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2021.03.28
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カテゴリ: 生活



"自分を傷つけるものは許さない"って
思ってた。

小学校低学年くらいからかな。
くぎとか、バラの棘とか、金属片とか
拾って集めてはポケットに入れて持ち歩いてた。笑

何かに襲われたらっていつも
シュミレーションしながら生きてたな。

でも不思議と親に対しては

やられっぱなしだった。

私が言うことを聞かないからと叩かれた。
帰りが5分でも遅れると真夏でも雪の日でも
父親が帰ってくるまで3時間以上外に出された。


毎日宿題とお高い教材のドリルを
学校から帰ってやるのだけれど
自分の部屋だとうたた寝してしまうから
階段に電気スタンドを持っていき
階段を机にして勉強するんだけど
ついうとうとしてると、背後から蹴られる。

頭を階段の角に打ちつけられて、

家中を引きずり回される。

私、たんこぶってぶつけたらなるもんだと思ってたけど
髪の毛をひっぱられても、頭はボコボコになる。
その辺に髪の毛が散らばって、
「汚いから拾っておけ。」と言われる。


床のものを蹴った。
トイレの扉が閉め切れてない。

怒られたら冷蔵庫に貼ってある紙に
正の字を書いていく。

その正の字分、夜にまとめて
孫の手にテープを巻いて
強度を上げた棒で手や足を叩かれた。

爪を噛む癖が直らなくて
水曜日は爪を見せる日。
当然伸びてないから叩かれる。

顔を殴られて目の上に青あざができても
先生には「たんすにぶつけた」と言い、
毎回口の中が切れて血の味がしてたし
鼻血もよく出た。
腕や足、背中はミミズ腫れとあざ。

「アホ」「マヌケ」「嘘つき」
基本名前ではなく「くされ」と
呼ばれる。(差別用語ですね。)

褒められたことは一度もない。


毎朝、昨日できなかったドリルが
全問正解するまで朝学校に
出してもらえないので分団登校に遅れる。

ちょうど追いつけなくなった頃に
出されてひとりで登校した。


肉体的にも、精神的にも
これでもかと言わんばかりに
傷つけられ、苦しめられた。

でもその毎日がずっと普通だと思っていた。



中学に上がって、仲良くなった子も一人っ子。
でも、恵まれた一人っ子で
怒られることも殴られたことも一度もないと…


それが普通だと知った時から
私の中で怒りと憎しみが生まれて
自分の自尊心のあまりの低さから悩み
だんだん病んでいった。

私が悪い子だったから、
言うことを聞かない子だったから
躾としてやっていた。

親はそう言った。
でも、私が大人になると冗談で
「いつ私ら殺されるかわからんな。」
って笑って言っていた。

私も「そやで。」と笑う。


親はいたって普通の人。
専業主婦にサラリーマン。

ただ、母は片親で姑達によく思われてなく
歓迎されなかった。
最初は一緒に住んでいたけどいじめられて
家を父親と二人で出てきたらしい。

当時ノイローゼぎみで
それから私を産んだけど
上手く思い通りに何事もいかなかったから
そんな風な現実になってしまったんだと私は思う。

だから誰が悪いでもなく、
状況や環境が人をそうしてしまうということ。

私は思った。
母と同じことをしていると。

母が私にしてきたような意地悪な考えが
私の身に染みついている事を思い知る。

自分がやられて嫌だったことはやらない。
そのつもりが、やってしまっている。
事は違っても、同じようなもの。

私の中にも受け継がれてしまっている。

虐待は繰り返すという。
だから私も子どもはいらないと思う。

自分にもそういった気質があるということ。

それはもう、ずっと学生の頃からわかっている。

その頃も言われた。
「あなたは母親になるよりも
子どもと同じ目線で子どもと
関わりを持つことの方がいい。」と。

カウンセラーの人も言ってた。
私はずっと子どものままだと。


今もそう思う。
私は永遠に子どものままだ。


でもなぜだか、周りはそれを許してくれる。

…きっとそんなの関係なく、
子どもっぽい性格なんだろうけど。笑

親を恨んでいるかと言われると
今はもう恨んでもいない。

もう十分だと思った。
私も病んで、親もそれがわかっていたと思う。






小6の頃、初めて腕を傷つけた。
手芸用のカッターで、十字に切りつけたのが始まり。

お守りみたいなものだったか、
暗示みたいなものだったか。
無意識にやってた。
だから隠すこととも思ってなくて。

親はその傷を見て、
「そんなみっともないことは止めろ。」と言った。

それっきり腕のことには触れなかった。

中学になって信頼できる友だちもできて
そんなことはしなくなった。
本当に仲が良くてなんでも話せた。

でも、その子は高校も離れて
変わっていった。


そのことでまた病んでいった。

腕を切ることが常習化して
傷も深くなり増えていった。

漠然とした正体不明の不安に襲われ
何か嫌なことがある度に切りつけた。

そうするとすっきりした。
死にたいからやるわけじゃない。

切ることで
その時あった辛さや苦しみから
即座に解放される。

痛みによって、脳内麻薬が出る。
それが癖になって辛いことがあると
繰り返し切ってしまう。

もう、依存症なんだろうね。
酒とかタバコと変わらない。
体がそれを受けつける、だから切る。

だから止められない。
止めろと言われても、それ以外の解決策が見つからない。
酒タバコが止められないのと同じ。

体を傷つけているのは同じ。
なのに大人は止めろという。


その頃には完全に心を閉ざした。
カウンセラーにも心療内科の先生にも
本当のことなど喋らなかった。

人に話してどうにかなるわけでもないし
薬飲んだからってぼーっとして
廃人になるだけだし。

高校は2年あたりから途中から行ったり
途中で帰ったり(どこかで時間潰して帰る)

過敏性腸症候群も1年後期から発症して
授業中が辛かった。

単位ギリギリ間に合うようには行って
ある程度はなんとかなった。

学校は楽しかったし、なにより大好きな図書館があったし、
友だちにも恵まれたし
悪いことはひとつもなかった。


ただ自分の内だけが荒れていた。
ただそれだけ。

高2の冬、首を吊ろうとしたが失敗。
目の前が砂嵐になって真っ白になっていって
死ぬのか…って思ったとき、なぜか
"親にわるい"ただそれだけが頭の中に。

泣いたよね、ただその後は泣いた。

なんであれほど親を憎しみながら私は
そんなことを思うのだろうって。


その後何も知らない母が外出先から帰ってきて
「大判焼いまから焼くけど食べるか?」って。

そのときの大判焼がなぜかすごく美味しかった。



高3の頃、現文の先生が私の小論文を褒めてくれた。

私は臨床心理士になるため大学進学を目指してた為、
小論文のお題をもらい、毎回放課後に
出しに行っていた。

その先生は、授業中突っ伏して
寝ている私の腕を見て気付いたらしい。

いつだったか、虐待についてのお題が出た。
「これはリアリティーがあるけど
実体験なの?折檻を受けてたってこと?」


いろんな話をした。
夜遅くまで話を聞いてくれた。


「もう哲学の領域だね。」なんて笑いながら。

なにかアドバイスするでもなく、
ただただ聞いてもらえてるだけでよかった。

辛いのを辛いままで受け止めてくれる人がいる。
無理強いすることなく、ただ淡々と。

切ることも止めろとは言わなかった。
へんなポジティブ論もなく。
むしろネガティブだったけど。笑

そしてひとつだけ言ったのは
「早く家から出ること。」

…結局30手前まで家にいましたけど。笑








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最終更新日  2021.03.28 07:32:42
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