生の石川さん、渡辺さんを含めた、大変豪華な顔ぶれ。-----黒川紀章氏も、元々のパネリストに名を連ねており、最初に氏の追悼企画があったそうです。それには間に合いませんでしたけど…改めてご冥福をお祈りいたします。それにしても、黒川氏の環境論、聞いてみたかったなぁ、と思います。理解できるかどうかは別として、独自の視点からの論が、お伺いできたに違いありません。=====さて、私が入室した時、話は、ちょうど、「アメリカは環境について後進国に見えるが、民間や州のレベルでは、意識が高く、対策も進んでいて、日本の方が遅れを取っている」というような内容の結論部分でした。-----その例として、飯田氏から「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法」の話がありました。ドイツでは、再生可能エネルギーの導入・利用が進んでおり、その背景には、それを推進する法整備があることは、このblogでも紹介したことがあります。そして、同趣旨の法律が、ヨーロッパ各国で制定され、環境対策が遅れているとされる中国ですら、導入を検討していることも。-----当然、日本でも同じような法整備が検討されたことがあります。しかし、この法律の制定に際し、当時の自民党政調会長であった桜井新氏の反対に加え、(村山内閣で環境庁長官(!)として入閣するも、問題発言で辞任した政治家です⇒こちら)国会議員(立法府)による立法をさせない(!)姿勢であった、当時の経産省の力が働き、規制を嫌う電力会社の意向、さらに、選挙の結果が不幸な形で作用して、電力会社の要求を全て受け入れる形での骨抜き法、将来的な「新エネルギー利用」による、電力会社の負担を許さない、羊頭狗肉の「新エネ利用特別阻止法」が成立したのだ、というお話。-----さて…この経緯の話の詳細についてはさておき、実際問題として、「新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法」が「新エネルギー利用推進」になっていないのは、事実と言って良いでしょう。それは、ドイツを筆頭に、他の欧州諸国と比べれば明らか。wikiの、この項目が参考になるかと思います。「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」=====日本が、国家として遅れを取っている原因が、政治家の怠慢にあるのだとしたら、そんな政治家を選んでしまう我々国民にも責任の一端がある、ということです。政治の世代交代が望まれるのは、過去の成功に執着し、未来に向けての政策を考えられない-ビジネスの世界では、この法則は広く知られていて、排他されるのが当然の事象です-こういう政治家がいるからです。そういう意味では、過去の「しがらみ」-地盤・看板・鞄-を引き摺って政治家になる、2世議員、3世議員も、場合によっては排除されるべきだと私は思っています。-----…こういう政治批判になってしまうから、このblogでは環境の話を避けているんですけどね。それでも、産業界も、民間も、環境系官僚も、必死になって日本の未来を考えている中で、足を引っ張る政治家がいることには、呆れや怒りを通り越して哀しみすら感じてしまいます。日本の未来のために。環境に関する政治センスのない政治家の方々には、早々に退場して頂きたいものです。=====環境シンポジウム ~いちばん身近な環境サミット~【日時】2007.11/10【場所】東京大学本郷キャンパス【パネリスト】 飯田 哲也 氏 (環境エネルギー政策研究所 所長) 末吉 竹二郎 氏 (国連環境計画 金融イニシアチブ特別顧問) 住 明正 氏 (東京大学 サステイナビリティ学 連携研究機関統括ディレクター) 瀧口 博明 氏 (環境省大臣官房) 石川さん、渡辺さん (東京大学学生)【主催】東京ドリームネット
November 10, 2007
