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現在世界野球「プレミア12」が開催されているが、TBS系列でのその中継を見ていると、画面上に様々な野球用語の解説が掲載される。専門的な「申告敬遠」「ピッチクロック」とか、変化球の種類である「ツーシーム」「スプリット」などはともかくとして、ごく基本的な「送りバント」「犠牲フライ」とか、日頃何となく使っている「引っ張る」「逆方向」みたいなワードまで、事細かに解説している。とりあえずこれを見て感じるのは、こんな当たり前の用語まで解説されなければいけないのか、ということと、ひいては野球が一般的に身近なスポーツではなくなってきたのだな、ということである。そういえば私のムスメが中学生だった時の話。体育の授業でソフトボールをやる機会があったそうだ。ところがいざフタを開けてみると、女子はともかく男子でもルールを知っている者があまりにも少なかったそうだ。私のムスメはソフトボール部だったから、何人もの男子に対してルールの説明をしたそうだ。私ら世代の子供の頃は、男の子は野球のルールくらいは知ってて当たり前、という感じだったから、隔世の感がある。もっとも我々世代の子供の頃と今とでは、環境があまりにも違い過ぎるから仕方がない。私たちが子供だった70年代は、ゴールデンタイムには当たり前のようにナイター中継があって、子供が野球に親しむ機会も多かった。その延長で公園や校庭で見様見真似で野球のまねごとをやっていた。だから全く違う状況下での比較をすること自体、無理がある。とはいえ、今の子にも野球に親しんでもらいたい、とは思う。スポーツの多様化によって、サッカーをはじめとするほかのスポーツにパイを奪われている現実もあるだろうが、「野球って本当に面白いスポーツだ」ということを分かってほしいと思う。ただその一方で他の球技に比べてルールが複雑だという点は否めない。たぶん何のスポーツのことも知らない人種にイチからルールを教えようと思ったら、サッカーやバレーボールなどに比べるとかなり骨が折れることだろう。他の球技と野球との決定的な相違点。それは「点の入り方」だろう。サッカーをはじめとするほとんどの球技は、「あるエリアにボールが入る、もしくは通過する」ことにより点が入るというシンプルなものだが、野球はボールがどこに飛ぼうが入ろうが関係なく、あくまでも「プレイヤーがホームベースに還る」ことで得点となる。複雑だがそれだけにゲーム性は格段に飛躍する。ややこしくてとっつきにくいかもしれないが、そんなところを堪能してもらえばきっと好きになってもらえると思うのだが。
2024年11月22日
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私が考える国会の、最も理想的でプリミティブな形態はこうだ。各選挙区から選出された国会議員が一堂に会する。政党は無し、としよう。首班指名選挙で選ばれた首相が組閣をする。政党は無いから適材適所で任命する。国会が始まったらひとつひとつの法案に関して、議員各々の立場で議論する。もちろん質問通告など無い、丁々発止の議論だ。そして採決の際には、政党は無いわけだから党議拘束もない。議員各々で判断する。つまりすべてが「是々非々」ということになる。もちろん現状を鑑みれば、こんなことは夢物語でしかないだろう。しかし与党が過半数を取っていればなんでもフリーパスで決まってしまう、という状況も決して健全ではない。政権交代というのも今の日本では現実的になかなか厳しい...そんな中での今回の衆院選だ。期せずして国民民主党がキャスティングボードを握る状況が訪れた。別に私は彼の党の支持者ではないが、国会に「是々非々」を持ち込む存在としてうまく立ち回ってくれれば、という期待はしている。そんな状況はここ数年なかったことで、それだけで国会に緊張が走ることにも期待するからだ。もちろん多くの人が危惧しているような、「そのまま与党入り」という展開にならなければ、の話だが。ところでここへきて国民民主党の党首の不倫問題がクローズアップされている。もとより私は政治家のみならず、芸能人、知識人、その他の著名人の不倫が、すべからく社会的制裁を受けることを残念に思っている。もちろん私自身、不倫を肯定するわけではないが、これはあくまで当事者間の問題であって、部外者がどうこう言う問題ではないと思っている。だから国家の行く末に関わる局面で不倫ごときの些末な問題が足を引っ張り、党自体が沈んでいくことにでもなれば、それは適切だとは思えない。個人にペナルティが与えられるだけで充分である。
2024年11月13日
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ドナルド・トランプが大統領選で勝利を確実なものとした。前回(2016年)の時もそうだったが、私の周りではどちらかといえば否定的な声が大きい。「なんであんな奴が...」といったところだ。これはおそらく私の周りだけが特別なのではなく、日本全土見回しても同じような状況だと思われる。そう、日本人は(皆が皆とは言わないが)トランプが(たぶん)好きではないのだ。しかしアメリカ人はトランプを選んだ。選挙制度のあやというのもあるかもしれないが、とにかく彼の国の民意だから外野がとやかく言うことではない。しかしこれが日本の選挙だったらまずトランプは当選しないだろう、という予測は立つ。では日本とアメリカは何がどう違うのか? 気になったのでいろいろ考えてみた。①共和党の支持基盤の強固さトランプが好きだろうが嫌いだろうが、そんなことはどうでもいい、とにかく共和党しか支持しない、という岩盤層が一定数いるということ。日本でも同じように(誰が総裁でも)とにかく自民党に入れる、という人は多いだろう。②それはそれ、これはこれなんだかんだと悪評高い人でも、自分が一番何とかしてほしいと思っている課題を解決してくれる人が自分にとって最優先である、という人が多いのだろう。③道徳意識の違いあまり声高に言うと「民度」とかいう謎のワードで断罪されかねないのでちょっと気が引けるが、日本人は道徳的にダメとの烙印を押された人は社会的に抹殺されかねないのに対し、アメリカ人の方が寛容なのかもしれない。まあこれは②とも関連することだろう。④自国主義の強さ世界のことなどどうでもいい、とにかくアメリカだけでもなんとかしてくれ、という人が多いのだろう。もっともこれは責められるべきものではない。世界的視点で忖度することが自らの生活に優先すると思うのは自然ではない。まあ所詮他国のリーダー選びだから、と言ってしまえばそれまでだが、これがことアメリカだけに日本に及ぶ影響も少なくない。ここはひとつ冷静に今後の動向を見守りたいと思う。
2024年11月06日
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現在横浜DeNAベイスターズと福岡ソフトバンクホークスの間で日本シリーズが行われている。私は「アンチ巨人」なのだが、それでも日本シリーズにはリーグ優勝したジャイアンツが出るべきだったと、今でも思っている。そこんとこだけは決してブレない。
2024年10月30日
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かつてウチの店を袖にしたとある飲食チェーンが、このところ不祥事続きでネットでぶっ叩かれているのをみて、思わず「ざまあみやがれ」とほくそ笑んでいる。すみません、所詮私は心の狭い人間です。
2024年10月24日
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先日NHK総合テレビで『おいしいトコどり! 朝ドラ名場面スペシャル』という特番が放映されていた。朝の連続テレビ小説の数多の作品の中で、特に「食」にフォーカスした作品の名場面をいろいろ集めて、スタジオの出演者で盛り上げていこうという趣向の番組だ。NHKの朝ドラの中で「食」にクローズアップしたものはいろいろあれど、私個人的に最も印象深かったのは2013年の『ごちそうさん』だ。フードスタイリストとして活躍目覚ましい飯島奈美さんが全面的にかかわったこの作品は、全編を通して「食」への愛にあふれた、素晴らしい作品だった。おそらく他の視聴者の方の多くも、同じ期待をしていたことだろう。ところが、というか、やっぱり、という感じで、この作品はカケラも登場しなかった。理由は言うまでもない。この作品の主演の杏の夫役にして、その後リアルでも夫婦になった東出昌大が不倫騒動を起こし杏とも離婚し、世間から総スカンを食らったからだ。コンプライアンスに敏感はNHKとしては、彼の出ているドラマを流すのはさすがに憚られるだろう。なんせ準主役だけに、カットのしようがない。しかしながらそんなしょうもない理由で(一般論として)「名作」と誉れ高い作品がお蔵入りになっていいモノなのか?NHKとしてはこの作品を放映することで、過敏な視聴者からクレームが来ることを恐れているのだろう。それは分からないでもないが、それと同程度、いやもしかするとそれ以上にこの作品を観たいという声は多いかもしれない。そういう声は無視されてもいいのか?これが例えば傷害・殺人事件のような、社会的な衝撃が大きい事件ならハナシは別だと思うが、たかだか不倫ではないか(不倫を正当化するわけではありません)。テレビの向こうの視聴者としてはいい気はしないだろうが、少なくとも迷惑は被っていないはず。不倫を毛嫌いする人たちが「観たい」と思う人たちの権利まで奪う道理があるはずはない、と思うのだが。
2024年10月10日
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新幹線のスマートEX、もうすっかり定着していて、私の子供らもそれぞれ関東に住んでいる(or住んでいた)こともあり日常的に使用している。なので存在自体は知っていたものの、私自身めったに新幹線に乗る機会もないので、今までまったく縁のないものだと思っていた。しかし便利なものならとりあえず試してみようということで、先日初めて登録してみた。そして先日、たまたま妻と一緒に関東方面に出かける機会があったので、早速出番が来た。乗るべき列車の予約もスイスイとスムーズに進んでいって、後は当日改札を通るのみとなった。そして当日、なにがしかの不安に苛まれながらもICカードで新幹線改札を通ろうとしたら....まさかのエラー!とりあえず近くにいた駅員に状況を説明し、彼の言うままにスマホのスマートEXアプリを動かそうとするも....まさかのログイン失敗!乗るべき新幹線の発車まであと数分....という状況で焦りまくっている中、なんとかFaceIDでログインすることができ、駅員の言うままにアプリを操作していったら、エラーの原因が分かった。紐付けするべきICカードの登録をアプリ自体にはしていたものの、実は利用する列車ごとにしなくてはいけないとのことだったのだ。なんとかその場で紐付け作業を終わらせ、発車1分前にようやくホームに上がることができた。利用するたびに紐付けしないといけない、ということを知らなかったのは確かに私の責任だが、そのような記述を見たような気もしなかったし、同じようなケースで列車に乗れなかったという人もそれなりにいそうな気がする。そんな時に救済措置などあればとも思うが、そういうわけにもいくまい。つくづくITとは自己責任の世界だなと思った次第。
2024年10月03日
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私はどうも昔から新幹線があまり好きではない。特に急ぐ必要のない時以外は、あまり利用する気になれない。自分でもそのモヤモヤした気持ちの正体がよく分からないままでいたのだが、先日新幹線に乗った時に「そうか!これか!」と図らずもそれが解明した。新幹線って、圧倒的に窓が小さいのだ。普通の車両だと(ロングシートは除外するとして)、一般的に2列分にひとつの窓が宛がわれているが、新幹線は1列にひとつなので、相対的に窓が小さくならざるを得ない。当然視界も狭まる。とにかく列車に乗ったら外の眺望を楽しみたい私にとって、窓の小ささはストレスにつながる。よって私は新幹線が苦手なのだ。あれはただ移動するだけの道具と割り切った方がいいシロモノだと思う。
2024年09月27日
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このところ自民党の総裁選挙や立憲民主党の代表選挙がメディアで盛り上がってきている。ただなんでどの社もそこまで懸命に報道しようとするのかよく分からない。どんなに盛り上げたところで、我々有権者には全くどうすることもできないことなのだが....
