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今年は痛い想いをたくさんしました。心から慕っていた上司が突然目の前から消えた。失恋もした。仕事もノイローゼになりかけた。でも、なんとかここまで耐えてこれた。できないと思ってた。乗り越えられないと思ってた。あの時立ちはだかった山をどこまで登ってこれたのかは分からない。けど、痛みの真っ只中にいた時よりは、高いとこまで登ってこれた。見晴らしがよくなった。あたし、今年は成長したよ。失くしたものはたくさんある。見落としてるものもたくさんある。だけど、あの時ああやって事態が動かなければ見えなかった。今のあたしはなくて、まだぬるま湯に浸かったままだった。だから良かった、とは思わない。今でも失くしたくなかった、と思うし、あの時あんなことが無ければ、あたしはまだきれいな気持ちを失わずに済んだのに、とか思う。でも今が結果だ。今が現実。現実を突きつけられて、受け入れざるを得なくなって、そこから今あるものの全てが始まったんだ。苦しかった。逃げたかった。でも、ここまでこれてよかった。ここまでくる途中で落としてきたものたくさんあるから、今度はそれを拾い集めよう。そして、ここから先は自分らしく生きよう。「自分らしく生きる」の意味が分かりかけたのは、大きな収穫だったかな。
2006年11月24日
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今日は宇宙のエネルギーが「思い、感情」を100万倍にしてくれる日らしい。 最近澱みっぱなしのあたしには、それが嘘か真実かなんて大した問題じゃない。 信じたことが真実。 ただそれだけだ。 今日の残りの時間をどう過ごそうか。 どんなことを想おうか。 今より幸せを感じられる何か。 今より優しくなれる何か。 今より穏やかになれる何か。 そういう何かが降ってくるかもしれない。 祈ろう。 きれいなものを思って。 見えない力を信じて。 瞑想しよう。 あたしの中の何かが目を覚ますかもしれない。 自分の声が聞こえるかもしれない。
2006年10月17日
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いつまで頑張れば報われるのか。 どこまでやれば終わりなのか。 あたしの仕事に終わりなんてない。 分かってる。理屈では。 だけどもう辛くて。 自分が自分でなくなっていくような。 あたしは誰を演じて人と話してるんだろう。 あたしは音楽をしたいだけなのに。 音楽で人とつながっていたいだけなのに。 一番大事なことを一番後回し。 仕事なんてそんなもん、て切り捨てられて、 そうか、ってあっさり捨てる自分がいて、 だけどあたしには音楽がなきゃだめなんだよ。 自分が幸せでないのに人に笑顔なんて向けられない。 あたしが誰かに助けてもらいたいのに人を助けるなんてできない。 あたしはからだも心も自分で思うほど強くなかった。 もう頑張らなきゃいけない毎日からフェードアウトしたい。 夢を見れない毎日。 理想を描く時間すらない。 夜になると朝が来るのが怖くて、朝になると夜になることを願う。 生徒が嫌いなわけじゃないけれど、あたしだって家族とゆっくりしたり、同世代の友人と遊んだり、恋したりしたい。 あたしの抑えられた欲求は、正しくない言葉で他人に向かう。 もう自分がどんな人間だったかも忘れてしまって、あたしの存在意義なんて今のところ労働マシンで、それは別にあたしじゃなきゃダメなわけじゃない。 あたしがいなくなれば変わりなんていくらでもいる。 辞めればすぐに忘れられる。 仕事がつまらなくなったのはいつからだっけ。 仕事が辛くなったのはいつからだっけ。 毎日が辛くなったのはいつからだっけ。 自分を忘れ始めたのはいつからだっけ。 手放してしまいたい。 だけど今持ってるものがなくなるのも怖い。 矛盾。 葛藤。 あたしはもうきっと変われないから、考え方を変えるとかアタマを柔らかくするとかできないから、現状を打破する方法を見つけられない。 嬉しいとか楽しいとかあったかいとか気持ちいいとか、そういうのと反対のことばかりを感じる毎日。 またいつか、あ~幸せ、って言える日がくるだろうか。 仕事の中に、この毎日の中にそれを見つけることはできるだろうか。 多分あたしの本当の夢はそれだ。 今の苦しみが楽しさに変わること。 今は祈ることしかできないけど。
2006年10月16日
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というほど昔でもないのだけれど、うつになった時の自分に似ている。今の私。こないだ集会中に具合が悪くなった時、初めてパニックっぽくなってめちゃめちゃ焦ったし、そのあと落ち込んだ。なんか社会人としてとてもだめな気がした。社会人になる時、「頑張らない」という誓いを自分に立てたはずなんだけど、状況に流されているうちにそんなこと忘れてた。頑張らなきゃ。頑張らなきゃ。与えてもらった仕事。私に責任のある仕事。生徒が頑張ってるんだから。私はもっともっと頑張らなきゃ。で、また同じことを繰り返しそうな気がする。と思って、怖さのあまり自分を閉ざしているので、なんか対人関係もうまくいかない。空回り。参ったな。
2006年09月24日
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例えば、もし彼が今でもあたしのことを思ってるとしたら、あたしはやっぱり別れの意味を理解することなんてできない。 気持ちを切り替えなきゃいけない、とか、もう過ぎたことだから、とか、今さら向こうがどうあろうと関係ない、とか、思ってた。 それは決して強がりじゃなくて、その時はほんとにそう思った。 だけど自分の強さを過信してた。 痛い。 辛い。 いるはずの人がいないことにまだ慣れなくて、聞けるはずの声が聞けなくて、この部屋のこの場所でただごはんを食べるだけなのに、その一瞬一瞬に息が詰まる。 あたしのこの思いはどうやって昇華されるんだろう。 もう解放されたい。 どうしてあたしの行く手を阻むようなことをするんだろう。 大人にならなきゃいけないのはあたしじゃない。 あたしはこれ以上物わかりが良くなっちゃいけない。 あたしはきっと待ってるんだ。 彼がもう一度あたしを必要としてくれることを。 諦めきれないから、辛さが募る。
2006年08月29日
