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ワタシの中ではガムのことは過去の笑い話として決着がついているのですが困ったことが起きました。 多感な年ごろのときにガムといた時間が多い娘が ガム体質丸出しのことが。。。 とにかく、ギャーギャー騒ぐのです。気に入らぬことがあると。 うんざり。 ワタシは今、できることなら家出したいです。。。
2015.02.26
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思いやりが無いのは、ハンパねぇ!という感じのガムでしたが自己評価で「俺は優しい」とか「俺が優しくしているのに」とか言いそれがもはや優しくないんだよっ、って感じでした。(馬鹿だと思っていました)ある日、ワタシは銀行の駐車場で車をこすってしまい幸い、人にも建物にも被害が無く壊れたのは自分の車のライトのレンズだけで済んだのですがその時のガムの怒り様はすごかったです。で、ワタシが「車の方が大事なのね」と嫌みを言うと「問題が違う」とか言いやがりまして。。。ワタシの不注意が問題だというのですね。こうなると、いやみの応酬です。ワタシが、「注意は十分していたつもりだが、不十分だったかもしれない。でも、この程度で済んで「ありがたい」と思うし、これからは『馬鹿じゃないから』もっと注意するよ。でもさ、反省しているのに、がみがみ言われたらむかっとするし。注意するにしてもがみがみ言わないで、全くその通りだよね、って思える言い方出来ないの?(ここが女の悪いところでございます。過去発言の指摘、しつこくw)あなたの『優しい』がわからないんだけど。自分が同じ立場で同じ事言われたら相手を優しいって思えるの?」更に、「同じことを人がしてたとき、がみがみ言っている人をああ、あの人は優しいなぁ、って思えるの?」(どどーん)さらにさらに、「あなたが事故を起こした時(ワタシの場合よりひどかったし、ガムが悪かった)ワタシは『誰も怪我しなくて良かったね』で済ましたのにワタシにはこうなわけだ。自分に甘いよね。」(爆)とどめ「あそこの銀行はだからいやだっていたでしょ。駐車場が狭くて。この際、あそこをメインで使うのやめてくれない?車を使わなくてもいけるところがあるんだからさ」転んでもただ起きない、とはこのことでしょうか。この車の破損はガムの横着のため起きたことにしてしまった。ワタシがこれだけしゃべるのは普段ないのですがガムにとっては「文句を言うときだけ雄弁」「口を開けば文句」だったでしょうけれどワタシにすれば、ここまで言わせる方も悪いのです。そして、言うように「させてしまった」方も悪い。前にも書きましたが、ガムの母親は石ころに毛躓いて転んでも「そこに石があるのが悪い」と育てたそうですが子供の頃ならまだしも、いい歳の大人が「悪いことがあるとまず人を責める」わけですから「いい加減にして!」と、キレてしまっていたわけです。しかし、息子が転んだときは、ワタシのせいなのでした。「なんで転ばせた!」というので「立って歩いているから転ぶこともあるんじゃないの」と言うと化け物を見るような目つきで見られました。この後、息子の将来に「ガムが」レールを敷くようなことをしたがったのですが(とにかく、失敗は許さない的に!)それって、あんたの大嫌いなお父さんがしたがったこととおんなじじゃん変なの! と、心底思いました。
2015.01.28
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まぁ、おめでたくないことをこれから書くのですが。。。ティシュにこだわりがある方って結構いらっしゃると思います。ワタクシが前にガムを「お前がいると地球環境に悪影響がある云々」と罵ったことがあると書いたと思うのですが、、、あと、知人の意見なのですが「ティッシュを無駄遣いする家はお金がたまらない。」そのずぼらが原因、一事が万事、、、なるほどね。ワタクシはティッシュを無駄遣いするガムのためにドラッグストアで一番安いティッシュが特売になると運動も兼ねて、買いだめするほどでした。鼻をかむのに10枚(2枚重ねなので20枚)ぐらい「ざっざっざっざっざっざ、、、!!」と、乱暴に使っておりました。そのころ、今のように鼻セレブなどなくてよかったと思います。当然のことながら、そのためごみも多く何一ついいことはありませんでした。トイレットペーパーもすぐなくなり、トイレが詰まってワタクシが後始末しろと言われるのですがさすがに夫のブツでも大人のブツはいや、と拒否してました。あまりごねると「いい加減にしろ!」このようなことの積み重ねで、優しくなくなるのですね、言葉が。ワタシはは障害者でして、大したことは無いのですが買い物がしんどくなると、通販で大物?は買うようになりました。どーせ無駄遣いするんだから、と安いティッシュ等を買っておりましたらなんか、虫の居所の悪い日「再生紙の紙製品を使うのはエコとかかっこつけてるのか!?」と、当たられました。そこまで想像力があるのなら、無駄遣いしてるせいだと気づかぬか?wワタシは「別にあなたが買ってきてくれるのならあなたの気に入る高級な紙類を買ってきていいのよ。でも、通販にはこれしかないの(嘘)」と、突っぱねました。またある日「なんで俺がごみを出さなくてはならないんだ」と、おキレになったのであんたが出すごみがほとんどじゃないのよ、と思いつつワタシは静かにキレw「体がしんどくなかったころはあんたのビールの缶とか全部ワタシが出していたのよね。。。文句も言わず。ゆすぐのもワタシ。下げるのもワタシ。どうせ出掛けるついでで、急ぎでもないのに出したくない?大概の旦那さま方は家事協力するのが当然って率先してやってるのにあんた、もしかして、精神的にケチなんじゃないの」(爆)それからガムは文句を言わず率先してごみを出すようになりました。雉も鳴かずば撃たれまいに、みたいな話ですが喧嘩をするとき?相手の逃げ道を徹底的にふさいだワタシも(少しは)悪かったとは思っています。思ってはいますが、ガムは、人を呪って穴を二つ掘ってしまうどころか人を陥れようとした穴に自分が落ちてしまうという方が正確でした。さほど優秀でないワタシでも彼に勝つ?のは簡単で、それでも挑戦してくる。。。普通のことなら立派なのでしょうが、、、挑戦する内容が間違っている。(言い切り)w
2015.01.10
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ガムは皮膚に何かあったらオロナイン軟膏ですべて解決できると思っていました。そのひとつが、水虫。正直いつうつるかとびくびくしていたのですがなんとかうつされずに済みましたが。はっきり言って、何年もオロナインを塗り続けていて一向に治らなかったのに何の疑いも抱かない。皮膚科の医院が近くにあるのですが、行こうともしませんでした。自分が何年もいやな思いをしているのに、子供に移ると困るとか考えない。(子供も私も無事でしたが)子供が虫に刺されたりするとその、、、水虫菌が培養されてるんじゃないかと思うオロナインのビンから塗ろうとするので、思わず、やめてくれと言いました。ちゃんと虫刺されの薬があるのになんで???医師に処方された水虫薬には、人に移さない効果もあるので何度も医師に行ってくれと言ったんですが、ついに一回も行きませんでした。そのくせ、のどが痛いのはお前が昨日食わせた魚の骨のせいだと言ったことがありそれは自分の不注意なのではないか、と思いましたが息子が風邪気味なので、「骨が刺さっているのなら危ないから一緒に行って耳鼻科で診てもらえば?」と言いくるめ行かせましたら扁桃腺炎。。。。。そのときも、医師から処方された薬は飲まず、龍角散でなおそうとする。。。医師へいった意味がないから頼むから処方薬を飲んでくれ、です。抗生剤を飲まないと、私と娘にもうつってしまう。その龍角散だって、「何年前の???」って代物です。私は子供が言うことをきかず、困った事ってそんなにないですが夫がここまで幼稚に妻を困らせるので頭がおかしくなりそうでした。いや、おかしくなってました。とにかく、こいつを怒らせないようにしなくては、としつけのできなかった犬扱い。やはり、いなくなってくれてありがたいと、、、。。。もう、言いくるめるため我慢するのも疲れていましたので。。。いったいどうやって生きてくるとこうなるものやら、とか無駄なことを考え別れることしか考えられませんでした。まじめに、命が危ない気がしたんです。死にたくなりそう、とか。
2014.06.25
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あまり、好んでは使いませんが、生理のとき、長時間の外出がやむを得ない場合タンポンを使う方は多いと思います。万が一、経血が人目に触れる様なことがあったら大変ですからね。 このように、女性は気を使い、同性にさえ自分が今、生理であることを隠すことが多い、、、というか、鬱陶しいことこの上なくてもわざわざ言わないことが多いものです。(生理痛がきつい方はさらに大変だと思います) そして、男性は気づいてしまっても「知らなかったこと」にするのを礼儀にするものと思っておりました。生理用品においても、やたら堂々と置いてあるのでもなければそれについて言及しない、とワタシは思っておりました。 ところがガムはひっそりと目立たぬように蓋のある棚に置いてあるワタシの生理用品を見聞してその中にタンポンがあるのを発見?し(もう、この時点でも変態臭) 「こんなもの使うな!!」と封建時代の親父のように怒鳴りました。 ワタシのためではありません。 「俺のモノ意外入れることを禁止する」と言いました。 要するにタンポンに嫉妬しているのです。。。情けないのもホドが。。。 親しい友人にこの話をしましたら「つくりでしょ?」と疑われましたが「本当の話だ」と言ったら「やってることやいっていることがすべて気持ち悪い」と言いました。 ワタシもそう思いました。 今でも、こんな情けない男を我慢したのは悔しいですが2度と会わないので、死んだんだ、、、と思っても ホント、マジ、気持ち悪いと思います。
2014.06.21
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つれづれに書いています。何かでチャイルドシートの使用率が6割にも満たないという話を読みました。人ごとと思う方もいるかもしれませんが、実際、ワタシの運転する車が息子が5歳のとき交差点で追突され「あの時チャイルドシートを使っていなければ、、、」と、ぞっとしたことがあります。 ワタシはシートベルトをしていて事なきを得たにしても息子に何かあったら、事故がワタシの責任ではなかったにしろどんなに辛かっただろうと。 しかし、こんなことがあっても、ガムは「かっこ悪い」んだかなんだかわけのわからない理由でシートを外してトランクに入れちゃってたんですね。 結局、チャイルドシートを外したら、降りるときはとりつけておくことに話はつきましたがその説得に半日かかったでしょうか。。。 シートをつけるぐらい簡単だろう、とガムは言いましたが、それは男性の話で、子供連れじゃないときではないでしょうか。 駐車場で、シートをつける間、子供から目を離さずできるわけがない。いったん車に乗せるにしても、またおろして乗せなおすわけです。 「そんなに簡単なことならあなたがやればいい」とワタシは言いました。ワタシが車にのるときは、子供が熱があるなど緊急の場合が多い。それに外す理由がわからない。 ガムが助手席に「バッグが置けないから不便だ」と言った時は心底軽蔑してしまいました。チャイルドシートは後ろの席でもいいんです。 「あんたさ、子供がかわいいだの何人いてもいいとか言ってるけどさ結局父親だってこと、カッコ悪いと思っているんじゃないの?シートつけるのワタシも面倒くさがってつけないで子供が死んでもいいって言っているのと同じだよ。ワタシは面倒くさいけど、そんなことしないって甘えてるだけじゃないの?子供がかわいいんだったら、育ててる母親にできるアシストはしなさいよ。S(息子)にはあんたの父親はこんなこともしてくれなかった。Sはそんなお父さんになるなっていうからね。」 ガムはこの言葉に負けたようでした。 その後、シートがつけ忘れられているたびに、息子の前では言いませんでしたが、「そんなにSを殺したいのか」&「Sももう、あんたがやっているおかしなことわかるようになってきてるよ」と、脅しました。 ワタシがいくら気をつけても事故は起こることもあるんです。ちなみに、ガムの行く場所は大人だったらいくらでも歩いていける場所でした。そして、熱のある子を連れてもっと離れた病院へ「歩いていけるだろう」と平気で言うようなやつでした。 憎むというよりは「かわいそうな育てられ方をしたバカ」とあわれんでいました。ガムにはそのたび、ワタシに人でなし扱いされるわけがわからないというか。。。しまいには「タクシーで行くからもういいよ」というと「もったいない」。。。ワケガワカラナイ。。。あんたが無駄に車を使う方がよほど「もったいない」。。。 車自体いらなかったかも、と、今は思っています。(当然のことながら、ガムのおもちゃ的にいじくられてとっても乗りにくい車でした)
2014.06.14
