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これを書くのも久しぶりになったよ。あれからの月日で結婚と子育てになったからね。 でもこれからは娘の事も書こう。娘、かわいいよ。(親バカなのはわかってる)今は小学1年になりました。 写真も娘中心でフォトムービーの制作です。 また、日記もできる限り、書けるように頑張ります。(但し、マイペースだよ。)ではまたね
2013年05月06日
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ステレオが欲しくなったのは中学生の終わり頃だった。友人らと集まるといつもこの話題だった。 でも、そんなにほしい・・・とはおもわなかったけど(まず、買えないのは十分承知だったから)さほど、気にもしなかったけど、しばらくして、ヤマハだったか、テクニクスだったか(多分テクニクス)TVのCMで白いステレオがあった。それがとてもかっこよかった。♪わたしの鳩を探してちよぅだい~♪と、綺麗な歌声と共に流れていた。 当時の価格で12万かそこら。とても親にねだれれる金額ではなかった。だから、働いて買う、それしかなかった。アルバイトもやりだした、新しい学校に行き、そして新しい友人もできた。 その友人も音楽が好きで、ステレオの話も沢山した。でも、この友人との話題で、ステレオへの思いが変わりだした。 つづく・・・
2007年01月07日
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このブログは私の思い出の時間旅行です。これが私のブログスタイルです。 今朝、久しぶりにKと言う、喫茶店に行った。店は綺麗で、音楽が流れていた。実はこの音楽がきっかけで、久しぶりに書くことになったよ。 店にあるスピーカーはたいしたもんだ。黒の漆塗りで、年代ものだった。マスターのこだわりだろう。私もオーデオにはまってた時代があった。働いて間もない頃、給料が6~7万のほとんどがステレオに消えていた。アンプ、デッキなどひとつひとつを買いそれえていたからだ。2年ほどで、全部一通りそろったが、その頃には中古の車が買えるほどになっていた。 スルバーに輝く独特の重みのあるツマミは、まわすほど嬉しさに親しんでいた。よく聞いていたのは、カーペンターズで、深夜ラジオの流れる曲をよく聞いていた。だからレコードもそれなりの数を持っていた。雨の休日は、いつもステレオと過ごしていたよ。 やがて時代はコンパクトが売り出され、あっ、と言うまに大型のコンポは取り残され、部屋の大半をしめていたステレオは、いつかホコリが積もるようになった。 つづく・・
2007年01月06日
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秘密のバイトはもうからなかったけど、学校の帰り道、こずづかいがあるとき、たこやき仲間がいた。通学路から離れて、1軒の小さなたこ焼き屋へ行く。その店は学校の生徒の溜まり場のような店で、1組が入ると、他は入らない。いわゆる相席は暗黙でしなかった。たこ焼きや、わらび餅を食べながら普段話せないような事が話せる 赤ちょうちん のような店。でも校則には違反で、みんなうまく通っていたみたい。 ある日、土曜の学校帰り、いつもの店に行った。そしたら、店に入っているところを担任の先生に見つかってしまった。ヤツは店の奥に隠れたが、ナテラは見つかり、「こんなとこで何しているや?」と聞かれてしまった。あまりにも急だったのでいいわけも言えず、とっさに思いついたことは「あ、あのぅ、これ、お昼ご飯です!」・・・・。バレバレのうそに先生、ニャ、っと笑って「そうか。」と答え、店から離れて行った。その時、相棒が奥から出てきた。よっぽどあわてたのか地面にたこ焼きがころがっていた。
2002年01月13日
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写真部に入っていて面白かった事は、誰にも言えない、言ってはいけない秘密のバイトをたまに引き受けた。 クライアントは誰もいない教室とか、学校の帰り道に接触をする。映画のようなシーンだがホントである。 ナテラにミッションをたのむのは圧倒的に女性が多い。その内容とは「好きな男子生徒の写真をとってほしい!」と言う依頼。それも相手に気ずかれず、密かに欲しい・・・。なんせ彼女達は片思いの時が多く、気持ちをうちれない・・・せめて写真だけでもと思っている。だから誰にも言えないバイトなのである。誰が誰を好きか、ホントはよく知っていた。出来上がった写真を渡すと喜んでくれて、何度も礼を言われる。写真代は50円。当時はサンドイッチが40~50円位したから儲かった・・・?実はいつも赤字だった。なぜかと言うと、その1枚撮るのに4,5枚は撮らないとダメだった。なんせ 判らないように撮るのだからね。失敗は絶対に出来ない。そんな事よりも、勇気を持って、告白してくれた彼女達をがっかりさせたくなかったからね。 まぁ、「ナテラの写真が欲しい!」っな娘はいなかったけど。(;_;)
2002年01月12日
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写真部の仲のいいWは家も近くて放課後よく遊んだ。文化祭とか体育祭が近ずくとカメラの話で盛り上がる。自分の好きな話をしているので、Wといるとイヤな事があっても忘れるほどイイ話相手だった。 (もてないのも2人の共通の話題) 2年生の時の文化祭。Wが新しいカメラを買ったらしいので見せてもらった。まあ、そこそこのもんだろうと思い、期待はしていなかった。でも開けてビックリ!カメラ好きなら知る人ぞ知る、キャノンのF-1だった。F-1は、プロも愛用するキャノンの最高機種である。交換レンズは全種揃っていた。まぁ、値段は聞かない方がいいと思った。ナテラのカメラが20個は軽く買える。こんなカメラで文化祭を撮ったら完全に負ける。友であり、ライバルなので少し落ち込んだ。「金持ちはいいなぁ」っとホント思った。 文化祭当日、Wは2階でズームを使い、そこを陣取った。ナテラは逆に1階から2階と軽いワークで変化を付ける写真を目指した。 文化祭も無事終わり、Wの写真が出来上がった。写真の感想はひとつ。「これ、ほんとにF-1で撮ったの?」と言う出来具合。 そう、カメラを完全に使いこなせないでいた。それに3脚の固定だったので、同じパターンの写真ばかり。Wはカメラが重いので場所変えができず、クラスの出し物が記念写真のようになっている。 F-1なんて中学生の持つカメラではないね。やっぱり、それ、相当の人が持つべきカメラ。自分のカメラを見て、「このカメラで良かった。」と思う。そしてこのカメラを無理して買ってくれた親にも感謝!
