四月に入ったけれど肌寒い日が続いています。でも桜は満開で一年中でも希望に溢れる時期ですね。
店に来られる難聴のお客様と、聞えない事の不便さを話しました。
其の方Aさんは70歳前後で7年前から徐々に聞こえ難くなったそうです。
Aさんは商売を手広くやられて、それはそれはやり手の(以前は)眼光鋭い方でした。
私の店は以前は普通の喫茶店で亡き主人がいた頃の常連さんだったので前から存じていました。だから健聴者だとばかり思っていました。(其の頃は健聴者だったのです)
私が店を”難聴者が経営する喫茶店”としてリニュアールして暫く経った頃店に来られて
「私も耳が聞こえ難くなったんです」と言われたときはとても驚きました。
眼光鋭い以前の面影は薄れて優しい目つきの人になっておられました。
「まぁ驚きました」と言いましたら、次から次へとこの7年間の事を堰がきったように話されました。
最初のころは他の人が小さな声で喋っていると、勘違いして「もっと大きい声で話さんと、わからんじゃないか」と言っていたそうです。
すぐ耳鼻科にも行ったが「神経性の難聴で治らない」と言われとてもショックだったそうで、誰にも会いたくない、家から出たくない、鬱の一歩手前までいった・・・と。
何よりも客商売をやっていたので会話がスムーズにいかないことに腹立たしさを覚えたがどうする事もできない。
人から話し掛けられると聞こえ難いので不安・・・
補聴器を使ったが喧しくて頭が痛くなる。耳鳴りはする・・・
役所などに行った時「聞えないから宜しく・・」と言うと、最初のうちは大きい声で話してくれていても発音は当たり前なので、相手が聞えないことをつい忘れがちになって、自然と声が低くなる・・・・そしたら話が聞き取れない・・・もう疲れて、疲れて・・・
「聞えない事がこんなに大変な障害だとは考えたこともなかった。経験してみないとこの大変さはわからないですね」としみじみ言われました。
特に店の経営者なので聞き間違いしてトンチンカンなことを言っても従業員が注意しにくい。
この頃に「団塊の世代」という言葉が流行りAさんはずっと”だんきのせだい”と言っていたそうです。年下の者は注意しにくいのでしょう。
何年間も「だんきの世代」と話していた数年後ある目上の方が
「それは”だんかいのせだい”と言うんですよ」と教えてくれて
「はぁ?”だんかい”なんですか?」と初めて知ったそうです。
「何年間も恥を掻き続けていた・・」と笑って話してくれたけど本心は複雑だったでしょうね。「俺が若かったら注意してくれたんだろうけど、年下の者は言い難かったんだろうね。この耳が聞えたら”商売も誰にも負けんぞ~”と何度思ったかしれない。聞えないって本当に大変な事だ」と心の内を話されました。
聞えないとテレビの聞き取りも難しいのでニュースを見てテロップが流れてもルビが無いから自己流で読んでしまう・・・これを声に出さないと誰にも笑われる事はないが、自己流で読んだまま話すと???と 相手の顔が怪訝そうになる。こりゃ~耐えられない・・・・
私も今まで読み違いは数え切れないほどあったけれど小さい頃から聞えないから慣れてしまう・・・でも人生を一通り健聴者で過ごしてきた人にとっては受け入れ難い事でしょう。
治らないなら難聴を受け入れないとしようがない・・「5年以上かかりました」とAさん。
今でこそ笑い話だけど・・・と淡々と話しておられました。
テレビのニュースでも流行の言葉にはルビを入れて欲しいですね。
このテレビなのですがAさんは漫才や落語が大好きだったが、其の楽しみもなくなってしまったとのこと。
奥さんがあまりのしょげように心配して落語のテープを買ってきてくれたりしたが、其のテープも聞き取り難い。
漫才などの本も買ってみたが「漫才は耳から入ってこそ面白いんだ。間の取り方一つで笑えるからね。本当に聞えない事で自分の生活そのもの(ラジオを聞く楽しみなど)がなくなってしまった」と言われました。
私などは幼少の頃から聞えないのでラジオの楽しみも知らないし、間の取り方・・・と言われてもピンとこなかったけれど人工内耳の現在はわかりますね。
こんなわけで一通り人生を過ごしてから難聴になった方は別の意味での辛さがあるのだなぁと認識させられました。
いずれにしろ難聴である事を受け入れないといつまでたっても苦しいものです。
店にもいろんなタイプの難聴の方が来られますが1人として同じような難聴者はいません。それぞれに悩み苦しんで受け入れてまた歩き出すのです。
なくしたもの(難聴)を悩んでもしようがない。前に進むしかありません。
でも1人じゃないんだよ。仲間はいるよ。他の楽しみを見つけて生きましょう。
では また・・