日本の典型的なエリートコースを歩んできた青年は、どんな学力をつけて社会に巣立ったか(3)
9/28の日記 : 全国学力テストの高得点は真の学力か。(1)
9/30の日記 : ある農業青年の学力(2)
上記2回の学力問題に続いて、学力の(3)回目。前回がのろまでどじな子ども時代、点数を取ることにおいて振るわなかった青年の話から、一転して、今回は、日本の最高のエリートコースを歩んだ青年の話。
昨夜(5日・日曜日の夜)テレビの「情熱大陸」という番組で、《「よみたん自然学校」の美ら海が教室》というドキュメンタリーを放映した。これは沖縄の読谷村で、幼児教育を個人で立ち上げて実践している青年のドキュメンタリーである。
この幼稚園の理念は、このブログでも紹介してきた「 森のようちえん
」と同じである。
美しい海を遊び場として、大自然のなかで、ドラマティクに活き活き暮らしている子供たちがテレビに映し出された。子供たちの自立した集団が、お互いぶつかり合い、知恵を出し合い、切磋琢磨して、日々成長していく姿が力強い。
「よみたん自然学校」の代表者である小倉宏樹さんは現在36歳。灘中学、灘高校、東大法学部(現役で合格)経て商社に就職。退職して、2004年に「自然学校」を理念とした《幼児くらぶ》を設立。現在に至っている。この彼の学歴の華々しさ、要するに彼は、少年期からエリートコースを一直線にひた走ってきた青年である。俗に世間がエリートと羨んでいるコースを歩いてきたひとりである。。
では、世間も羨む「高学歴」を捨て、ほぼ無収入に近いこの幼児教育の世界になぜ飛び込んできたのか。彼はテレビの中で、インタビュアーのそのような質問に、「自分は、与えられたことを、その通りにやりこなすことは、とても得意。能力があると思う。就職して、仕事をするときも同様で、与えられたものは、優秀にこなしてきた。しかし、与えられたテーマを自分で考え、問題を切り拓いていく力が全く劣っているということに気付いたから、方向転換した。」と答えていた。
この彼の学力についての反省は、戦後の日本の教育が、生み出した結果の一端を物語っている。
幼い時から、与えられたものを覚えこむことを過密に繰り返して、優等生であり続けた人間が、大人になった時、何が自己のなかに育っていないか、何を失ってきたかに気付く。
大人になり、自立して生きて行こうとするとき、自己のなかの喪失の大きさに気付く。
今のように、社会が混乱し、困難に遭遇している時、エリートたちには、その困難を切り拓く創造性、エネルギーを求められている。その能力を育ててこなかったものは、リーダーとしての資質を欠くものとして、容赦なく切り捨てられている。
生きていくことが難しい時代になろうとしている。
実際、30代の青年たちは、今、厳しい選択を迫られている。
上昇し続けた高度成長期や、社会が好景気で沸き立っているような社会では、偏差値で人間の価値が測られ、価値の中味は問題ではなかった。
受身的に生きていることにこそ、価値があった。
今、自民党に残って、指導的な地位にいる人たちの多くは、政治家2世であるが、あの人々のお粗末な社会認識、見ている世界の偏狭さ。まさにこれは、この歴史の転換点とも言うべき難局に遭遇して、彼らの身につけた知識は、社会を切り拓くエネルギーにならないことを露呈している。
自民党の教育政策は、自己の受けてきた古ぼけた経験主義から一歩もでていない。画一化された教育をどれだけ早く多量に理解するか。詰め込めるか。教育の意味をそこに見出している。
全体の秩序を乱すようなものは困るのである。
「よみたん自然学校」の代表者・小倉宏樹さんは、その学力の限界性をいちはやく見抜いて、見切りをつけた。再出発した。
子どもとともに、自らも学びなおしている。日々、子供たちと自らも成長している。人らしく生きる知恵を日々蓄積しなおしている。
そのさわやかさは、テレビに映し出された顔の表情にいきいきと表れている。
彼は言っている。 この自然学校の子どもたちが、今後、どのように育ち、どのような大人になっていくか、どちらの育ち方がいいか今のところは、まだわからない。しかし、現時点の同年代の子供たちを見れば、自分のまわりにいる子供たちの方がよく育っている、と。
更に、冨士子婆の子育ての体験から言えば、人がどう育つかの優劣や決着は、その子どもが社会に出て、どう生きるか、どんな仕事をするか、どんな家族を築き、どんな子どもを育てるか、という長いスパンが必要だと思える。2世代ぐらい経過してはじめて、何が正しかったか分かるのではないかと最近思っている。
今、国会で予算委員会の質疑応答をやっています。この質問に立っている与党議員の言っていることに耳を傾けてみてください。特に自民党の議員のお粗末さ、これで最高学府を出ている人?という感じですよ。哀れなほど時代から取り残されています。国民が何に苦しんでいるか、歴史は今どんな局面にいるかに、全く思いめぐらすことの出来ない頭脳の持ち主がいかに多いか。その発言には耳を覆いたくなります。
これが、学生時代、自称、勉強が出来た人々の成れの果てなのです。
前回に書いた農業青年やよみたん自然学校の子供たちの未来に困難があるとしても、必ずそれを切り拓く感性や意志を自らのなかにしっかり育てている。
大地深くに根を今張っている。
やがて枝をはり、葉が茂り、実をつける。
「よみたん自然学校」の活動に興味ある方は、 「よみたん自然学校」
の理念や活動を、ホームページでご覧ください。
(しかし、今の若者たちは、身軽ですね。簡単に退職して転職する。その軽やかさには感心する。社会はその意味でも大きく前進しているのかも。)
日本の「保育制度」に何がおきているか 2008.11.20
代々木公園の銀杏並木 2007.12.03
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