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2026年10月01日
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カテゴリ: モーゼ Moses


https://www.facebook.com/photo?fbid=1098494992529385&set=a.204590215253205

【屋根の上でははしごはいらない】⑦~屋根の上に上がったらはしごを手放すのです~

少し長くなりましたが、わたしもこの皆さんのところに出る機会というのは、ずっと楽しみにしてきたのです。今がいちばんいい時期ではないかと判断いたしましたので、今日は出させていただきました。

どうか皆さん、ご自分の反省は必要ですよ。反省をしなければ、そこに魔が入ります。でも、反省をしすぎる仏教徒たちをただ見るにつけ、どうしてもっと自分を創造されたときの神の期待に応え、誇りを持つことができないのか。もっと唯一の、唯一の存在として、素晴らしさを、素晴らしき光を投げかけることができないのか。

自信を持ってほしい。
清濁あわせるというではありませんか。悪いところ、いいところも含めて、個性というのができるのです。いいところばかりでは個性はできない。だからいいところも含め、悪いところも含め、個性化してきた、その部分をもっと信じて、自己信頼をして、自分ならではの花を聞かせ、この使命のために一丸となっていただきたいのです。

己自身の悟りというもの、境地というもの、それは実践を踏まなければ格は上がらないのです。仏教徒たち、間違えてはなりません。アラハンであるとか何であるとか、そのようなものは、ひとつの角度から定義づけようとしたものであって、トータルな意味での悟りの段階論とはまた違うのです。

それは、仏陀の知恵の中においてつくられたものです。確かにそれによって多くの者たちが少しずつ段々を上がって、多くの者が、地球的な部分でいったらば、高いはしごに登っていった実績があったではありませんか。でももう、知っていますか、屋根の上に上がったらはしごはいらないのです。

屋根の上に上がったら、はしごはいらないのです。
あなた方は屋根の上にもうすでに上がったにもかかわらず、はしごを手放したくないと、はしごにしがみついているのではないのでしょうか。



屋根の上に上がったら何をしますか。
大空にかかっている星々に対して、その宇宙の美しさが見えているのならば、その星の美しさを多くの人びとに伝えてあげなさい。宇宙はこんなに広いんだよ。屋根の上に上がったら、こんなに美しい星々が見えたよ。他の天体にも素晴らしい人びとがいるんだよ。そういうことを伝えてあげなさい。

屋根の上に登ったというのに、いつまではしごを握りしめて、また下の世界が恋しくなっているのでしょうか。
あなたにしたって、霊道を開く、開かないということで、アラハンだのなんだの、こだわっておられるように思いますが、あなたは屋根の上にもう登っているのに、いつまでたってもはしごが離せない、そのような仏教関係者のひとりと同じなのです。だから、いらぬ縛りがあるのです。

屋根の上に上がるまではね、煩悩からある程度離れる必要があるのです。だから仏陀は、そのための段階論として、修行の体裁論として、あのようなことをいろいろ言われたのです。
でも、屋根の上に上がったらね、それはもういらないんですよ。
屋根の上に上がったなら、はしごは無用なのですよ。

屋根の上に上がってその美しさ、満天の星々の美しさを、大銀河の美しさを、人びとに伝えていきなさい。
あなたの使命が降りているではないですか。

小さな、小さな仏教という枠の中に縛られていては、これから到来する神の神理を述べ伝える、そのような使命は負うことはできないのです。仏陀の世界だけがすべてではないのです。イエス・キリストの説かれた愛の教えは素晴らしいけれども、それだけが全てではないのです。

イスラム教徒だって、なんだかんだ言いながら、性の退廃を、女性たちがあのようなことをすることによって、防いできたこともまた事実なのです。そして、誰よりも、地球の中で神を信じ、生活の中に息づかせているのは、イスラム教徒ではないのでしょうか。



朝な夕なに礼拝をし、人生の中にしっかりと神というもの、神と共に生きるということが即信仰心であるという、生活の実践の場において、神と共に生きておられるではないですか。そのイスラム教徒に対して、自分たちのほうが上だと言えるでしょうか。

だから、時代の中において、地域的なものの中において、それぞれの真実、必然性、そして、それが求められた目的という時代的背景というものがあるのです。それを引き受けながら、地域を担当しながら、我々九次元は、八次元のマホメットにしてみてもそうですが、引き受けて出ていった。そして、地球の歴史をつくってきたのです。

でももう、何度も繰り返しますが、もう今日は、そういう地域的なもので過渡期的な宗教ではなくて、最終的な地球正法的な部分において、根源的な神々はみな仲間であるという認識に、もっていかなくてはいけないのです。それをやるのが今回の計画なのです。

モーゼ(モーリア)『サタンとの最終決戦』より

全文はこちらをご覧ください。





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最終更新日  2026年10月01日 07時05分03秒
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