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劇団時代の友人たちとの待ち合わせは8時。うーむ。しかし、5時って中途半端な時間で、だいぶ暗くなってますし、総合研究博物館も、上野の美術館なども閉まってしまってますし、環境系の後輩も、合宿でこの近辺にはいないし、昼過ぎに本屋さんは行ったし、これ以上荷物増やしたくないし、思い余って、盟友T尾君に電話。-----T尾先生は、学生時代から、この近所にお住まいで、社会人生活の後、先日まで、改めて「学生」されてましたから。「というわけで、君に電話してみたわけやけど、どこかオススメはある?」「じゃぁ、根律神社なんてどうやろ?」「…うーん。多分、行ったことないわ。どこ?」「農学部の裏あたりになるんやけど…。」「ちょっと電話でナビをお願いして良いかな?」「ええよ。で、そこに鳥居を寄進してるから、見といて。」へ?「何回か、合格祈願で、お参りしてたから、合格のお礼に寄進したんや。」「寄進、て。」「父親と一緒に行ったんやけど、結構、本格的に御祓いとかやってもらって、良かったで。」T尾先生…。「えっと、分かった。見つけて、写真撮るわ。」「正門入って左手の、稲荷神社の所な。」=====私は、学生時代、本郷三丁目を利用していましたから、意外と、根津の商店街ってあまり馴染みがないのです。それにしても、味のある商店街。なんだ。学生時代、ここでおうち探せば良かったな…。うーん。いや、あの雑司が谷の家も良かったですけど。-----さてさて、根律神社にやって参りました。 えっと、日が暮れきっておるのですが…。正門入って左手の、稲荷神社、ここですね。真っ暗な中に、ズラリと浮かび上がる真っ赤な鳥居。…怖ぇぇぇ。正門とかには、スポットの照明があるのですが、ここにはそれもなし。いや、いかん、いかんですよ。これは、違う写真が撮れてしまいます。T尾先生には、後で謝ることにして退散。それにしても、この神社、何故「卍」の紋が使われておるのかしら?また今度、明るい時間に、じっくり見に来てみるとしましょう。=====何しようかなぁ、とりあえず上野に出ようか、と思案していると、参道に銭湯が。「山の湯」さんです。雨で身体も少々冷えてますし、ちょいと一風呂ってのも粋だねと、立ち寄ることに。クラシックスタイルな銭湯で、どんと構えた富士の絵に、三分割になった湯船。今日の香湯はジャスミンで、温度は42度前後。湯船でのんびり時間を過ごし、風呂上りで火照った身体を、床机に座って、団扇で冷ませば、いやはや、極楽、極楽。実家にいるってぇと、家の風呂に入っちまうから、こういう贅沢が出来ねぇのが、残念至極だぁな。-----東京にいた時分は、どうにもユニットバスってのが馴染めなくて、気が向けば銭湯に行っていたものです。近所にありましたしね。それでも、現在、東京の銭湯の数は減少傾向で、寂しい限り。最新版の銭湯マップを買って帰りました。(Web版は2002年度版をもとにしています。)これが、「貴重な資料」になってしまうのだとしたら、残念なことです。=====劇団時代の友人達も、それぞれの道を、それぞれなりに歩んでいます。でも、詳しくは知らない。良いんです。みんながそれぞれ幸せなら。というわけで、今回は、後輩カップルに子供が出来たことがネタ、のつもりだったのですが、別な後輩同士のカップルの2人から、結婚予定の発表があってびっくり。さらには、先輩カップルのところも出産予定らしい、とのお話もあったり。想定外におめでた話が続いて、いやはや、素晴らしい夜になりました。皆さん、お幸せに♪-----健全な時間に解散後、目黒に河岸を変えて、朝まで男4人で語りあっていたりしたわけですが…。それはまた、別の話。
November 10, 2007