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つれづれに書いています。何かでチャイルドシートの使用率が6割にも満たないという話を読みました。人ごとと思う方もいるかもしれませんが、実際、ワタシの運転する車が息子が5歳のとき交差点で追突され「あの時チャイルドシートを使っていなければ、、、」と、ぞっとしたことがあります。 ワタシはシートベルトをしていて事なきを得たにしても息子に何かあったら、事故がワタシの責任ではなかったにしろどんなに辛かっただろうと。 しかし、こんなことがあっても、ガムは「かっこ悪い」んだかなんだかわけのわからない理由でシートを外してトランクに入れちゃってたんですね。 結局、チャイルドシートを外したら、降りるときはとりつけておくことに話はつきましたがその説得に半日かかったでしょうか。。。 シートをつけるぐらい簡単だろう、とガムは言いましたが、それは男性の話で、子供連れじゃないときではないでしょうか。 駐車場で、シートをつける間、子供から目を離さずできるわけがない。いったん車に乗せるにしても、またおろして乗せなおすわけです。 「そんなに簡単なことならあなたがやればいい」とワタシは言いました。ワタシが車にのるときは、子供が熱があるなど緊急の場合が多い。それに外す理由がわからない。 ガムが助手席に「バッグが置けないから不便だ」と言った時は心底軽蔑してしまいました。チャイルドシートは後ろの席でもいいんです。 「あんたさ、子供がかわいいだの何人いてもいいとか言ってるけどさ結局父親だってこと、カッコ悪いと思っているんじゃないの?シートつけるのワタシも面倒くさがってつけないで子供が死んでもいいって言っているのと同じだよ。ワタシは面倒くさいけど、そんなことしないって甘えてるだけじゃないの?子供がかわいいんだったら、育ててる母親にできるアシストはしなさいよ。S(息子)にはあんたの父親はこんなこともしてくれなかった。Sはそんなお父さんになるなっていうからね。」 ガムはこの言葉に負けたようでした。 その後、シートがつけ忘れられているたびに、息子の前では言いませんでしたが、「そんなにSを殺したいのか」&「Sももう、あんたがやっているおかしなことわかるようになってきてるよ」と、脅しました。 ワタシがいくら気をつけても事故は起こることもあるんです。ちなみに、ガムの行く場所は大人だったらいくらでも歩いていける場所でした。そして、熱のある子を連れてもっと離れた病院へ「歩いていけるだろう」と平気で言うようなやつでした。 憎むというよりは「かわいそうな育てられ方をしたバカ」とあわれんでいました。ガムにはそのたび、ワタシに人でなし扱いされるわけがわからないというか。。。しまいには「タクシーで行くからもういいよ」というと「もったいない」。。。ワケガワカラナイ。。。あんたが無駄に車を使う方がよほど「もったいない」。。。 車自体いらなかったかも、と、今は思っています。(当然のことながら、ガムのおもちゃ的にいじくられてとっても乗りにくい車でした)
2014.06.14
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なんやかんやがあったのは5年以上前。いい加減にしろよ自分、と思います。 でも、不安になったり、怖くなる。病気です。PTSD。 たまに死にたくなります。現実的に考えて、もう、ガムの直接の害はない。 でも何か、いやなことがあると、あの、絶望的な日々がまた来るのではないかと思い怖くなってしまって、生きる気力が萎えてしまうのです。 理性では「それは違う」とわかっていても、気持ちがどうしようもない。 カウンセリングでは「あなたがダメになって一番喜ぶのはガムだから負けるな」なんて言われても、、、がんばるには時間がかかるんです。がんばれないのに頑張れってガムということが同じでこのカウンセラーはご辞退することにしました。却ってストレスなんです。 こういう風に、何もかも後ろ向き。毎日がつまらない、辛い。人と会いたくない。 5年たっても、ここまで病んでいます。もう、人の前で元気な振りをするのも疲れました。
2014.05.26
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ぶつぶつ、愚痴を書いていますが読んでくださった方は「なんで、あなたはこんなこと我慢した!?」と、思うことでしょう。 それはガムに洗脳されかけて、「ダメンズウォーカー」の女性の様に「自分がいなくちゃ、このヒトはますますだめになる」とか思いこんでいたらしいのです。いや、思いこんでいました。 ガムは意識してはいませんが、母親至上主義。しつこく、自分の母親が「神様」のごとく絶対だと言い張っていました。 しかし、その母親は夫である義父にとっては決していい妻ではなかったことに全く気付いていないのですね。 で、私はガムにとって妻でした。母親ではない。 ガムがマザコンと呼ばれる気持ち悪い男だと思うと、もうどうでもよくなりました。 変なたとえ、元カノとくらべる鬱陶しい男みたいなものですよ。 はぁ、目が覚めてよかった。 このことで学んだのは、いくら努力しても、価値観の違いなど超えられず努力は報われないこともある、ということでした。 たまに、精神的に疲れた時、思います。 こんな時、ガムがいなくて良かった。出て行ってくれてありがとう、と。
2014.04.17
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まだ若いころ、ずうずうしく、泊って行ったガムの友人がいましてワタシは口には出さなかったものの「やれやれ、やっと帰った」とその人の使ったシーツなどを洗いました。 で、とてもお行儀がよいとはいえなかったのでまた来客があり泊らせていいか、と言われましたので「ワタシが実家に帰るんでいい?息子もいるしさ。」と言ったら(狭いアパートで他人の殿方が止まるのが嫌だ、というワタシが変?) 鬼の形相で、「お前はなんで俺の友達をバイキンみたいに扱うんだ!つかったシーツも洗っちゃうしさ」。。。。。??? あの、、、バイキン扱いまではわかるんだけど、来客の使用したシーツを洗うのって 普通じゃありませんか? ワタシは「洗うのが普通だよ。じゃ、そのシーツそのままあなたが使うの?」ガム「。。。。。。。。。」「ワタシに使えと?」 「洗うしかないじゃん」 ガムは自分的に便利な場所に自分専用のバスタオルをぶら下げてありましてもちろんそれはガムしか使わないのですが、匂い始めてもあらわせず、きれい好きなんだか、バカなんだか、さっぱりわかりませんでした。風呂に入った際、洗ってあるとはいえ下半身をそれで拭き、顔も手もそれで拭く。。。 たまらなくなったワタシが、それを洗うと、イヤな顔をしました。(臭いんです) 彼にとっては何がきれいなのかさっぱりわかりませんでした。バスマットなんて、一生洗う気がないみたいだったし。。。
2014.03.17
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ガムはよく下痢をしました。ワタシから見ると、明らか会社で何かあった。ビールを飲み過ぎる。一日の水分をほとんど酒で摂取しているぐらい。なので、お腹を壊して当たり前な上、ストレスがあった、わけなのですが、、、 「何か悪いものを食わせたな」と、ワタシのせいにする、と。 言いませんでしたが、「あんたの母親じゃあるまいし」です。(怪しいものを食べて、お腹を壊した話を何回聞いたやら。。。)ワタシもお腹を壊しやすい方なのですが、ワタシが食べても平気だった食事に難癖をつけて八つ当たりしているわけです。 あのですね、、、怪しいものはワタシは人にも出しませんよ? ガムは故意にそういうことを言っているわけではなく、過去に、母親に、怪しいものを食べさせられるのが当たり前でこういう人を馬鹿にしたことを言ってもいいと思っているようでした。 その上、俺は我慢強い、と、本気で思っているようでした。 ワタシは、人に我慢しているとわからないのが、我慢だと教えられて育ちましたのではっきり言って、バカか、と思っていました。 あまりにも、怒るのもばかばかしいことが満載で、これでバカにしない人がいたら偉いか神経がおかしいのではないか、と思っていました。 「俺を信用してくれ」と言ったことがありましたが「あんたがワタシの立場なら信用できる?」と言うと黙り込んでいました。お互い様ですが、出来ないもんは出来ない。自分も私を信用していないのに何言ってやがんだよ!と思いました。 信用もしていない私と、離婚したがらなかったのはガムです。そこがもう信じられなかったです。八つ当たりの相手が必要だっただけに見えます。ただ、私は八つ当たりされると、すごく馬鹿にした目で見て「あ、そう」でスルーするようになっていました。
2014.03.06
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ガムは、外食、、、というか家以外で食事をすることを好みませんでした。(食べるものはコンビニのものでいいのですが)一つだけ例外がありまして、それはラーメンでした。 そのラーメンが問題で、、、同じ店にしか行かない。そこまではいい。なぜかワタシを連れて行こうとするのですね。しかも、ワタシは軽く食事をした後に起きてきて「腹減った、ラーメン食いに行くぞ」とか。 ワタシは食欲が無いうえ、そこのラーメンは飽きていました。一種類にトッピングが変わるだけのラーメン屋なのですがとんこつ醤油というのだと思いますが、うまいのではなく化学調味料たっぷり、という味で、しょっぱすぎ。なのになぜか麺は細麺で、ゆで過ぎ。。。しかも量が多い。 その上、スープがぬるい、、、レンゲが気持ち悪い。。。 行きたくないと言うと、ラーメン食って帰ってこれるよ、ってぐらい時間を費やしてついてこいとダダ捏ね。 しぶしぶついていくと、まず、ガムのどんぶりに半分以上の麺を押し付け。それでも、食べきれないというか、、、気持ちが悪くなってしまうのです。 ガムは自分が食べ終わると、さっさと車に戻る。(食券なので先払い) ワタシは男性と食事をして置き去りにされるのなんて、ガムにしかされたことがありません。 自分のペースでしか動かないのに、なぜ、ワタシが必要なのか?と、激しく毎回思いました。 ガムは母親の影響か、味覚音痴というか障害に近かったようです。(要するに、うまいもまずいもわからなく、濃い味がスキ) で、ワタシが通院している病院の方に、おいしいラーメン屋があるからちょっと遠いけどそっちに行ってみない?と誘ってみましたら(通院の帰りに寄っていた) 珍しく「行く」といいました。 そこは麺の硬さや、スープの味も濃い、薄いが選べ、まぁまぁです。 しかし、ガムは不満だったようで、ぶつくさ何か言っているのです。 そういうことを利用するのがワタクシwww 「このようにこれだけ好みが違うのだから、これからは一人で行ってちょうだいはっきり言って、ラーメンぐらい一人で食べられるでしょう」 ワタシは何か間違っているでしょうか?食事は気の合う者同士で行きたいです。できるだけおいしいものを選んで。 ワタシはそのあと、2度と、ヌルマズラーメン屋に行くことはありませんでした。
2014.02.18
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って、言われたんですね。これがガムを追い出す決め手となりました。 ガムは怒っているわけでも酔っているわけでもないとき唐突に、タイトルの言葉を言いました。しかも子供たちもいる前で。 子供たちは青ざめていましたね。 私は妙に腹の据わった女なので「で?」と言いました。冷静に。「いや、ごめん、取り消す」とか言い訳をしたんですが 私に「一回口にした言葉は無かったことにできる状況だと思う?」と、妙に冷たく言われ、「この際だから話しあいましょうか」とも言いました。 「まずあなたたちに訊きたいんだけど(子どもたちにです)お父さんとだけ、私なしで暮らしたいと思う?」と言いました。 その時、いつも冷静で口の重い、慎重な長男が「いや、無理だと思う。いなくなるなら父さんの方だと思う」と、ずっかり言いました。 のみならず、「ずっと思っていたけれど、父さんが出て行くべきだと思う。はっきり言って、負担過ぎる。」と言ったのです。 私は「M(娘)はまだ高校生だし、家が無いのは困る。あんた(ガム)は家出先があるんだから、出ていける人が出て行くべきよね。」と、シレっと言いました。 ガムが、「俺だって困るよ」と言いましたが、「しばらく、居心地のいいお友達の家にでも行って、アパート探すなんて簡単でしょう」と、言ったら、 「ここは俺の家なんだぞ!!」と、怒り始めました。 「あのね、私が知らないと思っているらしいけれど、この家だって私の父に買ってもらったも同然でしょう。一体いくら父からせびったのよ。」 「では多数決、Mちゃんはどうなの?」と娘に言ったら、「お父さんが出て行けば?」と、液体窒素並みの冷たいお言葉が。。。。。 で、ガムが私に罵詈雑言をはき始めましたので「録音するわよ」と携帯の録音機能をオンしようとしたら、つかみかかられ私は体にあざが多数できました。傷も。 息子に「警察に電話して」と言うと、何のためらいもなく息子は警察に電話しました。 私が念のため、病院へ行っている間に、息子に着替えなど持たされて警察の方に、しばらく家に近づくな、と諭された模様です。 その時に私が家裁に申請すれば接近禁止命令というものが出て、違反すると法に触れる、ということも説明されたようです。 その上、DVの現場に警察の方は来たわけですから(私が一方的に怪我している)不安なことがあったらいつでも呼んでくれ、と言われました。 私がその後、車に押し込まれて、心中に付き合わされそうになった時も同じ警察官の方が来て、あきれちゃったようです。 なんで、いなければいい私と死にたがる、、、阿呆としか思えませんでした。 自慢くさいですが、私はガムから離れたい一心で、経済力を年計画でつけるような人間です。 そこまで努力できるというか。。。 こんな何も努力できない人間に殺されてたまるか、と思い、ガムが家に近づけば(鍵は取り換えてある)遠慮なく警察のお世話になりました。 もう我慢なんかしなくていい力を持っていたんです。それにも気付かないなんて、、、やっぱ、バカは永遠のようでした。
2014.01.21
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ガムが気持ち悪いと思った話を詳細にはなされるのもうんざりでしたが「あんた、何回その話すれば気が済むんだよっ!!」 ってのも参りました。かまいたち、とか、金縛り、とか、中学の時の話です。近しい人が亡くなって、霊が来たとかは却って喜ぶべきことなんじゃ?と、思うのに、恐怖体験として話すのですね。。。「お前は失礼ということを知らんのか」的な~。。。 で、私が、ふーんとかへー、とか反応が薄いと(聞きあきている)「信じないのか!?」とか、うるさくなるのですね。 私は全く霊的な体験が無いのですが、否定する気はないのですが、 何度も何度も同じことを話すガムを「認知に似たバカ?」とは疑っていました。ほら、年取ると若いころの話をしつこく話すとかがそっくり。 ガムのすぐ上の兄にあたる赤ちゃんが親戚のうちに預けられ事故で亡くなったのですがその話も何回も何回も。義母は専業主婦でしたが、乳児を預けて何をしていたというと、新興宗教の集会へ行っていたらしいです。まー、一回や二回のことではなく預けていたと見るのが当然でしょう。その間、虐待したのでもなく、何かあっても義母の責任だと思います。と、言う理屈はガムには通用しないらしいです。 しつこくその親戚が常識が無い、と、30回ぐらい聞きましたかねぇ。。。 「何回も何回も親戚とはいえ甘えて、乳幼児を預けたあんたの母さんも悪いよ」と、言ったら、もうその話はしなくなりましたが。プルプル怒りに震えておりました。私も冷たい。「あんただって子供に何かあるとすぐ私を責めるじゃない。この場合だってあんたの理屈じゃ母親が責められるべきでしょう。」子供より、変な神様が大事なんてばっかみたい、までは言いませんでしたが。。。 言いませんが、ある種のバカは遺伝する、、、と、今も思っています。自己中というバカ?
