イベント・ショー 0
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娘たちの泊まっているホテルのそばに、カンジャンケジャンのお店があると言うので夕食をそこですることに決めて、孫たちと出発した。途中で、孫二人は、1万円を88000ウォンぐらいで両替した。明洞の中心街は、夜になると出店がいっぱい出てきて楽しい。周りのお店も、化粧品のお店、若い子に人気のありそうな服や靴、アクセサリーのお店などがいっぱい。中心の通りは華やかできれいで、有名なブランドもたくさんある。韓流スターの大きな看板がかかっているお店も多くて、孫たちは興味津々だ。でも、私は、二人に付いていくので精いっぱい。お店を覗く余裕もない。連絡をもらったお店は、サボイホテルの2階ですぐわかった。もうすぐ着くと連絡を入れたら、娘が待っていてくれていた。オダリチブ明洞と言うお店で、ネットの評価が高い。カンジャンケジャンを2人前と熟成牛肉、熟成豚肉、エビなどのセット、私と娘はビール、孫たちはジンジャエールを頼んだところで、「ソフトドリンク人数分各1杯無料」と言うクーポンを見つけてみんなおかわり。マッコリも頼めると言うので、私と娘はマッコリ。お店は満員だけれど、スタッフも多くお肉を焼いて食べやすいように切ってくれた。カンジャンケジャンはすごく美味しくて、甲羅にご飯を入れて食べたいくらい。おかずも多いし、チゲや韓国風茶わん蒸しのケランチムも二人分ずつ出てきた。料金は、170000ウォンぐらい?娘が支払いをしてくれた。人数が多いのに日本円では20000円していないからカンジャンケジャンにしては安い。帰り、2階から下りようとするとずらっと階段にお客さんが並んでいて、建物の外まで続いていて、やっぱり人気店。早く入って良かった。食後、ちょっと散策。食べ物の出店がいろいろ出ていた。長男とエルちゃん、イー君は右下のフルーツを買った。いちごを一粒食べさせてもらった。周りを薄い飴でくるんでいるけれど、フルーツが大きくてみずみずしい。次男はジャガイモのトルネード。揚げてからチーズを振りかけている。どちらも5000ウォン。男性グループの大きな写真が飾ってあるお店があった。長男の好きなグループだそうだ。長男と次男は、いろんなお店を覗いて帰りたいようなので、ここで私と別行動。娘たちのホテルが近いので、私はそっちに寄ることにした。娘たちのホテルは、ルメリディアン明洞。新しいホテルですごくきれい。マリオット系列で、出張の多いムコがいつも利用しているのでアップグレードしてくれたらしい。屋上にはプールもあるそうだ。ラウンジでビールとコーヒーを飲んで、娘にウーバーでタクシーを呼んでもらってホテルに帰ってきた。二人とも帰ってきていて、順番にお風呂に入っていた。出かける前にお風呂に入る時の注意(カーテンを浴槽の中に入れること、シャワーはカーテンの方に向けないこと、トイレと一緒なので床を濡らしたら、自分のバスタオルで拭いておくこと)と言っておいたら、とてもきれいに使っている。次男は疲れたのか、すぐ寝てしまった。最後に私もシャワーを浴びて、髪を乾かしたら疲れていたので、すぐ眠ることができた。この日の歩数は12376歩。
2024.03.20
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3月9日土曜日、11時30分関空発、金浦空港行きのアシアナ航空。入港審査は、パスポートの画面と顔認証、指紋認証でそのまま通過できて、出国のスタンプは無かった。搭乗は1番ゲートだったけれど、ウイングシャトルには乗らずに済んだ。ANAラウンジがプライオリティーカードが使えることになったけれど、使えるのは午前11時から。搭乗ゲートに11時集合だったので、結局私は使えず。娘のカードは2人入れるので、お腹が空いていた次男と娘で入った。飛行機に乗ったら、窓側がいいと言っていた長男はすぐ寝てしまった。飛行機の中で出た機内食はチキンと焼きそば。コチュジャン付き。飲み物は、コーラかジュース、そしてお水。機内食こんな少なかったっけ。2時間ぐらいで金浦空港に着いて、ちょっと手持ちのウォンが少なかったので、私だけ1万円を両替した。1万円で84500ウォン。空港はレートが悪いから孫たちには後で両替するように言った。そこから空港鉄道のある方へ歩いて行った。でもかなり遠い。孫たちには1万ウォンずつ渡して、自分で切符を買って乗るように言った。私は持っていたTマネーカードで。途中で、横を通ったカートが乗りなさいと言ってくれた。みんなのスーツケースをのせて、長男と次男以外をのせてくれた。空港鉄道で、ホンデイックまで。そこから、地下鉄2号線に乗り換えて、ウルチロイックで下車。そこからホテルへは歩いて5分くらい。娘たちのホテルも5分くらいだけれど別方向で、また夕方待ち合わせすることにして別れた。私と長男と次男が泊まったのは、ホテルスカイパークセントラル明洞。9階のトリプルルームで、こんな部屋。手前に小さいデスクがあるけれど、そこと洗面所にコンセントがあるだけで、コンセントが少ない。真ん中のベッドをずらすとコンセントがあったので、手前のベッドに次男、真ん中のベッドに長男が寝ることに。私は窓側のベッドに寝たけれど、寝る時に携帯をそばに置くと、充電できなくて困った。2人がすぐ外に探検に行ったので、私は充電しながら休憩。この時点でもう歩数は8000歩近く歩いていて、しんどかった。帰ってきた孫たちは、レートのいい両替所を見つけたと言っていた。切符を買った残りのウォンで、コンビニでパンも買ってきた。明洞は初めてでも動きやすそうだ。物おじせずに、海外でも歩き回って欲しいと思っていたので、嬉しくなった。
2024.03.18
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3月9日〈土)から11日(月)まで、ソウルに行ってきた。1月29日19才の誕生日の長男と、3月13日17才誕生日の次男へのプレゼントに、パスポートを作ってあげたのが2月。勤めだした長男が3月までに有休をとってと言われたのと、公立高校の入試が3月8日で、直後5日間は学校に来るのは禁止で、クラブも無いと言うので、この日に決めた。最初3人で行こうと思っていたけれど、3月11日はエルちゃん小学校の卒業式でお休み。私は足に不安があるし、娘とエルちゃん、イー君も一緒に行くことにした。長男と次男にとっては初めての海外旅行で、機内食なども体験させてあげたいと思ったのと、行き帰りの時間がちょうどいいので、選んだのはアシアナの、関空と金浦空港の往復の飛行機。コロナ前は、トンデモンのホテルスカイパークキングストンに泊まることが多かったけれど、若い子には明洞の方がいいだろうと、ホテルスカイパークセントラル明洞を選んだ。アシアナは、スカイスキャナで最安値で、一人44443円。スカイパークセントラルは、トリプルの部屋で、Trip.comでクーポンなどを利用して、68%割引で、最安値の50708円。最安値を選んだけれど、コロナ前はいつも5万円以内だったので、かなり値段が上がっている。孫たちに持ち物などの連絡をして、3人で海外旅行のoffの保険に入り、娘がKlookと言うサイトで、eSIMを人数分申し込んでくれて準備万端だった。ところが3日前からエルちゃんの熱が出て、娘たちが行けるかどうかわからなくなった。翌日も熱が出ていた。行けたら他のホテルをとってもいいし、とキャンセル料が発生する前に、娘たちの部屋を解約。飛行機は、前日午後5時までのキャンセルだったら、一人15000円の支払いで済むと言う。前日になって、やっと熱が下がったので、そのままにした。娘たちが行けなかったら3人で行こうと、前日に娘のところへ行って、航空機のeチケットやホテルのバウチャー、eSIMの使い方を聞いて、孫たちのQRコードをもらってきた。当日の朝、「熱も下がって行けるよ、明洞のホテルも取ったよ。」と娘から連絡が入ってほっ。私は、空港に車で行って、KIXカードの再発行手続き。このカードがあると、駐車場がとても安くなる。9時からだけどすごく混むので8時40分ぐらいに着いて、1番をキープ。そこに電車で長男と次男がやってきて、娘たちが付いたのが、再発行の終わったころ。11時半の飛行機だったので、ちょうど2時間前にアシアナカウンターでチェックインして、スーツケースを預けた。
2024.03.15