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東京大学総合研究博物館では、『異星の踏査』展が行われていましたが、時間の関係で今回はスルー。博物館に至る小路に、昔は存在しなかった門が。小宮山総長になってから、本郷キャンパスの門が、5つ程増やされたそうです。文字通り、開かれた大学へ。というよりも、学生の利便性向上ですね。総長、やる事が粋です。=====さて、博物館へ向かう小路を、途中左に曲がった先に「懐徳館」があります。加賀前田藩以来の建物で、現在は大学の迎賓館。今日は特別一般公開されていて、茶道部がお茶を点てて下さいます。 …えっと、こんな建物が経済学部の裏手に?現役の頃は、存在すら知りませんでしたよ、私は。礼儀正しい茶道部員達の、爽やかな挨拶に出迎えられ、懐徳館の中へ。額の揮毫は、戦後の復興を支えた南原総長。-----うーん、前に並んでいる人、見たことある気が…。後ろ姿しか見えないから自信ないですけど、記帳された名前に目を落とすと、やっぱり!Sさんじゃないですか!しかし、声を掛けそびれ、見失ってしまいました。残念。=====「お茶会」だったら、扇子も懐紙もないし、困ったなぁ、なんて思っていたのですが、点て出しの喫茶で、構えないものでした。----- この洋室は、控え室的な扱いなのかな?テーブル席について、向かいのやたら日本語の上手い外国人と、準教授か、他大で教えている感じのナイスミドルの会話に耳を傾けていると、Sさんが母上と一緒に入って来ました。先に他の部屋を見て回られてたご様子。「あの、失礼ですが、Sさん、ですよね?」「え、森田君?」名前を覚えて頂けていたようで、なんか嬉しい。お名刺を頂いて、四方山話をして、この後、Sさんの同級生だった劇団のメンバーに会うんですよ、なんて話をして、館内を見て回るために、先に辞しました。=====メインは、庭に面した廊下と和室です。 手入れの行き届いた庭。この庭だけなら、しばらく特別公開をしているようですので、本郷にお立ち寄りの際には、覗いてみるのも、ご一興かと。 そして、掛軸も立派。寒山・拾得とかかしら? 壷も高そうです、という表現しか出来ませんが、上品で厭味のない、美麗な形をしています。来訪者みんなそれぞれ寛いでいて、とても良い雰囲気。=====いつか、ここに呼ばれる…ようになるには、どうすりゃ良いんだ?目分の道を真っ直ぐ歩いた先に、そんな日が来れば楽しいですね。
November 10, 2007
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現在、東京大学の総長をされている、小宮山宏先生の授業を、学生時代に聞いたことがあります。所属する環境サークルが主催する、学際授業の一環で、文系学生だった私も、そのお話をお伺いしたのです。内容について語ると、それだけで長くなってしまうので、割愛しますが、「科学に出来ること」の可能性を示し、学生を鼓舞激励する授業は、とてもアツく、心を打たれました。『エコブームを問う!東大生と学ぶ環境学』(私が聞いた年次と、内容は違いますが、総長の環境問題に対するアツいメッセージに触れることができます。)-----総長就任後のご活躍は、アイデアに満ち満ちていて、精力的で、ロジカルで、折に触れ、新聞などで拝見しては、尊敬の念を新たにしていたのですが、今回、肉声をお伺いする機会に恵まれたのは僥倖でした。=====東京大学は、明治10年に設立され、爾来、130年の歴史の中で、卒業生は25万人を数えます。-----この中には、夏目漱石、正岡子規、内田百聞(門に月)、芥川龍之介、大宰治、川端康成、三島由紀夫なんて「文豪」を始め、森鴎外や岡倉天心、嘉納治五郎、伊東忠太といった異才・鬼才、山田風太郎、澁澤龍彦、星新一、ムツゴロウなんて「人気作家」、立花隆、茂木健一郎、橋本治、小森健太朗といった「現役作家」寺田寅彦、鈴木梅太郎、中谷宇吉郎をはじめとする理系の天才たち、加藤高明を筆頭として、中曽根康弘や宮澤喜一などの首相、加藤登紀子や小沢健二などのミュージシャンも含まれています(敬称略)-----創立130周年記念式典の式辞として頂戴した、総長のスピーチは、「今の時代」を見つめ、「次の時代」を見据える、力強く、素晴らしい内容でした。=====総長は、今の時代を、創設期、戦後復興期に続く、第三の創業期だ、と指摘します。この第三の創業期を迎えて、大学の「あるべき姿」を常に問い直す姿勢が必要であり、歴史と伝統の上に、「続ける自覚」と「変える勇気」を持たなければならないのだ、と。目指す先に、模倣すべき手本はない。自ら切り拓いて行かねばならないのだ、と。