2002年01月10日
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パンもよく食べたが、なぜかヘンな記憶がひとつ残っている。中学校ではお昼は校外へ出るのに許可がいった。だいたい許可が下りるのは、購買のパンが売り切れた時とか弁当を忘れて家に取りに行くと言う理由でないと外へは出られなかった。 いつの頃か、別クラスのヤツがナテラにヘンな話を持ちかけよった。「メシ、食いに行けへんか?」と誘われた。パンでも買いに行くのと思い、OKした。そしたらな、なんとそいつ、学校の塀にハシゴをかけ、ハシゴを登ると次にゴミ箱があってそこに足をかけて学校の外へ出よった。聞く所によると、いつもこうしているらしい。連れていかれたのはこれまたビックリ!大衆食堂だった。当時は喫茶店に行くのも抵抗あったのに工事現場のおっちやんに混じってお昼をするとは・・・。何を注文していいのかわからず、そいつが頼んだ野菜炒めと中飯、同じ物を頼んだ。まぁ、おいしかったけど、複雑な思いだった。 学校のお昼の小さな冒険。
2002年01月09日
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ミリンダっと聞いてピン!ときた方はペプシコーラ好き?ミリンダとはコカ・コーラが作るファンタみたいなヤツ。放課後校門前のパン屋でよく飲んだ。理由はファンタに似た味で、中身がファンタよりも多かった。中学生の間では名の知れた存在でした。 たこ焼きとミリンダ、かじりかけパンとミリンダ、?を思い出しました。ミリンダは今もあると思う。大阪の高槻にある会社。ヘンな飲み物もあった。どすこい!と言う名のちゃんこ味のスープ。 まあ、これは最近だけどもね。歌手もいる。山本ミリンダ。 あ、しょ~もない事かいてすいません。明日は真面目に書きます。・・・・。
2002年01月08日
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1年の時。朝の通学路の途中にパン屋さんがあって、みんなよくそこでパンを買っていた。ナテラも時々買っていたが、パンだけ?ではなかった。そこの店番をしているおねえさんを見たかった。結構綺麗な女子大生のような方だった。ニッコっと微笑んでくれて「ありがとうございます。」と言ってくれる。う~ん、よかった!。 鼻の下を伸ばしながら学校へ向かった。 ある日、学校の通学門が変わり、そこのパン屋さんと逆の方向になってからみんなそこへは遠いのでよらなくなった。あの時のおねえさんも今は・・・・になっているかなぁ。 お昼休み。クラスメイトのSが大きなパンを食べていた。ナテラがそのようすをジッと見ていた。あのおねえさんの事思い出していんだけど、Sのヤツ、「ほしいんやろ、あげるよ。」と言ってくれた。ナテラもつい、吊られて、うなずいてしまい、男Sの歯型の着いたパンをそのまま食べてしまった。うわ~~っと思ったが遅かった。ナテラの初めての男との間接キッス! 気持ちわり~ぃ。
2002年01月07日
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たまにいつもの3人で銭湯へ行く。あの頃は家には風呂が無いのが当たり前だった。3人は風呂の中ではおとなしい。フツーの中学生。風呂上りにはラムネを飲む。コーラもあるが、ラムネのほうが安かったから。アルバイトをしたKが大体初めに言い出す。 「ネーブル」って知ってる?「ネクシー」とかも有った。そう、ビンに入ったジュースの事。夜店なんかでも時々見かけるが、あれって、ビンの底に粉が溜まったみたいだった。他にマミーもあったけど小さいビンに入っていて、お金が無い時、安いのでよく飲んだ。そしてこの次に風呂へ行く時は別の銭湯に行く。普段はそれぞれ家の近くのとこへ行くので小さな楽しみでした。
2002年01月06日
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思い出の公園を見た時、1年の時に初めて友達が出来た時、よくこの公園にきた。ブランコに乗りながら学校のことや、A先生の事を話した。3人とも子供みたいにブランコが好きだった。 ある日、この公園に自転車で飴細工売が来た。懐かしく思って3人で見ていたら中学生だったので追い払われた。 そいえば昔は何でも自転車や屋台で物を売りに来ていた。屋台のキビ団子、おいしかった。焼いも屋はにぎやかに来るが、キビ団子屋はタイコをたたいて来る。みんなそのタイコの音を聞いて集まって来る。お金を渡すとおじさんが蓋をあける。中からフヮ~っと白い湯気が舞い上がる。その瞬間、団子のいい香りが舞う。団子は灰色のような団子で粒は小さく、5~6個の粒がひと串になっている。アツアツをその場で食べるんだが、あまりお腹のたしにはならなかった。 ブランコに乗っていた頃でさえ懐かしかったので今はもう、無いと思う。おみやげにもらうのとは全然ちがうよ。懐かしのキビ団子。
2002年01月05日
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遊ぶときはいつも3人。この時の組み合わせはナテラとBとK。 賽銭拾いのBとWとはちがって少し悪がきのトリオ。昼間は他人の家の「ピンポ~ン!」と勝手に押す。そこで逃げたらただのピンポンダッシュになるが、我らは一味違う。ちやんと応対して家の人が玄関まで来たのを確認してからダッシュで逃げる。 その筋書きを一人一人する。Bの番になった。ピンポ~ンっと押したまでは良かった。インターホンに向かって、「もしもし、あ、あ、あのう、野菜屋ですけど・・・。」 コイツ、あわてて、八百屋と言うところを間違えよった。我ら、大笑いしてこの遊びは終わった。 今日は大晦日。夜の11時に再び3人組会う。初詣に行って女の子のグループと仲良くなる!それが目的。声かけ役はあのBだった。 理由はモテルから。いざ、神社に着くと、人が多い。みんな女の子だけのグループを探す。が、だいぶ探したけどいなかった。まあ、こんな時間帯だし、あたりまえか。せっかくナテラもBもカッコイイ格好してきたのに・・・。でも、あのBだけは普段着で帰り際に「お化け屋敷入ろう!」っと言ったのはビックリした。 まだまだ子供だな。昨日、その神社の前に来た時、思い出した。
2002年01月04日