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久しぶりにアパートに帰った。 彼と別れて以来どうしても1人でいられなくて、まったく帰ってなかった。 久しぶりに帰ってきたこの部屋には、まだ彼の面影とか、私の悲しみとかの残骸が残ってる。 彼のために買った彼の好物は、冷蔵庫の中でとっくに賞味期限を過ぎてた。 彼のために作ったごはんも、たくさん冷凍庫で眠ってる。 やっぱり実家に帰れば良かった。 ここは悲しすぎる。 仕事をしてると、確かに気が紛れる。 毎日がとても忙しくて、それなりに楽しくて、あ、なんだ、意外に平気かも、…なんて、甘かった。 今日は彼の誕生日。祝ってあげるはずだった誕生日。 これからも仲良くやっていこうね、って言うはずだったんだろうな。 今日はそんなことばっかり考えてる。 もっとちゃんと悲しもう。 もっとちゃんと泣こう。 失いたくなかった。 大好きだった。 大切だった。 彼は今、何を思っているんだろう。 誰かがちゃんと、祝ってくれているだろうか。 自分を変える、って言った彼は、きっと今日新たに何かを誓ったに違いない。 心が壊れるような頑張り方はしないでほしい。 私はただそれだけを願う。 彼がちゃんと彼らしく幸せになれますように。 私が私らしく幸せになれますように。 らしく、を追い求めた時、私たちが同じ道を歩むことはきっともうない。もう道は重ならない。 分かってる。 分かってた。 私は私の道を進むしかできないから、彼のためには生きてあげられない。 彼も同じ。彼も私のためには生きられない。 だから、この別れは必然だった。 じゃあ、私たちの出会いは、やっぱりただの偶然だったのかな。 別れのために長い年月を経て出会ったの? わかんない。私には何も。 いつか答えが出ますように。 答えが見たい。どうしても。
2006年08月24日
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自分の立ち直りの速さにはほんとに驚く。 ほんとに好きだったのか、ほんとに一生をともにしようと思っていたのか、もう分からなくなってしまった。 ただ、ふとしたところで見つける彼の面影や足跡は、思わず目を背けたくなるような痛みを感じさせるし、そこから彼の今の姿を思えば、やっぱり愛しく感じる。 彼はきっと私にとって無くてはならない人ではない。 これはただの直感だけど。 だけど、その存在に実体が伴う距離にいれば、それはそれでたまらない温かさを感じるし、甘い気持ちを思い起こさせる。 彼は私の思い出に連動した人だ。 現実を生きる上で、共に歩むことはできないけど、時々何かに浸りたくなった時には、彼以上の存在はいない。 すごく自己中な考え方だけど。 もしかしたら自分の傷を癒すために私の脳が勝手に考えただけのことかもしれないけど。 感謝はできない。 彼じゃなくちゃというこだわりもない。 だからと言って恨みもなければ憎しみもない。 好き。 ただ、それだけ。 愛してる、わけじゃない。 好き。 それ以上でもそれ以下でもない。 私はここで、納得したんだと思う。
2006年08月21日
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前ほどこだわらなくなった。 物に対しても。 人に対しても。 自分に対しても。 もういいや。 とか まあいっか。 とか それが口癖。 別にそういう自分は嫌いじゃないし、前よりも生きやすくなった。 ただ、ものすごく誰かを愛しいとか、自分のやってることが大切だとか、そういうこだわりも薄れてる。 あ、でも、友達だけは変わらず大事だと思う。 友達と会う時間だけは確保したくて、最近はそのために働いてるようなものかもしれない。 こんなに力の抜けてる自分を見るのは初めてで、これがいいのか悪いのかよく分からない。 ただ、気分は悪くない。 疲れてると言われようが、老けたと言われようが、私は別にあまり気にならないし、楽と言えば楽。 私の進むべき方向はこんなんでいいのかな。 ほんとにただ疲れてるだけの、一過性のものなのかな。
2006年08月20日
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大切なものがなくなっても、時間は止まってはくれないし、周りもいつも通り。 そんな流れに癒されていくんだろう。 ものの見方が変わった。 自分の周りのものがすごく面倒になり、同時になぜかすごく愛おしくなった。 自分を責めることのできない別れ。 逃げ場のない別れ。 苦しくて苦しくて、もう消えてしまいたいとすら思ったのに、もう何もしたくない、何もできないと思ったのに、普通に生活できる自分に感心するし、がっかりもする。 こうやって平気になっていくんだ。 忘れていくんだ。 忘れないようにしようと思っても、いつか絶対に忘れてしまう。 また新しい幸せを見つけたら、それに夢中になる。 そういう諸々のことがわかってきた歳だからこそ、今はこの気持ちを整理して弔うことに専念したい。 だから昨日のタイトルは「喪に服す」。 もっともっと悲しくなくなるまで、とことん悲しもうと思う。思い出そうと思う。責めようと思う。 いつかしたくてもできなくなる。 自分の感情感覚を肯定するでも否定するでもなく、ただ感じる。ただそれだけ。 ちなみに、今は涙は出なくなった。普通に笑えるし、人とのコミュニケーションも取れる。 けど、何かをしようとすることがどうしようもなく面倒くさい。 きっとこれもサインなんだろう。 なんかわからないけど、その面倒くささに従ったほうが、今は正解な気がする。
2006年08月18日
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大好きだった彼氏にふられてしまいました。一方的に。別れの真意はわかりません。別れたくない、とごねてみたけれど、そんなことしてもムダということは百も承知。お互いに結婚も夢見てた。好き、だけじゃ結婚できない。乗り越えるべき障害が多すぎる。きっとうまくいかないよ。という彼の言い分。その通りだと思います。でも、何とかしよう、努力しようと思ってた。彼には重すぎた。おまえのことは嫌いじゃない。何が嫌なわけじゃない。おまえは何にも悪くない。悪いのは俺。ごめん。勝手。最低。許せない。言いたいことは全部言った。憎むなら憎めばいい、とか、ずるくてもいい、とか、彼はきれいごとばかり言った。だから、絶対憎まない。そのほうが苦しむでしょ。憎んだほうが彼は楽なような気がしたので、そう言った。あたしが苦しむ分、あなたも苦しめばいい。あんたは1人の女を不幸にした。その重みを背負ってね。感情がわかない。時間が解決してくれることだってわかってはいるけど。彼のいない生活に早く慣れればいい。いつか友達に戻りたい。そのほうがいい。そのほうが良かった。8年というブランクは大きすぎた。見えないことが多すぎた。恋人になんてならないほうが良かった。私たちには無理だった。でも、大好きだった。ほんとに大好きだった。嫌いになんてなれない。でも、もう追わない。