2014.01.20
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私が結婚した理由も、別れた理由もタイトルの一語に尽きると思います。あれだけ熱心に結婚を望まれれば普通に大事にされると思ったし異常に大事にされないので失望してしまいました。 この言葉はある有名女優さんが離婚のとき言った言葉だそうですが、、、。。。 私がいくら相手を大事にしても、大事に思っているから時にはあえて苦言を、とは思われなかったようですし、 ガムの大事にする、は自己中心で、喜ばないワタシが悪いようでした。大事に思っている妻に会社を辞めることも一言も言わず子供の学資までパチンコに使い、無責任に出て行く。 このことですら、結果的に「よかった」と思われるありさまでです。このことですら、ガムがいると邪魔だったからとわかった上での優しさだったかもと思いたいです。まぁ、そんなことはないでしょうが。 あんなに、向こうの親族に自慢していた息子と娘ですら大事にできないのです。まぁ、親ばかくさいですが、うちの子は出来がいい方だと思います。ほとんど育てたのは私ですので、ガムのバカに染まらないように必死でした。 それでも何かはあるだろうな、と覚悟していたのですが幸い大きなことはなかったです。 ガムが出て行って、落ち着いた頃「あなたたち、よくやけにならなかったったね。助かったよ。」といいましたら「あんなものに負けるわけにいかないだろう」。。。 とにかく、やっとでも、へとへとでも、私たちはガムの毒に勝ったのです。 そのことを誇りにして生きて行こう、とも思いましたが、やはり、その価値さえない、、、と思うのが本音です。
2014.01.16
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ガムはガムで、不満をためていたのでしょうが八つ当たりという手段を使うのでそれなりの報復はするようになっていました。 ある日、ワタシの作った飯は食べたくない、と言われました。しかも子供が食べているときに、「これは冷凍、これも出来合い」とか。子供はワタシがその日は時間が無くてそうなってしまったとわかっていたので多少不満があっても文句は言いません。 このことがある前に、「これはお前が作ったのか」とかしつこく言われたことがありました。しかも、私はガムが偏食なので、本当に参ってしまっており、可能な時は、好き嫌いの少ない子供たちには手作りの食事をさせてしまい、ガムの分だけ、ヤツの嫌いなものが入っていない出来合いを利用することもありましたが少しは手をくわえてはいました。 食べたくない、と言われた私は「そら来たか」という感じで「いやなら食べなくていいよ。今日からずっと。」といい本当に作りませんでした。 それをガムの友人もどきに言ったらしいのですね。外で通りすがりにあって「にくきゅうちゃん、ガムに夕食作らないんだって?」から始まり、女房なら何を言われても食べなくても作った方がいいよ」と言われました。 私が「毎日コンビニ食、ご機嫌で食べているよ。しかも一度気に入ったものは毎日みたいに食べているし本当に、ワタシのご飯じゃなくていいみたいよ。」と、言ったと思います。 友人が「それじゃ、偏っちゃうでしょう」「ワタシが作ったものも、好きなものしか食べないの。野菜も。同じじゃん。」「長生きしてほしくないの?」「前はそう思っていたけど、自分でそうなりたいと思わないのは変えようがないから」、、、というような会話がありました。 後日、この友人の家に転がり込むんですが、やはり、偏食に参って「にくきゅうちゃん、あの時意見なんかしてごめん。君の言うとおりだったよ」と、謝られてしまいました。 ガムは、お土産と称してコンビニのケーキなども買ってくるのですが娘も最初は食べていましたが、一回おいしいというと同じものばかりなので(おいしいか?としつこいから) 飽きてしまって、たまっているのを見て「なぜ食べない!?」 飽きたに決まっているでしょう。。。それでも娘は健気に「今、食べたくない」とかごまかしていましたが、、、 ガムのいないところでは「ばっかじゃないの!たまっているのにまた同じもの買ってきて!!」 コンビニ食というのはごみもたくさん出まして、ワタシの手には余るので自分で出してくれないか?とも言いました。おまけに、残すんですね。。。なぜ食べきれるだけ買ってこないのか不思議でした。 私にも食べろ、と勧めてくるんですが、私はちゃんと夕食を食べているうえたまにならまだしも、はっきり言って、匂いや見ているだけでうんざりしていたので断っていました。 嫌みなつもりはないのでしょうが「これうまいよ」と勧めてくるのですがガムがかき回した容器から食べる気もしませんでしたが「お腹すいていないから」と断っていました。 ガムは出勤する時、前日のごみを持ち、コンビニでコーヒーを買って捨て帰りにほとんどごみになる買い物をして帰ってくることを繰り返していました。 そんなに好きじゃないけれど、体のために野菜を食べるなんて発想はないようでした。 その結果、ガムはすごく痩せているのに「糖尿病予備軍」で骨粗しょう症で骨折しやすくなって行きました。 スィーツはトイレに中身を捨て、ガムのごみに混ぜときました。 お土産ですら、精神的に負担になるガム。。。やはり、最後は(冷蔵庫が狭くなる・処理が面倒だから)買ってこないで、と言わざるを得ませんでしたがそのときも、切れて大変だったです。 誰も食べたがっていないのに、自分の気持ちを拒否されるのが腹が立つのなら、 私も食事にけちをつけられて腹が立ってもおかしくないとは思わない。 そして、私の大事な時間が費やされていく、、、ワタシは愛すのは難題だったです。無理。
2014.01.16
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このように、ガムはとにかく、余計なことばかり言って私達をうんざりさせていました。 私はまだ耐えていた方でしたが、子供が嫌がる、、、当然ですね。せっかく4人で暮らせるようになっていたのに、子供はご飯を食べるとさっさと、自分の部屋へ行くようになりました。 そしてワタシに「じーちゃんとこへ帰りたい」と、かなり切実に言われました。TVすら、ガムは子供が楽しみにして観ている途中でがっつりチャンネルを変えるので「観てるんだけど」と注意すると、逆切れして結局観られないのでした。 で、そこまでして死守したTV などお構いなしに、電車の中に気持ち悪い奴がいたとかそれをいちいち、毎日私に報告するあんたが気持ち悪いよ!!ってな話ばかり。中には、その話を聞くのはもう5回目だ、とか。 まるで、認知症の人の話を聞いているようでした。 で、「子どもに避けられている気がするんだけど」とやっと気付いたかい、みたいなことを言いだしました。 それを注意しないワタシが悪い、というのがガムの言い分でしたので「なんで自分で注意しないの?」と言い返しました。 「お前がなんかしたんじゃないの?」と疑ったのですが、「あのさー、いくら自分の子でもそこまでコントロールする気も力もないよ私」と言い返しまして「あなたさー、自分の行動を省みるってことができないの?」とも言いました。そしたら怒る怒る。「俺が何をしたって言うんだよ!!」 きっちり、父親らしいことをしないからでしょうwwwとは言わず。 子供の目線に合わせるとか、TVを一人占めしないとか、第一、あんたの話、面白くないんだよね。 もう、子供が自分からあなたに話しかけるということは難しいと思うね。いつも、自分は自分はって、バカみたいなのよね。否定したら切れるでしょう。 といったら、切れたので「ほら、切れた」と冷たく指摘。 子供はあんたのご機嫌取りの手下じゃないのよ。そろそろ難しい年頃なんだから、わきまえなさいよ。俺はそうじゃ無かったってのは聞かないよ。あんた、いまのS(むすこ)の歳のとき、親に拘束されてなかったじゃん。立場が違うんだから、自分と比べないこと。 ガムは何か言いたくても言い返せず、固まっていたので悪いけど、この時間まで片づけられないのも困るから早く寝てくれない? といったら、働いて帰ってきた者に対する態度か、といったので私も働いていますけど、ご自分で片づけるというのなら文句言いませんけど と言ったら、モーレツな勢いで流しに食器を運び皿を割ったようでした。そして、どすどす、部屋にこもりに行きましたが洗って、食器棚に片付けるまでが片づけだろう、、、と、思ってしまいました。 高校生になって、バイトを始めた息子が一番先に買ったものはTVでした。そして自室で妹と観ていました。 彼らにしてみれば、もはや、同じ空気すら吸いたくなかったのでしょう。
2014.01.15
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ガムの会社の同僚とたまたま買い物の時会いまして、「いつもお世話になっています」ぐらいのことを言った時のことです。ガムが「あいつのことどう思う?」と言ったので「感じのいい人だね」とどうでもいい感じで言った時のことです。 そしたらガムが「でも、あいつ、包茎だからな」。。。。。 ワタシはうんざりして言いました。「あのさ、だから?」 なんと言いましょうか、、、私は知らない方がいいことをわざわざ言うというか不愉快なんですね。分かっていただけるでしょうか。 理屈をこねると、包茎で人格までを否定するようなことをするガムの方がよほどいやしく見えました。 私は何を言っても無駄だとわかっていたので、「そんなことは聞きたくない」と言い捨てました。 ガムは歯ぐきを出して笑う女は嫌いだ、と言っていました。私はばっつり、「あんたも歯ぐき出して笑ってるよ」と言ったら「そんなことはない」と怒る怒る。 「だって本当のことだもん」というと、「本当のことでも言うな!!それが礼儀だろう」 私は呆れてしまいました。 あと、食べる時、くちゃくちゃ音をさせるのは嫌いだと言っていたのですがガム自身が、くちゃくちゃ食べていたので注意したら、子供に「本当か?」と聞くのですね。息子は黙ってしまったのですが娘が「お父さん、くちゃくちゃ食べてた」ばっさり。 よほど、お父さんは他人に厳しくて自分には甘く、本当のことでも言ってほしくないんだよ と、言ってやりたかったですが、子供の前でモノを壊されたりするので言いませんでした。子供がかわいそうだっただけです。 次第に、誰もガムと話そうとしなくなって行きました。話すと不愉快になるので仕方ありません。しかし、ガムはそのことに全く気付かないようで、一人で喋りまくっていました。
2014.01.14
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思いだしたことをポロポロ。。。ガムが出て行く少し前、呑みに行きました。酔って帰ってきたからわかったのですが、アルコール依存症の診断が出てからも無神経にこのありさまでした。 その上、酔うとしゃべるしゃべる。私が聞いているかなどどうでもいいように見えますが、返事もしないと絡まれるのでいい加減に聞いていましたが、、、。。。 その日の内容はややこしいのですが、、、私のママ友にHさんと言う人がいます。Hさんの旦那さんもその日一緒に飲みに行った、と。そこでの話が、やはり、ママ友のAさんと言う方がいるのですがむかし、H旦那がA奥さんをレイプとしか思えない方法で「やっちゃった」という内容でした。 それを笑いながら楽しいことでもあるかのようにしゃべるのです。 鬱陶しいのも度を超えていましたので、「あなたは私にその話をして、笑って、そうかそうなの、って言ってほしいの?」 と、きつく言いました。 「私はそういう話を軽はずみに、女房とはいえしゃべるあんたが信じられないわ。」 ガムは、私がなんで怒っているのか理解できないようでした。 嫌みに「私はその話を聞かなかったことにして誰にも(この話の内容が誰かわかる人間には)話さないことができるけれど、あなた、この話が誰かに漏れたら大変なことになるって分かっているの?あなたは、私が、もし、知人の誰かにレイプされたことがあったとかまわりまわって自分の耳に入っても笑っていられるからそうなのかしら。」 と、軽蔑あらわに言いました。 「聞いた私だって困るわよ」と、云い捨てました。 H旦那も、酔った勢いとはいえ、よくこんな話をしたものです。まぁ、H旦那も、なんだかわけのわからない「宇宙人」と呼ばれているのですが。。。 クズの周りにはクズが集まるんでしょうか。 本当は「ゲイのレイプ魔におかされてしまえ!」と思いましたがね。 いくら本当のことでも言ってはいけないことがある、その相手が私でも、とは分からないようでした。 自分は痔の手術を受けたことさえ隠したがるのにね。。。本当に、自分ばかり可愛くて、最低の男です。たとえ他人でも女性の名誉さえ守る気が無い。 なので、私のことも、巧みに「悪い女房」と周囲に言いふらしていたらしいですが後でそれが「ほとんどうそ、本当であっても脚色」とばれ自分の縄張りから逃げざる負えなくなったと行っても過言ではありません。姉や兄からもそのことで見はなされてしまいました。
2014.01.10
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ガムがいなくなってから、ある人に「一つぐらいい思い出があるだろう?」と言われたんですが、、、 あったかもしれませんが 全く思い出せないんですね。 家族旅行の様なものに行っても、ガムのヒトことで台無しとかしか、思い出せません。 いなくてうれしい、とか、しか。。。 私にも人間性の問題は多々あると思いますが それを圧倒的に凌駕する、ガムの人でなし感、、、といいましょうか。。。 今日は「人生最大の会わなければよかったヤツ」としか思えません。 ガムがいなくなってからしばらくしたら、異常な高揚感というか解放感を味わいました。 なんであんなものを私は我慢していたんだろう、、、、、と。 世の中、本当に、必要ない奴って存在するのだな、って感じで。 本当にいなくても困らなかったんです。 変な話、トイレットペーパー、水道光熱費まで激減です。 地球環境にまで優しくなかったわけです。 むしろ、無駄に我慢していた自分に腹が立ちました。 と、いうことまで腹立たしい男です。
2014.01.07
