私は男のことを
「まるで靴底にくっついたガム」のようなものだと思っていたからです。
感覚でわかっていただけるでしょうか。
ついたばかりの時は気持ち悪く、
次第に「靴を履くのには支障はない」のに汚く残り嫌な気持ちになる。
まだ、履けるのにお気に入りの靴であってもはかなくなり、捨ててしまう。
こんな感覚です。
靴が私だとすると、私は何度か死にたくなりました。
死にたいというよりも、この世からゴミのように「ふっ」と消えたくなった。
どうにかこうにか結婚した私と「ガム」でしたが
難しく書けば「主義思想・生活信念が違う」
簡単に書けば「馬が合わない」ということの連続でした。
私は結婚当初はまた、正社員で働いていましたので非常に忙しい。
また、料理などしたことがないお嬢さん?でしたので、手際が悪い、、、
というか、「手料理など期待できるわけがない」状態でした。
ガムは結婚したとたん、女は料理ができるようになると思っていたようです。
そんなわけがあるはずないのに、固くそう信じていました。
文句を言われると
「だから結婚を急ぎたくなかった。それなりに準備したかったが出来なかった。」
「嫌なら食べなくていいし、もう作らない」
その文句というのが、、、アジの干物を焦げて食べられない一歩手前まで焼いてくれ
とか、ベテラン主婦でも難しいと思われる要求でした。
「だったら自分でやれば?」
「俺はできない」
「あたしもできないよ」
「こんな時俺のおふくろだったらなぁ~!!(延々思い通りにしてくれたというはなし)」
「お母さんと暮らしたら?離婚離婚。こんなマザコンと暮らせないわ。
料理が下手な私が悪いかもしれないけれど、できないの知ってたんでしょ。
わがまますぎる」ばっつり。
ガムは結婚はお母さんの代わりの人ができるもの、と思っていたようですが
あの母と比べられたくない。
ガムは知っていたのかわかりませんがかなり大家族の末っ子だったので
ガムの口に合う料理を作っていたのはお義姉さんであり
義母は何をどうしたらこんな真っ黒に煮物がなるの?という腕前でした。
醤油の味すらしないんですね。吐き出したくなりました。
あと、新鮮な野菜を放置して、しなびさせてからたべ「させる」のが
お得意のようでした。
台所からは、お義姉さんがお嫁さんに行ってから腐った匂いが絶えず
義母自身が腹を壊していること多々で、非常に危険な女性です。
そして、食べるまでしつこいんです。本当に危険です。
少なくとも私は腐ったものは出さなかった。
私はその頃まだ若くてパワーがありましたので、
プッツンすると夜中でも実家に帰ってしまい
詫びが入り、気が済むまで帰りませんでした。
「だって、したくなかった結婚だモーン」と言われると
父も何も言えなかったようです。
そんなに文句があるのならば外で食べればよろしい。私は構わない。
と、思ってましたので、なぜそうしないかも不思議でした。
ガムは私が大好きでそばにいたかったというようなことを言いましたが
なら、食事も一緒に外食すればいいし、自分も作ればいいのに
完璧を要求する発言で、私は実家に帰ってしまい、
このまま離婚したいと言われ、一体何をしたかったのか未だによくわかりません。
これが靴底ガムの一事が万事のお話です。