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以前から自分の家を持ちたいと言っていた私のムスコから、とうとう先日住宅購入の契約をしてきたという報告があった。新たに造成される土地にこれから建設される建売住宅だ。当然そういう話を聞くとどんなところか見たくなる。ということで私の要らぬ血がにわかに騒ぎ出した。ムスコからは大まかな町名しか聞かされていない。で、早速地図を見てみると、当該の町名は結構広範囲にわたっている。ムスコから送られてきた不動産会社の資料には具体的な場所が記されていない。ドローンでの空撮映像もついているが、それだけでは何の手掛かりにもならない。ただその資料には近隣の環境に関する記述はあり、最寄りの小中学校までの距離は記されていた。そこでまず近隣の小学校と中学校を探した。そこからの距離を勘案するとおのずとエリアは絞られた。そしてそのあたりで、件のドローン映像に写った道の線形に近いところはないか、とあれこれと探ったら、なんとか確定することができた。Googleストリートビューで見ると確かにそのあたりは何もないところで、これから家が建つところに違いないということが確信できた。ただ見ている限り公共交通機関からはちょっと離れているような気がしたので、そのあたりを調べてみた。近隣のバス停を調べて、そこからターミナル駅への路線と時刻表を調べると、とりあえず某私鉄駅までは頻繁に本数が出ているということが分かった。とりあえず通勤にはさほど不便は無さそうだ。ただこの地域には鉄道の延伸計画があり、新しい駅ができればそこは歩いていける距離なので、そうなると利便性は格段に向上する。映像で見てみるとちょうどいい具合に自然が入り混じっている区画で、近くに大きな公園もあり、環境的には子育てにも何かと良さそうだ。そして不動産会社の資料に載っていた小中学校についても調べてみた。小学校までは600mとまずまずの距離だが、中学校までは歩いて2km弱とちょっと距離がある(もっともこれは公立中学校なので、ここに通うことは確定ではないが)。ちなみに小学校は10数年前にできたばかりのホヤホヤで、中学校にはOBに某有名俳優や某有名野球選手が名を連ねている。あたかも自分が住むかのような行為を見て、妻が一言、「アナタが住むんじゃないんだからね!」私がこんなことやってるとムスコ夫婦が知ったら、きっと引いちゃうだろうな(笑)
2025年11月26日
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先日の連休中、家でくつろいでいたら外から「○○く~ん、あ~そ~ぼ~」と、元気な声が。ウチの斜向かいに、小学生の子供のいるお宅があるので、そこに友達が訪ねてきたのだろう。その声を聴いて、何だかとても懐かしい気持ちになった。私も幼少のころ、友達がそうやって大声で呼びながら誘いに来たものだ。ちなみにわが実家はもちろん酒屋だが、店の正面からでも容赦なく叫んでいたものだ。ところが今日びはマンション住まいなども多いし、こういう光景はほとんど見掛けることはない。そんな気持ちもあって、私は傍らにいた妻に言った。私 「こういうのっていまどきは滅多にないよな~」妻 「ホント、そうね」何気ない会話ではあったが、実は後で答え合わせ(?)をした際、妻はまったく別のことを考えていたらしい。妻曰く、今の子供たちは塾やら習い事やらでスケジュールがいっぱいで、友達と遊ぶことすらも事前のアポが欠かせないとのこと。だからいきなりやって来て今から遊ぼうなどとは、普通あまり考えないだろう。そんなわけであの呼び掛け声は、そうそう有り得ないものだと思ったらしい。なるほど、結論は同じでも、思考経路はまるで違っていたわけだ。ちなみにわが子の場合は、こうやって友達が誘いに来ることはほとんどなかった。だから子供らにしてもこういうシチュエーションは異質な光景だろう、と思って聞いてみたら、「(クレヨン)しんちゃんがよくやってたよ」、と一蹴されてしまった。
2015年09月28日
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ウチの末娘は現在高校2年生だが、5月生まれなので今夏の参院選には選挙権がある。学校でもそれに関する話題もよく出ているようだ。そんな彼女が今気になっていることは、衆参同時選挙の可能性についてだ。どういうわけかと聞いてみると、こんな答えが返って来た。だって初めての選挙で、どういう観点で誰を選んだらいいか、考えるだけで大変なのに、それをふたつもいっぺんにやれって、なんだかすごく大変そう....。そんなこともあるので安倍総理には、衆院選はもうちょっと待ってもらいたいと思う(笑)
2016年03月07日