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土曜日、4年ぶりに元同僚のおうちカフェで、昔の仲間が集まった。約50年前、私が初めて勤めた職場の同僚たちだ。お料理を作ってくれるFさんのほかに、集まったのは5人。Fさんのお宅では、和室に置かれたテーブルでお食事をいただくけれど、部屋に入ってまず目についたのは大きな屏風に書かれた般若心経。Fさんが書いたそうだ。私も習字は書くけれど、こんな大作を作ろうと思ったら、毎日の練習も大変だ。何でもできる人だなあと改めて感心。早速、Fさんが作ってくれたコース料理をいただくことに。1.ジンジャーのウエルカムティー2.ドライイチジクのチーズのせ、オイルサーディンを紫蘇で巻いて上はドライトマト3.野菜のグラタン(レンコン、ブロッコリー、さつまいも、カボチャ、ニンジンなど野菜がたっぷり)4.ブロッコリーのスープ5.メインの魚料理は、サゴシのパン粉焼き。6.野菜の和え物2種 左は春菊と大豆 右は蕪のアンチョビ入りサラダ7.黒豆のご飯そして8.デザート3種 オレンジのぜりー寄せ チョコレートブラウニー さつまいもの甘煮9.コーヒーほとんどが自宅で作った朝採りの野菜。ドライフルーツなどは自分で作っているそうだ。いろんなお料理の作り方を教えてくれるのも楽しい。そして久しぶりに楽しいおしゃべり。夫を亡くした人、夫を介護している人、そして自分の病気を持っている人4年の間にみんないろいろあった。その時のことや手続きのことなど。このメンバーは、私が一番年下で、他はみんな団塊の世代。昔からいろんなことを話したり、相談したりしてきた。日記に一番最初に書いた頃は、みんなで泊まりに行っていた。団塊の世代の集まりFさんが自宅カフェを始めたので、行きだしたのが10年前友人宅のカフェランチ数か月に一度、どんなおもてなしをしてくれるのが楽しみだった。桜を見ながらおうちカフェへFさんが癌になって、中断したけれどやっと始まったと思ったら、今度はコロナで中断。これが2020年の一月の時。久々のおうちカフェ癌を経験しているけれど、Fさんはシャンソンや習字を習い、読み聞かせのボランティアもして、そして畑仕事もとパワフルだ。毎朝、朝日を見て深呼吸して、お礼を言うそうだ。一昨年の暮れ、だんなさんを亡くしたYさんは、来月南アフリカの旅行に参加するそうだ。彼女のだんなさんは若年性アルツハイマーで、10年以上介護をしてきた。仕事を辞めて、すぐに介護ヘルパーの資格を取り、3年ほどヘルパーとしても働いた。その経験が、とても役に立ったそうだ。私は、素敵な先輩たちに恵まれたなあと思う。これからまた、数か月ごとに集まる予定で、楽しみだ。
2024.02.19
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2010年の4月3日、在中一世さんに子どもが生まれ、出生届を出しに日本に来るという。にととらさんが祝い酒を飲むというので、私も行かせて欲しいとお願いした。上野駅で、にととらさん、在中一世さんと、ひじかた花梨さんと待ち合わせして、すぐに、浅草のにととらさんが以前書かれていた、どぜうのお店へ。行く途中に、まだ建設途中のスカイツリーが見えて、東京へ来られたのが嬉しかった。マス酒を飲みながら乾杯して、どぜう鍋をつつきながら、お互い挨拶して近況報告などを。でも、毎日毎日ブログを見ながら話をしているようなものなので、すぐに打ち解けた。そこから、満開の桜の下を、浅草寺にお参り。夕方になって、ちょっと明かりも灯りだし、ほろ酔い気分でサッポロライオンへ。サッポロライオンには、色んなビールがあって、メニューの端から注文してどんどん飲んでいった。赤いシャツがにととらさん。今見ると、にととらさんの前には2種類のビールがあるなあ。そこからまた場所を変えて、カラオケへ。お酒を飲みながら、いろんな歌を歌った。にととらさんのELVISも聴いた。いっぱい飲んで、しゃべって、笑って、踊って、歌って、歩いて、ブログ最高~と言いながら、予約していたホテルに戻って、しあわせ~な気持ちで私が寝たのは、夜中の3時頃。にととらさんは、朝帰りだったそう。次に、にととらさんに会ったのは、同じ年の5月。金の像さんが、7年に一度の諏訪の御柱祭に招待してくださった。在中一世さんはいなかったけれど、金の像さんのお宅に、にととらさん、takatobaabaさん、ひじかた花梨さん、ブログ仲間が集まった。こんな特等席で、里曳きの様子を見せてもらった。この写真はにととらさんのブログからお借りしたもの。にととらさんは、写真を撮るのも上手い。そして文章も面白い。こちらの里曳きのブログは思わず笑ってしまう。ブログ仲間が集まって、来られていない人たちの話をした。わからんtinさんは、私が2度目の手術をした2007年の秋ごろからのお付き合いで、手術を終わって歩けるようになった私に、優しいメールをくれたこと。コメントの温かさはみんなが感じていた。nikさんのブログは、御柱の少し前ぐらいから、みんなが見るようになった。さっちゃんへの愛があふれたブログで、同年代の日本の男性には珍しく、ちょっと羨ましいような恥ずかしいような、でも、続きを読みたくなるブログだった。めったに奥さんのことを書かないにととらさんだけど、nikさんを真似して、奥さんのことを書くときには「うちのさっちゃん」と書くようになった。
2023.07.30
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先週の木曜日、姉から電話があった。「またこけて、骨折してるねん」「え?今、どこ?」と聞いたら、入院していると言う。公共施設でサークル活動をしている時に転んで、立ち上がれなくて救急車で運ばれたらしい。大腿骨を骨折していて、人工股関節を入れる手術を火曜日にすると言う。別に来なくていいと言うけれど、手術の時は行くよと言った。病院の中でも、痛くて全く動けないそうで、早く手術をしてくれたらいいのにと思っていた。姉は以前、心筋梗塞の手術をして、バイアスピリンと言う血液をサラサラにする薬を飲んでいる。そんな人は、何日か飲まない日を開けてから手術すると友だちに聞いて、納得した。そして昨日(火曜日)、手術。救急車で運ばれたK病院は、ちょっと田舎にある総合病院で、高速を降りてから、しばらくすると、制限時速40キロの道を、先頭の車が30キロ前後で走り、後続の車も数台、ノロノロ運転。中央線は黄色だし、追い抜かすこともできず、一人でイライラしていた。受付で、手術をする姉の名前を告げると、手術が終わったら説明をしてくれると言う。でも、手術時の待合場所は無くて、受付の前のソファーで待っていてくださいと言う。午後1時前に病院に着いて、手術が終わったと連絡が入ったのは3時半ごろだった。先生が、別の部屋で、パソコンの画像を見ながら説明してくれた。最初、右の骨頭の下にひびが入った骨折時の写真。そして、大腿骨の上部に差し込んだような形で、チタンの人工関節が入った写真。きれいに、入っているように思えた。母も股関節を手術していて、私も臼蓋形成不全で右側が浅いけれど、姉もその傾向があったみたい。そういうところは遺伝するみたい。去年転勤してきたと言う40代ぐらいの先生は、親切に説明してくれる。バイアスピリンを飲んでいるのを心配したけれど、出血は170㏄ぐらいだったらしい。でも、今回入院して分かったのは、心臓がかなり弱っていると言うこと。よく転んだりしていたのは、そのせいだろうと言う。そして、糖尿も出ていると言う。亡くなった母は、糖尿病から心筋梗塞、腎臓も悪くて透析していたけれど、心臓と糖尿って関係しているみたいだ。姉の家は、玄関が石段で上がるので、杖一本でちゃんと歩けるようになるまで、入院させて欲しいと頼むと、急性期の病院じゃないので、最長60日。十分リハビリしてから退院させてもらえるそうだ。救急で入って、入院セットを全部借りるから大丈夫と言っていたけれど、翌日からリハビリが始まるのに、スリッパが無いし、化粧品も下着も無い。入院を何度もしているので、動き出したら必要なものはよくわかっているので、今日朝から揃えて持って行ってあげた。1日経って、電話してきた姉はすごく元気。朝から車いすに乗って、トイレに行く練習をしたそうで、自分一人で車椅子に乗れるそうだ。股関節手術の経過はすごく良さそうだ。姉は、痛い思いをして大変だっただろうけれど、他の人と一緒にいる時でラッキーだったなあと思う。これが一人で家にいるときに転んで、携帯も近くに無かったらと思うとぞっとする。痛くて焦って、心臓の発作も起こっていたかもしれない。今回、ちょっと長く入院させてもらったら、心臓や糖尿も良くなるかもしれない。私がラッキーだったと言うと、そんな風に思ってもみなかったけど、そうやなあ、と姉も言っていた。
2023.06.29