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あの悪がきのKにアルバイトに誘われた。全部Kが見つけてくれてあとは2人で面接となった。面接の前にKに注意された。中学生なので生年月日を間違えない事。なんせ中学浪人と言う筋書きになっていた。面接はKの筋書きどうりだった。ナテラに「生年月日は?」と聞かれたが、答えに詰まっていると、横からKがそっと教えてくれて、助かった。 仕事は自動車用品の問屋。伝票を見てその品番の品を送り先ごとに準備するのが仕事だった。Kは少しでも時給が高いほうがいいと言って、少し離れた現場に行った。(心細かった)2人共真面目に働いた。仕事が終わってかき氷を2人で食べた。仕事で疲れているのになぜか輝いていたように思う。 明日は学校の登校日。ナテラもKもアルバイトを休んで学校へ行く事にした。やっぱり、学校大事だからね。 「おはようございます」でバイト先に入ったら突然「辞めてくれ」と言われた。昨日、ずる休みをしたからだった。Kもクビ。 ナテラが学校へ行くことでKを説得したからKは怒っているかなと思った。Kは残念そうだったけどニコッと笑いよった。たった3日間のバイトだったけど、いい人生経験だった。6千円ぐらいのバイト代ももらった。自分で得た初めての金だった。いい思い出だったので賽銭の事は奥のほうに閉っておくよ。
2002年01月03日
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2年の時、いつもの3人組で秘密の初詣をした。ここに書けるのはもう、すでに時効となっているので・・・。 3人はただお参りするのではなく、みんな目的を言い合った。それを実行する。ナテラとWは「お賽銭拾い。」結果は悲惨だった。 ひらうには拾ったんだけど、1円や、5円、10円ばかり。100円なんてなかった。おまけに警備員に2度捕まって、2人共そこへおられなくなった。3人のリーダーのBを探して成果を聞いた。ヤツは小銭は拾っていなかった。ただ、時計をひとつ拾っていた。でもほんとうの初めの目的は・・・おんなの子のナンパだった。どこでどう、違ったのかこういうことになっていた。 あまりにもしょもない事だったのでこんなことをしたのは始めで終わりだった。 この話を聞いて行きたがったKよ。バチがあたるぞ!賽銭箱を開けたら中、空っぽ。詳しく聞いたらお前が以前にもやって、それで中身はないんじゃ。 これはこの時だけの秘密。クドイが時効だよ。
2002年01月02日
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ナテラの時代は外で遊ぶと言えば映画とかアイスや、ローラースケートなんかであった。遊園地なんてとても行けなかった。 ローラースケートに誘われた。当然女の子も誘うんだがローラースケートに行くと言う事は少し違った目的があった。スケート場へ向かう電車の中でもそうだがなぜか男と女は別々に行動するのである。靴を履き替えて滑るのも別々。・・・。ガリも来ているので少し気にはしていたけど、思っていることは他のヤツらも同じだった。 お昼になって、みんなでカップヌードルを食べた。(当時はこれが発売されて間がなかった。)食べている時は話に花が咲く。やっときっかけが出来たって感じ。 午後からは全員で手をつないで滑った。係りの人に注意されてすぐに手を放すんだが、これがチャンスだった。当然どこかでペアになる。ナテラもガリのところへ行った。「一緒に滑ろう!」待っていたようにうなずいてくれた。一番楽しいひと時である。ガリの手が暖かいのは手袋のせいだろうか。滑るのをやめて何やら話をするヤツもいた。ナテラも一生懸命エスコートしたと思う。 帰る時間が近ずくととりあえず、こんどは今とは別のカップルになる事となった。ガリはすぐに連れていかれた。ナテラはオックンと言う子とカップルになった。初めてはなしをしたがいい感じの子だった。 帰り道ではガリとは駅が違ったのでこのオックンと一緒だった。オックンとは終始無言だった。ガリの事があるので声かけずらかった。もし、もしもガリの事がなければデートに誘っていたと思う。 中学生の淡い思い出だった。(^_^メ)
2002年01月01日
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別にやせている・・・わけではないのに女の子の間ではそう、呼ぶ。苗字はKだが名前は漢字3文字で結構いい感じ。よく笑うので話かけやすいのでよく話をした。友達に頼んでそいつを写すフリをしてKをUPでカメラにとった。何枚も何枚も部活で焼き増しをした。1年の時のクリスマスパーティーはいい思い出となっている。 青春映画を見に行ったり・・、電話が掛かってくるだけで嬉しかった。「付き合って!」と言った時は笑ってごまかされたけど。 もう、ナテラの事は忘れたかなぁ?ナテラは忘れないけど。 ゛ガリ゛と言うキーワード、残しておきたい。
2001年12月31日
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1年生の時から同じクラスだった。彼女はいつもポニーテールで真っ白のエリ。あんまり話をした事がなかったが、M達とボーリングに行ったときいっしよに遊んだのが初めてで、それからボーリングのメンバーとは違うメンバーとよく遊んだ。この頃になると男と女のグループで遊ぶ事がおおかった。そして彼女の家で何人かで勉強をした事があった。彼女の家は大きかった。リビングなるとこで勉強をしたが、実はそこで初めてカラーテレビを見た。この時代はまだ白黒が主流でカラーテレビのある家はほとんどなかった。 そこで初めてマジンガーZをカラーで見た。色はイマイチだったけど羨ましかったのを覚えてる。当時はカラー放送の時は画面下にカラーって出てたんだ。たいへん余計なお世話なこと。 話は変わって、2年生の思い出の大半は彼女がしめる。次回にまわす。(-_-)
2001年12月30日
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今回から2年の思い出になっていくんですが、担任のことを最後になってしまったので、2年生は担任の先生からの日記。 2年の担任の先生は若い女の先生と違って熊みたいな(失礼!)男の先生だった。教科は数学。1年の時から数学も先生もキライだった。はじめての授業の時参考書を買い、予習をし、熱心に先生の話に耳を傾けた。ノートもちゃんと書いた。宿題もした。あたりまえのことをあたりまえにした。でも、正直なところ、なかなか勉強についていけないのが現実だった。 ほかのメイトは遊んでいても勉強はちゃんとしてるんだ。なんかナテラだけが独り。淋しかった。勉強もするんだけどなかなか時間だけが過ぎて気がはいらない。ナテラの人生を変えていったのはこの頃だと思う。そんなナテラの気持ちを察して「おお、がんばってるな」と言ってくれたのになんでこの先生がキライなのか。そうではなくて勉強についていけない自分がキライだったのだろうか。
2001年12月29日