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ウチは(ほぼ)夫婦二人だけで店をやってる関係で、昼食と夕食はいつも交代で摂っている。いつも妻が先に済ませて、私の分を用意してから交代し、その後私が食べるというパターンだ。たいていは私の分が食卓に並べられているので、何も考えずにそのまま食べればよい。ただ時々、大学生のムスメが学校やバイトの都合で、私より遅いタイミングで食べる時がある。そんな時妻は、(メニューにもよるが)私と娘の二人分を置いておく。二人分といっても、それが別々の皿に盛り付けられていれば、特に問題はない。妻は時々ひとつの皿(あるいはフライパンにそのまま)にまとめてど~んと残しておくのだ。そして妻は、それが二人分(私+ムスメ)であることを、往々にして言い忘れる。あとは推して知るべしだ、私は残っている分全部が自分の分だと錯覚して、全部食べてしまう。以前のブログにも書いたが、私はそこに残っているものを全部食べようとする性質があるのだ。今日のおかずは何だか多いなあ、などと呑気に考えながら平らげた頃、ムスメが帰ってくる。「私のごはんは?」と聞くムスメに、いや特に聞いてないけど、と言いつつ、店番している妻に電話を掛け、ムスメの分のおかずはどこ?と聞くと......「アナタまさか全部食べちゃったの!?」ムスメよ、ゴメン.....。
2015年12月24日
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職場で「〇〇ちゃん」と名前を呼ばれたのはセクハラだとして、佐川急便の営業所に勤めていた40代女性が年上の元同僚の男性に約550万円の慰謝料を求めた訴訟の判決で、東京地裁は23日、「許容される限度を超えた違法なハラスメント」と認定し、22万円の支払いを命じた。(共同通信)とまあ、こんな記事が出ていた。ただよく読むとこの女性社員、件の男性上司の「ちゃん付け」だけでなく、「かわいい」とか「体形いいよね」といった言葉も受けているようなので、一概に「ちゃん付け」だけの問題ではないのだろう(個人的にはむしろ「かわいい」とか「体形いいよね」の方がずっと問題だと思う)が、とりあえず現状問題になっている形に沿って考えてみた。まずはそもそも「ちゃん付け」で呼ぶこと自体に問題があるかどうかだ。結論から言えば、個人的にはそのくらいの自由度はあってもいいと思っている。上司から見て明らかに「見下した」ような言い方(呼び捨てとか)は、それこそ「パワハラ」とされてもおかしくない要素を有しているだろうが、「ちゃん付け」はまだそんなレベルではないと思う。問題は状況とか言い方とかそういった付随する条件、そして個人差、ではないか。たとえばサラッとした言い方なのかねちっこい言い方なのか、一瞥して言うのかいやらしく見つめながら言うのか、そういった条件次第で受け取り方は全く異なる。あとは誰が言うか、イケメン若手上司と脂ぎった中年上司とでは、受ける感覚もまた違ってくる。そして受け手側の問題。中には堅苦しいのは嫌だからむしろ「ちゃん付け」で呼ばれたい、という女性もいるかもしれない。こうなると条件次第でいくらでも状況は変わってくる。これを十把一絡げに論じることに危うさを感じないでもない。ただ社会の趨勢は、「少しでも誰かが傷つく恐れがあれば未然に防がなければいけない」という流れになっているから、わずかでも危険性があれば「アウト」判定となってしまうんだろう。昨今の「○○ハラ」って、みんなそうやってできているのだ。でもそういう社会って、なんか息苦しくないか?何かを言われて嫌な思いをする人がいる。それは厳然たる事実だし、被害者の方はお気の毒だと思う。それならそういった恐れのある言葉は全て封印しましょう。それもひとつの方法だ。ただそれは言い換えれば「臭いものにフタ」、あるいは「事なかれ主義」とも言える。それは事を未然に防ぎはするかもしれないが、根本的な解決にはなっていない。逆にどんどんエスカレートする恐れもあり、最終的には職場でいうっかり口もきけないような状況になってしまいかねない。効率重視ならそういうのもアリかもしれないが、職場ってある程度の「潤い」は必要だと思うし、言葉がその大きな要素であるのは間違いない。今のこの「○○ハラ」の流れって、ある意味「言葉狩り」の様相を呈しているような気がする。まあこういった問題は「根本的解決」などどだい無理だろう。それならそれで「対症療法」に切替えてみるのも手ではないか。前にも言ったように「ちゃん付け」されたい人もされたくない人もいる、「ちゃん付け」で呼んでほしい人も呼んでほしくない人もいる、そう考えると、いやな人はそう思った時点で「やめてください」と拒否する。拒否された人は今後やめなければいけない。確かにそう言いづらい職場的な雰囲気があったり、言った相手の上司に怨恨が残ったりといった要素も考えられるから、事はそう簡単ではないだろう。でも何でもかんでも十把一絡げにして「アウト」認定してしまうよりも、臨機応変に対応していく方がベターだろう。例えは適切ではないかもしれないが、青少年のバイク事故を無くすためにはバイクを禁止するよりも正しいバイクの乗り方を教育する方がいい、ということをよく聞く。これと同じ考え方で、アウトと思しき言葉を片っ端から排除していくのではなく、言葉が適切に使われていない状況でそれに異を唱えられる環境づくり、そしてそれに起因するパワハラなどを監視する社内的機関の整備、等々こういったところから手を付けていった方がいいように思う。とかく「○○ハラ」というのは、それが該当しないような環境下でも言葉だけが独り歩きしかねない。そういう流れがある意味社会の閉塞感を助長していると感じるのは考え過ぎだろうか?
2025年10月28日
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