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ホテルに着いたのは4時前。フロントは桜の枝とミモザが飾られて、春らしい雰囲気。(写真右上)クラブアクセス付きの部屋を娘が予約してくれていたので、チェックインはクラブラウンジで。(写真左上、HPより)娘が書類を書いたりしている間、アフタヌーンティータイムだったので、エルちゃんイー君と一緒にケーキやスナック類、コーヒーやジュースなどいただいた。写真左下は室内プール、右下は屋外プール。でも、この日はプールには入らずに、場所を確かめに行っただけだった。荷物を運んでくれたので、18階のお部屋へ。入ると子どもたちも「わー広い」と大喜び。リビングとダイニングが広くて、窓の外はプールビュー。ツインのベッドは、2m近くある大きなベッドで、私はエルちゃんと、娘はイー君と添い寝ができる。6畳くらいのクローゼットと、広い洗面所にある丸いバスタブは直径2mくらい。別にシャワールームも付いていた。5時半から7時半までは、イブニングカクテルタイム。アサリの酒蒸し、おでん、フライドチキンとフライドポテト、エビパン、春巻き、スモークサーモン、サラダ、色んなチーズやハムも置いてある。私はまずはシャンパンで乾杯。シャンパンもワインもとっても美味しい。分厚く切られたサーモンや、大きなアサリの酒蒸しが美味しくて、何度もおかわりをしに行った。食事を終わってから、ホテルの中を探検。このホテルには、カジノやチムジルパンもあるけれど、子連れじゃ入れない。プールは翌日入ることにして、部屋でシャワーとお風呂。大きなお風呂を二人とも面白がって、ゴーグルをつけて潜っていた。私はベッドで、iPhoneを見ながらのんびり。部屋が広いので、子どもたちがはしゃいでいても気にならない。クラブラウンジは、06:30 ~ 11:00 朝食、14:30 ~ 16:30 ティー&スナック、17:30 ~ 19:30 イブニングカクテル、飲み物だけはそれ以外の時間も利用できる。12歳以下の子供は、大人と一緒なら同伴OKだし、ベッドも添い寝OKなので、申し込みは2人分。エルちゃんの分を朝食を頼むと結局3人分になるので、クラブルームを頼むのと値段が変わらないことも多い。それで、クラブアクセスのあるお部屋をとることが多くなったけれど、お酒もゆっくり飲めるのでいいなあと思っている。
2023.04.21
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昨日から、娘とエルちゃん、イー君の4人で、韓国の済州島に来ている。海外旅行は3年4ヶ月ぶり。釜山は2回、ソウルは10回以上行ってるけど、チェジュは初めて。イ・ビョンホンの「オールイン」が流行った頃、旅行に行った友達の写真を見せてもらったら、自然の多い田舎の風景だったけれど、今はビルがいっぱい建つ都会。泊まっているホテルも、去年建ったばかり。ラウンジの窓から見ていたら、綺麗なハートマークが撮れたので、愛を込めて送ります。旅行記録は、また帰ってから。
2023.03.28
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昨日は、朝から点滴が始まり、11時ごろ手術着に着替えた。手術は1時ごろの予定だったけど、なかなか連絡がなかった。待合室に12時ごろから来ていたダンナがナースステーションに聞き、前の手術が遅れていると連絡があった。3時から手術開始。S先生とN先生、麻酔の先生が2人、何人ものナースがいた。車椅子から、幅60センチぐらいの手術台に移った。右手に点滴、左手に血圧計と、酸素濃度を測るのを指にうけて、酸素吸入のマスクをつけた。その中に麻酔薬も入っていたようで、寝てしまった。夢を見ていた。名前を呼ばれて起きた時は、足が痛かった。痛み止めを入れてくれて、やっとましになった。そとでまっていたダンナと、エレベーターに一緒に乗り、別れてから病室に入った。まだぼうっとして、すぐに寝てしまった。1時半、2時、2時半、4時の何度も目が覚めたけど、しばらくすると寝てしまった。私は元々短時間睡眠で、1日5.6時間しか寝ないけれど、この2日間、今までの分を取り戻すみたいに寝ている。朝6時から、採血、点滴、検温、血圧測定などがあり、7時半ごろN先生が様子を見に、朝食を食べている途中で、整形外科の総回診があった。整形外科部長のK先生には、リハビリのクリニックで診てもらっている。昨日の晩もよく眠れたし、手術も順調だったと聞いて安心だ。男性と女性の看護師さんが二人来て、体を拭いて寝巻きを着替えさせてくれた。その後、OTのN先生が来て、車椅子に座り一緒にトイレへ。車椅子移動ができるのを確かめてから、後で尿管を取ってもらうことになった。N先生が来て、傷口の横のドレーンの管を抜きに来た。抜いた途端に、血が溢れて、看護師さんを呼んで、予備のガーゼなどを持って来てもらった。膝に、かなり水も溜まっていたようだ。その後、個室が空いたから移動になって安心した。個室に入ってから、昼食。尿管を抜いてもらって、パジャマに着替えた。電話もかけられるし、テレビもイヤホンを使わなくて良くて気が楽になった。
2021.04.09
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南紀勝浦で泊まったのは、ホテル浦島。洞窟の温泉が有名で、版画をする姉は一回行ってみたかったらしい。習字の講座へ行った時、「今度勝浦のホテル浦島に行く」と言うと、「船に乗っていく所」とか、「足が悪いのに大丈夫?」とか言う人がいた。それで、HPを見たら、ホテルへは直接車で行けないことや、洞窟温泉に行くのに館内をかなり歩かないといけないことがわかって、知らずに予約してしまったことを反省した。無量寺を出て、約1時間。3時半ごろホテルの駐車場に着くとマイクロバスが待っていた。荷物を持ってバスに乗ると、バスの中は20人ぐらいいたけれど、希望者は、船でホテルに向かうためにほとんどの人が、近くの港で降りた。船の乗り降りが大変だったら困るので、私たちはそのままバスで。バスに乗っていたのは、数人だったけれど、10分ほどでホテルに着いた。フロントで受付を済ませて、本館6階の部屋に入ると、広くて景色の良いツインの洋室。ベッドも大きくて、イスとテーブルがあるのが嬉しい。少し休憩してから、6時の夕食までに、お風呂に入りに行くことに。ホテル浦島は、下の写真のような、玄武洞、忘帰洞という洞窟温泉が有名で、館内に全部で5か所の温泉がある。夕方と朝で男女のお風呂も入れ替わるので、姉は「玄武洞と忘帰洞の両方行きたいわあ」とか言うけれど、私は、絶対無理、自分の年齢をわかってないなあと思う。浴衣に着替えて、まず忘帰洞に行くことに。エレベーターで1階まで下りて、そこから長い廊下を杖をついて歩いて行った。お風呂に着いた頃には、もう足が痛い。でも、お湯につかっていると足の痛みも取れていって、このお湯は関節痛に効くなあと思った。忘帰洞の中には、5つの湯舟があって、2つは海に面している。夕日が沈みかけて、空も海もきれいだった。でもここからは夕日が見えなかった。玄武洞の方に行ったら、夕日が沈むのが見られたんだろうなあ。私は5つの湯舟に入ってけれど、姉は3つ入ったところでもう出ると言った。 (HPより)そこから部屋に戻ってきて、「ああ、しんど」と一休み。私は、足が悪くて歩くのがしんどいけれど、姉は心筋梗塞をしてステントも入っているので無理ができない。夕食は、なぎさ館と言う建物の2階。そこへ行くのもエレベーターを降りてかなり歩かないといけない。今度はサポーターも巻いて、杖をついていくことにした。6時に行ったら、もう人がいっぱいで、窓際の見晴らしのいい席は空いてなかった。内側の長テーブルの人が少ないところを選んだ。バイキングだけれど、カートがあったので楽に取ってくることができた。生ビールとマグロのお刺身や天ぷらが美味しかった。お寿司もいっぱいあったけれど、お昼のお寿司がお腹に残っていて、食べたい気持ちが起きなかった。最後にコーヒーとデザートを食べて、7時過ぎに部屋に戻ってきた。ちょっと人が多いところは、気になるし疲れる。姉が早々と寝てしまったので、9時ごろ、私は一人で本館1階にある滝の湯と言うお風呂に入った。ここは湯舟が2つ。入っている方に「どこからですか?」と聞いたら「岩手から。明日熊野古道を歩く」と言っていた。私と年は変わらなそうなのに元気だなあ。このお風呂で頭を洗い、ゆっくり乾かして部屋に戻った。11時ごろ、お風呂に入れなくなるよと姉を起こした。姉がお風呂に行っている間に、私は眠りに落ちた。朝は二人とも5時過ぎに起きた。もう一つの洞窟温泉、玄武洞は、食事を食べるなぎさ館から地下に入りていったところにあるので、玄武洞のお風呂に入ってから、直接朝食を食べに行くことにした。玄武洞は2つの湯舟で、海が見えてきれいけれど、朝早いのに入っている人も多かった。簡単に入って、朝食会場に行くと6時半ごろなのに、また人がいっぱい。いつも私は洋食だけれど、焼き魚や海苔のつくだ煮や梅干しが美味しそうで和食にした。胸にワッペンを付けた人もいるので、ツアー客も多いんだろうな。やっぱり落ち着かなくて、早々に引き上げて、部屋でのんびり。ゆっくり荷物を片付けて、10時前にチェックアウト。マイクロバスで駐車場まで送ってもらい、そこから串本の橋杭岩の道の駅で休憩。地域共通クーポンを使って、お土産も買った。すさみから高速道路に入らず、海岸線の地道を走ったら、岩のきれいな景色がいっぱいだった。田辺に着いて、お昼を食べようと入った和食のお店が閉まっていて、急遽隣の焼肉屋さんに。2時前で人はほとんどいないし、おいしい焼肉はたっぷりでお腹いっぱいになるし、大満足。姉を送って、夕方帰ってきた。