2024年09月10日
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またまた高校野球ネタで恐縮だが...近年の未曽有の酷暑を鑑みて、ここ数年の甲子園大会では様々な施策が行われている。準々決勝以降で日程を空けるべく休養日を設けるとか、延長戦にタイブレークを導入するするとか、5回終了時に10分間のクーリングタイムを設けるとか、午前と夕方の2部制にして気温ピークの時間帯の試合を避けるとか(3日間だけだったが)...どれも一定の効果を上げているとは思うし、否定されるべきものではないと思う。また他にもドーム球場を使用するなどの案も出てきている。ただいずれも小手先の施策であって、本質はそこではないとも言いたい。私は甲子園大会よりもむしろ地方大会の方が好きで、テレビでもよく観戦している。そこでよく目にする光景は、選手が足をつるなど熱中症と思しき症状に見舞われるシーンだ。そしてそのたびに試合は中断する。場合によっては結構長時間になったりするが、これは甲子園大会だけ見ていてはお目にかかれない光景だ。もちろん地方大会においても暑さ対策としては様々な施策がとられているとは思うが、それでもこういった現実があるとすれば、これはもう「この時期に野球大会をやるべきではない」ということなのではないだろうか。甲子園に出場する球児よりも地方大会で散る球児の方がはるかに多い。しかし今は甲子園に出場する49×20=980人だけにスポットを当てた論議だけがなされているような気がしてならない。
2024年08月29日
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今年も夏の甲子園大会が行われている。開会式もテレビで観ていたが、直後の試合に出場する2チームを最後に入場させるなど新しい施策が見られたのが興味深かった。ただそんな中で毎年のように引っかかっていることが相変わらずであった。選手宣誓である。いつのころからか、選手宣誓は「宣誓」ではなく「スピーチ」になってしまったと感じる。別にどうでもいいじゃないか、と言われそうだが、物事の本質を踏み外してしまうことは「教育の場」としては看過できないことではないだろうか。ましてや今年は「大会会長挨拶」「文部科学大臣祝辞」などよりもはるかに長い2分40秒にも及んだと聞く。話を簡潔にまとめさせることも国語教育の重要な要素だろう。誤解のないように言っておきたいが、私は選手宣誓を行った選手個人を貶めるつもりは毛頭ない。むしろあれだけの大観衆の中で一言一句間違いなく話すことのプレッシャーはハンパないだろうし、それを考えたら称賛に価すると思う。要は方向性の問題で、これは誰の責任でもない。選手宣誓といえば、定型フレーズがある。「宣誓!私たち選手一同はスポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います!」昔のことはよく覚えてないが、かつてはずっとこんな感じだったと思う。それがいつのころからか、せっかくやるなら「独自色」を出したい、という流れが出てきた。その流れの中でたとえば英語を織り交ぜたりといった試みもあったと記憶している。そのうち宣誓フレーズに「感謝」といったワードが出始める。「家族や周りの人々」や「野球をやらせてもらえる環境」に感謝する宣誓が増えてきた。この流れを加速させたのが「阪神淡路」や「東日本」といった大震災だろう。野球をやりたくてもやれない球児の話を聞くにつけ、自分の境遇が如何に恵まれているかということを痛感するのだろう。さらに選手宣誓する選手はよりオリジナリティを求めだす。少なくとも昨年のものを上回りたい、くらいのことはみんな考えるだろうし、結果としていろんな要素をあれもこれもと詰め込んで、より長くなっていく。さらにこれは肝心なことだが、選手宣誓については皆が100%素晴らしいと称賛する。ケチをつける人はいない。だからこの流れで間違いないとみんな信じてしまうから、その結果さらに「スピーチ化」はエスカレートする。もっとも私自身は違和感を持つにせよ、聞いている人が皆これでいいと思うなら、私がとやかく言うことはない。ただこの流れはたぶん止まらないから、来年以降もエスカレートするだろう。臨界点を超えたところで、今まで称賛しかしてこなかった高校野球ファンやスポーツマスコミが止めることができるのだろうか?さらに言えば気になるところがもうひとつ。今回の宣誓でも触れられていたが、「自分たちのプレイが見ている人たちを元気づけたり夢を与えられるものでありたい」といった内容に言及することが多い点だ。これは宣誓のみならず、普段の選手へのインタビューでも頻繁に聞かれる。内容的に問題があるわけではないが、なんでそんなところまで選手が背負わなきゃいけないのか。これはマスコミの取り上げ方にも原因があるのかもしれない。選手達はみんな高校生、子どもだ(いま18歳で成人だが、それはそれ)。しかもスポーツは基本的に自己実現のためにやるものだ。世間のあれこれを背負う必要などない。ところがマスコミがいたずらに高校野球を美化するものだから、選手の側に変な義務感が芽生えてしまっているしか思えない。もっとも当の選手たちはもっとあっけらかんとしているのかもしれないが、それはそれで表の顔と裏の顔をとの使い分けが巧みだということだろう。いずれにしても選手達には他の誰かのためではなく「自分自身のため」に精一杯のプレイをしてもらいたいと願う。
2024年08月10日
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毎年この時期になると、広島・長崎原爆投下の日や終戦記念日がある関係で、戦争の是非を問う論争があっちこっちで巻き起こる。いや、「戦争の是非」と言ってしまうとちょっと語弊があるな。誰も好き好んで自分から戦争を仕掛けたりはしないだろうから。言い換えれば「自衛のための軍備は充実させておかなければいけない」とか「平和維持のために他国の軍隊と共同歩調を取らなければいけない」といった思想と、「とにかく戦争はいけない」という思想、このふたつだと言ったらいいか。このふたつの思想はまったく相容れない、いわば「水と油」のような関係かもしれない。というのも前者は地政学的観点から衝突を回避する方法を探っており、後者はとにかく戦闘現場のリアルを頭に描きつつ人道的に戦闘行為を否定しているからだ。言い換えれば前者が「マクロ的見地」で後者が「ミクロ的見地」だといえるだろう。視点が違うから議論をしても全くかみ合うこともないし、妥協点を見出すということもできそうにない。そんな中で、私は基本的に「戦争には反対」の立場をとる。「マクロ的見地」も論理的には理解できないわけではないし、自分がそれを否定するだけの根拠も乏しい。ただ基本的に「マクロ的見地」に立つ人(為政者もこれに当たることが多いかと思う)は「ミクロ的見地」に立つことはそうそうないんじゃないだろうか。言ってみれば総理大臣が戦場に赴くようなものだから。そうである以上、「マクロ的見地」の説得力は相対的に乏しくなる、と感じざるを得ない。時に“脊髄反射”と揶揄されることも多い「ミクロ的見地」だが、それを軽視すると一気にタガが外れてしまうように思えてならない。
2024年08月06日
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私は生来の花粉症持ちだが、花粉の時期以外にも時々発作のようにくしゃみと鼻水が連発することがあり、悩まされている。ただその状況は花粉症の時のそれとは全く異なる。花粉症の時はまず鼻詰まりが起こり、粘り気のある鼻水が出てくるのだが、今くらいの(ある意味シーズンオフ)時期に出てくる鼻水は、あたかも水のようにサラサラで、意識しているいないとは無関係にタラタラと流れてくるのである。実はそういった症状が出る時には、少々思い当たる節がある。例えば前夜、テレビを見ながら寝落ちした、とかいう時だ。カラダが冷えて風邪っぽい症状にでもなったかな、という状況だ。しかしここ最近そういった「寝落ち」をした記憶はなく、あれこれ考えた結果、風呂上りにカラダが冷えるのではないか、という結論に達した。私は昔から汗っかきで、その上なかなか汗が引かない体質だ。だから特に夏場、風呂から上がってカラダをよく拭いても、後から後から汗が噴き出してくる。そんな状態でTシャツなど着てもびしょびしょになるだけだから、汗が引くまで結構長時間、上半身は裸でエアコンの効いた部屋にいることが多い。きっとそれが良くないのだろう。そう思って先日から、どんなに汗をかこうとも風呂から上がってすぐにTシャツを着るようにした。不快感は致し方ないが、それが良かったのだろう、それ以来発作は起こっていない。汗をかくのは体の表面の体温調節のためであると認識している。ただ体質的にそのあたりを司る自律神経がうまく機能していないのかもしれない。年齢によるものなのかどうかわからないが、自分でコントロールできない部分というのはやっかいなものだ。
2024年07月26日
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先日テレビを見ていたら、宅配の再配達をなくすための手立てとして、現在様々な方法が考案されているということがレポートされていた。いわゆる「置き配」を推奨すべく周りの状況を整える、といった様々な施策が考えられているのだが、それは最新AI技術も駆使した画期的なものだ。宅配業界全体を考えれば歓迎すべきことだと思う。翻ってウチの店、宅配はやっている。ただ酒屋の宅配といえば伝統的に「自店の商品を顧客に配達するもの」(とうに廃れかかってはいるが)だが、ここではその宅配ではなく、ギフトなどの宅配について言う。例えばある顧客から中元・歳暮のまとまった受注をすることがある。その届け先が遠方ならば否応なく宅配便を使うが、近隣ならば自分でクルマを走らせて配達する。その方が格段に安上がりだからだ。そういういきさつで我々は、顧客以外の見知らぬ方のお宅にも商品を配達する機会が生じるのである。さて冒頭で話題にした宅配における様々な新しい施策、これらはある意味、大手だからできることだと思う。卑屈にはなりたくないが、技術的に我々レベルでは到底真似はできない。最低限、自前の「不在表」は作ってあって、それに連絡先を書いてあるので、あとは不在者からの連絡を待つ、というだけのレベルだ。中には不在表を入れたにもかかわらず、まったく連絡をよこさない人もいる。あまり長期にわたって連絡が無いので業を煮やして再訪問したら、「あ、そういえば不在表はいってたっけ」と、あっけらかんと言われたことも一度や二度ではない。こういうのは本当に腹が立つ。こんな時思うことは、昨今大手の宅配便業者以外の見知らぬ業者がいきなり配達にくるということがそもそも少なく、そういうのがかえって訝しく感じられているのではないか、ということだ。実際に訪問先の方の表情からそれを読み取ることも無いではないし、逆に私が受け取る立場だったらそう感じているかもしれない。事実ウチに(プライベートの)配達に来るのは今や100%大手宅配業者だからだ。もしそうなら我々は、(ギフト需要での)個人宅の宅配から退場せざるを得ない時期に来ているのかもしれない。自らクルマを走らせて数分で行けるところでも宅配便を使うことになってしまうのは、いかにももったいないが...。
2024年07月10日
