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消えたもうひとつの原爆ドームといわれる長崎の浦上天主堂。
ご存知ですか?
長崎への原爆投下により、爆心地から至近距離に在った浦上天主堂はほぼ原形を留めぬまでに破壊された。
投下当時、8月15日の聖母被昇天の祝日を間近に控えて、ゆるしの秘跡(告解)が行われていたため多数の信徒が天主堂に来ていたが、原爆による熱線や、崩れてきた瓦礫の下敷きとなり、主任司祭・西田三郎、助任司祭・玉屋房吉を始めとする、天主堂にいた信徒の全員が死亡。
正確な死亡者数は不明。
昭和21年から13年間ほどの間は、被爆した天主堂は瓦礫を撤去し整備されたが、一部外壁の廃墟などは原爆資料保存委員会等の要請で被爆当時のまま仮保存されていた。
当時の長崎市長・田川務は、米国セントポール市との姉妹都市締結を機に今後の日米関係など政治的背景を重視。
1958年の市議会で「原爆の必要性の可否について国際世論は二分されており、天主堂の廃墟が平和を守る唯一不可欠のものとは思えない。多額の市費を投じてまで残すつもりはない」と答弁し、議会決定に反して撤去を決定した。
同年7月11日 浦上天主堂の廃墟の一部を平和公園内に移設し、原爆遺構として保存。高さ13m、幅3mの側壁が復元。
浦上天主堂そのものは、すべて撤去され、原爆投下以前の状態に復元された。
浦上教会信徒会館2階には再建時に発掘・収集された被爆物(溶けた聖母像・被爆マリアや聖杯・ロザリオなど)を展示する資料室を併設しており、自由に見学が出来る。
なお、 長崎原爆資料館 では、原爆投下後の浦上天主堂の写真などを見ることができるそう。
『消えた原爆ドーム』は貴重な遺功が政治的な判断で取り壊されたと言ういち例。
ただ、政治的判断だけでなく、当時の人の『いつまでも残しておくと、その当時のことを思い出して苦痛だ』と言う意見も多かったらしい。
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