その目指すところとは、「知の頂点」であり、「社会への貢献」の達成。-----130周年記念事業として、幅広い分野での学問の交流、多様な国際会議の開催、学生国際交流サミット、海外留学生受け入れ支援策実施、奨学金制度の充実、学問を、そして人生を、くつろいで語りあえる場の提供としての「知のプロムナード」整備、等々具体的で、実際的なアイデアが、今、次々と実行に移されています。『学問の扉』例えば、『学問の扉』出版も、この一環。各分野のトップランナー達が、最先端の知を、惜しげもなく、分かりやすく披露しています。『知の技法』のその先へ。東大は今、動き出しています。『新・知の技法』:東京大学130周年記念事業公式HP→こちら=====総長が見据えているのは、「世界」。日本の「知」のレベルは、決して低くありません。それどころか、トップランナー達は、世界の最先端の先を走っています。それにも関わらず、日本のポテンシャリティに比して、国際的な評価は低い、総長はそう見てられるのでしょう。総長の発破は、単に、「東大」に対して仕掛けられているものではありません。日本全体の「知」のレベルを引き上げ、強化し、プレゼンしていく、その矢面に立つ覚悟と、そのために、惜しげもなく、衆知を結集し、アイデアと労力を捧げる決意を表した、総長としての宣言であり、「学閥」や「専門」の壁を越えて、「知」で世界中に貢献していく、研究者としての真摯さの表明なのです。-----壮大で 力強く 美しい 「夢」と「目標」を描き、示すことが出来る、この総長のもと、教授陣が、学生が、スタッフが、「知」の世界を、我々の日常を、どう塗り変え、どう彩るのか、その「知」が、世界に、どんな未来を紡ぐのか。遠くからではありますが、楽しみに見守っていきたいと思います。
November 10, 2007
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日本で最初の「大学」である東京大学は、今年で創立130周年を迎えます。その記念式典で、記念講演として、東大出身のノーベル賞授賞者である、江崎玲於奈先生・大江健三郎先生・小柴昌俊先生がお話をされる、ということで、行って参りました。-----鼎談形式ではなく、司会の方がお題を振って、それぞれの先生が答える形式。「私と東大」 「東大とのかかわりで良かった点」「人生の困難にどう立ち向かったか」 「これからの東大へ」なんてお題。…うーん。まぁ、東大130周年記念講演ですからねぇ。-----しかし、さすがは、世界トップレベルの知性が並んだだけあって、「東大」なんて、ちっぽけな枠には捉われない、自由なお話をお伺いすることが出来ました。 でもって、このお三方、講演慣れされているのでしょう、三者三様に、お話が分かりやすくて、面白い。その雰囲気の一端でも伝えられれば良いのですけど。=====「私と東大」 で語られたのは、学生時代のエピソード、研究者としての歩みなど。----------江崎先生の若かりし頃のエピソードも、とても面白かったのですが…この話の結論として、江崎先生が強調されたのは、「サイエンスの心」ということでした。「こころ」という日本語には、英語のmindやheartなど、様々な語義が入っているが、「論理的思考力」「疑問を発して思考する」という「理性的なマインド」が、「サイエンスの心」。宗教に「疑わずに信じよ」という部分があるのに対して、科学は「疑問を発して思考せよ」なのだ、と。-----そして、「温故知新」だけでは、新しい発想が出て来ない。科学は「未来を訪ねて、指針を得よ」というものなのだと、先生は続けます。グラハム・ベルの肖像には、「森の中へ入れ」と書かれているそうです。既にある「道」ではなく、誰も知らない真理の「森」の中へ、踏み入っていくこと。それが、未来を訪ねることなのだ、と。----------意外と(?)面白かったのが、大江先生。私は、学生時代に授業で、立花隆先生と大江先生の対談をお伺いした(だけでなく、そのテープ起こしやら注釈なんかを手伝った)ことがあるのですが、その時は、失礼ながら、こんなに面白くなかったような…。