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ラストの展開がともかく強烈だった。それが何を意味するのか、どういうことを言いたいのか、いまだに自分なりの解釈が得られていない。いや、その考えさせる余地をあえて残したかった、というのも監督の意図なのだろう。ともかく、この意味深なタイトルも含め、久々に考えさせられる作品だった。https://aku.incline.life/
2024年07月05日
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ここでは卸店経由で流通する商品について書くが、先日の投稿にも書いたように、この業界では何かしら「品薄なモノ」が発生することが多い。「リターナブル瓶飲料」の他では、最近なら「国産ウィスキー」がその筆頭に上がるだろうが、時と場合によってそのほかにもいろいろある。我々がそういうものを卸店に発注すると、「当該商品は現在品切れ中です」という返事が返ってくる(ほとんどはFAX)。で、結果的にいつまで経ってもなかなか入ってこない。直に担当者にコンタクトを取って問い詰めても、メーカーからいつ入ってくるか分からない、入ってきてもごく少量なので上手く行き渡らせられるかどうかわからない、ということになる。つまりはこういうことだ。ある「A」という商品が何らかの事情で供給不足になったとする。そうするとその「A」を生産しているメーカーは、需給バランスの崩れてしまった中で、何らかのさじ加減が求められることとなる。例えば「100」の出荷能力に対して、問屋から合計「500」の注文が舞い込んだとしよう。仮にそれが5軒の問屋からの注文だとしたら、果たして均等に「100」ずつ分けて出荷するだろうか?もちろん答えは「否」。5軒の問屋というのはメーカーから見て決してイーブンではなく、過去の実績や貢献度によって序列化されているからだ。この際によく用いられるのが「実績比」。つまり出荷可能な「100」を5軒の問屋の過去の実績比で按分して出荷する、というのがまあスタンダードだと思われる。そしてその問屋の次には小売店がある。問屋から小売店への流通に際しても同じ論理が適用される。つまりほとんどが「実績比」で出荷量が按分されるということだ。その結果、ある商品が品薄状態にあっても、各小売店が仕入れられる量は平等ではないという現実が起こってくる。やっかいなのは例えばウチの卸先の飲食店に、他に複数の酒販店が入り込んでいる場合だ。ウチが「全く入ってこないんです」と言っている商品が別の店にはある、ということが往々にして起こる。そうなると飲食店は上記の流通事情などあずかり知らないから、ウチの店の態度に疑念を抱くか、ウチの店よりも他の店を優位に見る、ということが起こってくる。そして最悪の場合は、メイン納入がひっくり返ってしまうということも皆無ではない。そういう状況に際して、酒販店ももっと多くの問屋にオファーを掛ければいいのではないか、というご意見もある。ごもっともなことではあるが、そんなことはみんなとうにやっていて、問屋としても今まで「A」という商品の販売実績が無かった小売店から注文があっても、まず「実績なし」ということで無視されてしまう。そういうわけで、こと「〇〇が品薄だ!」ということが起こると、そのたびに胃の痛い想いをすることになるのだ。
2024年07月03日
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最近わが業界で悩ましい問題のひとつに、「リターナブルびん飲料」の品薄ということがある。「リターナブルびん飲料」というとなんだかいかめしいイメージがあるが、要は主に飲食店などで供される、200mlくらいのコーラ・オレンジジュース・ジンジャエールなどの瓶だ。これが今決定的に不足している。これには原因があって、各方面からの情報を総合するとこんな感じだ。もともとリターナブルびんを製造するメーカーというのは少なく、その中のある大手メーカーが廃業したことに端を発する。そのしわ寄せが業界全体に波及し、すぐに供給不足に陥った、ということだ(あくまで伝聞)。ただこれとは別に、この6月から各メーカーがびん入り飲料の値上げを敢行した。しかもその上げ幅はハンパではなかった。需給バランスの完全に崩れたびん業界が、飲料メーカーに法外な値上げを要求したのかもしれない(あくまで仮説)。ただ飲料メーカーも考えようによっては、「リターナブルびん飲料」をやめたがっているのかもしれない(あくまで予測)。メーカーにとっても瓶の回収・洗ビン・再商品化というのは結構手間の掛かることだからだ。確かに今の時節、「環境にやさしい」というのはメーカー的には何かとメリットもあるかもしれないが、採算が取れなければ元も子もない。みんな瓶からペットに移行してくれれば願ったり叶ったりなんだろう。ここで卸先の飲食店の反応も二つに分かれる。リターナブルびんに見切りをつけて、同じ商品のペットボトルに移行するか、あくまでもリターナブルびんにこだわるか。大きな会場で大量に出すところはペットボトルに移行したところが多いし、小さい店はリターナブルびんにこだわる。要はお客の目の前に瓶のまま出すか否かで分かれるのだ。ちょっと前にはネットなどでも「びんのコーラが飲めなくなるかも!?」みたいな声が錯綜していたが、本当にリターナブルびん飲料は今、曲がり角に来ていると痛切に思う。
2024年06月19日
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鉄道駅の発車メロディー(だいたい都会の駅)に、その土地にゆかりのある人の楽曲が用いられることが、ときどきニュースとして取り上げられる。たいていは好意的なニュースとして報じられるが、私はあまり興味がない。というよりも、ただでさえ騒々しい駅の構内で、さらに音を追加してどうするんだ、という気になってしまう。とはいうものの、好意的に聞いているものも無いではない。近鉄名古屋駅で、特急列車が発車するときに流れるのが『ドナウ川のさざ波』という曲なのだが、これが昔から何となくしっくりとくるように感じているのだ。ルーマニアの作曲家ヨシフ・イヴァノヴィチが1880年に作曲したワルツなのだが、なぜこの曲が近鉄特急と結びつくのか、今もってさっぱり解っていない(笑)
2024年06月12日
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先日のブログで、大河ドラマに触発されて『源氏物語』を読んでみようという気になったということを書いた。そしてそこで書いたように、角田光代さんの訳による作品を購入した。もっとも購入したといっても文庫で全8巻ある中の第1巻のみだが。なるほど、これは確かに読みやすい。とはいえ他の訳者の作品を読んでないのであまりいい加減なことは言えないが、難しい言い回しもないし、何より話し言葉が現代の感覚に非常に近いので、親近感がわくのだ。大河ドラマ『光る君へ』を欠かさず観ているだけに、ここで描かれている風景や風俗も(イコールではないにせよ)何となくリアリティを持って頭に浮かんでくるようだ。そんなこんなで第1巻を読み終えたが、第2巻は購入していない。というか、ここで一旦終わりにしようと思っている。長きにわたって読み継がれてきた作品だけあって、確かにそれなりの面白さはある。ただこれを最後まで読み通す時間を他の用途との秤にかけた場合、私にとってはここで止めるのがベター、という結論が出たまでだ。日頃まとまった読書時間が取れない私にとって、読書はスキマ時間の積み重ねである。そのため第1巻も読み通すのに1か月弱かかった。で、このペースであと7巻読み通そうと思うと年内いっぱいかかる計算になる。そう考えた時、他に読みたい本もゴマンとあるし、さすがにそこまで付き合いきれない、と思った。第2巻以降、展開がどうなるのか分からないから何とも言えないが、少なくとも第1巻で描かれる光源氏にはほとんど共感する余地がなかった、ということもある。様々趣深い場面は多々あったものの、少なくとも主人公として“恵まれ過ぎた境遇”にいるというのがどうしても引っかかったのだ。もっとも決して見限ったわけではない。私の心と時間に余裕ができた時にはいつでも、第2巻から再開する用意はできている。ただ今は『源氏物語』のサワリに触れただけで良しとしよう、そういうことにしておく。
2024年06月05日
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最近になって思うのだが、「勉強」って何だろう?この歳になって私が出した結論は、「知らないことを知ろうとすること」ということだ。私は勉強が嫌いではない。むしろ好きだ。こういうことを書くと、いかにも優等生っぽい印象を抱かれてしまうかもしれない。ただ私も、中・高での勉強は好きではなかった。今思えば、あれは「勉強」ではなく、「訓練」だったんじゃないかと思う。とにかくまずは「受験」ありきで、受験で成功を収めるための「訓練」....そんなもの、誰も好きになれるわけがない。翻って今やっている「勉強」とは、ひとつには仕事上どうしても知っておかなければならないことについて調べたりすること、もうひとつには趣味的に興味があることについて深く知ろうとすること。つまり「やらされるもの」ではなく、「やりたいこと」なのだ。でも本来「勉強」ってそういうもんだろうとも思う。ちなみに私は仕事柄、どうしても「酒」に関する勉強は欠かせないから、それなりに時間を費やして勉強する。そしてそれ以外に今熱を入れているのが「世界史」だ。実は私は学生時代日本史が好きだった半面、世界史は大嫌いだった。「なんちゃら何世」みたいな似たような名前が頻出して頭がこんがらがるし、とにかくエリアが広大なのでそれだけで辟易してしまっていたのだ。ただ今は仕事柄ワインやウィスキーに携わっている中で、否応なくヨーロッパの歴史に触れる機会は出てくる。またクラシック音楽も好きなので、興味を持って掘り下げていくと必然的に世界史とぶつかってくる。そしてクイズをやっているともちろん、世界史がらみの問題なんてのはしょっちゅう出てくる。そういった視点で見ていくと、世界史ってとても魅力的に見えるのだ。自分が知りたいことを知ろうとする、自分が好きなことを掘り下げて学ぶ....こういった人間の欲望を満たすものとして存在するのが「勉強」であって、それが「嫌い」という人がいれば、乱暴な言い方をすれば、それはもはや人間として終わっているも同然かと思う。学校教育のことに言及するといろいろと厄介なことになりそうなのでここでは差し控えるが、少なくとも中・高で「勉強」というものが嫌いになった人に、広義の「勉強」まで否定するようになってほしくは無いと思う。
2024年05月22日
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今年のNHK大河ドラマ『光る君へ』に触発されたわけでもないが、以前から機会があれば読んでみたいと思っていた『源氏物語』を、あらためて読んでみようという気になった。さしあたっていろいろ調べてみると、これまでに様々な方が訳を手掛けているようだが、直近では角田光代さんの翻訳が非常に好評のようだ。というわけで全巻大人買い....と思ったら文庫本としてはまだ全巻揃っていないらしい。とりあえず出てる分だけ揃えて、あとは出次第揃えていくか....