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ガムが出て行く少し前に、娘の進路を決める三者面談がありました。私は、忙しいから、とかなんとか言ってガムに行かせました。その先生も交えた席で、ガムは「うちの娘は就職してもらう」と言ったのだそうです。 家では、娘がやりたいことがあるのでそのための専門学校へ、なんて話していてです。お金は退職金があるから、とか言っていました。 娘は当然のことながら怒っておりました。娘の話を聞いて、私は「何をしてもかまわないから、学費だけは残しておいて、と約束したよね」と言うと、しどろもどろになりました。 会社を辞めたら、健康保険だの年金だのに意外にお金がかかった、と言いました。 ふーん、、、それでパチンコばかりしてたわけ と言うと、ガムは黙りました。 お前が働かないからそういうことになったんだろーが!!病気のせいかと思って(依存症のことです)治療を勧めても病気じゃないというし病気じゃないのなら、なぜ、仕事も探さない?あんたおかしいよ。自分と同じことを人がしていたらおかしいと思うでしょう。 今後、家でお酒を飲むことは禁止します。病気じゃなければ可能なはずです。言い訳は聞きません。(依存症ではないと言った)自分の言葉に責任を持ってください。 ベランダの洗濯物も片づけてください。匂っているんで、洗いなおすこと。それもできないなら、パチンコ依存症とまでみなしますよ。おわり。(本当におわり、と言った) さすがのガムも、これはごまかせる状況ではないと思ったようで、言うとおりにしていました。 しかし、2日後ビールを買ってきて、「たまにだからいいだろう?」といったのです。 息子が取り上げて、流しに捨てたんですが、、、いつもは息子に高飛車なくせに、何も言えませんでした。 もう、立場が逆転していたのです。息子はきちんと働いている。これだけで理由は十分でしたが体格が違う。ガムは小柄ですが、息子は身長が180センチを超える。暴力に訴えるとしても勝ち目はないのです。まぁ、息子は暴力は振るいませんが、抗戦されたら勝ち目はない。 ここが、子供たちにも完全に見捨てられた瞬間でした。娘も見ていました。 娘は、もう親だと思わない、といいました。 私はバカ正直に、そうだね、その方がいいね、と言ってしまいました。 私はその後、よくガムが家に帰ってこれるものだな、、、と思っていました。みんな切れてガムに何をするかわからないような家に。 ガムが出て行かなければ、、、私はもしかして、ガムを殺していたかもしれません。
2014.01.07
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ガムがいなくなってからしばらくして、高額医療費還付のお知らせ、というものが届きました。内容は隣の市の病院に2週間余り入院していた分のいくばくかを還付する、が、入院費の領収書持参のこと、とのこと。 私は、ありゃ~、また間抜けなことをやらかしたんだね、と心配もしませんでした。 まだ、ガムが勤めていたころ、やたら大人しくなったことがありました。明らか、体の具合が悪いようでしたが、とばっちりが来ると嫌なのでほっときました。いい大人なんだから、自分で病院へ行けばいいだけのことです。確か5月の連休で、会社は9連休で平日も含まれていました。 そして、連休が終わり、しばらくすると、私に病院へ連れて行け、というのです。痛くて、車も運転できないと。 痔でした。 仕方なく病院へ連れて行くと、よくぞ、ここまでひどくした、というありさまでした。 えーっと、数年前でも痔は日帰り手術できたんですが、あほのガムは数カ月かけて、じっくり悪化させたようです。帰宅しようとしたら、会計待ちで大出血、、、はぁ~なんで私がこういうことに付き合わねばならないのかと思いました。 午後から緊急手術と言うことでしたが、前の日、徹夜に近い状態で仕事をしていた私は疲れ切っておりまして手術が終わるのを待っている間に寝てしまいました。 よほど起きなかったらしく、医師に同情されてしまいました。(看病?疲れだと思われた?) こういうときでも、ガムはエラそうなんですね。。。寒いだの何だの、うるさいうるさい。(この時も「死んじまえ!」と思いました。。。)やっと解放されて、家に帰ろうとしたら「会社にはお前が連絡してくれ」、、、病室でのメール、禁止じゃないんですけど。。。 次の日、下着などを持って行き、「すまんが忙しい」と逃げて退院日まで行きませんでした。行っても何もすることが無いし、ホントに忙しかった。退院してからも、どっぷり、病人気分に浸ってました。 とても迷惑でした。ガムは嬉しそうでしたが。。。(本物のバカ) GWまえに病院へ行っていれば半日入院だったんだそうです。。。 こういうことが何度もあったので、私はガムに冷徹な妻になったのです。同じ立場で、優しくできるという方がいたら、私は罵倒したいと思います。頭がおかしい!!と。 私はガムが海外で事故に遭った時も「自分がその可能性のある仕事をやりたがったのだから」と全く同情しませんでした。 私へのとばっちりがひどく、とても同情する気になれない。ガムはそういうクズでした。
2014.01.06
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自分が母に慰み者にされていたというショックがどういうものかはわかりませんが父よりも上に立ってやる、というプライドも崩壊したようです。今 思うと義姉からその話を聞いたときから、「俺はどこでもやっていける」という信念も揺らいだようです。 単なるマザコンだったわけですが、、、50近くでいかがなものか。。。 ガムの友人は言いました。今まで、肉球さんの悪口を聞いて真に受けてしまっていたけれどもアレはみんな嘘だったんだってやっと気付いた。本当のことだとしても、ガムの都合のいいところばかりだったって。俺の同情を引くためのことだったんだね。だから、俺に泣きついてきたんだけど、今回だけはだめだ、って断ったよ。と、のことでした。 まぁ、そうでしょう。仕事も探さず、パチンコしている人間の方がまともだなんて普通思えないでしょう、いくら友人でも。 で、ガムはこの友人の悪口も家で言っていたのです、さいて~。。。 さて、そのあと、ガムの債務の督促がどさどさとどいたのですが私は「訴訟でも何でも起こしてください」と言いました。 今住んでいる住居だけは家賃的にローンを払うことで話はついていますがいずれ、黙って引っ越します。ガムが死なないうちに。相続になりますと、債務も相続になりますので、放棄です。 今すぐにでも、離婚はできますが、有利に話を進めたいので息子がローンを引き継ぐなどは避けているのです。 だいたい、保証人も無しにお金を貸す方もバカなのです。 ガムは現在、自分名義では携帯電話も買えない状態にあるはずです。借金はもとより、カードも取得できない。 家出してから「残念ですが、お申し込みはお断り申し上げます」という消費者金融の通知が来ました。 自分がブラックリストにのってしまっていることさえ気づかなかったのです。 ああ、何かの保証人になってなくてよかった。住居ですら、私には何の責任もないんです。 そして、私は固定資産税の支払いを拒否したので、市役所の税務課はガムの追跡をしどこにいるかは分かっているようですが、教えられないそうです。ただ、所有者にあくまで支払い義務があるので、私は関係ないそうです。 何も後始末しないで家出するとこういうことになるんですね。一生何かから逃げなくてはならない。いい気味、、、と思ってしまいました。
2014.01.06
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ガムが出て行ったあと、知人や親せきに電話をかけました。と言っても2か所。親戚は東京にいる義兄、知人は家出前ガムがよく遊びに行っていた人です。そのどちらにもいませんでした。そしてガムのことは何も知らなかったです。びっくりしていました。 私は、もし行っていたら離婚届を早く送ってほしい旨を伝える気だっただけなのですが義兄には色々聞かれ、ガムが退職し2年ぐらいぶらぶらし、アルコール依存症の治療を拒み(依存症は離婚の理由になりませんが、治療を拒むと一方的に離婚の理由になります) 努力はしたが駄目だった(うそ?したよね)と言いました。働かないで責任を果たさないまでか、息子のお金を持ち出したことも言いました。 義兄は分別がある人なので、私のことを責めませんでした。まぁ、はっきり言うと、こういうとき責められないため病院へ連れて行ったりしたわけです、無駄でも。 お互い、冷静なまま淡々と話しは続きました。すぐ、激高するガムとは大違いです。 その時、ガムが会社を辞めて、初めて帰郷した時、義姉がした話をされました。義姉はガムが元いた会社を辞めたことを大層責めたそうです。義姉はガムの性格を知っていたのです。「あの会社で我慢できなければどこへ行っても通用しない」と。なぜなら、「お前は母親に甘やかされて、石に躓いて転んでも母親が“そこに石があったのが悪い。おまえは悪くない。”と育てられた。大きくなっても、根本はそれと変わらず、悪いことは人のせいにする。お前にとって理不尽なことと、会社の歯車としてや家長として責務を果たすことが別問題だと区別できない。 それと、言っておくが母親がお前(ガム)を甘やかしたのは純粋な愛情ではない。父親とうまく行っていなかったので、おまえだけは母親になつくように教え込んでいた。私(義姉)がお前(ガム)のために注意しても母親はやめようとしなかった。お前(ガム)も、都合がいい母親だけ信じて耳を貸さなかった。だから、にくきゅうさんのことを悪く言っても、おまえにも原因があったとしか思えない」 おおよそ、こういう話を義姉はしたそうです。 つまり、ガムが「問題のある人間、しかも重大な」と義兄弟はわかっていたのです。義姉、義兄はガムにお金の無心をされたそうですが、頑として断ったそうです。前にも書いたように、一回お金を渡したら、何度でもねだられ、だめになって行くだけと、知っていたわけです。 この時点で、何が今後あってもおかしくない、と想定していたようです。兄弟をお金のことから判断され、敵に回してしまったのです。 義兄は「来ないと思うけれど、もしきたら、離婚届は俺が書かせて送る」と言ってくれました。それが兄としての責任だと思っているようでした。 そしてなんだか、ガムがいた頃より仲良くなってしまい、義兄夫婦とは電話のやり取りをする仲になりました。やはり、私の息子娘とは血がつながっているし、気にしていてくれるようです。 あと、ガムは家業の大工にはなりたくないと15歳で家を出ました。働きながら定時制高校を卒業し優良勤労学生の表彰も受けたそうです。(やればできるんじゃん)親父に一生?指図されるのは嫌だった、と言っていました。しかし、義父は就職先に同行し、頭を下げて「よろしくお願いします」と挨拶までしたそうです。(職人の常識を貫いたのでしょう) 中学二年の時、ガムはいまどき?破傷風にかかりました。重篤になる前から体調が悪かったそうなのですが、義母は「富山の薬を飲め」とかそういうことしかしなかったそうです。倒れたのが家だったら確実に死んでいたでしょう。(ここも呪いどころ)学校で倒れ、救急車で病院に運ばれて、助かるかわからないと言われたそうです。大学病院でしたので、助かるかわからないが高価な治療法があるがどうするか?と尋ねられた時、義父はためらわず「お願いします」と言ったそうです。どうでもいい子にこういう即決するわけがありません。 義兄は義父がガムに厳しくしていたのは母親がああだったからだけで決して愛していないわけではなかった、と言いました。 ガムは義母の毒の集中攻撃を受けてしまった、としか、私は思えません。 そして、義父の様なストッパーがいないとタガが外れることもわかりました。 ま、いまさらですがね。
2014.01.06
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ガムは私が心にもない言葉を発しない人間だということはよくわかっていたみたいです。土手に突っ込んだ時点で、車を止めた人に私は助けを求め、警察が来ました。警察の方に事情を話し、「このような状態なので安心して暮らせない」と訴え 家の鍵を取り上げてもらいました。ガムには離婚届に署名捺印して郵送するように言いました。 後で気づいたのですが私の机の中の「息子が家に入れてくれたお金50万円ほど」が無くなっていました。家に泥棒がいたわけです。 ガムは、たぶんこうなることを想定して、いたのでしょう。家を出るのも、一人ではできない。追いつめられないと。 次の日には念のため鍵屋さんに来てもらい、鍵を取り換えました。娘には学校の行き帰り、家の周辺は特に気をつける様に言いました。 が、その日を境にガムの姿はぱったりと消えてしまったのです。離婚届もいくら待っても送られてきませんでした。私はきっと死んだんだろうなぁ、と思ってました。と、言うより、死んだんならいいなぁ、と思っていました。 娘はひどく怒っていました。私に対してではなくガムに、無責任すぎる、と。(まだ、高校生でした)息子はもっと複雑だったようです。 私は娘に「あなたに対する責任はガムが会社を辞めてぶらぶらするようになってから金銭的にも、そのほかのことはもっと前から私が対応していたんだよ。だから、あきらめなよ。3人でもやっていける。」と言いました。 息子は「俺はやっぱり、親父にとってはただ長男扱いで、本当はいらなかったんだな」と、言いましたが「あんなもんにそう思われてもかまわないじゃないの。私たちもGはいらなかったんだし。」とは言ったものの、長年邪険にされてきて、このありさま、ということに憤懣やるかたないという様子でした。 この話をしてから、子供から父の話を聞いたことがありません。3人でやって行く、という覚悟は子供の方が強かった。 あれから4年余りたちました。却って生活は楽だと思います。 私たちにとってガムはいったい何だったのか、と振り返るとやはり靴底にくっついたガムとしか言いようがありません。
2014.01.04
