生きるために必要な真の学力とは何か。
(ある農業をめざす青年の作文から考えること)
昨日に続き、学力問題について。
もし、全国学力テストを受けたら、その正解回答率の足をひっぱり、学校側が嫌って、テスト日には欠席することを望むにちがいないようなタイプの青年の話。
この青年は、現在、有機農業家をめざして日々頑張っている。
私は彼の野菜を購入しているのだが、最近はやっと美味しいよい野菜が収穫できるようになってきた。実家も農家とは全く無縁であり、最初は農地も借地、試行錯誤しながらの失敗の連続であり、なかなか売れるようなものが出来なかった。10年ばかり経た最近やっと、有機野菜を販売するルートに乗せたり、有機野菜を使って料理をだすレストランや料亭に販路が拓け始めた。
しかし、採算が取れているわけではない。
彼の農業への愛着はすごいものがあり、まさに土にへばりついて、黙々と農作業に日々励んでいる。
その青年が、自分の「農園だより」に書いた一文をここで紹介したい。(原文のまま)
《欝蒼農園便り》 なぜ? そしてどこへ?
秋になり、秋・冬野菜のタネまきと植えつけで忙しいです。
これから、タネから双葉が生え、本葉が出て、1~3ヶ月で小松菜、大根、キャベツなどの形に育っていきます。
これらの生長を見ていると「不思議だ!」と見入ることタビタビ。野菜だけでなく、アリ、バッタなどの昆虫、ヒメシバ、スベリヒュなどの雑草にも。見れば見る程、精巧にできていて美しい。とても作れるモノではない。
ふり返って自分自身。生まれ、生長し、生きています。この今も勝手にヒゲや爪がのび、食べれば勝手に消化して排泄。心臓も勝手に働き続け、そしていつか勝手に止まるハズ。自分で生きているのではなくて、生かされているとしか言いようがない...なぜ?そしてどこへ?答えがでないまま、害虫を潰し、雑草を抜き、耕す毎日。 2007.9.18
これは、つたない文字で手書きで書かれた2008年9月の「農園だより」である。
原文のままであり、文に拙いところ、誤字、日付が間違っているところあり、添削したいところであるが、内容は素晴らしい。30歳を少し超えた青年が書くには、幼い文かもしれない。
しかし、ここには、彼が自分の手足をしっかり使い、頭を使い、土にまみれて、作物と格闘し、その生産物を消費者に届けることのできるようになった自信、生きている確かな息遣いが文に満ちている。力強い文である。
又、このご両親がすごい。このような息子を粘り強く援助し、あくまで自立するまで見放さないで陰になり日なたになり支援している。今時の親たちがもっとも出来ないことである。
親も全く農業には無縁のサラリーマンである。老いてゆく自らに鞭うち励まして、息子の自立にむけて精魂傾けておられる。
この青年は、仕事の質がレベルアップすれば、さらなる研究や工夫が要求される。
その中で、彼はどんどん成長しているし、これからもしていくであろう。
生きた学力の基礎は
だが、現実は、
このようなタイプの子どもは、学校では、嫌い邪魔者扱いされている。いじめの対象になっている。どんくさいと笑いものに皆がしている。
そして、つい最近、私の身近で、同じような年代の一人の若者が自殺した。
少なくとも高校までは、優等生。大学卒業後も人が羨む企業に就職した。
しかし、繊細なこの青年は、社会に出て躓いた。長い引きこもりの果てに自死した。
周りの者たちはこの現実に言葉がでない。
若いものが自らの命を絶つことの衝撃に、皆、言葉を失った。
若者たちがこのような状態に置かれている今の社会。
全国学力テストで競わせて、実際にはない学力をあるかのように錯覚させて、権力者を満足させるような教育政策に追従しない確かな目、賢さを親たちはもたなければ救われないことをこれらの若者たちは告発している。
公教育の尻馬に乗って、競争に駆り立てられている親は、悲惨な状態に追い詰められている。
農業青年の未来も消して明るくはない。このような、しこしこと個人で努力する零細な農家を国は潰して、規模を巨大にして企業化した農業を推し進めようとしている。生産コストを下げ、世界の農業に価格で競争できる農業をやれ、と叫んでいる。
日本の農業政策にあっては、この青年の農業の先行きは暗いのである。
このような青年が希望を持てない国、それが今の自民党が60年かけて築いてきた国なのである。
総選挙が近づいている。
大砲を米に変えて、大臣に居座った石破とかいう政治家の饒舌なおしゃべり農業とは、国民の営む農業は全く別ものである。
農業に未来があるとしたら農業はどうあるべきか深く考え行動する、国民の知性の側にあるはずだ。
低学力の実態は 2009.07.02
麻生太郎首相の日本語 2008.11.22
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