2020.11.15
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昨年の12月10日から14日まで、ベトナムのダナンへ旅行に行った。帰ってきてから、また行くときのために残しておこうと思って、計画や費用についてブログに書いたけれど、写真などはのせていなかった。海外旅行も今年は行けそうもないし、振り返りながら旅行気分を味わってみようかな?12月10日火曜日の朝、関西空港4階の国際線チケットカウンターのところで、友だちのTさんと待ち合わせた。飛行機は、9時30分発がベトナム航空の377便。ANAとの提携便だったけれど、一番安いHISで買ったら、事前にネットで座席を取ることができなかった。3列3列の横6席で、通路側の2席を取った。ラウンジなどで過ごして、飛行機に乗ると、窓側の席には、4.50才ぐらいのベトナム人らしい女性が乗っていた。でも、その女性、飛行機に乗った時からずっと窓の方を向いて泣いている。何があったのかなあと気になったけれど、あまりにも深刻そうだし、声をかけることができなかった。ベトナム料理の機内食が出たけれど、その人はほとんど食事もしていなかった。日本に来ていた子どもさんに、何か不幸なことがあったのかなあとか想像してしまった。飛行時間は約6時間。日本は冬だけれど、ダナンは暖かいので、来ていたコートと、セーターを脱いで、到着前には下に来ていたTシャツ1枚になった。ダナンに着いたのは、現地時間の13時30分。ベトナムへの入国は、ニャチャンへ旅行した時、携帯のeチケットではだめで、印刷したものを要求されたので、今回は家から印刷して持っていったらスムーズに入国審査を通過した。ターミナルの出口を出ると、たくさんの現地ツアーガイドが、名前を書いた紙を持っていた。ベルトラのマークと、私の名前が書かれたプレートを持った若い女の子がいたので、声をかけると、すぐに予約していたタクシーを呼んでくれた。事前に、メリアダナンホテルと連絡していたので、すごくスムーズ。13ドルの費用も先にカードで払っているので、値段交渉もいらず、利用するのは初めてだったけれど、とっても楽だった。運転手さんは、ベトナム語しか話せない人だったので、あまり会話はしなかったけれど、丁寧な運転で、ところどころ有名な建物があれば指さしてくれる。20分ほどでホテルに到着した。着いたのは、メリアダナンビーチリゾート。レセプションルームで、いろいろ施設の説明を聞いた。スパ付きでラウンジの使えるレベルルームだけれど、スパはその日から3回で、時間を指定した。ラウンジは、朝、昼、夕方の時間が決められていた。ほかに費用がいることもあるだろうから、3000000ドン(15000円)分のデポジットをカードで払った。カートに乗って連れて行ってくれたのは、クラブラウンジに近いコテージの1階。ドアを入ると、こんなリビングルーム。広いテラスもついていた。この後ろに、こんなベッドルーム。ベッドの上には、歓迎のメッセージも。そして、その後ろにバスルームとトイレ、外からも入れるシャワールームもついている。荷物を片付けてから、早速クラブラウンジへ。これが入口。イブニングタイムの利用時間は3時半から5時まで。ちょっと早すぎるのが、不満だけれど、仕方ないか。イブニングタイムの食事は、サンドイッチやイカやエビのフライ、ガラスカップに入ったサラダなど、お酒のおつまみが中心。ビールを飲んでまず乾杯。Tさんが手に持っているのはポケトーク。旅行中、添乗員もつかない個人旅行だし、体調を崩したりしたら困るからと、ダンナさんが買ったくれたそう。これは本当に便利。横の人が飲んでいたプラムたっぷりのお酒が美味しそうだったので、「あの人と同じプラムのお酒を作ってください。」と日本語で言ったら、ベトナム語で伝えてくれて、すぐにOKと作ってくれた。5時ごろまでお酒を飲んで食べて、それから部屋に帰ってベッドで休憩。スパに行ったのは、8時ごろだったかな?
2020.07.29
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今月から、スポーツクラブや公民館での習字やハングルの講座も始まった。図書館も開いたのでこの間行ったら、「大阪追跡システム」のQRコードを置いていたので、読み取ってメールを記入し送信した。ハングルの時の公民館にも置いていたので、同じようにして送信。送るのはメールだけで、名前やほかの個人情報は必要がない。送信すると、ご協力ありがとうございます、と利用ガイドなどのリンク先をのせた返信が来た。登録した後、その施設で感染者がいたことが分かった時、大阪府から注意喚起のメールが届くという。そうなったら、優先的にPCR検査をしてくれるかの知れないな、とあまり危険な感じがしなかった。厚労省が進めている「接触確認アプリ」も、もうそろそろ始まるようだけれど、なんかよくわからないシステムだし、不安を感じてアプリを入れる気はしない。アプリを入れた人同士が、近距離に来た場合、通知をしあうってことかな?これはBluetoothを、常にONにしておかないといけないんじゃないかな。ちょっと危険な気がするんだけど。そもそもアプリを入れた人が多くないと、効果はないと思うんだけど、みんな簡単に入れるとは思わない。あんまりいい政策だとは思えないんだけどなあ。
2020.06.18
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土曜日、ずっと「おばあちゃんちに泊まりたい」と言っていた、エルちゃんとイー君が泊まりに来た。子どもの成長って目覚ましい。4才8ヶ月のエルちゃんは、夕食の支度をしていると、何も言わなくてもおもちゃを片付けて、「おばあちゃん、テーブル拭くのんちょうだい」と言ってきて、布巾を渡すとテーブルを拭いてくれた。ダンナが、町内の用事で出かけたけれど、2才1ヶ月のイー君も、自分一人でエジソンのお箸を使って食べられるようになって、3人で一緒にご飯を食べることができた。ダンナが帰ってきてから、3人でお風呂に入ったけれど、エルちゃんは自分で頭を洗ったらしい。歯磨きをしてから、録画していた「魔女の宅急便」を見ながら、10時ごろに寝てしまった。イー君も、ママ~と泣くことは一度もなかった。6月から、エルちゃんは幼稚園が始まり、各日登園。イー君も、週4日の、スポーツクラブのチャイルド教室が始まった。4月に、「ママとバイバイして、プールとたいそうと、がんばる」と約束していた通り、泣かずに入っているらしい。日曜の朝、ママとビデオ電話で話しているとき、娘がエルちゃんに「おばあちゃんに、おめでとうって言った?」と言ってるのを聞いて、自分の誕生日だったことを思い出した。洗濯物を干すのを手伝ってくれたり、庭にできたイチゴの実を採って、アイスクリームと生クリームを入れてデザートを作ったりした。息子のところの中2の次男から、どこかに食べに行きたいという電話があって、お昼前に息子と、上二人の孫がやってきた。次男坊の希望はお寿司屋さん。それで、7人で回転ずしのはま寿司へ。孫たちに会うのは、3月19日の、長男の公立高校の合格祝い以来。高校も、中学も、授業は今月から。交代制で、3時間ぐらいで帰ってくるらしい。中2の孫に、3月の誕生日祝いにスケートボードを買ってあげたけれど、休校中、勉強よりもスケートボードの腕前がすごく上達したらしい。お腹いっぱい食べてお店を出てきて、別れるとき、「今日はおばあちゃんの誕生日やで」と言ったら「え~?」それで来てくれたんじゃなかったみたいだけど、久しぶりに孫たちに会えて嬉しかった。うちに戻って、洗濯物を入れるのもたたむのも、またエルちゃんが手伝ってくれた。前の日に着た自分たちの服を丁寧にたたんで、袋に入れて持って帰った。4時ごろ娘の家に送っていく途中、車の中で二人とも寝てしまった。二人とも寝ているので、娘に車から降ろしてもらって、そのまま家の中に寄らずに帰ってきた。孫守は、すごく楽しいけれど、やっぱり疲れる。帰りの車の中で、ダンナが、「6月7日で、67才になったんやなあと言った」誕生日と年が一緒になることって、一生に一度しかないんだな。それも1月~9月生まれで、誕生日が1桁の人だけって81人だけ?そう思うと、貴重な一日に思えてきた。素敵な誕生日だったなあと思った。ところで、うちのダンナは、今日6月8日が誕生日で、72才。今朝私が起きた時には、もう起きて、ごみ出しをして、ひとりで朝ご飯を食べて、朝の登校立ち番に出かけていた。この頃、私よりもずっと早起き。以前は何も家のことをしなかった人だけれど、ごみはプラ、可燃ごみ、資源ごみとちゃんと分別して毎回出してくれるし、家の周りの木を切ったり,草引きなどもダンナが一手に引き受けてくれている。青少年指導員の仕事の一環として、学校が始まったばかりの小学生の通学に合わせて、近くの交差点で1時間ぐらい、安全指導をしている。朝の太陽を浴びながら、その場所まで歩いて行くのも気持ちがいいらしい。地域に顔見知りがたくさんできて、今年は町内会の副会長を頼まれた。時間もあるし、防犯灯の点検をしたり、カーブミラーが見にくいという声を聴いたら、警察に来てもらって調節したり、そのフットワークの軽さを見直している。孫たちの面倒もよく見てくれるので、イー君は、私よりもダンナの方が大好きだ。私の足が悪くなって、できないことが増え、ダンナに支えてもらって、感謝することが多くなった。明日、9日は、娘が私とダンナの誕生日祝いに、蟹を食べに連れて行ってくれるらしい。楽しみ~