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いつもクラスメイトの事ばかりだったので今日は担任の先生の思い出。ナテラの担任の先生は大学を出たばかりの22歳の女の先生だった。少し化粧が濃い目だった。彼氏はいない。教科は国語。フツーの先生。よく黒板(当時はチョークで書いた)に字を書く時、背伸びをして書いていた。初めての学校で初めての担任。しかも、初めての社会。そんな先生の思いはたった1年間だけ。1年で教師をやめた。 このクラスが初めと終わりだった。先生を辞めるとき、ホームルームでみんなに理由を話してくれた。「先生ね、結婚するの。」先生は、友達の結婚式に呼ばれてそこで知り合ったのがなれ初めだった。先生は嬉しそうに話してくれた。先生の1年間は長く、待ちどうしかったと思う。このクラスだけは最後まで担任だった。 2年生になった時はもう学校にはいない。卒業アルバムにのみ、A先生の笑顔を見る。
2001年12月28日
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写真部の仲良し3人組で放課後遊ぶことになった。いざ、3人そろってみると、中途半端で何もできない。そこで他にだれか誘うことにした。その中の1人がツムラを指名した。その理由は彼がまじめで勉強もトップクラス。かといってガリ勉でもない。そんなヤツと一緒に遊ぶとしたらどんな遊びになるか誘ってみたかった。 指名したヤツが記憶をたどって彼の家へ向かった。ここがヤツの家かと思いつつ、みんなで叫んだ。「ツムラく~ん、ツムラく~ん!」。返事がない。こんどは扉をノックしながら「ツムラく~ん!ツムラく~ん!」。まったく返事がない。みんなはそこに彼がいると信じて「ツムラく~ん!」。ヤツが出てくるまで呼び続けた。すると扉がすーっと静かに開いた。そのとたん、怖そーなオバハンが顔を出し、仲良し3人組にむかって怒鳴りよった。「うるさいわね!、ツムラくんなんていないわよ!」・・・とすごい剣幕で言われた。完全に頭に血が登っていた。なんども謝ったがなかなか許してもらえなかった。やっと開放されたときはクタクタになっていた。 月曜の朝、この事を本人に話したら、一言、言われた。「それ、俺の家とちがうで!」・・・・・・。
2001年12月27日
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1年生の時の丁度今ごろだったと思う。男数名(分類上は悪ガキ)で某工事現場の中で焼き芋をした。ヒマでヒマでナテラが持ちかけたんだが、みんなもすぐに話にのった。芋を八百屋で買って、みんなで場所探しとなった。当時は空き地がたくさんあったのでそこでするつもりだった。が、寒い。風が吹いて寒くてたまらず、そこから離れ、新たに場所探しとなった。そして見つけたのが大きな土管の中。風は入ってこないし、人から見えない。古木も沢山ある。絶好のロケーションだった。焚き火を囲んで話がはずみ、やがて芋が出来上がる頃にはすっかり暗くなっていた。 その時、突然「コラー!」って怒鳴られた。工事現場のオッサンだった。全員一目散に退散!ナテラの前を逃げていたHが柵の所でもたついてナテラがつかまりそうになったが、走っている時にオッサンがこけて、助かった。このまま、焼けた芋を残して帰るのもシャクだったから、ほとぼりが冷めるのを待って芋を取りに行くことにした。抜き足、差し足で土管の中をのぞいたらあるはずの芋がない!ない!ないではないか。そう、焼きたての芋はオッサンたちのご褒美となっていた。クヤシ~ィ。
2001年12月26日
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中学生になってラジオをオヤジに買ってもらった。質屋で買ったらしいが、自分専用だったのでうれしかった。当時、どうしてもこれがほしかたのは深夜放送を聞くためだった。深夜放送はちょつとしたブームだった。学校の休み時間などはよく話題にのぼった。「昨日のバチョン聞いたか?」という風に。特に「ヒットでヒットバチョンと行こう」がみんなのお気に入り。特に水曜日の浜村淳の手紙を読むコーナーはよかった。このコーナーで使っているBGM(夜空のトランペット)も好きでわざわざレコードを探して買った。 浜村淳の語りとよくあった。そして哀愁を感じた。人の思いや人生、悩みを知る。ラジオはほんとによかった。ラジオから流れた歌を聴いてレコードを買った。チューインガムの”風と落ち葉と旅人”は思い出の1曲である。 バチョンのほかにヤンリク(ABCヤングリクエスト)なんかもよく聞いた。二鶴さんのコーナーもおもしろかったなぁ。ラジオを聞きながら勉強した。(ような気がする・・・)ラジオもナテラの思い出。
2001年12月24日
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同じ小学校出身なんだけど、中学で同じクラスになって初めて話をしたI・Yさん。彼女とは実は家も近く、幼い頃から知っていた。 ナテラが幼稚園の時、母親に連れられてよく銭湯へ行った。その時からお風呂で時々会っていたのでI・Yさんは知っていたので照れくささもあり、今になって初めて話をした。話をしたら明るくてかわいい。ある日、クラスの話題でブラジャーの話になった事があった。だれがしていて、だれはしていない・・と。男子みんな加わっていた。実は女子も女同士なら話をしていた。思春期だったので、わりとだれもが普通にしてた。Iちゃんはブラをしているかしていないかとなり、だれもわからなかったので本人に聞いてみる事になった。恐る恐る聞いてみると、「してないよ!さわってもいいよ。」と言われた。そーっと背中に手をいれた。幼なじみとはいえ、この瞬間ほどドキドキしたことはなかった。 この持ち前の明るさ、クラスの人気さで心を引かれていった。話はするものの、一緒に遊ぶ事はなかった。今も彼女の笑顔思う。
2001年12月23日
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中学になった初めの頃、よくナテラに話かけてくれた。Hは丸刈りの似合うスポーツマンだった。顔はにきびだらけだったけど。遊ぶ約束をして、家を尋ねたにもかかわらず、留守だった。次の日も電話で確認をして行ったのにいなかった。学校で会ってすぐにその事を言って理由を聞くと野球の練習だった。1年生だから後片付けでもさせられていたのだろう。平日だったが今日遊びに行った。Hの家は食堂だった。はるばる尋ねてきたので親子丼ぐらい食えるかなっと思っていたが、でてきたのはミツヤサイダーだった。「原へってるのに・・」ところでその日は何をしたか覚えていない。覚えているのはショーケースに小皿にのった大きなウメボシが50円だった。それをなぜか覚えている。 このHとマーちゃんとナテラは席が近かった。Hはマーちゃん、ナテラに話かけるがマーちゃんはHにしか話をしなかった。いつの間にか2人だけになっていた。んん・・つらい。でも今となってナテラの良い思いで。胸の中にしまって置いたのをここに出す。これがナテラの日記。(^.^)
2001年12月22日