2006年08月17日
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「なんのためにお母さん苦労してあんたを大学まで出したと思ってんの?お母さんの気持ちなんて全然分かってないんだから!」 思い出すだけで殺意がわくようなセリフ。 彼氏との付き合いを反対する母親のセリフ。 あたしはあなたを満足させるために大学に行ったわけではありません。 玉の輿に乗るために音楽をやってるわけではありません。 誰のための人生? なんのためにあたしは今までがむしゃらに勉強してきたの? 何で私があなたの気持ちを理解してあげなきゃいけないのですか? 私の気持ちは? ちなみに、あなたが稼いだお金で大学まで行ったわけではありません。 あなたが何を苦労したのですか? 親のコネで就職、恋愛せずに見合い結婚。 そんなあなたに何が分かりますか? 人の本質を見ずに人を判断する。 あなたはそんなに偉いのですか? こんな母親に育てられてきたのかと思うと、自分の存在を否定したくなる。 あたしはあたしのために、世の中の役に立てる人間になれるようにって思って頑張ってきたのに。 それがたかだか結婚のため? 高学歴高収入の人に嫁ぐためにやってきたことなの? くだらない。 くだらない。 くだらない。 一体あたしはなんなんだ。 信じられない。 あたしはこんな母親には絶対ならない。 あたしはもっと苦労をしよう。社会を見よう。人の気持ちが分かる大人になろう。 なんでここまで追い詰められなきゃいけないんだよ。 あたしの彼氏は至って普通です。 あたしも至って普通です。 そんなことばっか言ってるから、誰からも相手にされなくなるんでしょ。 ちなみにあの女は昔ハトコとあたしを結婚させようとした。 とんでもないでしょ? いつの時代だよ。 あーもう気持ち悪い。 間違ってますかねぇ、私。
2006年08月09日
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明らかに不健康な私の精神状態。 昔何度も感じた不安とか寂しさとか自分が安心していられるのはどこなのかとか、そんなことばかりが頭の中を駆け巡る。 見つけてしまった大切なものを失うのが怖くてその心のざわざわはますます激しくなる。 最初からなければ、失う心配なんてすることなかったのに。 苦しくて不安定で誰かに救いを求めたい。 でも、そんなことしちゃダメって頭の中で声が響く。 自分1人でちゃんと立ちたい。それがいいに決まってる。 でも苦しい時にはよりかかかりたい。 それは抑えるべき感情ではないはずなのに、抑えなければ何かがなくなってしまうんじゃないかと思うと、やっぱり自分でこの不安を葬るしかないんだろうと思う。 そんなことして守りたいものって何だろう。 崩れてく自分を感じながら、頑張ってること自体が無意味に感じられる。 いっそなくしてしまえば楽なのかな。 なくす苦しさのは一時だけで、この状態がこれからずっと続いていくことの方が多分辛いんだ。 苦しい。逃げたい。なんでいつもこうなるんだろう。
2006年07月30日
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仕事上動きやすいから、とか、楽だから、とか、かまってる余裕ないから、外見を磨くことを怠っていたけれども、気がついたらというか少し余裕が出てきて落ち着いて自分を見てみたら結構大変なことになっていた。覇気がない。若さもない。なんとなく地味。まずいねえ。まずいよ。お金がないとか暇がないとか買い物いくのめんどくさいとか、そんなこと言ってる場合じゃないような気がする。人のために一生懸命働いてさ、自分こんなことになっててさ、悪いのは自分なんだけど、ちょっとむなしくなったりしてさ。てゆーか髪型が気に食わないんだよね。早く伸びないかなあ。寝癖がついて絶壁みたいになっているんだよ、アタマ。女子は特に、自分の外見に自信がないと、性格とか能力とかにも自信がなくなっていくんだと。ある程度さ、自分にお金をかけてあげることも必要なんだよね。反省。
2006年06月19日
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進むべきか…。引き返すべきか…。でも流されてみたい気もするし…。 流されてみようかなあ…。 よし。なるようになれ。
2006年06月15日
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今日は短い時間だったけど、去年まで一緒に働いてた友達に会ってきた。 私にとって彼女は癒やしの存在。いつも真剣に話を聞いてくれる。 実は彼女に会う前、いつもは相談にのってくれる男友達とちょっとすれ違ってしまった。 私にとっては職場内で唯一本音を話せる人だっただけに、とても悲しくなってしまった。 多分、私が傷つけるようなことを言ってしまったからだと思うんだけど、ほんとにそうなのか、謝るべきことなのか、今の私には判断できない。 彼女と話しているうちに、仕方のないことなんだ、という気になれた。 できるなら、相手を気遣って優しくしてあげたいことも、今の私には無理。 そんな時があっても仕方ない。 うんうん、わかるよ、って聞いてくれたことが何より嬉しかった。 確かに今の私はゆとりがなくて優しくなくてダメでイヤなやつかもしれないけど、私だけがそういう風になるわけじゃないんだ、って分かってホッとした。 こんなに温和で優しい人でも、忙しい日常の中では自分が分からなくなってしまうものなんだ。 そういうものなんだ。 お互い忙しくなってしまったけど、会えて良かった。 やっぱり、家族と友達は何より大事です。
2006年06月10日