2024年05月01日
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だいぶ前から引っ掛かっていたことがあった。福井県というのは、いわゆる「嶺北・嶺南」で地方分けされるが、旧・若狭国である嶺南地方は明らかに近畿圏であるにもかかわらず、福井県というくくりのために北陸地方に入れられてしまっている。また「京都府」は、旧国でいうところの「山城・丹波・丹後」が一緒くたになっているが、仮にも「府」を名乗る京都がそんな縁の薄そうな地域をくっつけたままでいいのだろうか?そういった疑問から、それならいっそそれらの日本海側の地域をまとめてひとつの県にしたらどうか、という発想に思い至った。新しい県をひとつつくるのだ。もっともここから先はまったくの部外者の勝手な妄想なので、ツッコミなどはご遠慮願いたいし、当該地域にお住まいの方にはただのシャレとしてスルーしていただければと思う。とりあえず対象とするのは、福井県嶺南地方と京都府丹後・丹波地方。ただここまで来たら兵庫県の日本海側も含めたい。もっとも「丹波」というのも結構広範囲で、南は亀岡や篠山あたりから北は綾部や福知山に及ぶ。私の想定する県には綾部と福知山は入っているが、亀岡や篠山あたりはどうしても南とのつながりが濃く、入れるにはちょっと抵抗がある。そういうわけで大まかにその真ん中あたりに境界ラインを設定することとする。具体的には京都府の場合、綾部市と福知山市以北を対象とする。兵庫県はちょっと微妙だが、「分水嶺」という考えに則れば、朝来市・養父市以北が対象になろう。あともちろん福井県は敦賀市以西でよい。そうした場合、現行の「市」でいうならば、敦賀・小浜・舞鶴・綾部・福知山・宮津・京丹後・朝来・養父・豊岡の10市が対象となる。ひとつの県としてはそこそこの数かと思う。県域は確定したが、県庁所在地はどこに置くか。とりあえず当該市の中で最も人口の多いのは舞鶴市だ。現在の人口こそ76,000人ほどで、とても県庁所在地の人口には物足りない気はするが、地域的なバランスに加え、戦中戦後に日本海側の玄関口としてそれなりの役割を果たしたことを評価したいということで、ここに決めたい。さあ、ここまでくると次は県名だ。翻って見てみると、現在の全国の「県名」には基本的に「旧国名」は使われていないから、「若狭」「丹波」「丹後」「但馬」といった名称はまず使えない。現在の都道府県の名前は「県庁所在地名」か、もしくは県庁のある地域の「群名」が採られているのがほとんどだ。ちなみにこの舞鶴市のあるあたりは、かつては「加佐郡」と呼ばれていたようだ。そうすると慣例に従うと県名は「舞鶴県」か「加佐県」のどちらかが適当、ということになる。ここで「舞鶴」という地名の由来について、以前調べたことに触れてみたい。このあたりは江戸時代は「田辺藩」というのが置かれていたようだが、版籍奉還に当たって山城や紀伊に同じ「田辺」という地名があったため、田辺城の別称である「舞鶴城」から藩名を採って、それが今に至るようだ。「舞鶴」というのはたぶん城の佇まいがあたかも鶴が舞っているように見えたということで、それはそれで魅力ある名称だと思うが、さすがに愛称を県名にするわけにもいくまい。というわけで、県名は「加佐県」に決定した。ちなみにこの「加佐県」のデータを調べてみたところ、面積は5319.59㎢で全国26位となっており、なんと愛知県や千葉県よりも広いのだ。ただし人口は543,386人で、これは鳥取県に次ぐワースト2位となる。以上、大いなる妄想でした(笑)
2024年04月23日
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毎年4月1日になると、SNS上で数多のウソが飛び交う。今年もやはり例年通り、「#エイプリルフール」のハッシュタグ付きで多くの投稿があった。ちなみに私が個人的に最も秀逸だと思ったのは、マクドナルドの「マックの内弁当」だ。それはともかく、今年ちょっといつもと違うな、と思ったのは、SNS上で、「明日になったらみんな消去してくれないかな」「(4月)2日になってホッとしている」みたいな投稿が散見されたことだ。日常の息抜きとしての役割も持つであろう「エイプリルフール」に対して、心理的な負担を感じているとしたら、今の日本人はかなり余裕を失っているのではないかと思えてならない。
2024年04月03日
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「ご主人は何か家事をされていますか?」という質問を投げかけられたら、私は迷わず「NO!」と答えるだろう。それくらい私はまったくと言っていいほど家事をやらない。それは自分でも十分認識している。今どきは家事をやらない夫は批判の対象になりかねない。でも、「家事をやらない」ということはそんなに悪いことなんだろうか?時と場合によると思うのだが...これを読んでいただいている方には先刻ご承知だと思うが、ウチは酒屋で、実質私と妻の2人だけで切り盛りしている。妻も店に関与していて、他に社員はいない(配達要員のバイトはいるが時間が限られている)。要するに店と家、これがセットになっているわけで、この両方の仕事を夫婦二人で分担するということになる。ちなみに妻は酒類の知識に乏しい。またITにも疎い。だからそれらに関すること一切は私の仕事になる。というわけで、妻には経理全般と、商品の包装・梱包を担当してもらっている。これらも重要な仕事だが、全体の中での比率としては相対的には高くない。方や私は営業、配達、接客対応、仕入れ、SNS全般、その他雑用を担当している。自分で言うのも何だが、かなりの重労働だ。つまり店の仕事に限れば、私の比重が相対的に重くなっているわけだ。そんな私も家に帰れば、世間一般の常識に従って家事をやろうとするのだが、ここで妻からストップがかかる。「あんまり余計なことをやらないで!」妻にとってみれば、私が(半ば義務的に)やろうとする家事は、それほど歓迎すべかざるものらしい。妻には妻なりのやり方があり、そこを侵されると勝手が違ってくるらしい。その上、こと店の仕事に関しては、私の比重がかなり上回っていることもあり、妻としては自ずからそのバランスを取ろうとしているフシがある。確かに店と自宅、双方を一緒にして考えれば、現状で私と妻の仕事量は釣り合っていると言えるかもしれない。それならそれで特に問題は無い。ただ特に「家事」の部分だけ取り上げて、双方の負担割合が違い過ぎる、といった批判が出てくるとしたら、それはまったくのお門違いだと言わざるを得ない。
2024年03月22日
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またまたヘンな言葉が生まれてきたね。「マルハラ」要は幼少頃からSNSに親しんできている若い世代にとって、比較的上の世代がSNS上で文末に句点を用いるのは違和感があり、キツイ物言いのように感じるということらしい。この話を聞いて「何バカなこと言ってんだよ!」と断じてしまうのは簡単だ。しかしこれは世代間に生じる違和感のようなもので、ある意味仕方がないことだとも思う。要はこういう事象を捉えて、なんでも「ハラスメント」に落とし込んでしまうメディアが、一段罪深いのではないだろうか?私も若い世代に迎合するつもりはサラサラ無い。若い世代だって、SNSと公的な文書を混同するほど馬鹿じゃないと思っているから。
2024年03月03日
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今月19日、厚生労働省が「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」というものを発表した。これによると、お酒に含まれる「純アルコ―ル量」ベースで、1日あたり男性40g、女性20gが適量であって、これを超えると生活習慣病のリスクが高まるという。ではそのアルコール量というのがどれほどのものかといえば、「20g」を基準に考えると、ビールならロング缶1本、日本酒なら1合、というところだ。まったく余計なことをしてくれるな、と思う反面、厚生労働省はそういうのが仕事なのだから仕方ないのだろう。ただ酒類行政を司るのは国税庁で、こちらはこちらで酒類の需要喚起に動いていたりするから、同じ国の機関で相反することをやっているのは、見ていて滑稽でもある。個人的には「酒」というものは食文化のひとつでもあるので、なんとか維持していきたいと思っているのだが....。
2024年02月28日
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テレビの街頭インタビューで、「今日はどちらからいらっしゃいましたか~?」という言い方に、以前から多少違和感を感じていた。言うまでもなく、昨日と今日と明日で出発点が違うことはないからだ。ではどういう言い方がいいのか?普通に考えれば「あなたはどちらからいらっしゃいましたか~?」ということになるだろう。文法上は全く問題は無い。無いんだけど、どこかしらキツイ印象を受ける。何故なんだろう?英語では2人称はすべて「YOU」になるのに対し、日本語にはいろんな2人称が存在する。「あなた」の他にも、「君」「オマエ」「あんた」「おぬし」「貴様」「貴殿」等々...(余談だが関西に行った時に「自分」という二人称があることを知ってびっくりした)どれをとっても相手を見下してるか、妙にへりくだっている、そんな印象が強い。どちらにしても極端なのである。顧みてみると、私が日常どういう言い方をしているかといえば、よっぽど親しい間柄であれば「オマエ」、それ以外ならば大抵は相手の名前で呼ぶ。「あなた」はあまり使ってる記憶がない。これはさっき書いたように、ややキツイ印象を持っているからだ。他の方々もおそらく「当たらずとも遠からじ」ではないかと推察する。ただ普通に考えれば、英語の「YOU」と同じ感覚で、「あなた」という呼び方が使われるのが自然だと感じるが、そうならないのは何故なんだろう?大げさな言い方になるかもしれないが、これは日本語における大きな矛盾ではないかと思う。
2024年02月08日