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仲のいいいつものメンバーがナテラの家に遊びに来ることになった。その中にいいヤツなんだけど、あまり話たことの無いHがいた。ヤツは剣道部で、いつも竹刀と大きなバッグを持って学校に来ていた。背は割りと高かったのでまあ、カッコいいように見えるが、実は全然もてない。それに少し気取っている。家に来て、みんなにトーストとジュースを出した。でもなんかすっきりしなかったので、Hのトーストだけ、バターをほとんどつけずに出した。そして一言、「バターすくないけど、ほんとにおいしいパンはこうして食べるんや!」と教えてやった。ほんとはどこにでもある、パンだけどね。 上のセリフ、笑いをこらえて言うのはたいへんだったなぁ。 剣道部のHよ、わるかったな。でも、お前もたまにはみんなを招いてくれたらよかったのに。
2001年12月21日
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小学校と違ってクラブ活動は誰もが期待していた。ナテラも何をしょうかと考えた。ナテラは写真部に入りたかったが家の事情で断念をした。念願の写真部に入ったのはもう、1年位たってからだったと思う。このクラブのおかげでマーちゃんの写真を独断で載せる事が出来た。(^。^)まあ、その他はちゃんと平等に載せたけど。 写真部ってかなり地味?なクラブだけどそれなりに楽しかった。でもやっぱりダントツの人気はテニス部だった。確かにかっこいいよね。白のテニスウェアでラケットを片手にコートを走る。朝はカバンの横にはラケットが斜めにある。いいなぁ」と思ったこともあったかな。 他に人気だったのがバレー部と陸上が少し。男子ではテニスと剣道部だった。写真部はクラスで1人~2人ってとこ。おかげで共通の話題で友達もできた。クラブ活動って自分のすきな事をするんだから人気度ではなく、やりたい事、楽しく出来るのが1番だと思う。試合に出て、優勝をする。それもいい。でも人気だけで選ぶと挫折する。ほんとのスポーツの楽しさをまず知らないと。それが3年間続ける秘訣。おかげでナテラは楽しいクラブ活動をさせてもらった。感謝!。
2001年12月20日
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クラスのみんなと仲良くなり、次に話題となるのはやっぱり異性の事だった。だれがかわいいとか、人気投票でもしているかのようだった。それは女子でも同じだった。実はナテラにも1人、気に入った娘がいた。秘密にしておきたかったんだけど、ムリに言わされた。マーちゃん。(母親がそう呼んでいた)マーちゃんは髪の毛がおしりまである位、長い髪。そしてよく笑う。美人と言うよりかわいかった。授業中もよく黒板を見るフリして横目で見ていた。休み時間なんかの時に話をしょうとするんだけど、なかなか勇気が無かった。1回だけ男3人といっしょに遊びに誘ったことがあった。彼女の家に行って、母親は取次いでくれたんだけど、マーちゃんは用事があったのか玄関で丁寧に断られた。後でわかったんだけど、マーちゃん、野球部のHが好きだったんだね。Hと話する時はいつも楽しそうに話すもん。1度位ナテラのもとへ来てほしかった。中学の3年間、マーちゃんと同じクラスでいられたのは1年生の時だけだった。 卒業アルバムにマーちゃんの写真を載せたのが実はナテラの思い出に残るよう、せめてもの証。卒業アルバムを開けるたび、マーちゃんを思い出す。
2001年12月18日
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中学校は、それぞれの小学校を卒業して集まった。クラスメイトの中にナテラの友人がだれもいなかった。同じ小学校出身の者もいたが話さえした事の無いヤツばかり。友達ができるかどうか不安だった。朝きても、あいさつはするもののそれだけ。そう思っているヤツはナテラだけではない。クラスの半分はそう思っていただろう。 運よく友達と一緒で楽しくしているヤツが少しうらやましかった。しかしそんな不安は1週間ほどだけだった。みんなも友達がほしいっと思っているのでひとりが話かけるとみんな話しに加わる。天地真理なんかの話だと男だけの輪ができた。2人で話す者、隣どうし話している中にまた一人、2人と話に加わる。女子は女子で大きな輪が出来ていた。みんな心に思っていたなにかが1度に出たようだった。 ナテラもさっそく次ぎの日曜、何人かで遊ぶ約束をした。そのメンバーにどこの小学校出身かとか仲がいいかとか関係なかった。ただ話しに盛り上がり、たまたまそこにいた全員が遊ぼうっとなっただけ。ナテラは思った。「このクラスで良かった!」と。
2001年12月17日
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楽しかった小学生時代も終わり、イヤな中学に入学する事になった。なぜイヤなのか・・まず勉強をしなくっちゃならない。まぁ、当たり前といえば、当たり前なのだが・・。ローマ字さえわかんないのに英語なんてムリ。それにナテラの中学では男子丸坊主にするのがきまりだった。これがイヤだった。野球部や、柔道部なんかならにあうけど。スポーツにがて人間だからイヤな印象しかない。 丸坊主の似合うヤツもたしかにおったけど。でも、ほんの一部だけで、そやつは坊主になってもならなくてももてる。ナテラなんかもてないのに坊主になってよけい笑われたもんだった。髪を洗うと言うより、頭を洗うという感じ。シャンプーはつかわず石鹸で髪?を洗った。しかし、われら一同、およそ二年かけて生徒会を動かし、先生達を動かし、ついに学校の規則を変えてしまう。それがわれら1同だった。中学の3年間を長髪にする!これがかなった時はもうみんな受験に入っていた。入学してきた新1年に対して「お前達が長髪でいられるのは俺たちのおかげだ。」思いながら通ったもんだった。中学生の思い出を語る時、初めに思う事である。
2001年12月16日
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ナテラの小学校時代の習い事と言えば、習字、公文、それにそろばんだった。ピアノとか進学系の塾なんかは少数派だった。 ナテラはなぜかそろばんを小4の時から習っていた。ただ、みんな行っていたから行ってみたかった。6年の終わり位まで行っていたけど社会に出てあまり役にはたたなかったように思う。でも楽しかった出来事は少し覚えている。 毎年塾でぶどう狩りに行った事、春に潮干狩りに行った時なんかはどうやってアサリを隠して園をでようか・・・っとサル知恵をみんなで考えた事なんかは覚えている。まあ、アサリは空の弁当箱に入れたけどね。やっぱりちがう学校の子たちと遊ぶのが一番楽しかったのかなぁ。こんな事もあった。同じ級のS小学校のSちゃん。よくちょつかいをかけて困らせた。ショートカットがよく似合っていた。イタズラしているうちにほんとにかわいく思えた。日に日に思っていくので告白しょうとしたけど、日頃の行いがあったので相手にされなかった。そしていつ頃か塾へこなくなった。せめて一言「ゴメンネ」を言いたかった。あれから32年もたったけど、ゴメンネ。そしてほんとは好きだった。