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人前では「みんな大変だから。私より大変な人たくさんいるから。大丈夫です。」て言う。 でもほんとは、私かわいそうだと思うし、大変だし、全然大丈夫じゃないし、そんなに強くないし。頑張ってるし、偉いと思うし。 大人だから外には出さない。 だけどほんとはそう思ってる。 綺麗事だけでは頑張れない。 たくさんひがむし、憎むし、悪態つくし、泣くし。 綺麗事なんていらない。もうたくさん。うんざり。
2006年06月09日
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今日とある会議に行った。 たまたま私の隣に座ったとある学校の先生は、昔私を面接で落とした人だ。 「あのときあなたを採らなかったことを後悔しています。久しぶりに大きな失敗をしました。」と言われた。 最高の誉め言葉だった。 今まで頑張ってきたこと、今頑張っていることが間違ってなかったと思えた。 でしょ? と言えるほどの立場ではないし能力も足りないから、まだまだ、頑張らなきゃだけど。 でも嬉しかったなぁ。
2006年05月26日
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友達に触発されて、ベランダ菜園でも始めっかなーと思ってる今日この頃。 昔学生の時に育ててたワイルドストロベリーのことを思い出した。 ワイルドストロベリー。 ご存知だろうか。 一生懸命育てて実をつけると、ステキな出会いが訪れるというハーブ。 その頃そんなに彼氏が欲しかったのかはもう覚えてないが、とにかく甲斐甲斐しく世話をした。 当時うつで引きこもりだった。 スーパーで買ったそのワイルドストロベリーだけが心の支えだった。 夏休みなどで帰省するときも連れて帰った。 愛情を注いだ甲斐あってそれはすくすく育ち、時に枯れそうになりながらも、真っ赤っ赤でとてもいい香りのする実を一つつけた。 涙が出た。 嬉しくて何枚も何枚も写真を撮った。 ワイルドストロベリーを思い出すと、当時の苦しみやトラウマも一緒に出てくるけど、私にとっては大切な生き物。 うつが治るにつれて自分では世話しなくなっちゃったけど、今も実家で元気です。 どんどん育って種がこぼれて変なところからも芽が出てます。 後輩がくれたのと合わせて二鉢。 新しい住まいに一鉢連れて帰ろうかな。
2006年05月19日
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ここに何かを書くときは、しっかり自分と向き合っているとき。 今は次から次へとやることがあって、立ち止まるのが怖い。 止まってしまったら仕事をこなせないんじゃないか。 割に合わない給料で身を粉にして働いていることがバカバカしくなってしまうんじゃないか。 でもやっぱり立ち止まりたくなる。 だって、走りっぱなしじゃ何も見えないんだよ。 最近おばあちゃんが亡くなって、忌引きを取った。 久しぶりに家族と長くいて、家のことを見つめてみたら、急に今まで当たり前だった暮らしが恋しくなった。 実の母を亡くして淋しい母と一緒にいてあげたい。 もう若くない父と母と一緒に旅行に行きたい。 私が1人暮らしを始めたのは、学校にいる時間が長くなって、体力が持たないから、ってのが一番の理由なんだけど、夜遅くて朝早いことで両親に負担をかけたくなかった、てのもちょっとある。 でも、そんな生活でも親的には私と一緒に暮らしたいんだろうなあ、と、ふと思った。 けど、ここで親に同情したら私はこの先ずっと家を出られなくなる。 仕事のこと、生徒のことを一番に考えられなくなる。 そうやって日々葛藤する今日この頃。 もう少し、ゆとりがあるといいな。 自分をちゃんと見たい。 色んなことに冷静に対処したい。 でも一番は、友達に会いたい。友達に会いたい。友達に会いたいよー。。。
2006年05月18日
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絶対の信頼を置いていた人が目の前から去って、私の元には宝物が残った。 私はそれを全力で守る。 力が足りないなら付ければいい。 とにかく、今の私にはそれが全て。
2006年04月07日
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ありがとう、が言えた。淋しい、も言えた。 いなくなることの虚しさはやっぱり拭いきれないけど、目の前のことを信じた自分に狂いは無かったと自信を持って言える。 実は嘘をつかれていたとしても、違う人の言うことが事実だったとしても、私は自分の目で見てきたことを真実とすることに決めた。 だから、もうくよくよしないで、前に進む。 これから先がちょっとくらい大変だって、頑張るよ。
2006年03月31日
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不安と後悔と懺悔と祈りが繰り返し繰り返し行ったり来たり。 救うことも、力になることも、励ますこともできない。 ごめんなさい、を何度も心の中で繰り返し、ありがとう、と言ってしまえばそこで終わってしまう気がする。 自分の小ささと無力さを嫌というほど知った。 もっと強く、大きくなりたい。 ちゃんと、人を守れるようになりたい。
2006年03月21日
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もっと早く、気が付くべきだった。 自分の目で確かめたことだけ信じることの意味に。 私は何を見てきたんだろう。 自分の目の前の真実よりも、色んな人が言う色んなことを信じてしまった。 そんな自分を今、とても恥じてる。 体に刻み込まれる学びには、心がちぎれるような痛みを伴う。 真っ直ぐに、真っ直ぐに生きたい。 そう思って毎日生きてるのに、こういうときに気が付く。 やっぱり私、人を諭せるような人間じゃない。 だったらせめて、同じことで同じ痛みは二度と感じたくない。 ちゃんと生きる、って、思ったより大変だ。
2006年03月20日