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私がSNS上でつながっている人で、音楽・映画・文学など多方面に造詣の深い方がいる。SNSではそれらに関することにたびたび言及していて、それなりに興味深く読んでいるのだが、いつも引っかかっていることがある。彼が書く文章を見ていると、「最近のJポップなどは全く知らないけど」とか、「アカデミー賞狙いの作品には全く興味はないが」とか「ベストセラーなんか読む気もしないけど」というようなフレーズがいちいち“枕詞的に”出てくる。彼の嗜好は常にニッチかつマニアックであり、それゆえになのかどうもポピュラーなものを忌み嫌う傾向がある。それはそれで個人の好みの問題なので別に構わないのだが、それならば上記のフレーズは特に必要ない。彼があえてそういう余計なフレーズを出すのは、「ポピュラーなものを知らない」あるいは「興味が無い」と主張することによって、「ニッチなものに造詣が深い俺ってイケてない?」というニュアンスを醸し出したいからではないだろうか? いや、本人にその気がなくても、無意識のうちにそういう作用が働いているんじゃないかと思う。そういうのを私はひそかに「知らん自慢」と名付けている。「これこれこういうものは知らん」とあえて言うことで自分の嗜好の崇高さを他人に誇示する、というわけだ。本人には他意はないのかもしれないが、見ている側としては鼻について仕方がない。ご本人に直に会ったことはないが、もしいつか会う機会があれば「アナタの興味の範囲はすごく狭いんですね」と嫌みのひとつも言ってみたくなるが、それすらもおそらくは誉め言葉としてとらえられるのだろう(笑)
2024年01月24日
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この時期になるとあちらこちらで「クリスマスソング」を耳にする。そしていつも聴いてて思うことなのだが...日本の(J-popの)クリスマスソング(いわゆる一般的にそう呼ばれている曲)って、なんであんなに「失恋ソング」が多いんだろう?クリスマスは基本楽しく過ごすものだと思うんだけどね。
2023年12月20日
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今年、ひょんなことで総合病院の緊急外来に担ぎ込まれたことがあった。まあそれに関しては結果的に大したことではなかったが、担当した医師から、毎日血圧を測るようにというお達しがあった。血圧というと、私は自信をもって「低血圧人間」であると言えるくらい、今まで血圧を測って高かったためしがない。しかし年齢も年齢だし、気を付けるに越したことはないということで、近所のドラッグストアで6,500円位の血圧計を購入した。それから毎日、朝と晩、一日2回ずつ定期的に図る日々を続けているが、そうやって続けているとなかなか興味深いことが見えてくる。私は今まで血圧を測っても、上が110を超えることが無かったが、最近毎日測っていると、上は常に120台で、ときどき130台なんて値も見られるのだ。これについては加齢によるものと理解するしかない。あと面白いのは、酒を飲んで酔っ払っている時に測ると比較的低い値になる、ということだ。これは今まで知らなかった真実だ。血圧って、結構奥が深い。
2023年12月04日
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この時期になると、いわゆる「喪中はがき」がぽつぽつと届く。だいたいは「母or父、だれそれが〇〇歳で他界し...」という文句で綴られている。ところが先日、妻の友人から届いた喪中はがきはそうではなかった。「誰が」「何歳で」他界したということは一切書かれておらず、ただ「喪中につき年始の挨拶は控えさせていただく」旨の文言があるだけだった。ちなみにその友人というのは、彼女自身の両親もご主人の両親もすでに他界している。叔父叔母兄弟というのも考えにくいし....そうなると....子供?彼女には一男一女がいたはずで、年齢的には確か20代後半くらいかと思う。まさかとは思うが....なんかいろいろ考えてしまう喪中はがきだった。
2023年11月29日
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ビートルズの新曲「Now And Then」が発表された。ジョンが生前録音していたテープからAIを使ってヴォーカル部分を取り出し、あとのメンバーで演奏を補ったものだ。早速聴いてみた。まあ出来は悪くない。でもなんかピンとこない。実はこれは1996年に発表された“ひとつ前の新曲”である「Free As A Bird」「Real Love」の時も感じたことだ。出来は悪くない。でもなんかピンとこない。これはたぶん例えて言うなら、ある日突然自分の親に、「今まで言わないでいたが、実はお前には腹違いの弟がいるんだ」と言ってまったく見知らぬ人物を紹介されるようなものかな、とも思う。
2023年11月08日
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日頃の私の運動不足を心配した妻がスポーツジムに通うことを勧めたこともあり、今年初めから某ジムの会員になって利用している。特に今年から平日夜限定で会費も割安な「ナイト会員」なるものができたのもその一因ではある。今のところジムとプール併せて週に1~2回程度の利用だから、とてもモトを取っているとは言えない状態だ。そのことを先日知人に話したら、「何言ってるんですか!? 風呂はいるだけでモト取れるじゃないですか!」と言われてしまった。実際に別のジムの会員である彼はそういう使い方をしているらしい。私の通っているところでも、ある程度の時間以降はシャンプーなどを入れた風呂道具を手に入っていく人を多く見かける。それはまるで銭湯に通う人のいでたちだ。確かにここで風呂に入れば、特に単身者などはかなりの節約になることだろう。しかし私にはどうしてもそういう気になれない。実際このジムの風呂は一度も利用したことがない。なぜかと言えば、それは私が単なる「風呂嫌い」だからにほかならない。風呂は日常生活に不可欠なものだから、私も自宅では毎日入っているが、実は必要がなければあまり入りたいとも思わない。温泉に行っても露天風呂は気持ちいいと思うものの、温泉に入ること自体を楽しみだとは思わない。なぜ自分はそうなのだろう、と考えてみると、いくつか思い当たる要素はある。1)面倒くさい服を脱いで湯に入ること自体はそうでもないが、頭や体を洗う、上がってから体を拭く、髪を乾かす、これらの作業がいちいち面倒くさい。2)すぐのぼせる体質なのかどうかわからないが、どうしてみんなあんなに長いこと湯に浸かっていられるのか不思議でならない。私など2~3分で十分だ。ついでにいうと同じ理由でサウナも苦手だ。3)汗が引かない元々汗っかきな体質だということとも関連があるのかどうかわからないが、とにかく湯上りに汗がなかなか引かなくて困っている。これは特に外の風呂に行くときに切実な要素である。まあ世の中おそらく「風呂好き」が圧倒的多数で私のような存在はレアケースだろうから、笑ってやってもらえればいいと思う。
2023年10月25日
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SNSが普及して以降、特に私が痛感していることのひとつに、「1億総評論家現象」というのがある。以前だったら各々が自らの立場で言いたいことを言っていることに何の違和感もなかったのに、SNSが普及して、その中で「議論」がなされるようになると、何だか皆さん「ヘンに気を遣って」発言するようになったように思う。例えば「国にこれこれこういう施策を望みたい」という投稿をすると、「じゃあその財源は?」とか、「いや、これこれこちらの方が優先でしょう」みたいなレスがあったりする。こういうレスをいちいち気にしていたのでは、言いたいことも言えなくなってしまうのである。本来政治というのは、多様な要望が各方面から上がって来るのを政治家が取捨選択する、そういうプロセスだと思う。だから国民は自分の立場で要望を思いっきりぶつければいいのだ。しかし前述したような空気感の中では、「私がこんなこと言っても世間では取り合ってもらえないだろうな」とか、「逆に厳しいことを言われても困るな」と思って自分の意見が言えないままでいる人は多いと思う。世の中弁の立つ人ばかりじゃないのだ。自由に議論できる雰囲気、と言えば聞こえはいいが、そのせいで逆に口をつぐんでしまう人も多くいるという皮肉な現状がここにある。言いたいことが言えないというのは由々しき問題だと思う。
2023年10月13日
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パリーグの3位争いがし烈になってきた。クライマックスシリーズ(以下:CS)進出が懸かっているからか、非常に熱を帯びているように思えるが、私としてははっきり言ってどうでもいい。理由は単純、日本シリーズに出るのはオリックス以外にあり得ないと思っているからだ。私は昔から一貫してCSに反対してきた。ペナントレースで2位以下のチームが日本シリーズに出るということを良しとしないからだ。ある意味潔癖症なのかもしれない。だから少なくとも2~3位チームが日本シリーズに出る可能性を残すCSなどというものは認めるわけにはいかないのである。他の方々はどう思っているのだろう?もちろん現在2位とか3位につけているチームのファンの方は、是が非でも日本シリーズに出て欲しいと思っていることだろう。その想いはそれで尊重したいと思う。ただごく一般論としては、日本シリーズはやはり両リーグのトップ同士の対戦である、という認識がありはしないだろうか?特に今年の例でいえば、1位同士の日本シリーズとなるとここ最近なかった関西ダービーなのだ。もし日本シリーズがこの組み合わせでなくなったらおそらく関西方面で暴動が起きることだろう(笑)下位チームが上位チームに勝てば状況としては面白い、ただその結果として下位チームが日本シリーズに出ることになれば何となく虚しさも残る、かといって順当に上位チームが勝っていけば面白味はない、そんな存在なのだ、CSって。だからそんな虚しいものは無くなってもいいと思う。こういうことを言うと必ず出てくるのが、「でもチームの興行的にはプラスになってるよね」という声だ。感情的には疑問符がついても、経営面のことを考えると黙らざるを得ない、ということなのだろう。でも我々はファンなのだ。自由にモノが言える立場ではないのか?チームの経営面のことまで忖度する必要があるのか?言いたいことを言ってあとは機構の裁定に委ねる、それでいいのではないか?