2001年12月14日
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一番楽しかった。思い出も多い。社会に出て、苦労ばっかり。ホントいやになっちゃう。ナテラの家の前は川で、とんぼとか亀とかいて、よく虫取りをした。給食には鯨とかうまかった。脱脂粉乳の粉ミルクなんかも飲んだ。ビン牛乳なんか3日に1度位かな。ナテラの小学校では揚げパンがなかったのがざんねんだった。夏の友を見ながら「こんなもん、だれがやったるか!」と心に誓った夏休み。 でも工作だけは一生懸命に作った。お正月は遅くまで起きていても、おこられなかった。おばあちゃんがいて、お年玉をもらった。 今でもほしいけど。ナテラの少年時代は、物はなかったけど心の豊かさはあった。
2001年12月13日
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6年の時は、弱い者いじめをしたが、いじめられもした。ナテラの気に入らないヤツのひとり、Kがいた。コイツは、クラスで2番目にキライなやつだった。ある日、Iにイタズラをしていたら、IがKをつれてきよった。また、ケンカになるかなと思った。しかし、Kの言った一言がナテラの価値観をかえた。そして今でもその言葉を忘れた事が無い。その一言とは・・・ 「俺はもうお前をいじめないから、お前ももう、いじめるな。もし、いじめるヤツがおったら俺がたすける・・。」 ホントかどうかはわからなかった。ここは約束を守る事にした。そしてある日、KよりキライなTがナテラをいじめにきよった。そしてあの約束の通りやられる前にためしにKを呼んでみた。そしたら、すぐにナテラのもとへ来た。そしてナテラをかばい、顔を真っ赤にして真剣に静止した。さすがにTもK相手では手が出せず、おさまった。ナテラは、礼の一言もいえず、ただ立っているだけだった。それからは本気でだれもイジメなくなった。あのTさえ、おとなしくなり、クラスで、弱い者いじめをする者は誰もいなくなった。今でも不思議に思うのだがなぜKがそうなったのか真実を聞く間もなく、Kは中学になる前に引越した。せっかく友達になれたのに・・・。 Kよ、もし、俺の事だとわかれば、連絡せり。
2001年12月11日
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小学校時代で禁止されていた遊びがあった。ひとつはビー玉。そして爆竹。当時はクラッカーとか2Bとも言う。パチンコ(ゴムの力で石を飛ばすヤツ)などがだめだった。今日はナテラの一番思い出深い禁止された遊びを紹介する。 ドウ馬と言って、2組に別れ、前の子の又の中に頭を入れ、またその次の人の又の中に頭を入れて・・・馬を作っていく。その馬の上に勢いよく飛び乗り、馬をつぶす。つぶれなかったら、ジャイケンとなる。男の子の遊びだが、女の子もたまに仲間に入ってくれた。女の子の中に頭を入れるのはHぽくってよかった。この遊びをやるとかならず盛り上がる。休み時間なんてすぐに終わる。毎日やっていたかな。そして先生に密告されて止めるが、ほとぼりがさめるとまた始める。クラス対抗戦になったりもした。腰が痛くなるとやらなくなる。今の子供がこれをやると骨バラバラになるね。だから禁止になったんだけど。木造の校舎での思い出。
2001年12月10日
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朝は集団登校だけど、帰りはバラバラで帰った。各学年の終わる時間がちがうからである。今日はみんなもたぶんやったと思う思い出を話す。ナテラはだいたい一人で帰っていた。けど、近所の子とか友達なんかと帰る時、”かばん持ち”をよくやった。知ってる? ジャイケン(大阪弁)今で言うイーンジャン。それをして負けた者がみんなのカバンやランドセルを一人で持つ。歩くたび仲間が増えていく。みんなのカバンを一人で持って歩く姿は実に滑稽だった。家路に近ずくごとに一人減り、二人減り。2か3人になるとゲームは終わり。そんな日の夜はどこの家でも「8時だよ!全員集合」を見ているのだろう。コント55号の野球拳なんかも見ていた。何もないけどそれなりによかった。
2001年12月09日
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集団登校は楽しいことばかりではない。ある時、ナテラと一緒に行くのはイヤという者がいた。6年の女子1名。ナテラとは無縁の仲。その子は密かに別班を作って学校に行こうと数名の者(女子のみ)に声をかけ、実行した。こんな事って聞いた事がない。女子が多かったのでみんな向こうへいってしまう!っと思った。6年の名札に付いてる班長のバッジがこの時ほど軽く感じた。 その当日、ナテラの元にも女子がいるではないか。1人の子が言った。「あの人といしょに行くのはいやや。○○君と行きたい。」そんな子供が何人かいた。そして、この子はナテラと行くと思っていた子はいなかったり・・。でも一生懸命班長を務めた。 そんなある日、ナテラのもとへ別班の6年女子が来た。「明日から一緒に行く。」と一言。何があったのかは知らないが、何もいわず、うなずいた。とにかくこの件は、落着した。次の朝は全員そろっての集団登校となった。胸のバッチがやけに重たく感じた朝だった。
2001年12月08日
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ナテラの小学校では朝だけは地区ごとの集団登校だった。2列になって学校へ行った。それぞれの班には班長がいて、たいがい六年生が班長を務めた。6年になってナテラも、その役がまわってきた。 新1年生の親から「うちの子を、よろしくお願いします。」とよくあいさつに来たもんだった。まんざらでもなかった。 寒い朝なんかはみんなでおしくらまんじゅうをして班長の号令で終わり、ポカポカ気分で学校へ行った。氷の出来るような朝は、バケツの氷をつめたーい!っと言いながら隣の子に渡して、また次の子に渡す。氷を落とした子が負け。・・・いろんな事しながら学校へ行った。集団登校ってそれなりに楽しかった。 だが、楽しい集団登校におもわぬ危機に・・・ つづく
2001年12月07日
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あまり人に言えたもんではないが、久しぶりの書き込みなので、そーっと書こう。実は、給食当番の時、ナテラの密かな楽しみがあった。給食が終わって、カラ揚げ(キスとか鯨肉が多い)の入ってたバットを給食室までかたずけるのだが、そのバットの中にはあげかすが残っている。それを人目をしのんでいっきに口の中に入れる。 これがまた、実にう・ま・い・!生きているしあわせを感じる位ま・い・う・! 色々と人目を忍んでためしたけど、コロッケの揚げかす、てんかすなんか試したけど、カラアゲ最高ョ! 食べ物の少なかった時代のナテラのヘンな楽しみ。