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現実世界でこなしていかなければならないことなんて、実はシンプルなものばかり。 そこに人間の思惑や感情が入るから、簡単なことが難しくなる。 事実は当事者にしか分からなくて、しかし真実は一様ではない。 人から人に伝わることも戯言に過ぎず、誰を、何を信じればいいのか分からなくなる。 だから、誰も何も信じない。 自分の目で見たことだけが私にとっては真実。 それが一番、深く正しく他人を信じることだ。 昇華されない理不尽としか思えない感情を胸の奥に抱えつつも、外側から見ればどうってことない、シンプルな現実をただ淡々とこなし、前に進むだけだ。 広い世界から見れば、思惑や感情なんてあってもなくても関係なくて、ただ、物理的な結果だけが残っていく。 それでいいと思う。そうでなければ、きっと不幸な人が増えてしまう。 だけど、ほんとのほんとはそんなの嫌だ。 苦しんだことも、悩んだことも、流した涙も注いだ愛情も感謝も、みんなに忘れてほしくない。 傷ついたことを、傷つけたことを、ずっと覚えていてほしい。 いつまでも引きずってはいられないけど、私にとっての真実だから、忘れてはいけない大切なことだから、ここにこうやって文字にして残す。 いっそ何も感じない方が、楽かもしれないな。 誰もが幸せであってほしい。 祈るしかできない自分は、まだまだ無力で小さすぎると知った。 信念を貫くには、やっぱり前に進むしかない。 信じられるのは、自分にとっての正しい尺度だけだ。 毒を盛るのを傍観しているのは、もうたくさん。
2006年03月17日
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期待はしないことにしている。 何事にも。 期待は大体において裏切られるものだ。 それでも期待してしまうのは人間の性だろうか。 期待もせず、低くも見ず、ただ、あるがままを受け止める。 それから、考える。 現実を正しく測る尺度は身に付けてた方がいい。 例えば、見えないところで何かが動いていたとしても、今の私には見えることだけが全てだ。 それに従うしかない。 オトナの世界はワクワクすることばかりで本当に楽しいと思う。 だけど、時にオトナの事情に振り回されてしまう時がある。 染まってはいけない。 自分を見失ってはいけない。
2006年03月14日
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今日は午前授業だったので、隣と向かいと斜め向かいの先生たちとランチに行きました。 向かいの先生を私の車に乗せました。 向かいの先生は私より少し年上の男の先生で、とても素敵な方です。 マーチは狭いので、助手席に男の人を乗せるとかなり距離が近いです。 そんなシチュエーションに慣れていない私は、ドキドキしてしまいました。 あ~こーゆーの考えてみたらすごく久しぶりだなぁ、と思ってちょっと嬉しくなりました。 このようなプチときめき、大事です。 おばさん化現象防止のために。 春からスカートはこうと思います。 パンツ派になってから、行動がガサツになったからです。 言動がおばさん化してきているので、せめて見た目をチャラチャラしようと思います。 ときめきはいいね。なんか気持ちが若返るね。
2006年03月08日
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今日の授業がうまくいったからとて、明日もそうとは限らない。 期待しない。 と、言い聞かせながら授業してるので、ひっじょーーーに疲れます。 期待通りにいかなくて怒ってしまうのは、こちら側のエゴですから。 と、また壁にぶち当たった時のために書いとこう。 あぁ、早く慣れたい。 授業をこなすことに。 まだ、やりたいことをやれるようになるレベルに至ってない。 今年はシンプルに行くぞ。 何事も大変ですよね、仕事って。
2006年03月06日
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優しい人になりたいと思う。 表面だけの優しさなんていくらでもできるけど、本当の優しさを身に付けるのは難しい。 優しくされたいから優しくするんじゃなくて、本当に相手のために優しい人になりたい。
2006年03月05日
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私の、初めての生徒が、昨日卒業した。 式の始めから号泣してしまった。 とても幼くて、やんちゃで、体ばかり大きくて、手が掛かって、憎いと思うこともたくさんあったのに。 いざ卒業となると、そんなことはどうでもよくなるくらい、奴らが大きく見えて、次から次へと涙が溢れた。 悲しいのか嬉しいのか分からなかった。 奴らのおかげで、今も私は本当にいい日々を過ごせてる。 ありがとうね。 たまには戻っておいで。 あんたたちが、あたしの原点だよ。 一生、絶対、全てを忘れないよ。 2006年3月1日、初めての教え子を無事、見送りました。
2006年03月02日
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ただいま空き時間。今日は午後から卒業式のBGM選び。そっか~、こういうことも先生の仕事なんだよな~、と、当たり前のことに感心したり。でも、楽しい作業です。脳みそがあっつくなるけど。使いすぎて。非常勤だから、と、逃げてきた面倒な作業も、ここに来て逃げられない模様。だって、音楽の先生一人しかいないんだもん。面倒面倒、と思うとほんとに面倒くさいこと極まりないので、面倒、と思うこと自体をやめるのが一番手っ取り早い、と気がついた。たまに、箸を持つことすら面倒になる。たぶんね、生きることって、面倒、の連続なんだわね。諦めるしかないのね。諦める。最近気に入っててよく使うけど、これ、決して負の意味合いだけの言葉じゃないよ。無理をやめて、自分の身の丈に合わせて最大限の努力をする、ってことさ。いつまでも理想ばっか追い求めてたって、空回りで終わってしまう。自分の思考の感覚と行動の感覚が一致したとき、自分自身が楽になりました。
2006年02月27日
