ジョン・ウェイン ( John Wayne, 1907 年 5 月26 日 - 1979 年 6 月11 日 )
自他ともに認める愛国主義者である彼は、リベラル思考の観客からは典型的 タカ派 俳優として非難の対象ともなり、特に ベトナム戦争 が泥沼化した一時期には人気を落としたが、それに対抗するように製作・監督・主演兼任で映画『 グリーン・ベレー 』を完成させ、ベトナムで特殊作戦に従事するアメリカ兵を描いた。
ジョン・ウェインは多くの戦争映画に出演し「アメリカの英雄」として賞賛されたが、現実には兵役には就かなかった。
1940
年
に
徴兵
が復活し、
1945
年
に
第二次世界大戦
が終了するまでウェインは
ハリウッド
に残って 21
作の映画に出演した。
1941
年
の
真珠湾攻撃
当時、彼は 34
歳で徴兵の該当年齢であったが、家族依存の理由で 3-A
に分類され [ 要校閲
]
徴兵猶予を申請し受理された。これには国中の興味が集まり、後に 2-A
に変更された [ 要校閲
]
。
エドワード・ G
・ロビンソン
( Edward G. Robinson
,
1893
年
12
月12
日
-
1973
年
1
月26
日
)は、
アメリカ合衆国
の
俳優
。
ハリウッド
で
性格俳優
として活躍、 50
年の俳優生活で 101
本の映画に出演した。
ルーマニア ・ ブカレスト で、 ユダヤ 系の両親の間に生まれた [1] 。
1903 年 に家族と共に ニューヨーク へ移住。 ニューヨーク市立大学シティカレッジ で学んだ後、 American Academy of Dramatic Arts で演技を学ぶ。 1915 年 に ブロードウェイ ・デビューを果たし、舞台俳優として精力的に活動する。また並行して映画にも出ていたが、ほとんどが小さな役であった。
1940
年代後期以降の
赤狩り
の時期に、共産主義者と疑われて
ブラックリスト
に載せられてしまい
[2]
、映画から離れざるを得なくなってしまう。
私生活では絵画コレクターでもあったが、この時期には、当時の妻との離婚による慰謝料捻出のため、長年収集してきたコレクションを 300
万ドル余り(当時)で手放している。
その間はブロードウェイに出演し、 1950
年代後半から再び映画に出始めるようになった。
(ウィキ)
秘密の聴聞会で集会参加者を明かしたことが、明らかにされていました。
脚本家は偽名で仕事ができるが、役者の自分は 顔が出る
のでそれができない。
ブラックリストに載れば、仕事がなくなるというのが、彼の言い訳でした。
反共派からは、彼に仕事を回すようにとの指示です。
監督も偽名というわけにはいかないでしょう。
この作品では出てきませんが、寝返った監督で思い起こすのは、波止場(1954年)やエデンの東(1955年)の監督の エリア・カザン
です。
エリア・カザン
( Elia Kazan
[ˈiːljə kəˈzæn]
、本名 : Elias Kazanjoglou
、
1909
年
9
月7
日
-
2003
年
9
月28
日
)は、
トルコ
生まれの ギリシャ系アメリカ人
( 英語版
)の
俳優
、
演出家
、
映画監督
。
1952
年、アメリカ下院非米活動委員会によって、元共産党員であるカザンも共産主義者の嫌疑がかけられた。カザンはこれを否定するために 司法取引
し、共産主義思想の疑いのある者として友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら 11
人の名前
を同委員会に表した。
その中には劇作家・脚本家の リリアン・ヘルマン
、小説家の ダシール・ハメット
などの名もあった。
以降もカザンは、演劇界・映画界において精力的に活動を続けることができ、名作と呼ばれる作品の誕生に数多く関わっていくが、この告発行為は、後のカザンの経歴およびその作風に暗い影を落とすこととなった。
同年には監督した『 革命児サパタ 』が公開。主演はマーロン・ブランド。カザンはこの映画のなかに、 共産主義 に対する批判のメッセージを込めたと言われている。
1998
年、長年の映画界に対する功労に対して
アカデミー賞
「名誉賞」を与えられたが [1]
、
赤狩り
時代の行動を批判する一部の映画人からは
ブーイング
を浴びた(賞のプレゼンターは
マーティン・スコセッシ
と
ロバート・デ・ニーロ
)。
リチャード・ドレイファス
は事前に授与反対の声明を出し、
ニック・ノルティ
、
エド・ハリス
、
イアン・マッケラン
らは受賞の瞬間も硬い表情で腕組みして座ったまま、無言の抗議を行なった。
スティーヴン・スピルバーグ
、
ジム・キャリー
らは拍手はしたが、起立しなかった。
起立して拍手したのは
ウォーレン・ビーティ
や
ヘレン・ハント
、
メリル・ストリープ
らだった。
通常は名誉賞が授けられる人物には、全員での
スタンディングオベーション
が慣例のため、会場内は異様な空気に包まれた。また、会場の外では授与支持派と反対派の双方がデモを行なった。反対派のデモ隊の中には、かつて赤狩りで追放歴のある脚本家の
エイブラハム・ポロンスキー
もいた。
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