-----大江先生は、実は、この講演会の前日、『沖縄ノート』絡みの事件で、「被告」として、出廷されていたのです。冒頭から、「本日は緊張すると言っても、昨日、裁判所で話をした時よりも気は楽です。」なんて笑いを誘って、「被告控室で、時間が余っておりましたから、本日の原稿を書いていたのですが、街宣車が五月蝿く、私の名前を呼んでおりまして…」という掴み。-----大江先生が12才の時、憲法・教育基本法が制定され、その中で書かれた「普遍的で個性的な文化」という言葉が、人間が人間らしく生きていく、その事を教えてくれた、と言います。だからこそ、「昨日、害宣車に「ここに教育基本法がなくなって泣いている大江がいます!」と言われましたが、泣いてはおりません。泣くことはありませんが、怒っております。」という言葉が出てくるのです。穏やかで、静かな話しぶりに滲む、平静な怒りは、だからこそ、ストレートに胸に沁みました。----------小柴先生の、飄々とした語り口には、お人柄が顕れていて、とても温かい。ご自身の学生時代の成績は悪かった、という話をまくらに、ノーベル賞受賞される前年、理系の卒業生へ、「人生の勝負は、卒業成績じゃないんだよ。」という訓示を贈られた、という話をされました。「学校の成績だけで、人間の能力が測れると思ったら間違いなんだ。それは、受け身、受動的な認識能力であって、社会に出れば、もっと、能動的な能力も必要とされる。人間の能力は、この二つのかけ算で、どっちもなくてはいけないんだよ。」-----小柴先生がすごいのは、このことを、お題目で唱えるのではなく、学生の能力を引き出してあげるための、具体的な形にされていること。-----一つは、夏休みに大学の機材を貸してあげるから、自分で設定した研究をやってよいよ、という制度。ただし、これは、点とか単位には関係ない、というのがミソ。それでも、多くの学生が、目を輝かせて、夏休みを返上して、自分の設定したテーマで研究を行っているそうです。-----そして、大学院では「点数」ではなく「やる気」を見るため、面接重視の入学制度に変更したこと。それで採った人物(つまり、「点数」は悪かったけど、「やる気」で合格した人物)が、今は特別栄誉教授になっている、というのが嬉しいことだ、と。-----指導教官としての仕事は、それぞれの学生に「自分がやりたい」と感じるテーマを見つけてやる事だ、と先生は言います。「君は、つまり、こういう分野に興味を持っているのじゃないかね?」「こういう研究をしてみたら、その疑問に答えが出せるんじゃないかな?」-----小柴先生は、縁あって理学部物理学科に採用され、生徒を教えた経験が、非常に生きている、と仰っていました。残念ながら、先生の専門分野における業績について理解できる能力を、私は有していませんが、それでも、教育者としての先生が素晴らしい、ということが、伝わってきました。=====「東大とのかかわりで良かった点」では、どの先生も、偉大で尊敬できる先生方からの、そして、友人達からの刺激を挙げられていました。-----面白かったのは、江崎先生が戦中、禁止されていた『風と共に去りぬ』を観たお話。当時、敵国映画として禁止されていたのですが、エ学部の友人の父がマニラで押収したものを、友人達で集まって、大学内で上映会をしたのですが、前半の途中で、空襲警報のせいで中断し、結局、全部を観ることが出来たのは戦後だったそうです。また、湯川先生や友永先生の講義も受けられたそうで、いや、それは何だかすごい。-----大江先生が、「立派な先生方に囲まれ、聞く力を身に付けられた」という言葉で、「聞く力」に言及されていたのは印象的でした。「聞く力」は、言い換えれば「謙虚さ」であり、自らを見つめる力でもあります。少なくとも私の友人には、「謙虚さ」を身につけた人が多い。自分の意見を通す強さと同時に、他人の異見を受け入れられる柔軟性を持っています。翻って、お前自身は、と問われると、「そうありたい」と願ってはいますが…さてはて。=====「人生の困難」について、江崎先生は、初めての海外経験の時のお話を、小柴先生は、カミオカンデの予算獲得と、アメリカとの競争での逆転劇のお話をそれぞれ語って下さいました。