成定 竜一~高速バス新時代~
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バスと関係ない友人に、いま私がバスで取り組んでいる内容を話したら、産業再生機構でCOOを努めた冨山和彦氏が講演で「『合理』と『情理』のバランス」とおっしゃってたよ、というコメントが返ってきた。面白そうな話だったのであらためてウェブで調べてみると、「日経BPネット」に「『合理』で入り『情理』に近づくとき、企業再生が始まる」という、冨山氏のインタビュー記事を見つけた。冨山氏は、まず、日本型企業経営は「決断できない『いい人たち経営』」に陥りがちだと指摘する。インタビューにあるとおり、終身雇用と年功序列をベースにした「ゲマインシャフト(村落共同体)」的な日本企業は、「みんなで富士山に登ろうぜ」と目標がはっきりし限界的な改善努力を地道に積み重ねることで成長できる環境においては、チームワークを発揮しいい結果を残す。しかし、環境が変化し戦略の大転換が必要な際などには、様々な「情理」に縛られて思い切った決断が難しい。それは、日本企業の長所でもあり短所でもあるのだという。その上で、一度経営破綻を起こした会社に対し、「外圧」「黒船」として望む産業再生機構は、社内で悪者になることができるので、必要な対策(不採算部門からの撤退、売却など)を行なうことができ再生がやりやすい、と。ただし、だからといって「合理」だけでは経営再建はうまくいかない。「外圧」「黒船」の側が「合理」から入って「情理」に近づくと同時に、従来からの「情理」の世界に生きていた従業員も「合理」に近づいていく。それによって企業再生が完了するのだ、というインタビューだが、数々の老舗企業を再生させたご本人の言葉だけに非常に重みを感じる。その意味では、前の会社での私の挑戦は無謀だったんだな、とあらためて思う。戦後の長い間ずっと地域一番店でやってこれたものの、外資系など新興勢力の台頭やバブル崩壊の後遺症に苦しんでいる老舗ホテル企業を、内側から、その文化・体質を変えてやろうと考えて就職したのだ。大学を卒業して就職先を選んだ際には、大きければ大きいほど、老舗であれば老舗であるほど「変えがい」があると考えていたのだが、結果からいうとたしかに無謀な挑戦だった。まだまだ肩書きのない私のような者でも経営陣の前で意見を言わせていただいていたから社内で一目は置かれていたと思うが、しょせん若手社員が何か言ったところで変わる企業ではなかった。劇的な変化をするには、規模も歴史も、それまでの成功体験も大きすぎた。さらに、私個人として残念に思うのは、(私が退職した後の話だが)企業として立ち行かなくなる危機が目前に迫ったなか、支援を求めた先が周辺産業であったことだ。バス事業者の経営が行き詰まってタクシーやトラック事業者に支援を求めるのと同様の形だ。このケースだと、支援する側に「高級ホテル業」「バス業」への憧れがあるから、どうしても再生への取り組みが手ぬるくなる。冨山氏の言い方でいうと、まずは「合理」から入っていったん流すべき血は流さないと生まれ変われないのに、ついつい「情理」から入ってしまうのだ。私の古巣の再生はまだ途上だが、壁を乗り越えて成功することを心から祈っている。そして自分はいま、バス業界と向き合っている。地域の公共交通ネットワークを背負って立つという責任感とプライドに代表される「情理」は、私自身よくよく理解している、だが、バスという産業、言い換えるならば地域人口の自然増と土地の含み益に依存した「既存事業者という名のビジネスモデル」は、「合理」的に見れば極めて厳しい状況にある。その中で、少なくとも高速バスという一事業だけでも、まずは変われるものなら変わっていただきたい、「合理」とのバランスを見つけていただきたい、というのがいまの私のスタンスだ。そしてその変化は、まずは高速バスという一事業にとどまるものであったとしても、それを成功体験として記憶することができれば会社全体に波及させられるのではないか。冨山氏のインタビューにもあるとおり、「いざ事業戦略の方向性が明確になり、精神的に辛い時期を乗り越えると、団結力や内部コミュニケーションを持つ『いい人たち』集団は強い」。冨山氏のような企業再生の超一流の専門家に比べればまだまだ足元にも及ばないが、私なりのスタンスでバス業界の今後にたずさわっていきたい。
2009.11.19
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