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入試が終わって早1ヶ月近く。入学者説明会では「残った学校生活を大切に」「予習は必要ありません」ということで、予想通り宿題は一切なし。受験直前の1ヶ月は早寝・早起きの習慣が身についた。4月になればまた朝が早いのだからこの習慣を続けようね、といったもののあっさり崩壊。あぁ、もったいない。算数で苦労したのだから、先取るつもりは毛頭ないが、せめて最低限の計算力はほしいところ。1ヶ月だけでも公文受け入れてくれないかしらん…
2007.02.28
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ついに、というべきか、とうとうというべきか、バカボンに年齢詐称がバレてしまった。18歳の時に息子を産んだ勘定で教えていた私の年齢、まぁ周囲のお母さんの年齢や外観を勘案すると、自分の母がそんなに若いはずはないことはとうに気がついてはいた。ただ、私が真実を教えなかったのだ。大体、息子は自分の年齢と誕生日はわかっていても、生年を意識する機会はあまりなかった。西暦や元号のいい加減さは、社会(歴史)で十分思い知らされていたが、今が平成19年(2007年)、自分の年齢を引けば生まれた年はわかる。(1年ズレるけど)明治以降の時間の距離感のないのにはほとほとあきれていたが、遂にそんな彼も目覚めてしまった。少し前に「お母さんはいつから年をとらなくなったの?」と尋ねられ、ドキッとしたのだが、「いつからかなぁ」ととぼけていた。彼の生年月日を記入する書類に自分の生年月日も書かねばならないときは大概、やつに先に書かせていたのだが。このところ受験・入学関係の書類で家族状況を記入したりすることも多く、しかも息子自身の署名が必要だったりして、焦ることしばしば。そして、先日の日曜日。パスポートを受け取りに行った。受け取りは、本人でなければならない。息子に「本人確認のため、名前と生年月日、もしかしたら本籍地も言わされるよ。」と伝えると、「えぇっ、ぼく何年生まれ?」「西暦とか元号とかわかりにくい。西暦だけ覚える!」と息子。いや、覚えるほどのことではないのだが。そして、受け取りのカウンターで。「ぼく、お母さんのは聞かないようにするからね」あぁ、気遣われてしまった。さらに同じ日。駅前で該当アンケートにつかまった。給食費未納問題に関し、うちの市が全国でも未納率が高いということで調査地点に選ばれたという。そして、小学生とその親と思しき我々に声をかけてきたわけ。子どもが6年生と申請しているのに、私が30歳とはさすがに言えない…。ここでも息子は気を利かせ、その場を離れていった。
2007.02.27
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「知の翼」は2年で辞めてしまったが、日能研はよいところだと思っている。自分の子どもの勉強とは全く違った次元で高木代表やスタッフの方のお話を伺う機会が何度かあった。ちょっぴりさだまさしさんに似た高木さん、語り口は温和ながら、子どもの学びや教育に対する考えは共感するところが多く、最大手のトップ=やり手の経営者というより、立派は教育者とお見受けした。ディスカバリークラブは、うちの子の年齢とはズレてしまったが、もう少し早くから始まっていたらきっと利用していたと思う。最近高木さんの著作「解いてはいけない」(だっけ)が話題になっているようなので、読んでみたいと思っているのだが、あいにく近所の本屋に置いていない…。息子が4年の1月まで、つまり塾の5年生が始まるまで、彼の勉強についての記憶は情けないほど憶えていない。思い出すのは、友だち関係の気苦労が多い。宅で勉強らしい勉強をしていなかった、というのが一番大きいのだろうが、それ以上に、私自身の生活の変化もあった。地域の子どもを対象にした活動などに関わることが多く、息子もその中の一人的な部分があったように思う。
2007.02.26