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久しぶりに小説を読む。 学生の頃から本が大好きで、私の家には洋服よりもたくさんの本が溢れている。 社会人になってから、フィクションを読まなくなった。 時間がない。 気力がない。 ことに加え、小説よりも数奇でおもしろい現実を処理することでいっぱいいっぱいになった。 だけど、それでは私は私の世界観しか持てない。 昔の夢見る夢子ちゃんから一変してリアリストになった私は、現実的で合理的に生きる手段を確実に手に入れてはいる。 賢く生きるためにはその方がいい、と思うけど、人間、どこかでファンタジーを求めていないと、ダメ。 人の生き方や哲学を受容できないようでは、ダメ。 自分の生き方だけを肯定するようでは、ダメ。 こないだ、「将来の夢、という題で作文が書けるか」という話題を友達にふってみた。 書ける、と友人は言ったが、それは夢でなく目的、目標だった。 大人になるにつれ、自分のキャパが分かってくる。 私の辞書には昔、「不可能」という言葉は存在しなかったが、今は「おそらく不可能」という言葉がある。 それでよいのだ。 それが現実的ものの見方。 だから当然、夢は夢でなく目標になる。 だけどそこにファンタジーが存在するかしないか。 人生の深みが、変わってくる気がする。 昔小説しか読まなかった頃、私の書く文章はもっと柔らかかった。 今は、要領よく、現実的な堅い文章ばかりを書く。 日本語は素晴らしく美しい繊細な言語なのに、今は無骨で現実的な決まりきった言葉しか使わない。アタマが堅くなってる証拠だ。 リアリズムを求める人ほど、小説を読むべきだ。 想像力、創造力の足りたいのうみそでは、めまぐるしく変化する現実に対応することなどできない。 ちなみに、私の好きな作家は、昔も今も吉本ばなな。
2006年02月20日
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理想と現実のギャップを埋めるには、どうしたらいいのか? とりあえずは、今の自分のありのままを自覚することから始まるんだと思う。 良いとか悪いとか、そういうことじゃなくて、そもそもそんなことは自分の思い込みなんだし、とにかく、現状を把握しないことには対策が立てられないでしょ。 で、その次はどうしようか。
2006年02月18日
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今週はとても調子がよくて(カラダが、ではなく)、ハイテンションなまま一週間を終えた。 けど、あまり調子に乗っていると、必ず何かをやらかしてしまう気がするので、ちょっとコントロールしとかないと。 この微妙なバランスがね、難しいよね。調子の良い時はしゃべりすぎてしまう。しゃべりすぎる時、大抵ろくなこと言ってない。 口は災いのもと。 気を付けねば。
2006年02月17日
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久しぶりに調子が悪い。 ヨガを始めてから、あまり体調を崩すことはなかったのだが。 考えてみたら、同僚も生徒も、こぞってみんな風邪やらインフルエンザやらにかかっている。 移るのも無理はないか。 最近は激しく落ち込むということがなかった。 でも今日はちょっと感傷的。 きっとカラダのせい。 もうちょっと頑張れそうな気もするが、きっとここで無理をすると、崩れる。 カラダも、ココロも。 私が無理に頑張らなくても、世界はちゃんと時を刻む。 こういうことを冷静に客観的に受け止められようになったのは、年取った証拠かしら。 そんなこと言うな、という声も聞こえてきそうだけど、でも、年を重ねていく方が、生きやすく、人生が楽しくなってる。 そんなわけで、具合の悪い時は無理せず、ちょっとだけ流れからフェイドアウトさせてもらいます。
2006年02月16日
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なんとなくもの寂しくて、誰かと話したい、という夜。 私は普段、自分からあまり電話をしない方だけど、どうしても誰かと話したい時がある。 でも、そういう時ほど、つながらなかったりする。 つながってもそっけなかったり。 寂しさが膨れ上がる。 意地悪されてる気がする。 今、寂しいのに。 話したら、もとに戻れるのに。 電話をかける前より寂しさは増して、こんなことなら電話なんてしなければ良かった、と思い、たまらずに携帯の電源を切る。 滅多にあることではないけど、たまにくるこの孤独は、非常に厄介だ。 寂しくて電話したんだ、って素直に言える相手が何人いるだろう。 らしくない、と言わずに受け止めてくれる人が、何人いるだろう。 普段いかに強がってるか、こういう時にふと感じたりする。
2006年02月13日
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先月の職場飲みで、タバコを吸ったらドン引きされた。 私が吸うのはショックだ、と言われた。挙げ句、延々説教された。 「女のタバコは百年の恋も一度で冷める!」 とまで言われた。 …別にあなた、私に恋なんてしてないじゃん。 私的には気を許している同僚の前だったので、今さらタバコの一本くらいじゃ驚かれまい、と思っていたのだが、予想をはるかに超える反応だった。 何度となく酒に飲まれて醜態をさらしまくってきた私を見てなお、タバコが似合わないと言ってくれる人がいるなんて。 確かにむかついたが、まだ私に綺麗なイメージを持ってくれてる人がいたんだ!と、思って、実はちょっと嬉しかった。 結局自分でぶち壊してしまったけど。 私は普段はノンスモーカー。これ本当。居酒屋とストレスと気の置けない仲間、が揃った時、突然スモーカーになる。 だからタバコはいつも間に合わせ、ライターは借りるか、後輩をホスト役にする。 で、飲み会のお開きと同時にタバコも箱ごとポイ。昼間は絶対吸わないために。 毎度毎度もったいないし、喉と肺がやられるので、本当に止めたい。職業的にも影響大だし。 だけどこのケムリ、言葉より多くを語ってくれる。 タバコは、吸うよりも吐くために存在してるのだと思ってる。少なくとも私にとっては。 タバコを吸う時は、タバコを吸うという行為で何かを表現したいとき。 つまり、私にとっては小道具なんだけど、もっと健康に害のない小道具はないものだろうか。 慢性化する前に、本当に止めよう。
2006年02月12日
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嬉しかったので書き留めておきます。 今日は職場の飲み会。 思い悩んでいたことを教師として最も尊敬する先生に話したら、「先生はすごく指導力があるよ」と言っていただいた。 自分では本当に微塵も思ってないし、まして飲み会の席なので聞き間違いかもしれないけど、なんだか素直にすごく嬉しかった。 自信のないことだらけで不安ばかり、成功させることなんてきっとできないけど、やってみようかな、とは思う。いろいろと。
2006年02月10日