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娘が高校に入学し、しばらくするとガムは会社を辞めてしまいました。私には一言も無しでした。次の就職が決まっているので心配ない、と言いました。生ぬるく、大企業で中間管理職をしていたガムは中小企業でも大事にされると思っていました。 来る日も来る日も、外国人労働者と同じことをさせられた、と言っていましたが私は一年ぐらい、根性が試されるにきまっていると知っていましたが黙っていました。興味なかったんです。半年もすると、ガムはあれこれ理由をつけて会社へ行けなくなりました。 家にいると、私の仕事の邪魔になるばかりで職安へ行ったりしていましたが高望なんですね。。。しまいにはパチンコへばかり行くようになりました。 とにかく、いやなことからはとりあえず逃げる。 だんだん、奇行がひどくなり、息子にも説得されていましたが効果なし。 そのころ、息子と私は、3人で生活する余裕はあるがガムにお金がかかるようになったら共倒れなんで、今度こそ離婚だねと言うような話をしていました。 ある日、酒を飲んで、階段から落ち、救急車を呼ぼうとしたら暴れたので警察にお世話になりました。 医師の話では怪我は大したことが無いが、一度アルコール依存症専門医に行った方がいい、と言われました。予約が取れ次第連れて行きましたら、がっつり、依存症でした。 うちで、資源ごみと言えばガムの酒の容器だったわけですが道理で自分でせっせと出すわけだ、と思いました。(証拠隠滅?) 医師はさらに入院設備のある病院を紹介しようとしましたがガムが断るんですね。「俺は依存症じゃない」と。何のために医師がいると思っているんでしょう。その医師が診断したんです。 ガム抜きで医師の説明では「奥さん、もう、疲れきっているでしょう?(うんうん)ご家族を休ませるためにも入院を勧めるんですよ、実は」。。。。。 ガムの依存症はおそらく治癒しないであろうけれども、家族を休ませるために入院を繰り返させて、何とか持たせる、というのが本音だそうです。 その後、通院しないと言い張るガムに切れて「お前は必要ないから出ていけ~!!」 と、封建時代の家長の様に私は怒鳴ってしまいました。 出て行ったと思ったら、夜帰ってくるんですね。死のうと思ったけど死ねなかった、とかいって。 その後、私が自分の車で帰ってきたところを待ち伏せされて(ワタシはガムと二人では出かけようとしなくなっていた)運転席から助手席に押し込まれ、どこかに連れて行こうとされました。「一緒に死んでくれ」「いやだよ」ハンドブレーキを引いて、車から飛び降りました。「ひき殺されるかもしれない」と思ったら、ガムは土手に突っ込みました。
2014.01.04
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まぁ、それでも実家にいる間は「短期間の災害」を我慢すればおおむね平和だったのです。私はずいぶん体は楽になりましたし、子供も大きくなり、めったに怪我や病気もなくなりました。 しかし、ガムの海外赴任が終わってしまいました。戻るか戻らないかで、大分もめましたが、私は戻るなら、と条件を出しました。買うのでも借りるのでもいいから、子供部屋を与えられる住宅を用意すること、と。 ガムは、戻ってきてほしいという癖に、それをやりたがりませんでした。面倒くさいというのです。 「それは私たちに戻るな、ということなのね。わかった。」というとしぶしぶ動き始めました。 私はガムのために戻る気などさらさらなくて、息子と娘の将来の選択肢が実家にいるより多くなる、という理由で戻ってもいいかな、と思っただけです。それには大きくなった息子と娘に個室を与えられるぐらいの住宅確保は年齢的に必須とも思いました。避難場所としてもね。 私の想いはともかく、私は子供がガムを嫌うようには仕向けていませんでした。子供が、こんなろくでもない男が父親なんてかわいそうだったからです。だから、そんなに嫌ってはいないと思ったのですが。。。 「M、お父さんとお風呂に入ろう」といわれ娘はすごく嫌だったようです。嫌がっていることに気付きもしないガム。私が「Mちゃんはもう、大きいんだから、、、」とかなんとか言ったのですがしつこいんです。察するということはないったらない。 しつこく風呂を一人で上がってからも、文句を言い続けますので「3年生って言ったら、はやい子は生理になるのよ。もう赤ちゃんじゃないんだから、デリカシーを持って接するようにネ。嫌われたくなかったら」 なんて当たり前の話をさせられる私。うんざり。それでもまだ、何か言っているので 「あまり、余計なことを言っているところも見せないでね。嫌われるから。」と、ぐっさり。 息子はと言うと、はやくも中学になじんで、学力の方も、まぁまぁ、問題なく、友人と勉強会などし当時の神奈川で3年になってから転校してきて公立に入れようなんて暴挙だというような風潮でしたが、すっぽり公立に収まりました。 それから就職率100%を誇る専門学校へ行き、学んだことを生かす職に就き今に至ります。息子に関してはワタシの選択は間違っていないようでした。あくまで、後押しで、息子が選んで進んでいったのですが。 娘もさほど、結果的に問題なく、今の道を歩んでします。 友人が言ったのですが「良く、あんな父親で、ぐれたりもしないで立派になったよね」とほめられました。 そう、同居を始めてから、問題だったのはほとんどガムだったのです。私が言わなくてもわかる人にはわかるほど。 ネタバラシするとこの何年か後に「ワタシを巻き込んで無理心中」しようとしました。 まったく、、、死ぬのさえ一人ではできないこの甘えはなんなんでしょう。。。ガムの精神的問題は、ストレスに弱いのだが立ち向かわねばならないとき全く関係ない家族(主に私)に甘えきって八つ当たりすることでした。ここも私に指摘されていて、私に対する甘えもシャットアウトされていました。 一例をあげると、私の作った夕飯が気に入らないとあれましたので「食べなくていい」というと毎日、コンビニ食を買ってきて目の前で食べるんですがいつも同じものを買ってくるんですね。そして食べきれない。後始末をしない。私はコンビニの袋に突っ込むだけで放置しておきました。 たった、これだけのことですが、自分のやったことに責任を持とうとしないのですよ。 洗濯も、干し方が気に入らない、と言ったので、自分でやらせると取り込まないんですね。例え雨が降っても。ベランダがタンス状態。普段いくらきれい好きみたいなことを言っていても、むだむだ。しまいにはパンイチでベランダに出るな!と言わねばなりませんでした。 なんでこんなダメな男と私が死なねばならない。努力しても治らなかった。それこそ私の責任ではない、と、よほどのことが無い限り放置されガムは孤立して行くことになります。
2014.01.04
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ガムと別居してから私は「ガムが知っても役に立たないこと」を隠し続けました。娘が肺炎で入院した、息子がひざの故障でギプスをしたなどなど。。。 このようなことが知れると「なんでそういうことになった!?」と責め立てられるからです。なんでって。。。?私にもわからないのがわからないのでしょうか。とにかく八つ当たりされるのです。私がわざと、子供を不調にしたように。(息子が同居時、学校へ行かないことがあったことも黙ってました) 子供の不調で心を傷めているとき、これをやられるとさすがの私も神経が持たなくて、同居時は心の中で切れて「いつか仕返しをしてやる」と、心が汚れるのも嫌でした。(結果的にしたんですけどね。。。おおきくどどんと。。。) 別居してすぐの年末年始に私は風邪をひいてかなり高熱が出ていました。私は「こういう状況だから、子供の世話も父母に頼んでいて何もできないから」自分の実家へ行ったら?という意味のことを電話で言いました。きっちり言えば、帰ってきてほしくなかったんです。(いつもでしたが) 案の定「俺が来るとわかっていてなんで風邪なんかひいた!?」。。。。。。ひきたくて風邪をひく人などいるでしょうか。。。それに、私、こういうことがあると困るから、実家にいたのです。本末転倒をまるでわかっていない。。。 半年あってない妻が風邪をひいて寝込んでいるところにいきなり文句の山です。 ガムは自分がいかに手間のかかる人間か全然分かっていないのでした。 私の父母は「子どもに移るといけない」と隔離?するほどでしたが ガムはずかずか私のところへ来て文句を言い続けました。で、「腹が減った」。。。私に起きて何か作れ、というのです。母は昼食の準備で、田舎なので、土間の方でネギとか用意してるみたいでした。 無理だというと「俺に我慢しろって言うのか!?」と、えらい剣幕。「起きれないし病人の作ったもの食べて風邪ひいたら、また文句言うんでしょう」と私も言い返してしまいました。「熱が出てきたから、もう出て行ってよ。腹が減ったんなら何か食べに行けば!?」と言ったら、その通りにしたみたいです。。。後10分も待てば母が用意をしてくれたのに。 義実家では腹が減ったを通り越したことがたいていありまして、持って行ったお菓子を食べたりしていたんですが私の実家じゃ待てない、なんて、どういう料簡なのか??? 義実家はガムの実家ですので、腹減った、と言いやすかったと思うのですが。。。まるで借りてきた猫の様なんです、、、自分の実家では。ま、いっか。(よくない?) とにかく、ガムは風邪も引かず、元気に帰って行きました。(ばかだから?) 年明け、医師へ行ったら、私は風邪から肺炎に移行していました。肺炎菌をガムが運んできたのかと思いました、というのは冗談にしても達者なものでも患いつくほどの、ガムのこの毒。。。病人の私が負けないわけはない、、、と、妙に納得しました。 元気になってから、母と「盆にはまた来るのか(嘆息)」と、想いを共有してしまいました。。。もはや、ガムは台風とかの災害扱いでした。
2014.01.03
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息子の担任の女性教師はとても子供の家庭を理解しようとする人で助かりました。息子が休みがちなことも気にしてくれていましたが、事情を話すと「一日休んで、気が晴れれば登校してくれるようなので様子を見ましょうか」と言ってくれました。 たとえ小学校一年の子供でも、本人の意が「いかない」であれば登校させることなど不可能なのです。 息子が休むのが「ガムストレス」でガムが出張に行った次の日が多かったのであからさまだったのです。私は担任に連絡する時、仮病など使わず「行かない、と言っております」といい「昨日まで夫がおりましたのでそのせいかと思いますが、明日行ったらよろしくお願いいたします」、、、という調子でした。 あと、私の体調の悪い日も行きたがりませんでした。 母親としてよくない考えかもしれませんが、息子がいてくれると助かりました。何より、心が落ち着くというか。 こうしている間に、ガムが出張ではなく、赴任になることになりました。通常家族は同行なのですが、無理なので単身でです。 それで、実家に帰らせてもらうことにしました。ガムはしばらく「子どもといられる時間が減る」とかぶつぶつ言っていましたが私が体調を崩した時、今だってやっと何とかしているのに、子供の身に何かあったらどうするの?と言うと渋々承諾。 実際、ご近所にも迷惑をかけるというか、親切な人が多く買い物に行くから、何か買ってきてほしいものはない?などと気遣ってもらってました。それが度重なれば心苦しい、、、などという感覚がガムにはわからないようでした。 それから、実家にいれば治療も神奈川より、出来るんです。隣が医師でしたので、相談し、大きい病院へ行き、投薬などで済む場合また、となりの医師のお世話になればいいのです。 すべて、子供のためだ、と言うとガムも黙りました。 まったく、ここまで言わないとわからない。 念のため息子の意向も聞くと「OK」でした。 このとき娘は3歳前でしたが、お父さんはたまに来る人で慣れっこになっていたのか空港でも無表情で「ばいばい」と言いました。 自分で思っているほど好かれていない、とか電話で言いだしてうざかったです。私がまるでガムを嫌うように仕向けているみたいに。嫌われているとしたら自分でやったんでしょうが、とは言いませんでしたが。 このときは6年神奈川から遠ざかり、一回も戻りませんでした。
2013.12.30
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娘が産まれた次の春、息子は小学校に入学でしたので神奈川へ帰ったのですが、体調は思わしくないままでした。 息子は小学校低学年なのに妹の世話をせっせとし、とてもいいお兄ちゃんでした。 食べるものにも困ることがあったのですが、近くに昔ながらの八百屋さんと万屋さん?があったので、お使いにもよく行ってくれました。 でも、夜、寝る前になると、私にぺったり甘えてきましてまだまだ、母親に甘えたいのは当然だろうな、と愛おしく思いました。 私が、手抜きの夕食を用意している間、妹の相手をしながら「今日学校でね、こんなことがあったんだよ」と話しそれに娘が反応すると、「Mちゃんも、お兄ちゃんと学校へ行きたい?」と本当に許されるのなら連れて行きたいようでした。夕食の支度がいくら遅れても文句ひとつ言わず、妹の着替えまでさせてくれました。 ところが、ガムはたまに帰ってくると、息子の甘えは一切許さない、様なことを言うのです。「お母さんが疲れるだろう!」と、決めつけるのです。そして、私の体調がすぐれないのは息子のせいにするのです。その上、かまうのは娘ばかり、、、息子は頭では我慢できても気持ちが持たなかったようです。 ガムがいない間、学校を休むことが多くなりました。私はガムにそのことは黙っていました。ばれなければそれでよかった。 ちなみにガムは子供のころ、末っ子で母親を独占し、嫌なことがあるとすぐ学校を休む子だったそうです。自分で言っていました。 そして「ガムにとって嫌な親父」と同じようなことを言ったわけです。家長の言うことは絶対、という点では。 そして、末っ子こそが、親を独占していいみたいな変な理屈を持っていました。 私も私で「あんたが疲れるから とっとと出張へ行けよ」と黙ってました。 このころになると、ガムに逆らうと時間の無駄なので、なおかつ普段はいない人間なので、「ああ、そう」「ふーん」ぐらいしか言わなくなっていました。 気持ちの上でも、3人だけが家族だったのです。
2013.12.30
