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疎開したさきは、富士山の麓、夫の母の実家でした。
叔母は私の母の弟と結婚していました。
その時に私の母は、夫のお母さんにお会いしているのです。
何十年後に子供たちが結婚するとは・・・・思ってもいなかったでしょう。
この叔父夫婦が二人とも病気をして日赤病院へ入院し、
当時、私の妹が夫と同じ会社に勤めていて、3人でお見舞いにいきました。
その時に初めて会いました。姻戚関係でも、今まであったことは1度もありませんでした。
そして妹からの伝言で、2回目に渋谷駅で2人だけで会うことになりました。
そしてすぐに結婚したいの気持ちをしめされましたが、まだ2回目なので即答できませんでした。
次にあったときは社宅が出来たので申し込みをしたこと。その次にあったときは、
「生命保険が切り替え時で、受取人を貴方にしました」と言われて吃驚しました。
私の承諾なしにそんな勝手なことができるのかしらと思い、本当であったかわかりませんが、
私に対する真剣な気持ちが判り、母から叔母へ承諾をすることを伝えました。
後で、母も気にしていたのか日赤病院に入院している弟のところへ通い、人柄について聞いてきたことを私に話しました。
そして、夫は、そのときの気持ちを書いた手紙を田舎にいるお父さんに送りました。
それがまさか義父がこっそりと古い仏壇の奥にしまいこんでいるとは思いもよらなかったでしょう。
偶然にも、疎開先で夫の母と私の母が会っていたこと、手紙が出てきた来たことを書き残したいと思ったのでした。
マーちゃんの文は手紙で終わっています。
お友達や知り合いから、読んだ感想文のお手紙を頂きましたが、とても好評でした。
また続きを読みたいと書かれてありました。
本の最後にあとがきを書いてみました。
あとがき
マーちゃんは、私の誕生から結婚までの。想い出をまとめたものです。
日中戦争の時に生まれ、太平洋戦争のときは小学1年生、厳しい戦時下の時は、疎開し、
東京大空襲の時の悲惨な状況を見ることなく過ごしましたが、私と同世代の人達の体験記を読むと、
疎開中に両親が空襲で亡くなったり、また、母親と逃げまどっているうちに、隣にいた母親が火に包まれているのに助けることが出来ずに逃げてしまった事を、いつまでも後悔している人の話も記述してありました。
終戦後の貧しく厳しい生活であっても、両親が揃っていたことは幸せでした。
結婚して〇〇年になります。家庭を築き、娘達も巣立っていき、現在は二人だけの生活になりましたが、お互い趣味を生かし、それぞれの世界をもっております。
お互いに干渉することなく、自分の時間を自由に使っています。
私は65歳からパソコンを購入し、娘や孫達にためにホームページをつくりました。
娘達に励まされどうにか此処まで頑張ってこれました。
いつまでも好奇心をも持ち続け、恥をかきながらも、新しいことに挑戦して、これからの人生をエンジョーイして過ごしたいと思いました。
本を作ることにあたり〇〇株式会社の〇〇氏には大変お世話様になりました。
わからないことばかりで、私の質問に丁寧に回答していただき大変勉強になりました。
心から御礼申し上げます。有難うございました。
おわり
ホームページを作るまで April 30, 2013