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毎日ちゃんと楽器の練習をしよう。毎日寝る前に勉強しよう。毎日心理の本を読んで、週末にはレポートをまとめよう。どれ一つ、ちゃんと実行できてません。仕事でパワーを使い果たしてしまい、夜はもう集中力から体力からやる気からとにかくすべてがない。でもあきらめません。でも時々、へこたれそうです。
2006年02月09日
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別に親友になりたかったわけじゃないんだけど、気が付いたらなってる。 別に恋心がないわけじゃないんだけど、いつの間にか通り越してる。 別にカテゴライズする必要もないっちゃないんだけど、大事な男はやっぱり親友より恋人にしたい、と思う。 そういうことが結構よくある。 あ~あ~あ~なんてもったいない。 あの時もっと素直だったら、別に恋に不自由することもなく、今頃人妻だったかもなぁ。 なんて、まあ半分妄想です。 あの時こうしていれば、なんて思ってみても、現実はこうなのです。 別に何を後悔しているわけではないけれど、いつまでもこんなことを繰り返すのはちょっと嫌だな、と思う。
2006年02月07日
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「受け入れる」と「あきらめる」は似ている。 自分を受け入れる、ってよく使う表現だけど、その実体は?認めるってこと? でもこれってなかなか難しい。 受け入れる努力をしなきゃいけないこと=認める努力をしなきゃいけないこと=自分自身でダメだと思っていることを認識すること。 キツい作業だね。 受け入れる=認めることができるときって、ある意味、あきらめたときなんじゃないかな。 自分の欠点に対して、まあ仕方ないか、だってこれも個性じゃん、きっとこのままで生きてくんだろーな私。て思った時、何かスッとその事実を「受け入れられる」。 全部が全部じゃないけど、受け入れるの前提にあきらめるがあることもある。 逆に言えば、あきらめることは受け入れることにつながるかもしれない。 こっちのが前向きか? 一見マイナスの要因も、裏を返せばプラス要因。 コトバのフシギ。
2006年02月02日
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感情なんて当てにならない。 数日良い気分で過ごせたって、小さなひとつのイヤなことで、色んなことがイヤになる。 感受性が豊か、と言えば聞こえはいいが、あまりに色々なものをキャッチすると疲れてしまう。だけど自分で選べないから仕方ない。 人間の脳は悪いことばかり考えやすい、というのは多分ほんと。
2006年01月31日
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音楽を心から楽しめなくなったのには、音大受験、というプロセスがあったから。 音楽が好きで、プロになりたかったから音大にいきたかったんだけど、途中で、人より目立ちたい欲求とか、人にすごいって言われたい欲求が勝ってしまって、しかもそんなものは思い通りにいくはずもなく、音楽そのものがつまらなくなってしまった。 その呪縛に捕らわれたまま大学四年間を過ごしてしまった。そして自分の人生に後悔した。何度も、何度も。 だけど、視点を変えて考えてみれば、理由は何であれがむしゃらに練習した日々は、無駄ではない。楽しむことはこれから先すればいいことだ。 自分がいかに恵まれているかを自覚しないといけない、と思った。 ある雑誌にそんなようなことが書いてあったから考えたんだけど、確かにそうだよなぁと思う。 少なからず「プロ」という肩書きが付く以上、義務感から完全に逃れることはきっとできない。 だけど、そのくらいが丁度いいのかもしれない。 好きにならなくちゃ、とかにこだわるんじゃなくて、好きでも嫌いでも、とにかく音楽をやっていない人からすると特殊であろう能力を持っているということを大切にするべきだな、と、思った。 人と比べて劣っているところを探すのは私の十八番だ。 でもそれじゃ前には進めない。 優劣よりも、自分の持った能力をいかに使うか、を考えた方がいい。せっかくの能力を否定してしまうのはあまりにももったいない。と、私が私でなかったら、私に向かって言うだろうな。
2006年01月30日
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ふと思い立って、日記帳を読み返した。一昨年の夏からつけはじめたもので、懐かしいことがたくさん書いてある。 たった2年の間に、考え方がずいぶん変わっていることに気付いた。 そして、2年前には知り合っていなかった人のことを思って、不思議な気持ちになった。 今現在の友人たちは、日記帳を買ったのより後に知り合った人も多い。 日記帳を買ったときは、会ったこともない人たち。 だけど今は、存在してくれてるだけでありがとう、と思う人たち。 そのくらい、大切。 今の私の価値観は、明らかに色んな人との出会いによって作られてる。 たった2年じゃ何も変わらない、と思っていたけど、その2年の間に、どれほどたくさんの人と出会ったんだろう。 そして、どれだけ悩み、考えたことか。一生、という尺度で見たらすごく短い時間。 でも、この2年が抜け落ちたら私の人生でなくなってしまう。 そんでやっぱり、人生戻るより進む方が楽しいな、と思った。 たった数ページの日記から、運命や出会いや人生のスケールまで考えた。 びば、日記。 ぶらぼー、日記。
2006年01月28日
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今日、生徒が、「先生、世界は、円でできてると思いませんか。」と言った。最近、こういうことを語れる生徒と仲良くなった。「先生、人生なんて、思い込みですよね。この赤ペンが赤いことだって、思い込みでしょ。」とも言った。17歳の子とこんなことを語るなんて思わなかった。でも、嬉しかった。
2006年01月27日
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今の私が今の場所で頑張るために、必要な人がいます。 もちろんそれは1人ではなく、毎日たくさんの人に支えてもらって生きてます。今日は色んな人に癒やしてもらいました。 放課後の勉強時間を割いて私の語りに付き合ってくれた生徒。 話したいな~と思ってる時に同じように思ってくれて、電話をくれた人。 今日のような日を、私はとても幸せに感じます。 自分もまた、誰かの幸せの種でありたいと思います。 大切な人からもらった大切なエネルギーは、また違う誰かへと繋がっていけばいい。 毎日の不安定で不安な生活の中に、この気持ちが埋もれてしまいませんように…。