2023年10月06日
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この10月に酒税の改正がある。またこのタイミングで値上げを発表しているメーカーもある。そういった価格改定をすべての得意先に案内しなくてはいけない。そしてこの10月からはいわゆる「インボイス制度」がスタートする。我々商売しているものにとっては何かとややこしい手続きがある。また得意先への告知も必須となる。そういったことでこの9月は何かと忙しい。そこに加えてプライベートな案件もいくつかあるし、突発的な用件が期せずして入ったりして、休むヒマもない忙しさだ。ただそうは言っても、パソコンの前に座ればなんとなく関係のないところを開いていたり、身体的な疲労に耐えられずにボーっとしたりすることも多く、なかなか思うように進まない。今月中に何とかカタを付けられるのか、俺?
2023年09月16日
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私は不器用なので、買い物の際にトレイに置かれた小銭を取るのが結構煩わしかったりする。だからこちらから手を出すことが多い(そのあたりのことは以前も書いた→コチラ)。しかし3年前から始まったコロナ禍で、「金銭の受け渡しは基本的にトレイで」というのがスタンダードになってしまった。そういうご時世だからと割り切っていたが、新型コロナが2類から5類相当に引き下げられた今月、とあるドラッグストアに行ったときのこと。会計の際、釣銭を受け取るべく手を差し出した。ちょっと嫌味かとも思ったが、トレイに覆いかぶさるように。そうしたらその店員、私の手をわざわざ避けるようにして、わずかな隙間を目ざとく見つけてトレイに釣銭を滑り込ませたのだ。「そこまでするか~!?」というのが正直な感想。まあ、その店でそのようなマニュアルが存在していて、店員としてはそれに従ったまで、ということなんだろうから、店員を責めるつもりはない。しかし一般論として考えてほしい。感染のリスクがわずかでもあるとしても、釣銭の手渡しの際にお互いの手が触れるだろうか?それよりもそもそもおカネに双方の手が触れているわけだから、いくら気を遣ってもあまり意味がないのではないか。なんかコロナ禍の影響で、様々なモノが「思考停止」のまま置き去りになっているような気がしてならない。
2023年05月12日
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中学校の部活(ここでは主に運動系の部活を念頭に置く)がいろんな意味で行き詰っているようだ。まず挙げられるが教員の負担増。部活は言うなれば実質「ボランティア」みたいなもので、どれだけ労力を費やしても自分の給料が上がるわけではない。それどころか逆に保護者からの突き上げやダメ出しを食らって苦しむケースもあるという。その一方で、生徒は必ず何らかの部活に属さなければいけない、と決められている学校も多い。例えば校外のクラブチームなどに所属していても、校内的には何らかのクラブに所属していなければいけないとされている。私の子供が通っていた中学校では、そういう子たちはみんななぜか卓球部に所属していたので、「腰かけ卓球部」と揶揄されたりもした。それはまあともかくとして、中学校の部活が曲がり角に来ているのは間違いない。私の個人的な考え方で言うと、「保護者が中学校の部活に過度に期待すること」、「中学校の部活で全国レベルでの好成績を期待すること」このふたつを止めてしまった方が良い。中学校の部活では、少しでも上を目指したいという“意識高い系”部員と、とりあえずそこまでガチな気持ちではない部員が混在していると思われる。本来この両者は分けて考えられるべきだが、現状そうはなっていない。ここでどちらを取るかは極めて重要だ。“ガチ系”を重視するのであれば、教師の負担は増えることになり、また“ノンガチ系”の生徒を置き去りにしてしまう。逆に“ノンガチ系”に合わせれば“ガチ系”としては物足りない。どちらに合わせても双方満足のいく結果にはならない。ここで私が考えるのは、中学校といういわば「公教育」の場で“ガチ系”の要望を満たす必要があるのか、ということだ。例えば現在中学生の多くがおカネを掛けて塾に通っている。これは来るべき高校受験に臨むに当たって、正規の授業だけでは物足りないと思うからこそそうするのだろう。それなら部活動においても、より上を目指す“ガチ系”の人たちは同じようにおカネを掛けてよりレベルの高いクラブチームのようなところに行ってもいいのではないか。あえて批判を承知で言えば、おカネを掛けずに高レベルの指導を望むというのは虫が良すぎるだろう。そして中学校の部活は、スポーツを「楽しむ」ことに特化した方が良い。もちろん自由参加だ。中学校の部活で決定的に欠けているのは、スポーツを「楽しむ」ことだと思う。しかし現状ではなんだか「苦行」になっているように思えてならない。しかもそれを美徳として美化しているフシがあるから始末が悪い。高齢者になってみればみんな分かることだが、スポーツって「楽しんでナンボ」。それが「スポーツ文化」というものだ。そういう意識を子どものうちに植え付けておいた方が良いと思うのだが、現状ではそうなってはいない。「いや若いうちは、困難に打ち勝って勝利を手にする喜びを味わわせてやるべきだ」という意見もあるだろう。それは分かる。でもその考え方には代償もあると思うのだ。あぶれてしまった子供は劣等感を抱き、場合によってはそのスポーツを嫌悪してしまう可能性もある。少なくとも公教育においてそういう事態になるのは好ましくない。スポーツを文化として老若男女が親しめるものにするには、ことこの日本にとっては考え方をガラっと変える必要があるかもしれない。そしてその第一歩が「中学校の部活」だと思うのだ。
2023年03月01日
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ウチの店の旧くからのお客様の話。お互いに80代後半の老夫婦、彼らの息子夫婦はやや近いところで別居している。息子夫婦が何かと面倒見てくれるので、老夫婦はよく息子夫婦に贈り物をする。それを当店が受注・配達している。老夫婦から頼まれるのは決まって缶ビールのセットである。しかしこれを初めて息子夫婦の家に配達した際に言われたのが....。「すみません、ウチはビール飲まないので、これを何か他の物に替えていただくことできますか?」ハナシを聞くと夫妻はビールはあまり好きではなく、日常的にはもっぱらワインを嗜んでいるという。ウチとしては立場上その申し出を突っぱねることもできるが、なんとなく気の毒な気もしたのでご要望に応えることにして、本来納めるはずのビールセットと同価格で換算したワインとお取替えした。そして数か月後、その老夫婦からまた同じように、息子夫婦に缶ビールセットを贈ってほしいとの依頼があった。しかしどのみち前回と同じ展開になるだろうと踏んだ私は、事前にその息子夫婦の家に連絡を取ってどうするか尋ねた。一旦納品した後で交換をお願いされるのはたまったものではない、と思ったからだ。当然息子夫婦からは「同等の別の商品にしてもらえると有り難い」という返答が返ってきた。そういうわけで同等のワインを持って行った。そして同じことがその後何回も続いた。当店としては多少の面倒にはなるが、まあ対応できないというレベルではない。しかしこういうことがこれからも延々と続くのかと思うと、ちょっと気が滅入ってしまう。息子さんが一言「俺、ビールは飲まないんだよ」と言ってくれれば事態は劇的に変わると思うのだが、なかなかそう言え出せない状況なのだろう。もちろん当店からそれを促すなんてこともできない。そういうわけでしばらくは同じような対応が続くことだろう。親子といえどもどこかに遠慮とかそういうものがあって、スムーズな意思疎通がなかなかできないでいるんだろう。
2023年02月22日
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先日ウチの店のプリンターがトラブった。ちょうど歳暮用の熨斗短冊を相当数まとめて印刷しているところだったが、いきなり異音を発して止まってしまったのだ。メーカーのマニュアルと照らし合わせると、どうやら排紙口のところで紙詰まりが起きているとのこと。しかし見た目ではそんなものは全く見当たらない。このままではどうにも埒が明かないので、メーカーサポートに電話してみた。この時期プリンターのトラブルが多いのだろう、かなり待たされてからようやく繋がった。まずこちらから症状を説明し、紙詰まりが起きていないことを告げると、オペレーターさんは電源を立ち上げ直せ、という(そんなことはとうにやっているのだが)。それで改善できなければプリンター本体の不良になるので、修理に出すか買い替えるしかありませんね、そう結論付けた。件のプリンターは購入してから3年ちょっと、壊れるにはちょっと早過ぎる気がする。しかも修理に出すとなると一定期間プリンター不在となるわけだが、ウチの業務上プリンター無しでは仕事にならない。また買い替えるにしてもウチの場合はA3対応でなければ具合が悪いので、25,000円位の出費は覚悟せねばならない。どちらにしても困るので、私が日頃から“プリンターの師匠”と勝手に崇めているP氏にダメもとで相談してみた。事情を聞いたP氏が言うには、「紙詰まりが起きているということは、排紙口のセンサーが何かを検知しているということで、それが目視で確認できないのであれば、細かいゴミレベルのものかもしれない。エア・コンプレッサーのようなもので吹っ飛ばしてみてはどうだろう?」とのこと。それを聞いて私はすぐさまエアーダスターを買いに近所のホームセンターに走った。エアーダスターで排紙口を掃除して電源を入れ直すと....あらら、小さな紙片が出てきたではないか!? こいつが犯人だったのだ! これでようやく肩の荷が下りた。しかしながらこのくそ忙しい時期にプリンターのことで気を揉む必要がなくなったことに安堵する一方で、メーカーサポートには怒りの感情が込み上げてきた。小さい紙片が挟まることでセンサーが「紙詰まり」と誤判断することは、メーカーサイドでも当然想定していることだろうと思う(そうでなければメーカーとしてあまりにも情けないと思うし)。それならそれで私がサポートに問い合わせた時に、「排紙口に何か挟まっているかもしれませんから、エアダスターか何かで吹いてみてはいかがでしょうか?」とでも言ってくれればいいではないか。そういうことすら言わないのであれば、これはもう是が非でも修理に出させたいか、いや買い替えさせたいか、そう考えているに等しいと思わざるを得ない。今どきはみんなトラブルに際しては何でもネットで調べるんだろうが、私のようなアナログ人間はつい電話サポートに頼ってしまう。しかし電話サポートがこんな状態ではまったく用を成してないと言わざるを得ない、いち消費者としてそう思うのだ。