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心配されるのは難産だけでしたが、早期破水というアクシデントを除けば娘は超がつくほど安産で生まれました。東北の日本海の冬には珍しい、夕焼けの素晴らしく美しい日でした。息子同様、夜遅い出産でしたので、翌朝、母が「Sちゃん、赤ちゃん女の子だったよ」と教えると大層喜んでくれたそうです。名前もすでに、息子も交えて考えてありましたので、病院へ来ると息子は「Mちゃん、Mちゃん」と呼んでいました。11月末のことでした。 ガムは海外へ行っていたので、すぐにはこれなくて正月休みにぶっ飛んできました。(文字通り飛行機で) そこで、また気に入らないことがありました。「おとうさーん!」と、嬉しそうな息子を押しのけたのです。口では「まずMちゃん見せてね」と言っていますが押しのける? そのあとも、息子には上の空で、娘ばかりに関心を寄せていました。あまりのしうちではないでしょうか。息子は聞き分けのいい子でしたが、このことで元気が無くなってしまいました。 それと、帰りの航空券を手配していないというのです。いつ帰るかわからないならまだしも、すぐ帰らなくてはならないのに。「空港へ行って空席待ちしたら?」と言いたいぐらいでした。 父が結局、何とかしたんですが正月は旅行代理店も休んでいるかも、ということで無駄に空港まで行ってきたらしいです。確実なので。(自分で行かせろ、と私は言ったんですが。。。) 私が、ガムといるといらいらする、ということはわかっていてくれましたがここまで間抜けでイライラすると、父はこのときよーーーく分かったようです。 ガムが帰ってしまうと、母と「はぁ~、やっと帰った」とため息をついてしまいました。 それでもたばこは寒ーい土間で吸ってましたけどね。。。私の教育?で効果があったのはそこだけかも。 産後一カ月たっているので、普通はここで実家から帰るのでしょうがやはり、2人目を産むのは無理があったみたいで、持病が悪化して薬を飲み、育児もほどほどにしなくてはならなく、母乳は順調に出ているんだけど、その分、私に負担になってしまうので注射で止めてしまっていました。 母の御腹立ちはガムがそのことに文句を言ったことも原因のようです。文句は私に言ったのですが、聞こえていたらしく「わざとでもあるまいし、文句を言えば何とかなるわけじゃないし本当に“余計なことを言う”ね」と。 母は2度目の出産は明らかなにかあると想定内で、私もガムに、その危険性は話してありましたので尚更です。 母は「何とか、子供が無事に生まれただけで満足できない強欲さ」に呆れていたようです。 とってもおめでたくない空気を振りまくガム。 でも、気持ちを切り替えて、息子の心の傷のケアすることが大事だ。だめなもんに付き合っている暇はない、とワタシも健気だったかもなー。。。
2013.12.28
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それでも、子供はお腹の中で生きていました。ただ、私の貧血がひどいので妊娠を継続できるか医師にもわからないようでした。ガムは治療を希望し、その治療で私はぐったりしました。それでも私は入院しませんでした。 もう、産みたくなくなっていたんです。ひどい母親だと言われてもかまいません。とにかく息子といたいのです。 そして、息子の願いが通じたのか、事態は良い方に向かって行きました。妊娠のことだけでなく、ガムがふだん、私が遊んでいたわけではないとわかったらしく少し態度が改まりました。いや、気持ち悪いぐらい。 何とか安定した状態になり、外出ができるようになったところで実家へ帰りました。ガムがまた海外へ行く日もちかづいていました。 このときだけは切れてではなく、出産のために。 話が変わりますが、息子は親の欲目を除いても、穏やかな子でわがままもあまり言わず、優しい子でした。今でも穏やかで、安定している感じがします。私は息子を大声で叱った覚えが、少なくとも幼いころはありません。思春期はそれなりのことがありましたが、なんだか可愛い反抗でした。ここではSと呼びますが、よそのお母さんも「S君はお友達の面倒見も良いわねぇ」とほめられると私は親ばか丸出しで「あら、そう、うふふ」なんて調子でした。 私はあまりに、長子である息子大好き過ぎでした。だから、息子が望む「下の弟妹」は、産んでやらねば、と頑張れたんですね。 つまり、ガムのためなんかじゃなかったのは一貫していたのです。 色々矛盾を感じる文章と、思われますがそういう想いたちで揺れ揺れだったんです。私自身は息子命、が揺らがなかったというか。
2013.12.28
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このころのワタシは息子だけがすべてでした。 ガムが何言っても耳に入っていないような状態でした。わざとではなく、少し心を病んでいたようです。軽い薬を飲むように医師に勧められました。 ガムは息子に妹(また性別限定です)を欲しいよね、と教え込んでいました。 そういったことがあっても上の空で、あの頃のことを良く覚えていません。 ガムに子供がもう一人欲しいんだけど、、、と言われてもああそう、私は息子だけでいいから、、、みたいなことを言った記憶があるだけ? 息子は幼稚園に入り、しばらくして湾岸戦争がはじまり渡航が制限されました。ガムは日本勤務になりました。 ガムは私に子供を作ることを強要してきました。(一切の行為を拒否していました)この頃は薬も飲まないで済むようになり覚えています。私は条件を出しました。 今度海外にいくまでは子作りしてもいい。でも無理にはしないでくれ。それでもできない時は別れてくれと。 しばらくして、戦争が終わり、ばたばたガムは海外にいきました。 そこでガムは命にかかわるような事故に遭いました。海外で、しかも労災でしたので私がすることはありませんでしたが。 その時は思いませんでしたが、後になってからおぞましいことに私は「あの時死んでくれればよかったのに」と思った事故でした。 ガムが日本に帰ってきて(向こうで入院していた)間もなく、私は生理にしてはおかしい出血をしました。念のため病院へ行くと、妊娠はしているが非常に危ない状態だ、と医師に言われ、入院を勧められましたが、息子のことがあるのでできないといいました。ガムは入院しろ、としつこかったんですが、私はだめでもよかったんです。 私はガムに「一人も子供がいない人たちがいるのに私たちには息子がいるのよ。欲張るのはよしましょう。」と言いました。 いつもなら、ここで罵詈雑言が来るのでしょうが、この体で実家に逃げでもしたらまずい、と思ったのでしょうか。。。私は安静を言い渡されていましたので。 労災休暇のガムが息子の幼稚園の送り迎え、家事をするという変な暮らしが続きました。 なんだ、このヒト、やればできるんじゃん、ぐらいがんばりました。 私は子供はどうでもよかったのですが息子が「お母さん、今日もいい子にしてた?」とかいうのですね。それがとってもかわいかったです。 でも、どっかり出血。もうダメだと思いました。がっかりはしませんでした。
2013.12.28
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驚いたことに、ガムはそれでも離婚を承諾しなかったのです。と、言うか、自分の失言の重大さに気付いていなかったというか。 調停したら、圧倒的に私に有利に離婚が成立するようでした。息子の親権も、私は社会復帰能力?があり(その対策に資格を取った)ガムには金銭はあっても養育能力が無い、、、仕事で日本にいないなどもあって、、、ということになるそうでした。おまけに私は慰謝料も養育費もいらない、と提示してました。 ここがガムの執念深いところで、一度手に入れたモノは手放そうとしないのでした。そのひとつが息子だったようです。形だけでも自分のモノにしておきたい。理由なんかないのです。 あと、あきれたことに、私への執着もあったようです。あきれますが。 魔が差したというか、頭を下げて「今後気をつける」と言ったのをなんで信じたんでしょう。 それはやはり私が、、、私は大志など持っていない人間なのです。 独身の頃は「肉球さんはバリバリ仕事一筋で、結婚してもやめないんでしょう」なんて言われましたが、不本意にもバリバリしていたわけです。 幸せな家庭が持てればそれでいいと思っていました。 父が、見捨てられるべき人間はいない、という教育もあったのでしょうか。息子の父親がこんなやつのままではかわいそうだと思ったのでしょうか。 この時も、しばらく考えましたが、ガムが来ると息子が喜ぶのが一番の原因だったと思います。この子を悲しませてはいけない。 そう思ったことが、息子を一番傷つける結果となりました。
2013.12.27
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それでも、少しはガムは改善されたかのように見えました。 ここで大事な決断をしなくてはならなくなりました。ガムの出向が終わり、首都圏に戻ることになりました。 父が「辞めて再就職する気はないかなぁ」と言いましたが私が「(そんなことさせたら離婚できなくなっちゃうじゃん。)責任転嫁されちゃうよ。」と止めました。 私は首都圏に一緒に移り住みました。ガムは私の親の庇護が無くなって好き勝手出来ると思っていたようですが 私は、遠慮なく、切れると実家に帰りました。東北まで帰るなんて簡単なことでした。タクシーで空港へ行って空席待ちをすればいいだけ。 ここで書いておくと、私が離婚しなかったのはガムが承知しなかったからだけのことです。ついていく必要もなかったかなぁと思っています。息子が幼いうちは神奈川には一年の半分もいなかったかもしれません。 ガムがどういう仕事をしていたかというと自動車の検査、カッコよく言えばテストドライバー。一般工員とは少し違っていまして、少しは優秀ならしかったです。 そのうちガムは海外にいくようになりましたので、息子が小学校に上がるあたりは神奈川に長休み以外はいましたが。 ガムは3か月に一週間ぐらい帰ってくるのですが、本人も忙しいらしく何事もなくやり過ごせることも多くなっていました。 ガムは息子のことは意外なほど可愛がりました。 で、ちょっと気を許してしまったのです。 妊娠しました。そして切迫流産しました。そこまではまだいい。 それを、義母に私が産みたくなくて留守中に中絶したと言ったのです。また、自分で災いの種をまいたのです。 義母は変な新興宗教に入っていて、そこにお祓い?してもらうように言ったそうです。私に取りついている悪いものを。それってガムの事、と突っ込みたいぐらいでした。 流産して、ソウハの手術を受け貧血もあり、体調が悪くイライラ耐えがたかったです。 お盆近くでしたが、体調が悪く、実家にも帰ってませんでした。母にもあまり心配掛けたくなかったし。 しかし、私の母にもガムは同様のことを言ったので、もう私は我慢ならん!!わかれる!と決心しまして、離婚できなくても神奈川には2度と戻らないし会わなくてすむよう体調を取り戻そうとしていました。 息子が3歳ぐらいのときでしょうか、、、半年以上ガムとは会いませんでした。電話にも出ない。資格試験の勉強をして資格も取りました。 まったく、、、私が息子を抱えて流産しかけて出血し、どのような気持ちだったか全く考えてないのです。私よりも息子の気持ちも。いつでも自己中心。 子供を中絶されるほど嫌われていると思っているのならそれもよし。むしろいいチャンスだと思いました。
2013.12.27
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もっとすごいことがあったのですが、私が義実家と疎遠になった小ネタを。。。 お盆で、夕食の準備をしていました。台所は義姉が仕切っていましたので、「何をしましょう?」と尋ねると「ホットプレートの準備をして」と言われたので出して、濡れたティッシュでふき (洗えるプレートではなかった)油をひいていました。 その様子をガムがじーっと見ているのです。普通ならこんなこと男の方でも出来ますけど、何もしないでじーっと。「どうかしたの?」と尋ねると、「お前が何か失敗しないかと思って」というような意味のことを言いました。意味がわからず、黙っていると義兄が「ガム、余計なことを言うな!」と叱責。それでもガムの口は止まらない。 要するに、私の失敗を期待し、したら咎め立てて楽しもうとしていたのです。正確な言葉は忘れましたが、ガムはそういう意味のことを言いました。 義兄はガムがそういうやつだとよく知っており、言ってはいけないことだとも知っていた。私が「はいそうですか」と流すと、ホッとした顔をする義兄。 でも、思いましたよ。義兄がいるから私が手加減すると計算していたと。 そして、「これぐらいあなたがやって。お姉さんたち忙しそうだから」といってやらせましたら、義父が来て「ガム、ティッシュ使い過ぎだ。手際、悪すぎる」と、咎められていました。 帰ってから、おまえのせいで親父に云々と言われましたが私は平然と「その話ほじくりだす気~w」と、嗤いました。 もとはと言えば誰の発言が引き起こしたか。 向こうの家族とはおおむね仲良くやっていたと思います。しかし、我慢ならないのはガムでした。このような、微妙に「いらっ」とすることをやる。義兄弟も気が気でない、かんじ? 「あなたが私のせいで嫌な思いをしたというなら行かない」という口実もできました。 それでもガムは義実家に私を連れて行きたがりました。もしかしたら、私を連れていくと義父が手加減していたのかもしれません。でも、自分が「余計なこと」を言うからそうなんでは、と私には関係ないことにしました。 その後、たまーに義実家に同行すると義兄がガムに念仏のように「余計な事言うなよ」と言い聞かせているのです。義兄は恥を知っていたようです。 そして、なんでそう実家に帰りたがるよ、ガム。。。これだけは理解できませんでした。
2013.12.27
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とにかく良くわからないのは、何の用があるのか分からないけれど義実家へ行くと言い出しそれに私を同行させたがることでした。きっちり、行きたくない。息子が産まれてからは不便な義実家にますます行きたくない。 ある時、昼ごはんどきに行くといので、じゃあ食べてから行こう、というと、大丈夫だからというんですね。 「あなたにとっては自分の親だろうけれど、私の立場はヨメなのよ。義理の親でもご飯どきに尋ねるのは失礼なのよ」 というと「うちのおふくろはそんな意地の悪いことは思わない」と、私の方が悪いようなことを言いました。(本当は義実家で食べたくないのですが) きっちり言われました~!!「今度来るときは連絡してから来てね」っぽく。 「お前、連絡もしなかったのかよ」と思うと同時になぜそれを実の息子に言わないのだ、、、と激しく思いました。 その後もなんで、ガム本人に言わないのだ???と思うようなことがいくつもありました。 それよりも、なんで行っていたのかわからないのです。義母は何となく私が煙たいようでしたし、、、私もいやだからでしょうか。私を連れて行きたがるのもわからないのです。それにガムが気が利かないせいで嫌な思いをする、っと。これで行きたい人がいるでしょうか。 第一ガムが、義母を煙たそうなんですね。。。 老いた両親に顔を見せるにしても頻繁すぎる気がしました。いちいち付き合っていられないので、「お義母さん、迷惑そうだったから行かなーい」と言いましたら私がうそつき呼ばわりされました。 あんたが気が利かないから、こうなんじゃ!!とはいわず 実の息子でも年寄り二人の家に食事時に突然訪問するのは迷惑なんじゃないの?お母さんだって言いたくないこと言わなきゃならないし。かわいそうだと思わないの?あなた一人で行くならまだしも。気を使うでしょ。だから行かない。 と、さぞ義母を気遣っているように言ってやりましたら、その時は納得したかのように見えました。 でも、ひと月もたつと同じことをしようとするのです。最後には「お母さんは迷惑なんだってば!!」となり、私は義実家とは疎遠になりました。 実際、私が行かなくても義母はかまわなかったようです。 「その点だけは」気があっていた嫁姑でした。適度に距離を置きたい。まぁ、ガムに理解しろというのは無理だったかもしれませんが。