2001年12月06日
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これだけは、毎日つづけようとHPに望んだけど、接続のトラブル続き。解決するまでナテラひとりでやってみます。少しの時間を下さい。タイトルに少年時代のタイトルが出たら、ぜひ、クリックして下さい。(^○^) 平安がありますように。
2001年11月27日
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A先生が、朝教室に入るとみんなにザクロをみせた。当時ザクロって見たことも無いものだった。高級品と言うより売っていなかった。A先生によると、おいしかったのでみんなに持ってきたのだった。ひとりあたり5,6粒位かな。みんなでザクロを食べた。 味はわかんなかった。でもこの味に再会するのに30年もかかるとはおもわなかった。当時はパイナップルとかメロンなんて図鑑で見る位の物でしかなかった。いい体験をさせてもらった。ナテラとA先生の楽しいひとコマ。A先生、元気でいるかな。
2001年11月24日
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担任のA先生は、イイ先生なんだけど、ふたつの思い出がある。今日はその内のひとつ。算数の時間、「定規を使って、正確に10cm線を引きなさい。」・・・と言って各自線を引いた。ナテラも慎重に線を引いてノートをA先生の所に持って行った。けど、何度もやり直しだった。1発でOKの者もいたが、何度やってもダメなやつの中にクラス1の秀才がはいっていた。A先生は、疑問に思い、そいつの定規を自分のと見比べた。そして、0.5ミリ違うのにきずいた。「これと同じ定規を持っている子は、もう1回ノートを見せなさい。」・・っといったら、ほとんどの者がOKになった。 ナテラは、チャイムがなってもできなかった。ナテラの定規は、皆と違うのを使っていた。A先生よ、メーカーは、2社だけじゃないぞ!俺のにきずいて!と心の中で言った。言えなかった。ほんの小さな事が、今も心に残る・・・。
2001年11月23日
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小学校3年の時、今思って見ると、おかしかった事がひとつある。いつも遊ぶのは、町内の子供らと遊んでいた。年上もいれば、年下もいた。ある日、イモを焼いて食べる話になった。もろん買って食べるのではない。畑に行ってイモをかっぱらうのである。全員で畑に行き、年上の者がイモのありかを教え、その次の者がみはりをする。周囲には年少の者が見張りをする。そしてイモをかっぱらうのがナテラの役という役割分担だった。号令とともに畑へ走り、無我夢中でイモを掘った。量が少ないと2度も走らされた。 原っぱで火を起こし、みんなで焚き火を囲んだ。この作業はすべて年上の者がやってくれる。各自にイモがくばられた。一番でっかいのは年上から順番だった。ナテラのイモが働いた割りには小さかったようだ。しかしこれも遊びのルールである。おやつもあまりない時代だったので、みんな夢中でイモを食った。今思うと、最高の食べ方をしていたのかも・・・。そして掘った後は、必ず埋めておくことも教わった。
2001年11月20日
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小学2年の時が一番好きだった。担任のN先生はナテラをよく見ていた。勉強はキライだけど、絵を書く事は好きだった。ナテラの絵はいつも教室にはりだされていた。ナテラの絵はいつもにぎやかな絵。今日の絵はムリかなぁと思っていても貼ってある時があった。なぜナテラの絵がいつも張り出されるのか参観日のとき母親がN先生に尋ねてくれた。わかりやすく説明すると、みんなで原っぱの絵を書くとする。みんなは原っぱにある草や花をきれいに懸命に書く。絵もうまい。でも、ナテラは人とはちがっていた。原っぱの中には土管があり、古タイヤ、ブルトーザ、モグラにごみまでもかいた。頭の中で原っぱをイメージし、創造でいつも書いていた。それがナテラの書く絵だった。張り出しのおかげで通知表の図工だけは良かった。あとはまるでダメ夫。N先生はナテラの良所を見てくださった。だから2年生の時が一番楽しかった。 人は誉められると嬉しい。だから一生懸命がんばる。イヤイヤでなく、努力をしてがんばる。2年生はイイ思い出。
2001年11月19日
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小学1年の時は、1組だった。入学してから2回目の時の給食は、カレーだった。みんなは器を持って先生の前に並ぶ。先生が、カレーを入れてゆくのが、ここのスタイル。初日は、後ろに並んだヤツのほうが多かったのを知っていたので今日は当然後ろに並んだ。しかし、それが、後々の忘れぬ思い出となるとは・・・。 先生が、半分ぐらいまでカレーを入れ終わった頃、先生がこう言った。「カレー少なくなるけど、しんぼーしてよ!。」昨日の事もあったので先生は、入れすぎていたのだった。初めの半分位になり、やがて3分の1にもなってしもた。それでもナテラは、肉が入るのを期待した。ナテラの器にはカレーの色をした食器にしかみえなかった。 これがナテラの1年生の思い出。あとは忘れた。
2001年11月18日
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ナテラの幼稚園時代、一つだけ辛い思いをした事があった。そして今も思い出すイヤな思い。 それは、おやつの時間の時の事。先生が、肝油ドロップ(赤いゼリーみたいなもの)をみんなに配るのだが、その日に限ってみんなに目を瞑らせ、手のひらを机の上に置く。先生が、1から7個ほど入れてゆく。ナテラは少なくても2個はあるなと思っていた。やがてナテラの番がきた。でも、ナテラを通りすぎ、隣へいった。あとで入れてくれるのだろうと思い、気にはしなかった。が、やがて目を開けるように先生が言った。「みんな、ありますかー」と。「先生、僕のはありません!」イヤミないいまわしだったようだ。とう事、ナテラにはひとつぶも貰えないような事は、何もなかったと思う。つらかったのは、次だった。先生がナテラのそばにきたかと思ったら、いきなり、ナテラのほっぺをおもいっきりつねった。 子供心に何で?どうして?・・・理由が、わからない。一生懸命思い当たる事を探した。でも、何もなかった。・・・。手の中には、5、6のドロップがあったが、それが何になる。家に帰ってからも考えた。母には黙っていた。自分一人で考えた。でも、やっぱりなかった。今でも時々思い出す。忘れたいのに・・。 他人の何気ない行為が、その人の一生を見いだすきっかけとなる事もある。幼稚園時代の思い出は、これだけが残った。