2022年12月10日
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毎年11月の第3木曜日に解禁となる「ボージョレ・ヌーヴォー」。一時のお祭り騒ぎはさすがに鳴りを潜めたものの、それでも解禁日近くになるとメディアで取り上げられる機会はそこそこある。それに反応するお客さんも一定数いるので、当店でも(数量は格段に減ったが)取り扱いを継続してきた。しかし今年は全面的に扱いを止めることにした。まず最も大きな理由が、当店でメインで取り扱っていた、某インポーターが輸入する某ワイナリーの商品が、今年は扱いが無くなってしまった、ということだ。長年継続して扱ってきて、そのクォリティには全幅の信頼を置いていただけに、その代わりを探すのは困難なのだ。そしてこれは皆さん先刻ご承知のことだが、ボージョレ・ヌーヴォーのみならずワインが全般的に値上がりしている、ということもある。その要因には蔵出し価格のアップ、為替変動、資材高騰などいろいろあるが、ことボージョレ・ヌーヴォーに限って言えば、ウクライナ戦争の影響も否定できない。輸入ワインのほとんどは船便なので関係はないが、基本的に航空便で来るボージョレ・ヌーヴォーの場合、フランスから日本への最短ルートがロシア領内なので、空路を変更せざるを得なくなり、それで余分に燃料費が掛かってしまうというわけだ(もちろんそれ以前に原油高も大きいが)。まあ理由はともあれ、あまりに高額になってしまったボージョレ・ヌーヴォーに何の意味があるのか、ということも改めて考えざるを得ない。私自身売ってる立場でこう言うのもなんだが、本当にボージョレ・ヌーヴォーの価値を重視して購入される方がどれくらいいるのか、正直疑問ではある。例えば当店で毎年購入されるある方は、毎年クリスマスやお正月に開けられるという。別にそれが悪いというわけではないが、本来の意味とは違うし、ハレの日のワインということであればもっと良いモノをご提案できる。要は日本特有のいびつな取り上げ方が今まで横行していて、それに業界もメディアも引っ掻き回されてきた歴史が続いてきたと思うのだ(偏見かもしれないが)。それにピリオドを打つ千才一隅のチャンスだと個人的には思った。そういうわけでウチの店では今年はボージョレ・ヌーヴォーの取り扱いは止めることにした。いや、「今年は」というか、「今後は」ということになる可能性が高いとは思うが...。
2022年11月02日
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今日いらっしゃったあるお客さん。「すいません、小銭を使わせてもらっていいですか?」と言うので、ええどうぞ、と答えた。するとこのお客さん、2,970円のお買い上げに対して、 500円玉×2枚 100円玉×15枚 50円玉×6枚 10円玉×17枚という内訳で支払っていかれた。お店によってはこのような支払い方をされると文句のひとつも出るのかもしれないが、実はウチにとっては大歓迎だ。ご存じのように最近では銀行での両替に手数料がかかる。そのためかどうか知らないが、ウチの店で大きなお札を出す人が増えてきた。きっちりした額を持っていても「両替がてら」ということで大きなお札を出すということは目に見えている。そんなこんなでウチの店ではこのところ小銭の不足が慢性化している。小銭が不足すれば用意しなければいけないが、きょうびおいそれと銀行では両替できない。手数料が掛かるからだ。だから今日のこのお客さんのように率先して小銭を多く出してくれるお客さんというのはとてもありがたいのだ。それにしても話を聞いてみるとこのお客さん、小銭を出すのには「小銭がやたら溜まってしまう」というこの方なりの事情があるらしい。詳しくは聞けなかったが、どうも小銭がやたら集まってくる業種らしい。つまり慢性的に小銭が不足する当店とは真逆なのだ。小銭が不足しがちな当店、小銭が余ってくる店、この両者が上手くくっつけられたらどんなにか良いだろうか、と思うのだが、そこまではさすがに行政でどうこうできる問題でもないだろう。でも少なくともこの現状を知ってほしいと思う。銀行の両替が有料になっている現状では、両替というものはともすれば、国家レベルで対応するべきミッションになりつつあるんじゃないかと思うからだ。
2022年06月29日
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自慢ではないが、私は漢字の書き順をよく間違えるらしい。時々子供らに指摘されてしまうのだ。そういえば小学校のテストにも書き順を問うものがあったり、テレビのクイズ番組でもそういう問題を目にしたことがある。しかしあえて言わせてもらおう。書き順が違ってたからと言って、それが何だというのだ!?断っておくが、私は学校で書き順を教えることを否定しているわけではない。むしろ書き順は教えるべきだと思う。ただあくまでも最終的な目的は、漢字を正しく書くことであって、書き順を間違えないことではない。言ってみれば、書き順とは漢字を正しく書くための「手段」に過ぎない。だからテストで書き順を問うて点数を付けることは、「手段の目的化」でしかない。そして「手段の目的化」というのは往々にして非効率で無駄なものだったりするのだ。
2022年06月15日
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中日ドラゴンズの根尾選手の二刀流が今ちょっとした話題になっている。そしてこれについては各方面から賛否両論が沸き起こっている。私個人的にはどちらかといえば反対だ。もちろん実現すれば夢があるし観ていて楽しい。しかし現実にはかなりもったいないと思うのだ。私も野球に関してはもっぱら観るだけで、現場の方々並みに詳しいわけではないが、普通に考えてもリリーフ投手で起用しようとすればブルペンで肩を作らなければならず、よって野手として先発出場はできない。守備に就いていた選手がいきなりマウンドに行くという光景は高校野球の世界だ。大谷翔平選手のように投げて打って...というのは先発投手だからできることであって、今のドラゴンズで根尾選手が先発に回ることはまずあり得ないだろう。今の使い方を見ていると、リリーフとしても勝ちパターン投手としての期待はされていないように思われる。なんてったってドラゴンズのリリーフ陣はピカイチだから。しかし試合展開がどう転ぶか分からない試合前から、今日は先発野手か、今日はブルペン待機か、なんてことは決められない。そうなると二刀流を追うことで、野手として成功を収める道は限りなく狭まってくるのではないか。野球ファンの夢の部分は大切にすべきかもしれないが、私はそれ以上に根尾選手にはとにかく「大成して」欲しいのだ。個人的に、まじめに頑張っている選手には報われてほしいという気持ちがあるから、根尾選手は他の選手以上に応援している。しかしその先に見ている未来は、ポジションはどこであれ、快打と攻守で躍動する彼の姿なのである。
2022年05月26日
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前にも書いたことがあったかもしれないが、私は人の顔を覚えるのが苦手だ。これは商売人にとっては致命的なことだ。お客さんを名前で呼ぶことで親近感を植え付ける、ということがよくノウハウとして語られるが、それがなかなかできないでいる。それ以前の問題として、お客さんの名前を知るすべがあまりない。居酒屋など(特にカウンター)だとお客さんと相対している時間が長いので、お客さんの情報をいろいろ引き出せるチャンスはあると思われるが、物販の小売店ではなかなかそういうわけにもいかない。よほど仲良くなるレベルまで行くと、いろんな話を振りつつ聞き出すことは可能だが、2~3回来店した程度の方だと、そういうわけにもいかない。そういうわけでウチの店には、「名前を知らない」常連さん、という方が大勢いる。しかも今どきはみんなマスクをしているから尚更なのだ。
2022年05月25日
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先日新聞紙上で「配偶者をどう呼ぶか?」ということがちょっとした話題になっていた。要は現在スタンダートとなっているといってもいい、夫のことを「主人」、妻のことを「家内」と呼ぶことに前時代的家制度の名残を感じる、ということなのだろう。例えば夫が妻を呼ぶ場合だと【家内、嫁、奥さんetc】、逆に妻が夫を呼ぶ場合だと【夫、主人、旦那etc】と、よく耳にするものを挙げてもやっぱり男尊女卑的思想が見え隠れするものが多い。もっともその言い方に関してどうこういうつもりはない。それは各家庭内の問題だから各家庭で好きにすればいい。ただ一番気を遣うのが他人の配偶者を呼ぶときの呼び方だ。これで困るのが、もっとも無難な言い方である「夫・妻」が他人に対しては使えないということだ。実際話し相手に対して「お宅の夫さん」とか「お宅の妻さん」などという言い方はしないし、おそらく間違った用法だと思われる。こういう時は一般的には「お宅のご主人」とか「お宅の奥様」という言い方をするのがスタンダードであり無難である。「主人」とか「奥様」という言い方に引っ掛かりを覚える方がいても、他に良い言い方がないだけに仕方がない。ジェンダーフリーを重視するなら、ここは新しい言い方を考えるしかない。例えば「おつれあい」みたいな....。ここからは余談だが、個人的に違和感をすごく持っているのが、自分の配偶者を呼ぶときに「奥さん」という人が意外と多いことだ。確かに「奥さん」も「嫁さん」もニュアンス的には大した違いはないかもしれないが、「奥さん」という言い方が「他人から見た言い方限定」と思い込んでいる私には違和感しかない。
2022年05月06日
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昨年オフから今年の開幕にかけて、日本のプロ野球の話題を最も集めたのは、日本ハムファイターズの新庄“BIGBOSS”監督だろう。その型破りな言動にファンならずとも注目し、新しい監督像を作ったとか、プロ野球ファンのすそ野を広げた、などといった賛辞を贈られたりもした。ただ私個人的には彼のことがあまり好きになれない。単に異端なものを好まない、といった排他的な気持ちからではない。ひとえに「監督は黒子に徹すべき」といった哲学を持っているからに他ならない。日本はアメリカと違って、とにかく有名選手を監督に充てたがる。そもそもそれが気に食わない。それは単に監督の能力を度外視した「客寄せ」要素に球団が期待しているからだろう。しかし野球をするのは選手であり、監督ではない。監督が目立つからといって勝てるとは限らない(中には優れた実績を残す人もいるが、それはあくまでも結果論だろう)。監督の仕事は選手の起用、作戦面での采配、選手の育成などいろいろあるが、これらは監督でなくコーチ陣が代行することができるものだ。個人的に一番重要だと思うのは文字通り「監督する」ことだ。言い換えれば個々の選手やコーチ、そしてチーム全体の様子をつぶさに観察すること、選手が最高のプレイをできる環境を整えること、そしてすべての責任を負うこと、この3つに尽きると思う。そのためには黒子に徹することが必要ではないかと思うのだ。いろんな監督像があって、ファンそれぞれに好みがあって然るべきだが、私はこういうのが好みだ。余談だが件のBIGBOSS監督率いる日本ハム、現時点ではあまり成績が芳しくない。長いシーズンこの先どうなるか分からないが、当初BIGBOSS監督に賛辞を贈っていた人々も、あまりにも負けが込んでくると黙ってはいないだろう。批判の嵐が渦巻いてきた時、彼はどのようにふるまうのだろう、そのあたり興味はある。