2013.12.26
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ワタシの実家の近くには筋ジストロフィーという難病専門の病院と障害者の方のための施設がありました。なので、よく、スタッフが付き添って散歩をしていました。 ガムは実家に来る道すがら、それを見かけたのでしょう。 「来る時、障害者を見かけた。きもちわりー。あんなもの外に出すなよ」 何も言いませんでしたが、「そんなこと言うお前の方が気持ちわりーよ。しんじまえ」と、思ってしまいました。でも、こいつなら、こんなこと言っても仕方ない、とあきらめていたのです。 で「健康な男の子で必ず産んでくれよ」 我が子の健康を祈るのは障害者の親御さんも同様だったと思います。しかも性別まで限定。 私が「女の子か障害があったらいらないってことね」というとガムは「なんのこと?」みたいな顔をしていました。 「自分の希望に添わなければいらないってことね。そんなの親の資格ないよ。もう帰ってくれる?いらいらして、本当に子供によくない」 ガム「???」 「あんた、自分がなんぼ偉いと思ってるのよ。生まれる子供を選べる人なんかいない。」 と、少し声が大きくなったところで、母が「もう、やめなさい」といいました。 で、ガムにもう帰るよう言ったようです。 母は「あんな男が父親でかわいそうだけど」とは言いませんでしたが「別れて、私たちで子供を育てる決断をしてもいい」と言いました。(実際ガムは何の役にも立ちそうもないし) 母は、ワタシが子供を産めるなんて夢のようだとさえ思ってくれていました。弱かったワタシを育てるのに苦労して、幸せに、と誰よりも願ってました。ガムの話を聞いていたようです。 その、大事なワタシの夫がガムだということが我慢ならない、当然です。でも、そのようには言いませんでした。 あなたが決めなさい。そういう母でした。
2013.12.26
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子供が生まれる少し前の話なんですが、やはり実家に居たとき私の父と話していてガムのアパートで(ガムの所業以外のことで)子供を育てることは嫌だ、というような趣旨の話をしていました。 なぜなら、ガムのアパートは台所に湯沸かし器がなく風呂にはシャワーもないのでおそらく私が一人で子供を入浴させるのはかなり難しい、といったら父は驚いていました。その当時、私が以前借りていたアパートにすら湯沸かし器、シャワーはありました。 「それに、網戸もないんだよ。夏なんか蚊に刺されまくりで病院へ行ったじゃん。ファンヒーターも壊れているから、私、持っていったじゃん。寒くて死ぬかと思ったよ」(冗談ではなく、雪国ではありえます) 父は「えっ、、、」とか絶句して、なんで?と私に訊きました。「なんでないの?お金がないわけじゃないでしょう?」(当然方言です)母まで、「いまどき、湯沸かし器も網戸もないなんて、、、」と呆れ顔。 私も同じこと言ったけど「いらない」の一点張りだったよ、と答えました。 で、実家で灯油の給湯器をつけたので湯沸かし器があり(なんでもとっとくなぁ、でもあってよかったのかも)「なんでも屋さん」という職業の方がいて取り付けてくれました。費用は3000円ぐらいだったと思います。 父がアパートの湯沸かし器を持って行って、ガムも立ち会って「これで、子供が生まれる準備がひとつ整ったね」と和気あいあいと「父とは」会話していたそうなのですが、、、 私が、ちょろっと気が向いたとき帰ったら非難轟々。勝手なことをされた、と怒っているのです。それならばなぜ、私が湯沸かし器ぐらいないと困る、といったとき「いらない」といったのでしょう。。。挙句の果てに、「ガス代がかかるじゃないか」と。。。はぁ?ガスの熱源で、清潔なお湯を沸かし子供を風呂に入れる場合、ヤカンで湯を沸かしたほうがガス代がかかるのかは知りませんが必要なガス代をケチる=お金のかかる子供はいらない、ってことじゃないでしょうか。 子供ってただでは育ちませんよね。 息子は8月末に生まれましたので、網戸を生まれてから付けるのはバタバタして良くないから、早めに付ける予定だったのですが(費用・段取、父)網戸が取り付けられることはありませんでした。 父も人間です。自分の善意を踏みにじられて面白いわけがありません。しかも、ガムが表面的には感謝して、影で悪く言ったことで腹を立てた、、、でもない、、、多分、家族を守る気がないのだ、と見切りをつけてしまったのだと思います。 父は「もういい、子供はここ(実家)で育てなさい」ときっぱりと言いました。私の父は無駄なことをしない人で、静かに言っていますが内心かなり怒っていても、口汚く相手を罵るということはしません。「私から言っておくから」と静かに言いました。 それでも父はガムが改心することを願っていました。孫と私が可愛さ一心に。今思うと、本当に父母には気の毒なことをしてしまったと思っています。結果的に。 ガムは「ガムと私と生まれてくる子の家」ではなくあくまで自分の家、と思っているようでした。 私だから受け入れないのではなく、誰に対してもそうなようでした。相手の方が、ガムを友達と思っていてくれているようでも影で悪口を言って理解しようとしませんでした。 あれほど、神様のように慕っているように言っていたガムの母のことも例外なく悪口を言う、、、理解できませんでした。 私がガムを嫌って遠ざけていた ように見えて 実はガム自身が私を遠ざかるように仕向けていたような気がしてなりません。
2013.12.26
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休みの日、ガムがいないので私は風呂に入っていました。すると、「すいませーん、鍵が空いていたんで勝手に入ってきちゃいましたァ。お風呂に入ってるんですね、奥さん、うふふふ」という声が聞こえるのでぎょっとしました。 私は鍵がしまっているか確認してから風呂に入ったのですが甲高い声で、男は私が怯える様子を楽しんでいました。 もちろん、ご想像の通りガムのいたずらでした。 私は幼い頃、誘拐未遂のようなことが有り、すっかり具合が悪くなってしまいました。それに、こういうことを怖がらない女性がいるものでしょうか。私がいつまでも風呂に鍵をかけ出てこないので「オレだよ俺。あはは!」。。。。。 私はこのアパートでは金輪際、風呂に入るものかと思いました。と、言うより、いたくありませんでした。 ガムは私をおもちゃか何かと勘違いしているようでした。 私に「あんたはやってはいけない冗談がわからないのか」と言うと「そんなに怖がると思わなかった、あははは」。。。「じゃあ、あんたも変質者の同性愛のおっさんにこんなことされたらはいはい、っていうのね!?笑っていられるのね!?」 ガムは言われている意味がわからないようでした。「やったのは俺だろう?変質者じゃない。」「変質者だと勘違いするようなことをする人間が悪いといっているのよ」 とか、水掛け論。 私はいま、我が子を愛していますがやっぱ、結婚すべきではなかったと思いました。 実家にいる私に、友人が遊びに来て、この話を聞いてくれたのですが「これは人として、やってはいけないことだよね」と言いました。アパートに帰りたくなくなって当然だと。 ガムは自分は変質者じゃないと言いましたがこういういたずらをすること自体、立派に変質者だと思いました。夫婦は血が繋がってもいないので、信用できないのは致命傷。 このことがある前にも、同様のことをやられたのですが書く気がしません。 結婚前は紳士に見えたガムですが、結婚したらただのバカ以下でした。 彼にとってはヨメはからかって遊ぶものだったようです。 後に「父親から火箸でぶん殴られた。ひどい父親だった」なんて聞かされましたがこんな質の悪いことをするガキは昔の親だったらそれぐらいやって当然だろうな、と、思いました。 そして、ヨメにまた質の悪いことをする成長のなさ。。。私も火箸でぶん殴るぐらいのことをしてもいい気がしました。私はガムのことを許す、ということが次第にできなくなりました。 火箸というのは囲炉裏で使う鉄製の箸のことです。 結婚して私が変わったこと、、、ガムに対してだけは冷酷になった、事、かな。 火箸でぶん殴られたから馬鹿なわけではなかったみたいです。 で、義父だけは私に優しかったし、尊敬できる人でした。この人を怒らせるのはガムが悪い、とすぐさま思いました。
2013.12.24
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私の親のことを過保護だと笑う方もいると思いますが私は持病持ちで、アラフィフで障害者に認定されています。障害者といってもいろいろあるのですが、一時は深刻な病状で「もうダメかな、、、」と自分でも思うことがありました。 そういった経緯で、うちの親は過保護なんです。 まぁ、普通、子供は生まない、かな。 それでも子供を授かり、陣痛が始まりました。 ガムは立会い出産を希望しておりましたが(カッコをつけて) 私は「こんなものかな、、、」と思っていた陣痛がガムの神経に突き刺さったらしいです。色々堪えても、痛いもんは痛い。 ガムどころではない。ガムは貧血で倒れそうな顔をしていました。 出産に立ち会うどころか、助産婦さんに「お父さん、生まれるまで家で待っててけろ」。。。 助産婦さんは、さすがで、ガムが倒れたりして出産の邪魔になることを恐れたのでした。 息子は23時頃生まれたのですが、助産婦さんは生まれたと連絡するときも「遅いから明日来なさい」と言っていたようです。 実は息子はちょっと危ない生まれ方をしていたのですね。よくあることならしいですが、生まれたとき自立呼吸できていなかった。それで、安定するまで様子に注意する必要があった、と。 次の日、ガムは二日酔いで現れました。臭い~。。。心配で、というより、小心で眠れなかったので飲みまくったみたいです。で、早々に助産婦・婦長に追い払われた、と。女の戦場に不届きな!ってな感じで。 さらに問題はこの次の日。ガムの甥がお祝いに来てくれたのですが、一緒に来たガムが病室の洗面所で ごへ~~~~~ っと、吐きました。 ガムの身内である甥すらあきれて、かばうそぶりも見せず「XXちゃん、なにやってんの情けない」とあからさまに非難。 前の日、出産の祝杯をあげたそうなのですが、ガムはセーブというものができない。 そういう気遣いのない仲間しかいないことにかわいそうになりかけましたがいい年の大人が、自己管理できてないだけ。 さらに退院の日、約束の時間に来れないなら連絡すればいいだけなのに連絡もなく、さらに入院費用も用意していなくて「あれほど言っておいたのになぜ持ってこない!?」と私の額に血管を浮き上がらせました。 で、実家に電話してお迎えと、入院費をお願いいたしましてワタクシはその後、ガムのアパートには帰らなかったような気がします。。。 ちゃんと惚れて夫婦になったのであればケアレスミス、と許せるのかもですが もう、頭っから「ダメなやつ」と思うともうダメですね。陣痛より耐えられません。 ガムはなにか学習障害があったのではないかと思ったことがあるのですが学習障害の方に失礼なのでやめました。
2013.12.23
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私は次第に、どころか急速に新居であるはずのところへ寄り付かなくなっていました。妊娠していてしんどいだけではなく。 ここで、将来ある方々に申し上げたい。結婚するとかしないかではなく、生活を共にする方はきちんと恋をした方にしましょうと、当たり前のことを言いたいです。 少しはあったかもしれないガムへの好意はいろいろなことの積み重ねで、木っ端微塵になってしまいましたから。 私はこのまま別れるんだろうなぁ、と思っていましたがガムは妊娠してしんどいんだろう、ぐらいのお気楽さでした。 私が新居に寄り付かなくなった理由の一つがちょーくだらないが私にとっては深刻で、ガムはなぜか、つわりの真っ最中に整髪剤を使い始めその匂いが臭くて、何度も吐き、やめてくれないかといったのですが何故かやめないので、耐えられなかったのです。結婚式の一件があったにも関わらずです。私が吐くとガムは「大丈夫?」と、言いつつあからさまに嫌な顔をしました。 私がガムの家へ帰らないので、ガムが私の実家に来るのですが私は臭いので父と母が相手をする、、、というおかしなことになっていました。母はガムが帰ると換気をしていましたので臭いのは私だけではなかったようです。 あと、夜、歯を磨かないので、その匂いで吐いた事もあります。 父が、私の言い分を聞いて注意はしてくれましたが、整髪料はやめる、歯も磨くということで一回、新居へ帰ったのですが 私の親に「バイキンのように扱われた」と、いい整髪料も歯磨きもしなかったので、また実家へ帰りました。 ええ、ガムは嘘は言っていません。妊婦のいる家、、、父もタバコは吸わない家で、もうもうとタバコを吸われ父母も相当参っていたのです。 父に呼ばれ、再度「娘に戻って欲しければ整髪料をやめ、タバコは外で吸い、夜は歯磨きを」と厳重に注意されました。 「君は父親になる自覚があるのかね。子供が欲しければそれなりに我慢もしなければならないとわからないのか」と子供のように説教をされたようです。 要するに、反省しないのなら来るな、と言われたわけです。 しかし、ガムの辞書には(古っ!)反省の文字はなかったようで、「俺がいつも悪者かよ」 って、そのとおりじゃん!みたいなことを言いました。ので!!私も「来たくなければ来なくていいし~」。。。母親が相当精神的にも参っているのも気になっていました。本当に来て欲しくなかったんです。
2013.12.23