2020.06.09
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今日は、敦賀から来るダンナの友人夫婦と6人で名古屋へ。去年、白浜へ一緒に行ってから1年ぶり。今、新幹線で京都駅。新大阪では雨が降ってたけど、止んでいる。今日は、午後から有松という旧東海道の古い町並みを散策する予定だけど、雨が降らないといいなあ。手術してから、電車で初めての遠出で、最近左足の膝も水が溜まってきていたので、昨日、病院で水を抜いてステロイド入りのヒアルロン酸を注射してもらった。帰っていたら、来週、1年半ぶりにダイビング、今月末には、姉と台北と、遊ぶ予定満載。足ともうまく付き合っていかないと。
2019.10.08
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手術後2週間、順調に回復し、明日退院する。隣のベッドのSさんは、脊柱管狭窄症で、同じ日に入院し、同じ日に手術した。 82才だけれど、とても若々しく、話していて楽しい。あと2週間ぐらい入院しないといけないらしく、みんな退院したら寂しいわと言っている。同じ日に入院した、耳鼻咽喉科の二人は、1週間で退院した。斜め前の人は甲状腺の手術をし、退院した時は、悪性かどうか結果待ちと言っていた。向かいのベッドの、おばあちゃんは、ちょっと認知症らしく、耳の下の手術をしていたけれど、「私、どこ悪いん?」といつも聞いていた。「金なし子なしダンナなし、あるの家だけ」というのが口癖の、楽しくて憎めないおばあちゃん。でも、甥の方がいつも来て、世話を焼いていた。家に帰ったら困るだろうなと思ってたら、施設の方が迎えに来た。その人が退院したあと、入院してきたKさんは、私と同じ人工膝関節置換術。去年の9月、あの激しかった台風が来た時期に右足の手術をし、すごく調子がいいので、今回左足。義理の妹さんも、両足同じ手術をしていて、元気にお見舞いに来ている。こういう人たちを見ると、元気をもらえる。斜め前に次に入ってきたのは、若い女の子。海外旅行先で、しんどくなって帰ってきてすぐに入院した。いつもカーテンを閉め切っていて、4日後リハビリに行ってる間に退院したので、結局顔も見ていない。でも、いつも咳をしていたので、閉め切っていて正解かも。その後入ってきたのは、甲状腺の手術をした50代の人。弟さんは、演歌歌手で、私は知らなかったけど、他の二人はよく知っていた。アルバムも何枚も出しているらしく、今日、カレンダーをくれた。Youtubeにもたくさん出てくるので、家に帰ったら聞いてみようと思っている。
2019.03.07
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ここ数日困っているのは、夜になると足がだるいこと。10時消灯なので、眠剤を飲んですぐ眠れるんだけれど、夜中の2時ごろになると、足がだるくて眼が覚める。足首を回したり、ふくらはぎをさすったり、シップを貼ったり、硬くて履きにくい、血栓防止ストッキングを、悪戦苦闘しながら履いてみたり‥昨日までは、2時間ほどしたらまた眠れたけれど、今日は結局そのあと一睡もできず。筋力がおちているのかなあと思ったり、糖尿病食にしてるから、タンパク質不足かなあと思ってみたり、布団の中で悶々と過ごしていた。5時過ぎに、外が明るくなってきたので、廊下に出て、少し歩いたらましになった。朝、回診に来た主治医の先生に聞いてみたら、私の右足はX脚に大きく曲がっていたので、膝の上と下をかなり強引にひねって真っ直ぐにしたそうて、今までとは違った筋肉の使い方をしているそう。それで、夜になると足がこむら返りすることもあるからと、漢方薬の芍薬甘草湯を処方してくれた。杖をついて歩けるようにはなったけれど、膝を内側に入れてしまわないように注意しながら歩いていると、5分もしないうちに膝の外側が痛くなってくる。まだ腫れもひかないし、椅子に座ったままだとしんどくて、足をどこかに乗せたくなるし、自然に歩いたり座ったり出来るようになるには、3ヶ月ぐらいかかるのかなあ。ああ、もう消灯時間。今夜は朝まで寝たいなあ。
2019.03.06
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LOFTで見つけた、蓋つきカップと、スプーンとお箸のセット。プラスチックだけれど、電子レンジや、食洗機にも対応。ちょっとシックでしよ。
2019.03.05
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ふこれが私が持ってきたT字杖。3ヶ月ほど前、イオンラウンジで隣に座った人が、杖を机に掛けていた。初めて見たので、知らない人だったけど、「これ、なんて言うんですか?」と聞いたら、「転ばぬ杖と言って、ネットで買ったけど、イオンの介護売り場にもありましたよ」と教えてくれた。磁石が付いていて、杖につけるタイプのものが1500円ぐらいで売っていた。この機会に杖も新しくしようかと見てみたら、転ばぬ杖が付いたものもいくつかあって、別個に買うより割安。それでこの杖を5000円くらいで買った。机や椅子の背もたれき掛けたり、本当に便利。磁石が付いているので、車にもピタッとくっつく。入院してからも、杖は大活躍。カーテンの開け閉めや、靴を揃えたり、落としたものを引き寄せたりしている。履物はスリッパではなく、靴を持って来てと言われていた。運動靴を持って行こうかと思ったけど、トイレなどですぐ履けなかったら困る。寒かったらモコモコ靴下も履きたいし、と同じ介護用品売り場で見つけたのがこの靴。手術直後は、リハビリの先生や看護師さんに履かせてもらっていたけれど、前全体がマジックテープなので、履かせやすくて便利ですねえと言っていた。介護用品だけれど、老人ぽくないでしよう?軽くて、薄くなるので、退院したら他にも使い道がありそうだ。
2019.03.04
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ひな祭りの夕食は、こんな感じ。鰆のゆず味噌焼き、吸い物、菜の花の辛子マヨ和え、水羊羹。手作りのカードも添えてくれて、その心遣いが嬉しい。初めて甘いデザートも付いて、しあわせ。
2019.03.03
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昨日、ノルディックの2本杖がOKになって、今日はその2本杖でリハビリ室へ。今日は、普段使っているT字杖の練習をしてみましょう、という事で、始めてみたら、なんと、ずっと私は間違った使い方をしていたことがわかった。私は、ずっと右手で杖を持っていたけれど、本当は、悪い方の足と反対の左手。杖と悪い足を同時に出し、良い方の足と交互に、なるべく小さい歩幅で使う。以前、私は左足首が悪かったので、右手で使う癖がついていたけれど、右ききなので、右手を使うときはもちかえたり、いろんな場面で不便を感じることが多かったし、杖を使っていても、足を引きずって歩くのは変わらなかった。今日、練習してみて、最初はぎこちなかったけれど、慣れてくると、身体はまっすぐになって安定するし、一気にT字杖.自立OKになった。土曜日でリハビリが1回しかなかったので、練習を兼ねて、1階のコンビニに行ってみた。他の人とぶつかったら怖いので、あまり奥まで入れなかったけど、週刊新潮と、ホットのブラックコーヒー缶。そして、小さなおしゃぶり昆布。レギュラーコーヒーのいい匂いがしたけれど、まだ右手でこぼさず持って帰るのは不安。でも、ちょっと嬉しくなって帰ってきた。下書き保存していた日記をアップしました。2019.1.26 ここは串本、向かいは大島
2019.03.02
