おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2017.03.19
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カテゴリ: 歴史/考古学/毛人
古立―八木連エリア(おぢさんによる 鏑川流域の弥生集落エリア区分 )の鏃を弥生時代に重点を置いて概観する。このエリアの弥生遺跡の各発掘調査報告書の遺物観察表から鏃に関する情報を抜粋した。

古立―八木連エリアの鏃

遺跡毎に住居と鏃を見ていこう。

上高田社宮子原遺跡Ⅰ
縄文時代住居址多数(確認予定)検出されている。弥生住居29軒が検出されている。弥生中期後半の栗林2式期を中心としてその前後1式期、3式期にもかかると想定されている。鏃は縄文住居覆土から黒曜石製打製石鏃1点、弥生時代の90号住居から有茎の頁岩製打製石鏃1点と、磨製石鏃3点が検出されている。


古立東山遺跡
古立東山遺跡の縄文時代住居址は2軒検出されている。鏃は縄文時代の住居址に伴う打製石鏃1点と、遺構外出土の打製石鏃5点が報告されている。弥生時代住居址は15軒が検出されているが、A区西側には居住域がさらに広がる可能性が指摘されている。中・後期のものと推定されるそれらの住居址は次のように時期区分が示されている [1] 。番号は住居番号。
初現期 53, 56
中期後葉 10, 13, 23, 42, 43, 44, 46, 55, 75
後期 1, 2, 45, 54


中期後葉の23号住居、弥生後期の45号住居から1点づつ磨製石鏃が出土している。45号住居出土のものは先端が破損しているが、 磨製石鏃の長さによる分類 ではⅢ類に属する大型のものだ。2号住居からは磨製石鏃の素材かと思われる石材が出土している。
このほか、古立東山遺跡の特筆すべき遺物としては42号住居から出土した石戈がある。覆土上層からの出土ではあるが遺構と同時期のものと考えられている [2] 。

23号住居址出土磨製石鏃 [3]



45号住居出土磨製石鏃と土器 [4]

古立中村遺跡
古立中村遺跡の縄文時代の住居址4軒が報告されている。鏃は42号土坑から出土の打製石鏃1点と、遺構外出土の打製石鏃7点が報告されている。
弥生時代住居址は12軒検出されている。A区の東側に居住地が広がることが判明しており [5] 、住居が集まる台地の縁辺部分が未発掘となっていることを考え合わせると相当数の住居が未発掘となっているのではないだろうか。弥生時代の鏃の報告はない。
報告書によると各住居址に伴う土器は以下形式となっている。番号は住居番号。
9 樽式。

14 樽式。
15 竜見町式または百瀬式。
24 樽式または箱清水式。吉ヶ谷式の縄文地紋を持つものあり。
26 櫛描波状文細片あるものの不明。
28 遺物なく不明。

30 赤井戸式・吉ヶ谷式。
31 樽式。吉ヶ谷式の影響もあり。
32 樽式、赤井戸式・吉ヶ谷式、座光寺原式・中島式。
33 竜見町式。櫛描文あるものの横走のみで波状もしくは簾状にならない。

上記の土器形式から住居遺構の時期を比定すると以下のようになるが、報告書では14号が13号に切られている旨 [6] の記述があり土器編年と矛盾しておりやや怪しい。また、後期内の段階までは記述がないが、おぢさんとしては2・3段階は確実に含み恐らく後期全段階にわたる集落という印象を得ている。
中期後葉 13, 15, 33
後期 9, 14, 24, 29, 30, 31, 32
不明 26, 28

八木連狸沢遺跡
縄文時代に関しては報告書に石鏃出土の記述はある [7] が、具体的な内容は報告されておらず不明。弥生時代は21号住居址1軒が検出されている。後期の樽式土器を伴っている。弥生時代の鏃の報告はない。

八木連荒畑遺跡
縄文時代の住居址は3軒報告されているが、鏃の報告はない。弥生時代住居址は11軒報告されているが鏃の報告はない。報告書によれば時代は以下の通り [8] 。番号は住居番号。
中期末 5, 12, 16
後期前半 6, 17
後期中葉 4, 15, 25
後期末葉 3, 8, 16

千足遺跡
報告書『丹生地区遺跡群』には縄文住居1軒、弥生住居2軒、古墳前期住居3軒が報告されている。鏃の報告はない。報告書『前畑遺跡 内出Ⅰ遺跡 丹生城西遺跡 五分一遺跡 千足遺跡』報告分には縄文住居2軒、弥生住居1軒、古墳時代住居3軒が報告されている。弥生後期の19号住居から磨製石鏃1点が検出されている。19号住居は土器から1期の住居と判断した。

≪古立―八木連エリア住居数推移≫


このエリアの住居数の推移を表にしてみたが、古立中村遺跡の住居址の時期を細分していないため不十分となってしまった。今後なんとかしたい。中期後葉から後期全般に集落が継続する中で中期後葉に4点と後期1期に2点磨製石鏃を見出すことができ、後期1段階には磨製石鏃用の石材も検出されていることが分かった。


こうして、見ていくと磨製石鏃6点は全て弥生遺構に伴っている。弥生遺跡に打製石鏃が伴うというケースは上高田社宮子原遺跡Ⅰの90号住居1点のみである。鏑川流域の鏃の変遷過程としては縄文時代の打製石鏃から弥生後期の磨製石鏃、それ以降は鉄鏃を主体とするという流れだったのかもしれない。弥生後期に打製石鏃が主要な器種ではなくなっていた可能性が高いという見方は白倉下原遺跡の報告書でも示されている [9] 。鏑川流域内の他の地域を今後検証していきたい。
このエリアの6遺跡を全体として見た場合の継続性、また関越自動車道(上越線)整備により偶然発掘された場所においてこれだけの数の住居址が発見されたことを考えると近くに未発掘の拠点的集落がある可能性は高い。



[1] p.167 妙義町遺跡調查会 (1990)『古立東山遺跡 古立中村遺跡 八木連狸沢遺跡
       八木連荒畑遺跡』
[2] p.168 妙義町遺跡調查会 (1990)
[3] PL52 妙義町遺跡調查会 (1990) から抜粋
[4] PL53 妙義町遺跡調查会 (1990) から抜粋
[5] p.270 妙義町遺跡調查会 (1990)
[6] p.340 妙義町遺跡調查会 (1990)
[7] p.389 妙義町遺跡調查会 (1990)
[8] p.585 妙義町遺跡調查会 (1990)
[9] p.131-132 群馬県埋蔵文化財調査事業団 (1994)『白倉下原・天引向原遺跡Ⅲ
       弥生・古墳時代本文編』

参考文献
妙義町遺跡調查会 (1990)『古立東山遺跡 古立中村遺跡 八木連狸沢遺跡 八木連荒畑遺跡』
富岡市教育委員会 (1996)『上丹生市子塚・山ノ上遺跡』
富岡市教育委員会 (2014)『上高田社宮子原遺跡Ⅰ(縄文・弥生時代編)松義中部地区遺跡群Ⅱ』

2017/3/19 公開
2017/6/3 更新

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Last updated  2017.06.11 22:09:01コメント(0) | コメントを書く


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