-----大江先生は「パス」。司会者が何とかしようと話を振るのに、小柴先生が、「何?あんたパスなの?じゃぁ、ボクはね…」と話を持っていたのが、機転が利いていて、面白くて、会場に和やかな空気が流れました。=====「これからの東大に期待するもの」として、江崎先生が、国際化の中で、世界に通用する論理的思考力を身に付けること、一方で、研究成果に対して、公正で、納得のいく評価をしていくこと、を挙げられました。-----小柴先生も、世界に対して大学を開くことが重要だ、として、独立行政法人化を受けて、これまで法律上許されてなかった日本国籍以外の教授を迎えること、そして、英語での授業を増やして、海外からの留学生も受けよいようにすること、を具体的な施策として提言されていました。-----大江先生は、あまりにも細分化・専門化が進んだ「知」の現状を踏まえて、分野に分かれている学生が、知と知のつながりを深めていってほしい、とのお話をされました。----------理系のお二人が「国際言語としての英語」に言及されたことに対して、司会の方から、大江先生に対して、日本語の専門家としてどう思うか、という質問があり、「私は、世界の全ての言語が普遍的であると思っています。小説家は、それぞれの言語で、その言語を普遍的なものに磨いていくのです。」と回答されていました。国際語としての英語と、国語としての日本語。どちらも大切で、必要なものです。=====本当に、あっという間の1時間半。安田講堂会場がいっぱいで、法学部25番教室からのモニター越だったのが残念ですが、それでも、先生方のお話に惹き込まれました。-----これからも、日本の未来を担う知性が、お互いを刺激し合い、世界に様々な形で貢献する人材となって巣立っていくことを、期待しつつ、いや、信じて、この稿を閉じるとしましょう。
November 10, 2007
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平成に入って20年近く、昭和は遠くなりました。特に、今年は「昭和史」を支えた人々の訃報が多く聞かれ、時代が変わりつつあることを実感させられたものです。-----とは言え、私自身、昭和生まれではあっても、昭和30年代には影も形もなかったわけで。それでも「懐かしさ」を感じさせてくれるALWAYS。いよいよ続編の登場です。=====前作から4ヶ月が過ぎ、昭和34年。美智子様の結婚があり、東京オリンピックの誘致が決まり、南極越冬隊の「タロとジロ生存」のエピソードが伝えられたり、天覧試合での長嶋のホームラン、伊勢湾台風などがあった年。-----いきなり、超大物ゲストが登場するオープニングから、物語は、三丁目の日常へ。-----季節は春。茶川(吉岡秀隆)の所に、再び川渕(小日向文世)が淳之介(須賀健太)を連れ戻しにやってきます。何とかお引取り願うも、窮地に立つ茶川。お馴染みの鈴木オートにも、新しい仲間が。成城のお嬢様だった美加(小池彩夢)が預けられることに。六ちゃん(堀北真希)も、コックを目指して上京していた同郷の武雄(浅利陽介)と再会します。そして、前作で哀しく去ったヒロミ(小雪)は、借金を返し、茶川と生活する日を夢見て、ゴールデン座で働いているのでした。-----新しいメンバーも加わって、三丁目の日々は夏を迎えます。鈴木則文(堤真一)は、中隊の同窓会へ、迷いながらも出席します。そこで目にした戦友牛島(福士誠治)の姿。戦争に生き残り、自分が幸せであることに悩む則文に、牛島は言います。「いいんですよ。生き残った人間は、思いっきり幸せになればいいんです。仲間の分まで。」東京には珍しくなった蛍が宙を舞う夜の出来事でした。-----同じ頃、茶川も東大の同窓会に出席します。そこで耳にしてしまう、かっての友人達からの嘲弄の言葉。それに、淳之介の養育、ヒロミが結婚を迫られていること、諸々の事情が、彼を追い詰め、終に彼は決心するのです。「新作を書くんだ。もう一度、芥川賞を狙う。今度こそ、獲る!」いよいよ立ち上がった茶川。店を休業にして、本気で執筆に打ち込み始めます。