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手術して1週間が経った。足はまだ腫れているけれど、痛みは随分ましになった。足全体が重くて、靴を履く時も、両手で抱えて下ろしていたのに、今は楽に下ろして靴を履ける。痛いけれど、90度ぐらいまでなら膝も曲げられるし、手術前のように、手すりを持って、一段一段階段の上り下りもできるようになった。そして、今日は、ノルディックの2本杖も日中自立OKが出た。今日はお風呂の日で、シャワーの前に先生が傷口のテープを張り替えてくれた。膝の上の傷を見ると、縫った跡はないのにきれいに傷口がふさがっている。溶ける医療用ホチキスとかあるのかな?こんな風に順調で、お見舞いに来てくれた人たちも、いつもと変わらず元気なので安心している。今日は、1週間ぶりに、廊下に置いてある体重計に乗ってみた。来てくれる人たちには、糖尿病食なので、何も持ってこないでねと頼んでいる。病院で食べてる食事は、1日1200kcal。首回りや手などもちょっとシワが増えてきて、明らかに痩せてきている感じ。すごーく期待して、乗ってみたら、あれ?手術前と変わらない。私がダイエットのために糖尿病食を食べているのを知ってる看護師さんたちに、「体重変わってないねん」と言ったら、「足の中に入れた金属が重いんと違いますか?」「5キロぐらいあったりしてね。」とみんなで笑った。
2019.03.01
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昨日は、初めてシャワーの日で、予定では10時40分になっていた。6時に起床して、8時に朝食。9時半ごろ、OTの先生が来て、ベッドの上でマッサージやひざを動かす練習、その後歩行器で病棟内を歩くなど約30分リハビリをしてくれた。お風呂を待ってたけれど、どんどん遅くなっていってるようで、呼びに来たのは11時40分ごろ。歩行器を押して行くと、一人用のお風呂。椅子に座ってパジャマを脱いで、手すりを持ちながら、椅子を洗って、シャンプーして‥‥お風呂の時間は、一人15分くらいの予定だそうだけど、こわごわ移動してこわごわ着替えて、とても無理。1時間伸びたのも納得。隣の部屋で髪を乾かして、部屋に帰ってきたら、昼食が置いてあった。他の人は終わってるみたいなので大慌てで食べて、歯磨きが終わった頃、午後のリハビリでPT さんが迎えにきた。歩行器でリハビリ室に行き、ベッドの上で足を動かす練習。前日より足の曲げ伸ばしが軽くなっているのがわかる。帰りはノルディックウォーキングの2本杖で帰ってきた。不安定でどうしても足元を見てしまうけど、体がまっすぐになるそうだ。リハビリから帰ってきたらぐったり。リハビリは日に2回。本当に、丁寧にしてくれる。今日は、午後から形成外科の診察があり、友だちが来ることになっていたので、午前中に、2回のリハビリをお願いした。9時半ごろ来たのは、PT さん。今日はリハビリ室まで、ノルディックウォークの2本杖で。マッサージや可動域を広げる訓練を3.40分。11時頃にはOTさんが来て、歩行器でリハビリ室へ。初めて 右足でボールを蹴る訓練をしたら、これが痛い。膝裏の筋が切れたんじゃないかと思うような痛さ。この痛さも無くなるのかなあ。その後ポールを使ってお風呂をまたぐ練習などをした。リハビリの度に汗をかいて、喉に粘膜が張り付いたようになる。でも、午前中2回した割には、昨日のようにぐったりということはなかった。1時からの形成外科の診察は、車椅子に乗って誰か連れていってくれるのかなあと思ったら、自分で行けますかと聞かれた。仕方がないので、2階の外来まで歩行器で。無事帰ってきた時は、「行けたねえ、しんどかったでしよう?」と言ってくれたのに、30分後には、「今日はCTもあるよ。1階まで自分で行ってきてくれる?」え〜、聞いてなかったのに。帰ってきても、もう労いの言葉はなかった。自分でできるのがわかると、どんどん看護師さんは厳しくなる。うがいは洗面所でしてねと、うがい受けは持っていかれるし、足を冷やす氷は、溶けたら自分で取ってきてと言われるし。友だちやダンナと、談話室で話している時、主治医のS先生が病室に来るのが見えた。大慌てで、さよならして病室に戻ると、早速CTの写真を持ってきてくれていた。上手くいってますよ。足もまっすぐになっているでしょう。と、先生も満足そう。見せてくれたのがこの写真。朝晩毎日病室に来てくれて、本当にいい先生だ。 閲覧注意
2019.02.27
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リハビリは、熱心にしてくれている。22日、手術翌日の午前は、午前中に車椅子に乗りトイレへ行く練習。午後は、車椅子でリハビリ室へ行き、平行棒1往復。この日は足全体が重く、看護師さんが両手でベッドから右足を下ろし、靴を履かせてくれていた。平行棒も、一往復したら冷や汗が出てきて、戻しそうだった。土日の23日と24日は、リハビリは1回だけ。23日は、脚のマッサージをした後、バランスボールの上で膝を動かし、平行棒を3往復と、10mほど歩行器を使った。この日の夕方で、点滴も外れたので、ベッドの手すりを持って、寝返りの練習などしていた。24日は、車椅子の乗り降りも随分早くなり、トイレに行くたびに汗をかくということもなくなった。この日のリハビリは、マッサージの時間が長かった。徐々に浮腫が改善されているんだろう。手術の傷跡に貼ったテープに、見る見るシワが寄ってきて驚いた。歩行器で歩く距離が長くなり、歩行器で見守ってもらいながらトイレに行ってもいいことになった。今日は、朝から、かなり足が軽くなった気がした。ベッドから自分で足を下ろせる。午前中のリハビリは、部屋のベッドでマッサージした後、自分で車椅子に乗ってトイレに行けるか確認してくれ、車椅子の自立OKが出た。午後からのリハビリは、部屋から歩行器でリハビリ室へへ移動し、マッサージの後、ノルディックのストックを使って10mほど歩いた。帰り歩行器でトイレに行き、一人で行けるか確認してくれ歩行器の自立OKが出た。足首の手術で入院した時、車椅子や歩行器を使っていたので、かなり順調な方だと思う。トイレのたびに看護師さんを呼ばなくてもよくなったので、ホッとしている。
2019.02.25
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これは、昨日1日の食事。朝は、小さなパンと、低カロリー牛乳、低カロリージャム、多分低カロリードレッシングで和えた野菜サラダと、りんご。昼は、洋風卵焼き、ハムサラダときのこソテー。夜は、肉豆腐、たけのこの炒め煮、白菜の香り和え。白菜は、柚子の香りがした。入院した日のカレーの和え物も、薄味なのに美味しかった。ご飯を100gにしてもらったけれど、もともとあまりご飯を食べなかったので、これで充分。全体的に薄味で、油を使っていない。固めの野菜が多いので、良く噛んでいたら満腹感がある。カロリーは、1400kcalぐらいかな?私の生活は、ご飯は少なかったけれど、おかずの味がもっと濃く、量も多かった。外食や間食も多いし、これから食生活を見直さないとなあ。
2019.02.23
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昨日、手術が急に早まって3時過ぎから。ダンナの到着がギリギリで焦ってしまった。手術着に着替え、血栓防止のストッキングやヘアカバーを付けて手術室の前でダンナと別れた。心電図や酸素マスクを付けて、神経ブロックを足の付け根と、エコーを見ながら膝裏にしますと言われた。ちょっとぼーっとしますよと言われたことまでは覚えている。いっぱい夢を見ていた気がする。名前を呼ばれ、人工呼吸器の管を外した後、激痛が襲った。ロキソニンやボルタレンの過剰摂取かなと少し後悔した。点滴に痛み止めやステロイドを入れてくれて、1時間ほどしてやっとましになった。手術後3時間。8時過ぎにやっと水分が取れた。夜中に何度か目が覚めたけれど、朝まで良く眠れた。朝から心電図と酸素吸入器を外し、朝ご飯も全部食べられたので、常時付けてる点滴が外れた。先生が診察に来て、血を抜くドレーンや神経ブロックの管をはずしてくれた。変形性関節症にしては、関節の内面の隔膜の炎症がひどく、リウマチの検査をすると言っていた。リハビリが始まり、車椅子でトイレに行く練習をした後、尿管を外して、身体を拭き、パジャマに着替えた。看護師さんが何人も来て、どんどん作業を進めていく。午後から、PTさんのリハビリで、平行棒を使って歩く練習がはじまるそうだ。すごくハードだけれど、頑張らないと。
2019.02.22
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手術着に着替え、点滴が始まった。血管が見えないので、右手の甲。携帯が使いにくい。左手を使ってたら、脳の活性化につながるかな?
