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自費出版した本は、「まさこの窓」の題名で薄い92ページの本です。薄いグレイの色です。
内訳は、1.マーちゃん
2.父母の故郷をたずねて
「Welcom to まさこの窓」 に載っています。
マーちゃんは、生まれてから結婚までの自分史ですが、生まれた当時の時代背景を書かなくてはならないので、パソコンの検索だけでは物足りなく、結局は図書館で調べました。
日中戦争の時に生まれたので、「日中戦争日記」全7巻を読みました。
この本は下士官として従軍して、殆ど毎日書いていました。
父のこと想い、重ねながら読んでいきました。
この日記は戦場の残酷な様子をこと細かく描写してありました。
マーちゃんの内訳は、マーちゃん誕生、マーちゃんのお母さん、小さいときのマーちゃん、
小学生時代、中学生時代、高校生時代、郵便局時代、マーちゃんの結婚、にして書きました。
上の写真は小さいころのマーチャンのところの文章です。
丁度小学校の入学するまえの7歳のころです。太平洋戦争の激しい時でした。
写真では読みにくいのでここのページを書いてみます。1ページのみここで公開します。
>昭和二十年三月十日の東京大空襲、同年八月六日に広島に原爆がおとされ、三日後の八月九日長崎にも原爆が落とされました。そして、二十年八月十五日終戦になりました。
戦争中の我が家では、店の片隅に小さい防空豪が掘られ、空襲警報がなると、灯火管制がしかれて、真っ暗な防空壕にはいり、小さい弟達と一緒に防空壕の中で息をひそめて縮こまっていました。
昭和十九年生まれの妹は空襲警報の最中に生まれました。私は7歳になっていました。
毎日のように空襲警報が鳴り、家にいては危ないと、リヤカーに布団を乗せ、弟達を布団の間に潜らせて、
母は、防空頭巾をかぶりもんぺ姿で、生まれたばかりの妹をおんぶしてリヤカーを引っ張り、私も防空頭巾を被り、リヤカーのうしろから押して目黒の権の助坂まで行きました。
父と上の姉さんは家を守るために留まり、兄さんと下の姉さんは、学童疎開で家にいませんでした。(学童疎開は小学三年生から六年生まで五十八万人の子どもが親から離れて暮しました。)
権の助坂に着くと、道路の両サイドにある街路樹の下に、真っ黒な人影の群れががあり、大勢の人が避難していました。
近くに目黒雅寂園があり、赤十字の旗を掲げていました。
権の助坂の途中から、大鳥神社や油面方面を見ると、一段と高く黒い影になった円筒形のガスタンクが数ヶ所、真っ赤な炎を高くあげ燃えている夜景は、私にとって強く印象に残っています。
小さい子供を抱えて、東京にいては危ないと、叔母の実家のある田舎に、母は
で、このページはおわります。
続く・・
ホームページを作るまで April 30, 2013