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阪神淡路大震災を今の小学生は知らない世代となった。そのことを告げるテレビの報道番組を見て改めて驚いた。13年という年月の経過から知らなくて、当然のことだと言える。小学生たちが、震災復興を願って作られた歌を一生懸命に歌っている姿が画面を通して映し出されていた。肉親を亡くされた被災者の方々が震災を語り継ごうとテレビに向かって話されていた。震災のあった同じ時刻の5時46分を迎えるまでに亡くなられた知人の方々の名前と顔が次々と浮かんだ。復興を願い、残されたご家族の上になぐさめと励ましがあることを多くの方々が祈られたことだろう。
2008.01.17
歌手の浜崎あゆみさんの「左耳が聞こえない」という衝撃的な告白により突発性難聴の文字を多く見かけるようになった。年間、多くの人が突発性難聴を患っていることも知った。 すぐに症状に気がつかず発症から、随分経過してから耳の変調に気がつく人もいるとのこと。変調に気がつくのが早ければ早いほど治る可能性が高い。めまいをともない、吐き気の症状が現れることもある。耳が詰まったように感じ、聞こえにくいように思える。私の場合、最初のうちは、「あれ?」と、思う程度だった。山に行ったときに起こる閉塞感を感じた。少し、聞こえにくいようにも感じた。しかし、聞こえる。「気のせいかな・・・」そう、思った。1日が経過し、少し気になるが仕事をしていると、詰まった感じも、それほど気にならない。だが、しばらくしても耳の詰まった感じが取れない。職場の近くの耳鼻咽喉科へ休憩時間に行った。聴力検査を受けると検査結果からは異常はないとのこと。だが、「うちにある検査の機械は精密差に欠けるので明日の朝、耳の詰まりが残っているならすぐに、大きな病院に行ってください。最新式の機械で検査するとうちではわからない範囲の数値まで異常があればわかると思います。」そのように、検査結果を見ながら耳鼻咽喉科の医師が言われた。国公立の病院は土曜日が休診と決まって間がない頃だった。土曜日も診察している大きな病院ということで企業が経営する病院で受診した。幸いにも、最新式の聴力検査の機械が入って間がないとのこと。「突発性難聴です。安静が必要なので入院してください。」検査データーを見ながら診断された。発病して3日ほどだったのできちんと治療を受ければ治る可能性は高いとのことだった。突発性難聴の場合は1週間以内に治療を受けるか受けないかで回復が違ってくると新聞で読んだ記憶があった。「入院はできません」と答えた。休職し、絶対に安静にすることを条件に治療に通うことになった。毎日、1時間半の点滴を受けた。日曜日であっても、祝日であっても点滴を受ける人たち専用の治療室が用意されていた。いくつか並ぶベッドには点滴を受けている人たちが寝ていた。平日には、行く度ごとに聴力検査があった。私の場合は、低域の音が聞こえにくくなっていた。低い声で話されるとわかりにくいが全く、聞こえないというのではない。 それで異常に気がつかず症状が進んで、やっと気がつくケースもあるとのことだった。毎日の点滴と注射とステロイド剤が効き2週間目には、聴力も大幅に回復した。1ヶ月間、毎日、家から病院まで往復2時間かけて点滴と注射に通った。耳の詰まった感じが取れ耳鳴りも治まった。横になると天井が回っていたがめまいも、なくなった。リバウンドが起こらないようにステロイド剤を徐々に減らしていった。完全に回復したときに医師より、今後の説明を受けた。「突発性難聴の原因はわかっていません。ストレスが要因ではないかと考えられています。一度、突発性難聴になった人は再発するケースが多いので次のことに留意してください。アルコールは飲まないこと。睡眠不足は避けること。過労にならないように疲労に注意すること。風邪をひかないこと。ストレスをためないこと。変調を感じたら、すぐに来てください。」アルコールは飲まない。これは簡単だ。だが、それ以外になると不可能に近い。その後、何度か異常を感じ、治療を受けた。どの場合もすぐに受診し治療を受けたので最初の時のようなことには至らずすぐに回復した。片方の耳が聞こえにくくても片方が聞こえていればいいかというとそうでもない。片方の聴力が落ちるともう片方の聴力も少し落ちていた。「仕事を休んでも、礼拝は休まないな」と家族に言われながら日曜日は点滴と注射を受けてすぐに教会へと行った。どのような状況の中にあっても礼拝をささげることができたのは感謝。
2008.01.12
「キリスト教の葬儀に参列するのだがどのようにすればいいのだろうか。」このように、ブログを通して交流のあるクリスチャンではない方からたずねられることが何度かあった。 なじみの少ない葬儀なのでどのようにすればよいかと戸惑いを感じられるのだと思う。参考にしていただければと思って抜粋したものを掲載させていただくことにした。 聖書の死に対する考え方の基本は死はすべての終わりではなく、神のもとに召されるということです。それゆえに、クリスチャンにとって、死は悲しみで終わるものではなく、超越したものだと言えましょう。聖書に書かれているとおり、クリスチャンは神以外の存在を礼拝の対象とはいたしません。ですから個人の写真や遺骸に手を合わせたり拝むようなことはしないのです。キリスト教の葬儀は、故人への愛と敬意の表現とともに、遺族に対する慰めと励ましを目的としています。葬儀の中では、故人をしのびつつ、賛美歌や聖歌が歌われ、祈りがささげられ、残された者たちを励まし、力づけるメッセージが語られるのです。戸惑うことがあるかもしれませんが司式者や進行係が導いてくれますのでご安心ください。賛美歌や聖歌を歌うときにもし、ご存知でなければ、お聞きくださればいいと思います。献花を行う場合もありますがこれは焼香や玉串奉奠にかわるものと誤解されやすいのですが供養をするとか、冥福を祈るということではありません。天に召されるまでのこの世での交流にたいして感謝の気持ちをもって、遺骸の周りを飾る意味がこめられているのです。
2008.01.10
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