2019.02.21
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今日は午後1時からの入院。昨日は、確定申告とお墓まいりに行って、気分はすっきり。1時に入院手続きをした後、身長、体重を測り、薬の問診。身長は、若い頃と比べると5cmも低くなっていた。病室は、7階の海側の4人部屋。窓際のベッドで眺めが良かったけれど、夕方になったら西日が強くて、暑かった。最初に来たのは、麻酔科のお医者さん。明日の手術は、全身麻酔と同時に神経ブロックもするそうだ。次に来たのは、担当の看護師。明日の手術の流れを説明してくれた。次に来たのは、リハビリPT(理学療法士)の先生。私の、今の状態を問診した後、実際に廊下を歩く速度や、椅子に座ったり立ったりする様子を確認した。その次は、リハビリOT(作業療法士)の先生。同じように今の状態を問診した。手術後トイレに行ったり、生活面のリハビリをしてくれる予定。4時から主治医の先生の説明を、別室で聞いた。阪大チームで開発された、ナビゲーションシステムを使って、二人の先生で手術するそうだ。7年前から、この最新の機器を使って、実績を上げているようで、自信を持っているように感じられ、安心した。最後に、夜の担当の看護師が来てくれた。明日の手術は、午後5時から。今晩9時より絶食、水分は、明日の正午まで飲めるそうだ。6時に夕食を持ってきてくれた。米飯150g、豆腐の中華煮、もやしのカレー炒めが左の温かい食べ物。右が、冷たいチンゲン菜の味噌和え。糖尿食にしては、食べ応えがある。食事が終わってから、同じ病室の人たちと話をした。皆今日入院して、明日手術する人ばかりで、2人は耳鼻咽喉科で、もう2人が整形外科。皆、常食なのにご飯が100g。ババロアのデザートが付いていた。食器を取りに来た看護師さんに聞いたら、年齢でご飯の量が違うらしい。私も100gでもいいわ。と、痩せる気まんまん。明日手術だけれど、緊張感もあまりないのが不思議だ。
2019.02.20
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ご無沙汰しています。遅ればせながら、明けましておめでとうございます。 ただ今1月10日.午後3時。タイへ向かう飛行機の中で、書いている。タイで乗り換えて、そのあと、スリランカへ向かう予定。去年の年末、今年の漢字が「北」と決まった時、私の漢字は「旅」かなと思った。それぐらい、例年になく旅の多かった年だった。1月に、京丹後。韓国。2月に、岐阜。3月に、韓国へ行き、その直後に、てるみの被害にあった。報道では、格安旅行会社と言うけれど、私にとっては今までで最高の金額だった。4月には、金沢、そしてフランス。5月に、沖縄でダイビング。6月は、伊勢、韓国。7月に、バリ。8月には、長島スパーランドと湯の山温泉の家族旅行。9月に、韓国。10月は、パリ。11月に、京丹後。12月に、白浜と小豆島。体調は今ひとつのことも多くて、ボンタレンなどの痛み止めも離せないし、ハードなスケジュールには付いていけないけれど、まだまだ行きたい欲求の方が強い。それでスリランカを決めたのも、去年の10月。12月の小豆島は、金沢と同じく、敦賀に住む、ダンナの友達夫婦2組と一緒に。行き当たりばったりの小豆島旅行は、2011年の11月にダンナとトラピックスのツアーに参加した時のブログが役立った。10月にパリへ行った時も、4月に行った時に書いたブログが役立ったし、遊びすぎと非難されようとも、自分の老化防止の為にも、書いておかないとなあと思っている。スリランカは、しっかり書いていこう。今年もどうぞよろしくお願いします。
2018.01.06
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昨日、最近会っていなかった友人から、 最近全然ブログを更新していないけど元気? とメールが来た。 3ヶ月近く更新していなかったのかなあ。 日々記憶力が落ちて行って、老化を感じる昨今、 ブログを読み返して助けられることも多く、 書きたいこともいっぱいあるのに、どうも時間が上手く作れない。 仲の良かった同僚が皆退職して、 ランチしたり、出かけたり。 先月15日には、京都の手作り市なども行って来た。 月に1度のコーラスや、月2回の習字やハングルも楽しみで、 昨日は、コーラスでハロウィンコンサートがあった。 習字は来月の展覧会の作品を作り、 1月、3月、7月、9月と、韓国旅行も今年4回。 3月は、ハングルを一緒に習っている友人と行き、 向こうで下宿している人のところにもおじゃました。 9月は、姉が、韓中日の芸術作品展に版画を出品したので、 付いて行って、晩餐会なども一緒に参加させてもらった。 夏頃から、久々に韓国ドラマを見だした. 「チュモン」と「サイムダン」が面白く、 月曜から金曜まで、どちらも約80分と長いのに、はまってしまった。 孫たちと過ごすことも多い。 エルちゃんは、9月で2歳。 ものすごくおしゃべりになって、 歌もよく歌う。 息子のところの3兄弟は、一番上が中学生。 毎日陸上クラブに明け暮れている。 真ん中が5年生で、一緒にいるとエルちゃんのお世話をよくしてくれる。 一番下は1年生。 幼い面が多いのに、この間、YouTubeを見ながら、 めちゃめちゃアップテンポの大人っぽい曲を歌ってて、 意外な一面にびっくり。 パパの車の中で聴いて覚えたんだそう。 そのほか、プールやジムへは週2回程度。 2ヶ月ごとの観劇も楽しんでいる。 敦賀へも3、4週間に一度。 今週月曜にも行って、義母のところへ行った後、 台風の影響がなかったか、実家を点検し、 年末までに、木の剪定と草刈りをしてくれるよう、シルバー人材センターに頼んで来た。 今年は、海外旅行の機会が多く、 韓国の他に、4月にフランス、7月にバリ、 そして今日から、姉と一緒に、今年2回目のパリ。 ツアーじゃないので、元気で記憶が鮮明なうちにと、実行した。 と、遊び呆けているようで、一生懸命働いている人に顰蹙を買いそう。 今年は、共謀罪の強行採決や、モリカケ問題、 政治のことを考えると、腹立たしくて、胃がキリキリ痛むことが多かった。 突然の衆院解散で、やっと政権交代かと思ったのに、 なんでこうなるのとガックリ。 お気に入りのブログにも、コメント入れられなくてごめんなさい。 今回の、パリ行きは、大韓航空。 関空から、韓国インチョンで乗り継ぎ、パリに向かっている。 パリとの時差は、7時間。 26日の朝9時半の飛行機で出発して、パリに着くのは、26日の夜6時半。 時差ボケにならないように、私は行きは寝ないようにしている。 観たい映画もないし、時間に余裕がができたので、 ブログを書くことにした。 夜ホテルから、アップしよう。
2017.10.26
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昨日から、沖縄に来ている。 今回は、ゆいレールの駅近ホテルなので、OKICAを買った。 今日からダイビングなので、夕食は軽めに大衆食堂で。ゴーヤチャンプル定食が600円と安い。この食堂、何を頼んでも、ご飯と味噌汁が付いてくる。だから一品しか頼んでない人しか見ない。美味しいから流行っているけれど、単品でも売れば、2品ぐらいは頼む人も多いだろうにと思う。 コンタクトレンズもなんとか入ったし、行ってきます。
2016.10.13
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娘とエルちゃんと一緒に韓国に行ってきた。私は韓国は5年ぶり。2011年12月19日、母が亡くなって、翌朝とんぼ返りしてきた時以来。韓国好きだったけれど、その後あまり行く気にならなかった。でも最近、また韓国に行きたくて仕方なくなってきた。5年の間に、娘は10回ぐらい行っている。かなり変わっているみたいだし、便利な情報もいっぱい知っているみたいだ。今月1歳になるエルちゃんも、一回連れて行ってるし、3人で一緒に行こうと言うことになって、航空券とホテルの手配を娘にしてもらった。9月6日(火)12:25の大韓航空で韓国へ。大韓航空を利用したのは、娘がスカイチームのアメックスのカードを持っているから。優先搭乗や大韓航空のラウンジ利用など、私も一緒に特典が受けられる。それで私も、事前にスカイチームのマイレージ登録をしておいた。14:15 ソウル仁川空港着。今までホテルへはバスを利用することが多かったけれど、今回は、娘が便利だと言うA’REXと言う電車を利用。空港の中の表示通りに進んでいくと、チケット売り場に。そこでJCBのカードを見せると運賃が無料になると言う。パスポートと飛行機のチケットの半券を一緒に見せると、カード型のチケットをくれた。JCBカードを使って、10万ウォン(約1万円)のレシートを見せると、帰りも無料になるのだと言う。A’REXは、ソウル駅まで直通で約40分。空いているし、Wi-Fiもフリーで使えてとっても便利。ソウル駅に着いたらエレベーターで地上に上がり、歩いてロッテマートへ。スーツケースを預けて、先に買い物をした。