2001年11月17日
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ノブちゃんに二度目にあったのは、2、3ヶ月経った後だったと思う。待ち合わせは、やっぱり京橋だった。その日もウキウキで駅へとむかった。再会した時、嬉しいのに、なにかちがうものを感じた。今日はノブちゃんの方から喫茶店にさそった。コーヒーを飲みながら、積もる話をする。話の途中なのに急に話題を変えた。 「紹介したい人がいるの・・。」突然言われた。しかも、もうすぐここに来るとの事だった。ノブちゃんが、小走りでドアを開けた。見知らぬ男の人がいた。ノブたゃんは嬉しそうにこう言った。 「私ね、結婚するの。」・・・。これが、さっき感じた’ちがうもの’だったのか。ただ、呆然となるだけ・・・声がでなかった。 ノブちゃんとは会わなかったほうがよかったのだろうか。ペンフレンドのままでいた方が良かったのだろうか。手紙の最後に「さよなら」っと一言ですますほうがハッピーエンドになったのだろうか。・・・。中学時代はワルやったけど、社会にでて、まじめになり、だれからも信頼されているノブちゃん。そんな人だからこそ、ナテラに会わせくれたんだろう。 その日から手紙は、書かなくなった。あれから28年。ノブちゃんのあの笑顔だけは忘れていない。ひとりの時、思う事はノブちゃんのこと。ナテラの生涯忘れない記憶となって・・・・
2001年11月16日
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中学の終わりの頃、ペンフレンドがいた。ノブちゃんは、ナテラより四つ年上だけど、やさしいノブちゃんにホントは思いを寄せていた。久ぶりに大阪の京橋で会う約束をした。京橋にもスマートボールがあると聞いた事があったので、早めに家を出た。京橋に来るのは初めてだったので店を探したが、結局、わからなかった。そうしているうちに約束の時間になってしまったので、急いで待ち合わせの喫茶店へ向かった。ノブちゃんは少し遅れてきたが、ナテラを見つけた時のあの笑顔は、出会ったときとちっとも変わらなかった。 ノブちゃんといる時は心休まる、しあわせそのものだった。 やがて時間は過ぎてゆく。ノブちゃんと別れた後はせつなかった。もう、完全にノブちゃん一色の世界だった。笑顔のかわいいノブちゃん・・・。 ナテラはもう一度ノブちゃんに会う事にした。 明日は、ノブちゃんとの2度目の再会の時の話です。おたのしみに!
2001年11月15日
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六年生の時の修学旅行だったと思う。旅館街のとこで、一軒の古いスマートボール屋をみつけた。店内は暗かったので、台を見る事は出来なかったが、目に焼きついたのはすごくでっかいパチンコ台だった。かなりの年代を思わせた。チューリップはひとつもなく、そのかわり穴が上から下までびっしりあった。ちょつとでいいからそれをしたかったが、団体行動と、小学生ゆえ、できるわけがない。 旅館に入っても、あのパチンコが目から消える事はなかった。大好きなスマートボールさえ忘れていた。 それから15年か20年。もう一度その地を訪ねたが、パチンコ台おろかスマートボール屋さえ見つけられなかった。いや、わからなかった。その地は伊勢志摩。ナテラの年代の者はみんな修学旅行といえばここだと思う。二見岩の面影しか残っていないナテラの思い出の地である。スマートボールの最後の玉を打ったような気分だ。
2001年11月14日
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今の百貨店にはあまりないが、ナテラの時代の百貨店の屋上は、楽しかった。どこの屋上でも遊園地みたいだった。オモチャ売り場にいって、大食堂でオムライスを食べ、食べ終わったら、階段で上にあがる。ナテラのおきまりコースだった。百貨店の屋上にもスマートボールはあった。ゲームセンターのものとのちがいは、数が多いことと、踏み台があること。踏み台があるのは小さな子供も遊べるためである。スマートボールはレバーを引いて玉を打つ。あとは玉の気持ちしだいのゲーム。誰でも楽しめる。まぐれはいりもあり。 その踏み台のおせわになった者も多いと思う。いや、コーヒーカップは覚えているが、踏み台のことは忘れているかも。・・・ ナテラが、社会人になった頃位久しぶりにあの頃を思い出して百貨店の屋上へ行ってみたら、うそだと思うぐらい、なにもなかった。あのスマートボールと踏み台を最後に見たのは中学生の時が最後だった。それと、ナテラの記憶の中にだけある。
2001年11月13日
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小学生の時、よくゲームセンターへいった。商店街の中にあり、フリッパー(ピンボールの事)やパチンコなどをした。スマートボールも2台あったが、たまにしかやらなかった。真ん中に木で出来た大きなチューリップがあった。なんとかそこに入れようとヤッキになった。そんな時、玉は確かにチューリップに通った。”はいいった!”と思ったとき、玉が花びらと釘との間にはさまれた。店の人を呼んで説明したのに、玉は無言のまま、手元におかれた。なにも言えなかった・・・なんで・・・やるせない気持ちでもう1回玉をはじいた。やけくそで・・・。しかしな、な、なんとその玉が入ってしまった。しかもさっきと同じチューリップに。なんと、幸運な。あんなに狙ってもはいらなかったのに。 奇跡は、一度だけだった。それからナテラの玉はすぐになくなった。夏の雨のようなナテラの思い出である。 ナテラでした。
2001年11月12日
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二十数年前、仕事が、休みの時、よく新世界へいった。食べる物は安く,まさに労働者の街である。歩いていると沼部長(TVの部長刑事)に出会えそうだ。 新世界のスマートボールは、200円で十分遊べた。台の前に座り、声をかけると台の後ろにいるおばちゃんが、玉をだす。店にはそういう人が、何人かいる。店の客はまばらなので少しヒマそうだった。玉を景品に換えるときは、自分の台の皿と隣の台の皿に玉を入れてさっきの人に渡すのである。 新世界が有名になってジャンジャン横丁に若い者がくるようになった頃スマートボール屋もきれいになった。客も大勢。そしてあのおばちゃん達もいなくなった。それっきり、スマートボール屋へは一度もいっていない。・・・ ナテラでした。
2001年11月11日
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