2006年01月26日
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今mixiにはまってます。その中で、教員に関するコミュニティがあったので参加してみました。書き込みを見ると、みんなそれなりに悩んでいるんだなあ、と思って少し安心しました。音楽の授業には楽しさしか望んでいない。これが実情です。でも、これでいいのです。というより、これが音楽の真の姿であり、究極です。「立場」や「責任」という言葉にがんじがらめになって、忘れていました。子供たちの心に何がヒットするかは分からない。こちらはそのネタを提供するだけ。そこで何かを感じて、その子の栄養になってくれればいいんです。授業が静かでなくったていい。いかに、彼らの興味に近付けるか。そしてそこから、いかに彼らの世界を広げられるか。「音楽」が、彼らの中で「楽しい」イメージであること、これが一番大事なんですよね。自分へのメモ書きのようになってしまいましたが、忘れたくないことだったので。
2006年01月22日
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学生の頃思い描いていた「先生」像、と、今の自分の姿には大分差がある。 自分の学んできたことを生かしたくて先生になったけど、甘かった…。 世の中、自分の知ってる学校だけが学校じゃないんだ。 と、今更考えてみたり。 決して生徒たちを馬鹿にしてるわけではない。 彼らが今ここにいるのには、単純に学力だけじゃない理由がある。 でも正直、本当に正直、理解はできない。 彼らが何を求め、何を目指して毎日学校に来ているのか。 音楽、という教科は難しい。 単純に教科書を進めればいいってもんじゃない。 私的に、教科書をやるには、生徒側の許容量がかなり大きくないといけないと思う。 大抵いつも、一生懸命考え、準備した授業ほど空回りして終わる。 要するに、私の興味と彼らの興味は、全くと言っていいほど噛み合っていないのである。 切ないなあ…。 と、最近よく思う。 大学であんなに一生懸命勉強して、教育実習も大成功だったのに。 あの頃勉強したことで、今実際に役に立っていることなんてあるかな。 今は毎日が修行のような日々。 でも頑張ろう。 今日も悩み日記になってしまった…。 四角いアタマを丸くしたい。 良い方法があったら教えてください。
2006年01月19日
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今日は仕事が休みだったので、仲の良い同僚と遊びにでかけた。 話は自然と将来のことに。 みんな抱えている不安は同じだ。 何回チャレンジしてもダメな人、とかの話を聞くと不安になる。 昨晩も情報誌を読んでいて不安になり、眠れなくなってしまった。 だけど、ここで惑わされてはいかん、と、思う。 目標はクリアに、視野は広く。 不安は不安。でもワクワクもする。知らなかったことを吸収していくのはたまらなく楽しい。 どうせなら楽しんでしまおう。 見えない不安に絶望するか、見えないからこそ挑んでいくか。二者択一、どっちが楽しい?
2006年01月18日
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最近の日記暗い・・・。でも、これを毎日書くようになったせいで、自分の心の中がちょっと見えた。そもそも、サボりがちだったこのブログを毎日更新するようになったのは、ある友達がブログを始めたのがきっかけ。普段あまり会えないので、彼女のブログを読むのが楽しみ。彼女の持つ「文学」と「思想」を、特に尊敬している。で、私のも見てもらえたらいいなあ、と、思って、毎日書いてる。ここ数日の暗さは、演奏会を前にした情緒不安定のせい。しかも今回は、地元、店長も顧客も母の友達、というプレッシャーが最初からあったので、いつもに増して気分が重かった。だって!「みんなお母さんの知り合いなんだから、ちゃんとやってよ。」なんて言われたら、一応の反抗はしてみるものの、やっぱり心の中にひっかかってしまうでしょう。如何せんお客さんにはそれなりに喜んでいただけたようで、まあ母の顔をつぶすことにはならなかったとは思うが、もう母の息のかかったところではやらないぞ、と、誓った。音楽を仕事にするのは難しいこと。一緒にやる人との方向性の違いがあってもダメだし、ギャランティの額でも問題が生じたりする。でも一番は人間関係で成り立ってるいると思う。私はただ自分に持ってるもので誰かが喜んでくれたらそれでいいと思うし、報酬は二の次だ。でもやっぱり経済的、社会的な安定は欲しいと思うので、そこら辺は切り離して考えるようにしている。自分に才能なんて大してない、と、思っているけど、もしかしたらもうちょっとくらいは伸びるかも・・・。前に先生に言われた。「あなたの場合、技術がどう、とかじゃなくて、考え方の問題だよ」って。・・・そうなんだろうなあ。これも修行だ。
2006年01月17日
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今日は私の生まれ育った町(というほどでかくはないか)でフルートとピアノのコンサートをやった。 一曲め。大事件発生。 途中で一段飛ばしてしまった。焦った。でもピアニストが何とかしてくれた。持つべきものは信頼できるパートナー。 でもそこで「今日はこれ以上悪いことは起こらない」と開き直れたため、その後は順調に進められた。 とにかく無事終わって一安心。 結構良いできだったのではなかろうか、と、自画自賛。 最近自分の本番でのクセが分かってきたので、改善中。 一に練習、二にゆとり、三は集中、四に準備、五は…あれこれ盛り込まないこと。 まあでもやっぱり日頃からコンディションは整えておいた方がいい。心も、体も、演奏も。 ま、あまり考えずにボチボチ続けていこうかな、音楽。 それにしても、毎日コロコロと考えというものは変わる。 明日になったら、また音楽の全てが嫌になっているかもな。 こんな自分に付き合っていくしかないんだな。 ほかでもない、自分だからな。
2006年01月16日
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