2022年04月27日
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2021年秋冬期のNHK朝ドラ『カムカム・エヴリバディ』は非常に面白かった。ただその陰でひとつ感じたのは、制作者にとってとてもやりづらい時代になったのではないだろうか、ということだ。ところで私がNHK朝ドラを欠かさず見るようになったのはいつかというと、2013年の『あまちゃん』からなのだが、それにはちょっとした動機があった。当時NHKで昼間の帯番組として『ホールド・オン』という視聴者参加型クイズ番組が放映されていたのだが、クイズ好きの私は当然のごとくそれに出たいと思っていた。幸い私の家から近い名古屋で予選があったので受けることにしたわけだが、それに際して、NHKで放映中のドラマは問題として絶対に出る可能性が高いだろう、という判断から、とりあえず観ておこうということになった。そんな不純な動機で観出したにもかかわらず、この『あまちゃん』がめっぽう面白く、その流れでそれ以降の朝ドラも続けて観るようになり、それがいつの間にか私の毎朝のルーティンとなって今に至る。もちろんそれらの中には世間的に評価の高かったものも低かったものもあるが、私個人的にはあまり気にしていない。朝ドラの時間は私にとっては起床直後なので半分寝ぼけているから....ということもないではないが、もともと能天気に観る性質だからかもしれない。そして世間的にも『あまちゃん』以降新しいファン層を獲得したこともあってか、SNSでバズることが格段に増えたように思う。そして最近ではその「バズり」を社会現象であるかのようにメディアで取り上げることも多くなった。今回の『カムカム・エヴリバディ』もその例に漏れず、大いにバズった。特に開始当初から様々に張り巡らせた(と思わせている)「伏線」をいかに「回収」するか、という部分で大予想合戦が繰り広げられていた。この「伏線」とその「回収」、以前はそれほどこだわられることがなかったように思うが、民放も含めて最近は重要視されるようになっているのだろう。視聴者の期待が大きければ、製作者はそれに応えなければいけない。視聴者が様々な予想合戦をするなら、製作者はその斜め上を行かないと称賛されなくなっているのかもしれない。しかし「伏線」と「回収」に主眼が行ってしまうと、それはまるでミステリーか謎解きと同列になってしまわないだろうか? ドラマとしての面白さは全く別の次元にあるはずで、そこを重視しながら「伏線回収」もしなくてはいけないとしたら、製作者としては恐ろしくハードルが高くなっているに等しいと思うのだが。ドラマを観る視聴者も今は皆ずいぶん目が肥えてきて、大概のことでは満足できなくなってきているのかもしれない。事実ネットなどでのドラマ評を見てみると、かなり辛辣なコメントも結構多くみられる。まあそのおかげで全体的に質が向上しているのであればそれはそれでいいのかもしれないが、いつも能天気に観ている私から見たら、製作者は相当やりづらいんじゃないかな、と要らぬ心配をしてしまうのだ。
2022年04月08日
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ビートルズの「抱きしめたい」は超有名曲だが、これに違和感を感じた人はいないだろうか。私は初めて耳にしてからしばらくの間、ある種の引っ掛かりを感じていた。イントロから歌に入るところで、半拍余分に入るのだ。もっともこれは論理的に考えればすぐに解明できる。要はイントロの最初の音が「裏」から入るリズムなのに、頭では「表」からと解釈してしまうので、辻褄が合わなくなるのだ。ただ理屈では分かっていても、アタマの1音を「裏」で捉えるのはなかなか難しい。それが私の感じていた引っ掛かりの正体だ。こういう例は他にもあって、同じビートルズなら「ドライブ・マイ・カー」なんかもそうだ。邦楽ならサザンオールスターズの「チャコの海岸物語」にもそれを感じた。こちらはイントロの途中で半拍少なくなるパターンだ。これらはある程度聴けば解消できたのだが、何度聴いても解消されない曲もある。その代表が、アンドリュー・ゴールドの「ロンリー・ボーイ」という曲だ。この曲は私が中学生のころヒットした曲だが、結構気に入っていた曲で当時はよく聴いたものだ。しばらくご無沙汰だったが、先日ひょんなところで耳にする機会があって、改めてこの歌の裏表が曖昧だったことを思い出した。お聞きいただければわかるように、イントロはピアノの「タン、タン、タターン」というフレーズで始まるが、これは裏から始まっているので、正確には「ン、タン、タン、タターン」だ。しかしここで間違うと、曲の中盤くらいまで尾を引くことになる。実は私はいまだにこの曲に関しては、Bメロが始まるまで表裏が逆になっている。つまり(もちろん1コーラス目だけだが)Aメロだけ半拍ずれたメロディーに聴こえてしまうのだ。何度も何度も聴いて、その都度2コーラス目以降で正常なリズムに戻るのに、次の機会に頭から聴くとまた裏表が逆になってしまう。永遠にその繰り返しなのだ。何とも情けないハナシだが、一度頭にこびりついてしまうと、なかなか上書きが出来ないことってあるのだ、ということを痛感する。「ロンリー・ボーイ」
2022年04月05日
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今の日本に活力を取り戻す方法としては、いわゆる「道州制」が有効だと、個人的には思う。そこでここからは私の妄想だが、仮に道州制が導入されたらどういう区分をするべきなのか、ちょっとシミュレーションをしてみた。ちなみに現在の地方区分はこうなっている。 ①北海道地方 ②東北地方 ③関東地方 ④中部地方 ⑤近畿地方 ⑥中国・四国地方 ⑦九州地方概ねこれを踏襲することとする。まず①②⑦はこのままでいいだろう。⑥に関しては中国と四国を分けよう。⑤に関しては三重県はここから外した方が良いだろう。沖縄を⑦に含めるべきかどうかも意見が分かれるかもしれないが、とりあえず入れておく。問題はまず③だ。第一には首都・東京の存在をどうするか?第二には他地方との人口バランスを考えたら分割した方がよくはないか?第三には山梨県をどうするか?結論から言えば、東京は23区のみを「東京特別区」として各州とは切り離した存在とする。そして山梨県を含めて大きく二つに分ける。具体的には南西部の「東京都下・神奈川・山梨」と北東部の「千葉・埼玉+北関東3県」とする。そしてさらに厄介なのが④だ。中部地方という言葉は実生活ではまず聞かれない、生活実態にまったく即してない区分だからだ。実態に即したまとまりでいえば「東海地方」と「北陸地方」があり、これはそのまま残したい(静岡県は東海地方に入るものとする)。そうなると残るのは長野県と新潟県となる。そしてこの2県をどう扱うかがこのプロジェクト(?)の最大のポイントだ。両県とも面積が広いだけに、地域によって他のどこと結びつきが強いかが分かれるから、どこの州にくっつけても何かしら不満は出るだろう。よっぽど2県とも単独の州でいいか、とも思ったが、人口規模から見てもそれは少なすぎる。ならこの2県でひとつの州を、とも思ったが、それはそれでそうする根拠が乏しく思えた。そういうわけで最終的に、新潟県は北陸地方に、長野県は東海地方にくっつけることにした。最適解ではないが、まあ致し方ない。次は「州都」を決める。これもすんなり決まるところと、そうもいかないところがある。北海道、東北、西関東、東海、近畿、九州はそれぞれ、札幌、仙台、横浜、名古屋、大阪、福岡で決定。中国と四国については、人口が最も多いのはそれぞれ広島と松山だが、州内のアクセスを考えてここはあえて、「中国:岡山」、「四国:高松」としたい。逆に北陸に関しては、新潟にしたいと思う。現状の北陸3県からは遠くなるが、唯一の政令指定都市をスルーするのもどうかと思うので。そして最も厄介なのが、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬から成る「東関東」だ。順当に行けば千葉市かさいたま市となるが、この綱引きはちょっと微妙だ。どちらを採るにしても遺恨が残りそうなので、ここはあえて第3の選択をしようと思う。ズバリ、つくば市なんてどうだろう?州域のほぼ中央に位置していて、他の候補地に比べると土地に余裕もありそうだ。州都は何も大都市に限るまい。そんなこんなで「超私的道州制」が何とか形になった。以下がその概要だ。◆北海道・・・・北海道 人口規模:約523万人、州都:札幌市◆東北州・・・・青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島 人口規模:約861万人、州都:仙台市◆東関東州・・・茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉 人口規模:約2,037万人、州都:つくば市◆西関東州・・・東京都下、神奈川、山梨 人口規模:約1,437万人、州都:横浜市◆東海州・・・・長野、静岡、愛知、岐阜、三重 人口規模:約1,697万人、州都:名古屋市◆北越州・・・・新潟、富山、石川、福井 人口規模:約514万人、州都:新潟市◆近畿州・・・・滋賀、京都、奈良、大阪、和歌山、兵庫 人口規模:約2,054万人、州都:大阪市◆中国州・・・・岡山、広島、鳥取、島根、山口 人口規模:約725万人、州都:岡山市◆四国州・・・・香川、徳島、愛媛、高知 人口規模:約370万人、州都:高松市◆九州・・・・・福岡、佐賀、長崎、大分、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄 人口規模:約1,425万人、州都:福岡市◆東京特別区・・人口規模:約968万人あくまでも個人的なお遊びなので、異論は認めるが受け付けはしない(笑)
2022年04月01日
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