全9件 (9件中 1-9件目)
1

癒しと和みは紙一重。便利と冷酷は紙一重。愛情と憎悪は紙一重。恋愛と犯罪は紙一重。笑いと不快は紙一重。下降と上昇は紙一重。貧乏と富裕は紙一重。天才と狂気は紙一重。創造と妄想は紙一重。生 と 死 は 紙 一 重。スパムとSEOは紙一重。ファシズムと民主主義は紙一重。*すべては紙、一枚の厚さほどの、わずかな違い。二律背反は紙一重?神が核となって司る「紙一重」の二律背反。神一重・・二つの相矛盾する命題である定立とその反定立が等しい合理的根拠をもって主張される。純粋理性が持つ4つのアンチノミー。そして超越論的自由と自然必然性との間の二律背反。それは時間と空間に関する宇宙の限界。全ては分割不可能な原子から構成され、逆にそれに対し実際にはそのようなものは存在しない理論。普遍的な因果性に関する自由の問題。必然的な存在者の実在。紙一重から繋がるAntinomie。カントは深い。*夢と現実は紙一重。合格と不合格も紙一重。時間と記憶力と集中力が絡みあい、自我と非我の普遍的な因果態が宿る。眠る潜在意識。 隠れた強さ。でもそれは、やるかやらないか、ただそれだけ。Only a fine line exists between dreams and reality.
January 25, 2008

見えない意識想 感 動 。ときにわたしはヤヌスのような意識にトラワレル。それは顕在意識の中に蠢く無意識の中の潜在意識のような。意識から生まれ事象があり接点があり結論を導く偶然ではない悉く必然の鏡の中のヤヌス。音匂い感情行為無念存在半身天使悪魔*真実自由深海内外共存化身秘密嵐 。いま居る自分を硬直させる私の中のもうひとりの私がそこに居る。でも、意識は在る。しっかりと見えている。逃げない。歩くことをやめない。でもね、そんなときもあるの。Another me. ..
January 22, 2008

人は自己の内面を見つめようとするときひとりになろうとする。なんか空っぽな感じで色で言うなら 「白」 。自己とか個性とかいうのは社会の中で規定されるもので自分の内面から湧いてくるものというよりはむしろ後付の外部からもたらされるものでありそれはたぶん多くの人が直感的に知っている。気づいている。人を裁く人も人を弁護する人も人を看護する人もプログラムを作る人も音楽を奏でる人も花を贈る人も本を書く人も。みんな人のいる世界あってのその人自身。自己とか個性って言ってみれば社会の中での居場所探しのようなもので。前提となる社会との関係性があってはじめてそれを育て変化させてその結果としてその関係性の中で与えられるもの。だから人はいろんなことを試して関係性の中に自分を置いて常に変化することによって自己や個性や居場所を探していく。*わたしだってこれまで記事を書いたりサイトを作ったり。それは読む人、訪れる人自分の会社、上司の評価が欲しかったわけで。よく思われたいしすごいと褒められたい。これは紛れもない事実なわけで。それらを与えられたりして自分自身が心地よかったらもうその時点で社会の中の自己という個性なわけで。*いまなんかそういうのどーでもいい。社会にどう思われているかとか人が自分をどう見ているかとか着飾ることとか美人でありたいとか。写真を見て感動したり景色を見て感慨に耽ったり鳥の囀りを聞いて何かを想ったり。学問を勤しみ未知なる世界に感動したり。涙が溢れてきたり。感性を燻ること。胸の奥が熱くなるようなこと。口に出さず目を瞑ってひとりになって。はだかの自己の内面を見つめるということ。そのとき感じた自分の中のそれこそが自分らしさなんだ。でもそれは人という社会に交わらなくては個性とは言えない。そう思う。はだかの自己の内面を見つめてはだかの自分に気づいてそれを自己の判断により突き進めたとき道ができる。そのずっと向こうに結果という社会の中の自己が待っている。― 個 性 ― *こんなことを書きながらも最終的にわたしは人を弁護したり人の笑顔をみたり人の幸せを祈ったり。また自らの幸せを望んだり社会の中の自分の位置を高めたり。したいんだと思う。人はそんな風に無意識の中の心地よさを続けることで社会に関わり合い人の役に立てたり人に感謝されたり。そしていつの間にかそれ自体が個性となっている。いまわたしはここで安らぎをもらいなにものにも縛られることなく心地よさを味わっている。だからありのままを書いているの。学ぶことが心地いいから勉強するの。Possess a robust individuality.
January 18, 2008