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「ゆとり」が本格化した年に入学だったこともあったのだろうし、放課後対策というのもあったと思う。とにかく何か通わせたかった。今もそうかもしれないが、幼稚園時代からスイミングは当然。いや、スイミングは保育園児だってけっこう行っていた。同級生のお子さんで、保育園に通いながら既にバタフライまでできる子もいた。(その保育園は私立で、園の活動の一環として民間のスポーツクラブと提携し、別料金でスイミングをやっていたのだが)保育園のころ、親子の時間を大切にしようと、週末遊び歩いていたことをほんの少し後悔した。また英語や公文も男女とも、男の子はサッカー、女の子はピアノというのがごく普通の地域である。習い事の候補としては、サッカーしかなかった。上手くなってほしいとか、そういうことはあまり考えていなかった。後にあまり運動神経はよくないらしいとわかってくるのだが、フィールドアスレチックでは、いつまでも遊んでいたし、屋内のプレイポート(ボールプールなんかがあるやつ)など、身体を動かす系の遊びが好きだったので、運動系がいいけど、スイミングはないとなると、サッカーになるのだった。本当は、そろばんをやらせたかった。私自身子どもの頃そろばんをやっていて、今でも暗算は頭の中で玉をはじいているので、「役に立つ」との思いがあった。しかしあいにく新興住宅地にはそろばん塾がないのであった。で、そろばんの代わりに公文にしたのだった。公文については、職場の上司が「公文は、計算力が身についていいよ。国語はともかく算数はいい」と言っていた。その上司のお子さんは、極めて出来がよろしいことは存じ上げていたので、迷いはなかった。1年生ぐらいだと学習塾なんてあまりなくて、公文か学研、あと英語ぐらい。英語に関心はなかったので、公文とサッカーということになったわけだ。とはいえ、学校だけで十分と思っていたわけではないので、通信教育を利用することにした。入学前から何度も送られてくる進研ゼミ、最大手である。しかし、「教科書準拠」というのが私の好みではなかった。教科書を不十分と思っているわけだから。で始めたのが「知の翼」。でも、サピの「ピグマ」の理科教材に惹かれて、一時期は両方やっていた。「知の翼」の内容は、実はあまり覚えていない。でも、「第五教科」というのを息子は一番気に入っていたのではないか。これは到着するとすぐ読んでいたと思う。1年間の提出回数によって、年度の最後にご褒美みたいなものがあって、えんぴつをもらった。息子は「もらえる」ことが好きなので、大して真面目にやっていたわけでもないのに、えんぴつにつられて、続けるといった。日能研の思うツボである・・・。「ピグマ」のほうが印象としては、幼げなのだが(シールをはるとか、色を塗るとか)、最終的には、ピグマのみにした。いや、2つのどちらかといえば息子は「知の翼」だったのかもしれない。しかし、2つもやる必然も効果も感じていなかったので、お金の無駄と思い、1つにしたのだった。なぜ、ピグマだったのか。あの時どう考えていたのか、あまりよく憶えていないのだが、ひとつは単純に日能研とサピックスの比較で、サピを選んだのだろう。サピブランドへの憧れ!?(笑)もう一つは、理科・社会が要らないのでは、と思ったに違いない。今にして思えば、サピの国語は「言葉の知識を増やす」「長文読解」「詩」など、バランスがよかったし、記述問題も抜き書きでは済まないちゃんと記述の問題があったし、問題文も悪くなかった。算数も、シールや色塗りなど幼い手法もあったが、筋道立てて考える、というのを、穴埋めしながら定着させようと配慮されていたと思う。(はじめは全部解説、次の段階は式が書いてあって、次の段階は式を自分で考えて、みたいな感じ。)しかしこれは、6年の12月ごろ過去問をやっていて改めて思ったもの。当時は、あまり意識していなかったし、算数の得意な子には「うるさい」かも・・・。
2007.02.24
