
和子よ、父は君國のため喜んで戦場の露と消えました。
父は笑って死にました。
父がこの世に残す思ひは、唯々お前のことだけなのですよ。
父なき後は、母の教へに従ひ、立派な女性となり、若くしてその夫を失へる不幸な母を、幸福にして上げなければいけません。
父の肉体はすでに無く、父の顔は永遠に見られぬけれど、父の魂は九段坂の上から、いつまでもいつまでもお前とお前の母の幸福を祈って守ってをります。
お前の三歳の姿を、私の魂は抱き続けてゐます。
再びいふ、母への訓へに従ひてよき女性となり、幸うすかりし汝の母への孝養を、汝の任務と知れ。
和子チャン (徐州会戦にのぞまんとする時わが幼き児へ)
陸軍歩兵曹長 久保田武 命
歩兵三十四連隊
昭和十三年七月二十二日
中支・案徽省宜城県双渓橋付近にて戦死
静岡県静岡市出身 三十三歳
父上、母上、病気になつたでは心配を掛け、学校に入つたら入つたで心配を掛け、文学をやるといつては心配を掛け、随分我慢をして長い間御世話になりましたが、いよいよ征途に上ることになりました。
薄志弱行何もなすことの出来なかつた不肖の子の本懐であらうかと思ひます。これを開封された時は、僕の人生も終わつてゐるのです。
遺言を書き残すやうにと言はれてゐるのですが、行に臨んでは、最早、言ふ可きこともありません。どうぞ呉々も御身御大切に御暮し下さいますやう。
弟よ、お前については、お前の二世が一日も早く出来るやうに祈つて一足先きに征途に上る。お前も軍人だ。来る可き日を期して仲良く暮してくれ。
義妹よ、あなたについては、殆ど親しむ機会もなく征くことになつたが、どうぞ万事のことを宜しくお願ひ致します。
父上、母上、弟よ、義妹よ、さらば。
昭和十九年六月十四日
於京城
金山 利美
追伸 僕には婦人関係はありませんから、戦友の忠告により後顧なきやう此処に認め置きます。
陸軍伍長 金山利美 命
昭和二十年七月二十八日
ビルマにて戦死
島根県出身 二十八歳
彼らの気持ちを現代の我々が理解するのは難しい。だからと言って現代の価値観で彼らを戦争の犠牲者だと言うのはどうか?
彼らは微塵にも自分達が戦争の犠牲者だとは感じていない。今の我々の価値観だけでかわいそうな犠牲者とは言わないでほしい。
戦争には負けたが勝利した日本 September 3, 2006
日本と共に戦った韓国 August 23, 2006
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