「ネオ頑固082」

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ネオ頑固082

ネオ頑固082

2007.12.27
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カテゴリ: ネオ頑固イズム
平安時代の政治家、九世紀末に宇多天皇の側近、醍醐天皇の右大臣としてその地位を極める。また、漢詩人かつ百人一首「このたひは ぬさもとりあへす たむけやま もみちのにしき かみのまにまに」の作者としても有名。現代においては学問の神として崇められている。

そんな菅原道真公との縁を知ったのが、本年十月に没した082の父が書き残した自伝からだ。150ページを超える著書とその参考資料によれば、晩年藤原氏の策略で太宰府に幽閉された道真公は、失意の中903年に享年58歳の生涯を閉じることになる。

そんな道真公が下向時に詠んだ「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」の歌に秘められた伝えは、道真公の下向をともにした家臣四名への遺命となり、彼らは同年六月六日大安日に大宰府を離れ九州の長閑な山麓に移り住むことになる。

自伝によれば、それが082の先祖の始まりということになっている。実際にはその後十七世紀の初めに直系先祖の始まりが確認されている以外は一族の言い伝えの域を出ている話ではない。因みにそこから数えると082は12代目の従兄ということになっている。

詳細はともあれ、そこまで調べ尽してくれた父には感謝の念が絶えない。そんな一族の誇りを伝えるべく、二人のティーンエージャーとなった息子たちに、今少しずつ話を聞かせている。海外で生まれ育った彼らのルーツという訳だ。

082はそんな父と生前あまり語りあうことはなかった。死後の処置についても数年前に散骨をするという彼の意志に反対した後は、なにも具体を語って貰うことはなかった。しかし、死後これだけの執筆が出てきて彼の散骨へ意志の固さを尊重することにした。

結果、数日前に北緯49度の北の果ての海に息子たち二人と散骨を済ませることになった。十代の彼らには一生忘れられない出来事の一つとなっただろう。あまり出世もせず正直だけを取りえにして75年の生涯を閉じた祖父を彼らがどのように思うのか082には分からない。

082にしてみれば、前世代「頑固」の象徴が一つ消えたということになる。しかし、頑固世代は082の心の中でいつまでも生き続けるだろう。そこから学んだことを次の世代に伝えるためにこれからも「ネオ頑固イズム」を継続していこう。それも一つの親父への供養なのだろうから。





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Last updated  2007.12.27 08:43:26
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