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とりあえず、披露宴が始まり、10分もしないでお色直しが30分てな式進行。 ガムは嬉しくて嬉しくてしょうがない、という顔をしていました。しかし、ケーキの入刀のとき、式場スタッフが「ここにお願いします」という説明があったのですがお見事に違うところに馬鹿力でねじ込もうとして私が「そこじゃないでしょ、説明のところに入れなよ」といっても耳に入っていないようでした。 私はナイフから手を離そうかと思いました。。。 作り物のケーキに傷がつこうと私には関係ないし。 で、私が延々お色直しと称して、席を外している間にあまりに盛り上がらないお通夜のような披露宴に業を煮やしたかガムが歌うことになっていました。。。しかも例のセリフが「僕は肉球といるときが一番幸せ」とかで。本当に幸せそうでしたよ。 しかし、周りはヒヤヒヤしたそうです。あまりの熱唱に私が呆れて、顔が険しくなるのがわかったそうで。。。そう、不幸だなぁ、こいつといるときが一番不幸なんだよ ってかんじで。プッツンがいつ来るか、、、と。 花婿が熱唱する披露宴なんて、私、初めてでした。しかも自分の。 私は義務をそれでも果たしました。 しかし、後日、ガムに披露宴を強要した上司が欠席した旨を聞きわが父に無理強い、上から物を言ったことを恐れての所業だったことが判明。招待状をみるまで、自分が誰に盾をついているかわからなかったんですね。 こんな小心者の指図で、嫌なことの連続を我慢したと思うとアレ?ですがそれなりの報復を受けたようなので、(私は)不問としました。 父は心は広い方なので、直接報復はしなかったようですが敵前逃亡のような欠席で、周りが黙ってはいられなかったようです。たまには役に立つ父ですw
2013.12.22
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観念して、結婚式に臨んだつもりでしたがさすが私、ヤッちゃいました。わざとではないのですが式が終わり、親族の集合写真の時「ごへーっ」と嘔吐。 嘔吐の前、隣にいるガムに何度も気持ち悪いと訴えていたのですが緊張で石のように、本当に石のようにガチガチに体が硬直しておりまして私の存在など頭にないようでした。一体誰と誰の結婚式やら。。。 本来ならば、なんとかという花嫁のお世話をする方が私から離れた数分の間に嘔吐してしまいました。 臭かったんですよね。結婚式の為おめかしした親族の整髪料とか化粧品その他が。 ガムは何が起きたかわからないようでした。 そこへ着付けのおばば登場。(大急ぎで呼ばれたらしい)私の体調などお構いなしにぎゅうぎゅう着付けたくせに「なんてことなの!?お衣装をどうしてくれるの!?」とか絶叫。 、、、しているのを他人事を見る目どころか、何も目に入っていないガム。。。 ということにお冠絶頂の私は「もう中止」といって、とりあえず控え室へ、ということになって、だんまり。 口を開いたかと思うと「あの着付けの人の顔はもう見たくない。もう帰る。」。。。 会場側のスタッフは知らなかったようですが父がなにか、会場の経営に影響力のある人間だったようです。(私も知りませんでした) そこへ母が来て、「衣装のことは何とかするから気にしなくていいよ」と嫌な結婚式の日に初めて優しい言葉をかけてもらったもので泣きそうになりました が、 「付き添い人(というのだったと思います)が私のそばから離れたのが悪いのだから私が式場側に言います」と可愛くない私w そうなんです。このようなことがないように、花嫁に付き添いがつくのですもの。 その場でガムを罵倒するのは簡単でしたが、一刀でバッサリは情けがありすぎる、、、切れない刃物でねちねちと苦しめて、、、と、ねちねち思いました。気持ちも悪かったし。 あと、割と早急に支配人が誤りに来たんですね。こちらの非を一切責めずに、 どうか何もご心配なさらず是非式をお続け下さるようお願いいたします、と。プロですね。 ほんじゃさっさと済ませようかね、と、やっつけに披露宴が始まりました。 その間、ガムは私の逆鱗に触れぬよう隔離されていた模様です。
2013.12.22
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ガムとは挙式しないで籍だけ入れて(ガムだけ)だらだら暮らしていました。私が結婚式というもの、、、正確には披露宴が大嫌いだったからです。それ+、何時別れるかわかんないし~、、、というのもありました。 ご飯をなんとか作って、家事をして(待ってなんかいない)やれやれ、寝ようというあたりに、連絡もなく、飲んで帰ってきてご機嫌で喋り倒し、無言の私に「はた」と気づいて「なんでそうぶすっとしてるの?」なんて男ですので、もはや愛想は尽きていたのです。 しかも、私に言われるまで「生活費」渡そうとしないので催促したら「ご飯を作るのは君の好意だと思っていた」。。。。。。。。。 「お前が作れというたんじゃろーが!」とは怒鳴りませんでしたが「好意ではありません、あなたの強制です」といい、ゴミ箱に夕飯をばっさばっさすてて 頭にきてコイツのそばにいたくない、と実家へ。。。。。 実家にガムが詫びを入れに来たとき、上司に「系列会社に式場があるのに式をしないのは困る」と言われたので式を挙げると急に言い出しました。 この時は知りませんでしたが、私は妊娠していたんですね。コウノトリでも運んできたんでしょうか、と言いたいぐらい「いたさなかった」のですが。(そこに至るまでのプロセスが皆無、という感じでしたので) 妊娠が分かってからも、「残念、にして、別れる」ということもあり、でした。 ただ、私は子供が欲しかったんですね。(ガムの子じゃなくていい、むしろそうじゃないほうがいい) 私は現在、障害者に分類されておりまして、産むならその時しかなかったかもと思ってしまったのです。(当時はいろいろ体の弱い人なだけでしたが) 医師も「挙式披露宴は負担」と言いました。ワタシも出産に集中したかった。 しかし、お祭り男のガムは式を挙げる、と、ダダをこねまして、「じゃ、さよーならー」まで言われています。 ところが母は、やはり娘の晴れ姿?が見たかったのでしょう。押し付けては来ませんでしたが、私にはわかりました。母のために式を挙げる気になりました。私の決断です。しかし、その式でも考えられないことが起こったのです。あーうんざり。
2013.12.21
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ここで、私の父の失態の話をはさんでおきます。前話のお金の話です。いつからせびられていたのか、、、たぶん、相当前からだと思うのですが50万円単位ぐらいで、ガムは父にお金の無心をしていたようです。 その言い訳が「肉球が散財をして」だったようです。私はガムが出向が終わり、神奈川県に移り住んでいたわけですがとにかく、頭にくると実家に帰ってしまっていました。その交通費ぐらいですね、散財といえるものは。しかも、母が宅配で荷物をよく送ってくれたのですが母も母で、その荷物の中にばばーんと「逃亡費用」を入れてくれてまして。。。(困ったことがあったら使え、ということでした。ありがたく頂いてましたが私の方から、送ってくれといったことは一回もないです)そのお金のことはガムには一切知らせませんでした。ロクなことにならないので。 ガムは一応、大会社の社員であり、それなりの給料をもらっておりました。 私はどちらかというとケチだし、余計なものがあるのが嫌いなんでよほど必要なものじゃないと買わない方なんですね。そして、父は私に浪費癖はないことを知っていました。 ただ、ガムに己の娘が非難されるのが嫌で、お金を送ってしまいました。そのことを知ったとき、私ですら父にお金をくれなどといったことがないのになんてことをしてくれたんだ、と 怒らずにおられましょうか。 しかも、ネタ?にされたのが私のみならず、息子までもです。「バイクを買ってくれと言っているので」「進学資金を肉球が使ってしまったので」。。。 息子は名義は借りましたが、バイクのローンは自分で払っており私が学資保険を積み立てており、別にも用意しておりましてまかなっておりガムは1円も出していないのです。 なのに公的機関から学資を借りておりましてそれをパチンコに使ったらしいのですね。公的機関には返納を怠ったのですが、これは立派な犯罪で借主はガムですので、訴えるなりなんなりしてください、と放置してあります。(子供のために使ったのですらない) もし訴えたら、犯罪者の子になる子供たちがかわいそうだな。 とは思いますが、どうでもいいです。ガムを親だとは思わないそうですから。 ただ、ガムにちょろくお金を与えてしまった父には腹に一物あります。乞食にお金を与えるのは、乞食を続けさせるようなものですからね。
2013.12.20
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私がなぜ、離婚もせず、ガムのアパートの戻っていったか不思議に思うでしょう。最終的に私が決断したんですが父は山本五十六だったっけ???の人育ての話が好きでやってみせ、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねばひとは動かじ(だっけ?)という主義の人で、 「お前(私)に絶対落ち度がないということはないだろう。お前は心の広い人間だ。育てられないか?ガムを」(もちろんガムとは呼ばないけれど) なーんてこと言うんですね。私はこれを父の挑戦状と受け取った。 娘の負けず嫌いを利用して丸く収めようとした親心。忝ない。 しかし、例外は何にでもあったんでした。 ガムに父娘で大敗。。。 今思えばですねぇ、さっさと離婚して資格でも取ればよかったですよ。(とってますけど) さすがの山本五十六も、ガムには役に立たなかったです。 父はこの後、ガムに数百万騙し取られています。子供の進学資金を「私が使い込んだ」と騙られていましたがもちろん信じていませんでした。娘に取り付いているゆすりたかりがうるさいから、施した、と、ゆーてましたが、なんで私に言わん!? やっぱ、父もそ〜とバカだよ。。。
2013.12.20
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私は男のことを「まるで靴底にくっついたガム」のようなものだと思っていたからです。感覚でわかっていただけるでしょうか。 ついたばかりの時は気持ち悪く、次第に「靴を履くのには支障はない」のに汚く残り嫌な気持ちになる。まだ、履けるのにお気に入りの靴であってもはかなくなり、捨ててしまう。こんな感覚です。 靴が私だとすると、私は何度か死にたくなりました。死にたいというよりも、この世からゴミのように「ふっ」と消えたくなった。 どうにかこうにか結婚した私と「ガム」でしたが難しく書けば「主義思想・生活信念が違う」簡単に書けば「馬が合わない」ということの連続でした。 私は結婚当初はまた、正社員で働いていましたので非常に忙しい。また、料理などしたことがないお嬢さん?でしたので、手際が悪い、、、というか、「手料理など期待できるわけがない」状態でした。 ガムは結婚したとたん、女は料理ができるようになると思っていたようです。そんなわけがあるはずないのに、固くそう信じていました。 文句を言われると「だから結婚を急ぎたくなかった。それなりに準備したかったが出来なかった。」 「嫌なら食べなくていいし、もう作らない」 その文句というのが、、、アジの干物を焦げて食べられない一歩手前まで焼いてくれ とか、ベテラン主婦でも難しいと思われる要求でした。「だったら自分でやれば?」「俺はできない」「あたしもできないよ」「こんな時俺のおふくろだったらなぁ~!!(延々思い通りにしてくれたというはなし)」「お母さんと暮らしたら?離婚離婚。こんなマザコンと暮らせないわ。料理が下手な私が悪いかもしれないけれど、できないの知ってたんでしょ。わがまますぎる」ばっつり。 ガムは結婚はお母さんの代わりの人ができるもの、と思っていたようですがあの母と比べられたくない。ガムは知っていたのかわかりませんがかなり大家族の末っ子だったのでガムの口に合う料理を作っていたのはお義姉さんであり義母は何をどうしたらこんな真っ黒に煮物がなるの?という腕前でした。醤油の味すらしないんですね。吐き出したくなりました。 あと、新鮮な野菜を放置して、しなびさせてからたべ「させる」のがお得意のようでした。 台所からは、お義姉さんがお嫁さんに行ってから腐った匂いが絶えず義母自身が腹を壊していること多々で、非常に危険な女性です。 そして、食べるまでしつこいんです。本当に危険です。 少なくとも私は腐ったものは出さなかった。 私はその頃まだ若くてパワーがありましたので、プッツンすると夜中でも実家に帰ってしまい詫びが入り、気が済むまで帰りませんでした。 「だって、したくなかった結婚だモーン」と言われると父も何も言えなかったようです。 そんなに文句があるのならば外で食べればよろしい。私は構わない。と、思ってましたので、なぜそうしないかも不思議でした。 ガムは私が大好きでそばにいたかったというようなことを言いましたがなら、食事も一緒に外食すればいいし、自分も作ればいいのに完璧を要求する発言で、私は実家に帰ってしまい、このまま離婚したいと言われ、一体何をしたかったのか未だによくわかりません。 これが靴底ガムの一事が万事のお話です。
2013.12.20
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ワタシは結婚前、激務の会社に疲れ辞職しフリーターをしていたのです。母はそれをみっともないと思っていたようです。なので家にも寄り付かなくなり(アパートを借りていた。お金はあったんです。激務で使わなかった預金があるので。)バイト先にのこのこ営業という名目で長居する男がいました。バイトは電話番で社長は大概留守でした。(社長と私しかいない)だから、営業に来ても無駄だったわけです。男は暇つぶしに来ていたとしか思えませんでした。 後で聞いた話によると、私が目当てで、とにかく毎日来て迷惑でした。それが戸籍上は「まだ夫」の男でした。遊びに誘われましたが、それがまたしつこい。きっちり言うと、好みじゃなかったんです。 なんつーか、、、顔が卑しいというか、性格が顔に出ている気がしたんです。この初対面の印象は、この男が家出するまで変わりませんでした。 この迷惑な男が、なぜか父に気に入られ、何故か結婚する羽目になったのか自分でも不思議でなりません。 ほかの方も一緒なら、ということで遊びに渋々出かけたんですがこの男が卑しければ、友人も卑しいという有様でうんざりしました。 そしてしつこい。私がバイトを辞めて実家に戻っても、どうやってか実家を調べ上げてやってきたときはボーゼンとしました。そしてしつこく通ってきました。近所の人は「結婚が決まったんだな」と噂していたそうです。 でも私は嫌い。 父は、、、男が大会社からの出向者で、噂もたっちゃったし、面倒だしなんて、適当な人ではないのですが。。。ただ、この男は私以外の人からは「非常に誠実に見える」らしいのですね。でも、やっぱ、所詮卑しい人間でした。 未だに、どこで、魔が差してしまったのかわかりません。催眠商法にでも騙されるようにいつの間にか結婚が決まっていました。が、私は結婚式当日にも嫌だと言っていました。逃げればよかった。
2013.12.19
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