-----捨てられていた子犬の名前が「タロ」と呼ばれるようになるのはご愛嬌。六ちゃん達が石原裕次郎の映画を観に行くお話があり、シベリア抑留の話が、さりげないエピソードとして挿入され、茶川の作品をめぐるドタバタが描かれます。果たして、茶川の作品は奇跡を起こすのか?ラストに描かれる東京タワーからの、そして日本橋からの夕日は、変わらない、大切なものを照らして、美しく微笑みかけるのです。=====うーん。前作を観ていないと、人間関係の把握が難しいかも。前作は、六ちゃんの成長物語が、物語の中心にありましたが、今回の中心は、何と言っても茶川。そして、幾重にも描かれる、淡い恋心です。「恋愛モノは苦手」なので、私は前作の方が素直に感動できましたが、それでも、「懐かしさ」の横溢する素敵な作品に仕上がっていました。前作よりも、長回しのシーンが増えて、画面いっぱい作り込まれた「昭和」をじっくり楽しむことが出来るのは、とても贅沢。-----前作の「東京タワー」に続いて、今回活躍するのは「日本橋」。昭和34年には、まだ上にあの無粋な高速道路は走ってなかったんですねぇ。空が抜け、路面電車も走る日本橋は、今の姿からは想像できない情緒に溢れています。「経済成長のため」「都市インフラ整備のため」日本橋の風景を失った過程は、日本から大切なものが失われていった過程に重ねあわされると思うのです。=====役者陣も素晴らしい。特に、堤さん、『姑獲鳥の夏』に続き『魍魎の匣』も「古本屋役」で出られるんでしょう?同じ時代を背景にしていても、全くテイストの違う作品、役柄。上川隆也さんが、ゲストとして、なかなかおいしい役でご登場されるのも楽しい。薬師丸ひろこさんの「お母さん」、堀北真希さんの「お姉さん」、さらに、子役の小池彩夢さんの「お嬢さん」まで、鈴木オートの女性陣は、みんなとってもキュートで愛らしい。-----もちろん前作から引き続いてのメンバーも健在で、小日向さんにせよ、マギーさんにせよ、ピエール瀧さんにせよ、もたいまさこさんにせよ、前回以上の大活躍。なんて言うか、「演じてて楽しい」雰囲気が、画面からひしひしと伝わってくるのです。=====舞台はもちろん、衣裳や、音、小道具へのこだわりについても、語ればいくらでも、ですけど、とにかく、しかし、「苦労」以上に「楽しさ」が伝わってくるこだわりぶりでした。さらなる続編、第三作目があることを、を期待しても良いのかしら?=====『ALWAYS 続・三丁目の夕日』2007年 日本 146分http://www.always3.jp/監督:山崎 貴出演:公式HP参照★★★★☆原作:『三丁目の夕日映画化特別編』 西岸良平
November 4, 2007
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祖父が趣味でやっていた日曜菜園は、何年も前に祖父が手入れに行かなくなって以来、雑草だらけになってしまっているのですが、立派な「モチノキ」と「柿の木」が残っています。そう、今は柿の季節。朝6時から、父母と柿狩りに行ってきました。-----美しい朝焼けに照り映える、たくさんの柿。 雑草を踏み分け、高枝切バサミと園芸用ハサミを駆使して、50個近く?もっとかな?いくつかは鳥に食べられてしまっていましたが、いやぁ、収穫、収穫。近くで、野生のアケビも探したのですが、今回は見つかりませんでした。残念。-----帰って、ご近所さんにお裾分け。もちろん、うちでも頂いているのですが、この甘くて美味しいこと!本当、贅沢だなぁと思います。=====題名にした「木守り」は、大辞林から引用すると、「翌年の実りを願って、木に一つ二つ取り残しておく、カキ・ミカンなどの果実」のこと。私は母から「鳥のため」でもある、と教えられた覚えがあります。1,2個残しても、という気もしますが、おまじないみたいなものですね。全部採らない、という所が、奥ゆかしくて風情がある気がします。秋の実りに、自然の恵みに、感謝。
November 4, 2007
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