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先日、手書きの日記を読み、懐かしく感じた。そこで、すでに忘れてしまったことも多いが、これまでのことを振り返って書き留めておこうと思う。会社勤めをしていたので、保育園に通っていた息子が学童に通うのは当然のことであった。ただ、学童クラブは、5時(季節により5時半)までは一人帰りOKだがそれ以降はお迎え必須であった。駅前におった保育園のお迎えと違い、駅から宅の動線上にない学童クラブのそれは値少しばかり煩わしかった。(特に雨だとバス停からも遠いので、憂鬱であった。)そこで、お迎え回数を減らすため、スポーツクラブと公文に入れた。子どもは学童で遊んだあとクラブや公文に行く。スポーツクラブは駅前のショッピングビルの中にあるので、同じビルの中の本屋で待ち合わせる形。公文の日には、学童から帰宅してから公文に行き、一人で宅に帰る。公文の日は時間にしばられないので、私自身がラクだった。こういう生活が2年ほど続いた。保育園最後の年に転居し、同じ市内だが幼稚園時代から英語やスイミング、女の子はピアノ、男の子はサッカーなどに通う子の比率が高い地域で、すでに母子ともに濃い関係が築かれていた。平日、友だちと家の行き来がなく、スポーツクラブのサッカーも幼稚園から続けている子が中心という状態。この時代、息子は何が楽しかったのだろう・・・(ゲーム機も持たず、学校での会話も楽しめない部分が少なくなかったろう)週末は、隔週でボーイスカウトの活動があったし、そうでない週は親子で車で1時間ぐらいの公園や博物館などに出かけることも多かった。図書館にもよく家族で出かけていた。息子は読書が趣味だったと思う。小学校に上がる年は、「円周率を3と教える!?」と騒がれていたとき。隔週5日制から全5日制に変わった年だったように思う。学校の宿題は、ほとんどなかった。国語の教科書の音読ぐらいで、計算や漢字のドリル・プリントも学期末に出る程度だった。公文(算数だけの利用だった)は毎日5枚ぐらいプリントをやらなければならないシステムだったと思うが、まじめにやった期間は短かったのでは。はじめのうちはそこそこいいペースで進んでいたが、1年ぐらいで進歩の貯金が増えなくなったように記憶している。そのうち宿題プリントをやらずに隠していることがわかり、公文はやめてしまった。スポーツクラブは、サッカーを始めたのだが、小学1年ですでにレベルに差があって、また人間関係も出来上がっていたのでゲーム形式でパスを回してもらえないなど、楽しめる状況ではなかったよう。私は一度もいったことがないが、見学ママのおつきあいもあり、終わった後、複数の親子でミスドに寄るなぁんていう社交は親子で縁がなかった。低学年からやっていて続いたのは、通信教育とボーイスカウトか。あぁ、それとレゴブロックの教室。通い始めたのは2年のときか。6年生の夏まで続け、受験が終わってまた再開した。通信教育のことは、機会を改めて書こう。
2007.02.23
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しばらくの間、みなさんの日記を拝読するばかりであったが、またボチボチ始めようと思う。息子の受験が終わったら片付けようと思っていたもの・ことが山積みである。手をつけてみたが、書棚のサイズなどから抜本的に見直さねばならず、すでに頓挫。いざとなると捨てるには惜しいものが多くて・・・。そんな山の中に、2年ほど前の日記帳があった。パラパラ見ていて、とりとめのないことしか書いていないのだが、やはり日記はいいなぁと改めて思い、こうしてブログを再開する次第。一時、藤原正彦さんの著作にはまったことがあって、文庫をまとめて購入したが読んでいなかった本を読んだ。藤原さんの数多くのエッセイの中でも、ご自分のお子さんとのことを父として、夫として書いたものが好きなのだが、「数学者の言葉では」の中では藤原さんのお父さんのこと、それもご自分が子どものときのことではなくて、初めてのエッセイ出版の頃以降、モノ書き同士としての会話などの父子のお話を興味深く読んだ。続けて「世にも美しい数学入門」を読んだ。出版された当初は、売れ筋本過ぎてちょっと手が出しにくかったのだが、先日書店で見かけて、小川さんとの対談が書き物とは違った言葉で面白いかな、と思っていたのだった。でも、買ってもまた読まないだろうな、と思い、また棚に戻したのだった。結局、昨日図書館で違う本を探していた折、目に入って借りた次第。「博士の愛した数式」も読んでいないのだが、ラジオドラマで聞いて話は知っていた。聞いていて印象に残っていた友愛数の話などが対談でも取り上げられていて、私なりにひと時、数学の美しさを楽しんだ。また、数学検定を受けたくなってきた・・・。
2007.02.21
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