いま虚ろで 静かな心が目に見えない流れを受け容れているそういまを受け容れるのやすらかな心でゆったりくつろいでここにいる自分に意識を集めるすると自分のなかにある素朴な素質 本性が見えてくるそして目の前の静けさのなかに柔らかな強さが要ることに気づく急いで空回りしてはいけない静かな気持ちで丁寧にあるく丁寧に生きるCordial and courteous..
January 12, 2008

●新テロ対策特別措置法海上自衛隊によるインド洋での外国艦船への給油活動を再開する。 ●薬害肝炎救済特別措置法血液製剤の投与でC型肝炎ウイルスに感染した被害者を一律に救済。Dispatch of Self-Defense Force vessels to the Indian Ocean under the new special legislation enacted to combat terrorism.
January 11, 2008

●改正行政書士法省庁の行政処分前の聴聞や弁明で行政書士の代理意見陳述を可能に。Administrative scrivener.
January 10, 2008

昔、ある村に顔の醜い少女がいた。孤児で、家もなく、森の落葉の中にもぐり、橋の下に寝る。色は真黒、髪はボウボウ。着物はボロボロ、身体は泥だらけ。少女は、その醜さゆえに、「泥かぶら」と呼ばれていた。 子どもからは石を投げられ、唾を吐きかけられ、泥かぶらの心はますます荒み、 その顔はますます醜くなっていくばかり。「あたしはこれからどうしたらいいの…」 夕日を見ながら、悲しくなり考え込むのであった。*ある日のこと。泥かぶらがいつものように荒れ狂い、「美しくなりたい!」と叫んでいるところへ、旅の老法師が通りかかった。「これこれ、泥かぶらよ。 そんなにきれいになりたいと泣くのなら、その方法を教えてしんぜよう。」「3つある。 まず1つは、自分の醜さを恥じないこと。 2つ目は、いつもにっこりと笑っていなさい。 そして3つ目は、人の身になって思うことじゃ」*泥かぶらは、激しく心を動かされる。 というのも、それらは、今までの自分とは、まったく正反対の生き方だったからだ。「この3つを守れば村一番の美人になれる」法師の言葉を信じた泥かぶらは、その通りの生き方をしはじめる。しかし、急に態度の変わった泥かぶら見て、村人は不審に思うばかりか、嘲笑し、中傷するのであった。*ある時、事件が起こる。事の発端は、村一番の美人で一番お金持ちの庄屋の子、こずえ。彼女がどうしたことか、「助けて」と叫んで、泥かぶらのところに走って来たのである。こずえは、日頃から泥かぶらを嫌っていじめていた者の一人。何かわけがあるに違いない。すると、こずえの後ろから、父親の庄屋が鞭を持ってやって来た。庄屋は、命よりも大切にしていた茶器を割られたことで、怒り心頭に達していた。「泥かぶらが、割ったんだ」 父親の怒りを逃れるために、こずえは、日頃から評判の悪い泥かぶらに罪を着せていたのであった。*怒り狂ったような庄屋は、娘の言うことを信じて疑わない。泥かぶらを見つけると、容赦なく鞭で打って、折檻せっかんをし始める。泥かぶらは、すべてを悟り、黙ってその鞭むちを受けた。「人の身になって思うこと」法師の、あの言葉を思い出し、「助けて」と頼んだこずえの願いを聞き入れた。何度も何度も鞭で叩かれ、ひどい言葉を浴びせられながらも、泥かぶらはこずえを助けるために、最後まで耐え忍んだのであった。*「もうやめよう。お坊様がおっしゃった3つの言葉、 あんなことで私は良くなるとは思えない」泥かぶらが全身ボロボロになって、また丘の上の夕陽を見ながら泣いていた、その時だった。後ろからそっとやってきた人がいた。こずえだった。「助けてくれてありがとう。本当に悪い事をした。 これは私の宝物だから、あんたに、もらってほしい」そして、自分が一番大事にしていた櫛くしを差し出した。*この時、泥かぶらは自分が報いられたことを知った。生まれて初めての経験に、泥かぶらは声をふるわせながら、こずえに言う。「その櫛はいらないから、 その心だけでいいから・・・ どうかこれからあたしと、仲良くして・・・」こずえは泣きながらうなずいた。そして、泥かぶらの頭の泥を払い、櫛で髪の毛をすいてあげてかたわらの花を挿してあげるのであった。*それからである。泥かぶらの人生が好転してしていったのは・・・。村人たちの泥かぶらへの評価がどんどん良くなっていく。そうなればなおさら、泥かぶらはお坊さんの3つの言葉を、さらに実践する。喘息持ちの老人には山奥に入って薬草を取って持ってきたり、子供が泣いていたら慰めてあげたり、子守りをしてあげたり、人の嫌がることでもニコニコしながら次から次におこなった。すると、心も穏やかになっていき、あれほど醜かった表情が消えてなくなっていった。村人のために労をいとわずに働く泥かぶらは、次第に、村人にとってかけがえのない存在となっていったのである。*ところが、そんなある日、村に恐ろしい「人買い」がやってきた。人買いは借金のかたに、一人の娘を連れていこうとする。 泥かぶらと同じ年の親しい娘。「いやだ、いやだ」と泣き叫ぶ娘の姿を見ていた泥かぶらは、人買いの前に出て、自分を身代わりにしてくれと頼む。こうして、売られていく泥かぶらと人買いとの都への旅がはじまる。そんな時でも泥かぶらは、法師の3つの言葉を忘れなかった。・自分の顔を恥じない。・どんな時にもにっこり笑う。・常に相手の身になって考える。*だから、旅の途中、毎日毎日、何を見ても素晴らしい、何を食べても美味しいと喜ぶ。 どんな人に会っても、その人を楽しませようとする。「売られて行くというのに、 おまえはどうしてそんなに明るくしていられるのだ」不思議がる人買いに、泥かぶらは、自分の心にある美しく、楽しい思い出だけを、心から楽しそうに話して聞かせるのだった。そんな泥かぶらの姿に人買いは、激しく心を揺さぶられた。*親に捨てられ、家もない娘が不幸でなかったはずはない。それなのに、誰に対しても恨みごとを言わず、むしろ村人たちに感謝さえしている。そして、この自分に対しても、楽しい話ばかりして喜ばせようとしてくれている。それに引きかえ、それに引きかえ・・・ああ、自分のこれまでの生き様はなんだったのか・・・。*月の美しい夜だった。人買いは、泥かぶらに置き手紙を残してそっと姿を消した。 手紙にはこんな言葉が書かれていた。「私はなんとひどい仕事をしていたのだろう。 お前のおかげで、私の体の中にあった仏の心が目覚めた。 ありがとう。仏のように美しい子よ」泥かぶらはそのときはじめて、法師が自分に示してくれた、教えの意味を悟り、涙した。昭和27年の初演以来、国内外で7000回以上も上演されている名作・演劇「泥かぶら」 / とあるメルマガに感動して。・自分を恥じない。 ・人に笑顔で接する。 ・人の立場になって考える。*自分は変われる。しかも、いつでも変われるチャンスがある。にもかかわらず、その真実に気づかず、人生を惰性のまま、生きてしまってはいないか。自分を映す鏡を、正視する勇気をもっているだろうか。真正面から自分を見てくれていた声に気づき、真摯な態度で接していただろうか。いったい、自分はどうなりたいのか。そのコタエは、自分自身の気持ちひとつにかかっている。We see reflections of ourselves in other people.
January 9, 2008