2016.09.09
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昼食後は、タロコ渓谷へ。タロコ渓谷の入り口のこの門の所で、写真撮影の時間。私も、カメラをセットしようと思ったら・・・・シャッターが下りない。モニター画面っ真っ黒。姉のカメラは、バッテリーが切れるし、どうしようと思った。(下の3枚の写真はHPから)神戸から参加のNさんのだんなさんが、カメラが趣味。カメラを預けて、サカタン歩道へ。この階段を下りると、岩の下にこんな歩道があった。Nさんのご主人は、前にも来たことがあるからと、観光せずにカメラを直してくれていた。帰ってきたら、見事フッカ~ツ。ありがとうございま~す。次は、長春祠へ。崖の向こうにある、お宮まで、歩いて行ける人はどうぞ、と言うので、姉と頑張っていくことにした。洞窟の中では、お坊さんがお経を熱心に読んでいた。崖のところにトンネルを掘ったような道、日本の青の同門のような雰囲気のところをずっと歩いていった。近くへ来ると、祠の下から滝が流れていた。上のお宮は、空気が澄んで、ひんやりとして、パワースポットのような感じ。一緒にいたツアーの仲間で、記念撮影。戻ってきて、川の横の喫茶店で休憩。決められた時間にバスに戻ったら、ガイドさんが、まだ喫茶店でツアーの他の人たちとしゃべってる。このガイドさん、ベテランらしく知識も豊富だけれど、「私の力で水をもう一つくれるように頼んであげました」というような自己アピールがすごかったり、遅刻にとても厳しいのに、自分が遅れてきたり、台湾出身の人の好き嫌いが激しかったり、ちょっと個性が強すぎる。そんなこともあって、ブーイングも出ていた。本当はもっと、渓谷の川の細くなったところまで見られるけれど、5月に崩落事故が起きて、工事の為、これ以上進めなかった。それで、タロコ国家管理センターで、ビデオを見た。ビデオ撮影禁止と言ってるのに、横に座っていた、中国人ツアー客が、平然とビデオ撮影していてびっくり。
2013.08.03
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昨日、ヨメが勤めている美容院でパーマを当てた。ここでパーマを当てるのは、ほぼ一年ぶりで2回目。普段は、近所の元美容師さんのお宅で、カットとカラーリングと顔そりを、2・3カ月に1回ぐらいの割合でしてもらっている。本当は、美容師さんは顔そりをしてはいけないらしいけど、手の関節が悪くなってから、私は剃刀をうまく握れない。一度、顔を切ったことがあって、それ以降、無料で顔そりもしてもらっている。前日にヨメに予約を入れてもらって、11時過ぎにお店に入った。カットは店長さん。前回は、店長さんの奥さんがシャンプーをしてくれたけど、今回は、シャンプーは、ヨメがしてくれた。うちのヨメは、ずっとバレーボールを小中高としてきた子で、指先に力がこもっていて、とても気持ちが良かった。私はへバーデン結節と言う指の関節炎で、指先に、あまり力が入らないので、久々に頭のマッサージをしてもらったような気分。でも、考えてみたら、お嫁さんに頭を洗ってもらうって、普通は無いだろうなあ。パーマのロットを巻くのは店長さん。指示に従って、横からヨメがロットを渡していく。パーマの液を付けて待っている間、横に座ったお客さんのセットをしながら、店長さんの奥さんが話をしていた。そのお客さんは、洋裁が得意なんだそう。服の生地の話や、かばんの作り方の話をしていた。ヨメが、「作り方教えてくださいよ、私下手なんです」と言ってたら、店長さんの奥さんが、「そやねん、この間、子どものアームカバー作るって言うから、 袋縫いしいや、ってゆうたら、袋縫い知らんって言うねん」聞きながら、本当だったら、私が教えてあげないといけなかったんだろうなあと思って、「教えてあげてくれて、ありがとうございます」と言ったら、私が来ていること知らなかったみたいで、わっと、口に手を当てた。「私もすごく下手なんですよ」と、笑ってすんだけれど、気を遣わせてしまったかもしれない。洗い流しのシャンプーと、最後のセットもヨメがしてくれて、気持ちよくなって、帰ってきた。ヨメの頑張って働いている姿も見られて嬉しかった。ヨメは、頼んだら「いいですよ」と予約をとってくれるけど、本当はどうかなあ。あまり来てほしくないものなのかなあ。
2012.09.01
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今、うちの庭の一角で、元気に育っているのが、ツルムラサキとゴーヤとエゴマ。ツルムラサキとゴーヤは、ツルが絡み合っている。それと、食用にできるのは、ミョウガとネギ。ゴーヤ元気だけれど、実がならない。月曜日にやっと大きなのを一つ、孫が見つけ、ママにお土産と持って帰った。ツルムラサキは、しょっちゅう使う。葉っぱを摘んで、みそ汁に入れたり、お浸しにしたり。ちょっとねばっとしていて、モロヘイヤに似ているけれど、モロヘイヤよりはやわらかくて食べやすい。お浸しを辛子とだし醤油であえて、刻んだミョウガをのせてみた。(手前右)エンゲル係数の低い、我が家の夕食。冷や汁そうめん(手前左)肉じゃが・ホッケ・お葉漬け。
2012.08.22
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今日でNHKの朝ドラ「カーネーション」が終わった。朝ドラは、「カーネーション」の前の「おひさま」から見だした。初めて見た「おひさま」も嵌ったけれど、「カーネーション」は、もっと楽しみで好きになった。目覚まし時計は7時に合わせているけれど、私が起きるのは、必ずそれより15分ほど前。顔を洗ってから着替えて、コーヒーを立て、洗濯機を回して、朝食を作る。一番早い7時半からのBSの「カーネーション」を録画して、数分遅れで、再生しながら見るのが日課。終わってから、洗濯物を干し、掃除機をかける。私は生まれがもともと、大阪岸和田市で、あのちょっと口の悪い方言も、全く違和感がない。小さい頃は、自分のことを「うち」と言ってたし、兄妹そろうと、テレビの優子と直子の言い合いみたいに、ちょっとケンカっぽいしゃべり方もよくしていた。口は悪いけれど、なんにでも一生懸命で、裏表のない糸子を演じる尾野真千子は、とっても魅力的だった。3月から、糸子役が夏木マリに替わって、岸和田弁のニュアンスの違いが、とっても気になった。モデルの小篠綾子さんを何度か見たことがあるけれど、どっしりとしたおばちゃんで、夏木マリとは印象が違うなあと思ったけれど、最終回まで見てみれば、やっぱり尾野真千子にはあそこまでの老け役は無理だったと思うし、三姉妹の会話のなかにいる夏木お母ちゃんがいいなあと思った。第1話のテレビを見るところで終わる演出も面白いなあ。去年の9月、岸和田祭りの時に商店街を通ったら、コシノ洋装店はコシノギャラリーに変わっていて、、2階の窓から、コシノヒロコとお客さんらしき人が外を見ていた。商店街は、高校時代の私の通学路で、アヤコさんをよく見かけたし、コシノヒロコやコシノジュンコは先輩。身近な場所がドラマになったのは初めてで、そんなことも嬉しかった。コシノヒロコさんは、今75才らしい。おしゃれだし、若いなあ。見習わないと。このドラマからパワーをいっぱいもらったなあと思った。
2012.03.31
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今日は塾の最終日。5人の子が来た。春休みの宿題が無いので、最初の45分くらいはプリント学習をし、15分くらいは、持って帰るプリントの整理、そして最後の30分はお別れ会。最後の日だから来たいと言ったSちゃんは、手作りのチョコレートとバームクーヘンを持って来てくれて、いつもの曜日じゃないけれど、特別参加。チョコレートをかじりながらのお別れ会は、みんなの良いところの発表会。学校も学年も違う子同士が仲良くなって、私にも、「先生は怖い時もあったけど、いろいろできるようになった。」「勉強がわかるようになって嬉しかった」「この塾に来てよかった」「先生のこと、大好き」と言ってくれた。お母さんが迎えに来て、お花のアレンジをいただいた。子ども達とハグしてお別れ。泣きそうだったけど、満足感もある。4月から新たなスタート。何して過ごそうかな?
2012.03.28
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