「もう左耳が聞こえないんだ」浜崎あゆみが、以前から抱えていた左耳の突発性内耳障害が悪化し、左耳が完全に機能不全であることが6日、分かった。私は彼女の熱烈なファンとまではいかないけれど、彼女の生き方、歌に対する情熱に、感服していた。彼女の声を通じて、何かグッと響いてくるものがあったから。それは過去形ではなくて、今もこれからも変わらない。私はボーカリストであり続けたい。だから、残されたこの右耳がいけるところまで、限界まで、歌い続ける。*大音響の中でのライブを重ねる歌い手にとっては、ある意味、職業病のようでもある。しかし、もしもこの右耳が限界に達したとしたら。考えただけでも、涙がでる。それでも浜崎あゆみは、歌うんだ。それが、彼女の選んだ「道」だから。行き交う人ごみの喧騒も、波の音も、鳥の囀りも、人の声も、自分の歌声も、そして、愛する人の声さえも、聞こえなくなってしまったら、あなたはどうする?*私は、年末から耳の調子がおかしい。耳なりが絶えず、鳴り続いている。だから、まるで他人事とは思えなくて。自分のことに置き代えたとしても、今の彼女の心境を想うと、とても可哀相で、哀しくなる。胸が張り裂けそうだ。じぶんの今の幸せには、誰も気づかない。気づけないんだ。失ってみないと。彼女の限界って、どこまでだろう。どうか、生涯、彼女の右耳が聞こえていますように。どうか、彼女がずっと、元気でいられますように。Maybe I'm just happy and I don't know it.
January 7, 2008

ココロニカキトメテオキタクナルコトガイッパイアリマスヨウニ .Let's make this a good year.
January 1, 2008
全9件 (9件中 1-9件目)
1